「少時様」の「前の門」
狭山事件の脅迫状における「少時様」「前の門」という言葉が何を意味しているのかについては諸説があるが、『狭山事件公判調書 第十四─二十八回公判』第二審第2分冊(部落解放同盟中央出版局)を読んでいたら、次の記述に出くわした。弁護側が東京高裁第四刑事部に提出した事実取調請求書の一部である。
G 証人青木一夫は、当審第七回公判において、「死体発見現場付近の江田ショウジが、脅迫文にある当初ねらわれた家であると想定し、被告人にその家との関連を聞いたところ、知っていると答えた」旨供述するが、捜査当局は、脅迫文の「少時」に該当するのは堀兼居住の「増田正治」でないかと当初考えていた旨の報道記事があるので、これをもって右証言の証明力を減殺する。
H 「本部では付近一帯を調べたところ『小時さん』(ママ)は『正治さん』のあて字で同市堀兼一五◯八農増田正治さん(四八)ではないかとみられるに至った。」「犯人が営利誘かいをねらったと思われる増田さん方は中田さん方と同じ中農、子どもは十八才をかしらに中学一年の二男(一二)小学校五年の三男(一◯)同二年の長女(八つ)の四人。」等の記載がある。(p.1157-1158)
住宅地図で調べてみると、現在の狭山市堀兼1508の居住者名は空白になっている。空き家になっているのか、それとも表札を出していないのか。場所は佐野屋の真向かいである。
この家の筋向い、佐野屋と同じ並びの西南方向に大きな門がある。「少時様」の「前の門」とは、この門のことなのだろうか。