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2012/03/31

お客さんが来たらケージで待機!

>ほら、アンジー、お客さんだよ!

 戸を開けるとアンジー号はサッサとケージに入ります。

>ウワーッ!可愛いい!
>おばちゃん、出して!出して!

 アンジーは、尻尾をピコピコさせて期待満々。でも、ジーッと座ったままで待機の姿勢は崩しません。戸を開けるとアンジーは狂喜乱舞。昨夕は、3人の子供に囲まれて大はしゃぎでした。

>アンジーが50日まで寝ていた毛布を送ります。
>お母さんの臭いもタップリです。
>ケージの中に入れてやってください。

 北海道盲導犬協会の繁殖ボランティアさんからの手紙です。

 毛布の置いてあるケージは、アンジーにとっては懐かしい臭いのある特別な場所。我が家にやって来た日、遊び疲れるとサッサとケージに入って毛布に包まってグースカピー。アンジーがケージ待機が得意なのは、繁殖ボランティアさんの心遣いの反映。

今日のPH=5
今日の訓練=朝の散歩で基礎訓練1×10セット。
今日の外出=桜満開の公園。ステージで基礎訓練1×10セット。

PS、今日はPW定休日。

 今日は、月2回あるPW定休日の内の1日。ですから、アンジーの相手はしません。もちろん、散歩とお出掛けはします。それらは、省けません。アンジーに関わるのは、省くことができない散歩とお出掛けと排泄の世話という必要最低限な範囲。その他にアンジーの相手をすることはありません。アンジーは不思議なことにPW定休日には要求吠えをしません。放置されている間、アンジーは寝て過ごします。「ああ、今日は相手をしてもらえない日なんだ!」-このことを、アンジーは鋭く察知している訳です。もしかしたら、PW定休日が一番の躾日になってるのかなー?なーんて、考えたりもする昨今です。

2012/03/30

アンジー号、待機疲れでゴロン!

Photo

 今日は、ばばにとっては色々と忙しい一日だったようです。だから、じじとアンジーにとっては暇な一日でした。

>アラー、盲導犬のパピーちゃん。
>今、触っていいですか?
>ああ、大丈夫!大丈夫!犬に噛まれるのなれていますから・・・。
>実は、うちの子はヘルニアで・・・。
>まあ、それは・・・。
>もう一匹は緑内障になってねー。
>あら、うちのM・シュナウザーは3歳で白内障になったんですよ・・・。

(続く)
>M・シュナウザーは、アレルギーも酷くて・・・。
>うちの緑内障の子は耳も遠くて、まるでヘレンケラー。アハハ。
(まだまだ続く)

 ここら辺りで、アンジーは二人の足元にゴロンと寝て超待機モードに突入。市役所横の桜の下で5分。道路で25分。芝広場で15分と待機の特訓をした後の長話。さすがのアンジーも話しかけてきたおばあさんを相手の飛び付き遊びを早々に切り上げてしまいました。

今日のPH=5
今日の訓練=朝の散歩で基礎訓練1×10セット。
今日の外出=市役所。基礎訓練1×12セット。待機計45分。

2012/03/29

役場と物産館で独り待機に挑戦!

今日は、役場と物産館の2カ所で独り待機に挑戦しました。動画では、極めてリラックスして待機しているように見えます。しかし、実際は違います。終始、ずーっと、アンジー号は飛びつく獲物を探しています。虎視眈眈でターゲットを物色しています。

>エート、誰か私の目を見ないかな―!
>ウヌヌ!あの綺麗なおばさんが私の目をみているぞ!
>近寄って来るかなー!(尻尾ピコピコ)
>き、来た―!(尻尾ブンブン)
>やったー、手を出した!

もう、こうなれば待機もクソもありません。
アンジー号は、立ち上がって愛想を振りまくことに熱中。

>内の黒ラブは39キロあるよ。
>この子は小さいねー。
>21キロちょっとです。
>アハハ!半分だー!

独り待機は、そんなハプニングを含みつつ15分×2でした。

今日のPH=5
今日の訓練=散歩で基礎訓練1×10セット。
今日の外出=役場と物産館で待機15分×2。

2012/03/28

西鉄駅でツイテと待ての特訓!

 一頭目のF1は、ウンともスンとも吠えないままに修了式を迎えました。

>ウーン!なーるほど、盲導犬候補生って吠えないんだ!
>やっぱり、選抜されているだけに違うなー!

と、思って二頭目を預りました。

一頭目はオスでした。二頭目は、ちっこいちっこい北海道からやってきたラブラドールの女の子。「この子は輪をかけて大人しいぞ!」と思って帰宅しリビングに放ちました。

>ウーッ!ワン!ワン!

 な、なんと、二頭目の盲導犬候補生アンジー号は、吠える・唸る・噛むの3拍子揃った見事な吠え犬でした。それも、生半可ではありません。筋金入りの吠え犬でした。

>ワン・ツウ!ワン・ツウ!グッド!グッド!

 しかし、駄犬かと言うと、そうでもありませんでした。我が家へやってきた2時間後には、自らトイレサークルに入って用を足しました。そして、そのままケージに入ってスヤスヤ。翌日に1回、翌翌日に3回だけ台所のマットにシッコ。以後、10ヶ月齢の今日まで、室内での粗相をしていません。夜鳴きもゼロでした。

>ノー!
>ウーッ!ワン!ワン!

>いけない!
>ウーッ!ワン!ワン!

 私らは2日後には、「この子は一切叱らないで育てよう」と申し合わせました。それから6ヶ月齢までは、ただただスキンシップ重視の日々。

>アンジー!ゴウ!

 ワクチン接種が終わって散歩を開始。相変わらず吠える・唸る・噛むの3拍子の日々でしたが、不思議なことに見事な脚側歩行を初日から披露。家周辺の散歩では、このスタイルは今日まで維持されています。もちろん、散歩時に人や犬に反応して吠えたことは一度もありません。でも、一歩家の中に入ると吠える・唸る・噛むの3拍子揃った見事な吠え犬に変身するという不可思議なアンジー号。

 困り果てた私らは盲導犬協会のパピー担当のA氏に相談。話合いの結果、(1)ツイテの訓練を徹底する、(2)待機訓練も重視するの2点を確認。こうして、昨年の11月22日を境にツイテと待機に一日10~20分だけ割くことになりました。今月に入ってからは、ツイテと待機を公園や街中で行うこともしています。

 ところで、一頭目は、ともかく遊び好きでした。一回数分の遊びを一日に4回しないと気が済まない性格。二頭目のアンジー号は、散歩以外の時間はグースカピーと寝て過ごしています。ほとんど遊びに誘っても乗ってきません。ただただ、散歩以外の時間はグースカピーと寝て過ごしています。「ウヌヌ!天性の脚側歩行犬にして寝るのが大好き。こ、これは、盲導犬になれるかも・・・」。なーんて、期待を膨らましている今日この頃です。

今日のPH=5
今日の訓練=散歩で基礎訓練1×10セット。
今日の外出=西鉄久留米駅。基礎訓練と待機15分。

2012/03/27

公園でツイテと待機の特訓!

今日のPH=5
今日の訓練=朝の散歩で基礎訓練1×10セット。
お出掛け先=公園。

今日は久しぶりに風がなく気温はうなぎ昇り。最高気温は17度を越えた。案の定、最寄りの公園は春休みの子供達でいっぱいだった。

>おばちゃん。さわっていい。
>内にもデッカイ犬がいるから平気だよ。
>僕は、犬の気持ちが判るんだ。
>これは喜んでいるってことだよ。

公園に着くと、いきなりアンジーは男の子に抱きつかれた。お返しに、アンジーはブンブンと尻尾を振って肩に両手をかけた。嬉しいハプニングの後、公園を一周してステージで恒例のツイテ。それが終わったら遊具広場で子供を眺めながら伏せ。充実したお出掛けとなりました。

久留米百年公園へ!

2012/03/26 晴

今日のPH=5
今日の訓練=朝の散歩で基礎訓練1×10セット。
お出掛け先=久留米市百年公園。

我が家の新入りである新高校生を連れて百年公園へ。目的はサイクリング。妻と彼はレンタル自転車でサイクリングロードへ。出発点は水天宮。終点は原鶴温泉。全長約30キロ。ただし、二人は20分ほどで引き返してきました。

2012/03/24

散歩でツクシの群生を発見!

2012/03/23 雨

PH=5
訓練=雨天中止

2012/03/24 晴

PH=5
訓練=朝と夕の散歩で基礎訓練1×10セットづつ。
待機=トライアル店頭で連続15分。

 「キャノンのインクが激安!」とのチラシ。早速、トライアルへ出かけました。店頭でアンジーは、ラブラドールの飼い主の方にナデナデされて大喜び。その後、伏せの姿勢で待機。15分経った時点で、しびれをきらした私が店内の妻に「まーだ!」と電話。それで、アンジーが立ち上がってしまいました。それでも、伏せを15分継続できたのは上出来です。

>ウワーッ!ツクシだらけじゃーないですか?
>えー、一面ツクシです。
>ちょっと、つましてもらっています。


 散歩の途中でビニールハウスの入口でツクシを採取しておられる男性が一人。声をかけた後にハウスの中を覗いてビックリ。そこは、正に、ツクシだらけ。春満開でした。

(続)盲導犬ユーザ糾弾に見る事実と真実! by I.H.

 Photo_3

 私は、2月3日にブログにアップした一文「長崎発: 盲導犬ユーザ糾弾に見る事実と真実!」で次のように述べた。
 
1、事実と真実との違いをはっきりと認識すべし。
2、関係者の人権と心情に配慮すべし。
3、情報発信が他者に及ぼす影響も検討(考慮)すべし。
4、時を越えて、場を越えて生き続ける写真の公開は慎重にすべし。

 2、3、4の3つは、それなりに理解されたようだ。だが、1の「事実と真実との違いをはっきりと認識すべし」に関しては、一部には全く理解されずに今日に至っている。

1、一人称的認識。

 私が言う事実とは、これから述べる「一人称的認識」と同義である。

 今月の16日、我が家に不思議な不思議な新高校生がやってきた。その日から今日まで、彼は終日ゲームをして暮らしている。お気に入りは、「戦国バサラ3ウタゲ」。私が買ってやった「レインボーシックス ベガス2」も時々はしている。

「我が家で暮らし始めた新高校生はゲームが大好きである。」

 この私の認識は、我が家の2階で寝起きする新高校生の一つの側面を表しているに過ぎない。決して、彼の全体像を伝えるものではない。「新高校生は嘘をつかない」、「新高校生は間食をしない」という認識を並列して書くことも出来る。しかし、現時点では、そういう肯定的認識は余り重要なことではない。私には、「終日ゲームをして過ご している」という否定的認識だけが重要なのである。

 新高校生に対して、私が幾つかの並列的な認識を持つことも可能である。だが、現実問題としては、当面の関心事でない認識を色々と並べるのは無意味だ。新高校生にどのような生活習慣を身に付けさせるのか? それが、焦眉の関心事。「嘘をつかない」とか「間食をしない」などの肯定的認識は瑣末(さまつ)でしかない。このように、人は、自らの関心事にそった否定的認識(あるいは肯定的認識)のみでもって個人を語る。これが、一人称的認識の特徴である。

 長崎の盲導犬アトム号のユーザに関して盛んに書いているブログも見られる。書かれている内容はネット情報のかき集めに過ぎない。盲導犬ユーザに対する否定的認識のかき集めに過ぎない。 正に、一人称的認識の特徴が色濃く反映されている。人は、見ず知らずの人物に関する肯定的認識を示す情報を収集し開示するなんてことはしない。だから、一個人に関する噂話は否定的認識の断片を脚色した作り話にならざるをえない。先ずは、私が言う事実とはかかる特徴を有する一人称的認識に他ならない。

2、全称的認識。

 私が言う真実とは、これから述べる「全称的認識」と同義である。それは多くの対象の観察の果てに生じるもので、各自の見聞に支配されている個別的な一人称的認識よりも数段に高いレベルの認識である。

 今年の4月に入学する新高校生に対する私の一人称的認識は、2階の住人を観察することで成立したもの。したがって、「新高校生はゲームが大好きである」という認識が、他の新高校生についても成立するかどうかは、まったくわからない。

「新高校生は、将来、少子高齢化社会を支えなければならない。」
「新高校生は、将来、格差社会を生き抜かなければならない。」

 これらは、全称的認識である。新高校生という一群に共通する本質的な規定である。このように、「すべての」という言葉をつけて語ることができる認識が全称的認識である。全称的認識は、一群に共通する本質的な規定を内包しているがゆえに本質的な認識と言える。

 私が言う真実を、「虐待の有無」と理解した向きがほとんどである。残念ながら、それは、特定のユーザに関する事実認識の問題に過ぎない。一人称的認識である事実認識も確かに重要である。しかし、「ネットで 情報を発信する」というステージでは、それは後景に押しやられる。なぜなら、通常は、個別特殊的な一人称的認識をネット上で公にすることはあり得ないからだ。全称的な認識に関わる問題として認識した時のみ、人は一人称的認識を公にする。私が言う真実とは、「発信する情報が全称的な認識に関わる問題だとすれば、それはいかなる認識か?」という文脈に登場する全称的な認識と同義である。つまり、盲導犬と盲導犬ユーザに関する本質的な認識を真実と呼んでいるのである。

3、一人称的認識の真偽を問うた西日本新聞。

>男性や担当獣医師には聞いていないが、近所の聞き込みなどはした。
>ある程度主観で書くことは仕方ないし、
>後で『信じるも信じないもあなた次第』と記した。


 某動物愛護団体は、西日本新聞社の記者にこのように語ったという。だとすれば、同団体の一人称的認識は、信憑性が非常に薄いものであったことになる。「その関心事にそった否定的認識のみでもって個人を語る」だけではなく、その否定的認識そもののが不確かで不正確なものであった。それは、「当事者に話を聞かないまま無責任な発信が行われ、それを見た者が面白がって尾ひれをつけていく」(NPO法人青少年メディア研究会下田博次理事長)という事態を引き起こしただけである。

>骨折などなく健康状態は良好。やせているどころかむしろ太っていた。(担当獣医師)

>男性とアトムの関係は良好だった。
>アトムも男性といるときはリラックスしていた。
(盲導犬協会スタッフ)

>虐待でも何でもなく本来の習性を思いだしただけだ。
>歩きながら排せつする犬もいる。
(犬の訓練士)

 西日本新聞は、獣医師、盲導犬協会スタッフ、犬の訓練士という異なる立場の関係者から一人称的認識を取材して紹介している。それは、某動物愛護団体が「とにもかくにも盲導犬ユーザをバッシングする」という目的のためにかき集めた否定的認識の対極にあるものであった。「信じるも信じないもあなた次第」といういい加減さは、そこにはない。関係者への直接取材という一手間を惜しまずに信頼できる一人称的認識を積み上げた点では、プロの仕事だと言える。

 誤解を避けるために一言だけ付け加えておく。私は、西日本新聞の記事を「盲導犬アトム号が適切な環境下で飼育されていた」ことの裏付けとして紹介している訳ではない。ただ単に、一人称的認識の多面性(多種多様)の一例として示しているに過ぎない。

4、誤まった全称的認識の流布こそが問題である。

 ところで、私が問題にしてきたのは某動物愛護団体の一人称的認識の真偽ではない。「例え、うわさが事実に基づくものであっても間違った全称的認識の流布という結果をもたらす情報発信は誤報の類にすぎない」というのが、私の批判の核心部である。

>そしてこれはきっと氷山の一角ということ。
>今も・・どこかにたくさんのアトムがいるかもしれない。

>1人でも多くの方達でアクションを起こさないと、
>虐待されていると言えない子達が次々に犠牲になります。

>パピーの間はしあわせかもしれないけど、
>訓練施設に入れられて、
>次には障害者の道具にされて、
>使えなくなったらリタイアボランティアに押し付けられて、
>環境がころころ変わってもストレスがないとでも?
>・・・・盲導犬が幸せだとは思えません。


 これは、1月31日の某動物愛護団体のブログからの抜粋である。その後、同団体はブログで同種の盲導犬ユーザと盲導犬との関係に否定的な全称的認識を繰り返し紹介し続けた。つまり、某動物愛護団体は実態として盲導犬道具論、盲導犬虐待論の大合唱のタクトを振り続けたのである。

>アトムのほかにも虐げられている盲導犬がいるかもしれない。

 今なお、「盲導犬とより良い暮らしを考える会」では、このように「氷山の一角論」を展開している。そして、署名では次の事を訴えている。

>不適切なユーザに貸与されていないかを
>社会一般に審査してもらうために
>ユーザによる盲導犬の不適切な管理、虐待が問題となった場合には
>協会が行った調査、判断、その後の処理結果等を
>(随時報告書等の書面で)公表すべきです。

 某動物愛護団体は、3月現在、「盲導犬選別優先貸与方式」と「盲導犬ユーザ監視システム」との確立を福岡県に求める署名活動に血道をあげている。彼らが、「間違った全称的認識を流布するという結果しかもたらさない情報発信」を現在も継続中であることは明らかである。

5、糾弾者に全称的に物事を語る資格なし!

 全称的認識とは、本質的な認識のことに他ならない。

1、盲導犬と盲導犬ユーザは、強い信頼関係で結ばれた人生のパートナー。
2、盲導犬ユーザは犬の虐待者であり、盲導犬は哀しき生きた杖。


 この場合の本質的認識とは、1ないし2を意味する。

 某動物愛護団体は、盲導犬アトム号を「虐待される盲導犬」のシンボルとして盲導犬ユーザをネット上に晒して糾弾した。もって、盲導犬ユーザ虐待者論、盲導犬道具論を煽りに煽ったのは前述の通りである。

 果たして、盲導犬を虐待するユーザ像が一般的で普遍的なのであろうか?本当に、哀しき生きた杖という盲導犬像が盲導犬の本質なのだろうか?今なお、「盲導犬アトム号は、氷山の一角にすぎない」として黒い署名活動を展開している某動物愛護団体は、長崎県内のユーザの何人から聞き取りを行ったのであろうか?

>出かけるときにリチャードがすごく嬉しそうにしてくれる、
>しっぽをぶんぶん振ってね。

>出かけるのが大好きみたいだし、
>リチャードが幸せに思ってくれていると誰よりも僕自身が知っている。

ハーネス九州 vol60)

 
 これこそが、盲導犬と盲導犬ユーザとの関係の本質を語る事象である。情報犯罪であることを承知で盲導犬ユーザと盲導犬協会をバッシングし続ける某動物愛護団体は、そのスタンスゆえに真実から日々遠ざかっている。「盲導犬とより良い暮らしを考える会」を急造したとしても、決して、その距離は縮まらない。糾弾というスタンスでは、永遠に真実を語ることはできないのである。

、結び。

 確かな全称的認識に基づかない恣意的な伝聞情報の発信は、決して真実を伝えることはない。真実とはほど遠い情報発信は誤報でしかない。少なくとも、ネットで情報を発信する者は、このことだけは心得ておくべきである。「事実と真実との違いをはっきりと認識すべし」に関しては、余りにも無理解で感情的なコメントが後を絶たない。そこで、「確かな全称的認識に基づく一人称的情報発信を行わないと誤った真実を伝える結果を招く」と補足しておく。ネットで広く発信する情報は、宿命的に全称的認識を流布する役目を持つ。それゆえに、事実と真実との違いを認識することが情報発信者には求められるのである。
 

2012/03/22

余りのポカポカ陽気に誘われて・・・。

2012/03/21 晴れ。

今日のPH=5
今日の訓練=朝と昼の散歩で基礎訓練1を10セット×2。
公園で訓練=基礎訓練1を10セット。

 余りの
ポカポカ陽気に誘われて昼から公園に出かけました。春休みとあって子供連れで賑わっていました。ステージで基礎訓練1を10セットした後は遊具広場で子供達を眺めてしばし楽しい時を過ごしました。

2012/03/20

不思議な高校生の自転車を買いに・・・。

 我が家には、今月の16日から住人が一人増えました。二階の一室で終日ゲームをするかマンガを読んでいるという不思議な不思議な高校一年生です。

>自転車が欲しいなー!

 朝食の時に、彼が一言。それで、私らは自転車を買いに近くのイオンに出かけました。私とアンジーは、入口で彼らの品定めが終わるまで待ちぼうけ。しかたなく、「待機」の練習をしていました。

 自転車を買ったらアンジーと妻と彼は車でサッサと家路に。私は、「頑張って」と託された新品の自転車で家を目指してエッチラホッチラ。でも、地元の人間ではないので方角を間違ってしまいました。2キロ位間違った地点に出てしまいました。ようやく、遥か遠くに我が家を見つけて春の田んぼ道をエッチラホッチラ。

>アハーッ!迷ったな!この馬鹿!
>馬鹿は余計だよ!

 ところが、不思議な不思議な高校一年生は、折角買った自転車には興味なし。相変わらず、二階の一室に籠ってゲーム。しかたないので、私が自転車に乗って部落を一回り。

 アンジーと言えば、時折、リビングに降りてくる不思議な不思議な高校一年生に首を傾げるばかり。私らも、首を傾げるばかりです。

今日のPH=5
今日の訓練=午前と午後の散歩で出発時に基礎訓練1を10セット。

2012/03/19

今日は公園ステージで10セット!

 今日は久々に朝から陽射しもチラホラ。公園は子供連れで賑わっていました。ステージでは老婦人が二人話し込み、広場では親子がサッカーに興じていました。

>シット!
>ヒール!
>グッド!グッド!


 午前中の散歩ではツイテ訓練をして出発。公園ステージでも同じく10セット。

 散歩に出かける時、あるいは公園に出かけた時に2、3分だけ「ツイテ歩き!」の練習をするのは、昨年の11月21日以後の私とアンジーの習わし。もちろん、私らはパピーウォーカーですから仔犬を訓練することはしません。(1)リラックスして一緒に歩くための「ツイテ歩き」、(2)街角で足元に穏やかに伏せて一時を過ごす「待機」。この二つは訓練というよりも一種の習慣付けみたいなものです。それ以上のものではありません。

 アンジーは、我が家にやって来た日から今日まで天性の脚側歩行犬です。また、盲導犬候補生達は、教えなくても時期が来れば街角で伏せして待機するようになります。

>信頼関係が構築された時、仔犬は自ずと伏せをするようになります。

 この「パピーウォーカーの手引き」の一節が嘘ではないことを教えてくれた2頭の盲導犬候補生。彼らに感謝。

 ところで、先だって散歩していたら、県道の向こうの家のご主人が庭に出てこちらを窺っておられました。ままよと道路を渡ると、

>その犬は盲導犬になる子かい?

と、突然に声を掛けられました。

>そ、そうです。盲導犬の候補生です
>そうだろう。どうりで散歩中にシッコをしないと思った。
>いや。時々、失敗していますよ。

 多分、ご主人は私らの散歩を何度か家の中から観察してこられたのでしょう。「フーン!見ている人は見ているんだ!」と思った次第です。パピーウォーカーもまた見られているんだと思った次第です。

2012/03/18

ウーン!再びPH7へ!そして5へ!

2012/03/13 PH=7
2012/03/14 PH=?
2012/03/15 PH=5
2012/03/16 PH=5
2012/03/17 PH=5
2012/03/18 PH=7 ⇐5日振りにPHが7へ!(10:00、12:00)
2012/03/18 PH=5 ⇐しかし18:20にはPH5へ!
2012/03/19 PH=5 ⇐正常!(06:20)

今日のPH
=7~5
今日の訓練=昼からの散歩で「Sit⇒Heel⇒Sit」を10セット。

16日、17日と2日続いて雨。今日も昼過ぎまでぐづついた天気。午後3時をまわった頃から晴れました。道が乾いたのを確認してアンジーと3日ぶりの散歩に出かけました。

特記事項:今日の夕飯もアンジーは吠えないで待てました。

2012/03/17

盲導犬アトム号の幸せとは? by I.H.

1、盲導犬は幾多の人々の想いの結晶。

 一頭の盲導犬がデビューするまでには、様々な人が関わっています。繁殖ボランティア(BW)さん、そして、私らパピーウォーカー(PW)、それから訓練センターの訓練士さん。さらに言えば、母犬と父犬を育ててこられてきた方もいます。そして、その祖父犬、祖母犬を育成されてきた方。そのまた親犬を世話された人達。それだけではなく、リタイア犬のボランティアさんあっての盲導犬ということも忘れてはいけません。このように考えれば、一頭の盲導犬の誕生には実に多くの人々の人生が関わっています。正に、盲導犬は幾多の方々の想いの結晶として誕生しデビューをしていると言えます。決して、BWだけが尽力した訳でもなく、PWだけが愛情を注いだ訳でもなく、訓練士だけが育成に関与した訳ではありません。関係者は、今更ながら、盲導犬は幾多の人々の想いの結晶ということを忘れてはいけません。

2、貸与後の盲導犬とユーザとの関係。

 私の推測では、栄えあるデビューを飾った盲導犬のすべてが初めから盲導犬ユーザと「支え支えられる関係」と「慕う慕われる関係」を構築できる訳ではないと思います。「支え支えられる関係」は、盲導犬ユーザの「日々是訓練」の継続があって実現される関係でしょう。「慕う慕われる関係」も、日常の触れ合いの積み重ねを通じて糸から紐へと大きくなっていくものかも知れません。

3、キーワードは継続と積み重ね!

 キーワードは、継続と積み重ねです。継続と積み重ねは量と呼ぶことができます。盲導犬とユーザとの関係は質と表現できます。量と質とは密接不可分な関係で一体関係にあります。そして、一番重要なことは量の蓄積なくして質的な変化は無いということです。平たく言えば、盲導犬とユーザとの関係は一日にして成らずということです。私は、彼らの関係もまた歳月を重ねた夫婦のそれに似ていると思っています。

4、習って覚えて、試して失敗!

 シベリアン・ハスキー犬2頭を筆頭にゴールデン・リトリーバー、柴犬、シー・ズー、M・シュナウザーと暮らしてきた私ら。ドッグスクールにも夫婦で16週通うなどして色んな経験を蓄積してきた私ら。それでも、盲導犬候補生を預った一年目は四苦八苦の日々でした。2頭目も反省の日々です。大型犬と暮らした経験がない盲導犬ユーザの方にとってはラブラドールやF1との暮らしは、私と同様に驚きと発見の日々。その一年目は「習って覚えて、試して失敗の日々」ではないでしょうか?習って覚えるには、教える人が必要。トライアル・アンド・エラーに良い結果をもたらすのは、盲導犬協会スタッフのサポート。あるいは、盲導犬ユーザの方々の交流学習会。そういう後押しの中で盲導犬とユーザとの関係が変化・発展していくことを、私の経験は教えています。

5、盲導犬アトム号は何を教えているのか?

 長崎の盲導犬アトム号の一件では、盲導犬ユーザのトライアル・アンド・エラーと盲導犬協会スタッフのサポートのあり方を変化過程の一つの局面として捉えることを拒否する見方もあります。そうではなくて、不変的で固定的な不適切行為として強く糾弾する向きもあります。一部には、それぞれのパーソナリティに責任の所在を求める極論もあります。しかし、私は、あくまでも変化と発展を常とするプロセスとして情報を収集・整理することが大事だと考えています。また、「盲導犬育成事業の経済的基盤の脆弱さ」こそが背景にある根本原因であるという視点も忘れてはならないと考えています。脆弱な土台の上に建てられた盲導犬育成システムの態勢と体制は不十分でしかないことは明らかです。盲導犬アトム号は、我々に「土台の脆弱さ」と「態勢と体制の不十分さ」を教えてくれたのではないでしょうか?

6、なぜ、ユーザとの関係が後退したのか?

 もちろん、盲導犬協会が「アトム号の引上げを決定」していることは紛れもない事実です。だとすれば、状況はトライアル・アンド・エラーという言葉では語れないものだったと推察されます。なぜ、アトム号とユーザとの関係が変化・発展ではなく変化・後退という真逆の過程を辿ったのか?その原因については、厳しい反省が必要なことは言うまでもありません。その反省にあたっては、個々の特殊性に着目すると同時に「土台の脆弱さ」と「態勢と体制の不十分さ」という視点も忘れないことが前進的な反省につながります。「責めるだけが反省ではない」-これは、今回にも当て嵌まることです。

7、犬の本当の幸せとは?

 日本では、家族の一員であることが犬の幸福であるかのように思われています。私の考えは、少し、違っています。犬の本当の幸せは、(家族の一員であると同時に)社会の一員として生きることの中にこそあると思っています。殺処分ゼロの夢が現実になりつつあるドイツでは、犬を飼ったらドッグスクールに通うのが常識。そういう学習プログラムを体験することで飼い主と犬とはお買物や食事にも一緒に出かける術を手に入れます。そこでは、犬は人間社会の一員としての確かな席を与えられています。「これが、本当の自由を手に入れた犬のあるべき姿ですよ!」-TVの向こうでは、レストランで犬を侍らせた老婦人が当たり前のように食事を楽しんでいました。

8、盲導犬カイエンヌ号の喜びと生きる理由!

>犬と人間は、
>緊密に協力し共に懸命に働いているときに、
>もっとも強く心を通わせるものです。

(「DOGS with JOBS」M・ウェイズボード/K・カチャノフ著 11頁)

 M・ウェイズボードは、カナダ・カウンシル賞を3回受賞しているノンフィクション作家。K・カチャノフはワーキングドッグの診療経験豊かな獣医。「働く犬たち」は、母と娘である二人の共著です。二人は、まえがきの3行目で「盲導犬アトム号の幸せとは?」の答えを探索する上での重要なヒントを与えてくれています。同著の16番目の物語である「十一歳の少女に希望と自立をもたらした盲導犬」の章では、少女と盲導犬との出会いが次のように描かれています。

>(盲目の少女)エスターは世界に向かって自分を導く目を見つけた。
>そして(盲導犬)カイエンヌは生きる理由を見つけたのだ。

(「DOGS with JOBS」M・ウェイズボード/K・カチャノフ著 248頁)

 アトム号の盲導犬としてのデビューは幾多の人々の想いが結実した瞬間でした。しかし、今、彼はその舞台から去っています。ユーザと強く心を通わせる一時を失い、生きる理由も見失っています。それが果たして盲導犬アトム号にとっての幸せなのか?「働く犬たち」の著者達は、自信を持って「ノー!」と答えるでしょう。

9、盲導犬アトム号の資質に応える道

 盲導犬アトム号のトライアル・アンド・エラーという言葉で語れない状況にかなりの長崎市民の方が心を痛められて手を差し伸べられたと聞いています。それは、長崎市民の方の優しさと良識を示すものです。仮にその延長線上でアトム号が保護されたのであれば、その心情と動機は理解できない訳ではありません。でも、アトム号の保護(隔離)が彼を事態の正常な解決から遠ざけたことは否定できません。ネット上では「アトム号に家族の一員としての幸福を」という意見も散見されます。私は、そうではなくて先ずは「社会の一員としての幸せ」を体現する道を模索すべきだと考えます。それが、彼の資質に応える道だと信じています。冒頭で述べたように、盲導犬アトム号は幾多の人々の想いの結晶です。彼は、2万分の1の奇跡の犬です。「アトム号にはアトム号らしい生き方を!」-これが、彼の天性の資質に応える道だと私は信じています。

10、結び。

>犬という伴侶の知覚的、本能的潜在能力や、
>相手を喜ばせたいという欲求を理解している人はほんの一握りです。

(「DOGS with JOBS」M・ウェイズボード/K・カチャノフ著 21頁)

 私は、この「ほんの一握り」のグループに接近したいと思っています。その手助けをしてくれているのが、今預っている盲導犬候補生です。私と盲導犬候補生アンジーは、先輩であるアトム号の1日も早い発見と保護を願いつつ、今日も、散歩とお出掛けに精を出しています。

2012/03/15

今日はお留守番の日!

 1日と15日の両日はアンジーがお留守番をする日です。時間は、かっきり正午から13時20分までの100分。この両日以外の日にアンジーがお留守番をすることはほとんどありません。それでも、「お留守番!ハウス!」と言えば、ケージに入ってお留守番を開始できます。アンジーは、頭が良くて賢い盲導犬候補生です。

今日のPH=5 ⇐ ウン!正常値!
今日の訓練=朝と夕の散歩で「Sit⇒Heel⇒Sit」を10セット×2回。

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▲白の藪椿が咲きました。(撮影 2012/03/17 16:30)

PW定休日

 14日と月末はPW定休日。アンジーは朝昼晩の3回の散歩、食事と排泄の世話しかしてもらえません。朝から雰囲気が違うのを察知したアンジーは、終日寝て暮らします。この両日だけは、決してぐずることもなく台所、和室、リビングと所を変えて終日を寝て暮らします。そういうことで、今日は書くことがありません。

今日のPH=ウロペーパーが無くなったので不明。
今日の訓練=朝の散歩で「Sit⇒Heel⇒Sit」の基礎訓練1を10セット。

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2012/03/13

「つばき園」にお出掛け!

 2012/03/13。10ヶ月齢を迎えたアンジーと石橋文化センターの「つばき園」に出かけました。3月17日からのつばきフェアー前とあって人出はまばらでした。なのに、アンジーは興奮しまくり。あっちピー、こっちピー。写真撮影も苦労の連続でした。

>イージーウォークハーネスを持ってくるべきだった!

と反省したが後の祭り。

 アンジーは、不思議なことにイージーウォークハーネスを装着するだけで脚側歩行犬に戻ります。リードの先はいつものように首輪ですので、アンジーの少し神経質な稟性の表れだと思います。

本日のPH=7
本日の訓練=お出掛け前に「Sit⇒Heel⇒Sit」の基礎訓練1を10セット。

2012/03/12

お出かけ再開 / JR久留米駅で初ウンチ

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▲水仙が咲きました。

 明日2012/03/13で盲導犬候補生アンジーは10ヶ月齢になります。生理も終わったので今日からお出掛け再開です。行く先は、やはりJR久留米駅。

 駅構内には椿の鉢植えが並べられていました。久留米市は椿の苗木生産では日本一。一昨年には国際ツバキ会議も開催されています。3月17日~25日にかけては、第3回久留米つばきフェアが久留米ツバキ園と石橋文化センターを2大拠点として開かれます。3月17、18日の納北麓草野つばき祭りはステージイベントも予定されており出掛ける価値があります。

 駅構内のど真ん中で「私、ウンチ!」とアンジーが言いだして大慌て。無事、ワン・ツウで所定の物にさせることができました。到着時にちょっとグズッったのがウンチサインだったようです。それを見逃したのは大失敗でした。でも、構内はおおむね落ち着いて歩き通せました。

今日のPH=7。(正常値は6.4!)
今日の訓練=散歩開始時に<Sit⇒Heel⇒Sit>の基礎訓練1を10セット。

2012/03/11

最後のパピー講習会! / アンジーは吠えなかった!

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 4ヶ月振りのパピー講習会。意気込んで家を出発した私ら夫婦と盲導犬候補生アンジー号。

>糸島峠は地滑りの為に全面通行止め!

 「エッ、エーッ!」と顔を見あわせて左折せずに直進。

 しかし、行けども行けども馬鹿なナビは「糸島峠へ戻れ!」と案内をする。ボロ車を道端に止めて複数のルートを計算させる。が、やはり、馬鹿なナビは「糸島峠へ戻れ!」と案内をする。相当に走った頃に馬鹿なナビが違うルートを指示したと思った。「やっとかい!」と思ってナビの通りに走ったら、な、なんと振り出しに戻ってしまった。目の前には見覚えのある「糸島峠は地滑りの為に全面通行止め!」の案内。

 「く、くそーっ!」と再度左折せずに直進を開始。先ほど後戻りした地点からさらに先に進む。そうすると、わずか数百メートル進んだところでカーナビは本当に訓練センターへの別ルートを指示した。わずか数百メートルだけ直進していれば、その後は訓練センターへまっしぐらだったのだ。「アチャー!」と悔やんだがもう遅かった。時間は、既に、午後1時15分。到着は、2時近いことは明らかだった。こうして、私らは最後のパピー講習会に見事に遅刻した。

>アレーッ!アンジーちゃん、吠えませんねー!

 講習会に遅刻したアンジーだったが、講習の実技は無難にこなした。そして、吠えることもしなかった。同期のPWの方もビックリの変身ぶりだった。実は、先月の4日を境にアンジーは吠えない犬になった。散歩以外の時間はマッタリとして寝て過ごす犬になった。それは、思いがけない突然の変化だった。果たして、これがアンジーの本当の姿なのか?疑いと期待とが半々の私らである。

>ウーッ!ワン!ワン!ワオーン!

 何事かと訓練センターの事務員さんが席を立たれた。訓練士さんも加わって制止。しかし、それ位では、アンジーは吠えることを止めない。「ウワーッ!この子、本格的な吠え魔だねー!筋金入りだねー!」と皆を驚かせた初回パピー講習会。が、今回は違った。アンジーは吠えることなく淡々と実技をこなした。

>次に来た時は帰りにはアンジーはいないんだなー!
>そうだねー!お別れだねー!


 
帰りには、こんな話もしながら日向峠を抜けて帰路に着いた。。

【PHが正常値に戻った】

3月06日・・・夜のシッコで少しオリモノを確認。PH=8。
3月07日・・・フードをPHコントロールに変更。PH=8。
3月08日・・・PH=8。
3月09日・・・PH=8。
3月10日・・・PH=8。
3月11日・・・PH=5。(
正常値は6.4!)

 単に一時的なPHの狂いだったのか?それともフードの効果か?フードは50%しか切り替えていないので、フード効果という見方は当を得ていないかも・・・。だとすれば、一時的な細菌感染によると考えるのが筋か?生理開始後31日目のオリモノを伴うPHの値の変化。一時的との見方が正解であって欲しい。

 本日、盲導犬訓練センターのスタッフと相談してフードの銘柄を変更した。明日から一週間をかけて新フードに切り替えて尿検査を継続することに・・・。

2012/03/08

【紹介】 盲導犬の隠された性格 / 獣医さんのブログより

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▲私が初めて預った盲導犬候補生(F1)です。

http://pet-net.sakura.ne.jp/byouin/byouinura54.html

<盲導犬の隠された性格>

 これは、「+獣医のペット病院ウラ話!?」というブログに掲載された記事です。次のようなタイトルの4章からなる小さな物語りです。

1、毎朝見ていた彼の姿。
2、出会いは突然にやってきました。
3、豹変した彼。
4、プロ意識。

 お話は、次の2文で締めくくられています。

>犬は本当に凄いです。
>獣医になって良かったと思います。

 末尾で紹介されている<すごい!素質だけで盲導犬>という記事もおすすめです。

2012/03/05

【盲導犬アトム号】「考える会」の署名と4つの問題点! by I.H.

盲導犬アトム号失踪と黒い署名活動批判 5/5

 長崎ライフオブアニマルの代理団体である「盲導犬とより良い暮らしを考える会」(以下「考える会」)を通じて展開している「公益財団法人九州盲導犬協会の事業活動改善および監督・指導を求める署名」の問題点について一応のまとめを行っておきます。先に、私が考える問題点を列挙すれば、それは次の4つです。

1、個人への中傷を煽ったことへの批判をかわすことが目的の一つである。
2、九州盲導犬協会との話し合いを県に肩代りさせようという行動である。
3、「盲導犬ユーザを選別して優先貸与すべし」という主張が盛り込まれている。
4、「盲導犬ユーザの適・不適を社会一般が審査すべし」との主張も盛り込まれている。

 「考える会」が行っている署名は、第一に動機と目的が不純です。第二に、協会との交渉を県に肩代りさせようというのは方法論としても間違っています。第三に、「盲導犬ユーザを選別して優先貸与すべし」という主張は、視覚障害者の方を選別する危険な考え方です。第四に、「盲導犬ユーザの適・不適を社会一般が審査すべし」という主張に至っては盲導犬ユーザ監視論とも言える暴論です。

1、個人への中傷を煽ったことへの批判をかわすことが目的の署名活動。

Lifeofanimal

>もうすでに、読まれた方も多いでしょうが
>今朝の新聞記事を読み、
>驚くとともに私達が訴えてきた事は記事には一切入っておらず、
>とても残念でしかたがありません。
>・・・・・
>やはり早急に署名開始に向けて動くしかありません。
(2012-02-02 23:03:03 長崎 Life of Animal「新聞記事について(取り急ぎ)」より)

 今朝の新聞記事とは、2月22日付けの西日本新聞の記事のことです。「『盲導犬虐待』ネット暴走」という大見出し。「長崎の男性へ中傷次々」、「無責任に根拠なき発信」という小見出しを持つ8段の囲み記事です。記事のテーマは、「ネット社会における情報発信責任」にあることは明らかです。ですから、盲導犬ユーザと九州盲導犬協会に取材をしない噂だけに基づく性急な情報発信を「無責任で根拠なきもの」として指弾しているのは当然だと言えます。

 噂は3つの特徴を持っています。

(1)話題にする上で都合のよい部分のみを切り取ったもので経緯とか全体像を伝えていない。
(2)そうして切り取った断片情報を繋いでストーリーを組み立てる時には必ず脚色される。
(3)加えて、自らの尺度のみで下した判断への共感を得ることに力点を置いて伝えようとする。

 西日本新聞の取材を受けた際に、長崎ライフオブアニマルがこのような3つの特徴を持っている噂の類を幾ら列挙しても全ては無視された筈です。その幾つかを取り上げれば、「ネット社会における情報発信責任」という記事のテーマのフォーカスがぼやけてしまうからです。西日本新聞の記事は、偏向報道の典型でも何でもありません。当事者への取材を怠った噂に基づいた情報発信が是か非かということを問うているだけです。ただ一言付け加えれば、「協会による盲導犬の貸与停止」という重大判断に触れずに反証ともとれる記事を中心にまとめたことには記者の気負いを感じています。それが、結果的に一部の読者の問題意識を情報発信責任から噂の真偽へとずらしたように思います。しかし、それも「ネットを特定個人への中傷を煽るツールとして利用してはいけない」との警鐘を鳴らした記事の価値を損なうものではありません。

 ともあれ、2月22日付けの西日本新聞の記事は、長崎ライフオブアニマルに「署名開始に向けて動くしかない」と決断させました。特定のユーザへの中傷を煽った行為への批判を回避するという動機がそこに働いたことは間違いのないことです。

2、九州盲導犬協会との話し合いを県に肩代りさせる行動。

>「監督」は、
>公益法人の事業の適正な運営を確保するために必要な限度において、
>また、
>公益目的支出計画の履行を確保するために必要な範囲内において、
>行うものである。

 福岡県が九州盲導犬協会に対して行う監督とは、このようなものです。「必要な限度において」、「必要な範囲内において」というのは公益法人の自主的・自律的運営の原則を踏まえたものです。

>協会は、およそ公益財団法人とは思えないような対応をとっています。
>また、電子メールによる「お問い合わせ」に対し、
>電話での対応をとるため、
>相談した側としても当協会の回答内容について不信感を持ってしまいます。

(「公益財団法人九州盲導犬協会の事業活動改善、および監督・指導を求める署名」より)

 長崎ライフオブアニマルと九州盲導犬協会との話し合いが、どのようなものであったかは知る由もありません。ただ、言えることは、その過程で不信感を抱いたとしても話し合いを中断して県に訴えるという行動は、話し合い当事者の信義に背くものです。「県は監督機関ではあるが仲裁機関ではない」というのが私の考えです。

  ネットという特別な場に特定個人を晒して間接的にバッシングという目的を達成しようとした過去。そして、今回の(自らが直接に対決するのではなくて)県という監督機関をして盲導犬協会を叩いてもらおうという署名活動。「タイマン世代」としては、かなりの違和感を抱かざるをえません。

3、「盲導犬ユーザを選別して優先貸与すべし」という誤まった主張。

>限られた資源である盲導犬を、
>貸与条件を充たさない、
>またはその可能性が高いユーザーに貸与しないことが、
>視覚障害者の福祉の増進に不可欠な要素といえます。

>貸与条件、適格性を有するユーザーに優先して盲導犬が貸与されるべきです。
(「公益財団法人九州盲導犬協会の事業活動改善、および監督・指導を求める署名」より)

 これは、彼らの署名の主要な要望事項の一つです。

 そもそも盲導犬の貸与条件は、一定の基準を満たせば等しく資格を有するハードル条項と言えます。それは、「18歳以上」という機械的運用条項とケース・バイ・ケースで全体の兼ね合いを考えて適用する弾力的運用条項とに大別されます。盲導犬希望者のパーソナリティや住環境は、後者の弾力的運用条項です。「盲導犬ユーザを選別して優先貸与すべし」との主張は、この弾力的運用条項を盲導犬希望者を入口で審査する基準へと変質させるものです。それを監督官庁に迫るのは、行政による不当不法な介入と管理を求める要望そのものです。それは、公益法人の自主的・自立的運営の原則を踏みにじるもので盲導犬協会の歴史と経験を否定するものです。運用次第では視覚障害者のニーズと可能性を否定する危険な方式を行政に促していると言えます。

4、「盲導犬ユーザの適・不適を社会一般が審査すべし」という誤まった主張。

>不適切なユーザに貸与されていないかを
>社会一般に審査してもらうために
>ユーザによる盲導犬の不適切な管理、虐待が問題となった場合には
>協会が行った調査、判断、その後の処理結果等を
>(随時報告書等の書面で)公表すべきです。

>盲導犬に限らず、動物に対する不適切な管理、虐待は、
>相性の問題に起因するというより、
>動物愛護の精神と責任感の欠如という資質の問題によるところが大きいです。
>・・・・・
>改善の見込は皆無ですので
>即刻の貸与停止が必要です。
(「公益財団法人九州盲導犬協会の事業活動改善、および監督・指導を求める署名」より)

 「不適切なユーザに貸与されていないかを社会一般が審査するのは当然のこと!」との主張の根拠は、都道府県による補助金の支出にあります。盲導犬ユーザの方への補助金の支給は、あくまでも生存権保障という憲法理念の実現の一環に過ぎません。決して、盲導犬ユーザを社会で監視する為ではありません

 盲導犬ユーザの不適切行為を盲導犬協会に通報するのは公益通報であり、盲導犬協会の活動を支える柱の一つです。そのような公益通報者に対して、調査結果を丁寧に説明することは当然のことです。しかし、それをもって「随時に調査の全てを公開すべし」と結論づけるのは適当ではありません。盲導犬ユーザの不適切行為の調査で出た結論の最終的な妥当性は、その後の協会のサポート活動を通じて実践的に検証されていきます。「改善の見込みは皆無」と決めつけて、随時に全面公開するというのは余りにも行き過ぎています。こういう見方と考え方を突き詰めていけば、その先にあるのは憲法の生存権条項をも否定する盲導犬ユーザ監視論と言えます。

5、結び。

 それにしても不思議なことは、長崎ライフオブアニマルと九州盲導犬協会との話し合いはどうなったのでしょうか?署名活動でもって中断したということでしょうか?仮に、西日本新聞の記事に一喜一憂することなく粘り強く話し合いを継続していたら・・・。そうしていたら、もっと展開は違ったのではないでしょうか?「盲導犬アトム号の発見と保護とを優先しましょう」で意見が一致し捜索活動が優先される道も拓けたのではないでしょうか?そんな気がします。

2012/03/02

【盲導犬アトム号失踪】 盲導犬ユーザの適・不適 / 社会一般が監視し審査? by I.H.

盲導犬アトム号失踪と黒い署名活動批判 4/5

 盲導犬アトム号の一件で「ネット暴走」の火付け役として指弾された長崎ライフオブアニマルが四面楚歌を打開するために開始した署名活動の三つ目の問題点は、憲法の生存権条項を否定する盲導犬ユーザ監視論にあります。

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>盲導犬に限らず、動物に対する不適切な管理、虐待は、
>相性の問題に起因するというより、
動物愛護の精神と責任感の欠如という資質の問題によるところが大きいです。
>指導・教育によって改善されるのであれば再貸与を検討する余地もありますが、
>不適切な管理、 虐待事実を否定するユーザに対しては、
改善の見込は皆無ですので
>即刻の貸与停止が必要です。

>不適切なユーザに貸与されていないかを
社会一般に審査してもらうために
>ユーザによる盲導犬の不適切な管理、虐待が問題となった場合には

 
>協会が行った調査、判断、その後の処理結果等を
>(随時報告書等の書面で)公表すべきです。 

 これは、長崎ライフオブアニマルが正体不明のフロント団体を使って始めた署名の2番目と3番目の要望からの抜粋です。はっきり言って、攻撃的な極右政党「犬猫真理教」の主張を読んでいるような錯覚を覚える文面です 。

> 盲導犬の訓練育成については、
>ユーザ(予定者)の居住地の都道府県から多額の補助金が支出されている点からみても
>高度に公益 性のある事業といえ、
>貸与後の盲導犬がユーザーによる不適切な管理、
>虐待は社会的に許されないことです。


◆補助金の支出を根拠とした盲導犬ユーザ監視論の誤まり!

 「不適切なユーザに貸与されていないかを社会一般が審査するのは当然のこと!」との驚くべき主張の根拠は、都道府県による補助金の支出にあります。「盲導犬ユーザの適・不適を社会一般が開始する仕組みを作ろう」とも取れる長崎ライフオブアニマルの主張。その根拠に補助金を持ちだすのは、余りにも無知というものです。盲導犬ユーザの方への補助金の支給は、あくまでも生存権保障という憲法理念の実現の一環に過ぎません。決して、盲導犬ユーザを社会で監視する為ではありません。盲導犬ユーザ監視論の根拠は彼らの無知の露呈でしかありません。

◆調査の結論の大半は公開に適しない仮判断!

 盲導犬ユーザの一年目はトライアル・アンド・エラーの日々だろうことは容易に想像できます。別の言い方をすれば、「真似て覚えて、試して失敗の日々」とも言えます。その過程で盲導犬ユーザの不適切行為が「虐待」として協会に通知されることはありえることです。そのような公益通報者に対して、調査結果を丁寧に説明することは当然のことです。しかし、それをもって「随時に調査の全てを公開すべし」と結論づけるのは適当ではありません。なぜなら、盲導犬ユーザの不適切行為の調査で出た結論の大半は仮判断に過ぎないからです。仮判断の最終的な妥当性は、その後の協会のサポート活動を通じて実践的に検証されていきます。妥当性は実践をもって検証されるという調査結果の特徴を抜きに公開問題を論議することはできません。「協会が行った調査、判断、その後の処理結果等のすべてを随時報告書等の書面で公表すべき」は、一見すると尤もな主張のようですが実は非現実的なそれに過ぎません「仮判断の全面公表は慎重であるべし!」は、余りにも当然のことです。

◆公益通報システムの構築さえも阻む暴論!

 1月28日、私が盲導犬アトム号のユーザ名を知るのに要した時間は僅かに1秒。住所や職業という詳細情報に辿り着くのも実に容易なことでした。インターネットという強力な情報収集手段の存在を考えれば、協会が行った調査、判断、その後の処理結果等のすべての情報を公開することは慎重であってしかるべきです情報のマッチングによる盲導犬ユーザの特定が極めて容易であるという現実を無視して、すべての情報を公開することは問題が多い」ということは赤子でも判ることです。誰もが盲導犬ユーザの糾弾を目的に公益通報を行う訳ではありません。情報の全面公開で糾弾のきっかけを与える可能性があるとすれば、善良な公益通報者は二の足を踏むことになるでしょう。そういう意味では、長崎ライフオブアニマルの主張は公益通報システムの構築さえも阻む暴論だと言えます。

◆なぜ、かかる暴論満載の署名を強行するのか?

 
長崎ライフオブアニマルは、なぜ正体不明のフロントまで仕立てて暴論満載の署名活動を強行したのでしょうか?その答えはただ一つです。西日本新聞によって「ネット暴走」の火付け役と指弾されたからです。そのことで明らかになった四面楚歌、孤立無援の状況を脱する切り札として署名活動に走ったというのが事の真相です。「盲導犬アトム号の発見と保護には決して寄与しない!」という非難を承知の上での署名活動。正に、自己保身に走ったというのが事の真相です。

◆盲導犬ユーザを糾弾した過去と署名活動とは無関係ではない!

 
長崎ライフオブアニマルは、必死になって盲導犬ユーザを糾弾した過去と今回の署名活動との分離を企てています。そして、それに呼応して彼らの過去を不問にして黒くて怪しげな署名活動を礼讃する向きもあります。しかし、盲導犬ユーザをネット上に晒して事実上の公開処刑を行った彼らの過去は決して消えません。そういう過去と切り離して署名活動を評価するのは誤まりです。また、そういう過去の延長線上にある署名活動ゆえに、盲導犬ユーザの適・不適を社会一般が監視し審査することを目指した署名になっているとも言えます。

◆黒い署名活動は事実上の「公開処刑」の継続!

>俺、爺をぶっ殺したいんだよね。笑)
>本当は、協会を潰したいところ。笑)

 私のブログに寄せられた実にふざけたコメント。後者は、ご丁寧に2チャンネルのやり取りをPDFにして送りつけるという丁寧さ。児戯にも等しい「処刑遊戯」と言えます。しかし、笑)を付けるにあたっては遊びにしても度が過ぎています。私には理解不能な感覚です。

 長崎ライフオブアニマルが強行している署名活動は、ネット上の「処刑遊戯」を活発化させています。それは、署名に至る経緯と署名の文言が盲導犬アトム号の糾弾文と酷似していることを考えれば当然のことです。彼らは、西日本新聞の指弾に真っ向挑戦して「公開処刑」を継続していると批判されてもしかたありません。

 それにしても、「改善の見込みは皆無です」-このように言いきる団体には、盲導犬をテーマとした署名活動を展開する資格はありません。少なくとも、私はそのように思っています。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 情報マッチングが容易ならば「公開処刑」に通じる!
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

>確かに盲導犬アトム号のユーザを糾弾はしていますが
>私共は決して氏名、住所は明らかにしていません。
>ですから、ネットに晒した公開処刑と批判される理由はありません。

 長崎ライフオブアニマルは、このような理屈で「公開処刑」との批判をかわしてきました。これは、「情報マッチングで個人の特定が可能であれば個人情報を晒しているのと同じ」との広く認知されている見方を知らないか、それとも知ろうとしないかのどちらかでしょう。今回の件では、マッチングの容易さを考えれば盲導犬アトム号のユーザ名、住所を晒して中傷を組織したに等しいことは明らかです。

2012/03/01

【盲導犬アトム号失踪】 某愛護団体 / 県に泣きつくのはお門違い! by I.H.

盲導犬アトム号失踪と黒い署名活動批判 3/5

 「ネット暴走」の火付け役として指弾された長崎ライフオブアニマルが四面楚歌を打開するために開始した署名活動について二つ程指摘しておきます。一つは、署名の相手先が妥当であるか?二つは、彼らが問題解決の切り札として要望している選別優先貸与方式の問題点と非現実性についてです。

1、県に泣きつくのはお門違い。

>協会は、およそ公益財団法人とは思えないような対応をとっています。
>また、電子メールによる「お問い合わせ」に対し、
>電話での対応をとるため、
>相談した側としても当協会の回答内容について不信感を持ってしまいます。

 長崎ライフオブアニマルは、署名の前文で「九州盲導犬協会が我々をまともに相手にしてくれない」とツラツラと泣きごとを並べています。あからさまに県に泣きついた格好です。昨今では、何かと言えば教育委員会へ直訴するモンスターペアレントと呼ばれる親御さんもいるそうです。今回の署名騒動も「自力解決できなければ監督機関に訴える」という風潮の反映とも見てとれます。なお、「某愛護団体 / 県に選別優先貸与を迫る!」の公益法人云々は言下に「県は監督機関ではあるが仲裁機関ではない」とも述べたつもりです。あからさまな言い方をすれば「県に泣きつくのはお門違い」ということです。

2、歴史と経験を無視した選別優先貸与方式

>貸与条件、適格性を有するユーザーに優先して盲導犬が貸与されるべきです。

 これは、「盲導犬を希望する視覚障害者の方々をその貸与条件と適格性においてABCとランク付けしてAの方に優先貸与せよ!」という事。貸与条件としては、家族構成、居住環境や収入等が想定されているものと思われます。適格性とは、社会的な地位や名声の程度でしょうか?それとも、犬を飼っていたという経歴でしょうか?あるいは、犬をハンドリングする技量でしょうか?

 ここに列挙した貸与条件は、いわゆるハードル条項と言われるものです。このハードル条項には、「18歳以上」とかの機械的運用条項があります。それに対し、居住環境、人格、ハンドリング能力等は弾力的運用条項として用意されています。どちらも、サービスを受ける資格を定めたものですがサービスを受ける優先順位を決めるものではありません。ハードル条項と言われる所以(ゆえん)です。

 庭付き一戸建てに住んでいて犬飼いの経歴も十分にある視覚障害者はA。それ以外の方々はB以下。このようなランク付けが無意味なことは犬飼いであれば誰でも判ることです。社会的な地位や名声と適格性との間には何の関係もないことも犬飼いであれば誰でも知っていることです。ハードル条項を優先順位条項に変質させる企みは犬飼いの感覚としても許せません。

 <選別による優先貸与>の言い回しの含意をあからさまな言い方に置きかえれば「視覚障害者をABCとランク付けするという発想は愚の極み」だということです。このような愚への一里塚、運用次第では視覚障害者のニーズと可能性を否定する危険な方式だと言えます。

 盲導犬協会が選別に基づく優先貸与方式を採用していないのには、それなりの理由があります。「ハードル条項の弾力的運用条項を入口基準として運用しない」は、協会の一つの見識です。県が長崎ライフオブアニマルの圧力に屈して選別優先方式を公益法人である協会に対して押しつけるとすれば、それは行政による不当不法な介入と管理そのものです。それは、公益法人の自主的・自立的運営の原則を踏みにじるもので盲導犬協会の歴史と経験を否定するものです。

※選別優先方式の非現実性:視覚障害者の方を申し込み時点で篩(ふるい)にかけること。また、ランク付けして貸与順位を操作すること。この2つをシステムとして採用することは現実的でも実践的でもないということ。なぜなら、ハードル条項の弾力的運用条項は入口基準ではないからです。