[ホーム] [管理用]
皇室全般画像掲示板
美智子さま愛と激動の32年より
素晴らしい
感動した。
美智子さんて本当に祖母の名字が不明なんですね。どこが名家なんですか。
旧華族皇族の血縁には妾や芸者に生ませた庶子がけっこう多いんだってね。どこが名家なのかしらんが。
名字が分からないのはそう考えてくれって事だったんですね。
>祖母の名字が不明なんですね。シナ人でしょうね。 父親はずっと上海住まい。妻は 現地で見つけるか 日本に帰ってお見合いするしかない。(自称)名門副島家がわけのわからない家の女とお見合いなぞするわけがない。手っ取り早く現地で野合ですよ。綾というのは「あや」 漢人のあやです。 漢人とかけないからあや。
名家が母の素性を問わないのは子の教育をするのが 専門の養育係だからです。一般家庭の場合は母親が教育するので 母の素性は大事。冨美さんは上海という土地で漢人に育てられたので感覚的に日本人ばなれしているのは当然です。その冨美さんに育てられた美智子が(以下略)
この家系図が公表された時はまだ清々しい皇室だったわけですね。(紀子さまの名前はあるが、雅豚の名前はない)
美智子さんが入り込んでいますが。
初めて気がついた。正田の爺さん夫婦は双方正田家だよ。婆さんの父親が(5代)正田文右衛門 爺さんの父親が(3代)正田文右衛門の次男。従兄妹婚ってことになるのか?
血が濃すぎたのは正田のほう。そして他所(支那)から血をいれて刷新をはかった。結果育ったのがエタとシナのハイブリッドあばずれ美智子。
だからアホナルとアレレの愛子か。。。。
副島の婆さんの旧姓は不明正田の婆さんの急性は正田(従兄妹婚)三代前をみれば怪しいのは小和田だけじゃなかったね。
名字が不明となると、相当怪しいと思われても仕方がないですよね。
母方がかなり問題ありという意味が分かってくる。
http://www.geocities.jp/taiwan_assoc/bs01x25.html中国が嫌われる七つの理由 by 拓植大学日本文化研究所客員教授 黄文
シナが嫌われるのは、たった七つだけの理由ではないと思う。
http://megalodon.jp/2012-0415-1811-47/www.yuko2ch.net/mako/makok/makok.php?res=460590>ID:gDk05oy6 No.461552 いいですか、副島冨美子ババアはたしか大正2年生まれだったはずですよ。昭和34年(1959年)美智子が結婚したときにまだ40代だった。たしか48歳。逆算すれば1911年(明治45年)生まれとなります。その冨美子ババアの母親は当然ながら明治生まれです。姓(苗字)がない分けないんですよ。 なぜ旧姓が載っていないの?正田のばあさんの旧姓(正田)が載っているのに)不自然じゃないですか?旧姓を載せることができなかったってことでしょ。旧姓は ウイルソンなのかシルバーバーグなのかはたまた劉なのか金なのかwww
>ID:gDk05oy6 No.461700 さらに気になる点。 正田巌は昭和6年(1931年)生まれ。冨美子ババアが19で嫁にきた翌年生まれたことになってる。つまりババアは1911年生まれってことになる。が、この表によると明治42年(1909年)だ。微妙に年齢ごまかしてないか?この辺のずれが 大正2年生まれ説が流れた原因になってるのでは?本当に1909年生まれなら美智子が生まれたのは1934年=25歳のとき。(当時の常識として)第二子出産年齢としてはやや遅い。まあ別にどうでもいいが。巌の年齢にうそはないだろう。巌を産んだのが嫁にきた翌年というのが本当なら 結婚は昭和5年(1930年)このとき19というのが計算にあわない。このとき21歳なら良いんだよ。21歳というのは当時としては結構遅い。まあ遅くともよいが。なんでこんな微妙なずれがあるのか、ということだけど17歳で女学校を卒業してすぐ結婚した、というイメージを壊したくなかったのではないか?17才から結婚する21歳まで 上海でなにしてたんだろう?
>ID:YaN3T9w. No.461717 あるいは逆に17歳で卒業したのが嘘、という考え方もある。冨美子は上海生まれの上海育ち。結婚するまで日本で過ごしたのは フタバ学園にかよったたった2年間だけ。寧ろ、正田と結婚が決まってから、あわてて(年齢をごまかして)フタバ学園に留学したのかもしれない。つまり17歳から19歳まで通学し、「日本で教育を受けた人間ですよ」というアリバイをつくって結婚。こっちのほうが本当くさくないか? いずれにしろ冨美子ババアの背景は小和田並みに真っ黒けだ。宮内庁長官が「あのババア怪しい」と言っただけのことはある。>ID:m4VztKeo No.462031 武家の出とか吹聴してたんですか? 副島家は武家じゃないですよ。佐賀の武家の副島家は副島種臣の副島家一家だけです。種臣と冨美子には血縁関係はありません。つまり冨美子の実家は武家ではないんです。 明治になって勝手に副島と名乗っただけの先祖不明の副島家です。それでも名乗るのは勝手です。佐賀の名家を勝手に名乗るいい加減な一族の末裔が冨美子の父方であり明治になって勝手につけた苗字を名乗ればいいのになぜか苗字のない「綾タン」が冨美子の母親です。