アルクトゥルスの「ファイナルミッションシリーズ」!

1414の時を迎え、甘い考えでは今後の大変動期を乗り切る
ことは出来ません。一人乗りの「ノアの箱舟」の動力源は、
神々様の推進エネルギー。
宇宙人が助けてくれることは絶対にありません。


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今の世の中に、引っ掛け、騙し、落とし穴、罠

詐欺行為が溢れているのは

皆さんよくご存知ですね。

実生活では、悪質な勧誘を受けても、

慎重な対応をするのに、

何故か「ネット」の世界では、

書いてあることの信憑性も確かめず、

ホイホイと盲信してしまうのは何故でしょう!

引っかかる方の普段の「理性」は

どこに行ってしまったのでしょうか?

皆さん「疑問」に思われませんか?

まあ現実界でも、マルチや宗教の勧誘や、

知り合いの強引さに、引きづられる方も

多くいらっしゃいますが、

そうでない充分判断力や知識、見識を持つ方が、

いとも容易く「ネットの世界」では、

騙されてしまうのでしょうか?

それには重大な理由があります。

それは「ネット」の「ブログ」自体や、

「記事」には「催眠誘導波」が仕掛けられているからです。

血を吸う「蚊」が、管を刺す時、

麻酔成分を先に注入し、感覚を麻痺させて

血を吸うが如く、「危険なブログ」からは、

意識を麻痺させる「洗脳波」が出されています。

その状態について「ブロガー自体」もまったく

気づいていないケースが殆どです。

宇宙の「闇の種族」は、そのような技術を

最も得意とし、簡単に人々を篭絡していきます。

「ブログ」を読み出した瞬間から、どんどん

警戒心、危惧心が剥ぎ取られ、流れ続ける

洗脳波により、どんどん感覚が麻痺させられ、

逆にその「ブログ」の中毒に追い込み、

離れられなくさせていきます。

こうして現実世界では、とても慎重で、

滅多に騙されないタイプの賢明なる御仁も、

ブログ、HPの催眠誘導波により

意思をコントロールされ、

だんだんと飼いならされていくわけです。

この手法は、宗教団体やマルチ商法で繰り返し、

暗示をかけ、操り人形と化していくことと同じ手法です。

そして「ネット」の世界ほど、これらの「洗脳」を

驚くほど簡単に出来る「エリア」は他にありません。

ゆえに「闇」は、心に不満を抱えながら、

何かで一旗あげてやろうとする

「野心家」を見つけては、

自らの「傀儡」として利用して行きます。

本人は操られていることに気づいていません。

そういう野心家は「闇の防御術」を学んでいない、

すなわち「神々の守護下」にいない人物で、

簡単に「闇」に支配されてしまうのです。

人物像としては、プライドは高いが、

現実界では、いまひとつ「うまくいかず」

常に心に「不満」を抱えており、

いつか「一山」あててやろうと常に

野心を持ち続けている人物が多いです。

しかしながら、すべての面で社会の中で

目立つことが出来ず、

心に鬱屈した感情を抱き続けている。

そんな人間が、活路を見出すのが

「ネット」の世界です。

なぜなら、顔も正体も表さず、

簡単に「教祖」になれるからです。

そしてランキングに参加して

それなりのふり」をしていれば、

アルクのような「耳の痛い真実」を

言い続ける「荒野の声ブログ」の

「アンチ票」を集めて、

高いポイントを獲得し、

一躍人気ブロガーにという構図です。

さて人気ブロガーと言いながら、

中身のない「スカスカ」のブログは要注意です。

少しずつ毎日「洗脳波」にさらされ、

感覚が麻痺します。

そんな裏の仕掛けに気づかない、

ブロガー本人、応援者が多すぎます。

今の波動を上げていかなければならないときに、

それは致命傷でしょう!

何事にも「審神」が大事です。

冷静沈着に分析してみることです。

アルクも老翁さんも、いつまでも

「荒野の声」を続けることは出来ません。

振り返ることが出来る間に、

振り返ってみられることをお勧めします。


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さて祝詞についてですが、天津祝詞、大祓祝詞、ひふみ祝詞は、

「不動、不滅の言霊」です。

「大神 様」から降ろされた不滅の言霊です。

しかし、そんな「不滅の言霊」の「祝詞」を奏上しても、

効果のある方と、ない方に分かれるのは、何故でしょう。

その答えを「日月神示」から見てみましょう!


前略・・・・・・・・

神主お祓ひ祝詞あげても何にもならんぞ、

お祓祝詞は、宣(の)るのぞ、

今の神主宣(の)ってないぞ、

口先きばかりぞ、

祝詞も抜けているぞ。

あはなち、しきまき や

くにつ罪みな抜けて読んでいるではないか、

臣民の心にはきたなく映るであろうが、

それは心の鏡くもっているからぞ。

悪や学にだまされて肝心の祝詞まで

骨抜きにしているではないか、

これでは世界はきよまらんぞ。

祝詞はよむものではないぞ、

神前で読めばそれでよいと思うているが、

それ丈けでは何にもならんぞ。

宣(の)るのざぞ、いのるのざぞ、

なりきるのざぞ、とけきるのざぞ。

神主ばかりでないぞ。

皆心得ておけよ。

神のことは神主に、

仏は坊主にと申していること

根本の大間違ひぞ。
 
             

祝詞とは、「究極の宇宙神霊の言霊」、

例えてみれば、「究極の楽曲」のようなものです。

その楽譜が、「大神 様」から降ろされ、万人に与えられました。

我々人間は、「音のエネルギーの表現体」すなわち楽器です。

「楽器である我々」が、正しく身を震わし、全身で美しい音色を

奏でれば、「我々の音と最高神の音霊」が、シンクロし合い、

共鳴し合い、えも言えぬ「美しき楽曲、究極の楽曲」を

奏でるようになるのです。

しかし、日ごろ、怠惰な生活を送っていたり、何の練習もしていない

人間が、「究極の楽曲」を演奏できるわけないのです。

たとえ奏でたとしても、「不協和音」に過ぎないのです。

ようするに、楽器としての我々が、正しい調律をせずに、

「音」を出しても、「猫踏んじゃった」ぐらいにしかならないと

いうわけです。

そこで、まず、日々「魂と肉体の浄化」を図り、「守護霊団、守護神」と

しっかりと繋いで、「究極の楽曲」「祝詞」を奏上すれば、

それは、「意乗り」「祈り」となり、言霊が広がり、大量の光を導入する、

「光の導管」となります。

神界との「光」ケーブルの敷設です。

日々この「導管」を流れる光の量を増やして行けば、

自ずと「カムナガラの道」へと案内され、「神人」へと導かれていくわけです。

悪しき想念を持つ者が、「究極の楽曲」を奏上しようとしても、

また、この曲を演奏すると「神と繋がれるよ」と「楽譜」のコピーを

渡しても、「譜面どおり」の正しき音が出せるはずもなく、

逆に憑依している「悪霊達」が、「一番苦手とする神の曲」を

演奏させようとする行為に怒って、それらの者を「ぼこぼこ」に

するわけです。

これらの事態は、実際にあることですし、神社が清まっていないのも、

「神主」の演奏が、「猫ふんじゃった」のせいもあります。


より多くの方にお知らせする為、「ランキング」に参加しています。

クリックにご協力の程、お願い申し上げます。




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カムナガラの道を進んでいると思っていても、何時の間にやら、

我が芽生える。その我とは我がままの「我」。

「真の我」「真我」とは、神のお試しをなんどもなんども

潜り抜き、耐え切って初めて芽生えるものである。

過去、順調に「カムナガラの道」を進んでいると思われた、

言ってみれば「優秀な生徒」ほど、光を増すごとに、

闇の攻撃を受け、疑心暗鬼に陥り、転げ落ちていった。

お釈迦様もイエス様も、真の悟りを得るまでは、

様々な「魔の誘惑」を受けている。

かく言う私アルクも散々、ダッチロールを繰り返し、

壁にぶつかり、血反吐を吐き、癌を発症し、

何度もカムナガラの道から、転げ落ちかけた。

しかし「神への絶対的信頼」だけは、ゆらぐことがなかったので、

現在、役目を頂けるようになったのだ。

神とは優しいだけの存在ではない。ゆえに神なのだ。

大神 様からのメッセージをお読みください。



神が動けば、魔も動く。

魔の攻撃は執拗で、

一人の人間だけでなく、

まわりを引き込み、繰り返す。

その攻撃に耐えてこそ、

まことの神のお役目を果たせる強さが育つのぞ。

己のまことの光をの、

己の力でつかむのぞ。

己の力で気付くのぞ。

気付いて立ちた者たちが、

神の御元(みもと)に集まりて、

人を率いる光持つ。

光を浴びて人々が、

神の教えを取り戻し、

悪と戦う気を持てば、

この世のことは変わるのぞ。

悪に付きたる者たちは、

悪を悪とも思えずに、

神と思いて従いて、

言葉のままに操られ、

悪の手伝いさせられる。

まことに人は哀れよのう。


神を受け取る心なく、

神の言葉が伝わらぬ。

それゆえ、まことのこの言葉、

伝えてくれと言うておる。

悪を悪と認めれば、

人は大きく変わるのぞ。

悪を認めることできぬ

人の姿が悲しいぞ。

善と悪とは裏表。

いつもそこに散らばりて、

その見境もつかぬもの。

惨いが悪と思うなよ。

悪の言葉は甘くして、

神の言葉は辛(から)くなる。

人には惨いとうつりても、

神の心であるのぞよ。

惨いが悪と思うなよ。

甘いが悪のこと多い。

惨いが神のことあるぞ。




先生、先生と呼ばれて何も感じない者は、

すでに「我」が芽生えている。

「神」と思って仕えた相手が「天使のような悪魔の笑顔」だったと

いう事態にならないように、「禊」肝心!

慢心すれば「高転びに転げ候」!


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