膨張する空間はその下位構造として「その空間を存在たらしめる空間」を存在させなければならない、を膨張宇宙のついでに簡単にやって置こう、だったんですが、相変わらず「時空の歪み」だのなんだのと世の中では利口ぶった人達がアホなことを言っていますから、きっちりと、そーゆー空間はですね、2階建ての空間になっているんですよ、の説明をここですることにしました。
とはいえ空間論はとてもレトリックが厄介で、絵を描くのも結構大変になりますから、さっさっさー、とは行きません。それでのんびりと、例によって(いつ完成するかしらん?)のその連載形式になります。ただ基本的にはずっと前にどこかで言ったこと(としか、しかしそれを言えないんだし、自分の言ったことさえ資料として引用が出来ないってのは、辛いと言えば辛いし、何より情けないけど、しょうがないな・・・。と、ちょっと愚痴・・・)の焼き直しなので、ロジック自体は出来ています。でも、多少のそれへの補足・追加・訂正も出るかな? ですが。
でもあれですね、「光速度不変の原理なんて原理は存在しません」、と言えば特殊相対性理論はオシマイ、「等価原理なんて原理も存在していません」と言えば一般相対性理論はオシマイ、なんですから、そうゆっちゃた後ではここは、相対性理論の空間論がどんなにアホな空間論かを言うことがメインではない、純粋基礎論としての空間論になりました、ですね。
(純幾何表現での3次元を超える空間の表示は(数学的天才(なんているの?世の中に?ですが)が頭の中で形而上学的に描くそれなら)可能か? 純幾何表現ではそれは不可能だとしても代数表現なら可能になるか? 代数表現でもそれは不可能だとしても4次元空間なら(3次元までの座標軸を実数とし、もう一次元を虚数軸としてそれに付け足して、4元の複素数空間だとして空間表示をする、で)それは可能になるか?(これなら4次元空間表示が可能かも?は、複素平面で複素数を図示するための虚数軸が、実数軸に対して直交して描かれるからですね。(蛇足の*注* その空間が4次元空間であるためには、そこで座標を表す4本の座標軸のそれぞれがそれ以外の座標軸に対して全部直交していなければなりません。勿論座標軸の原点は空間内の任意の場所に置けますから、4次元空間内の全座標点は、すべてのその点上で、そのそれぞれがそれ以外に対して全部直交している4本の直線を引いています。このことを知らずに(もうまったく全然解かっていないで)4次元空間がどうのこうのと言っている人ばかりなので、念のため)) を本質的空間論の準備としてやる予定ですが、それはここでは(“非ユークリッド幾何空間”の項では多少はどうしてもやらざるをえませんのでそれに必要な分だけはやりますが)やりません(それに関しての一般通用の市販教科書(勿論その馬鹿さを例にして数学者や物理学者の空間をコケにしながら説明するんですが)を当分買いなおせないんで(相変わらず、文庫本でさえも買えない経済状態ですからね)。で、いつものようにここで、「クタバレ、クソババア!」 (そしてまた、グスッ・・・)っと。ちなみに、この「可能か?」のその答は、全て、「不可能だ」になります)
【A】”直線とは真っ直ぐな線である” 普通通用のこの直線の定義を、しかしきっといわゆる科学者たちは直線の定義だとはしないでしょう。曰く、「数学的厳密さが無い」ですから。もっともこの教科書(?)でお勉強(??)されている方は、科学者とゆー人たちはいかに「科学的厳密さが無い」科学を真実として世に通用させているかを良く理解されていることと想いますから、「○○的厳密さが無い」の批判は、勿論ここでも全く気にはしません。
まあでもちょっとカッコつけて「数学的厳密さが有る(?)」定義で直線を定義しますと 【B】”直線とは2点間を結ぶ最短の線である” になります。この【B】の方の定義には「真っ直ぐ」と云う、これはちょっと反省が必要かな?の言葉が現れませんから、一見優れているようには確かに感じられはします。でも(?)がすぐに起こります。「【B】は直線の性質であって定義ではないんじゃないか?」ですから。
詰まり【A】の定義から【B】は導かれる(証明できる(でしょう、多分。やってみませんけど))けれど【B】だけでは【A】を結論とはなし得ない(【B】は曲線の極限値として当然に直線を導こうとするけれど、曲線の極限値を真っ直ぐだとするためには【B】以外の何かが必要だ)んじゃないのか? ですから。
そしてその上に【B】の定義の何よりもの欠点は「真っ直ぐ」と云うイイカゲンな言葉が無いためにかえって厳密さが損なわれ、いわゆる非ユークリッド幾何学を誤解させてしまっていることになってしまっていると云うことなんです。実際みんなが直線と云うことは【B】と云うことだとしたが故に非ユークリッド幾何学を誤解し、結果空間を2層仕立てにしてしまって、しかしそれに気がつかず、2層なのに1層だとしてあーだこーだと言っているのです。(蛇足で 【B】の定義では、捻じれ線を2点間を結ぶ最短の線(直線)から排除出来ない、の欠点もありますよね?)
真っ直ぐってどうゆうことなんだろうか? を誰かに尋ねてみましょう。尋ねられたその誰かは、勿論「真っ直ぐとは曲がっていないと云うことである」と教えてくれます。では曲がっているってどうゆうことなんですか? と更にその誰かに尋ねることとなりますが、「曲がっているとは真っ直ぐではないと云うことである」と更に教えてくれます。そうなんですが、この教科書(?)にアクセスされて面白いと思われているような人は、それではしかし納得しませんよね。それで「あの〜、だけどそれじゃあ結局ぐるぐる廻っての循環論で『真っ直ぐってどうゆうこと?』、の何の答にもなっていないと思うんですけど・・・」と教えてくれたその誰かに恐る恐る(怒られるのは予想出来ますから)言うことになりますが「それで解からない奴はバカだ!」と矢張り当然に一喝されてオシマイです。ま、それはしょうがないですかね。その誰かの答では「真っ直ぐ」が解からない、なんてゆー人の方が、それは悪いんですからね。
でもこの誰かのその答を「真っ直ぐって何?」 の正解だとしてみます。詰まりこの答を正解だとするアンチョコはどんなアンチョコなんだろうか?です。勿論すぐにそれは解かりますよね。「線には根本的に直線と曲線がある。直線だけでは直線を直線とは出来ない、曲線だけでは曲線を曲線とは出来ない」の二元論です。
ですから、多分、この二元論を避けたいとゆー理由もあっての既述【B】”直線とは2点間を結ぶ最短の線である”を直線の定義とする、なんでしょう。この定義なら「曲線一元論」で直線を定義出来るような気がしますから。
さて「真っ直ぐ」の超エリートに「まっつぐ」があります。道はまっすぐ柱はまっつぐのその「まっつぐ」です。道と柱との比喩で解かります様に「まっつぐ」は垂直方向一直線の真っ直ぐだけがあるまっすぐです。横に倒れていたり斜めに傾いていたりの真っ直ぐはまっつぐではありません。しかし、だから真っ直ぐにも色んな種類の真っ直ぐがあるんだ、とはなりません。平行移動や回転でどんな真っ直ぐもピッタリと重なりますから。詰まり真っ直ぐには一つの真っ直ぐしかありません。
それとは違って「曲がっている」には色んな曲がっているがあります。その種類の数を数えれば無限大です。ですから世界には「曲がっている」しかなくても「曲がっている」は判かるんじゃないか? です。 「『曲がっている』しか無え世の中だとお?べらぼうめ。テメエみてえな事を言う奴がいるから、世の中、いつまで経っても真っ直ぐにはならねえんでえ、この大バカヤロウが」えっとお・・・。 ま、要するに、「真っ直ぐ」を言うためには「曲がっている」が必要だとしても曲がっていると云うことを言うためには曲がっている事だけで足りるんじゃないか?と云うことですね。
でも「曲がっている」だけで本当に「曲がっている」は判断出来るんでしょうか? 二本の線がありそれを平行移動させたり回転させたりしても重ならないなら、その二本の線は曲がっていると言えるんでしょうか?勿論言えませんよね。その片方の一本は直線かも知れませんから。また仮にどちらの線も曲線だとしても、どちらがより大きく曲がっているかは言えませんよね。どちらを基準にするか?で基準ではない方の線がより大きい曲がりの曲線だ、とされますから。
「それは二本の線だけで比較して判断しようとするから判らないんだ」なんでしょうか? では、で、無限に色んな曲線を集めて比較を無限に繰り返したら、「より大きく曲がっている、より少なくしか曲がっていない」が判別できるんでしょうか?(この「?」を考える際には、曲線しかない、詰まり「先経験的には直線は存在しない」が大前提になっていることを忘れないで下さい、絶対に) その答は「YES」だと誰もが言いますよね。そうやって出した偏差値50点の極限値曲線は正に【B】”直線とは2点間を結ぶ最短の線である”のそれですから。 でも、なんです。にもかかわらず、なんです。この曲線だけで出した偏差値50点は、曲線ではなくて直線で点数を付けた点を集計して出した偏差値なんです。詰まり「先経験的には直線は存在しない」が大前提になっていることを忘れている、とゆーより、全く気付いていない偏差値50点の極限値曲線なんです。「えっ?」
以下製作中です。
この項の製作再開がちょっと(ちょっとかなあ?)遅れそうなので、(丁寧に順序立てて説明して行かないと誤解されるかも・・・、なんですが)取りあえず、真っ直ぐって何?の結論だけ言って置きます。
直線とは、それが線であると云う以外には何の性質も持っていない線である、です。解析的に言うと、その線上の全ての点は、それ以外の他の全ての点と属性を全く同じにしている点である、です。
真っ直ぐとは、それが「それ」であると云う以外には何の性質も持っていない「それ」のことである、です。
即ち、真っ直ぐとは、真っ直ぐだと云うことである、です。而うして、故に、直線とは真っ直ぐな線である、だと云うことなんです。
ですから、曲線とは、それが線であると云う以外に何かしらの性質を持っている線である、です。解析的に言うと、その線上の全ての点の内の必ずひとつには、その点と属性を異にするそれ以外の点がその線上に存在している、です。
即ち、曲がっているとは、真っ直ぐではないと云うことである、です。詰まり、曲線とは真っ直ぐではない線である、なのです。
このことの結論としての計測論は、
「その線が曲線であるためには、その線上に必ず一つ以上の特異点が必要である。ところでその特異点が特異点である所以は、その特異点は、何の特異性も持っていない点とは違う性質を持っている点なのだと云うことである。詰まり、その特異性は非特異性との比較によって存在たらしめられる。従ってそれを比較する非特異性の点が、当の特異点と全く同じ場所に存在していなければならない。即ち、その曲線が存在している同じ場所に、それと比較する直線が存在していないなら、その曲線は曲線だとして計測されない。その場所の曲線が曲線だと認識されるためには、その同じ場所に直線が存在していることが絶対必要条件なのである」、
となります。(*注* 曲面・曲立体の存在の認識のためには、同じ場所に平面・直立体が必要だ(この言い方は誤解されるかな?)、は詰まりは、それが曲がっていることを表現している曲線には直線(真っ直ぐな空間)が同じ場所に絶対に必要なんだと云うことで、曲線と直線の比喩ではありません。曲線と直線の存在と認識のそのものです)
ですから、その空間がそこで曲がっているなら、その空間はそこで、絶対に曲がっていない真っ直ぐな空間との2層仕立てになっているんですよ、と云うことなんです。
幾何曲線を代数の曲率で表現しているんだからその場所に幾何直線の存在は必要とされない、じゃないんです。その「代数の曲率」はその曲線を曲線として存在させるために、そこに絶対存在している比較する直線がしている計測なんだ、なんです。詰まり、そこにある「代数の曲率」は、正に伸びも縮みもしていない真っ直ぐなだけの「直線空間」そのものなんです。
線の空間論は、曲線1元論じゃないんです。直線1元論なんです。
とりあえずのついでで ↓
(もうちょいここの概念は詰めた方がいいかな?なんですが)平面とはそれが面であるためにそれ以外の面を必要としない面である、です。解析的に云うと、面上の全ての点はその面一つだけで決定されている、です。したがって曲面とは、それが面であるためにそれ以外の面を必要とする面である、です。解析的に云うと、その面上にはその点を存在させるためにそれ以外の面の存在を絶対必要条件とする点が1つ以上ある、です。
(ここの概念はもっと詰めて、さらに丁寧にやらないと間違いなく誤解される・・・なので、今の段階では言わずもがななんですが・・・・・)進んで、直立体とは、それが立体であるために他の立体の存在を必要としない立体であり、その立体内部の全ての点はその立体一つだけで決定されている、です。したがって曲立体とは、その立体内部に、その点を存在させるためにその立体以外の立体を必要とする点が1個以上存在している立体である、ですね。
しかしあえてここで(誤解も恐れず?)、でも面と立体のそれも言って置くのは、曲面は2次元じゃありません、4次元では点(数そのもの)も4次元なんですよ、を兎に角理解していただきたいからです。
【数】って国語的には数えるための名詞ですよね。1,2,3,4,5,・・・、と。
例えば小数といい分数といい、この数えるための言葉と云うこのことは同じですよね?。 0.1と云う数は、10数えてから1と数えます。3分の1は3っつ数えてから1と数えます、なので。
ということで、有理数はいいわけですよね。詰まり有理数は、数えている【数】です。
↑ の理解だけで普通の日常生活で困ることは起きません。しかし学校の算数・数学の授業ではもう小学校のそれで、すぐに困ることが起きます。勿論円周率(π)が現れるからですね。
極端な言い方をすれば、πは有理数(数えられる数)ではないのだから数ではない、としてしまっても実用上はかまわないんですね。計算でπを使うときには、必要な分だけの細かい数値をπだとすればいいだけですし。またしかし、実際では、勿論そうしているんですよね。
要するに実用世界には無理数なんて存在していませんし、むしろそんなものを存在させたら実用世界が存在するのが無理になってしまいます。
かくして現実の世にあわせて、無理数なんて数は存在しないのだ、としてしまえば実に簡単な数学になるんですが、そうは職業数学者の皆さんはしてくれません。で、実用世界も曲世阿学(?)で数学者の生活のために変な【数】をまっとうな【数】として採用しているわけですが。(^^;
さてではこの変な【数】、いったいどこから出て来た数なんでしょうか?
(e)みたいなものもそりゃありますけど、もちろんどなたもご存知のように、幾何学からですよね。円周率(π)が人類史初の無理数だったわけですし。また実際のところ、幾何学的な計算の答はいつも沢山の無理数になってしまうことが普通ですよね。 で、です。何んで幾何学計算では、答が無理数になることが多いんだろうか? です。
ところで、〔1/3〕のようないわゆる分数でしかシャキッとした数字で表せない数は、数か?計算式か?、という問題を見たことがあります。しかしこの答は、「数です」で終わりなだけですね。3分の1が無限小数になる(数え切れない)のは、数え方だけの話だからです。10まで数えて3っつずつ消していったから余りが出るんです。3まで数えて1つずつ消して行けば余りは出ない(数え切れる)んです。
詰まり、有理数だけでの四則演算は数えているってことです。このことを直感的に理解できる計算機に手回し計算機がある(あった)んですが、ま、それを例にしたってしょうがないですよね、今の時代では。ちなみにしかし、私は、この手回し計算機が使えます。エヘン。「威張るよーなことか!」フンっ。
ですので、よく見かける【1+1=2 はなぜそうなるのか?】の哲学的数論(?)も、それだけのことです。並んでいる物を1,2,・・・と数えたんです。AとAとを並べて、A,B,・・・とは数えずに、1,2,・・・と数えた、それだけのことです。
しかし四則演算に無理数も加えるとこうは単純に言い切れなくなります。無理数は、どう数えても数え切ることが出来ませんから。なので。
【無理数は実在するか?】の答は、【実在する】だけがその答ですね。幾何学図形は描けますから。このことに証明が必要かどうか?は知りませんが、ま、ですから、無理数の存在は疑問にはならない自明の【事実】です。
問題は、数えることが出来ない【無理数】を【有理数】と全く同じ数だとしている【実数】では、では?四則演算とは何んなのだ?です。
以下製作中です。
「数・量・スカラー」はやってる途中でかなり深刻に考え込んじゃって、当初の予想通りのように簡単には行かないかも? ですが、しかし案外すんなりと行ってしまうかも? ですね。 さてでもどっちになるんでしょうか? (^^;
なお、表題が「数と量とスカラーと」で「と」をくっつけたのは、文学的修飾ではなくて、あっさり簡単にそのままで使われている『当たり前』でしかない(世間・講学では)ものだけど、これも良く反省しなくっちゃいけないんだよね、の概念だからですね。