相対論の考え方[連載]14
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RE:相対論の考え方[連載](1115/1239)
TOSHI様、コメントありがとうございました。

>では、聞きますが、「長さ」と「時間」が「異なる物理量」であるとどうしてわか
>るのですか?

[長さ]と[時間]は、互いに異なる測定器具を使用しています。これは、それぞれの
測定器具が、互いに異なる[基準になるもの]を利用しているからです。このため[長
さ]と[時間]は、[異なる物理量]であると考えています。

[時間]は、地球の1回の自転を基準にし、これを1日と決めました。
地球の自転周期=1日÷地球の1回の自転
この[周期]とは、地球の1回の自転(1サイクル)にかかる[時間]を表しています。
この[周期]という[基準になるもの]を利用して時計が作られ、[時間]を測定する器
具になっています。
今、[周期]には、原子が放つ[周期]も[基準になるもの]に使われているようです。

[長さ]は、地球の北極から赤道までの1本の[経線の長さ]を基準にし、これを[1万
km]と決めました。この[経線の長さ]という[基準になるもの]を利用して、メートル
原器が作られ、巻尺などの[長さ]の測定器具が作られました。
今、[長さ]には、原子の放つ[波長]も[基準になるもの]に使われているようです。

[時間]を測定する器具では[長さ]を測定できません。
[長さ]を測定する器具では[時間]を測定できません。
なぜなら、それぞれを測定する[基準となるもの]である[経線の長さ(または波長)]
と[周期]は、互いに異なるからです。
このため[長さ]と[時間]は、[異なる物理量]だと考えています。

ある条件のもとで原子から放たれる光の中には、[波長]と言う[長さ]と、[時間]を
決める[周期]の両方の性質を兼ね備えたものがあります。しかし、[長さ]を測定す
る時は[波長]が、[時間]を測定する時は[周期]が利用されています。このように、
[長さ]と[時間]では、利用される光の性質が異なります。

>「速さ」が、[長さ]と[時間]の2つとは「異なる」ことがなぜわかるのですか?

速さの [m/sec] という単位が示すように、速さは、異なる基本単位を組み合わせ
た組立単位です。このため、基本単位である長さ[m]や時間[sec]と、これらの組立
単位である速さ[m/sec]は異なる物理量だと考えています。

>「異なる物理量」であることを論理的に証明できますか?

以上の説明が論理的といえるかどうかは、分かりません。しかし、[時間]や[長さ]
を測定するのに使われる[基準になるもの]は、互いに異なるので、同じ物理量とは
言えないと思います。

>いえることはもし「時間」と「長さ」が同じという仮設をたてれば論理的に「速さ」
>は1、つまり無単位ということだけです。

この仮説はc=1の単位系の事ですね。ただし、この仮説は、MKSA単位系とは相容
れないものと、私は考えています。

私は、仮説によって、自由に単位系を作ることができると思います。ただし、単位
系の作り方によっては、お互いに相容れない2つの単位系が発生する事もあると思
います。ここで話題になっているc=1の単位系とMKSA単位系は、これに当てはま
り、お互いに相容れません。

>逆に速さが1という仮設をたてれば「時間」と「長さ」が同じということもいえる
>でしょう。単位とはそういうものです。

現実に互いに[異なるものを基準]にしているから、[異なる単位]ができると思いま
す。
なぜ、仮説では、現実に互いに[異なる単位]である「時間」と「長さ」を同じもの
としているのですか。
c=1の単位系は、[時間]と[長さ]のそれぞれの[基準になるもの]である[周期]と
[波長]が同じであると言っていると思われます。なぜ、このようなことが言えるの
ですか。

仮説は、現実とは異なる単位系も認めるから、「単位とはそういうものです。」と
言われるのでしょうか。
現実では、現実に合致した単位しか認められないと思います。ですから、現実で
は、[異なる単位]は[異なる単位]である、としか考えられません。[異なる単位]が
[同じ単位]であるとは、考えられません。
なぜ、現実では[異なる単位]が、仮説では[同じ単位]であると言えるのですか。

>「電気」と「磁気」が異なる物理量であることも、長さと温度が異なる物理量である
>ことも仮説がなければ証明できますか?どうして異なるとわかるのですか?

電気と磁気、長さと温度の、それぞれの測定器具が異なっていませんか。測定器具
が異なるのは、[波長]と[周期]のように、[基準になるもの]がそれぞれ異なってい
るからではありませんか。[基準となるもの]がそれぞれ異なることは、互いに[異な
る物理量]であることを示していませんか。

[基準になるもの]が異なることは、現実です。このため、現実をわざわざ仮説とす
る必要はないと思います。

異なる物理量は、[異なる物理量であるという仮説]がなければ、異なる物理量であ
ることが証明できないのですか。[異なる物理量であるという仮説]がなければ証明
できないとしたら、そのわけをお教えください。

c=1の単位系は、現実とは異なります。現実と異なるc=1の単位系から見てい
るので、現実の異なる単位は仮説であると言っているのですか。
単位が異なることは仮説であるとは、どういうことなのですか。

それとも、電気と磁気、長さと温度について、今までのc=1の単位系とMKSA単位
系が相容れないという説明と同様なことを、ここで再び繰り返さなければならない
のでしょうか。
それぞれの単位の[基準になるもの]が異なることを、説明しなければならないので
しょうか。
だとしたら、これらについては、ご自身でお調べいただけませんでしょうか。

TOSHI様、ありがとうございました。 gyo

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