はじめに。この項では、数式を使わずには無理かな?なので多少のそれを出します。ただ微分が偏微分になるので、高校数学で数学のカリキュラムが止まっている人はこの教科書の【APPENDIX】にある『偏微分と多重積分』の項もご参照ください。(しかしー、実はー、まだそれはー、全くでー、無いんですよねー、アハハ。(^^; )
また、ここはメチャ追加・削除・補足・訂正をやるとも思います。ですから、あれ?ここ、前とどうなってるの? の時には、その時点でのそこの今を、取りあえずで正しいとしてください。多分その時には、物凄く本人は悩み苦しみ心千々に乱れ(?)ていて、またすぐに訂正するんじゃないかな、なので。(^^;
表題は【波って何?】ですが、カリキュラム的に、振動→波(古典論)→波(量子論)とはやらずに、先ずシュレディンガー方程式から入ります。そこから、波のあれこれをどーのこーのと言ったほうが、今の時代ではやり易いんじゃないかな?、ですから。(なお量子論関連で、わざわざ[非相対論的]と断っている場合もありますが、そう断っていなくても、勿論全て[非相対論の量子論・量子力学]です。(量子の概念については『量子論的絶対値』を参照してください。これは在ります (^^; ))
と、もうひとつ。 ここでは、というよりこのページでは「ベクトル」という言葉を(もう「やむを得ない・仕方ない」でしょうねぇ、これは・・ 以外では)使いません。何故使わないのか?は追々にわかっていただけると思います。
← 波動方程式ですね。
要するに何かしらの数式の演算操作をやったら左図の偏微分方程式ができたなら、その偏微分方程式は、【c】の速度を持つ波【u】を表しているんですよ、ってことですね。
勿論この偏微分方程式が出来たからといって、イコールでその波が実在する波だとはなりません。また当然に、この偏微分方程式だけでその波の性質が全部分かると云うことなどもありません。
この方程式は、それが波ならばこの方程式の形を持っている、と云うことなだけです。その波の実存的現象的云々カンヌンはこの方程式とは全く別の話なんです。
しかし、ま、この偏微分方程式が現れたってとこから、波の云々を始めるわけです。
「波だっても変数は時間の一変数だけだろ?なのになんで偏微分にしなきゃいけないんだい?」と思う人もいるか知らん?なので図にしてあります。要するに、波の変位(u)は時間(t)を変数にしているだけじゃなくて、形がズレル位置(x)も変数にしているからだ、です。
u=f(x−ct)を例えばu=sin(x−ct)と置いて、xがある位置(とりあえずxn)に固定されていて動かないとしてtの変化だけによるuの変位を見ると単振動になるでしょう? そのxが固定されずに平行移動して行くと、その単振動は平行移動して行きますよね? とゆーことなんです。(その平行移動ではそこで先に現れた変位が先に移動して行きますから、この例では、正にサイン・ウエーブそのものになります。またxnだけでuの変位を見ると(連続してエネルギーが補充されないなら、繰り返しの無い一回限りですが)その場所では単振動になっています)
(*注* しかしここの【u=f(x−ct)を例えば・・・から、その場所では単振動になっています)まで】は、もう少しMakingが進んだ時に全部訂正します。ご承知置きください)
ここで、波の速さ【c】のルートの中身の「意味」を言って置きます。よーするに、波の速さは媒質の抵抗力と復元力で決定されているってそのことをです。 ちなみに。σが分母でTが分子だってことの意味は、「媒質が軽ければ軽いほど、媒質の弾性が強ければ強いほど」、そこを伝わる波の速度は速いんですよってことです。
ついでに。この波の伝わる速さが、その媒質が変形出来る速さの上限でもあります。ですから、空気は音速以上の物体に対しては変形しない壁としてぶち当たる(衝撃波が発生する)ことになるわけです。(想うんですよね、だから。荷電粒子と電場・磁場には、その意味での光速の壁ってのがあるんじゃないのかなあ?って。荷電粒子の加速の限界って、無限大に重くなるから、ってことじゃなくて、そーゆーことじゃないのかなあ?って。単なる、「想う」だけなんですけど・・・)
で、なんです。シュレディンガー方程式って、上の図の波動方程式の形じゃありませんよね? なのになんでシュレディンガー方程式は「波動方程式」なんでしょうか?(右に掲図している式を3次元にしただけでは当然に、また更に進んで、時間と空間の両方を含む完全な波動関数にしてもこのことは同じです(*注* 式中の「φ」が波動関数です。 蛇足ですが、この方程式を解くとその答として波動関数「φ」の式が現れますが、その「φ」の式がその時に波になっているのかどうか?が、即ちこの方程式が波動方程式なのかどうなのか?と云うそのことです))
(Eは粒子の全エネルギー、Vは粒子のポテンシャル・エネルギー、mは質量、hは勿論プランク定数です)
勿論シュレディンガー方程式は「波動方程式」だとして、ここから量子論がスタートする基礎の基礎としての基礎方程式です。そして勿論これを波動方程式だと誰もが言っているし、私もそのことにイチャモンを付けようって心算なんかは更々ありません。
でも、何故これが「波動方程式」なんだろう? から、【波って何?】を初めましょう、なんですね。
では、先ず掲図してあるこの1次元のシュレディンガー方程式をある条件下で解いてみましょう。
この方程式は偏微分ですけど、1変数ですから、単純に∂→dとしてしまっても答は全く同じです。(8π2m/h2)*(E−V)は定数です。
従ってこの式は、[d2φ/dx2+Cφ=0]を解くだけなので、高校三年生以上なら誰でも解けます。やってみて下さい。
「オレが出来ると思ってんのかよ、オマエは? 常識の無え野郎だなあ。バカ。そんなくらいはオマエがやれ!」 う〜ん、と。
ちなみに、[∂2u/∂t2=c2*(∂2u/∂x2)]を条件を付けずに解くと、一般解として、u=f(x−ct)+g(x+ct)が得られます。(そりゃそうですよね。その一般解を2階偏微分して作ったのが件の波動方程式なんですからね。(^^; )
ただし、無条件で解いた波動方程式の解では、しかし波は出来ません。偏微分を作った波動関数と偏微分から作られた波動関数は、形が全く同じですが、その意味解釈が全く違うからです。「あん?何んのこっちゃ?」 え〜と、ですね、ですが、そのことの説明はずっと後になります。今は、*注*、だけです。(^^;
他の物体からは影響を受けない距離にある空間に、ポツンと一つだけで存在している粒子を考えます。この粒子はこの条件下では、どこにその位置を置いていても、その位置によってその力学的状態が変わることがありません。詰まり粒子のポテンシャル・エネルギー(V)はV=0です。粒子の全エネルギー(E)は運動エネルギーのみです(ですからこの(E)自身は量子化されていません。連続したままで(正の側から)無限に極限値の0に近づいて行けるエネルギーだと云うことです)。
この条件で右上の偏微分方程式を解くと、解として現れる波動関数φは、左の数式になります。(左の数式中のAは積分で現れた不定定数です)
これが一番単純な条件下で一番簡単なシュレディンガー方程式を解いた解です。ご覧の通りで、ただの正弦関数なだけです。
では?このただの正弦関数が【波】を表しているのなら、それは一体どんな【波】?、なんでしょうか。
ちょっとここからは量子論を離れて、一般的での【波】、を考えます。それでとりあえず左上の数式の正弦関数の(一つだけですが)意味を言っておきます。xの位置(*注* xの位置はこの正弦関数のための(空間的な(数学的な))位置であって、粒子の位置ではありません)によってA≧|φ2|≧0で|φ2|の値が変化するのは解かりますよね? この|φ2|が、粒子のその位置での存在確率だ、ってことなんです。(ただしかし、量子論の式の解釈は、言い切りに迷いますねえ、こんな程度でさえも・・・。・・・・・)
で、ここのこれは、絶対に誤解されませんように、があります。それは、この正弦関数になっているφは幾何学的なサインカーブにはなっていなくて(サインを図示したあの上下の膨らみが無い)直線ですよ、のそのことです。詰まり、その直線上でのその位置の粒子の存在確率の濃さ(大きさ)が正弦関数で表されているだけですよ、なんです。だからxしかない1次元なんです。φの値はy座標ではなくて、存在確率の濃さ、です。繰り返しですが、このことは絶対に誤解しないでください。
詰まり ↑ このこれが、詰まりは物質波の『その波』なんです。およその通俗本は、一個の物体がのたくって前方に走っている絵で物質波を表現していますが、そうじゃないんです。量子論の波(物質波)は物体の存在確率が波として書かれていると云うことです。その当の物体それ自身は全く波打ってなんかはいないんです。量子論の波は、粒子の存在確率の濃淡で描かれている波です。粒子の幾何的位置で描かれている波じゃありません。
そして ↑この ↑これらの逆は、とても大切なことです。この段階で言って置くと絶対に誤解されるよね? なんですが、この項のメインテーマの一つなのであえて誤解を恐れずにここで(これも予告編で)言って置きます。それは、
【波としての光の光量子を、もし仮に(宝くじで1等に当たる僥倖より更にそれは低いことですが)粒子なる光子として考えることが出来るなら、波としての光はその光子の存在確率の波である。しかしやはり光量子は『量子であって粒子なる光子ではない』のなら、光の波はその光の最小のエネルギーがその波のどの場所に局在しているか、のその(エネルギーが存在する領域の)存在確率を(不確定性で)持っている波である】
です。
と、蛇足でもう一つ。 時間と空間の両方を含む完全な波動関数(普通大文字のΨで表します)は、非相対論の量子力学でも複素数になります。で、この複素数の波動関数の《複素数》の意味なんですが、数学的には電気系工学で交流や電磁波などを複素数表示にしていることと同じものです。ただ意味解釈では量子論はそれの実数化はしません。
実数化すると絵に出来るわけですけど、【Ψ】を実数化して絵にすると具合が悪いからです。量子論では、とゆーことで、これは複素数の波動関数だとして計算結果を複素数のそのままにしておきます。
このことが非相対論でも量子論をとても解かり難くさせていることの所以の一つなんですね。勿論、計測される結果は《実数》なんですから。(なんのこっちゃ?の人は、そーゆーもんもありますよ、量子論には、とだけにここはしておいてください。私もそれをどうこう言える程の概念構築は出来ていませんので)
ただし、量子(理論)の本質は複素数ですが量子(経験)の本質はやはり実数です。それは誤解されませんように。(しかし、これも一種のご都合主義だって、私なんかは思いますけどね)
ところで
E=hν って式は今では高校の教科書にも載っているようですけど、この式からすぐに解るように、1個の光量子のエネルギーは振動数に依存しています。
振動数(即ち波長)に無関係な、「光」の「素」のエネルギーは、詰まり決定できないと云うことです。(決定しようとしたら、それはゼロだと決定するしかありません)
E=hν の『E』は【量子のE】です。光子とかゆーもののEじゃないんです。
特定されたある波長の光の光子はあっても、あらゆる波長に通用する素粒子の光子って、もしそれが存在するとしたら、クーロンの法則を量子化するために使えるだけの「光子(?)」になるわけですけど、でも、見つかっているのかな?それは? ハイ、知りません。
要するに、「素粒子」としての「光子」が出現したなんてことは、人類史上(?)1度も無いんです。
単一の素粒子の「光子」のその物理量は、質量・エネルギー共に、決定することができません。
ですから、もし素粒子としての「光子」が存在しているとしても、素粒子としての「光子」はその「素」をいかなる「物理量」としても決定出来ない不完全な素粒子で、普通の意味での「素粒子」ではありません。
世の中では、実に簡単・無責任(?)に「光子」って言葉が使われていますけど、その「光子」に1個なる原存在の「素」はありません、と云うことですね。
ちなみに。
その光の全体のエネルギーは「固有の振動数を持つ量子の総個数だ」、を【真】だとすると、光の減衰はその量子の総個数が減ることだと云うことです。ですから、光のエネルギーが弱まるとその振動数が低くなる(波長が長くなる)なんてことはありません。量子の数が少なくなるんです。振動数はまったく変わりません。
案外にこのことを誤解している人もいるようなので念のため。
ついでに。
「質量ゼロの光が重力によって曲がる、は常識的には不思議だろうが・・・」がどうのこうのの枕ことばからいわゆる空間の曲がりを説明するのが市販の総ての「よくわかる相対性理論」ですが、こういった説明をする先生って、そもそもで、光も何も、全く解ってはいないってことなんですね。
空間を伝播している光は「波」です。質量ゼロの「粒子」として空間を伝播している光なんて無いんです。
それがどんな「力」であれ、「波」だけを曲げるなんて器用なことは、何物にも出来ません。だからそこで「波」が曲がるのは、そこの媒質が一様等方・等質ではないからで、「波」に「力」が作用したからじゃありません。勿論それは光だけのことではありません。
また、光が波である以上光が質量ゼロなのは当たり前なんです。媒質に重さは在っても、そこを伝わる波に重さなんかは無いんです。高さ1mの波は在っても、重さ1kgの波なんてどこにも在りませんでしょう?
それとこれも、いつもよくある光速度不変のバカな説明なんですが「光源の速度によらず光速は一定」があります。しかし勿論、どんな波も、波源の速度に波の伝播速度は全く依存していません。その事に関してだけなら、どんな波でも波の速さは不変なんです。光に限ったことではないんです。
さて、で事のついでで。
クーロンの法則と万有引力の法則は、形が全く同じなので、同じように理解されています。でもこの二つは全く本質が違うそれなんです。
万有引力の法則の【R】はm−m’の【距離】です。しかしクーロンの法則の[R]はq−q’、qm−qm’の間にある[何かの厚さ]なんです。
ちょっと誤解されるかな?なんですが、q−q’、qm−qm’の間にあるε0,μ0と云う物性を持っている(いかなる意味の物体も存在しないがその物性だけは在る)【真空】の[厚さ]が[R]の時、その二つの間に働いている力[F]を表しているのが、クーロンの法則だと云うことです。
このことが、単純に【ポテンシャル】って概念を無反省に使わないで下さい、ってことの所以の大きな一つなんですね。では、どう複雑(?)に【ポテンシャル】って概念を反省するのか? なんですが・・・。
さてしかしまた、【G】は普遍定数ですけど、ε0,μ0は物質(*注* 真空は勿論「物質」ではありませんが)によって異なる値を持つ単なる個別の定数のその一つでしかありません。なので、それを通し難さ・通し易さのどちらで考えるかは、その時々の都合で解り易い方を採用して全くかまいません、と云うことでもあります。
で、なんですが、(余程薄い気体ででもなければ実験は大変でしょうけど)クーロン力はその間にある誘電体・透磁体がどう流れていてもその流れとは無関係で厚さ(距離)だけが関係しているそれです。「当たり前じゃないか」ですか?
このことはしかし、光の速さは媒質の流れとは無関係だってことのそれなんですね。詰まり、水中を伝播する光は、その水がどう流れていても無関係に一定の速さなんだってことですから。【光速は媒質の流れの速度とは無関係に一定の速さとして計測される】は、何も真空に限ったことではありません、ってことです。
クーロンの法則と万有引力の法則の決定的な違いをもうひとつ。(でも・・、これは・・・、ちょっと言い切りに自信が無いんですが・・・・)クーロン力が伝わる速さは光速ですが万有引力の伝わる速さは(今現在では)無限大だと、相対論でさえ、するしかないんですね。何故なら、冥王星やハレー彗星の軌道を万有引力の伝わる速さを有限の値だとしては、天文学者も、しかし決定してはいませんでしょう? 詰まりはこれが、仮になら(全く仮になら、です)重力場(重力ポテンシャル)は在っても、クーロン場(電気力線)ってのは無いんじゃないか? なんですけどね・・・。う〜ん、だけど、自信が全く無いなあ、このことには・・・
更にのことのついでで。
← 言わずと知れたマクスウエル方程式 知らない?そおお?
光を云々する時にはどうしても参照せざるを得ない式ですが、勿論高校以下の数学・物理では解けません。
この教科書は、小学生からお年寄りまでの誰にでもで解かるように作っている、がコンセプトなので、一応高校理科修了者なら無条件で解かってもらえるように、常微分(高校で学ぶ普通の微分です)がOKなだけでも「だからオレはそれがOKじゃないんだって!」(う〜ん・・・)偏微分(この方程式で使っている微分です)は解かるようにでこの方程式も説明しますが、その前に、準備で更にベクトル解析と微分演算子もちょっとはやっとかなくちゃ、になりますから、そりゃもうえらい厄介。
で、(光(電波)の云々はこんな式から始めているんですよ)としてここに載せて、当分は放ったらかしとく、にこれもなっちゃうかな?ですね。
(^^; すみません。
ちなみに。右がよくマクスウエル方程式として見る微分形で、左はそうは見かけない(?)積分形です。
(divはdiversion:ベクトル場の発散、rotはrotation:ベクトル場の回転、です。どちらも演算子ですが、そう書かれるのはその言葉の意味通りでの、場の発散・回転を表現することでもあるからです。(rotをcurl:渦、と書いている教科書もありますが単なる好みの問題で違いはありません)ベクトル場の発散はジョウロの口から流れ出る水で、ベクトル場の回転は洗濯機の中で回っている水で、で取りあえずイメージして下さい。(でもそのイメージ通りそのものなんですよね、ベクトル場ってのは・・・))
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ガウスの法則 :[1] 真電荷が電束密度のわきだし口になっている。(発散が在る) ┃
┃ [2] 磁束線は循環しているから磁束密度のわきだし口はない。(発散が無い)┃
┃電磁誘導の法則 :変化する磁場が電磁誘導によって回転している電場をつくる。 ┃
┃アンペールの法則:伝導電流と変位電流が回転している磁場を生みだす。 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
↑ とでもこー書くと、ベクトル解析とか微分演算子なんてものを知らなくても、なんとなくマクスエル方程式が解ったよーな気になるでしょう? ハイ、そーゆーことです。(*注* しかしここでのアンペールの法則は純然たるアンペールの法則(アンペールの回路定理)ではありません。マクスウエルがiを変位電流だとし、∂D/∂tを付け足しています)
でこの一組の偏微分連立方程式を足したり引いたり掛けたり割ったりとゴチャゴチャいじくると、右の電界と磁界の波動方程式が現れるんですよね。メデタシメデタシ。
(∇2はラプラシアンと呼ばれている、ベクトル(場)を2階偏微分する演算子です)
言わずもがなを。 でも私はこの式で作る電波には、しかし首を傾げています。何故なら、アンテナが無いんですよ、実はマクスウエルには・・・。
つまり、マクスウエルでの電磁波の輻射は火花送信機(何それ?)でしょ?でも今の実際はアンテナからの輻射でしょ?(詰まり、電磁波は変位電流からの磁界・電界の交互誘導じゃなくて位相ずれしている定在電圧・定在電流による輻射じゃないの?をずっと考えているんで)
← とゆーわけで(かな?)、アンテナと電界強度。
よーするに、この式で観測点(観測者)は波源からの情報を受け取っているんですよ、と云うことですね。
さて、図中のEp=・・の方の式の誘電率と透磁率を真空のそれと置くと、真空のインピーダンスになり、結局、
Ep=j60πIle-jkR・sinθ/λR [V/m]
と簡略化され、これが(理論での)電界強度となります。(磁界の方の強度は問題にしません。ま、どっちかが分かればいいんですからね、それは)
ただこの式はいわゆる工学系の式ですから、その専門以外の人にはあんまりよく分からない式になっているんですね。それで、式中の「メチャ変!」としか常識のある人(?)には思えないような項は、全部【定数=C】だとしてしまって、深くは考えないで下さい。
乱暴ですが、
Ep=C・Il・sinθ/λR [V/m]
としてしまって、この式を考えましょう、です。
この式はマクスウエル方程式から導かれた式なんですが、変位電流が消えていて、アンテナに乗っている電荷[Q]の正弦波振動と位相がズレている電流[I]で電波(即ち光)が輻射されています。
また、観測点[P]の電界の強さを決定しているのは観測点と波源との距離と方向だけだ、と云うことを示しています。
それと距離の逆2乗じゃなくて距離の逆比例になっているし、方向[φ]は無関係になっています。
これらの事は、一体何を意味しているんでしょうか?
↑ そーなので、とても興味深いんですよね、これは。 えっ? チットも興味がわかない? そーですかねー・・・。
“波には横波と縦波がある。横波は進行方向と直角の方向に、縦波は進行方向と同じ方向に、振動する波である。”
↑ これが横波と縦波の定義、ではなくて波の実存の認識ですが、をしかしここで否定とまでは行かなくても、根本的に変更します。横波と縦波の定義ではなくて、横波と縦波の実存の認識を変える、と云うことです。
【横波は、運動が伝播している波である。縦波は、力が伝播している波である。即ち数学表現では、横波は運動の矢印(しかし矢印の長さは大きさであって長さではありません。以下このことは繰り返しませんが、これがどういう意味なのか?はどこかしらで説明します)で表現される波であり、縦波は力の矢印で表現される波である】、です。
↑ 即ちこれが、ここからの、「波の実存の認識」です。
「でも結局はそれは同じことだろう?」じゃないんです。何故なら、運動が伝播している波が横波だと云うことは、例えば縦方向の成分しか持ってていなくても、運動が伝播しているのなら、その波は横波だと云うこともあり得るとゆーことですから。詰まり岸辺の波、とかなどですね。(もっと普遍的に、およその表面波はその運動に縦方向成分を持っているけれどだから横波なんだ、と言い切ってもいいんですが。でもまだこの辺りの段階ではそこまでは・・・、で・・・・)。
なので、ですから、ここでも当然に力学での力の矢印と運動の矢印の峻別、の問題が発生します。で、また当然に「力の矢印とは?」「運動の矢印とは?」になるんですが、しかしそれは例によってで先送りです。すみません。アハハ・・・。(^^;
なお横波(例えば地震で有名なS波のような)のズレ(即ち運動)の矢印には、当然にそのズレ運動の距離に比例して、ズレに対する応力が加速度で働きます。(*注* このズレに対する応力はしかし力の矢印です。詰まりは、横へのズレ(運動の矢印)がしかし縦方向に波として伝わって行けるのは、その力の矢印のゆえになんですね)。
しかし、などなどとゆーことなので、実際には(徹底的に理論的に純化しても)、全ての(と言い切っていいですが)横波は回転している波です。えっ?全て? と、でも誰かが揚げ足を取ってくれるかも、ですが。
ちなみに。横波のズレ運動は直前のズレの距離に次のズレが、そこでの運動での増加分だけ加算されて行きます。ですから横波は、それがコヒーレント(位相がそろっている(形が同じなだけではなく変化の位置も同じ))な波であっても、必ず広がってしまう波です。詰まり、広がらないことを波の直進だとするならば、横波は直進をしない波です。 しかしこれも、えっ?で、だれかが揚げ足を取ってくれるととっても嬉しいんですが。(^^;
しかし正にその「えっ?」のそのそれが、この教科書の大テーマ、「光って何?」なんですよね。だからこそ、先ず、「波って何?」をここでやっているんです。
地面にまっすぐに伸ばして置いたロープの振動の伝播を先ず考えてみましょう。
この条件のロープの端っこをもって「エイヤッ!」って振ると、一つの波みたいなのが、すーっと前方に進んで行くでしょ?。勿論右の【wf-2】の図です。で、これは一番最初に出した絵【wf-1】そのものですよね? ですのでこの波みたいなものをとりあえず(実はホントに取り合えず、なんですが)1次元表面波って呼ぶことにします。
この1次元表面波の力学は、でも結構難しいんですね。詰まり、この波を力学の微分方程式から導くのは実にしんどいってことです。となれば、ハイ、それはやーめったとお、でやらないのがこの教科書流儀、しません。
アハハ (^^; 。
さてしかし、この1次元表面波の伝播する姿から波の方程式を求めると、それは正に【wf-1】にある波動方程式それそのもののズバリです。しかしそれは勿論当然ですよね? この1次元表面波の姿から、件の波動方程式を導いたんですから。
でも、なんです。だけど、なんです。波ですか?これ、本当に?
これを1次元表面波だって言ってるのって、インチキをやっているって思われません? 何んか「嘘っぽい」てのが言い過ぎなら、何かを見落としているから「1次元表面波」だって言ってるんじゃないのかな?って、気がしませんか?
ドミノ倒しってありますよね? あれも波っぽいってば波っぽいんですが、ちょっと理科のセンスのある人は、小学生でも、ドミノ倒しを波だとは言いません。では何故しかし、ドミノ倒しは波じゃないんでしょうか? そうです、倒れたものが起き上がって元には戻らないからですね。倒れたままで終わってしまうからですね。
さてところで、倒れたものを(自然に)また起き上がらせるのは、難しいことでしょうか? ドミノ倒しが先で倒れて行くしかしその後方では、前に倒れたものが起き上がっている、そんな風にドミノを並べることがもし出来たとしたら、どうでしょうか? それならドミノ倒しも波だとしていいんじゃないでしょうか?
倒れたドミノをまた起き上がらせるのに何かしらの(倒すそれとは全く別の)メカニズムとエネルギーを使っていいなら、その(波の)ドミノ倒しをしているものは自然界にありますよね? 目に見えるそれで有名なものはオジギソウです。また人間の(即ち動物の)神経上で伝達して行く信号もそれです。それらは従って【波】だと言ってもいいってばいいんですね。媒質(オジギソウの膨圧・神経ニューロンの表面電位)がちょっと複雑で、媒質を元の状態に戻すには別のエネルギーを必要とするってことなだけです。しかし生理学では【波】でも、「媒質を元の状態に戻すには別のエネルギーを必要とする」、とゆーことでは、物理の範疇では波ではなくなりますよね、それは勿論。
さてしかし、実はロープの一次元表面波って、そんな風に(物理だけで)ドミノを並べて(物理だけで)元の状態に戻す(みたいな)ドミノ倒しをやっているそれなんですね。 ただし、ロープの一次元表面波は、ドミノ倒しの比喩でなら、倒れているのを起き上がらせてまた倒し、それで倒れる位置が前進して行くって云うドミノ倒しなんですが。
ともうひとつ、とても大事なことなんですが、ロープの一次元表面波をドミノ倒しだとしたときには、最前部のドミノを起こしてそれを最後尾に放り投げるってドミノ倒しになるってことです。
ロープの一次元表面波の伝播を丁寧に描いたものが左の【wf-3】です。見たとおりで、この絵は【wf-1】と同じです。ただこの絵ではそこに、ロープとその各微小部分が力学的にどう動いているのかを描き込んであるってことですね。
波の速さってのは、その波の微小部分の動いているようすの速さではなくて、ひとかたまりの波の形がそのままの形で前進して行く速さのことです。ですから、わざわざ、位相速度なんて言っているんですね。【位相】ってのは、ま、【形】、ですが、それよりはもうちょっと条件が厳しい【姿】って感じのそれですが、ま、え〜と【姿形】とゆーことですね、ハイ。(^^;
波として目に見ているのは、この【位相速度】で前進している波のその【位相】です。目に見ているということだけではなくて、その波の通りには乗って行かない何かとして波にぶつかるなら、ぶつかってくる波はその【位相としての波】です。【wf-3】図で[U]の位置に棒杭を立ててこの波をちょっとかすめさせて通り過ごさせれば、棒杭は一番下から上まで、そして上から一番下まで、この絵の形を時間ズレで移動させ[U]でその高さを記録した上下運動で、サーッと擦れて行きますよね。その擦れは(ま、かなりの無理矢理でしかも半サイクルなんですが)単振動っぽいと言えば言える(かなあ?)の擦れ方になっているんじゃないかな?はご想像いただけますよね?
とゆーことなんですが、この波は振動を伝播させているんじゃありません。図の右の円運動を伝播させているんです。だから無理矢理でなら、単振動っぽいと観測されるかなあ?とゆーだけなんです。
棒杭に当たる微小部分は、行過ぎる点として、でしか棒杭には当たらないんです。その棒杭に擦れとして上下する微小部分は、全部異なる微小部分です。ですから波は、そこで振動なんかはしていないんです。
その上で、各微小部分がしているのは円形の回転で、振動なんかじゃありません。「円運動は単振動だ」ですか? でもいいえ、です。そうです、だからこそ、横波は直角方向の振動を伝播させている波ではなくて運動を伝播させている波だ、なんです。振動は一番最初、ロープの端を振った時にあっただけです。
一次元表面波(自称)ことロープの波(もどき)は「波(横波)って?」を解かってもらうにはとても良い教材になります。水面波だとこうは簡単には行きませんからね。でもやっぱりこれを波だとするのは、自称でもどき、です。
これは矢張り、起こして倒すドミノ倒しなんですね。波じゃありません。だから1サイクルの円ではない半サイクルの回転なのに、横波っぽく前進して行くんです。
さてでも、なぜこれが波ではなくてドミノ倒しなのか?の種明かしはしないことにしました。そんなにそのことは面倒じゃありませんけど、水の表面波がその答になっていますから。だからむしろしない方がかえっていいんじゃないか?なので。
とゆーわけで、水の表面波です。
右の図ですね。ただしこれは波長に対して水深が深い場合の表面波です。浅い場合は各微小部分の回転が楕円になります。もっと浅い場合(岸辺)ではもはや前後運動(先ず後ろ向きに動いてから前向きに動いて戻る(水は引いてから寄せて来る)です、念のため)になってしまいます。
ロープの波(もどき)と決定的に違うのは各微小部分の回転が最少でも1サイクルの完全な円になっていて、各微小部分は元の位置に帰っていることです。で、間違いなく、誰が見ても、水の表面波は波なんですね。
各微小部分が回転して描く円の軌跡はその場所だけにあって、そこで各微小部分は軌跡として円を描いているだけです。円は前方には移動しません。ですから波の移動は最前部に新しい微小部分の回転が誘導されて生まれ、最後部の微小部分の円回転は元に戻って止まって消える、そのことによる移動です。したがって、波が通り過ぎた後では、媒質は全く元のままで、そこには何の変化もありません。以前と以後の全ての状態は全く同じです。
最前部に新しい円の軌跡が誘導されて生まれる原因は、その直前で円を描いている微小部分に引きずられて、の他動によるものではありません。後ろの水位が自分のいる水位よりも低いのでそっちの方向に水は流れる、ということからです。詰まり水の表面波は、先ず沈んでから後に盛り上がる、と云う波です。
ところで、市販教科書の記述では「水の表面波は回転しているのだから横波でも縦波でもない」とありますが、だから横波なんです。振動方向ってのは、そもそもで横波には存在していないそれです(一次元弾性波(ここではそれはしませんが、最初のシュレディンガー方程式の解に戻った時に触れます)には、その振動が目に見えるほどの大きなものが、在りますか?在ったとしたら、それは波として伝播していますか?です)。くどいようですが横波と縦波の違いは、運動か?力か?です。ですから、水の表面波は間違い無く横波なんです。
波が来る前にU’の位置にあった微小部分がやって来た波でどう動くか?がこの図の[C]です。U’から下向き後ろ向きに先ず移動を始め、ぐるっと1回転してU(U’の位置と全く同じ)の位置に戻って1波長分の回転が終わります。ですから、この1サイクルだけで波が終わるなら、それで終わりなだけですが、実際に見た感じでは最少でも数サイクルですね、なぜか、水の波は。
この[C]で、実際に存在して回転している運動の矢印は図の〈a〉だけです。x,yはこうすると解り易い、で分解した数学上の運動の矢印であり、rは円の半径なだけです。詰まり、〈a〉が半径rの円を描くとき、その動きをx,yの運動の矢印で考えると簡単になるということであり、x,yの(実存在する)運動の矢印の合成で〈a〉ができているという訳ではありません。ましてや〈r〉がそこに在る本来の運動の矢印で、それを分解するとx,yの運動の矢印になり、その合成で微小部分が回転しているのだ、では勿論ありません。水の波だけには限らないことなんですが、案外に円運動(軌跡が円になる運動)なんかではこのことで混乱している市販教科書もありますので念のため。
〈a〉は軌跡が円になる運動の矢印ですからそれを縦・横に分解したx,yの運動の矢印は勿論正弦関数になります(「片方はcosだ」、なんて面倒になるだけのことは言わないでください)。なので、二つの単振動を合成したものと形は全く同じですが、それはしかし数学です。とゆーより、ひとつの微小部分の回転だけを見ているだけだから合成された単振動に見えているんです。波は波であり、振動じゃない、なんです。そう、だからこそ《振動→波》のカリキュラム通りではなく、《波→振動》で進めているんです。
U(U’)の位置に棒杭を立ててそこに当たる波の高さを時間で記述してみます。その記述は[S]がズレて行くそれですから単振動にはなりません。なにより、その棒杭に水位を記録する水は、全部違う部分の水なんです(正確には2個の点だけは同じ水ですが)。ですから言うまでも無く、そこに振動なんかはありません。全部の波の行程で、即ち振動なんてないんです。棒杭は(単振動ではありませんが)確かに揺れ(振動と言いたくないので、敢えて)を感じますが、それは棒杭がその波によっては動かないでいるからです。詰まり、そこで波が止まって波ではなくなったからです。
波の観測器は「揺れ」として波を検知します。しかし「揺れ」は、観測器が波に対して静止しているという事情によることによって起こされたことであって波の知るところではありません。波は観測器が自分をどう感知するかには無関係に、ただ波としてその場所を通り過ぎて行くだけです。勿論それによって波に何がしかの乱れが引き起こされますが、それは勿論また別の論です。
(*注* もし棒杭が(固定されていなくて)波の通りに動くなら、外から見てそれは確かに「波の揺れ」そのものですが、しかし棒杭にその「揺れ」が記録されることはありません。詰まり、その場合の棒杭は観測器ではありません。念のため)
さて、表面波といっても、表面の皮一枚だけが波になっているのでは勿論ありません。表面からある深さまでの水が波になっているわけですね。
【wf-4】図の[S]はしかし表面の皮一枚だけ、[C]はその表面の皮一枚の軌跡を描いているだけです。
表面だけではなくてその下の波の動きまでもを示したものが左の【wf-5】図の[I]です。そしてそのそれぞれの微小部分が描く軌跡の円を描いたものが[J]です。言うまでもありませんが、この絵はいくつかの深さでその波その円を代表させて描いたものです。当然に、すべての深さでの波、すべての軌跡たる円は、実際の波ではびっしりと切れ間無く無数に描かれています。下に行くほど、波は穏やかに、その円は小さくなって行きますが。
そしてそれで【wf-4】図の[S]を描き直したものが、即ちこの図の[K]です。
各深さでの波の微小部分の運動は表面のそれと同じく円の軌跡で、一回転で元の位置に戻ります。勿論、1サイクルに要する時間は、その円の大きさにはよらず、すべての円で同じです。なので、各深さのどの部分も、波が通り過ぎた後は、波がやってくる前と全く同じ位置に戻っていて、何の変化もありません。波の前進は最前部に一組の(深さ方向を縦として、下に行くほどより小さくなって行く円が縦に無数に連なって、ですが便宜上で1組の)[J]が誘導され、最後尾の一組の[J]が元に戻って消えることによる勿論それですね。
ですから、U(U’)の位置に立てた棒杭に当たる波は、[K]のうちのある範囲に存在する無数の[J]が時間ズレで当たっているんですね。言うまでも無く、その全部の高さで、当たる微小部分はそれぞれ1つだけが1回(揚げ足取りで2回)限りです。 詰まり、振動なんてどこにも存在してはいないのです。 そしてこのことの逆が、勿論とても大切なことですね。即ち、振動なんかしていないから、波として伝播して行くのだ、ってそのことがですね。
さてでもなんか数式を入れて置かないと教科書っぽくないので(^^;、右に表面波の位相速度の式を出してあります。(*注* 手元の市販教科書からのデッド・コピーです。ですからどうであれ、この1群の式に私は責任を取りません。念のため)
[1]は池なんかに小さな波を立てたりした時のその波の速さですね。[2]の代表例は津波です(ただ津波は波なの?ってこのごろ思うんですよね。特に3.11の大津波の映像を見てからは・・・。津波って実はこうなんじゃないの?はありますが、さすがに津波のあれこれは私レベルがどうこう言えるようなものじゃなし。まっ、教科書にはそう書いてあります、ということです)。ところで、この[1]の速さの式には波長(λ)が入っていることには留意して置いてください。そうです、普通の水面の波の速さは、その波の波長にも依存しているのです。
[3]は重力だけではなくて表面張力も考慮した[1]の速さです。[2]にはしかし、普通では表面張力は適用しませんからその[3]式のようなものはありません。そりゃそうなんですね、津波を考える時に表面張力なんて考えませんからね。(tanhは双曲線関数って言われているものです。読みはハイパーボリック・タンジェントです。関数電卓には組み込まれている関数なので必要ならそれで数値は出せますから、ま、そーゆー関数もあるよ、だけでここは済ませてください)
しかしこの[3]の速さの式は非常に問題のある式です。表面張力を考慮すると、張力なので、その部分は弾性体の表面波として扱うことになるからです。でもこの[3]の式はそのことを全く気にしていないんですよね、ホント。
閑話休題、とでも言いますか、とゆーわけでもしかしなく、平行な波とは?で、左の図をご覧ください。
幾何光学では平行光線は縦に平行線を沢山引いて表しますよね? でも平行波ってのは波の進行方向に対して直角になる面が同じ位相で揃っている波です。ですから進行方向に直角になるように、横に平行線を並べて表さなければならないんです。
「どっちでも大した違いは無いだろうよ。なら解り易い、縦に平行線を引いた方がいーじゃないかよ」じゃないんです。縦に平行線を引いたものは、波の平行を表現しているのではなくて、平行にやって来る【物体】を表しているんです。それでは波ではなくなってしまうんです。
この誤解の例は天文学の光行差の説明です。しかしその正しくは、です。
運動をしている観測者が観測する平行光線は、その運動によって前方に傾いてやって来る光線ではありません。その運動によって前方からズレてやって来る光線(「光の波の面」です)だとゆーことなんです。そうですから、運動している観測者(しかし即ち、自分は宇宙の中心で絶対静止している、として平行光線を見ている観測者)は斜め前方から傾いてやってくる、その平行光線を見るんです。
19世紀に理解だと通用していたこの誤解は、20世紀に入ってとんでもない愚かさを作り上げましたが、でもそのことはここでのテーマではありませんので、それには触れません。ま、しかし、よーするに、光行差の説明には、どーであれエーテルは必要では無かったんですよ、ってことのそれですね。
さてと、です。【wf-4】,【wf-5】図は波を縦に切断したその断面図ですよね。ですので、この形だけで考えていいのは平行に進む表面波だけです。しかし余程の広い水面か、あるいはかなり特異な条件下か、ではないと、水では平行に進む表面波なんて出来ません。普通の生活環境で人が作った水面波は、ある1点から円形に広がる波にしかなりません。ではなぜ円形に広がる波にしかならないのか?で、ご存知ホイヘンスの原理が登場するわけですが・・・。
しかしそれが、ですが、なんですね。
結論から言ってしまいますと、【ホイヘンスの原理は、正しい間違っている以前の、無意味な原理であり存在していない原理である】、と云うことになってしまいます。
水の表面波は、掘られている溝に先ず周縁部が落ち込み、そのことによって溝の周縁部がより外部に広がる、で前進しているんですね。ですから、水の波はなぜ円形に広がるか?に難しい理屈なんかいらないんです。
穴が崩れる時は(特別の事情が無い限り)穴の周りが一様にその穴の中心に向かって崩れて行きます。詰まりはそのことなんです。そーゆーことです。それだけです。
右図のとおりです。それだけのことです。もしこれが円形に広がらないなら、その時その(何故?)を考えればいいんです。円形に広がるしかないよ、そりゃ当たり前だよ、だけですよね、本当に。「円形に広がるのは何故?」を考える必要なんかないですよ、全くで。
ここのどこにもホイヘンスの原理なんて在りません。
広い水面を遠くから伝播して来た平行波と言ってもいい波が狭い水路を通過してまた広い水面に出る時には、その水路を波源とした円形に広がる波になります。そのことを波の普遍的性質とされる「回折」だと言うのはいいのですが(*注*しかし回折を波の普遍的性質だとするのは問題があります。念のため)、それはホイヘンスの原理による、ではありません。狭い水路は、そこで掘られるのは溝ではなくて穴だ、ですからね。詰まり、溝ではない穴なので新しい波源になったんです。で、その穴の中心に向かって崩れる周縁部が円形(普通には半円形ですが)に広がり初め、新しい波がそこから開始したんです。それはホイヘンスの原理のゆえじゃありません。
とゆーことだけで済ませて勿論いいんですが、それだけでは教科書っぽくない(?)し、「当たり前だ」、の何故?を考えるのがこの基礎論教科書でもありますから、もうちょっと理屈っぽく【ホイヘンスの原理の不存在】を以下ちょっとやってみます。
ホイヘンスの原理には二つの絶対前提があります。
そのひとつは、波が運んでいるものは【振動】である、ということです。 詰まり、その波が存在しているどこででもその媒質は振動している、その振動が波として伝播しているのだということです。 これが、水の波のような回転運動しか存在しない波でも、「回転運動は単振動だからそこには正弦振動がある。表面波はサイン・ウエーブじゃないなんて誤解はしないように」などと全ての市販教科書にわざわざ誤解させる*注*を書かせる所以なんですね。
でこの媒質の振動がそこで波源となっていて、そこから微小な2次波が発生している、になるんですよね。
ですが、横波には振動が存在していません。いまここでの例での水面の波だけではなくて、固体の表面の波でもそれは同じです。表面弾性波も軌跡が回転になる運動があるだけで振動は無いんです。存在していない振動が2次波の波源になるなんてことは勿論ありません。詰まり、ホイヘンスの原理を存在させるための2次波の発生メカニズムなんかは、全くで、無いんです。
もうひとつは、【波は干渉する】、ということです。微小な2次波が干渉して包絡線としての波面を形成する、ですね。
たしかにサインウエーブなら、90°ずらしてぶつければ山谷が2倍になります。180°ずらしてなら平らになります。しかし軌跡が回転になる運動による連続体の波は、ぶつかっても干渉しないんですね。そしてもう言うまでもなく、横波のどこにも、軌跡が回転になる運動しかありません。勿論その位相はサインウエーブだとはとても言えない位相です。なのでこのぶつかる二つの波は、お互い同士が全く無関心(?)で干渉せずにただ知らんぷりで通り過ぎて行きます。(この実験・観察は池に二つ波を立てるだけなのでとても簡単ですからやってみてください)。いわゆる、非干渉性の波、なんですね。
だから、非干渉性の波なんだけどその2次波なら干渉して包絡線を作る、それで波面を形成して波は進んで行くのだ、なんてことの在ることは無いんです。
ホイヘンスの原理を成立させる二つの絶対前提が、そもそもで、波には無いんです。
ホイヘンスの原理は存在しません。にもかかわらずホイヘンスの原理で波が伝播するなら、しかしその波は、瞬間で真っ平らになってしまいます。波はどこにも存在しなくなります。
しかし、でも、縦波にならホイヘンスの原理はある、ですか? しかし、縦波にこそ、ホイヘンスの原理は無いんです。
縦波は本質的に直進する(広がらない)波だからです。ですから、もし縦波が(波源が点ではなくて)進んで行くに連れてより大きく広がって行くなら、そのことは波本来の性質の問題ではなくて媒質の問題なのだと云うことなんです。そしてその事に関しての回答は、普通には、波の位相を作る微小部分の変位速度よりも媒質のズレ応力の応答速度が速いからだ、の答になるだけです。(縦波は波長が短くなるほど指向性が強くなるでしょう?)
縦波には、先ずの最初からで、ホイヘンスの原理なんて存在していないんです。
と、あと、これは蛇足ですけど【wf-6】の[1]式(と[3]式)では波の速さがその波長に依存していますよね。ですから普通の水面の波はシングル・ウエーブ(んな言葉あるかなあ?だけど)です。したがって当然に群速度なんてものはありません。またいわゆるフーリエ級数(展開)でその形を作れるなんてこともありません。波長が違う波は全部違う速度で進んじゃいますからね、どう条件を付け加えても同じ場所にある形の違う波は必ずバラけて、一つずつの単独の波になっちゃいますんで。
と、横波は非干渉性だと云うことは当然に反射波でも同じです。元の方向から来る波とその反射波は干渉しません。従ってまた当然に、そのことで全体の波の様子(絵姿)が変わるなんてことはありません。勿論、横波の定在波ってのは存在しません。
ま、このことは、お解かりでしょうけど念のため。
とゆーことで、やれやれで、水面波の云々はようやっと終わりました。ホント、やれやれ・・・
以下製作中です。
しかし、この[波編]は【光】のための準備のひとつなだけなので簡単に済ませる筈だったんですけど、横波と縦波に関して市販教科書批判(とゆーより否定)を最初にやっちゃったんで、その理屈付けで、まー本人は大変な苦労をするハメに。かくして心此処にあっても此処にあらず。えーと、えーと、なばかりで・・・。
そーゆーことなので、スラスラとはどうも更新が捗りません。すみません。
だけどこの教科書作り、この頃は以前みたいに慌てて先を急いだりはしていないんですよね。世間の時間は世間の時間。オレの時間がオレの時間。その本来の私のペースでのんびりと、でやってます。
ですので、ま、ゆっくりと、お付き合いください。
(^^;
縦波を云々するには『力』を前もって反省しなければならないので『力』って?をここでやります。それが終わってから縦波を云々します。
糸の先に錘りをつけて手でクルクルと振り回します。当然に錘りは持っている手を中心にして円を描いて運動します。初等教育で太陽の周りを地球が回っていることの説明なんかに良く使われる簡単な実験ですね。
中学校あたりの理科では何故錘りが円を描いて回るのか?の説明に右の図のような物を出すと思います。
まっすぐに進もうとする錘りが糸の張力で中心方向に引っ張られる。その力で錘りの運動の方向が変わる。それで円運動になるのだ。と。
詰まり図のVLの速度の矢印とTの力の矢印との足し算で実際の運動VCになる、ですね。
でもここで、素直というか捻くれているというかの子供がクラスには一人や二人はいるもので、その子が手を上げて質問します。
「先生!、なんで速度と力を足せるんですか?」
質問された先生、こんな質問には勿論慣れっこですから
「力を出すと加速されるだろ?その力なんだから速度と足し算できるんだよ」
こう答えられてそれ以上質問を続ける子供は、まあ、中学校にはいないでしょう。そしてこの張力を引力と置き換えれば(張力は距離(長さの伸び)に比例、引力は逆2乗ですが)引力で地球が太陽の周りを回ることはスンナリと受け入れられます。ですからそこでみんなが納得して、メデタシメデタシ、です。
高校の物理ではベクトルって言葉が使えますし微分的な説明もしていいわけですから、このことは更に簡単にもっともらしく説明されます。
しかしやっぱりそこにもおかしな生徒はいるもので、その生徒は教科書の記述、詰まり先生の説明には納得が出来ずに質問します。
「先生!、なんで速度のベクトルと力のベクトルを足せるんですか?」
で、先生は、高校なんですから、「単純にベクトルの足し算じゃないか。足せない方がかえって変だろよ」と答え、生徒もそれで納得するしかなくて一件落着です。
そりゃそうです、それで生徒は納得するしかないですよ。もう高校ですからね、生徒が勉強が解らないと言うならそれはその生徒がバカだから、です。先生の教え方が悪いんじゃありません。あはは。
でもです。そうなんです。
なんで「速度の矢印と力の矢印を足せるのか?」です。(ここに至っても何故敢えてベクトルとは言わずに矢印と言うのか?は追々に。^^ )
ちょっと加速度:小学生のよいこのために(ホント? ウソ ^^ )。
g=9.8m/s2 は地表面での重力加速度の値ですね。
で、このs2っていうものに結構苦しむんですよね。なんでs2なんなんだ?で。
毎秒毎秒ってことだ、なんて言われると、更に訳が解らなくなって、でもそれ以上の説明はもうありませんから、要するに加速度を表すこれは『記号』だ、で済ませてよいこは誰もそれ以上考えることは止めにして次の勉強へと進みます。またよいこはそうしなければいけません。いつまでもそんなことをグズグズ考えて気にしているとそこで勉強が止まってしまってバカッ子になって、入試に落ちるし留年するし、ですからね。
しかしそういったどうでもいい(かなあ?)ことのどうして?を言うのがこの教科書。はい、よいこに説明してあげましょう。^^
加速度は速度ではなくて速度が増える「割合」です。一秒につき9.8m進むという速度が更に一秒につき9.8m余計に進む速さを持つ速度になる、それが速度が加速されるということです。
一秒につき9.8m進むという速度は9.8m/sですよね? (テスト問題ではだいたい初速度は0m/sですから普通は0m/sに加算して行きますけど)その速さが更に更にと、一秒につき9.8m余計に進むような速さになって行くんですから、その割合を表す加速度の表現は(9.8m/s)/sと書かれます、ということです。「/s」は一秒につき(毎秒)ってことですよね?
その括弧を外すと、(9.8m/s)/sは9.8m/(s*s)です(1行だと括弧が外れず移っただけですけど分数の分子が分数の計算です。(分母・分子が分数になっている分数、あれ、何て名前でしたっけ?))。ということで結局、9.8m/s2、になります。
と、ですと、しかし。速度というのも走行距離から見れば「割合」か?ですね。
はい、そうです。50km/hという速度とは、一時間毎(/h)につき走行距離が50kmずつ伸びて行く、その「割合」の表現です。
なので「走行距離の矢印に速度の矢印は足せないのに、速度の矢印になんで力の矢印は足せるんだ?(この文章では力の矢印をそのままで加速度と言っていいのか?の問題は無視しています。念のため)」の、それをしていいのか悪いのか、の問題が起こるわけです。
はい、そういうことです。
人工衛星になる程には速くないスピードで物を斜めに放り投げると、その物体は放物線の軌跡を描いて上昇・落下しますね?
その最初の速度の水平成分をVL、垂直成分をVHとします。重力加速度をg(高さによって異なりますがどれほど変わる高さまでは上昇しないとして)とし、投げた時からの経過時間をtとします。
と、これは左図のとおりのものとなりますね?
それは地球の引力に引かれてそうなるわけですが、その時にその物体の速度を作る(詰まりは放物線を描く)のは図にあるようにVLとVH−g×tです。
わざわざ図中に「(g×t)←加速度が経過時間積算されたことによる速度」と書き込んであるのはそれは引力ではなくて速度だ、を言う念のため、です。速度から速度を引いた答は勿論速度ですから。もっとも勿論、そう書き込んで置かなくても誤解はされないでしょうけれど。
詰まり、速度と速度を足したから放物線の軌跡が描けたんです。速度と力を足しても放物線は描けません。という前に、そもそもで速度と力は足せません。
物を投げた時の放物線はそうなのに、なぜ糸の先で回る錘りの円の軌跡を速度と力の足し算で描いて【F-1】の図は「良し」としてしているんでしょうか?
その答は次の二つのうちの一つですね?
A:そうしていいからそうしているのだ。
B:そうしてはいけないんだがそうしているのだ。
どっちでしょうか?と聞くまでもなく答は決まっていますよね? 勿論「B」です。そうしてはいけないのにそうしているんです。そしてそうしてしまっている理由は、初等教育では、なだけではなくて誰でもが、『力』と『ベクトル』をイイカゲンに、詰まり無反省で、使っているからです。
ついでに(前もって)ここで言って置きますが、遠心力はこの中心に向かう張力の力「T」の反作用である、と良く言われます。でも、やはり先にここで言って置きますが、そうじゃありません。方向の変化(加速度運動)で発生する慣性力です。方向の変化は常に中心方向に向かいますから、遠心力の方向は中心方向の反対になるわけです。ただし、言われているような見かけの力ではなくて、遠心力は「実際に『在る』力」です。それで、張力で回転する(【F-1】の図)錘りの中の人(がいるなら)はその錘りの内壁に遠心力で外方向へ押し付けられますが、ISSの中の人には遠心力は発生せず無重力になります。その理由はずっと後になりますが、だからここでも、力って? なんです。
円軌道で地球を公転している人工衛星を考えます。右の【F−3】の図ですね。
【F−3】は【F−1】と同じような図ですが、接線方向の距離の矢印と中心方向への自由落下距離の矢印の足し算で実際の距離“S”の矢印を求めています。(*注* 普通に「距離」と言うと「(絶対値の)長さ」で方向を云々しませんが、ここでの「距離」はどこからどっちの方向へ、を持っている「距離」です。面倒だったりうっかりだったりでそのことを明示しないこともあるかも知れませんが、その際には適当にそこはお読み下さい。^^; )
この接線方向の距離SLと自由落下の距離SGをt→0でΔSLとΔSGにして、その矢印の足し算でΔSを作ります。(ΔSLとΔSGは微分して速度になったものではなくて、あくまでも距離の微小値です。念のため。
そうやって作ったΔSを走行時間で積分して行くと、目的の実際のSなる軌跡が求められる、というわけです。(普通に積分しただけでは線の「長さ」だけですがこの線はしかし矢印がある線です、念のため)
お分かりいただいているでしょうが、【F-3】の図のSは【F-1】の図のように、運動が力で曲げられたことによって描かれたんじゃありません。接線方向に走った距離と中心方向への自由落下の距離で描かれているんです。
同じことだろう?じゃこれはありません。距離の矢印と距離の矢印なら足し算が出来るということの他に、このことは即ち、(これが実は何よりも言たいことなんですが)、人工衛星の公転は自由落下だから内部が無重力になり、当然に遠心力は発生しない、ということなんですから。もうホント、これが解っていなくてメッチャ可笑しな天体力学を講釈している人たちばっかりですからね、ネットで大活躍している物理屋(自称か他称かは知りませんが^^)とかってのは。ネットじゃなくても世間でも、そうなのかも?ですが。
(もっとも、楕円軌道(普通に人工衛星の軌道)ではこうは単純になりませんから、微分方程式を立てざるを得なくなります。なので、ここでは円軌道に限っての、です。ただし、円軌道でなくても、自由落下と初速度(しかしロケットエンジンで加速して行くのが普通ですから最終(?)初速度?)から立てる微分方程式です。その解がどうであろうとそこでの無重力は自由落下による無重力で、遠心力は発生しません。(無重力を作るためにエンジンを切って惰性で上昇し落下する、あの放物線を描くジェット機の中の人が認識する無重力と全く同じものです。更に念のため))
さて「張力で公転している物体もこのやり方でやれば『なぜ足せるんだ?』とかとの文句はどっからも出ないから、そうやれ」、としかしそう言われても、張力で回転する物体にはこのやり方は使えません。
その回転では錘りが無張力(無重力に類推されるところの)にならない、遠心力が発生する、とかと言う以前に本質としての問題があるからです。
その本質としての問題とは、張力で回転している物体は回転中心に対して公転しているのではなくて自転しているのである、です。 「えっ?」
そういうことですので、【F-1】の図のようなものを公転の例にするのは、もう全くもってで、絶対にやってはいけないことなのです。(これを公転だとして初等理科で最初に刷り込まれるから、人工衛星の中は遠心力と地球の引力が釣り合うから無重力になる、などと凄まじい力学を理解(?)する人が現れ、また『月は自転していない!』と頑なに言い張る人が出来てしまうんです)
公転とは回転中心が自分の外にある回転です。
自転とは回転中心が自分の内にある回転です。
じゃあ正に、中心に糸で結ばれて中心の周りを回っている錘りは公転に間違いないじゃないか! ですって? いいえ、です。逆です。中心に糸で結ばれているからこそ「自転」なんです。
このことを文章で説明するのは面倒っくさいので図にしました。左の【F-4】図がそれです。
この図の「D」はA,B,Cと順に全体からその部分を切抜いて作ったものです。全体が自転しているときには、その部分もまた自転している、は納得されますよね?
「D」に至ってでその部分を独立させたものが、支点に糸で結ばれその支点(自分の内で一番端)を回転中心にして回っている錘りだということです。
さて、単独で「D」を出した時に、「D」がA,Bと同様に自転なのだということが直感的に理解できる一番いい例は陸上競技のハンマー投げです。
投げる時は、ハンマーの鉄球とワイヤーと選手自身が一直線の一体になって、選手の足を支点にしてクルクルと全部が同じ速さ(同じ角速度)で回っていますよね?
それはその鉄球とワイヤーと選手の三つは一体になっている一つの物体で、その物体の端(選手の足)が支点、即ち回転中心になって自転しているということなんです。自分の端っこは勿論自分の内側です。足は勿論、選手の身体の一部です。
そしてワイヤーの張力は、鉄球と選手がバラバラにならずに一体の物体でいるためにある「力」です。
(ちなみに。投げる瞬間、選手とハンマーを一体化して置くために在ったワイヤーの張力は(手とハンドルの間で)切断されます。それで三位一体(?)はバラバラに崩壊(?)しハンマーは選手から離れて選手とは無関係の別固体として飛んで行きます)
となると、です。
一体の物体でいるためにある張力がどう原因して自転している物体は回っているのか?
自転は物体が一体であることとどんな関係を持っているのか?
ですね。
閑話始(?)題
自転していることによる色んな動きの説明にはよくコマが引き合いに出されますよね?
例えば天体の歳差の説明とか、あるいは電子のスピンとかなんかで。
でも、コマで説明するのって、本当は良くないし誤解させてしまうことが多いんですよね。
と言うより、もう言っちゃいましょ。
「駄目ですよ、解ったような気でいてコマで説明しちゃ。解ってない人たちだなあ、もおう〜、バカっ!」と。^^
理由は右の図の通りです。
自由空間での物体には回転軸(自転軸)が3本あります。そのそれぞれに右回り左回りがありますから、物体の自転の自由度は6個です。
しかし地面で回っているコマには自転軸が1本しかありません。
したがってコマの自転の自由度は2個だけです。
例えば原子模型での電子のスピンなんかをコマの自転で説明したりしていますよね?
自転は右回りと左回りがあるから電子のスピンも上向き下向きの2通りがあるんだ、なんて。
でも電子は地面で回ってなんかいないでしょう? コマじゃないですよ。
スピンは自転だとゆーなら、量子化されていても、じゃあ回転の向きの組み合わせを勘定に入れなくても6種類のスピンがあって当然でしょ?なんで無いんですか?になっちゃうでしょ?
繰り返しますが、電子は地面で回っているコマじゃないんですから。
別に電子のスピンがどうのこうのの話にイチャモンをつけようってんじゃありません。
ただ、「スピンの説明をコマでするな!」、なんです。
天体の歳差の説明をコマでやっていることへの批判は他の所でしていますので、ここでは繰り返しません。
ちなみに。コマにはそもそもで歳差がありません。詰まり、1点上のみで回転しているコマは傾けば必ず倒れます。倒れるモーメントが歳差になって倒れない、なんてことは絶対に無いんです。要するに、地上に固定された針の先端で落ちずに回り続けるコマはありません、ということです。
もちろんコマ回しの芸人は針の先端でコマを回せます。しかしそれは彼の名人芸なだけではなくて、彼が針を手に持っているからです。地上に固定した針の先端でなら、彼の名人芸を持ってしても、落とさずに回すことはできません。
じゃあコマのミソスリ運動は何んだとオマエは言うのだ?ですが、それを言うのはしかしずっと後ですね。(後とお化けは出たこと無い、かもですが ^^; )
まあとにかく、どの解析力学の教科書にも載っているあの「コマの回転」の説明は全くの阿呆ですよということです。ハイ、針の先端で落ちずに回り続けるコマはありません、なんですからね。
閑話休題
さて、一般市販の教科書では抗力と慣性抵抗は作用・反作用だと書かれているようですのでこれについて混同し、誤解している人がいるかも知れませんので両者の違いを、蛇足ですが、先ず言って置きます。
抗力と慣性抵抗は全くの別ものです。抗力は速度状態が変化しない時に、その変化をさせないための釣り合いの力です。慣性抵抗は速度状態が変化している時に、その速度状態を変化させている力の原因に対して、相対的に加えられる、当の原因の速度状態を変化させている力です。
このことは左の【F−6】図を参考にして下さい。ただしこの図は、力と慣性抵抗の説明としてはこれでいいんですが、加速度運動の説明としては、正しくないとまでは言えなくても、ちょっと不完全なんですが。(このことの丁寧な説明は、別項「運動と系と観測者」の中でやっていますのでご興味がおありならご参照下さい)
それはさておき、この慣性抵抗の原因となる物理量が慣性質量です。この物理量が大きければ大きい程その物理量を持つ物体の速度状態は変わりにくくなります。(しかし変わりにくいとは言っても、とにかくは、速度状態は変わるのです。速度状態が変わらないなら慣性抵抗は現れません。このことは絶対に忘れないで下さい) 慣性抵抗と抗力の違いはですからお解りになりますよね。抗力は慣性質量が原因で現れる力ではありません、勿論。(壁に当たったボールが跳ね返るのは、先ずボールが壁の抗力で潰され、その潰されたボールが自身の弾性で復元する時に壁を押して元来た方向に再出発する(反撥する)と云うことで、壁の慣性質量による反作用ではありません。わざわざ説明する程のことではないような、言わずもがな、のそれですが。
詰まり抗力の原因は力では動かない(その力からは質量が無限大だとされる)物体の「硬さ」なんです。
その昔、炭素を含む量が多ければ多い程鉄は硬くなるが従って脆くなる、と云うことが解らなくて苦しんだことがあります。脆いのは硬くないからだ、としか考えられなかったからです。ガラスが脆いのは硬くないからじゃないか。硬質ガラスってのは硬いじゃないか、なので。 しかしこれは詰まり「硬い」とゆーことを「丈夫」とゆーことだと誤解していたからなんですね。硬いと云うことは変形しない(力を加えてもその形を維持する)と云うことなわけですよね。ですから力を加えられると変形して耐え、力が除かれてから再度弾性で元の形に戻る、と云う丈夫さが、硬ければ硬いほど失くなるんですね。それで硬いものはそれが変形しないでも耐えられる以上の力が加えられると、変形とは壊れること、となってしまって、脆くも壊れてしまうんですよね。そう云うことですから、その物体がその一塊の状態を維持したままで耐えられる力の限度は、それが硬くなれば硬くなる程より小さくなります。で、硬いものは脆いんです、と。
更にのついでに。ロケットやジェット機が前進するのは、ですから、機体よりも速い気体がその機体の燃焼室の前の方の壁に当たることによる作用であって、気体を噴出することによる反作用じゃないですよ、は解られますよね。(後ろの方はノズルとなって開放されていますから、勿論気体は当たりませんどちらも、気体を後部に押し出すその反動(反作用)で前進しているんじゃありません、と云うことです。
解かり易いでしょうから「力」を先ずは綱引きで考えて見ましょう。小学生にも親しめるように、ですから、ブタさんチームとウサギさんチームに引き合ってもらうことにします。^^
図の[1]ではブタさんとウサギさんがそれぞれ同じ力の大きさ〔S〕で引き合っています。力の向きが正反対で大きさが同じですから、二人が「ヨイショヨイショ」と言うだけで綱は動きません。
[2]ではそれぞれにネコさんとイヌさんが加わります。ブタさんチームの力は〔S+S〕になります。でもウサギさんチームの力も〔S+S〕になっていますから、やはり力は釣り合って「ヨイショヨイショ」でも綱は動きません。
[3]ではウサギさんチームにだけクマさんの応援が入ります。ちょっと、というか大いにフェアじゃないですが、今度はブタさんチームの力が〔S+S〕でウサギさんチームの力は〔S+S+S〕で〔S〕ひとつ分余計にあります。それでウサギさんチームは「ヨイショヨイショ」ブタさんチームは「ウ〜〜ン・・・」で、ウサギさんチームがブタさんチームを引きずって行きます。
さて、普通には、この説明ですね? 勿論、力の釣り合いと運動は? 小学校の理科の教科書に限らずで。
でも、なんです。
ウサギさんチームが綱引きでブタさんチームを引きずって行くとき、本当にその時の「力」の状態は図の[3]の状態になっているの? なんです。
そのことは更に、で、この綱引きの図の[1]、[2]もこれでいいの? になりますし、更に更にで、一つ前の図(【F−6】)の力の釣り合いの例としている「圧力と抗力」もそのとおりでいいの? になってしまうんですね。
はい、では、よーく考える、というか「反省」をここでもやりましょう、です。
(*注* ここでは(この教科書(?)ではほとんどでそうですが)力学を「いわゆる力学」詰まりマクロで考えています。必要にならない限り、力学に分子がどうの電気がこうのなんてことは持ち出しません。よーく考える、もマクロ(特別なメガネ(顕微鏡のようなもの)を使わずに見えている大きさ)で考える、です。念のため)
ヘリコプタから荷物を空中に吊り下げている場合を考えてみましょう。ヘリコプタをウサギさんチーム、荷物をブタさんチームと名づけると、これは【F-7】の図を縦にして空中に浮かばせたものですよね?
さて、左の図の[A]はヘリコプタが空中でホバリングしていて荷物とヘリコプタが空中に静止している場合です。これを【F-7】の図で表現するとその図の[1]の場合で、力が釣り合っている状態でしょう? ヘリコプタが荷物を引く力「g」と荷物がヘリコプタを引く力「-g」の大きさが同じですから釣り合い、ヘリコプタも荷物も全く動かないわけです。でも、綱引きならともかく、さすがにヘリコプタと荷物ですと「力が釣り合っているから動かない」と言われると、、(いーんかなーー、、、そーゆーことで、、、、)と誰でもがここで首を傾げるんじゃないのかしらん、ですよね?
左の図の[B]では、ヘリコプタが一定の速度で上昇しています。この場合は【F-7】の図ではその図の[3]の場合になりますね。でも今度は同じだと言われると、更に首を傾げることになるでしょう? ヘリコプタと荷物のそれぞれが相手を引く力は同じですけど、ヘリコプタは上昇して行く(【F-7】の図では力が同じではないから引きずられて行く)んですから。
この問題は、でも、解くのは簡単なんですね。荷物を吊り下げずに機体に荷物を格納していたらどうでしょうか?を考えればいいんですから。詰まり左の図の[C]の場合を、ですね。
この場合は吊り下げた場合と全く同じエンジン出力で、ヘリコプタはホバリングし、上昇します。それは当たり前ですね、勿論。
要するに、荷物を吊り下げておこうが中に入れておこうが全く同じことです。ヘリコプタの運動にそのことは全く関係ありません。ヘリコプタ本体+荷物の合計の重さをヘリコプタは動かしているんですからね。
このことと、逆に、綱引きとは同じ理屈なのだとするんです。【F-7】で【F-8】を説明するんじゃなくて、【F-8】で【F-7】を説明するってことですね。
そうすると、どちらの静止・運動もすんなりと理解できることになります。
しかし・・、では・・。力が釣り合う、釣り合わないって、いったい、どーゆーことなんだ?、になるんですよね、ここで。
右の【F-9】図は【F-7】の[3]を模式図化したものです。
ブタさんチームとウサギさんチームが引っ張り合っているロープは、実は、別々の物体としてあるのが本来の二つの物(分かれているブタさんチームとウサギさんチーム)をくっつけて1体1個の物体にしているものなのだ、はこれでご納得いただけますよね?。
勿論ロープがたるんでいたのではなんにもなりませんから、ピンと伸びきっていなければなりません。そのピンとロープを張るためにブタさんチームとウサギさんチームそれぞれの腕(図ではバネ)が強く縮もうとしてロープに力を加えています。ブタさんチームから見るとロープの終端はウサギさんチームの腕ですから、その腕が縮むことによる力と同じ力になるように自分たちの腕を縮ませてロープに力を加えます。で、力が釣り合って、それで両者は一体不可分の物体になっているわけです。
詰まり釣り合っている力というものは、その力がなければ別々の物体としてお互いに無関係でいる物体同士を、一体としてくっつけておくものです。
そしてここの綱引きの例では、その一体となっている物体を、動かす足が3対(図では三個の駆動輪)で、それに逆向きに動いてブレーキをかけている足が2対(図では二個のアクティブ・ブレーキ)あり、動かす足はブレーキをかけている足を滑らせながら(車輪ならスリップで空転させて)それも自分も含めての全体を【V】の速さで動かしているわけです。
詰まりウサギさんチームがロープを引く力の方がブタさんチームが引く力よりも大きい(ロープを引く力が釣り合っていない)からブタさんチームがウサギさんチームに引きずられて行くのではありません。ロープにかかっている力は、動かない時と同じく、動いている時でも釣り合っているのです。
さて、もし仮にロープにかかっている力がなんらかの事情で釣り合わなかったとしたらその場合ではどうなんでしょうか?
ということで、では力が釣り合わない時にはどんな状態になるのか?(これが本題、『力について』です)ですね。
ロープで力の釣り合いを説明しようとすると、普通にはロープの長さは伸び縮みしませんから、力が弱くなるとたるんでしまって力の釣り合いはオシマイ、強くなれば切断されちゃってこれもオシマイ。
そんなわけでかかっている力の強さが目に見えるようにはなりません。なので、ロープでの説明はもうやめて、以下バネで説明することとします。
元々が10センチのバネがあります。そのバネを両手で引っ張って15センチに伸ばして止めます。
手がバネを引く力とバネが手を引く力は釣り合っています。
更に30センチに伸ばして止めます。勿論、15センチの時と同じく、手がバネを引く力とバネが手を引く力は釣り合っています。
では?15センチから30センチに伸びる時は、手がバネを引く力とバネが手を引く力はその時でも常に釣り合っているのでしょうか?
このことを図示したものが左の【F-10】です。
[1]ではなんの相互の力もそれぞれに働いていませんから、それぞれはバラバラの別の物体です。
[2]、[4]ではそれぞれに釣り合う力が働いていますから、右手・左手・バネは力学的には一個一体の物体になっています。
ここで、10センチから15センチに伸びて行く間をどうこう言うのは面倒ですし、どうこう言っても結論的には15センチから30センチに伸びる時と同じことなだけですから、図の[3]の時だけをここでは問題にします。
もし図の[3]の伸びて行くその途中でも釣り合っていたら、バネははたして伸びて行きましたでしょうか?
強まる手の引く力とバネの力が実は釣り合っていないので、バネは釣り合う方向へと(安定する方向へと)伸びる(結果バネが手を引く力は強くなる)んじゃないですか?
そうなんです。つまり、力が釣り合わないと、釣り合う方向へと物体は変形して行くんです。
ですから、もしその物体がもうそれ以上変形して行かないなら、そこで力は釣り合っているってことなんです。
詰まり、釣り合わないがゆえに変形して釣り合い、そのことの繰り返しが[3]では途切れることなく連続で起こって行き、そして[4]に至って落ち着いた、ということです。
このことの逆は真で、変形がそこでは起こっていないならそこでの力は釣り合っています。
ロープは伸び縮みしません(ほんの少しならするんでしょうが)から、もしそこで力が釣り合っていなければ、変形は必然で「破壊」になります。一体のものは必ずバラバラになってお互いに無関係のものになります。
ロープでの綱引きでは、ですから、そこでの力は常に必ず釣り合っているしかありません。
力が釣り合わないと、釣り合う方向へと物体は変形して行く。それ以上変形して行かずに止まったなら、そこで力は釣り合った状態になる。この逆は真で、そこで変形が惹起していないならそこでは力は釣り合っている。
これ↑は、ご納得されましたよね?
さてと、詰まり、要するに、です。ここまでの『力について』でおわかりでしょうが「木を見て森を見ていない」、なんですよ、一般市販教科書での「力の釣り合い」の説明ってのは。
とゆーことで、ではここで森を見てみましょうか、と。そういうことですね。
【F−10】の手でバネを引っ張っている図の手は右手と左手ですね。その手はそれぞれで腕につながって、腕は肩につながり、両肩は首根っこでくっついています。つまり、ぐるっと一回りして全体は外部から閉じている一つの物体になっているわけです。
このことを模式図的に簡単にしたものが右の【F−11】図の上段(一番上)です。バネと鋼材でトライアングルを作り、その中にクランプを入れてそれを伸び縮みさせてバネを伸び縮みさせていると言うわけです。
上段一番左はクランプで力をかけません。なのでクランプはたとえトライアングルにくっついていても、それは「接触して置いてあるだけ」です。バネも「引っ掛けてある」だけです。
バネ、鋼材、クランプ相互間にはそもそもで力がかかっていませんから、力の釣り合いなどあるはずもなく、それぞれはそれぞれで全く別々の物体です。
上段の真ん中の図は、ちょっとクランプを伸ばして止めた図です。今度はそれぞれに力がかかっていますから、バネ、鋼材、クランプ相互間に力の押し引きがあり、その力が釣り合って一体の一つの物体になっています。
上段一番右は、真ん中よりももっとクランプを伸ばして止め、より力をかけている図です。
さてこの図での力のかかり方はどうなっているのか?です。
クランプを伸ばして力をかけたんだから、でまずそこから力の釣り合いを図示して行こう、ですが、最初の力の釣り合いを描き込んだだけで、えーと・・・・、で、はたと止まってそこから先には簡単には進めなくなります。
理由は、【F−11】図の下段の図になるからですね。
この下段の図は、その上のトライアングルが鋼材で出来ていて(綱引きのロープのように)伸び縮みがよく目に見えないので、目に見えるようにピアノ線でトライアングルを作ったものです。まあ、ですから、クランプというか、中に入れてある直線を伸ばせば、図のような形になるわけですが、さて、この図に、どう力の矢印を入れて行きましょうか?になるので、です。
ゴチャゴチャになってえらく面倒な作業になるし、なにがなんだか描いている本人にさえ判らなくなるのがもう明白に予感できますから(あはは ^^;)、そうなればやーめったっと、でトライアングル模型は放棄、です。
さて、ところで、ぐるっと一回りして全体は外部から閉じている一つの物体、とは端っこが無い物体だということですね? それで、(「ただし」付きですが)力の釣り合いはそれで一体となっている物体以外の外力を必要とはしない、自己完結しているものである、ということになります。
でも、外部世界とは独立した一つの物体、なんですから、当然に『境界』はあります。でもその『境界』をここでは端っことは言いませんよ、です。では?ここで言っている端っことは?一体なんなんだ?ですね。
端っこって?を考えるときには「端っこが無い物体」を使って真正面からそれを考えてもいいんですが、すでに綱引きをやっているので、逆に「端っこがある物体」の力の釣り合いって?で説明をした方が簡単なのでそれでやります。綱引きの再反省も(圧力と抗力の反省も)兼ねられますので。
ゴムボールでバネを作ります。ゴムボールの形はまん丸にします。大きさはその時その時の都合で自分の好きにしていい任意の大きさです。ゴムボールのゴムの強靭さもその時その時の例にとって必要十分なものだとしていい任意です。スポンジ・ボールみたいだとするのも装甲車のタイヤのようなものだとするのも、その場のご都合主義でお好きなように、です。
このパーツになるゴムボール[a]を必要なだけ接着剤で直線状に次々とくっつけて長くつながったゴムボールを作ります。
パーツの一個だけのゴムボール[a]を単位ゴムボール、出来た一直線上の連続したゴムボールのつながり[b]をゴムボール・バネ、と名付けることにします。
さてゴムボール・バネ[b]が何らかの事情(ほとんど奇跡 ^^;)で伸びて[c]の状態になりました。と、これはそれぞれの単位ゴムボール同士に力の掛け合いがありますから、ピンと張った一定の形を持っている「力学的に一個の」物体になっています。
しかしこの[c]の状態は、超能力者ででもなければ維持できませんしそもそもで作れませんから、アッと言う間にも愚かの早さで[b]の状態に戻ります。要するに[c]の状態は存在しえません。
その理由は、言うのもバカバカしいほどの当たり前、どこの単位ゴムボールの両端も隣と力が釣り合っていなければならないにもかかわらず、[c]の両端ではその釣り合うための隣が存在しないからですね。
とゆーわけで、[c]の状態のようにゴムボール・バネをするためには、延々と、隣、その隣、そのまた隣、そのまたまた隣、そのまたまたまた・・・、と[d]のようにどこまでも単位ゴムボールを連続させて行かなければなりません。
それでは困りますし、何の役にも立ちませんから、考えて工夫することになります。
で考えて工夫したのが【F−13】です。
端っこがあるからダメなんだから、両方の端っこをくっつけてつなげてしまえばいい。そうなら「端っこは無い」になる、と考えて工夫したのが[1]です。
もうひとつ「そうだ!一番端っこをメッチャ硬くメッチャ重い物体にくっつけてしまえばいいんだ!!」とヒラメイてそうしたのが[2]です。
まあ、考えても、ヒラメイても、も無い、何の工夫も無い話ですけど、それは。 ^^;
ただ[1]の図では元々は楕円球(回転楕円体、と呼ぶのが本当でしょうが、この造語(?)で呼びます)状のゴムボールではなくて球状のそれですから、車輪状にスポークを入れないとこの形は維持できません。それで念のためにでそのための破線を描き込んであります。
ブタさんチームとウサギさんチームの動かない時の綱引きは、実はこの[2]の場合でしかない、はお解かりいただけますよね?
引っ張り合う力はループしていませんが、両方のチームの釣り合いの連続の終端(足)は硬さ無限大(詰まり変形しない)質量無限大(詰まり動かない)の物体(即ち地球)にくっついているんですね。要するにそれは[2]なんですよということです。
捻くれた人は「地面に足がめり込むから、質量無限大は兎も角『硬さ無限大』じゃない」と言うかも知れませんが、めり込んでも泥沼みたいにずぶずぶに沈み続けずに止まって、そこで地球(というのも大げさ過ぎますが)は変形しなくなっていますね? はい、硬さ無限大になっています、です。
動いていない物にばかりくっつけたのでは面白くないとゆーか芸の無い話なので、動いている物にくっつけてピンと張らせたのが左の【F-14】です。動不異静、動即是静と云うことではなく、「動いている物」にです。誤解を避けるために丁寧に言うと、「実際にそこにある速度(静止も含む)を加速させているかどうかはいざ知らず、とにかく『加速度を表象として力学的に存在させている』物体」に接着させる、です。
しかし、それは「止まっている」以外の何者でもないじゃないか!、と揚げ足を取られるかな?なので図の中に「参考」として【F-6】のロケットに当たる機関銃弾の絵を再掲してあります。
普通になら対象の物体を加速できる能力のある異なる速度状態にある物体が、対象物体にそこで連続して当たっています。
詰まり、最終端は、動き続けているんです。
まあでも、ロケットで引っ張っているので、この図のままでは揚力が発生しませんから落下してしまいますけど、そこら辺はノズルの角度を調整して水平になるようにしてある、ですね。例によってのご都合主義で適当にです、それは。^^;
これでちょっとブタさんチームとウサギさんチームの綱引きを説明してみます。
この図の[B]は綱引きで両方ともに反対方向に動こうとして足を動かしているけれど運動の状態が同じなので(結果はバタバタしているだけになりますよね?)動かないそれです。
[C]は片方の運動が相手の運動よりも勝っているので、勝っている方向に運動して行くそれです、勿論。
この[C]で引っ張られる方のロケットにパラシュートをくっつけてあるのは、それが無いと差分で加速度運動をするからです。パッシブ(受動)でのブレーキはある状態までなら運動が増す分だけブレーキが強くなりますから結果的にフィードバックがかかって速度が一定になりますので。言うまでも無く、綱引きなら、これは摩擦抵抗になります。
勿論、もう言うまでもありませんが、壁とゴムボールバネとロケット、ロケットとゴムボールバネとロケット、パラシュートと小さなロケットとゴムボールバネと大きなロケット、のそれぞれは、そこにある力の釣り合いで一体になっている一つの物体です。その全体で一個です。それぞれを単独・独立の物としてはもう誰からも認識はされません。
【F-6】の図の力の釣り合いの、圧力と抗力をちょっと反省とゆーか細かく見てみます。良い例題ですので。
右の【F-15】の図の[1]は壁(c)と人(a)を圧力でくっつけて一体にした、ということのその模式図ですね。この図で人を壁のように埋め込んで(地球と一体化して)いないのは、まあ、あんまり力を込めて押すと、ズルッと滑って動いちゃうから、というだけのことで、大した意味はありません。
腕(b)は押されて変形したゴムボール・バネで模式図化、です。圧力側を紫っぽい色で、抗力側を灰色っぽい色で塗ってあります。
単位ゴムボールの中の力の矢印がちょっとおかしいと思われる方もいるかも知れませんが、バカボン・パパではありませんが「これでいいのだ」です。^^;
球形のボールを押し潰して楕円球にしたので、この楕円球は扁平な楕円球になります。で、です。
回転楕円体と呼ばなかった理由はここでお解かりいただけますよね?この扁平な楕円球は楕円を回転した軌跡では作れないからです。
楕円球というのも変な言葉ですが、扁平な球、というのもまた変なので、ここから以降、この楕円球を偏楕円体と呼ぶことにします。どうせ、変な用語で造語しなくちゃならないなら、もうヤケ(?)だ、徹底的に自己流で、です。^^
この偏楕円体の言葉には、真球や回転楕円体も含めますので、そんな用例が出て来ましたらそうゆうことです、でよろしくお願いします。
この図の[1]は止まっている物体同士の押し合いによる釣り合いですが、【F-14】のようにロケットで押しても勿論同じです。引っ張っているか押しているかの違いだけです。要するに、言うまでもありませんが、引っ張っていても、動かない壁からの力は「抗力」です。「抗力」という言葉にことさら特別な意味合いは無いんですよね。単純な力の釣り合いなだけで、ただ片方が普通では動かない物だというだけのものだ、というだけですね。
さてこの図の下の二つの偏楕円体の図[2]がここで一番言いたいことである、それです。
この「単位の偏楕円体」は、その外部との力の掛け合いが無ければ常に真球でいるものなのだ、です。
その真球でいるはずのものが、なんらかが原因して真球ではいない状態が「力が働いている」という状態だということです。
そして力の釣り合いとは、真球ではいない変形した状態の単位偏楕円体が真球に戻ろうとすることを外部から妨げて、単位偏楕円体の変形をそのまま維持させている状態のことだ、ということです。
これらのことは引っ張っても勿論同じです。そのことの模式図化が[3]になります。
ですから常に、力の釣り合いには力の掛け合いがある隣が必要なのだ、ということになるわけですね。
さて、一直線上の連続したゴムボールのつながりなだけであるゴムボール・バネは一個ではあっても単位ゴムボール同士相互での力の掛け合いは無い、とここではしています。
となると、これまでの説明では力学的には単に一列に接して並んでいるだけのボール達、なだけで、要するに、一定の形を持っているとは力学的に主張できない、というものになってしまいますよね? しかし、ですが・・・。
そう、ですが、なんです。
ピアノ線で力の釣り合いを考えて見ます。
左の【F-16】の図の[A]のようなピンと一直線上になっているピアノ線を[B]のように曲げます。まあ普通に手で曲げた、ですね。
真っ直ぐな[A]のピアノ線も一つの状態の形を保っているわけですから、当然にそのピアノ線の内部の総ての部分には力の釣り合いが存在しているわけですが、それはここでは全く考えに入れません。ややこしくなり過ぎて次に進めなくなりますからね。^^;
この曲がったピアノ線[B]の曲がった状態を作っている力の釣り合いを市販教科書で図示すると、これが[C]になります。赤い矢印と青い矢印の向きが真ん中と端っこでは逆になっていることに先ず注意してください。
[C]の青い矢印が何らかの事情で突然消えたとします。例えば、手で曲げているのならその手を急に離した、ですね。そうすると、ピアノ線は[A]に戻るわけですが、その戻る際の(最初の瞬間での、その瞬間限りでの)加速度を表しているものが赤い矢印だ、は勿論です。実際に、ですから、普通に力は加速度の矢印で図示されます。
ということで、困ったことに、なんですが、力の釣り合いは作用(この図では青い矢印)と反作用(この図では赤い矢印)だと初等理科からずーっとされているわけなんですよね。ついでに言えば、この作用は、即ち外部(ここでは曲げている手)からの力です。
でも、です。はい、ここでも、でも、なんです。
さて、ですが、ピアノ線の端っこをくっつけると(まあピアノ線なので針金で合わせて縛るとか溶接するとかでもしなければなりませんが)図の[D]のように円形になって、それからは外部からの力が要らなくなりますよね?
それともう一つ、青い矢印と赤い矢印が、手で曲げたときとは違って互い違いになりませんよね?
わざわざ(風船のようなものではありません)と図に書き込んであるのは、そう書いておいたほうが誤解がないでしょう、の念のため、ですが、この赤と青の矢印の釣り合いは普通に風船が膨らんでいる時の力の釣り合いとは違うからでもあります。
どう違うのか?をこの図だけで説明できないわけではありませんけど、それよりも風船の図を出してしまった方が簡単でしょう、なので風船での力の釣り合いの絵を出します。
右の【F-17】の図です。
風船は内部の空気の気圧と外部の大気圧が釣り合って普通には球形の形を維持しているわけですが、内部の気圧と外部の大気圧が等しいだけなら実はしぼんでしまいます。言うまでもなく、風船の表面のゴム膜をピンと張らせる分の圧力も内部の空気は持っていなければならないからですね。それで風船はその球形の形を維持しているわけです。
ですから風船の形を維持するための力の矢印は【F-16】の図のような内向きと外向きの力だけでは足りず、簡略化しても、【F-17】の図にしなければなりません。
しかしここで当然こう反論が出てくるはずですね。「結局は力の合成での釣り合いなんだから、風船も【F-16】の図と同じでいいんだ」と。う〜ん・・・。
でも、そのことへのどうこうを言うことはもうちょっと進んでからにすることとします。
ここでは、要するに、なぜ【F-16】の図の力の釣り合いでは困るのか?を【F-17】の図と比べながら話すこととします。
【F-17】の図の内向きの黒の矢印は合成した力の矢印なのでそれは放っておいて、他のどれか一つの矢印を半分にしてみてください。気圧の矢印は気圧なので現実にその内の一つだけを半分にするってのはかなり工夫をしないとできないでしょうが、まあ、どれでもいいですから、その内のひとつの矢印を半分にします。
そうすると半分にしたその部分は力が釣り合わなくなりますから力が釣り合う方向へと変形して行きます。
さてその部分的変形は当然に隣との力の釣り合いの状態を壊しますから、隣を巻き込んで変形して行きます。したがってまたその隣、そのまた隣と、結局全体全部が一部分の力の釣り合いが壊れたために、別の全体の釣り合い状態へと変形して行きます。
その変形して行く様子(姿・形)の予想は、【F-17】の図での力の釣り合いの状態を前もって知っていれば、できますよね? キチっと数値が置いてあれば、正確に計算して(計算はしかし大変になりますね^^;)変形して行く様子も最終結果も予測できるように想えますよね?
では【F-16】の図の[D]の図から一つの矢印を半分にして見てください(その図から矢印を一つだけ半分にするのも現実には大変ですが、それもまた同じく無視をして)。
勿論この場合でもその部分の力の釣り合いは壊れますから、その部分は変形します。しかし今度は(その図の力の矢印しか力の釣り合いが無いなら)その部分が、半分になった加速度で、半分にされた矢印の反対方向にすっ飛んで行きます。隣とは何のかかわりもなく、です。
詰まり、その部分に穴が開いた(その部分で切れている)だけの輪が残ります。全体のそのことによる変形はありません。
そんなバカな! ですが、【F-16】の図の[D]にある力の釣り合いの図示ではそれしか予想できないんです。
なぜか?は、要するにその図では各部分部分の隣通しをくっつけている力の釣り合いが描き込まれていないからです。つまりその図は円形の輪が出来ている図じゃないんです。部分(もう幾何学定義の点)が円形状に並んでいるだけなんです。(このことは【F-16】の図の[C]でも同じです。要するにそこでの力の釣り合い(みたいなもの)は形状を保たせている力の釣り合いではありません)
というわけで、【F-17】の図のようにくっついているゴムボールバネの絵にしなければピアノ線の輪もいけなかったんです。
しかし、どう絵を描けばいいんでしょうか?ピアノ線の輪はピンと張った丈夫な輪です。そして勿論、外部からの力なくして独立して自分内部だけの力の釣り合いで形状を保っています。でも、単純にゴムボールバネの端っこをくっつけただけではピンと張った形状は維持できません。それでは【F-13】の図の[1]のスポークが無い輪で、ブヨブヨどころか、そもそもで一定の形を持っているなどとは言えないものです。【F-13】の図の[1]でスポークが無い輪は内側に向かってグシャグシャになることが必然の輪なんです。
ではどんな風にゴムボールバネで円を作ったらそれだけで独立したピンと張った輪になるんでしょうか?
引いてダメなら押してみる、で引っ張って伸ばして両端をくっつけるのではなく押し潰して両端をくっつけてみたらどうでしょうか?
右の【F-18】の図ですね。
今度はこの輪は作れるような気がします。単位ゴムボールは球形になろうとしますが、その力は隣の球形になろうとする力に押し返されて(力が押し返されるというのも変ですが、ま、そんな感じでということですね)釣り合います。それで全体として円形の形を維持できるような気がしますし、絵に描いたぶんではこれでいいと思えます。
しかしこの輪は動的に極めて不安定です。極めてどころか、ほんの少しでも動いたら(動かされたら)その瞬間にグダグダ・グシャグシャになってしまいます。
この図の単位ゴムボールのどれか一つを引っ張ったり押してみたりしてみてください。その単位ゴムボールには隣との単位ゴムボールとのズレができ、そのズレで力の釣り合いが崩れます。その崩れる方向は当該単位ゴムボールが球形になる方向で、ズレた瞬間にそれを元の状態に引き戻す力が隣からはやってきません(力がやってこないと書くのも変ですが、これも、そんな感じ、です)。それでその単位ゴムボールは真ん丸い球になります。隣もそのために力の釣り合いが崩れますからそこも球形に、その隣もまたその、またまたその・・・で結局全体はグシャグシャになります。図ではそれぞれがくっついているのでそんな風にはならないように見えるかも知れませんが、要するに元に戻すようなフィードバック(力学的な)がかからないんです。詰まり、線状の針金を引っ張ってピンとさせることは普通にできますが、押してピンとさせることはできない、という日常の経験の通りです。
そしてこの輪は力の釣り合いが壊れるような方向への変形して行く力の不釣合いを内包させています。各単位ボール同士で隣と釣り合っている力を合成してみてください。この輪では合成して現れる力は外側向きになり、かつその合成した力と釣り合う内側向きの力の矢印はどこをどう合成しても出てきませんね?はい、これは、外側に向かってグシャグシャになることが必然の輪なんです。
ちなみに、引っ張ってピンとさせてる図はすでにいくらでも出て来ていますので、その内のどれか一つの単位ゴムボールをズレる方向に引っ張ったり押してみたりしてみてください。こんどは、ズレが原因で起こった力の釣り合いの崩れによる変形での力の釣り合いは、その部分が元の状態に返ろうとする方向で釣り合っていることが直感的に分ると思います。ええ、ですから、引っ張って伸ばした針金はピンと張っているんです。
さて、では、どんな絵を描いて、これが輪になっているピアノ線に存在している力の釣り合いだとして図示したらいいんでしょうか?
引っ張って端っこをつなげて円にした輪は内側に向かってグシャグシャになります。
押して端っこをつなげて円にした輪は外側に向かってグシャグシャになります。
となれば、、、。
そうです、ここで閃きます。^^
内側に押して端っこをつなげて円にした輪、外側を引っ張って端っこをつなげて円にした輪、その二つを合わせて一つの輪にすればいいんだっっっ!
それが右の【F-19】の図の[L]です。
内側の偏楕円体の輪は、それぞれの偏楕円体が球に戻ろうとするために外方向に潰れます。その外方向には内側に潰れようとする偏楕円体の輪がありますから、その内側に潰れる力と外側に潰れる力とが釣り合って、どっちにも潰れなくなります。それ自体だけでピンと張った独立した円形の輪が出来る、というわけです。
これを偏楕円体を使わずに、力の矢印で円形の力の釣り合い表したものがその絵の右の[R]です。
ということでピアノ線の輪の力の釣り合いはメデタシメデタシ、となりました。実際、内側が縮む外側が伸びる、で丸まるものは普通に見ていますよね?
というよりも、もうその理由以外で曲がっている物体は無いんじゃないかしらん?、ですよね。
イカやエビに切れ目を入れずに揚げたてんぷらならそのままでも丸いままですが、ピアノ線の輪ではその縮んだ内側が伸びようとし伸びた外側が縮もうとしているので輪のままでいる、ということです。
このことは、輪として自立独立で完結しているものではなくて1部分だけが曲がっているもの(【F-16】の図の[B]のようなもの)でも同じです。要するに、「曲がっている」部分の「力の釣り合い」は【F-16】の図で表現されるものではなくて【F-19】の図で表現されるものだ、です。
とはいえしかし、はい、また例によってしかし、です。この【F-19】の図もちょっと面白くないんです。
面白くない理由は、2層になっているからですね。【F-19】の図の右の線で描かれたピアノ線の輪では、内側外側で二組の力の釣り合いを表示しなければならないので、偏楕円体を2層にしたっていいだろう?なんですが、1層1組じゃないと古典論じゃあ美しくないんですよね。それに、最終的には無限小の連続した点で表現しますから、やはり1層にしないと、それはいけません。
というわけで(?)、1個の偏楕円体で引っ張る縮むを表現できるようにします。
それが左の【F-20】図です。
回転楕円体では「扁平」が表現できません。それでそれを表現できるように、回転楕円体を潰しました。つまりもうとっくに回転楕円体とは違うものになってしまっているんですから、ことのついで(^^)です、力の偏楕円体はタマゴ形も【あり】だとしてしまいます。
タマゴ形なので尖っている方は球が押し潰されていてそうではない側は球が引き伸ばされている、となります。これがグルッと円形になってピアノ線の輪の力の釣り合いを作っているんだ、ということです。
そのタマゴ形を形をそのままにして大きさを限りなく0に近づけます。詰まり、無限小の「点」にする、ということです。その無限小の点を無数個連続させた円が、力の偏楕円体による力の釣り合いを描いたものである、ということです。
これで、やれやれ、で、曲がるということの力の釣り合いの表現は完成です。
と、蛇足ですが、無限小だとして点だとしていないのは、位置があって大きさが無いという点の定義がイヤなのではありません。「形を持つ点」と言ってしまってもいいんでしょうが、やはりそうは言ったらどっかから文句が来るかなあ?と思ったからです。
「質点」って云う概念はもう中学理科でも出てきますよね?詰まりそれは「質量を持つ点」だと云うことは勿論です。同じく「形(力の全方位方向とそのそれぞれの方向への強さ)」を持つ「力の点」って云う概念で力をどうこうと言いたいわけです。ただやっぱり、、、で。それで無限小と云うことにしたわけです。なので、「点」だとしてくださっても勿論かまいません。
ちなみに(正の)無限小とは、ある大きさを持つ一つの数値です。ただし、0以外のいかなる(特定されている)数値と比べても小さな「数値」のことです。なので、限りなく0に近い「数値」だと云うことになるわけです。
とゆーわけで力の偏楕円体にはタマゴ形も考えることにしましたが、それでも力の釣り合いを表すには十分ではありません。それで、力の偏楕円体の形状にもう二つの幾何学的形を追加します。
図示は右の【F-21】の図で、即ち捩れている偏楕円体と球形の歪を持つ楕円体です。
「捩れ」は右に捩れるのと左に捩れるのとでは違います。またその偏楕円体自身のx,y,zの3軸でそれぞれ同時に独立した捩れを存在させられます。ですから「捩れ」には6通りのねじれの状態が存在することになります。【F-21】の図では一通り一つだけの「捩れ」しか描いてありませんが、単に絵を描くのが大変になるのでやめた(^^;)だけで、それしか捩れの状態が無いということではありません。
この捩れている力の偏楕円体で描かれる力の釣り合いによる形状の維持とその崩れによる変形が、実は勿論正に、でバネ(普通によく見るコイルバネ)とその伸び縮みです。
「球形の歪」と云う言葉は可笑しな言葉だってばそうですが、方向に寄らない一様な緊張がある球だと云うことです。更になんのこっちゃ?かも知れませんが、本来の球よりも大きい小さいと書くと幾何学的大きさが変わっているのか?と思われるかな?なので。
絵に描くと幾何学的大きさが表れているようにしか描くことができないけれど、その大きさは「緊張」だってことです。その「緊張」がゼロのもの(歪の無い球)になる方向がその力の方向だ、ですね。
絵に描いたら大きくなっているように見える球形の歪みはマイナスの球形歪、小さく描かれるならプラスの球形歪だ、とします。
プラスとマイナスが逆のように感じられるかも知れませんが、ここでは、「あっそう」以上には思わないで下さい。このプラスマイナスは勿論方向を表しているだけで、正負の意味は存在しません。
と云うことの以上の全てで、力の偏楕円体の幾何学形状は必要十分なものになる、です。(ひょっとしたらまだ追加しなければならないかな?もありますが、ま、これだけで大丈夫でしょう、多分)
【F−17】の図では風船の力の釣り合いが力の偏楕円体と力の矢印の混ぜこぜで描かれていて統一が取れていません。これはこの方が解かり易いからこれでいいじゃないか、かも知れませんが、解かり易い解かり難いは慣れの問題でもあります。というより、なにより統一が取れていないと、そもそもでここでの力の反省が中途半端になっちゃいます。なので力の偏楕円体だけで膨らんでいる風船にかかっている力を描きます。
それが左の【F−22】図です。
風船の内部気圧の方が外部の大気圧よりも大きいことを、偏楕円体の幾何学的大きさではなくて色合いの濃さで表しています。
言うまでもありませんが力の強さを代数的に表せば偏楕円体の寸法になります。でもそうだからでその通りに図示すると、力が強いということは形の単位が大きくなっていることだ、と誤解されることが多いですよね?なにより、絵があっと言う間に大きな偏楕円体に占領されてしまって細かく丁寧には描けなくなります。
それで大きさは同じままで(代数による形の大小は(頭の中で))色合いに変換する、をやりましょう、なわけです。
力の偏楕円体の大きさは絵に描く場合には、解かり易い大きさの「任意」ですが、勿論本来は「無限小」です。
なお【F−22】図は【F−17】の図をそのまま流用したものなので風船の膜を張っている力を表している偏楕円体は単純に楕円になっていますが、その膜の内側の扁平度は外側よりも高い(より平らになっている)様になっている偏楕円体だとしてください。詰まり力の偏楕円体では、相対しているそれぞれで扁平さが違う潰れ方もあり、だということです。
【F−22】図では全ての部分で力は釣り合っているということは忘れないでください。力が釣り合っていない部分はどこにもありません。つまり、ある部分の力には必ずそれを押し返す(引っ張る)同じ大きさの力が隣り合っています。詰まり、力は切れることなく常に連続しています。
大気圧の一部分だけの釣り合いを崩すのは(この図の例では)大変ですからそれ以外のどこかの部分の釣り合いを崩してみてください。当然にその部分は変形し、それが結局全体を変形させます。要するにそれは、風船が膨らむ(しぼむ)ということですね。
連続している大気は膨大な量がありますから、この図のような例では、無限の彼方までその連続は続いている一様な力だとしていいですよね? 詰まり、こんな程度の大きさの風船の形の維持では、大気の圧力の連続はその端を考える必要は無いので、完結している(形が恒常的に一定になる)としていいわけです。
勿論、マクロでは大気は全く力は一様ではありませんけどね。それで風が吹くんだ、と(実は)言いたいんですが、風は色んな要素が絡み合っていて非常に複雑怪奇(?)ですから、勿論そうは簡単に言えません。でも大気でも、天気図に描かれるような非常に大きなサイズでの「マクロ」での話ですが、力が釣り合っていないと変形しそれは風になる、も風の原因のその一つの要素では勿論あります。
ちなみに、この図の風船の膜を表している楕円のどれか一つを消してみてください。その釣り合いの崩れは、即ち風船を針で突いたそれですよね? ですからその場合では瞬間的に風船は破裂します。
さてこれまで述べて来たことから重要な問題が起こります。それは
A:力の表現は「力の矢印」で表すのが力の本質に近いものであり、
. . 偏楕円体での表現は解かり易くするための図示限りの便宜である。か?
B:力の表現は「偏楕円体」で表すのが力の本質に近いものであり、
. . 力の矢印での表現は簡易化して計算し易くするための便宜である。か?
そのどちらなのだろうか?の問題です。
A:は言うまでも無く市販教科書の「力」に準拠。B:はしかしながら市販教科書とは全く異なる、この教科書で言っているところの「力の本質」です。
勿論その答は「B:」になります。そう言わないなら、実際、なにもこんなに苦労してここまでやる必要なんかなかったんですからね。 ^^
とゆーことで、総論「力について」は一応ここまで、です。実はまだ大きな問題があるんですが、それぞれにある別の項目で色んな各論をやる時に、それはそこで、とりあえずのちょこちょことでやることにしました。
ところでこれ、去年の十二月の早いうちには終わらせるつもりだった項目だったんですよね。そうなのにえらい手間隙がかかっちゃった。
まあ、ちょっとくだらないネット遊びをし過ぎたな、もあって、反省するところでもあります。^^;
ところでちょっとこの教科書作りはほっといて、しばらくは他のコンテンツ作りに励む予定です。他のコンテンツ(特に叙事詩 ^^;)があんまりにも放ったらかし過ぎていますので。
勿論この教科書(?)も、誤字の訂正やちょっとした文章表現の訂正は、不都合・不具合が見つかればその都度しますけど、大きな更新はしばらくはありません。
(1012/03/31)