相対論の考え方[連載]5
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RE:相対論の考え方[連載](1039/1239)
Yasushi様、コメントありがとうございました。

>ですから,例えば,gyoさんがお尋ねの
>  「cgs静電単位系真空の誘電率(無次元)
>    =cgs電磁単位系真空の誘電率(s^2/cm^2)」なのか?
>というのは,そもそも意味をなさない質問ですし,同様に
>「速さ(1)m/sec=速さ(4)無単位」が変だというのも意味をなさない言明で
>す.

相対論では、上のことが意味をなさない質問であることは、あもん様の説明
で、単位がすべてeV、無単位、eV^(-1)というeVの仲間に変えられると
いう説明がありましたから、私なりに、わかりました。

私がお聞きたいのは、真空の誘電率を計算する時に

cgs静電単位系真空の誘電率(無次元)=cgs電磁単位系真空の誘電率(s^2/cm^2)
             (無次元)=(s^2/cm^2)            
              ↑    ↑
             単位が異なります。

と言う左辺と右辺で単位が異なる等式が、実際の計算に使われていますか。と
いうことです。相対論は、単位の区別がないのですから、この等式が現実では
意味をなさないことを私なりに理解しています。
私がお聞きしたいのは、実際の工業製品を設計して作っている技術者が、この
左辺と右辺で単位が異なる等式を使っていますかと言うことをお聞きしている
のです。私は、この左辺と右辺で単位が異なる等式を、技術者は使っていない
と思っています。

>ちなみに,ご存知とは思いますが,現行の「1mの長さ」の定義は,
>1/299,792,458 秒間に真空中を光が進む距離で,すでに,「長さ」は測定の
>上では基本的な物理量ではなくなっています.

相対論では単位を統一してしまいます。長さも、時間も、共にeV^(-1)に単
位を同じにして、区別できません。また速さは無単位としているのです。この
ように相対論は、長さと時間の単位は区別されない世界で論を進めています。
ですから相対論で光速度を測定すること自体が不可能なのです。
長さもeV^(-1)であり、時間もeV^(-1)なので、両者の区別がつきません。
ですから、速度を求める時に
長さeV^(-1)÷時間eV^(-1) をしているのか、
時間eV^(-1)÷長さeV^(-1) をしているのか、
時間eV^(-1)÷時間eV^(-1) をしているのか、
長さeV^(-1)÷長さeV^(-1) をしているのか、判定できません。
(ここでは割り算のみ書きました。掛け算や足し算の計算でも同じ単位になり
 区別できなくなるように思います。)
この意味で単位が異なる両辺を = で結んだ相対論の方程式は意味がないと
私なりに理解しています。

1mは、干渉によって観測できる光の1波長の長さに波長数を掛けて求めるこ
とは知っています。
また、1/(3×10^8)secの考えの基には、「地上の真空では光速度一定」という
ものがあります。ただしこの光速度は「地球に対して高速度で移動している者
が観測した光速度」ではないと私は思っています。また光速度は定義であり、
実測値ではないことも最近感じ取りました。またあの光速度の有効数字に疑問
がわいてきたのも事実です。

くりかえしますが、ほとんどの単位がeVの仲間に統一された相対論が、物理
量を決定できるはずがありません。相対論は物理量が区別できない世界で論を
進めているので、相対論で光速度測定は不可能です。

このように、私は、相対論と、工業技術者(物理)の単位系を区別しました。

Yasushi様、私は、この様に考えました。ありがとうございました。 gyo


あもん様、コメントありがとうございました。

>>eV は、どのような測定器を使って計測するのでしょうか。
>
>普通の測定器の目盛りを、私の書いた換算で書きかえれば良いです。あるい
>は書きかえなくても、測定器で得られた何らかの単位系における値を、eV
>単位系にすることはいつでもできます。

eVの仲間という1つのものを測定するのに、時計や巻尺、重量計など、それ
ぞれ別の普通の測定器を使うこと自体が、eVの仲間と言う単位に統一されて
いないことを示しています。これは相対論が単位をeVの仲間に統一したこと
に反します。
せめてeV、無単位、eV^(-1)の3つの測定器で、ほとんどの物理量が測定
できなければなりません。もちろん時間(sec)と長さ(m)はeV^(-1)の測定器
という1つの測定器で、両方を測定できなければなりません。でも実際にはこ
の様な測定器は存在しないようです。これは時間(sec)と長さ(m)の両方の単位
を、同じeV^(-1)に変換するのは、現実には不可能であることを示している
と思います。

>>あるeVの値が、m、s、kg、A、その他のどれにあたるか、判別する方
>>法はどのようなものでしょうか。
>
>eVの値だけ渡されて、それをMKSAに戻すのは当然無理です。普通は、
>それがどんな物理量であるか指定されているはずなので、その情報を使って
>戻します。

eVの値の物理量が指定されていること自体が、相対論は異種の物理量を認め
ていることになります。これは物理量がeVの仲間という単位に統一されない
ことを認めることになります。これも相対論が単位をeVの仲間に統一したこ
とに反します。

eVの仲間の「数量」→(逆変換)→m?、s?、kg?、A?、その他?

この様にeVの仲間の「数量」だけ与えられ、物理量の指定がなかったら、逆
変換で、物理単位に1対1対応ができないことは、あもん様のご教示の通りで
す。この事は私も理解しています。

>私なんかの世代だと、Yasushi.さんもおっしゃっていたように、電磁気学を
>習ったときに単位の仕組みについて考えさせられるんですけどね。MKSA
>では基本単位は4つですが(ケルビンは除く)、CGSガウスでは3つで
>す。2つだって1つだって構わない、それは "人間の勝手" だってことに気
>づかされるものです。

この事については、1014番のYasushi.様の次の発言から発生したものです。

>> このような関係があります。ですから、物理の単位の次元から
>>    3.0×10^8 m/sec=1(無単位)
>> という等式は成り立ちません。
>
>単位の次元というのが相対的なものであることは,電磁気学を少し学べばイ
>ヤになるほど判るはずです.たとえば,簡単な例として,真空の誘電率の次
>元はなんですか?
>MKSA(あるいはSI)単位系での場合を考えてもいいですが,このお話の文脈
>ではcgs静電単位系とcgs電磁単位系の場合を考えるのが,相対論の動機から
>しても正統でしょう.
>もちろん,ご存知のとおり,真空の誘電率は,前者では定義により無次元量
>の1であり,後者では,真空中の光速の逆数の2乗で,単位は s^2/cm^2 とな
>ります.ですので,この部分で引っかかって騒ぐのも如何なものかと思いま
>すが,電磁気学における単位系の問題については,どのようにお考えなので
>しょうか?

この様に言われたので、

cgs静電単位系真空の誘電率(無次元)=cgs電磁単位系真空の誘電率(s^2/cm^2)
             (無次元)=(s^2/cm^2)
              ↑    ↑
              単位が異なる

という左辺と右辺で単位が異なる等式が成り立つのですか。とお聞きしたので
す。でも、高校の物理のどこを探しても、等式の左辺と右辺で単位が異なるも
のは見つかりません。左辺と右辺で単位が異なる等式が高校の物理で見つから
ないのは、私の勉強不足とは思えないのです。

物理では、等式の単位が左右両辺で一致していればいいのです。これが一致し
なくてよいのが相対論です。私は、この違いが確認できました。

>ちなみに、ピグマリオン症は、あまりによくできた理論(M世界)を、現実
>(R世界)だと錯覚する病気のことです。中学生のほとんどは、ユークリッ
>ド幾何を現実だと錯覚し、高校生のほとんどは、ニュートン力学を現実だと
>錯覚しているため、ピグマリオン症です。ユークリッド幾何も、ニュートン
>力学も、相対論も、まったく同様に理論(数学)です。現実ではありませ
>ん。どんなに現実っぽく思えても、現実ではないのです。(どんなに精密な
>彫刻も、彫刻は彫刻。生身の人間ではありません。)

あもん様の当初のピグマリオン症の意味合いとは変わったように感じてしまい
ました。私だけがピグマリオン症でも、全員がピグマリオン症でもかまいませ
ん。ピグマリオン症の仲間が多いほうが楽しいです。ありがとうございまし
た。

物理の等式の左右両辺の単位は一致しています。しかし、相対論は、物理単位
を、eV、無単位、eV^(-1)のどれかにしますから、等式の左右両辺の単位
が物理のようには一致しなくてもいいのです。このことを私は確認しました。

あもん様、物理と相対論の違いが、やっと理解できました。
ありがとうございました。  gyo


久保康治様、コメントありがとうございました。

>>3.0*10^8 m = 1 sec が成立する自然単位系では、長さmを時計secで測定で
>>きる世界でなければなりません。また逆に時間secを長さmで測定できなけれ
>>ばなりません。・・・[後略]
>
>仰る通りです。これについては光を物差しに使うとお考えください。そうす
>ると、長さとは光が時計で測った時間だけ進む距離と考えることができま
>す。
>例えば、1secの間に光が進む距離を基準とすると、1mは1/(3.0*10^8)secとす
>ることになります。

1mは1/(3.0*10^8)secとするときに、よく、ご検討願えませんでしょうか。こ
の変換には、速度=長さ÷時間の等式が適用されていることがおわかりいただ
けると思います。しかもこの等式の左右両辺の単位は同じになっています。し
かも単位はeV^(-1)や無単位でもありません。

  (3.0*10^8)m÷(1)sec=(3.0*10^8)m/sec
    長さ  ÷ 時間= 速さ
         m/sec=m/sec ←両辺の単位は同じ

両辺に時間をかける
      (3.0*10^8)m=(3.0*10^8)m/sec×(1)sec
        長さ  =  速さ    × 時間
           m=m   ←両辺の単位は同じ

両辺を(3.0*10^8)(無単位)でわる
(3.0*10^8)m÷(3.0*10^8)=(3.0*10^8)m/sec×(1)sec÷(3.0*10^8)
    長さ÷(3.0*10^8)=  速さ    ×時間÷(3.0*10^8)
           m=m   ←両辺の単位は同じ

つまり      (1)m =(3.0*10^8)m/sec×(1)sec÷(3.0*10^8)
           m=m   ←両辺の単位は同じ

この様に、物理は等式の両辺の単位は同じであるという原則を守っています。
物理は、1m=1/(3.0*10^8)sec ←両辺の単位は異なる、であはりません。
繰り返しますが、
物理は、 m=sec ←両辺の単位は異なる、ではありません。
物理は、 m=m  ←両辺の単位は同じ、なのです。

相対論では、「1mは1/(3.0*10^8)sec」 は 長さが時間に変換できるので、
    1m=1/(3.0*10^8)sec です。
つまり m=sec ←両辺の単位は異なる、という等式が認められるのです。
さらに、この長さと時間の単位を両方ともeV^(-1)に変換するのですから、
物理との違いが明らかになります。

相対論では、左右両辺の単位が合わなくて良いことがわかりました。
物理では、左右両辺の単位がきちんと合わなければなりません。

>異なる単位系の間の関係については、みなさまのご説明に加えて、
> 「間違いだらけの物理概念(丸善)」の「電磁気量の単位(青野修)」
>の章が参考になると思いますので、図書館などで一度ご覧になってはいかが
>でしょうか。

教えていただいた本は図書館にありませんでした。そこで高校の教科書を見て
みました。電磁気学の分野では、等式の左辺と右辺で単位が異なる式は今のと
ころ見つかりません。

>命題p,qについての命題『pならばqである』は、pが偽であれば(qの真偽とは
>無関係に)真である。」というものはあります。

このことでした。ありがとうございました。

>『pならばqである』について、pが真であるときにqが真か偽か(または無関
>係か)、ということを考えるのは別問題です。pの真偽の判定は、さらに別の
>問題です。gyoさんは今、pの真偽を問題とされておられるのですよね。
>今回のあもんさんの連載では、単位系の定義(c = 1 など)が他の単位系の
>定義と異なってはいます。しかし、その単位系の中で矛盾なく定式化できて
>いて、他の単位系で説明した正しいとされている従来理論と整合するなら
>ば、なんら問題はありません(その理論が正しいか否かは別問題です)。

相対論では単位はすべてeVの仲間に統一され、お互いを区別できなくなりま
す。ですから、相対論で仮定(p)されている物理量の真偽判定はできません。
当然、相対論が導き出した結論(q)の真偽判定もできないのです。もちろん、
相対論が従来理論と整合する事についての真偽判定もできません。つまり相対
論全体の真偽判定は不可能です。
この様に考えた方が、私としてはすっきりと納得できます。また、久保康治様
はこの事をさして、理論が正しいか否かは別問題とおっしゃっていると思いま
す。

相対論は、真偽の判定ができないから、多くの人をひきつける魅力があるので
しょう。
でも、私は、ほとんどの単位がeVの仲間(eV、eV^(-1)、無単位)に変
換され、物の動きが見えなくなった相対論には魅力を感じません。
相対論では物の動きが見えない事は、

   (世界線の長さ)^2=(時間)^2−(長さ)^2
単位は  (単位不明)^2=(sec)^2 −(m)^2 ←3つとも単位が異なります。

この式で感じています。(世界線の長さ)と(時間)と(長さ)が同じ物理量である
とは思えません。ですから物理では、上の等式のように左右両辺の単位が異な
るものでは等式を作れません。しかし相対論では(世界線の長さ)と(時間)と
(長さ)が同じなので、上のような等式が作れるのです。しかも単位をeVの仲
間に変換するのです。このように、相対論は単位が異なるものを同じ物として
扱っています。これでは、私にとっては、相対論で、物の動きが見えなくなる
のは当然です。
なお、世界線の長さは、時間でも、長さでも、速度でもないので、単位は不明
としました。

久保康治様、私はこの様に考えています。ありがとうございました。 gyo

今回も同じ芸なので、楽しんでいただけなかったと思います。(泣き) gyo

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相対論の考え方[連載]6へ続きます