相対論の考え方[連載]15
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RE:相対論の考え方[連載](1119/1239)
Yasushi様、1116番のコメントありがとうございました。

>>[長さ]と[時間]は、互いに異なる測定器具を使用しています。これは、それぞれ
>>の測定器具が、互いに異なる[基準になるもの]を利用しているからです。このた
>>め[長さ]と[時間]は、[異なる物理量]であると考えています。
>
>ええと,「長さ」と「時間」は同じ測定器具を使用して測定します.たとえば,
>そもそもの「長さ」の単位となる「メートル」の定義は,「1メートルは、光が
>299,792,458分の1秒の間に真空中を進む行程の長さ」でして,
>「299,792,458分の1秒」という「時間」で定義されます.

この定義を、よくお考えになってくださいませんでしょうか。

>これは,単なる言葉だけの「定義」ではありません.実際の測定でも,この方法
>で「長さ」を測定することは日常的です.今や普通に使われている「長さ」の
>測定器に,「レーザー距離計」というものがあります.
>
>この測定器具は,目標物にレーザー光が当たって反射して帰ってくるまでの
>「時間」を測定します.表示の際に,上記の「定義」に従って,「時間」(秒)
>を299,792,258倍してメートルとして表示する仕組みになっています.

レーザー距離計は、レーザー光の往復時間t[sec]を測定する測定器具です。
この測定値t[sec]に速度299,792,258[m/sec]を掛ける計算機能がついています。
そして、距離299,792,258×t[m]が表示されます。
このように、レーザー距離計は、距離を直接測定する測定器具ではありません。
このように、レーザー距離計は、付属の計算機能によって、間接的に距離を算出し
ます。
このように、レーザー距離計は、時間測定器具であり距離算出器具です。測定と算
出の違いがお分かりいただけたでしょうか。

この場合、光速度はc=299,792,258[m/sec]が使われています。MKSA単位系が使わ
れています。
この場合、光速度にc=1[無単位]は使われていません。ですから、c=1の単位
系は使われていません。
この場合、距離=速さ×時間が使われています。

>Yasushi様、ありがとうございました。gyo


あもん様、1111番のコメントありがとうございました。

>>これは、1=3.0×10^8 m/sec と MKSA単位系は、相容れないものであることを認
>>めているのですね。
>「相容れない」というと語弊があります。MKSA 単位系からは、与式は導出できな
>いということです。また、その否定も導出できないので、与式は MKSA 単位系と独
>立なのです。

時間を測定する時の基準になるものは周期だと思います。
距離を測定する時の基準になるものは経線の長さや波長だと思います。
c=1の単位系では、周期=経線の長さ(または波長)のように、測定器具の基準に
なるものについても等しいとお考えなのでしょうか。

>>sec=3.0×10^8 m は、c=1の単位系では認められますが、MKSA単位系では認め
>>られません。これでよろしいですね。
>よいです。(認めれば MKSA 単位系でなくなるという意味で。)

MKSA単位系には、c=1の単位系は存在しないことがわかりました。

>>もしかしてc=1の単位系を認めなければ、相対論の単位系は成り立たないので
>>はないですか。
>MKSA でも相対論は記述でき、実際、多くの教科書は MKSA で相対論を記述してい
>ます。アインシュタインの論文(1905)もしかり。

1つ、理解できないことがあります。相対論でよく言われる、時間が遅れるとは、
どういうことなのですか。MKSA単位系を使って、矛盾なく、また、現実的に、お教
えください。

>>これら2つの例は、等式の両辺とも、同じ物理量を表しているものです。言い方
>>を変えれば、換算の決まりを表したものです。
>その通り、cal=4.1855J, N=kg・m/sec^2 は換算の決まりを表したものです。そし
>て、c=1 の単位系では、まったく同様に、sec=3.0×10^8 m が換算の決まりに
>なっているのです。

時間[sec]が、長さ[m]と等しいとは、具体的にどういう事なのでしょうか。

sec=3.0×10^8 mを正確に書き表すと
1sec×3.0×10^8 m/sec=3.0×10^8 mであり、光速度=3.0×10^8 m/secです。
これは1秒間に光が進む距離を表しています。

1sec×1無単位=3.0×10^8 mではなく、
光速度=1[無単位]でもありません。

sec=3.0×10^8 m の式は、正確さに欠けていると思います。
また、両辺の単位も異なります。

>> しかし[長さ]=[時間]は、両辺の物理量が異なるので、矛盾を感じます。
>MKSA の慣習から、気持ち悪いと感じるのはよくわかりますが、矛盾を証明するこ
>とはできません。

測定する時の基準になるものが、周期=経線の長さ(または波長)とならなければな
りませんが、これについても矛盾はないと言えるのでしょうか。

>>お互いに異なる基本単位である[m]と[sec]が等しいということは、MKSA単位系で
>>は認めていないと思います。また、物理学でも認めていないと思います。
>MKSA で認めていないのはその通りです。物理学で認めていないというのは、明ら
>かに間違いです。

仮説の物理学で[長さ]=[時間]は認めていられるのですね。
現実の測定方法を使う物理学では[長さ]=[時間]は認めることはできないと思いま
す。

>> [長さ]=[時間]は、c=1の単位系で成り立つものだと理解しました。
>はい。

[長さ]=[時間]は、c=1の仮説の中で成り立つのですね。

>>また、MKSA単位系とc=1の単位系とは相容れないものであることも理解しまし
>>た。
>前述のように、「相容れない」というと語弊があります。「異なる」と置換すれば
>OKです。

距離=速さ×時間は、現実の測定器具を使って導き出されたものです。
c=1の単位系は、仮説から導き出されたものですね。

>>MKSA単位系では 組立単位=複数の基本単位を使った式、であり、両辺とも実質
>>的に同じ物理量が表されている等式であることも理解しました。
>>c=1の単位系では、両辺の物理量が異なるもの同士を等式としていることが分
>>かりました。
>理解の第一段階としては、それでいいでしょう。ただ、gyo さんの考え方に依れ
>ば、エネルギー密度と圧力が "実質的に同じ物理量" になることに注意して下さ
>い。くり返しになりますが、
>    「同じ単位を持つ2つの物理量は "実質的に同じ" である」
>という考え方は捨てるべきです。この分類法は単位系に依存します。そして、
>  「異なる2つの物理量が同じ単位を持つことがある」
>ということを、積極的に認めるべきでしょう。

1051番の発言の一部を再掲させていただきます。
>>>お聞きしたいのですが、エネルギー密度と圧力は、一つの等式の中に両方と
>>>も現れてくる場合があるのでしょうか。
>>熱力学では頻繁に同居してます。例えば、理想気体について、ρ=Cp/R 
>>が成り立ちます。ここで、ρ はエネルギー密度、C は体積モル比熱、p は
>>圧力、Rは気体定数です。これらのρとpの二つは、一つの式の中で、記号
>>で区別しています。
>ρ=Cp/R この式からすると、pをρへ、Cp/Rの式で換算するもので
>あると言えます。そして、pとρが同じ単位であっても、p+ρやp−ρの様
>に同じ次元での計算はできないと思われます。ですから、pとρは、同じ単位
>であるが、別の測定器が必要になっても良いと思います。
>同じ単位であり、さらに、加算や減算ができる量ならば、同じ測定器で計測で
>きると思います。今回の件で、この様に考えさせていただきたいと思います。

このことは、同じ単位であっても、異なる物理量であることがありうると、言って
いたと思います。
同じ測定器で測定できなければ、単位が同じでも、同じ物理量とは言えないと説明
したつもりです。
Cは体積モル比熱:比熱計で測定。
pは圧力:圧力計で測定。
Rは気体定数:これによってpとρの単位を同じにする。
このように考えているので、pとρは単位が同じでも、同じ測定器では測定してい
ないと考えています。

>よく考えてみて下さい。MKSA の立場からc=1の単位系を非難するならば、同様
>の理由で MKSRA の立場から MKSA を非難できます。

異なる物理量の測定器は、基準になるものが互いに異なることについて、c=1の
単位系ではどのようにお考えでしょうか。

あもん様、ありがとうございました。gyo


皆様から、たくさんのコメントをいただきました。

その結果、c=1は、仮説による物理であると理解しました。
MKSA単位系は、現実の測定器で基準になるものを使って組み立てた物理であると理
解しました。
また、速度によって時間が遅れることは、現実にはなく、相対論と言う仮説の物理
で起きることだと理解しました。
仮説は、現実にはありえないことも、自由な発想で可能であることも理解しまし
た。
速度によって「時計」が遅れることは現実である、と理解しました。
仮説と現実の違いがやっと理解できました。
相対論は、矛盾を指摘できないと言われる理由がやっと理解できました。相対論は
仮説の物理だからです。このことから、最終的に、相対論は無矛盾である、と言う
言葉に必ず至るわけが、やっと理解できました。
仮説はどのように立てても良いのですから、矛盾を指摘すること自体が間違ってい
ると理解しました。
相対論が述べていることは、現実にはありえないと言うべきでした。

皆様は、光速度不変と言う仮説のもとで相対論を研究なさっていることが、やっと
理解できました。
私は光速度は変化するという現実のもとで考えています。
これは、お互いに相容れないものです。
ただし、私は、光速度が変化するということは、現実であり、仮説とは考えていま
せん。
この方が、現実に合った説明ができるからです。
光速不変の仮説では、時間と長さの伸縮がおきます。これは、タイムマシンが可能
であることを意味しています。
私は、このような事は、現実には有りえないと思っています。
私は、3.5次元の現実で、物理を考えていきます。

相対論は光速不変と言う仮説を前提とする物理であることを、今、再確認しまし
た。

皆様、ありがとうございました。 gyo


RE:相対論の考え方[連載](1120/1239)
TOSHI様、1118番のコメントありがとうございました。

>まあ、あまり身もふたもない発言もなにですから、思いつきで測定器の話をする
>と。温度は温度計のアルコールや水銀の「長さ」で測ります。たいていの測定器は
>どのような物理量も計器の「目盛り」で、読み取るので、だいたい線で考えれば
>「長さ」をはかっています。

温度計は、アルコールや水銀の体積の熱膨張が話題になるかと思いました。

>「角度目盛」も実はラジアン、つまり単位円の円弧の「長さ」ですね。あくまで
>も、われわれが計る場合の「単位」とは何者かという話が上に述べた測定器の話と
>同じではないかという問題提議をしているのだということをもう一度、よく考えて
>みてください。

目盛りに使われているものを、話題にしているのですね。目盛りは確かにそのよう
なものが利用されています。目盛りがあれば、実に簡単に読み取れます。

MKSA単位の測定器の原理でなく、目盛りの話だとは思いもよりませんでした。

私は、てっきり基準になるものの物理的性質が言われるのではないかと思っていま
した。

目盛りは、確かに長さやラジアンが使われています。目盛りが共通なものがつかわ
れていることが言いたかったのですね。

物理的性質をすべて目盛りにしてしまおう、というのも、仮説であると理解しまし
た。

>私はMKSAなどの特定の狭い単位系の話をしているのではありません。

物理的性質さえも捨て去ったという仮説ですね。これではますます現実から離れて
いきますね。

TOSHI様、ありがとうございました。

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