最初に
 このページでは電波と光を特別にそれを区別した方がいい場合を除き、同じものとして扱っています。
 同じ文脈の中で同じものを「電波」と言ったり「光」と言ったりしていますが、その場その場での都合や語感で、だけです。
 そのことに意味はありません。



空間の不存在


 先ずはちょっと面白いSFを。
 宇宙大戦争の真っ只中、宇宙潜水艦(?)から宇宙戦艦にレ−ザ−魚雷が発射されました。ワ−プレ−ダ−とテレパシ−ソナ−でそれを知った宇宙戦艦は「取舵いっぱ〜い」で回避します。となるとレ−ザ−魚雷は当たりません。で、宇宙潜水艦も(既にレ−ザ−魚雷を発射した後なんですが)「取舵いっぱ〜い」とやります。じゃあ、で宇宙戦艦は「面舵いっぱ〜い。全速ぜんし〜ん」の回避行動を付け足します。それで(レ−ザ−魚雷を発射した後ですけど)宇宙潜水艦の方も「面舵いっぱ〜い。全速ぜんし〜ん」です。(しつこいなあ・・・、もう真似すんなよ・・・、アホが・・・)と宇宙戦艦はやむなく「急停止〜。急上昇〜。急降下〜。全速こうし〜ん」ですが(レ−ザ−魚雷を発射した後の)宇宙潜水艦は同じく「急停止〜。急上昇〜。急降下〜。全速こうし〜ん」です。これで、あら〜、”ドッカ〜ン!!”でいかなる回避行動も空しくレ−ザ−魚雷は宇宙戦艦に命中。哀れ宇宙戦艦は沈没(?)し、宇宙の藻屑(?)と消え去ります。
 「あん?」でしょう? そう、「あん?」なんです。静止、運動、加速度、光とその伝播空間、それを根本的に反省しましょう、なんです、だから。光速度不変、なんて薄っぺらなインチキで誤魔化さず、で。
 (以前からこの教科書(?)にアクセスされている方はこのSFは削除した「光を見る人のいる場所」にあったSFだとお分かりいただいていると思います)


【A】
 走っている電車に乗っている人が、セルロイド系の下敷きを着ているセーターに挟んで擦ると、その下敷きには静電気が発生して紙切れが引き付けられますよね。
 でもその下敷きを電車の外の保線区員が見ると、【電荷が移動している】と観測しますから、【電気が流れている】とゆーことになり、【その下敷きは電磁石になっている】なんですね。それで保線区員は、下敷きには紙切れではなくて鉄片が引き付けられている様子を見ます。
 「えっ?」

 ではもうひとつ。(バリエーション?でふたつ)
【B】  地球から300万km離れた位置に地球に向かって30万km/秒の速度で走っている宇宙船があります。(30万km/秒の速度では走れないとかのアホな話は無し。計算を簡単にするためだけなので。もっと遅い速度でやっても同じです)
 その位置でこの宇宙船から宇宙飛行士の映像を地球に送ります。
 この映像の伝送電波はドップラー効果を起こしますが速さは変わりませんから10秒後に地球に届きます。
 ところが宇宙船から地球を見ると宇宙船が静止して地球が宇宙船に30万km/秒で走って来るのですから、宇宙船からの映像は5秒後には届いています。
【B'】  同じく地球から300万km離れた位置に地球から30万km/秒の速度で遠ざかっている宇宙船があります。
 その位置でこの宇宙船から宇宙飛行士の映像を地球に送ります。
 この映像の伝送電波もドップラー効果を起こしますが速さは変わりませんし、発射された位置は地球から300万kmです。ですから10秒後に地球に届きます。
 しかし宇宙船から地球を見ると宇宙船が静止して地球が宇宙船から30万km/秒で遠ざかっているのですから、宇宙船からの映像はいつまでたっても地球には届きません。
 「えっ?えっ?」

【A】【B】【B'】それぞれはそのそれぞれの中のどちらかの方が間違っているわけですね。
 勿論【A】の方は下敷きが電磁石になる、の方が間違いだ、は当然です。(しかし、じゃあ電流ってのはなんなんだ?の問題が起こります。それでここに掲げたというわけです)

 さてでは、これが本題。【B】【B'】は?、一体どちらの方が間違っているんでしょうか?

 最初に答を言って起きます。但し、の条件付ですが、
 【B】では地球から見ても宇宙船から見ても、光は5秒後に地球に届きます
 しかしどちらから見ても、勿論、宇宙船が到着するのは10秒後です。
 【B'】では地球から見ても宇宙船から見ても、光はいつまでたっても地球に届きません。
 またどちらにも(教科書の図にあるような)幾何学的なドップラー効果はありません。しかしドップラー効果を起こしている、とどちらも観測されます。(【B'】は届きませんけど、まあ、観測されるなら、です)

 ということはしかし、【B】の光(【B'】の光も)に関していつどこから発射されたかの情報を得ているなら、その光の速さは秒速60万km/秒(【B'】の光は速度がゼロ)と地球では計測された、となります。
 光速度不変の原理なんてそもそも存在しませんし、それが実験観察で示されたなんてことは人類史上ただの一度もありませんから(えっ?)別にそのことからでの光の速さの遅速は問題とはなりません。
 でも光は波です。波ですから当然に波源の速度と伝播速度は無関係です。光もそれは同じです。
 ですから、光の伝播速度は、光源が近づいて来ていても遠ざかって行っていても同じです。詰まり、【B】【B'】のどちらの光の速さも30万km/秒です。
 ではそれなのに、何故?、【B】の光は5秒で地球に届き(宇宙船では30万km/秒、地球では60万km/秒と計測されたということになります)、【B'】の光はいつまで経っても届かない(これは宇宙船では30万km/秒、地球では0m/秒と計測されているということになります)んでしょうか?

 さて、しかし、です。もし地球上で【B】,【B'】から届いた光そのものの速さを測ったとしたら、その光の速さは30万km/秒だとしか計測されません
 「あん?何言ってんだオマエ。気は確かか?自分が何を言ってるのか分かっているのか?」
 はい、気は確かです。自分が何を言ってるのかも分かっています。

 要は、光は、発光体に対して秒速30万km/秒ですよ、ということなんです。
 ですから、【B】では向かってくる発光体に秒速30万km/秒の差をつけて先に到着し、【B'】では遠ざかる発光体から秒速30万km/秒遅れて遠ざかって行く、ということなんです。

 電波を発している送信アンテナが何かに対して相対的に動いていようと向きを変えていようと、しかし送信アンテナ自身(送信アンテナそのものが『観測者それ自身』ということです)は自分を静止しているとしか認識しません
 そして電波は、その常に静止している送信アンテナ上の電磁相互作用によって輻射されます。ですから送信アンテナに対して向きを変えず、送信アンテナから毎1秒で30万km遠ざかりながら直進して伝播して行くのです。
 動いている、向きを変えている、は、送信アンテナとそれから輻射された電波にとっては、いつでも常に受信アンテナなのだ、です。

 自分が自分自身に対して動く・向きを変えると云うことはありません。自分は常に静止しています。その絶対静止している送信アンテナから電波は輻射されているのです。

 勿論受信アンテナは自分の方が静止し向きを変えていないのだと認識しています。ですが、受信アンテナが送信アンテナの動きを知るのは到着してもう電圧・電流になってしまった電波そのものからだけです。途中の伝播経路を見ることはできません。詰まり、伝播している電波は受信アンテナの方だけが動いていて、静止している送信アンテナから見てのみで秒速30万km/秒で直進しているのだとしかしません。ですから、受信アンテナが動いて向きを変えていると見えるなら、送信アンテナがその受信アンテナを見てそれと同じ動きと向きの変化をして受信アンテナを送信アンテナに対して相対的に静止させれば、二つを結ぶ静止した直線上を電波は伝播する、となります。
 (蛇足:レーダではレーダ本体が送信アンテナで電波を輻射し、目的物が受信アンテナです。ですがそこで反射して返って来る電波では、送信アンテナは目的物になりレーダ本体が受信アンテナになります)
 詰まり、それで、静止衛星は静止して見える、わけです。そして言うまでもなくこれが、冒頭のSFが成立する所以なのです。


 【B】で地球から見れば電波が10秒後に届くように想ってしまうのは、地球を静止した原点に置きそこから座標軸を引いてその空間での原点から離れた300万キロの位置を固定したものだと(気づかずに)しているからなんです。
 直ぐ下の項で言っているように、運動とは物体間の距離と方向を変えているということです。ですから【B】の例では地球から見た場合でも、地球と宇宙船の距離が1毎秒30万kmで狭まって行き、【B'】の例ではそれが1毎秒30万kmで広がって行く、それが宇宙船が運動していると云うことなのだ、です。そしてその狭まって行く距離広がって行く距離が光の走る距離なんです。地球から見ても、地球到着までに光は300万kmを走り、それで足りる、じゃないんです。宇宙船から見たのと同じく、光は150万kmを走れば地球に届き、無限に走っても届かない、なんです。

 さて、電流って何?、はもうちょっと後での話になりますので、ここで【A】が間違いなのは当たり前だ、のその当たり前の理由を言っておきます。
 要するに電荷の運動は電荷を持たないものには運動であることの意味を持っていない、ということです。
 【A】で保線区員に電荷が無いなら、静電気が起こっている下敷きが保線区員に対してどんな速度を持っていても、保線区員はそこで何かの電磁気的事件が起こっているなんて全く認識しないんです。下敷きに紙切れが引き寄せられるのは、それは認識とゆーか目にはしますが。
 でも↑こんな当たり前の簡単なことが解っていないで、バカな話を利口だとして通用させているのが現行電磁気学なんですけどね。曰く「加速度運動をする電荷・磁荷(便宜的表現)は電波を輻射する」とかですからね。
 要するに、力学的な運動状態は(勿論加速度運動も含めて)それだけでは何んの電磁気的意味を持っていないってことです。
 振り子が振動しても振り子のエネルギーは飛んで行きません。その振り子の錘が乾電池でも磁石でも同じです。光になって飛んで行くなんてことはありません。
 磁石の錘の振り子の周りに端末をショートしたコイルを置きます。磁石の錘の振り子に同期させてそのコイルを振ります。磁石はいつまでも振れ続けます。
 コイルに磁石との同期を取ることを止めさせます。すると勿論、磁石の振動はすぐに止まります。
 その電荷・磁荷が(単独で)力学的にどんな運動をしているのか?は問題にはなりません。したがって、どんな人が見たら?、の座標変換は意味が無いんです。感応しあう『何か』との間でどう力学状態が変化しているのか?が問題なんです


 そして詰まりこのことが、(【A】の話も含めてなんですが)空間は存在していないと云うことですよ、なんです。


        以下製作中です。


動いているということ(付・座標変換と座標系)


 慣性の法則事件が無ければ質点は以前の力学状態のままである ←ですね?
 でも、「オイオイ、『動いているものは動き続ける、止まっているものは止まったままでいる』、で十分なのに変なオレ様定義をするなよ」、でしょうか?

 (慣性(とりあえず、です、念のため))運動は相対運動である、は勿論力学の先ず第一の前提ですね。 ということは当然に、動いているとか止まっているとかをそもそもで言うことはできない、ですね。
 その運動している物体あるいは静止している物体を見ているのが誰なのか?によって、運動している物体もそのままで静止していますし、静止している物体もやはりそのままで運動しています。
 では、私が運動しているか?静止しているか?を決定するのは彼(いわゆる観測者)であって私ではないのか?ですが・・・
 しかしその答は「いいえ」ですよね?。彼(観測者)の決定によらず、私は常に静止したままであり静止している以外の状態は取ることができない、ですから。言うまでも無く、私が私に運動するということは無い、ですからね。
 運動が相対的だということは、即ち、運動には必ず「私以外の他者」が必要だということです。ということは、です。
 運動とは、私と他者との位置関係が変化する、ということであって、私或いは他者が引いている座標軸で表される空間上の私或いは他者の位置の変化ではない、ということです。
 詰まり、運動とは、物体間の距離と方向が変化することであり、私または他者が参照する座標系内の別の座標点に移ることではない、なんです。
 『動いているものは動き続ける、止まっているものは止まったままでいる』は、私または他者が参照する座標系、を非明示的にですが前提にしています。誰が引くそれであれ座標軸を引かないとそのことは言えなくなります。詰まり、空間の存在を絶対の前提にしている表現なんです。

 空間は無い。従って座標も勿論無い。なんです。だって、あなたは、空間って見たことがありますか?空間の中の座標って触れたことがありますか?見たことがあるのはその方向にいる他者だけでしょう?触れたことがあるのはその他者との距離だけでしょう?

 即ち、「動いている」ということは沢山の参照物を点としてそれぞれを結んで作った幾何学図形が変形して行くと云うことです。(ちなみに、その変形して行く微分値が“0”なのが慣性運動(静止を含む)で微分値が0ではないものが加速度運動だ、ですね)そしてしかし私は常に静止していると云うことは、文学的表現で恐縮ですが ^^; 、他の誰かにとってはいざ知らず、私にとっての私はその幾何学図形の中でただ一人の実存者なのだと云うことなんです。

 「運動とは、物体間の距離と方向が変化すること」、と従って「静止しているとは、物体間の距離と方向が変化しないこと」とから、当然に、「『静止の態様・運動の態様』は座標変換に不変である」の結論が現れます。物体間の距離が時間に寄らず一定または時間に寄って変化する、はどこの誰が見ても同じでしょう?
 速度という物理量は座標変換に不変ではない、は単独の物体が空間を走っているからです。二つ以上の物体の距離関係が変わるのを時間でプロットしたものを速度と云う、なら、その速度は座標変換をしても一定なんです。

 ところでしかし、こんな普通には変だとしか思われないだろう運動論速度論とは無関係で、その運動・その速度が座標変換に不変なものがあります。「流れ」です。流れている川の水は誰が見ても同じ速さで流れています。止まっている池の水は誰が見ても止まっています。(なんか可笑しなことを言う人もいるかな?とちょっと心配になったので、「流れ」はその水に浮かぶ船だけには相対的です、と全くの蛇足を^^)それで「流れ」は、「流れ」って何?の問題が起こるわけです。

 (お分かりでしょうが、運動と流れの幾何学的な有り様を座標変換に普通で不変にするのは、電磁気の力学でのあのバカ気たローレンツ変換はバカそのものなのだと納得していただくため、です。単純に力学の問題のためならこんなググッチイとしか思われないだろう運動の概念は、勿論、持ち出しません。ちなみに、その幾何学的姿さえ不変なんですから、電磁気学のあれやこれやの方程式が座標変換で普通に不変なのは当たり前です。念のため)

 さて、ところで、しかし。
 「運動とは、物体間の距離と方向が変化すること」は慣性運動ならこれだけで全くかまわないんですが加速度運動では困ることになります。これだけだと静止衛星は静止せずにあっと言う間に地球に落っこちて来てしまいますから。でも加速度運動でも、「運動とは、物体間の距離と方向が変化すること」、です。そうでないと静止衛星は静止して見えません。
 加速度運動って何?の答は、また文学的表現で申し訳ありませんが ^^; 、加速度運動とは「私は何者なのか?」と常に「我思う。ゆえに我在り」で思いを巡らせている運動だ、と云うことです。
 でも「なんのこっちゃ?」ですか?

 では、非文学的に正しく言います。 ^^
 加速度運動(万有引力以外での):自分と他者の位置関係の変化(無変化も含む)が自分に起因することを認識している運動
 です。

 更に「なんのこっちゃ?」ですか? ではこう言っただけで終わりにしないで丁寧に説明しますが、ただ加速度運動を云々し始めると「力」を云々しなければならなくなります。なので加速度運動は、別ページの『力』についての項目を先ず参照してください。それからこのページに帰って来てくださるようにお願いします。

 (「『力』について」は今現在製作途中です。なので、とりあえずでもそれの製作を完了させてから再びこのページの製作に戻ります。今はここまでです)


光速度不変は在りません


 地上で光の速さを測ると、光の速さは30万km/秒だと計測されます。空を飛んでいる飛行機の中で測っても同じく30万km/秒だと計測されます。さらにはISS(国際宇宙ステーション)のなかで測っても、やはり30万km/秒だとしか計測されません。
 だから光速度不変だ、ではしかしありません。そんなことはそのそれぞれで音速を測っても同じです。その計測結果から、もし「音速度不変」などと誰かが言えば、その人は単にバカ呼ばわりされるだけです。光の速さの計測でもそれは同じなんです。
 それは、どのような速度状態にいる人が(その場所で)測っても光の速さは30万km/秒だ、ということなだけです。「光速度不変」ということではありません。
 光速度不変だ、を言うためには、空を飛んでいる飛行機の中の人が、地上の光、ISSの中の光の速さを測っても30万km/秒だ、を言わなければならないんです。
 でもどうやって飛行機の中の人が、地上の光、ISSの中の光の速さを測るんですか?

 直接では量を測れない場所の量を計測するとは、その場所からデータをもらってそれを解析するということです。
 飛行機の中の人が地上を走る光の自分に対する速さを測るには、地上からデータをもらいます。そのデータを解析すると、地上では光の速さは30万km/秒だと先ず出ます。
 しかしそれで、だから光速度不変だ、めでたしめでたしだ、ではまだ解析が終わっていないんです。そこには飛行機の速度が入っていないからです。
 その地上からのデータに乗っている飛行機の対地速度のデータを追加します。その解析結果での計測は、詰まり飛行機に対する地上の光の相対速度は、順方向なら「30万km/秒−飛行機の対地速度」逆方向なら「30万km/秒+飛行機の対地速度」です。それが飛行機の中の人が地上を走る光の自分に対する速さを測った計測値です。
 要するに、現実での計測結果は、光速度不変なんかじゃない、という計測結果しか出ないですし、当然にその計測結果以外の計測値を、人類は見たことが無いんです。

 従って当然に真空中の光の速さ(30万km/秒)以上の相対速度で動くことなど禁止されてはいません。

 この例は幾つか上げられますが、一番直感的で解かりやすい例は、電離層内を走る電波です。
 電離層では電波は屈折することは広く知られていますね。あれ、電波の伝播速度が遅くなるから屈折するんじゃないんです。速くなるから屈折するんです
 普通描かれているその電波の屈折の絵は、地球から発射された電波が地球の方に帰って来るような方向に曲がっていますね? ですから電離層内での電波伝搬速度の式なんか出さなくても、速度が速くなって屈折した、は直感で解かられますよね? えっ?解からない? う〜ん、と。じゃあ、空中から水に入る光の屈折と水から空中に出る光の屈折を比べて見てください。
 解かりましたよね? はい、そういうことです。

 別にSFのワープなんてものを使わなくても、遠い遠い昔から今に至るまで、30万km/秒よりも幾らでも速い速度で移動できているんです。