非ユークリッド幾何空間


 2層仕立ての空間の話は非ユークリッド幾何抜きで出来なくちゃ本当はいけないんですけど、直線と曲線の話から始めちゃったんで非ユークリッド幾何と無縁のレトリックを作るのにもう艱難辛苦。それで仕方なく、非ユークリッド幾何の成立する空間ってどんな空間なの? を先にやって置くことにしました。ただこれは、空間が2層仕立てになっていると云うことのそれそのものなんですが。

 ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何のそもそもの違いは右図の通りのものですよね。
 で、なんですが、先ず最初の注意は、右図で曲線みたい(?)に描かれている線は直線なのだ、と云うことを間違えないで下さいと云うことです。また、どの絵も2次元平面に描かれているのだと云うことも、理解して置いて下さい(ですから非ユークリッド幾何を論ずるのはちょっと形而上学っぽくなります)。この二つを誤解して非ユークリッド幾何を云々している人(数学の先生でさえも)ばかりなので、先ずこれは言って置きます。ただし線Lと点Pが平面幾何の線と点だと云うことではありません。立体幾何(あえて3次元幾何とは言いません)でもこの公理(公準)は同じです。ただ右の図示では、線Lと点P、そして曲線のようにに見えるすべての直線は、同一平面上に描かれています、と云うことです。
 ところで、リーマン幾何って相対論では良く耳にしますけどロバチェフスキー幾何って相対論には出て来ませんよね。でも相対論の帰結だって言うあの曲がった空間て、それを仮に認めたとしても(仮にでも認めません、はこの教科書(?)の勿論なんですが)、実はロバチェフスキー幾何空間で、リーマン幾何空間じゃないんです。それで相対論を仮に認めたとしても、その帰結は、ブラック・ホールが存在するなら、いかなる方法でもブラック・ホールは見つからず、何がしかの方法でブラック・ホールが見つかるのなら、ブラック・ホールは存在しない、になるんです。その存在はその認識を否定し、その認識がその存在を否定する。存在と認識が排他背反になるその事はこの項のMakingが進むに連れておいおい解って行かれるでしょうとは思いますが。でも、にもかかわらず、「白鳥座X−1がどうの、銀河中心の巨大ブラック・ホールがこうの」と、相変わらずアホなことが利口なこととされているだけですよね、世間では。昨日も今日もそして明日も。・・・。

 さて、「真っ直ぐとは?」ですが、答は「真っ直ぐとは曲がっていないと云うことではなくて、真っ直ぐだと云うことである」です。詰まり、「真っ直ぐとは真っ直ぐだと云うことである」です。これでは全く何んの答にもなっていないと思われるかも知れませんが「あっ!」とこれでひらめいてくれる人もいるかも知れません。でもここでひらめかなくてもいいです。この「真っ直ぐとは真っ直ぐだと云うことである」はこのページの製作が終わって「2層仕立ての空間」に戻った時にキチンとやりますから。
 ユークリッド幾何でも非ユークリッド幾何でも、定義は勿論全く同じです。直線の定義も従って同じです。「直線とは真っ直ぐな線である」です。平面も、非ユークリッド幾何での定義のそれも同じく「平面とは真っ平らな面である」です。(従って、立体とは真っ立て(?)な体である、なんですが、ちょっとこればかりは、ここでの論では、論外に置いて置きます。ただ「2層仕立ての空間」のMakingが最後まで進めば、そこで、「真っ立て」って?、も解かります)この直線と平面の定義の上に非ユークリッド幾何は幾何論理を組み立てて行きます。当然に、非ユークリッド幾何による図形は形而上的になります。しかし形而下では非ユークリッド幾何を図形化出来ないと云うことは、図形の学としての幾何学として面白くない、と云う以上に、「何故形而下では図形化出来ないんだ?ユークリッド幾何とその無矛盾性は全く同じなのに?」の、論理の学としての幾何学としても面白くないわけです。
 世間的にはしかし、非ユークリッド幾何は簡単に形而下で図形化されています。何の反省も無しに。それが即ち「直線とは2点間を結ぶ最短の線である」なのです。したがって「平面とは2点間を結ぶ最短の線が引ける面である」でもあります。
 この俗っぽい(?)形而下の「非ユークリッド幾何」なるものが、今どこでも講釈されているところの非ユークリッド幾何学です。で、以下その、「形而下の非ユークリッド幾何」をここでも、仕方ない、ちょっと講釈することとします。 (ただし、なんですが、「形而下の非ユークリッド幾何」はその講釈が終わった後で丁寧に反省し、キチンと「形而上の非ユークリッド幾何」で訂正します。そのことは前もってご承知置き下さい。要するに、数学者や物理学者や天文学者が、「(馬鹿じゃ理解出来ないんだが)これが自然の真実の空間なのだ」と知ったかぶりの得意顔で説明している空間は、その空間論を真実だと認めるとしてさえも、それでさえアホな空間論なんですよ、とゆーことです)

 図形化されている非ユークリッド幾何は左図のようなものですね。で、この絵なんですが、形而上的な非ユークリッド幾何学を形而下でなんとなく解かったような気がするための便宜としての絵ではなくて、実際に形而下で実在とされている非ユークリッド幾何空間だと云うことに先ず気を付けて下さい。ですからわざわざ「曲平面」だの「曲直線」だの「曲図形」だのと書いてあるのです。もしこれが形而上学で描かれているのなら、EAE−1図のように、「(*注* 曲面に見えるけど平面です。曲線に見えるけど直線です。ひん曲がった図形に見えるけど真っ直ぐな図形です。このことは絶対に忘れないで下さい)」と注を入れていますから。
 この絵で面の曲率に正負があるのは、この絵のそれぞれの面が何かしらの立体の表面だとした時の曲がり加減の方向が、内向きか外向きか、と云うことです。正ならばその曲平面は立体の中心方向に曲がっていて、負ならば曲平面は立体中心とは反対方向へと曲がっています。(この曲平面をちょっと間隔を空けて無数に重層したものが、曲がった空間の図形化だと想って下さい、とりあえずは。(*注* でも、とりあえず、です、念のため)) とゆーことは、もし空間が曲がるとゆーことの原因がその中心方向からの何にかしらの力によるものならば、その力は、ロバチェフスキー幾何なら引力だととりあえずは言い張れても、リーマン幾何ではその力は斥力だとゆーことになってしまうんですよ、と云うことなんですね。 更にその上で、リーマン幾何面への斥力は、力の原因から遠い距離ほど強く働く(曲がりが酷くなる)とゆー実に困った力になっちゃうんですよね、これが・・・。でもそれでも、相対論の空間はリーマン幾何空間なんだと、まだ利口ぶって言い続けますか?数学者の皆さん、物理学者の皆さん、そして天文学者の皆さんは?
 しかしまあこれで、ユークリッド幾何か非ユークリッド幾何かの違いは単に空間の曲がり具合なだけなんだ(そーです)とゆーことになりますから、曲がりが正ならロバチェフスキー、ゼロならユークリッド、負ならリーマンだとゆーだけのことで、この3っつの幾何学は全く同じものな(んだそーです)のだとゆーことです。となるとフツーの空間は非ユークリッド幾何空間であるのが当たり前で(かなあ?)、成立条件が厳しいユークリッド幾何空間であることの方がむしろ大変に特殊で非常識なことなんだとゆーことが宇宙では常識だとゆーことなんです。詰まり、地球の常識は宇宙の非常識、なんですね。(ホントかしらん?)
 兎に角そんなわけですから、重力で空間が歪むとゆーこともあって当然です。そして1919年、太陽の周辺では空間が曲がっていて星が外側にズレて見えたとゆー大発見は、正にその事を否定し得ざる真実として証明したとゆーことは皆様ご存知の通りです。かくして時代は下って現代では、もう宇宙のあちこちで曲がった空間、即ち重力レンズ、を沢山沢山発見しています。それも勿論、言うまでもない世の中の常識ですね。

 ちなみに。重力レンズって左の絵のようなものですよね。で、この絵なんですが、1919年の日食観測での太陽周辺の空間の歪みだってならともかくとして、右の絵(写真?)みたいな銀河周辺の空間の歪みだってことになると、(うん?)なんですね。
 そりゃ銀河の全体の積算重量と1個の太陽のそれでは、正に月とスッポン。従って当然に銀河には巨大なレンズが出来ますよね。でも、銀河の大きさもまた巨大なんですよね。確か天の川銀河で直径10万光年でしたよね? 銀河中心に全重量を置いて(詰まりそこに銀河の重心があるとして)そこからの距離でそれぞれの距離にある重力ポテンシャルを計算すると、端っこの5万光年あたりまで行くと、銀河全重量による重力ポテンシャルなんて、無いと同じのゼロでしょ? だから銀河に重力レンズが出来ているとすると、銀河中心部だけに重力レンズが出来ているのであって、銀河周辺部は素通しメガネなんですよね。
 『銀河は明るいからその後ろにある銀河の光は観測できない。しかし重力レンズ効果で後ろにある銀河の光は観測出来るのだ』なんだそーですけど、どっちみち後ろにある銀河の光は、前にある銀河を突っ切って来るしかないんですよね。銀河周辺での重力ポテンシャル程度では、そもそもで、重力レンズは作られませんから、それを利用して銀河を迂回して来るなんてことは出来ないんですからね。
 それなのに何んで、右の絵(写真?)みたいな絵が描ける(観測される?)んでしょうかねえ? ?? ???。
 ダークマターなんてもんを持ち出したっても、銀河全重量によって出来る重力レンズの大きさなんて、銀河中心から数光年の半径さえも無いですよ。宇宙の光は、銀河の重力レンズなんかじゃ曲がりません。
 でも、こんなことを言う人もいるかな?なので、蛇足を。「銀河周縁部の重量だけで出来る重力レンズなら銀河周縁部に出来る」と。でも銀河の重さを分散し、ある部分の重量だけを考えてその部分だけに重力レンズを作ると、それはとても小さなサイズの重力レンズになってしまいます。ですから周縁部の重量だけで作られる重力レンズでは、光は銀河全体を迂回できないんです。なにより、その小さな重力レンズで少し曲がるためには、それがあるそこに行かなければなりませんから、光は銀河に突っ込むしかなくなります。
 さらにの蛇足で。宇宙にあるダークマターの総質量って全銀河質量の5倍くらいですよね。ですから、ある宇宙空間で100万個の銀河をその中に抱えるそこの全部のダークマターが作る重力レンズの大きさなんてものも、オマケしたっても、銀河直径の数倍でしょ? そーいった大きなダークマターの塊りを考える程の遠くにある銀河は全部点銀河なんですから、そこのダークマターの塊りによる重力レンズの大きさも、幾何学定義の点の大きさとどれ程の違いもありませんよね? 詰まりは、そこにあるダークマター超巨大塊が作る重力レンズもたった1個の点レンズにしか過ぎません。ダークマターでも、宇宙の光は曲がりません、てことですね。

 と、こー書いていて、ふと思いましたね。太陽表面の重力ポテンシャル(太陽表面の重力加速度)ってどのくらいなんだろうか?って。実は太陽の表面重力は274m/s2でしかありません。そりゃ地球の表面重力と比べれば桁違いですけど、おまけしたってもたかだか30G程度でしかない。そんな程度の重力ポテンシャルで30万km/sで走る光が、本当に1.74秒曲がるんでしょうかねえ? でもとすると、単純比例計算ですけど、地球での光の観測ではみんな0.06秒の曲がりの補正をしているんでしょうか?国立天文台さん?(ちなみの言わずもがな。太陽直径は139万kmですから光は4.64秒で通過します。その時間で274m/s2ではどのくらい物体は落下するか?は、簡単な積分ですから高校2年生以上なら誰でも出来ます。「オレは出来ないんだってば!」えっと〜。まっ、2580mです、ハイ。底辺139万km、垂辺2580mの逆タンジェントで、角度が何度だって出ますかね? 勿論一般相対性理論の変換は逆三角関数じゃないですけど、あの、落下するエレベーターの中の光の曲がりってのなら、太陽で曲がる光の角度はその角度になっちゃうんですよってことです。(この計算、私の電卓では答が『0秒』としか出ないんで、どなたか精確な答を教えて下さいませんか?) 更にのちなみにで、太陽視半径は959″.64ですから、1″.74ですと530kmのズレになります。ですから、地球表面では空間には18kmものズレがあるんですね。天体位置表で船の位置決定をしていて、でも、安全、大丈夫ですか、海上保安庁さん? 案外に、海難事故の原因になってるんじゃありませんか?それが?
 しかし、ま〜どんな計算をしてそーゆー答になったのかは知りませんが、でも、やっぱりそこにも、1919年当時の携帯望遠鏡で見て分かる程の光を曲げる重力ポテンシャルなんて、全然全くありませんよね? 太陽に出来ている重力レンズも、太陽表面から上方にある空間に、ではなくて、そこには光はとても行けない、太陽中心部に小さく出来ているだけなんです。勿論、それは水星の近日点移動の原因とされている空間の歪みでもありますけど、水星軌道が太陽球の中を突っ切っているなんてのはいくらなんでも無茶な話。天文学者はそれが原因だと世に講釈をしていますけど、残念ながら、その原因にはなれません、ですね。

 と、そー考えていて、またふっと。
 そーだよ、重力を重心からの力だと勘違いしてたよ・・・。質点じゃないよ、太陽は・・・。
 そーなんです、質量(体積)は距離の3乗です。だからこのことは、球殻の積分なんて数学をやらなくても、解かります。
 Mm/r2ですからね。詰まり、万有引力の法則での力は、当該物体が(引力原因たる)物体の表面からさらに内側にあるのなら、中心に近づくと2乗で大きくなって行きます。でも、近づいた当該物体までの中心からの質量は(当該物体までを半径とする球の体積そのものなんですから)、3乗で小さくなって行きます。ってことなので。
 太陽の密度は中心に近いほど高くなるっても、どこまでも逆比例を超えてで密度は高くなっては行かないでしょう。じゃあ、どれほど中心に近づいたっても、どれほどの大きさに重力がなるわけない。太陽球内部のどの場所の重力ポテンシャルも、表面の274m/s2とそんなに変わってるわけがないじゃないかよ・・・、と。
 詰まりは、太陽球の中でさえ、そのどこにも重力レンズなんて無いんですよね。そのことは、銀河では更にそうです。銀河のどこにも、どれほどの小さな重力レンズでも、ただの一つも存在してはいません。勿論、ダークマター塊では、更にの更に、です。

 さてところで、左の絵の光の軌跡(勿論この絵だけではなく、重力による光の曲がりの図示は、総ての相対論教科書で皆同じです)を見ればお解かりでしょうが、この光は重力中心方向に曲がっているのであって、外側に反り返っているんじゃないですよね? 詰まり、この光がそこでの測地線に沿って走っているのなら、その測地線はリーマン幾何の曲直線じゃなくてロバチェフスキー幾何の曲直線なんだって図示なんですよ、は従って、自明で、ご了解いただけますよね?

 ま、しかし、何はともあれ、先ずは、正にそれが非ユークリッド幾何学の全てとされる、ゆーめーな、相対論的非ユークリッド幾何空間からのお話です。
 (*注* ただ、相対論教科書で、これはリーマン幾何だって言っている図はリーマン幾何じゃなくて擬似リーマン幾何です、はご承知おき下さい。(教科書のその図は、EAE−2図のようには広がりませんでしょう? また、平行線は1本しか引けない(普通?の歪みでの窪みの中の点を通る直線は1本だけでしょう?(このことは、いわゆる馬の鞍形にしていないEAE−2図でも考えなければいけないことなんですが、それは形而下で図示されている非ユークリッド幾何とは?なので、相対論的非ユークリッド幾何空間が終わってからキチッと反省します))か1本も引けない(ブラックホールではその特異点で直線が全部交わってしまう)かでしょう? その上にその図示なるものは、曲率がマイナスなのは(問題とはしない)背面側であり、実際に問題として扱っている表面の曲率はプラス(詰まり膨らんで)に描かれているでしょう?(詰まり、曲率を云々するためにその面に立てる法線ベクトル群は、どんな風な姿になってどっちの方を向いていますか?です) ですから以下の相対論的非ユークリッド幾何空間でリーマン幾何だと言っているものは、ここでも全て擬似リーマン幾何ですよ、と云うことです)

相対論的非ユークリッド幾何空間


 さて、本当に重力で空間が曲がっている、とします。それで重力レンズになっているとします(ちなみに。重力で曲がっている空間は全てレンズになります。不整形な歪みにはなりません。空間を曲げる程の重力は、重心から一様等方にかかるからです)。だけどそうすると、そのレンズを通すと、観測される星の位置は、そこに重力レンズが無い場合と全く同じ位置にしか観測されないんです。
 右図を参照して下さい。 (*注* 右図の重力レンズの絵を見て「リーマン幾何じゃないか!」と思われる方もいるかも知れませんがロバチェフスキー幾何です。そのことはもう少し先に進めば解ります) 光は測地線(曲がった空間での直線(曲直線))に沿って走るのです。それで重力レンズの中心線まではそのレンズの重心方向に曲がります。しかしその中心線を越えると、こんどは今まで来た測地線の逆裏返しの測地線になっている測地線に沿って走ります。結局、重力レンズに入った光が重力レンズから出た時の位置は、重力レンズ内部がユークリッド直線空間になっているとした場合に光が走る、そのユークリッド直線を延長した位置になり、方向も同様です。詰まり、その重力レンズがそこになかったとした場合に光がいる筈のその位置と方向が、重力レンズから出た時の位置と方向なのです。勿論そこから先の測地線はその点と観測者を結ぶ一直線で、それは発光源とまた一直線です。結果、観測される星の位置は、そこに重力レンズがあり、その中を光が曲がって走っていても、ズレる(そこでは光が曲がって走っているのだと観測される)ことはありません。
 それでも、1919年に始まってこのかた、重力で曲がる光を天文学者達は観測し、撮影しつづけていますよね?
 あら〜、どーゆーことなんでしょーかね〜〜、とゆーことはあ〜〜〜。
 ここでこう言う人がいるかも知れません。「重力に引かれて光は曲がるのだから曲がって見えるのだ。それだけのことだ」と。しかしそれは重力による時空の歪みと云う概念を捨てると云うことです。そうなら、重力で曲がっていない空間(ユークリッド空間)の中で、そのユークリッドの真っ直ぐに比較しての曲がっているで、光は曲がって走っているのです。となれば、時空なるものは重力では曲がらず、宇宙の空間はユークリッド空間だけになってしまいますよ、と云うことなんです。重力で光が曲がることが観測されるなら、どこの時空も歪んではいない。どこかしらの時空が歪んでいるなら、重力で光が曲がることは観測されない、それがここの部分の結論なんです。
 そして市販教科書のように、重力による時空の曲がりを「窪み」で表わしてのこのことの説明図が左の【EAE−4】図です。この方がむしろ直感的に解かり易いかもしれませんね。で、この図の[A:]の方で、重力が極端に強いためにその窪みが酷くなって、ついにどの測地線も中心方向に曲がって落ちて行くしかなくなってしまったものがブラックホールだと云うことは、勿論言うまでもありませんよね。

 「真っ直ぐとは真っ直ぐだと云うことである」です。曲がっている、が無くても真っ直ぐだと云うことは判ります(このことがこのページ、と云うより「2層仕立ての空間」のメイン・テーマそのものなので、この説明は最後の最後になります。それが出来たら、「2層仕立ての空間」は完成なんですから)。しかし「曲がっているとは曲がっていると云うことではなくて真っ直ぐではないと云うことである」なんです。全部曲がっていると、曲がっていると云うことが判からなくなってしまいます。それが曲がっていると云うことが判かるためには、その場所にある絶対に曲がっていない真っ直ぐな何かとの比較が必要なんです。(取り敢えずのついでに。  全体の大きさが変化している、と云うことが分かるためには、絶対に大きさが変化していない全体との比較が必要だと云うことですね、勿論。「変化する全体」と比較する「変化しない全体」が存在しないなら、大きくなっても元の大きさのまま、なんです。(直径1メートルの球全体が直径100メートルの球になっても、その球の中の1メートルの物差しも100メートルになっちゃってるんです。その「球の中の物差し」で球全体の大きさを測かるんですから、直径100メートルが直径1メートルです。全体の大きさは、大きくなっても、実は全く変化していません。  その球が100メートルに膨張したことを測る物差しは、ですから、その膨張とは無関係に一定の大きさを保っている、その球の外の物差しでなければならない、です。詰まり、膨張する空間と膨張しない空間が同じ場所に同時に存在していないと、空間の膨張は存在しえない、と云うことですね)だから空間が膨張しているなら、膨張宇宙ってのは、2階立て宇宙なんですよ、は、ま、取り敢えずですが、ご納得いただけますよね?(でも、こんなことを言う人もいるかな?と心配になってきたので、蛇足で。「空間は膨張してもその内部の物体は膨張しない。球の中の物差しは物体だからその大きさは変化しない。その物差しで測るんだから100メートルは100メートルだ」と。いえ、ですからね、その変化しない物体に貼り付いている変化しない1メートルってのは、正に、同じ場所に同時に存在している膨張しない空間なんだってことなんですよ。ですから、ひとつの場所にはひとつの空間しか存在しないのなら、その変化しない1メートルの物差しで測った100メートルってのは、距離が100メートルに広がったってことで、空間が100メートルに伸びたってことじゃないってことなんです。お解りいただけませんか?でも、これでお解りくださいよ、お願いします。これ以上このことの説明で苦労したくないんで・・・))
 そして勿論【EAE−4】図の[B:]では、曲がっていることが判かるためにその場所でその比較をしている真っ直ぐな何かとは、即ちユークリッド直線空間そのものなのだと云うことですね。
 でもこんな風に思う人もいるかも知れません。「星と観測者が共に歪んだ空間の外にいるなら、歪んだ空間の中では光は測地線に沿って走るんだから、星からの光は途中では曲がらずに真っ直ぐにやって来たとしか観測されない。しかし[A:]の窪みの中にいる観測者なら、そこが曲がっているだけしかない空間でも、光が曲がって走っている事は判かるんじゃないか?また[A:]の窪みの中から発射された光なら、その外にいる観測者でも、光は曲がってやって来たとして見えるんじゃないのか?」と。さあ、でもどうなんでしょうか、それは? でも実はそれへの答が、このページのテーマである、非ユークリッド幾何の成立する空間ってどんな空間なの? の先ずはの形而下空間でのそれになります。ですからその答はもうしばらくお待ち下さい。

 ところで、【EAE−4】図の[A:]で、歪んだ時空で成立している幾何学はリーマン幾何じゃなくてロバチェフスキー幾何だと云うことはもう見ただけで解かりますよね? えっ?、とんでもない?、どう見たってリーマン幾何にしか見えない? そうかなあ? 困ったなあ。
 では右の【EAE−5】図をご覧ください。
 要するに市販教科書では直交座標空間の座標を、座標軸に平行な直交する直線上の座標として表現しているだけなんです。だからリーマン幾何のようにしか見えないんです。詰まり、この図のA:である市販教科書では、座標は4角形の辺の上にある、としているだけだと云うことに気がついていないのです。これはP(x,y)の形で空間の座標が表されることを思うと普通には気がつかなくても全くかまわないものです。しかしそれは空間が歪まない(曲がらない)を絶対前提とする空間でしか成立しない座標表現です。歪む空間でもそれに気がつかないままでいて良いとしていると、それは即ち図のA:そのものなんですが、その座標が対角線の上にある座標は、重力場にあるにもかかわらず重力に無関係になってしまい、その位置を変えなくなってしまいます。それで辺たる直線の両端(対角線の上にある点)は、体操の鉄棒を支える支柱のように動かず固定されてしまい、重力では曲がらない部分になります。それで、A:では直線は両端が固定されているゴムの棒を真ん中で引っ張ったように曲がるしかなくなります。結果、直線は重力が無い場合よりも重力が働いている場合の方が長さが長くなります。要するに、空間が重力で伸びてしまいます。となれば当然に、伸びていないまっとうな(?)平面ではその伸びた分を描く平面が足りなくなります。それで、伸びた空間の分は三次元方向にして、その場所に収まるように伸びた空間を図示することになります。それが【EAE−4】図の[A:]なんですね。そのため空間の歪み状態のその図示が[引力で曲がる]にもかかわらず、[斥力で反り返る]リーマン幾何になってしまっている、と云うことなんです。【EAE−4】図の[A:]では窪みは丸みのある擂り鉢状に描かれていますが、【EAE−5】図の平面A:の2次元の伸びを3次元表示(x,y,z)で表した(誤魔化した!)便宜図なんです。その絵に表されている(z)座標は、実はその絵で描かれているその空間の何処にも存在していません。何故かと言えば、平面だからです、その絵は、本当は。ただの、ですから、便宜で描かれているだけの絵なんですよ、と云うことなんです。【EAE−4】図の[A:]でも(x,y)の座標はやはり4角形の辺の上にのみあり、その対角線上の座標(x,y)は動いてはいないんです。
 で、【EAE−5】図のB:です。8角形ですから対角線は4本です。しかしA:で直線の両端だからで固定されていた座標はその対角線上にはありません。ですからその座標は重力で重力中心方向にズレます。従ってそれぞれの直線の曲がる理屈がA:と同じだとしても、全体の形はA:のようには曲がりません。当然に、直線の曲がった後の長さもA:のそれよりは短くなります。ですから、もしこれを【EAE−4】図の[A:]のような3次元表示にしたら、その窪みが浅くなることはお解かりになられますよね?
 16角形のC:でもB:の論の繰り返しだ、はお解りでしょうから繰り返しません。直線の曲がった後の長さもC:のそれはB:のそれよりは勿論短くなります。3次元表示の窪みもより浅くなります。
 n多角形のnをn→∞にすれば当然に円に行き着きます。そしてここでの座標表現が空間が歪むとした時のその座標表現になります。詰まり空間が歪むことが前提となる空間でのP(x,y)の座標は、そのx,yは座標軸に平行な直交する直線上の座標ではなくて円周上にある座標だと思っていないと空間が曲がった状態を表現できないんです。ちなみに、勿論、この空間の3次元表示の窪みの深さはゼロです。詰まり、3次元表示はありません。
 で【EAE−5】図のD:が曲がった空間のその図示になります。すぐにお解りいただけるでしょうが、曲がった空間では全てが縮む空間です。しかし市販教科書の曲がった空間の図示は全てが伸びている空間になってしまっています。【EAE−3】と【EAE−4】の曲がった空間がリーマン幾何に見えるのは、引力で縮む方向に歪むにもかかわらず、その空間が伸びてゆくように描かれている図だからです。と云うことなんです。
 曲がった空間は引力方向に曲がって縮む空間です。ですからロバチェフスキー幾何空間なのだと云うことなんです。 でも解かってもらえませんか?一般市販教科書作家さんは?詰まりは数学者さんは?物理学者さんは?何より、天文学者さんは?
 で、なんですが、一般相対性理論の帰結は、直線は重力で曲がると短くなる、です。その線の長さを走り切る光の走行時間は、従って、曲がった空間では短縮されます。詰まり、重力が強いほどそこでの時間はより一層進んでしまいます。重力場中では時間は進むんです、遅れるんじゃないんです。光の波長の重力偏移も、重力が強いほど短波長になります。お解りですか?天文学者さん?
 相対性理論を正しいとしても、市販教科書は、それでさえも、アホな教科書なんですよと云う、これはその一つのその例です。ですから、重力場中では時間が遅れるとか光が赤方偏移するとかとゆー実験結果なり観測結果があるとゆーなら、それは一般相対性理論が誤りであることを示す逆事実なんです。要するに、相対論を証明しているとしている実験・観測事実は全て、本当にその事実があるのなら、それは証明しているんじゃなくて、否定しているんですよ、と云う事なんです。

 さてでは引力方向に曲がって縮む空間、即ちロバチェフスキー幾何空間(詰まり、よーするに、一般相対性理論の曲がった時空)とはどんなものなのか?ですね。
 その図示が左の【EAE−6】図の[B:]になります。言わずもがなですが、この図の中のX軸Y軸は、座標を表すための補助線がグリッド(格子)ではなくて同心円の円周で描かれているけれど、勿論極座標表示ではなく、またこの図が平面であることを表しているためのもので(でもホントはそれ以上の(?)を言うために書き込んでいると云うことでもあるんですが)、まったく便宜上のそれです。
 一様等方(別に一様等方でなくてもいいんですが、ここでは空間の比喩として使うので、簡単のために一様等方だとします)な連続体のある部分だけが伸びる(膨張する)とその連続体は変形します。この変形で連続体の物理的な連続が破壊されてある面で破断面を形成することもあります。しかしその場合でも、連続体の物理学が不連続になるのであって、連続体の幾何学が不連続になるのではありません。その破断面で力学は不連続になりますが、物質は連続していますから。ですから幾何学では連続は途切れていません。(数学的には、その面で不連続になるのではなくて狭義の非線形(数値計算でも微分は出来ない)になると云うことですね)ですから破断面を内部にもっていても、その連続体に幾何学の不連続(隙間(それを構成している物質がそこには無い)がある)は在りません。変形では幾何学は破壊されません。夏に鉄道のレールが伸びて曲がるのはこの例ですね。「冬に水が凍って水道管が破裂するのは破壊だろう?」ですが、これも幾何学では、一塊りの物体の変形で、幾何学の連続は破壊されていません。
 それに対して、一塊りの連続体のある部分だけが縮むと、幾何学でも、その連続体の連続は破壊されます。元の1個の物体は複数個の切り離された物体になると云うことです。一般的にはこの例は余りありませんが、それは普通この場合では、一塊りのある部分を無理矢理縮めると他の部分がその分だけ伸びて補い、全体の増減がゼロになるからです。しかし、ですから、縮みを補うための伸びる部分がそこには無いなら、縮んだ部分は全体から離れ、その全体とは幾何学で絶縁された独立した一つの物体になります。詰まり、連続体の一部分だけが縮むと、その連続体は幾何学でも破壊されます。
 重力で中心方向に光が曲がる、それを原因するところの歪んだ時空、なるものは、重力方向に空間が縮んでいる空間です。「重力方向に空間が伸びても光は曲がるだろう?」ですが、その場合は重力中心とその周りの空間とが斥力で反発しあい、お互いを遠ざけあわなければならなくなります(【EAE−4】図の[A:]は斥力で出来る歪んだ空間の絵なのだ、はもうお解かりになられますよね?(*注* 「引かれれば伸びる、が当たり前じゃないのかい?」と想う人もいるかも知れませんが、重力中心からの引力で空間を引き伸ばすにはとんでもなくアホな条件が空間と重力中心に必要で、その結果が凄まじくアホバカな空間になります。そのことはもう少し後で【EAE−4】図の[A:]をキチンと反省しますのでそこで説明します))。ですから一般相対性理論の帰結としての時空の歪みは、【EAE−6】図の[B:]の絵の通りに空間が縮むと云うことなんです。
 そんな訳で、縮まない描画空間で時空の歪みなるものを描くと、今度は縮んだ分との差だけの空間が余計な分として描画平面に余ってしまうのです。それからまた、【EAE−6】図の[B:]で赤い円周は2本になり、外側は長く内側は短くなっていますが、しかしその2本は描画空間で全く同じ座標を持つ一本の線だとしないとそこの空間が連続しなくなると云うことです。それで、在るとは出来ず無いとも出来ない、存在しないと云うことで存在している、その”空間が存在しない空間”が絵に描かれていると云う理由です。 それで、でも、しかし、この【EAE−6】図の[B:]が、一般相対性理論のその曲がった空間の正にその図示になるんですよ、なんです。でもこれでも、それがお解りいただけませんか?一般市販教科書作家の皆さんは?
 かくして空間論の幾何学では、2次元の伸びる平面空間はその伸びを3次元に逃がせば良い(3次元でゴマカせば良い)となりますが、2次元の縮む平面はその縮みを3次元には逃がせない(3次元でゴマカせない)となります。それで縮む空間の、その状態は、空間の変形ではなくて空間の破壊になります。詰まり、要するに、空間が破れます
 紙や布が破れた、なら「破れちゃったの。ごめんなさいね。じゃあね、諦めて」で済むでしょうが、しかし空間が破れて離れ離れになっちゃった、では「冗談じゃない。ゴメンで済むことじゃないよ。困るなんてもんじゃない。どうすんだよ。空間が破れちゃっただなんて」ですよね。では、そう、困った時には神頼み。存在ではないが虚無だとシラバくれることも出来ない、”空間の存在しない空間”なる不思議(とゆーより奇妙奇天烈)な空間のツギをあててもらうことになります。まあ、そーゆーことは神様がやりますからね、だからしかし、どうってこともなくなりますね。神様なんです、なんだっても出来ますから、それは勿論。
 神様の独り言: チクチクチク、チクチクチク。「そりゃよ、オレもよ、神様なんてものをここんところずっとやってるからよ、世間からは物好きなヤツだって思われているってのもしょうがねえけどよ。だからって空間のツギあてなんて、こんなクダらねえことをさせやがって。バチアタリ共めが・・・」チクチクチク、チクチクチク。「もうあっちこっちで『あの〜、ここでもまた空間が破れちゃったんですけど、でも”そこに重力あればそこには空間の破れあり”が宇宙の理屈なんだから仕方無いですよね〜。じゃあ神様、ツギあての方、お願いしますね〜。よろしく〜』で、やたらめったらのツギあて仕事が引っ切り無しさ。休むヒマなんてありゃしねえ」チクチクチク、チクチクチク。「もお、神様をコキ使うのもイイカゲンにしろよな、ホント。誰だよ、こんなアホな宇宙を作っちまったのは。オレじゃねえぞお、ホントによお。ブツブツブツ、ブツブツブツブツ・・・」チクチクチク、チクチクチク。チクッ!「痛てっ! ホラ見ろ、イヤダイヤダでやってるから針で指刺しちゃったじゃねえか。おー痛たっ。もおお!・・・、宇宙の!!・・・、バカッ!!!・・・」
 とゆーことで、しかし、神様のおかげで3次元の実空間での時空が歪んでいる空間が完成しました。それが勿論右の【EAE−7】図です。 アッラー、アクバル! 神は偉大なり。 パチパチパチ(拍手)
 【EAE−7】図は実空間表示ですからそこには任意の平面(*注* レトリックの都合でここからしばらくの間、直線・平面((純?)直線・(純?)平面)と曲直線・曲平面をゴッチャにして「直線」・「平面」と表現してその用語を使用しますが、ゴッチャにしても誤解はされませんよね?ここまで来れば、もう)を好きなだけ描き込めます。しかし幾つ描いても同んなじですから(嘘!)代表的な二つの平面だけが描いてあります。[A:]は重力中心を通らない平面で[B:]はそれを通る平面です。光の通る道筋はその平面の中心線の矢印のとおりです。空間の無い空間では瞬間移動(ワープ)しますが、これは光ではなくても、どんな速度の物体でも瞬間移動になるだけです。勿論、座標値が全く同じそれだからです。
 この図で留意して置いて下さい、は、重力中心を通る平面[B:]はその全体にわたってZ座標の値が空間が歪んでいないと仮定した場合と違っていないと云うことです。勿論重力中心は、そのXYZの座標値は歪んでいないと仮定した場合の空間のそれと全く同じ座標値になっています。
 (なお、【EAE−7】図の[A:]平面上では、その平面上の図形がリーマン幾何学図形になる、と想われるかも知れませんが、相対論的非ユークリッド幾何空間(?)を終えてから純正論的非ユークリッド幾何空間(?)をやりますので、このことを含めての非ユークリッド幾何空間の反省はもうしばらくお待ち下さい)
 で、ここでちょっと首を傾げて下さい。「なんで一般市販教科書には2次元平面の時空の歪みの図しかなく、このように3次元の実空間での時空が歪んでいる空間の図が無いんだろう?」と。
 そうなんです。一般市販教科書には2次元平面の時空の歪みの図しかないんです。ですからそれを言いたいために、大変な苦労をして【EAE−7】図を描いたんです。(ホント、もう、大変なんですから。ゆうべ寝ないで考えたんですから)「お前、ギャグが古いんだよなあ・・・」

 ここで、「【空間はそれが空間であると云うこと以外には何んの性質も持たず、何んらの原因存在を必要としない】なのか?、それとも【『空間はそれが空間であると云うこと以外に何かの性質を持たせることが可能であり、それを空間たらしめる何かしらの原因存在が必要だ』とする命題は立てられる】なのか?、さらには【そもそも空間なるものは数量的解析のために導入されただけの便宜にしかすぎず、それを絶対の存在とする必然は無い】なのか?」の本質的な空間論(実はこれがこの教科書(?)全体の大きなテーマの一つなんですが)をこの項の空間論ではやってはいない、と云うことが、しかしひょっとしたら誤解されているかな? の不安が出て来ましたので、蛇足を言っておきます。この「非ユークリッド幾何空間」の項の空間論では、一般的に非ユークリッド幾何空間として図形化されている空間は(本当は)どう描かれなければならないものでどういう性質を持っているものなのか?そしてその結果その空間は、どういった空間になってしまうのか? を言っているだけなんです。そうですからこの項でのこの空間論と、本質的な空間論とは完全に無関係なものです。(本質的な空間論の反面教材(?)としてなら使えるかな?ですが、今のところは使う心算はありません。(でも相対論的非ユークリッド幾何空間は純正論的非ユークリッド幾何空間の反面教材として活用します。ですからここで、このくだらない相対論的非ユークリッド幾何空間をこんなに丁寧にやっているのです))

 では、一般市販教科書の時空の歪みの図示、即ち【EAE−4】図の[A:]を反省してみましょう。
 なぜ縮む空間が一般市販教科書では伸びる空間として描かれているのか? は幾何学的にはその作図の方向を間違えているからですが、代数学的には計算の順序を間違えているからです。それも単純な間違い(数学者・物理学者クラスのバカじゃなきゃ間違えないような)なんですが、もっと単純に力学で、引っ張られると伸びる、と思い込んでもいるからです。実際、「ピンと張ったゴム膜の上に錘りを載せると図(【EAE−4】図の[A:])のようにゴム膜は伸びる。重力による空間の伸びもそれと同じである」なんてとんでもない説明を一般市販教科書の全部がやって(天文学者級のどーしょもない知ったかぶりのコケじゃなきゃやんない程の)いますからね。

 で先ずは、引っ張られると伸びるの? のそれからです。

 空間は重力で引っ張られると伸びる、としても、空間をゴム膜で比喩し重力中心をその上に載せた錘りだとすれば良い、とするそれは、数限りないバカバカしさが次から次へと現れて来て、もう全く駄目なモデルです。その一つ一つを取り上げるのは面倒臭すぎますし、何より手間隙の無駄なだけですからやりません。でもその数あるバカらしさの中から、ここの項とそれでもちょっと関連のあるバカらしさの一つを【EAE−8】図として掲げて置きます。
 ゴム膜の上に錘りを載せるとゴム膜はその図の通り(でも、「そうかな?」、ですが)に伸びますよね。でもゴム膜はその錘りからの引力で伸びているんじゃなくて、錘りを引く重力で(錘りが重いのは、そこにその錘りを引っ張っている重力があるからです)伸びているんですよね。ですから、空間が伸びる理屈をゴム膜と錘りで理解しようとすると、当該の重力中心を引っ張っているスーパー重力中心が当該のその空間の外に存在しているとしなければならない、と云うことになってしまうんです。

 まあ理屈がどうゆうことであれ、右の【EAE−9】図の上にある絵のような、何の歪みも無い空間が、引力で伸びるんだとします。
 作図の都合(一直線上に描くと重なってしまうので)で、A,B,C,D,E,F,GそしてMは一直線上に並んでいませんが、一直線上にあるものだとしてください。また、Mを真ん中にしてその対称にもう一対のG,F,D,C,B,Aがあるともしてください。
 要するに、A−B−C−D−E−F−G−M−G−F−D−C−B−A の一直線の空間は、重力中心からの引力で伸びるとするとどんな空間になるのだろうか? です。
 (A−M),(B−M),(C−M),(D−M),(E−M),(F−M),(G−M)のそれぞれの直線の本来の長さ(重力異常が無くて空間が伸びていない場合の長さ)がこの図の下の左にある各直線だとします。この長さ(各座標点の重力中心からの距離)は重力異常がある場合には、それぞれがこの図の下の右にある長さになります。言うまでもありませんが、引き伸ばされる分の長さは重力中心に近い程長くなります。従ってこの図の下の右にある長さでそれぞれの座標と重力中心とが結ばれるのが重力異常のある空間の歪み(伸び)になります。
 さて、この空間はどんな図示になるんでしょうか?
 A,B,C,D,E,F,GそしてMは一直線上にあるのですから(A−M),(B−M),(C−M),(D−M),(E−M),(F−M),(G−M)は同一直線上にある線分のそれぞれだと云うことは当然です。ですから、この図での例示で一番長い(A−M)以外の他の全ての線分は(A−M)の内部にある部分線分です。そのことは(B−M)と(C−M)以下の線分、(C−M)と(D−M)以下でも・・・、ですね。
 では、伸びた(A−M)の中には伸びた(B−M)が、その(B−M)の中には(C−M)が、その(C−M)の中には・・・、と入れ子で線分を入れて見ましょう。
その作業経過とその結果が左の【EAE−10】図になります。
 入れ子で一直線上に並べると各座標点を繋ぐ線が重なってしまうのはお解かりになられますよね? また、その空間の中心には、重力中心一個の座標だけは存在するけれどそれ以外の座標は全く存在しない空間(直線)が出来るのもお分かりですよね?(重力中心に或る一定距離よりも近い距離にある座標は、それが引き伸ばされる距離の方が本来の距離よりも長くなるので、その長くなった距離の中には座標が存在しえなくなります。当該の座標を、引き伸ばされた距離が、その範囲の外に押しやってしまいますから。それでそこの空間は、引き伸ばされて生じた長さ、のそれだけで作られている空間になるしかありません。それで、重力中心から或る一定距離の間にある空間は、空間が存在するにもかかわらず、しかし座標は存在しない、と云う空間になってしまいます。直線空間の中に、しかし座標が無いと云うことは、詰まりその空間には、全体の長さがあるだけでその中に部分の長さが無い、と云うことです。全体としての長さ100Mはあっても、その100Mは100M以外のいかなる長さも持たない100Mであるだけです。その100Mの中には、50Mとか10Mとか1Mの長さは存在していませんよ、と云うことです)そしてその直線を通る光は、その直線上を行ったり来たり(速度が遅くなったり戻ったり)と、その重なりに沿って走ります。
 詰まり、それが本来の直線空間の歪みで、その歪みの通りに走る光なんです。本来の直線空間の歪みと光の走り方はそうで、またそれしか無いし、そうとしか観測にはかからないんですから、直線を一本描くだけで、はい、オシマイで、1次元直線空間の歪みの図示(視覚化)はいいんです。でもそれじゃ何にが何んだか解からないとゆー人のために(?)1次元直線空間を2次元平面表示だとして図示したものがその最後のその結果です。
 (これを平面から始めれば3次元表示になるのは当然だ、は解られますよね? 「うむ、成る程。(ヒラメキ!!)そーかー、解かった!立体からこういった作業を始めたら4次元表示にするしかない! だから伸びる空間の3次元実空間表示は無いんだあ!」いえ、次元云々以前の話なんですね、伸びる空間の3次元実空間表示が無い理由ってのは、本当は)
 しかし絶対に忘れないで下さい、誤解しないで下さい、は、ある空間の歪みをその空間の一つ上の次元の空間で図示するのは、何となく解かったような気にさせるためのただの便宜(とゆーより、『嘘も方便』ってやつ?)でしかない、と云うことです。歪みはその空間そのものにあるのであり、歪むと一つ上の次元空間が作られる、じゃないんです。
 ところでこの図で【?】で描き込んである座標は何なんだ? ですが、知りません。描き込んだ本人が知らないって言ってるんですから、誰も、この座標は何なんだ? なんてことは考えないで下さい。「オイオイ・・・」

 しかしながら、いくら、“重力で空間が伸びるとゆーなら、【EAE−10】が一般相対性理論による歪んだ空間の本当の姿なんですよ”、と言っても、見たとおりの酷い空間なんですから、そこから先には進めません。それじゃ、やっぱりどうしようもないですから、無理矢理で、空間が伸びている姿を市販教科書のそれと同じようにすることとします。
 ところで3次元実空間表示が描けないってことは、実は、平面の歪みを3次元表示にして描き表わすってことも出来ないってことなんですね。そして平面の歪みを3次元表示にして描き表わせないってことは(実は一般市販教科書のような図示では)直線の歪みを2次元に逃がすってことさえも出来ないってことなんです。ですから、4次元表示を絵にするのは不可能だから、が伸びる空間の3次元実空間表示の絵が無い理由じゃないんです。どーゆーことか? ですが、一般市販教科書どおりの重力による歪みの図を描いてから、こんなアホな図がでも正しいとすると、そもそもそのアホな図示が先ず間違っているとゆーことになっちゃうんですよ〜、でその説明をします。要するに、相対論の一般市販教科書とゆーものは、相対論が正しいとしてさえも、丸っきりアホな教科書なんですよの、それはそのまたまたの例になります。
 “引っ張られると伸びる”、の直感モデルはゴムひもやバネですね。図画工作の教材の粘土なんかも引っ張られると伸びますけど引っ張る力を取り除いてももう元には戻りませんから、“引っ張られると伸びる”のモデルには普通しませんよね。勿論ここでも、粘土なんかが引っ張られて伸びるのそれは論外にします(蛇足に。それの理屈に興味がある人は化学の教科書に載っている、水の分子間引力、の説明を読んで下さい)。
 さて、では、このゴムひもやバネを伸ばしているその力って、一体何んなんでしょうか? リンゴをゴムひもに結んでヨーヨー遊びをしている子(そんな子、いるかなあ?)を見ても、しかし「(ヒラメキ!)張力だっ!」と叫んではいけません。張力はある物体が引っ張られて伸びている時に、元の状態に返ろうとするその物体自身の内部の力です。(蛇足ついでに。この復元力が伸びた粘土にはしかしもう無いんですね(引っ張られて伸びている時には、でもほんのわずかながら変形から復元しようとする力が起こります。だから粘土は引っ張られると切れずに伸びるんです))。ゴムひもやバネを伸ばしているその力ではありません。
 【EAE−11】の図の何のイベント(あえて「力」とは言いません)も起こっていないAの状態のバネが、あるイベントが起こってBの状態になりました。さて、では、このBの状態にしたその「イベント」って何なんでしょうか?です。 「そりゃバネを引っ張ったってことだよ。だからバネは(L1)の長さから(L2)の長さにまで伸びたんだよ」 いえ、ですからね、その引っ張ったってことを起こしたその《事件》って、一体何なんですか?ってことなんです。
 Bの状態ではバネをフックで壁にひっかけて留めています。ですからBでは力が釣り合っていますよね。勿論バネが本来の長さ(L1)に戻ろうとする張力が発生しています。でもその張力では壁はビクともしないのでバネに引っ張られても動きません。張力では壁が動かない(変形しない)ために張力と等しい力で抗しているのが、そこにある抗力です。詰まり、この状態では、引っ張っているのはバネなんです。壁じゃないんです。(壁の抗力はその壁の内部的には張力(歪み(誤解されないために注を入れるとかえって誤解されるかも?なんですが、この歪みは幾何学的に歪んでいなくてもいいんです。力学的に歪んでいると云うことです。))によるものですからそれで壁はバネを引っ張っていることにもなりますが、その抗力ではバネの長さは変化しません。抗力は力学的状態をそのままに留めて置く力です。力学的状態の変化を惹起する力ではありません)
 要するに、この、バネを伸ばしたその《イベント》ってのは、正にバネが伸びたことそれ自体そのものなんです。 「悲しいから泣くんじゃない。泣くから悲しいんだ」は心理学の有名なテーゼですね。またこのテーゼは、勿論、悲しみのどん底にある人が自分自身を無理矢理励ます際の最高最大の檄ですよね。ま、しかし、それはそれ。けれど力学でも、「引っ張るから伸びるんじゃない。伸びるから引っ張るんだ」なんです。
 でも、じゃあ何故バネは伸びたんだ?ですね。どうであれ、しかし、バネを引っ張ったからバネは伸びたんだろう?それ以外の理屈は無いじゃないか?ですよね。そう、それで、ですから、「引っ張ると伸びるの?」、なんです。
 さて、ところで、左の【EAE−12】図のA:のように磁石でバネの鉄球を引いているのならどうでしょうか?これなら、引っ張ったから伸びたんじゃないんでしょうか?ですね。でもどうなんでしょうか、それは。
 実は磁石でひっぱっていてもバネの伸びる力学は手で引っ張っている力学と全く同んなじなんですね。鉄球を手で持って壁の所まで持って行っても、バネの伸び方は同んなじでしょう?。
 そして、更に実はで、この方が、手で引っ張るよりも「伸びたから引っ張る」のそのことが良く解かりますよね?。鉄の球が磁石に引かれて磁石の方向に運動します。その結果バネが伸ばされ、そして伸びた分に正比例して張力を増大させるということですから。(詰まりここで、バネを引き伸ばす原因たるイベントは、磁石の引力ではなくて鉄球の運動です)
 (*注* この1連1組の力学は同時に起こり続ける連続した瞬間です。ですからこのフローは実証的に確認は出来ずロジックにあるだけです。でも、磁石の引力→鉄球の運動→バネの伸び→張力の増大→運動に対する反作用、の順序は留意しておいて下さい。なおこの順序の丁寧な説明は「慣性質量と引力質量」の項でするつもりです(とゆーよりこれをやらないとそこでの説明は進まなくなりますから)
 ただ【EAE−12】図では、空間を伸ばす力学では、すぐに困ったことが起こります。それは、空間が仮に重力に対してだけは張力を持つ弾性体であるなら(「重力にだけは、であっても空間が弾性体であるわけないからこの仮定は無意味だ」と思われるかも知れませんが、弾性体でないなら、力学では、全く変形しないか壊れるか、だけです。伸びも縮みもどころか歪みさえしません)、バネはこの図のB:のように磁石(重力中心)と鉄球(座標)の間にあるからで、A:のように鉄球と外壁(重力で空間が歪む限界距離面)の間にあるのではないからです。詰まり、力学では、引っ張ると縮んでしまうのです。
 ところでしかし、この図のA:でさえも、壁と鉄球と磁石の位置関係はB:と同じになっていますよね?確かにA:ではバネは伸びています。でも鉄球と磁石の距離は縮まっています。問題にしているのはバネの長さではなくて鉄球と磁石の距離ですから、実はA:でも、引っ張ると縮む、なんです。
 更に【EAE−12】図では引っ張っていようがいまいが、全体の空間の大きさ(壁と壁との距離)は不変ですよね。となると、「引っ張ると伸びる」を仮に空間の性質だとして認めたとしてさえも、重力で空間を引っ張ると、結局は、縮んで空間が破れる【EAE−7】図がその結論の空間だとなってしまいます。
 (*注* 【EAE−11】図と【EAE−12】図では矢印(あえてベクトルとは言いません)が一般の力学教科書のベクトル(あえてベクトルと言います)とは何んか違うような気がする・・・、と思われている方もいるかと想います。でもそのことの説明はしばらく(いつまでの「しばらく」かしらん?ですが)お待ち下さい。すみません。)

 ではどうやったら、力学で、市販教科書のような空間が引き伸ばされている図を描けるようになるんでしょうか?
 引っ張ると縮む、が結論。でも一般市販教科書通りの、引っ張ったら伸びちゃった、の絵を何が何でも描かなければ先には進めません。となると、じゃあ例によってで神様にそれは頼んで、チチンプイプイ、チョチョイのチョイ、でやってもらいましょうか?ですが(神様の傍白(やだよ。なんでも俺にやらせりゃいいって気になっちゃいやがってよ。冗談じゃねえよ、全く。やってなんかやんねえよ。知らねえよ。横向いちゃうよ)プイッ)まあしかし何が何でも神様にやってもらうしかないと云う、それほどの絶対不可能背理じゃありませんから(この段階では、ですが)、ちょっと工夫して、人間様だけで、引っ張って伸びるようにしましょう。
 で、それが、右の【EAE−13】図になります。
 この図の[イ:]の状態のままでMがCを引っ張るから、引っ張ると縮むになっちゃうんです。(Mを磁石、Cを鉄球と置き換えれば、[イ:]の状態は【EAE−12】図と同じですよね)そこで、「伸びるように引っ張るとは、『引っ張るものが先ず引っ張られるものから遠ざかること』、なんだ!、じゃあオレ様がバネを持ったままで遠くに向かって走ればいいだけのことじゃないか!!」、とMさんはヒラメイて、空間距離を広げるために走ります。それが[ロ:]です。そうです。確かに[ロ:]では、引っ張るから伸びている、です。ただし、勿論、Mが先ず遠ざかって空間距離を広げなければならない、ですけどね。かくして、とにかくは、引っ張ったら伸びちゃった、の[ハ:]の状態が出来上がります。
 このMを重力中心、Cを伸びる空間の座標、Hを重力で空間が歪む限界距離面だとすれば、[ハ:]の状態は正に、重力で伸びているその力学空間、だとなります(当然にしかし、先ず重力中心が、その空間の何からも、遠くに移動することが、絶対に必要ですけど)が、でもまだこれだけの条件整備(?)では教科書通りの伸びる空間は描けませんよね?
 今度は引っ張る台車の数を複数にしてMさんに引っ張って(即ち遠方に遠ざかるように走って)もらいます。壁と最初の台車、また複数の(勿論無数の、ですが作図の限界は当然にありますから、2個の台車で代表させます)台車相互間(各座標間にバネを入れずに直接重力中心からの引力でそれぞれを独立に引き伸ばすと【EAE−10】図になってしまいます)、最後の台車と引くMさん、そのそれぞれをつなぐバネが全く同じバネだとすると、結果はその図の[A:]の状態になります。しかしこれでは一般市販教科書通りの、重力中心に近いほど空間が引き伸ばされている絵にはなりません。それで[B:]の状態にするんですが、そのためにはバネの強さ(単位長さあたりの張力)を壁に近い程強く、Mに近い程弱いようにしてそれぞれをつなぐしかありません。しかし重力はそう空間の性質を変えるのだ、で、でも、いいんですか? 一般市販教科書著作者の大先生?
【EAE−13】の[B:]を丁寧に描き改めたものが【EAE−14】図です。重力異常が起こる瞬間に空間の(単位長さでの)張力が突然、図の上のような強さで出現します。そして重力中心が所定(?)の位置まで遠ざかって重力で伸びる図の下の空間が完成すると云う理屈です。つまりこれが、引っ張ると一般市販教科書の図の通りに伸びる、なる空間のその性質とその結果なんです。
 ところで【EAE−14】図を眺めていると、これは無限大に発散する空間じゃないか?って疑問が湧きませんか?「この図では空間の伸びの積算は無限級数だから収束・発散のどちらかになるのは当然だ。しかし無限大に発散したっていいじゃないか、それは、正に、ブラックホールになったってことなんだから」いえ、そうじゃなくて、こういった伸びる空間では、どんな大きさの重力がその原因でも、伸びたら最期、いかなる空間も収束せずに発散してしまうんじゃないか?ってことなんです。何故なら、この空間の伸びの積算は無限級数じゃないからです。「エッ?これ級数じゃないの?」ハイ。ですが、じゃあ何んなのか?は、とにかく市販教科書通りの伸びる絵を描いてから、こんなアホな空間の絵はただの便宜としてでさえも描けません、を言い、その後で空間の伸び・縮みを反省しますのでそこで説明します。すみませんがそれまでお待ち下さい。
 (蛇足に。一般市販教科書の図の通りに伸びる空間を作る力を、引力ではなくて斥力だとすれば、これほどのアホバカな性質を空間に持たせなくてもいいんですが(詰まり、引いて空間を伸ばすのではなくて押して空間を伸ばせば、です)、空間は重力中心からの斥力で伸びているってわけには行きませんよね。それに、仮令斥力でこの伸びる空間を作っても、やっぱり無限大に発散しちゃいますし。要するに、この形のような伸びる空間は、その伸びる原因が何であれ、全て無限大に発散してしまう、と云うことです)

 さて、特殊相対性理論ってのは光速度不変の原理とかって事なだけですけど、格好付けて言うと「マクスウエル方程式から導いた光の波動方程式があらゆる慣性系で全く同じように書かれるようにする座標変換である」です。
 一般相対性理論てのも、要するに等価原理だって事なだけなんですけど、これも格好付けて衒学用語で言いますと「光の波動方程式があらゆる加速度系で全く同じに書かれるようにする座標変換である」です。そして更に衒学で付け足しますと、加速度系でも光の波動方程式が不変となるように、「マクスウエル方程式の物理量を3行1列のベクトルとしてでなく3行3列のテンソルとして表現する、をそのための数学とする」です。(ここで、これは留意して置いて下さい、は、座標変換で不変でなければならないのは方程式の形そのものだけですよ、と云うことです。1+2=3と云う数式が座標変換で2+3=5と云う数式に変わっても全くかまわない、と云うことです。数式がそう変わったとしても、(x+1)+(x+2)=(2x+3)と云う数式の形自体は全く不変でしょ。ですから、座標変換の結果、時間が遅れたって光が曲がったって何の不思議も無いってことなんです。(でも、そうかなあ・・・、ですけど))
 一般相対性理論の変換方程式は非線形マトリックスの級数で、数値計算で解いて変換するしかないんだそーです。でも、ま、そういったどーだこーだをあーするこーするで一生懸命に計算して慣性系のある座標を加速度系のある座標に変換したとします。等価原理から、加速度系と重力系は全く同じものだとされますから(等価原理なんて原理は存在しない、ですが、その事はここでは無視します)その加速度系の変換座標はそのまま、その加速度系の持つ加速度と同じ加速度を引き起こす重力ポテンシャルを持っている重力系に、重力系への座標変換だとして配置されます。
 こういった代数作業をすると、慣性系では直線である光の道筋が重力系では重力中心方向に曲がる、とゆー答になるんだそーです。勿論これは純粋な代数だけでの操作ですから、引っ張るだの、張力だのといった不純(?)なものは出て来ません。ですからそれで揚げ足を取られて足を掬われるなんてことはありません。従って、この代数計算で作られた伸びる空間が全てなだけであり、“重力に引っ張られて空間が伸びるとゆーなら、じゃあその空間はこういった性質を持っていなければならなくなるんですけどね”、は、全く答えなくてもかまわない愚論なのだ、でシラバクレてもいいわけです。(かなあ?)
 で、そーゆーことで、力学とは無関係で、とにかく代数計算をすると光の道筋(直線)は重力方向に曲がるとゆーことになるんだ、としましょう。さて、その時は・・・。 ジャーン!。 それなら空間は、市販教科書のように伸びるのか? です。

 座標変換式があるとして、でもそれは本当にあらゆる加速度系に適用出来るの?の疑問が湧きます。単純に考えても、加速度には方向の加速度もあるからです(この方向の変化(加速度)に対する以前の方向を維持しようとする慣性(方向の)による見かけの力が普通遠心力と呼ばれているもので、この方向の加速度の力学は速さの加速度の力学と全く同じものです。しかしこの方向の加速度の幾何は、勿論、速さのその幾何とは全く次元(正に「次元」です)が異なります)。ちなみに、この遠心力系では、あの等価原理ってのは、どう言い訳するんでしょうか?大先生?。(太陽系外の宇宙空間を孤独に旅する宇宙船内に、窓が無くて外が見えない実験室があり、その部屋の重力が遠心力で作られている時、そこで重力を実感して「自分は重力系にいる」のだとしている観測者がレーザー銃でダーツ遊びをしている、そのレーザ光は彼の観測ではまっすぐにダーツの的に進みます(光の観測者はこの場合でも絶対静止空間の中心座標上にいると自分自身を認識します)。しかし彼が手に持ったレーザー銃を放したなら、レーザー銃はその実験室の持つみかけの重力加速度で床に向って一直線に落ちて行きますか?)
 また座標変換式が正しいとして、でもそれでその変換をしていいの?も問題になります。加速度系は相対運動系ではないからです。
 更に、等価原理が存在するとして、でも加速度系の座標をそのまま重力系の座標だとして置換していいの?の大問題があります。加速度系は線対称の世界ですが、重力系は点対称の世界だからです。これが何故大問題になるのかは、右上の【EAE−15】図で考えてみて下さい。この図の説明はもう少し後になりますが、でも、取りあえずでこの図だけでも、お解かりいただけますよね?大問題なんですよってことは?
 ま、エレベーターの中では光は曲がって進みます、なんてイイカゲンなことで加速度系と重力系を同じものだとして済ましていいようなことじゃありません、なんですね。
 しかし、とはいえ、さりながら、話の都合がありますので、そういったあれこれは総て無視して、一般教科書通りの伸びる空間になるように、先ず結果をそうするような代数計算をやってしまいましょう。

 ベクトルではなくてテンソルで変換式を作るのはテンソルは加速度に対して不変な数だからなんだそうです。で、その変換式を使って、慣性系で空間を表している座標は加速度系ではどうなるかを計算すると、加速度が大きいほど(加速度が無い慣性系の空間からは)ズレる距離が大きくなるんだそうです。等価原理から、加速度の慣性力ポテンシャルは重力ポテンシャルと全く同じものである、となりますから、このことは重力中心に近いほど(重力異常がそこには無いと仮定した普通の空間に比較して)重力中心方向へのズレが大きくなる、と云うことになります。となると、重力中心方向に空間は(重力に引かれて)伸びる、じゃなくても、重力中心方向に空間は(代数計算で)伸びる、とはなるんじゃないのか知らん?ですね。でも、さあ、どうなんでしょうか?それは?

 慣性系でかつ重力の無い系では光は直進する(直線はまっすぐで曲ってはいない)、に関してはさすがに誰も異論を唱えてはいませんから、ま、この系では光はその数式がどうであれ、左の【EAE−16の1】図のその一番左のように、その最初のZ座標の値Bと最後のZ座標の値Cは変わらないように一直線に走れます。しかし光の波動方程式はあらゆる加速度系で同じに書かれなければならない、と云う要求から、それを同じくする変換式を光の通る道筋の各座標に適用すると、加速度系では最初のZ座標の値Bと最後のZ座標の値Cはこの図の真ん中の図のような関係になるんだそうです。変換式は単純な線形方程式ではありませんから、途中の座標を数値計算で丁寧に細かくプロットして行くと当然にここでの光の軌跡は曲線になります。
 この加速度系の持つ加速度をαだとするとこの加速度系内のあらゆるものは-αの慣性力を受けます(丁寧に言いますと、加速度を引き起こす力と直接接していない系内の物体は、-αの見かけの重力加速度で系内を自由落下する、です)が、等価原理からこの慣性力は即ち重力そのものだ、となります。
 ですから、この加速度系内の全てはそのまま、この図の右の、重力加速度(g=-α)を持つ重力系内でもその全てなのだ、です。それで当然に、この重力系での光の進み方はこの加速度系と全く同じになり、光の軌跡は同じ絵になります。
 (*注* 【EAE−16の1】図はいわゆるハウツー本から学術(?)教科書までに至る、で載っている、エレベーターの中の光の軌跡と別にどれほどの変わりもなく描かれていますけれど、それとは全く別物です。エレベーターの中の光の軌跡は、なんだかんだと言っても力学で描かれています。ですから、「そんな馬鹿なことはない」と力学的に批判することが可能です。しかしこの【EAE−16の1】図は力学とは無関係に代数の変換式を適用しただけで座標をプロットして描いたものです。従って力学的ロジックでは全く批判が出来ない図なのだと云うことです。このこれは絶対に誤解のありませんように、念のため)
 この【EAE−16の1】図で、しかし、実は、市販教科書とゆーか、一般相対性理論の数学解ってのは終わってるんですね。全体が『重力=g』である3次元重力系を作り、これは即ち加速度系なんだから、でその数値計算プロットをやって、(詰まり加速度系からの重力系への置換は飛ばして)それで、「『g』の大きさがこれ以上になると光の軌跡が落下して行くしかなくなりブラックホールになる」とか更には「宇宙の全質量での『g』の大きさはダークマターが80パーセントあることを示している」だのとかなんだのとかと言ってるだけなんです、ホントに。 (ちなみに。でも30年くらい前はまだちょっとはましで、例えばブラックホールの解説なんかでも“そこの空間の曲がる曲率が空間を閉じる値になる(だからブラックホール内から出る光は無い)”だったんですよね。いつごろからですかね?“ブラックホールは何もかも吸い込んでしまうから光も吸い込まれる”、になっちゃったのは?ブラックホールを探すとかなんとかとかとゆって人工衛星の予算をもらうようになった頃からですかね?「どちらでも同じだろう?」と思われるかも知れませんが、いいえ、で、これは、どちらかが間違っているか、両方間違っているか、の正面衝突する概念です。それは正にロバチェフスキーか?疑似リーマンか?なんですから。)

 しかし、【EAE−16の1】図の計算では、実は、加速度で曲がった光が重力でまっすぐになってしまうんです。
 右の【EAE−16の2】図を見て下さい。この図は【EAE−16の1】図の加速度系と重力系の絵を抜き出しただけのものですが、各Z座標の座標点にそこでの慣性力と重力加速度を書き込んであります。
 加速度系の世界は、その世界のどのどこも(Z座標値にかかわらず)、一様に加速度が同じです。でも重力系の世界は、その世界のどのどこも、(Z座標値が違うなら)重力加速度は全て違う加速度になります。
 【EAE−16の1】図でプロットした光の軌跡は加速度「α」の系として描いたものです。それは【EAE−16の2】図の加速度系でも勿論同じです。
 この加速度系のZ座標値(A,B,C,D)上の慣性力は勿論全て同じで、−α、です。
 言うまでもなく、等価原理を適用するためには当然に【 g=−α 】でなければなりません。
 従って、ここでの重力系のZ座標値(A,B,C,D)上の重力加速度、g1、g2、g3、g4は、【 g1=g2=g3=g4=−α 】であり、それで光の軌跡は加速度系・重力系共に、図のように同じく描かれるとゆーわけです。
 でも、g1=g2=g3=g4=−α 、ですか? 違いますよね?。 (違いますよね?)、と、しかし疑問符を付けるまでもありません。違いますよ、そりゃ勿論。

 とゆーわけで、今度は左の【EAE−16の3】図、です。
 要するに、加速度「α」の3次元加速度系を「−α=g」の等価原理で置換できる重力系は3次元立体ではなくて2次元平面なんですよ、と云うことです。
 重力加速度【 g 】の値は(Z座標値が違うなら)全て違う値です。ですから、「−α=g」になる重力系は、3次元重力系内の、或るたった一つの平面だけであり、それ以外には存在しません。
 とゆーことは、です。
 加速度系を等価原理で重力系に置換すると、加速度系のZ座標はたった一つの値になってしまいますから、詰まり、高さが消えてしまうのです。それで、一生懸命計算してせっかく加速度系で直線を曲線にした(光を曲げた)とゆーのに、それを等価原理で重力系に置換すると、あらま、高さの変化がゼロになってまた直線に戻ってしまう(光はまっすぐに進む)のです。
 要するに、です。加速度系の慣性力(−α)と重力系の重力(g)は、その存在する次元がそもそも違うのだ、と云うことなのです。
 加速度系の3次元は、実は2次元なんです。その系には、そもそも高さが無いんです。3776メートルの高さがあるロケットが宇宙空間を加速度運動をしているとして下さい。ロケットを加速している爆発気体はロケット底面にだけあたっていますよね。その部分の力のみでロケットは加速されています。ですからその底面と変形せずにつながっているロケットの先頭部分も、底面と全く同じ加速度になるしかありません。先頭部分のみかけの重力ポテンシャル(慣性力)も底面部分のそれと全く同じで変わりません。このことはこのロケットがどんなに低い高さでも、どんなに高い高さでも、それは高さとは全く無関係で一定です。要するに、加速度系にその加速に影響を与える《高さ》は存在しません
 でも、富士山の麓とその頂上では勿論、重力ポテンシャルは違いますよね? 重力系には、その重力に影響を与える《高さ》は、言うまでもありませんが、勿論ちゃんと存在しています。
 加速度系は、立体図でそれを描いても、2次元です。加速度系の慣性力と重力系の重力とを対比するならば、ですが。(蛇足に。「重力系と加速度系で同じになる力学実験の答は無い。それにはたった一つの例外さえも無い」とこの教科書(?)の等価原理の項に書いてありますが、しかし、たった一つの例外として、「垂直な自由落下なら重力系と加速度系で同じになる」、の揚げ足取りは、ですから、それさえも成立しない、と云うことですね。詰まりは、加速度系の内部には、そもそもで、自由落下なんて存在していないんです)

 重力系に関係付けようとするなら本質的に2次元であるしかない加速度系を、しかし3次元にして重力系もどきに出来なくもありません。それが、右の【EAE−16の4】図です。
 ひとつだけの加速度系では、それがどんなに高い高さを持つ加速度系でも、たったひとつの慣性力しか発生させられません。それでは重力系に置換すると平面上にしか置換されなくなってしまいます。それで、異なった加速度を持つ加速度を、少しずつ位置をずらせて沢山重ねよう、です。 当然に、無数に重ねなければなりません。 それは加速度系を更に加速させればいいだけなんだから簡単だ、でそうやることは、しかし出来ません。それは、一つの加速度が時間で加速度を変化させているだけです。それは、実は、たった一つの加速度系なだけなんです。それを重層された加速度系だとするためには、完全に独立した時間軸が二つ必要になってしまうんです。 ですから、面倒(?)でも、ひとつずつの加速度系を、それぞれ無数に重ねるしかないのです。
 それでそうやって重ねるんですが、そうすると加速度系の厚み《高さ》が当然に無限小になります。無限小になってもゼロだとゆーことではありませんから、直線の曲がりは微分値で表せますので、別にこの段階での背理は発生しません。
 (*注* 【EAE−16の4】図では〔1、2、3〕の図の延長と云うことで縦にスライス(?)してそのそれぞれを下方向にずらして重ねているような図にしています。重ねる加速度系が数個ならこの方が解かり易いし誤解もされないと思いますけど、加速度系に存在しないのは《高さ》です。それで加速方向に対して直角の横方向1面の平面だけを重ねて行くのだ、と云うことは誤解しないで下さい。勿論図のように、当然に、加速度がより大きい加速度系がより下に来ます。また、横の方のズレは作図の都合で存在していると云うだけのもので、実際は(縦方向の高さと同じく)何の意味もありません。ですので、実際は、すぐ後の【EAE−16の5】図の左の重ね方で重ねます、ですね。あと、これは絶対に誤解されませんように、ですが「系を無限に重層する」、は「代数計算限りなだけで」の意味で、系がその加速度運動を実際にしていると云うことではありません。系がその加速度運動を実際にしているなら、追突の無限玉突きをさせないために、何らかの方便を考えなきゃなりませんからね、勿論)
 さてここで、絶対に間違えないで下さい、忘れないで下さい、があります。(これを強調するのは、およその世の人々はそれを間違い、忘れている(と言うより理解していない(と言うより、そもそも理解する能力が無い))からです)それは、変換は先ず加速度系ではどうなるか?の変換をするのだ、と云うことです。それからその結果を、等価原理で、重力系ではどうなるか?の結果として表しているんだ、と云うことです。変換式があり等価原理があるんだから、で、重力系から数値計算を始め、その結果をそのまま重力系での答だとしてはいけない、と云うことです。その計算は、重力系を加速度(−g)の加速度系だとしているだけだからです。詰まり、その計算では、【EAE−16の3】図の計算になってしまうんです。それでは重力系の《高さ》が消えてしまうんです。だからです。
 加速度系を無限重層にしても厚さは無限小止まり(?)でゼロにはならない、ですが、ひとつの加速度だけを持つ加速度系には《高さ》がそもそもありませんから平面です。それで、その平面を無限に重ねた左の【EAE−16の5】図の左側の加速度系が、等価原理で重力系に置換することが可能な、「高さを持つ加速度系」だとなります。
 で、このそれぞれの加速度平面系でそのそれぞれの変換式をそれぞれ一つずつ数値計算で適用して慣性系の座標を変換し、それで全体の無限重層加速度系を、等価原理で、重力系に置換する、とゆーわけです。
 (でもさあ、ここまで考えてそうしているなんてことは、そもそもで、していないんだよねえ、数学者も物理学者も天文学者も・・・。だから先ず、世間で通用している、アホにも届かない全くのアホを、せめて真っ当なアホ(?)にしなけりゃ話が進まないからで、「そのアホは本当はこーゆーアホなんですよ」をしてるんだけど・・・。たくっ、もお。よいじゃないんだよね、こーゆーのはさ、ホント。ブツブツ。ブツブツブツ。・・・)
 【EAE−16の5】図は【EAE−15】図の上半分を切り取ったものですので、ここでの説明は【EAE−15】図の説明でもあります。
 さて、めでたく無限重層加速度系で数値計算を行ったその答が、この無限重層加速度系の全空間で出た、とします。でも、ここで大難問が出て来ます。等価原理でその答をどうやって重力系に置換するんだ?の難問がです。
 重力系の重力が無限重層加速度系のように「平面上にある」なら勿論そのまますんなり置換してOK、メデタシメデタシ、で終わりです。でも重力系で重力がある面は球面です。詰まりここでも、異次元の正面衝突が起こってしまうのです。
 無限重層加速度系のある一つの加速度αnの平面にある全部の座標と、重力系で同じ加速度αnを持つ球面は、一点でしか対応しません。無限重層加速度系の加速度αnの平面は、それがどんなに広い面であろうと、重力系では点になってしまうのです。
 無限重層加速度系内の全ての個々の加速度平面でもこのことは全く同じですから、結局、無限重層加速度系は、それがどんなに巨大な体積を持っていても、重力系では一本の直線にしかなりません。とゆーことなので、加速度系を無限重層加速度系にしてまでの涙ぐましい努力をして、煩雑な数値計算を数限りなく繰り返して、やっとの思いで光を曲げたとゆーのに<(ちょっと蛇足の*注* 煩雑な数値計算を数限りなく繰り返さなければならない、は大袈裟だと想われるかも知れませんが、方程式だと言ってもそれが非線形マトリクスなら、離れた2点の間がどうなっているかをその2点から想像する(その2点を補間してその間の1点を出す)ことはきわめて大雑把なものにしかなりませんし、過去の状態から未来を見当付けることも、あてずっぽう、です。詰まり、実際にその場所その時間で、のそれで数値計算をしなければ、その場所その時間の状態は、大体こんな程度でしょう、のそんな程度でさえ、決定することが出来ません。結果がなめらかな曲線になったかどうか?は、全く計算後にあるだけです。それを期待して補間・予測はできないんです。それが「非線形マトリクス方程式を解く」と云うことです)、実際にその光は等価原理で重力系に置換すると、重力中心方向には進んでも、しかしその光の軌跡はどれも、一直線の鉛直線にしかならないのです。
 (【EAE−15】図では更に、縦軸が普通の『Z軸』なのは上半分だけで、下半分は『-t軸』で、逆転した時間軸にしていますし(縦軸をこうしている理由は・・・、う〜ん、・・・)、重力ポテンシャル最大の重力中心(*注* 正確に言うとこれは、いわゆる質点として重力原因がある、の場合です。重力原因が、普通の星のような幾何学的大きさを持っている実際の場合では、重力ポテンシャルが最大(重力中心方向への落下加速度が最大)の場所は、重力中心からは少なからずで離れている、ある「球面」であり、そこから漸減して行って、重力中心に至って加速度がゼロになります。(もしその星の内部の密度がどこも同じなら、そのある「球面」とは即ちその星の表面です)の加速度がゼロになったり、下側の方の加速度もあったり、なんですが、その説明は絵だけで解るでしょう、でしません。この説明はメッチャ面倒くさいんで。ま、いいでしょ、それでも。アハハ (^^; )

 (*注* ところで、しかしながら、ある加速度系で下側に直線が曲がったからと言って、しかしその加速度系での曲がりで下にある別の加速度系に入って行けるのか? の問題もあります。右の【EAE−16の6】図ですね。「ひとつの加速度系の曲がりはその加速度系内だけで完結している曲がりだ。だからその曲がりで下の全く別の加速度系には移れない」なので。(詰まりはこれは、重力系を積層された加速度系だとすると、しかし光を曲げても、その曲がった光は下方向には行けない、と云うことですね)、でもその問題は、完全に無視し、《無い事》だとして、考えにはそれは全く入れません。面倒臭いし、なによりそーだとすると、それで話が終わっちゃいますので・・・。アハハ (^^; )

 (*ついでに* でも加速度系とかって言ってますけど、その全体空間がその加速度運動をしているんじゃなくて、加速されている部分の物体と一体の物体だけが加速されているんじゃないの? でもありますよね? 空間は慣性系にしかなれないじゃん! で。(左の【EAE−16の7】図をご覧いただければそのことはお解かりいただけますよね?) だから、それでどうして、そこの空間で光が曲がるような計算が出来るの? の問題も当然にあります。でもそのことも、勿論《無い事》だとして話を進めます。これも、《有る事》だとすると(でも、《有る事》、だとするしかないよねえ・・・)、それで話が終わりになってしまいますので。
 (ついでに、の*注* もしこのことを考えようとする人がいるなら、その人は、加速度運動は相対運動では無い、と云うことを必ず頭に入れて置き、絶対にそれは忘れないで考えて下さい。加速度運動をしている観測者だけが加速度運動をしているんです。その観測者から見ての、みかけの加速度運動をしている系の観測者には、加速度運動に伴う何の力学イベントも存在していないでしょう? 詰まり、実際の加速度運動が在るだけなんです。みかけの加速度運動と云うものは、そもそも、存在しません)みかけの加速度運動でも、代数的になら、加速度運動だとして計算できる、と思う人もいるかも知れませんが(実際、一般市販教科書では、エレベーターの中の光の曲がりをこのことで説明してるんですよねえ・・)、加速度α1から見たら確かにそれはみかけが加速度-α1ですが、全く同じそのそれが、α2から見れば-α2になり、α3から見れば-α3になり・・・、で、それでは光の軌跡が1意に決定されず、一つの光が無数の曲がった光になってしまうでしょう?))

 しかしまあ、ここまで計算をやったんです(?)から、その計算でなにがなんでも空間を曲げます、伸ばします。勿論、曲げる・伸ばすがどうやっても背理で出来ない、なら、それは神様にやってもらいます。「こんなアホな宇宙を作ったのはオレじゃねえんだからイヤダ」、なんて言ってもやってもらいます。神様なんです。その取る責任は結果責任です。無過失責任です。「知らねえよ」、は、仮令神様でも許しません。
 とゆーわけで「あのー、そーゆー時はまたお願いしますので、その時には、神様、よろしくお願いしますねえ」とお願いしましたところ、『よっしゃ、まかせとけ。どうってこたねえよ、そんなことはよ。お安い御用の朝飯前だ。安心してろ』とのご返事がありました。で、安心して先に進むことといたします。 (神様からの*注* バカッ!ゆってねえよ、そんなことはよ!勝手に神様の意志を捏造するな!バチアタリッ!!)

 【EAE−16】の1連の曲がった光(即ち直線)の図から、とにもかくにも曲がりさえすれば、で「曲がれば直線は伸びる」、と思われる人もいるかも知れませんが(実際の所、時空がどうのこうのと言っているアホな人たちも、皆んなその程度の理屈(曲がっているんだから伸びているんだ)だけで、シュワルツシルト時空はあーだこーだと言っているだけなんですね)、直線は曲がって行く先々で別の加速度系に移り別の曲率で曲がって行くのです。直線を曲げるその曲率は、曲がって行くその先程大きくなって行きますから、感覚とは逆で、「曲がれば直線は縮む」です。(この理由はこの項の【EAE−4】図が載っている辺り以下を参照して下さい)
 詰まり、曲がった時にその直線は伸びるのか縮むのか? は「曲がる」と云うそのことだけでは決定できません。そのどちらになるのか?はその直線が曲がるその環境による、です。
 でも、絶対に、「直線は伸びれば曲がる」じゃないか?ですね。だから何にせよ直線を伸ばしてしまえばシメタもの(?)。いやもおうもない。直線は「曲がる」以外にはもうありえない、ですね。では、で、先ず、兎に角、直線を伸ばしてしまおう、です。

そこに重力異常が無い空間で「ある点」を通る直線が、その「ある点」が重力異常を引き起こす程の重力場の中心点だった場合には、その直線はどう歪むのだろうか?を考えます。【EAE−17の1】図の上の直線ですね。 この条件で空間の歪みを考えるのは、しかし非常に純化された特殊な場合だ、と思う人がいるといけないので、これは全く普遍的なごく普通の場合です、の蛇足で、【EAE−17の2】図を右に出して置きます。
 詰まり空間に重力異常を惹き起こすような重力場にある座標点は、重力異常が無いと仮定した場合の空間(要するに、そこから計算を始めるその空間)で、全ての座標点は、重力中心を通る平面の上(重力中心を通る直線上)に存在している、と云うことです。各座標点は変換前も変換後も、それを通る直線をなんだとしようと、一個の位置しか持ちえません。 それで、全ての座標点を重力中心を通る直線上にあるとした変換計算でその変換後の位置を計算し、それだけで決定して勿論かまわないのです。
 で、【EAE−17の1】図の上の直線と座標です。重力異常が無いと仮定した直線上の3個の座標、Cn-1,Cn,Cn+1,の間の距離がそれぞれ等しく「l」だとします。こうしてから、重力異常があるとして各座標点の変換計算を始めます。既に述べたように、「変換計算が、そもそもで、出来ないんじゃないの?」の問題がありますが、それは無視して計算を実行します。その計算の答は、当然に【EAE−17の1】図の下の直線と座標点になります。Cn-1が重力中心に近寄る距離よりもCnのそれの距離の方がより大きく、Cn+1は、勿論、Cnのそれより更に大きくなります。従って、元々の各座標間の距離「l」は、変換後は、Cn-1とCn間は「L」に、CnとCn+1間は「LL」の異なった距離になり、勿論 L<LL ですね。
 この3個の座標間の距離の関係は、勿論この直線上の全ての座標点の間で同じになりますから、 ジャーン! うれし〜い、直線は重力中心に近づく程伸びるのだ〜〜、市販教科書通りになるぞ〜〜〜、ですね。
 でもなんです。だけど、なんです。
 【EAE−17の1】図には、重力中心が描き込んでありませんよね? 実はワザと描き込んで置かなかったんですが。とゆうのは、先に描き込んで置くと困ることになるからです。それで、全部の答を出してから描き込むことにしたんです。何故困るのか?の理由は、左の【EAE−17の3】図の[L:]があるからなんですね。
 要するに、重力中心に近い座標間の距離がどんどん伸びて行くと、変換後の座標点は重力中心を飛び越してどんどんとさらに先に進んでいってしまうんですね。この計算の重力中心の位置は、全ての座標点に対して同じ位置を持っている一個・一意の位置でなければなりません。そうでなければ、これもそもそもで、変換計算が出来ません。全ての個々の座標点にそれ専用の重力中心を割り当ててそれで変換計算をして、あとから重力中心の位置を揃えて一個・一意にする、なんてことをすると、ここでも、それは、【EAE−10】図の空間になってしまいます。 それで、変換後の座標点が重力中心を飛び越して先に行ってしまうのはかまわんどいて、計算が終わった後で、重力中心を所定の位置まで遠ざからせて完成、とするわけです。  (*注* しかし、まあ、そうやっていいんだ、として、しかし肝心の、変換後の重力中心の所定の位置は、一体どうやって計算するんだ? の問題があります。自分自身が自分自身との距離を、この空間では最大のそれだとするような計算が出来るの? ですから。でも、ハイ、そんなヒネクレたことは考えないことにしましょう、ですね)
 さて、この変換計算は、当然に重力中心を挟んで対称的にあるもう1本の直線でも計算しないといけません。それが、図の[R:]ですね。[R:]側の計算は[L:]側の計算の逆なだけですから、変換後の重力中心を原点に置けば、正負が逆になるだけなので、この計算は全く省略できますので、しません。 で、その[L:]と[R:]を足し合わせたものが、言うまでも無く、[L+R]です。
 その[L+R]から、計算のための重力中心と補助線を消したものが、[T:]です。 ついに出来た〜、完成だ〜、苦しかった〜、辛かった〜、長かった〜〜、ウルウル・・・、・・・。
 いえいえ、まだ感動するには早いです。ここで最大の難関を突破しなければならないんです。
 そうです、伸びた直線を全体空間にピッタリと収めなければならないからです。図の通りで、全体空間の大きさは変わりません。伸びた直線にあてがう分は、直線が伸びていないとした計算前の分だけで、そこは伸びてはいないんです。[T:]の絵では伸びた直線を上の線にして外に出して描いていますけど、それは単に便宜でそうしているだけで、実際は下の線の空いている部分に全部が入っているんです。 で、どうしましょうか? です。 え〜と、そ〜ですね〜、やっぱりそれをそーすることは、神様にたのんじゃいましょうか?・・・。
 (神様の独白「To be or not to be. That is question. 存在とあるべきか、べからずか? それが問題だ…。 冗談じゃねえよ、バカヤロ。金魚鉢の中に鯨を入れろって話だ。『こんなアホな宇宙の面倒なんかみられるか、ったって、宇宙はそーなんだからしょーがないでしょ。神様がやんないんならじゃあ誰がこのアホのオトシマエをつけてくれるってゆーんですか。やるしかないでしょ!できるでしょ!神様なんでしょ!そんなくらい簡単でしょ!』ってコキャがって、なにがなんでもオレにやらせるつもりなんだ。とんでもねえよ。ふざけるなっ!つーの。 逃げちゃお。消えちゃお。 ♪ あっ、消えますよ、消えますよ、消えます、消えます、消えますっ!」ドロドロンッ、パッ。)
 とゆーわけで。神様〜、ちょっとお願いがあるんですけど〜、あれ〜? どこ行っちゃったんですか〜〜? 出て来て下さいよ〜〜〜。と、しかし呼べど叫べど神様は現れてくれません。 う〜ん、困ったな〜〜、とでもしないところが人間様の偉さです。そう、人間様は神様よりも賢いのです。(どこかの遠くから、「バチアタリッ!」、の声が聞こえたよーな・・・)
 そーなんです、実は、金魚鉢に鯨を入れるなんてことなんかは、どうってことない簡単なことなんです。鯨を入れられる大きさの金魚鉢を作ればいい、だけのことなんですからね。
 その、鯨を入れられる大きさの金魚鉢を作る、が右の【EAE−17の4】図です。そう、正に、一般市販教科書の、空間が伸びている、その図示です。
 【EAE−17の3】図の[T:]のように、元々の1直線の中に伸びた直線部分を入れるのは、神様ならともかく(でも神様もイヤがって逃げちゃったけど…)、矢張りちょっと無理です。しかし【EAE−17の4】図のように伸びた分を2次元方向に表示すればいいだけなんですね。しかもこの2次元表示は、図の通りで、重力中心のX座標が変化していません。この直線の伸びは重力中心を通る直線の伸びなんですから、X座標の値しか問題にはなりません。それで、変換後の重力中心の所定の位置はどう決定すればいいのか?、の問題も生じません。重力中心は元々のその場所にある、のその図なんです。なにより、そう、直線は曲がって伸びている! のです。
 大成功です。文句無しで、これで大団円、一般市販教科書の通りの図が描けました。「メデタシ、メデタシ」です。
 でも、ホントに、これで、「メデタシ、メデタシ」の終わりにしちゃってもいいんですか? 大丈夫なんですか? 空間は【EAE−17の4】図のように伸びているんだとしちゃっても?
 では、【EAE−17の4】図を根本的に反省してみましょう。それは勿論、直線が伸びる(詰まり、実在とされている伸びている空間の、その【幾何】)とは? の反省でもあります。
 以後の論の前提とするために、先ず最初に決定しなければならないのは、【EAE−17の4】図はただの、解かったような気になってもらうための便宜図か? それとも実際の空間の姿か? です。便宜図だとすると、実際の空間の姿は、やはり、【EAE−17の3】図の[T:]だ、となります。しかしながら、(神様に逃げられちゃったので?)その図を幾何学で描くことは出来ません。
 しかし幸いなことに(?)【EAE−17の3】図の[T:]を実空間だとせずに【EAE−17の4】図を実空間だとしているのが一般市販教科書です。従ってここでも、【EAE−17の4】図は解かったような気になってもらうための便宜図ではなくて、これが実空間表示なのである、として話を進めます。
 で、話を進めようとしてすぐに、また困ったことが起こります。
 「【EAE−17の4】図は重力中心のX座標が変化していません。変換後の重力中心の所定の位置はどう決定すればいいのか?、の問題は生じません」、は、その空間には1本だけしか直線が無い、の条件下でしか成立しないからです。
 左の【EAE−17の5】図のように、任意に様々な直線が勝手に引かれているのが、勿論、普通の、と言うより全ての空間です。そのそれぞれの直線上の座標点を変換すると、その直線のみにそれぞれの重力中心をあてがわなければならなくなります。(【EAE−17の4】図を傾けたりズラしたりすれば、その傾きに連れ、ズレに連れで、重力中心も傾く・ズレる、は説明抜きでお解かりいただけますよね?)
 詰まり、その空間の重力中心が、ある大きさの球360°の全範囲にびっしりと無限に存在してしまいます
 そしてこのことは、市販教科書のように、平面をへこませて空間の歪みの図を描いているものでも全く同じになる、も説明抜きでご了解いただけますよね?
 市販教科書の歪んだ空間の図示は、その空間には1枚だけしか平面が無い、の条件下でしか成立し得ない、歪んだ空間の図示でしかないんです。 要するに、市販教科書では、へこんだ空間ひとつだけが描かれて、それだけでへこんだ空間の姿が1意・1個に決定されていますけれど、詰まりは、それは、ひとつの平面しかそこには描かれていないからなのだ、と云うだけだからなんです。複数の平面をそこに描けば、【EAE−17の5】図と同じく、その複数の平面それぞれに固有の、重力中心と平面のへこみ方を描き込まなければいけなくなるんです。
 ですから、本当は、市販教科書にある歪んでいる(伸びている)空間の図でも、その空間の重力中心が、ある大きさの球360°の全範囲に広がって、びっしりと無限に存在しているんですね。勿論そう描かれてはいませんけど、でも、そのへこんでいる平面の描いてあるその本を、逆さにしたり斜めにしたり傾けたりズラしたりをして見れば、その図示されている空間内の全ての座標点が、1意・1個に決定されていないその姿が、そこにハッキリと浮かび上がって来るでしょう?
 そーゆーことでも、しかし、いーんだ。それが真実の空間の姿なんだってことで、伸びている空間のロジックを作れないこともないかも知れませんが…、う〜ん、どーなんでしょーかねー……。
 蛇足で。上のことで修正した市販教科書の図、詰まり、この【EAE−17の5】図、でブラックホールを作ってみて下さい。 1個のブラックホールが3次元で無限大になる、詰まり宇宙全体そのものになってしまう、ことは、自明で、ご納得いただけますよね? (「ブラックホールは非常に大きく膨らんでしまうだろうけど、特異点になる重力中心が無限遠に後退している、とは必ずしもならないんだろうから、無限大になる、は大袈裟だよ」と思われるかも知れませんし、実際、この段階ではそうかも知れません。しかし、重力中心方向に一般市販教科書のような姿で伸びる空間は、ブラックホールであろうとなかろうと、どっちみち無限大に発散してしまいます)
 【EAE−17の4】図は【EAE−17の5】図の中のたったひとつの直線を描いただけのものです。ですから、実空間表示なんかじゃありません。じゃあ便宜のための図だ、としても、それは即ち【EAE−17の5】図そのものですから、とても「これで解かったような気になってくれったって、解かったような気になれるわけないよなあ〜。……」です。
 でも[人間様は神様よりも賢い]なんて言っちゃった手前、人間様だけで何とかしなくっちゃ、です、勿論。
 しかし要は、です。左の【EAE−17の6】図が描ければいいわけです。なんとかしてこの図が描けないものだろうか? です。すぐに思いつくのが、Vsの次元を1つ上に上げればいい、ですね。でもこの図は立体そのもの、つまり紛れも無い3次元です。Vsの次元を1つ上の次元に上げたらそこは4次元になります。しかし勿論全体空間は3次元のままです。3次元空間に4次元図形を埋め込んだらどうなるか? ですが……。 ハイ、そこから正に原初インフレーション宇宙が開始してしまいます、です。
 じゃあ、どうしましょうか?
 さてところでしかし、数学者や物理学者や天文学者は、伸びる空間はこういった空間処理をしなければならなくなる、などには全然全く考えを及ばさずで、一般相対性理論の空間はあーだこーだと言っているだけなんですね。 いえそもそもで、一連の【EAE−17】図の操作なんかを考えもしていないんです(これもそもそもで、こういったことに考えを至らせるまでの知能を、持って無いんですよね、あの人たちは。「神よりも賢い」とゆー賢者たちって、本当は、サルよりも愚かな愚者たちなんだってゆーことです、と……)。
 ですから、こんなアホな空間論なんかこれ以上やってられますか、バカバカしい、で、もう終わりにしちゃってもいいってばいいんですよね。ただ、ちょっとメタフィジックな頭の遊びにはなりますし、純論での非ユークリッド幾何学の反面教材には使いますので、ここで終わりにはしないでもう少し続けます。
 【EAE−17の6】図は絶対に描画不可能か、詰まり、この空間は存在不可能か?、となると、しかしそうとも言い切れないかも知れない、ですね。詰まり、時間を長さとして表せれば描けるかも?だからです。即ち《時空》です。  要するに、伸びる距離を光の通過時間の遅れで表せば?、ですね。「光速度不変」は一般相対性理論でも、勿論絶対原理です。ですから、その空間を光が通過する所要時間が空間の距離なのだとしたならば?、です。そう出来れば、【EAE−17の6】図の小さなVsに(幾何学的な意味での大きい、ではなく、光の通過時間がその空間では長いのだとして)大きなVLをピッタリと嵌め込めるんじゃないか?、です。
 しかしながら、です。その空間で光の通過時間が余計にかかる原因は、空間が伸びているからだ、です。空間が伸びている原因は、光の通過時間が余計にかかるからだとすると、ですから、これは「ニワトリが先か?タマゴが先か?」の堂々巡りになるだけでなく、因果律そのものの順逆が決定出来なくなってグチャグチャになります。《時空》は、光で時間と空間を計測し、しかしその時間と空間で光を計測していると云う、自家撞着している概念です。【次元・空間・時間】が自殺している概念が《時空》なんですよ、と云うことです。(光速度不変で時間を計測し、それを空間と同一視する《時空》概念が【次元・空間・時間】を自殺させるもっとも解かりやすい例は、思考実験の項にありますのでご参照ください)
 それともうひとつ、時空概念でこの【EAE−17の6】図を存在たらしめようとすると、正面衝突する事件があるので、それをどう言い訳したらいいんだろうか? の問題があります。その事件とは、正に、この歪んだ空間では光は曲がる、という、その事件です
 (x,y,z,ct)で座標を表す《時空》の、そのct座標はx、y、zとは全く違う座標です(というよりctは、これもそもそもで、座標なんかじゃないんですが)。x、y、zはそれぞれが残りの2つに直交している、いわゆる座標です。しかしctはx、y、zに重乗している、光速度不変で測った時間による距離なんです。
 (蛇足で。 例えば、x2+y2+z2−ct2=0 ← これなども、x,y,z,ct各座標それぞれが残りの3個の座標に直交している4次元(3+1次元)図形を現している関数(f(x,y,z,ct)=0)じゃなくて、原点からの距離ctを求めているだけの単なる算数計算でしょ?)
 ctで測った時間を距離だとしてVLのx、y、zの長さをそれぞれ縮めてVsに入れた時空立方体VLは、純幾何学的状態はVsと全く同じです。内部の全座標点(x、y、z)も勿論同じになります。ですから何の問題も無く、VLはVsにピッタリと収まります。ただ光の通過時間が長くなっています。それで(光速度不変から)見かけ上(?)この空間では距離が伸びていると観測されるわけです。
 しかし光はこの空間で曲がるので、この見かけ上のそれぞれの(x、y、z)間の直線は曲がっていると観測されます。当然に、例示する任意の光で、その軌跡である直線は、全てそれぞれの曲がり方で曲がっていると観測されます。詰まり、なんのことはない、見かけ上(?)ではありますが、その空間内部は、【EAE−17の5】図そのものになってしまっているとしか観測されないのです。そして悪いことは重なるもので?この(x、y、z)にはctが重畳されているのです。
 かくしてその空間は、全座標点(x、y、z)が異なる空間存在(見かけ上)・時間存在(実際上)を同時で無数に所有することとなり、全く非対称・非線形・非1意な空間になってしまいます。それで、一つの時間(個々によってのそれぞれに、時間の遅速があってもいいが、共有する時間存在は一つだ、と云うことです)と過去→現在の因果律で論理世界を作っていた全体の中のVs空間が、「タマゴがニワトリを産んでニワトリがタマゴに育った」、を認めざるを得なくなり、時間どころか因果律さえもがメチャクチャになります。詰まり、その空間の全ての座標点(いえ、時空で光を曲げた空間では、もうそもそもで、全座標点そのものが、見かけ上限り(?)ではありますが、1個・1意に決定されていないんですが)で、思考実験の項で例に出しているシッチャカメッチャカが起こってしまいます。そのことはVs限りにはとどまらず、その影響が宇宙の全空間に及びますから(Vsは全体と隔離・絶縁した空間ではなく、全体との情報・物質・エネルギーのやりとりがある、全体の1部分です。部分が1意に決定されていないなら、その部分を含む全体も、1意には決定されなくなります)、Vsにシッチャカメッチャカが起こってそこで論理が成り立たなくなると、全宇宙空間がメチャクチャになり、一切合切全部のロジックが宇宙から消えてしまいます
 どうやっても、【EAE−17の6】図は存在不可能です。詰まりは、ある空間内部にそこだけが伸びている空間を作ることは絶対に不可能です、が、結局の結論にしかなり得ません、と云うことですね。
 (蛇足で。 【EAE−17の1】図の計算をCn+1から始め、一つの計算毎に空間をずらして(詰まり、前の計算値をオフセット値として減算して)より外部の座標点へと計算をして行くと、空間は縮みます。詰まり、単に計算の順序をどう決定(この順序の決定は、計算者の好み(?)で決定することになりますが)するかで、空間は伸びたり縮んだりするんですよってことですね)
 しかしながらのそれにで、何よりも、で、『でもさ〜、そもそもでさ〜、変換計算そのものが出来ないのが相対論なんだよねえ〜。なのにさ〜、出来ない計算をやって作ったさ〜、その時間・空間をさ〜、あ〜なんだこ〜なんだって言ったってさ〜、しょーがないんだよねえ〜〜』ですけどね。

 さてところで、何故重力中心に近いほど引き伸ばされる距離が大きくなるという、その空間は、無限大に発散してしまうのでしょうか?
 このことの説明は空間の伸びをバネで説明した図がとても解かりやすいのでそれを使います。右の【EAE−17の7】図ですね。
 最先端【1:】の[Before]が伸びてすぐ下の[After]になったとします。その[After]の最先端部分(A’)の距離の中にも、しかし座標は複数ありますよね?とりあえずその中のよりどり3個を選んでその形を見ると、最先端【1:】の[Before]の最先端部分(A)と全く同じ形をしている3個を必ず1組選ぶことができますよね?そうなんですから、そのエリート(?)の座標3個をつなぐバネの形も全く同じで、結果、【1:】の最先端(A’)はそのまま、またすぐ下の【2:】の[Before]になっていますよね。で、それは【1:】と同じ形で伸びて【2:】の[After]になります。
 座標点は任意の距離に無限にあるんですから、【2:】の[After]の最先端(A’’)でも、上に述べたと同じことがあてはまります。 とゆうことで、【2:】の[After]の最先端(A’’)は更にまた【3:】の[Before]になって・・また[After]になって・・、また次の[Before]・・、[After]・・・、またまた次の・・・そのまたまたまた次の・・・、と無限にこのことがくりかえされますよね?。
 詰まりは、この、「最先端」は入れ子だってことなんですけど、この入れ子はより内部にあるものはより小さいって言うその入れ子ではありません。より内部にあるものも、その一つ上の外部と寸分変わらない大きさになっている、って言う入れ子です。何故そんな入れ子になるのか?は、より内部の入れ子はその一つ上の外部の入れ子の外に出る、だからです。何故なら、考察する当該の入れ子が常にこの空間の最先端になっている、からです。
 座標点は最初から空間に無限に存在するんですから、後形的に中間の座標が出来て行くわけでは勿論ありません。即ち最初の瞬間で、このことが全座標点で、時間差が完全に無しで、その最終段階まで起こって完了しているんです。ですから、どんなに小さな伸びでも、その伸びが空間に起こったら最期、いかなる空間も一瞬で無限大に発散してしまいます。
 勿論、このことは、バネでなく、代数計算でやっても、全く結果は同じになる、は、その計算・図解をやらなくても、ご了解いただけますよね?
 で、どなたも、ふと想われるんじゃないかと思います。「重力中心に近いほど引き伸ばされる空間は無限大に発散してしまう、なら、重力中心に近いほどより縮む空間はゼロに収縮してしまうんじゃないだろうか?」と。
 1919年頃ならともかく、今時の世間扱い(?)での一般相対論では縮む空間は扱われませんので、その云々は純論での非ユークリッド幾何空間(形而下)でロバチェフスキーをする時にしますけど、取りあえずここで、その答は言っておきます。ハイ、いえもう相対論とは無関係なんです。形而下のロバチェフスキー空間は、全てゼロに収縮してしまいます、です。
 となると更に、で、やはり相対論とは全く無関係で、「形而下のリーマン空間(図形)は、全て無限大に発散してしまうんじゃないか?」ですが、これも取り合えず結論だけ言っておきます。ハイ、そうです。形而下のリーマン幾何図形は、どんなに小さな図形でも、全て無限大に発散してしまいます

 一般相対性理論の空間はロバチェフスキー幾何空間だと云うことにし、ブラックホールを閉じた重力特異点(外部世界からは幾何学定義の点としか認識されない)にして、その場合は【EAE−7】図の破れて離れている面上の全座標が重力特異点である幾何学定義の点の座標と全く同じになるのだから全部くっついて破れが修復されてしまう。それで、空間には何も特異点などは無いとなる、でブラックホールの存在とその認識の排他背反性をやろう、だったんですね。でも擬似リーマンでも、ブラックホールは非空間としてしか存在出来ません。ですから、認識されるならそれは空間であり、存在は非空間でなければならないのだから、認識されているなら存在していない、で存在と認識は排他背反に結局なってしまいます。それで、(面倒くさいので・・)やるのをやめました。ま、いいでしょ、それでも。アハハ (^^; 。
 後、結局は、ユークリッド幾何空間の中に埋め込まれている、球面幾何の立体版でしかなく、伸びも縮みもせずまっすぐでしかない空間を存在させないと存在出来ない(詰まり2層仕立てになっていると云うことですね)のが相対論の空間なんですよ、が残っているんですが、それは一般的に言われている非ユークリッド幾何空間でも全く同じことなので、純論のそれでそのことはやります。
 とゆーことで、相対論的非ユークリッド幾何空間はこれでおしまいにします。細かい補足・訂正等はまだかなりやるだろうとは想いますけど、大きな更新はありません。

 ♪き〜らめき揺れつ〜つ〜、星座は巡る〜〜。
 しかし何事も無いように、星空は今日も宇宙にあって輝いています。きっと神様が(バカな宇宙ほど可愛い)で、色々あれこれ面倒を見てやっているんでしょう。ご苦労様です。 「オラそんなこたあやってね〜ぞ〜〜」の声が天上の遥か彼方から、でも聞こえて来ているよーな。・・・。


非ユークリッド幾何空間(純論)


 非ユークリッド幾何空間(純論)は後回しにして、「慣性質量と引力質量」に戻りますので、よろしく。でもちょっと科学基礎論の更新は(サボりたいとゆーか)休みたいので、すぐには再開しないかも、です。(ホント、疲れた・・・)スミマセン。
 (でも勿論、計量テンソルだの4次元ベクトルだのって言っていても、それは単に4個の自由度を持っている量だというだけのことですよ、全然全く4次元の量なんかではありませんよ、数字を4つ並べた行列を作れば4次元になるんだなんてことはないんですよ、数字が4つ並んでいる行列が4次元の行列であるためには、その4つの数字のそれぞれが残りの3つの数字に直交していると云うことを絶対の前提として3次元人に示して置かなければならない(しかしその前提を3次元人(行列の計算者)に知らしめる方法は、数学には(代数でも(とゆーより代数だからこそ当然に))絶対に無い(詰まりは、「数」でさえ、4次元空間の「数」は4次元でなければならない、なんですよ、です。3次元人は3次元の「数」しか使えないんですよ、です))んですよ、はもうご了解いただけていますよね?了解していない?う〜ん困ったな〜。でも、そーゆーことなんですよ、ホント。(*蛇足で* だから11次元(でも昔(?)は26次元だって言っていたよーな…)の宇宙ひもを解析している数学ってのは、そのそれぞれの数が残りの10個の数に直交してるってことを前提として承知しうる11次元人(!!!)がやっている数学なんですね・・・。・・・・。。。。))なので、ちょっとくらい(でも、ちょっと、かなあ?ですが)それは遅れてもいいですよね? (^^; )