日神謹篆大曼荼羅とは何ぞや?

過日、届けられた資料の中に、不可思議な一品があった。
字体は、日蓮筆を模倣しているだが、名刺大でパウチされている。
本尊の用途か、はたまた護札なのか、それとも別の用途か。どうも判然としない。これはなんなのだろうか。パウチしている以上、本尊の用途はどうも思えない。
拡大してみて驚いた。「大曼荼羅」とあるのだ。
字体の作風は、弘安期の日蓮筆を模倣している。日蓮は建治元年以降「漫荼羅」の語彙を選んで使用している。よって、書写・謹写であれば「漫荼羅」が相応しい。しかし、「曼荼羅」とある。
さらに見ると、書写・謹写ではなく「謹篆」と書かれてあるようだ。謹んで篆するとはいったい、どのような意味なのだろうか。“篆”とは篆書(体)のことである。辞典によれば、以下のとおり。
てん‐しょ【×篆書】
中国で秦以前に使われた書体。大篆と小篆とがあり、隷書・楷書のもとになった。印章・碑銘などに使用。篆。
“篆”ではなく、違う字なのだろうか。それでも“写”ではないようだ。
写でなければ、自由に書いてよいものではないだろう。
余計なことだが、日蓮の“蓮”字は、草冠から“車”画の、一から日、一、次いで縦一棒、その終わりからしんにょうに連綿とするのが定石と思う。すると、書き順・書き様が違っているように見受ける。また、殊にしんにゅうの象が違っている。
書いた人物は、「本朝沙門釋子日神」。“篆”じた場所は「霊鷲山」と自署がある。日神とは天照大神のことだが、日蓮漫荼羅模倣であれば、日号ということか。それにしても「日神」とは大それた名ではないか。だいたい霊鷲山とは、どこのことなのだ。
“本朝沙門”“日神”で検索してみたがヒットしない。作者がわからない。
「狐につままれる」という諺があるが、そうした気分となりながら、このパウチの1枚を眺め入った。

Posted by saikakudoppo at 22:07│
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犀角独歩さまへ。
こんにちは。
この守護は拳骨和尚事吉野智応が在家の時に書いたものです。
宗教法人 無心庵の代表役員・住職が欲しいと言われ差し上げたものです。
どうして犀角独歩さんが持っておられるのですか ?
差し上げる時にいきさつをすべてお話してあります。
http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/200707260000/
もちろん 【 本朝沙門釈子日神 謹篆於霊鷲山 】 のこともです。
きっとお忘れになったのでしょう。
この守護はとても思いで深いものですから不要でしたら
お返し願えますか。
よろしくお願いします。
吉野さんとは拳骨和尚さんのことですか。
これはあなたが書いたものなのですか?
> この守護は拳骨和尚事吉野智応が在家の時に書いたものです。
在家?
では「日神」という日号なんでしょうか。在家の分際でこんな名乗りをし、書いていたのですか。分不相応ですね。
> どうして犀角独歩さんが持っておられるのですか?
いったん、ご自身の手を離れた物がどのような経緯で、どこの誰に渡るのか、わたし自身その経緯は知ることはできません。とある在家の方から寄進を受けたものです。あなたがお作りになった物かどうか知りませんし、その物か、それを複製した物であるかいまのところ分析はできていません。
> http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/200707260000/
違う物ではないでしょうか。わたしの手許にあるのは名刺大のパウチです。
> お返し願えますか。
いえ、資料として保管いたします。
「霊鷲山」は何故か京都東山にもございます。伝承によると最澄が、天竺のそれと山の形が似ているからと名付けたのだとか(笑)。古来より「霊山」とも呼ばれ、その中腹には正法寺という時宗の寺院が現存します。これに限らず、「霊鷲山」という山号を名乗る寺院は宗旨を問わず各地に散在するようですね。
阿呆陀羅經さん
> 「霊鷲山」は何故か京都東山にも…「霊鷲山」という山号を名乗る寺院は宗旨を問わず各地に散在するようですね。
はい。そのようです。
となると、吉野さんは、どこの「霊鷲山」で書いたのか、興味も湧きます。
松本師に話したとのことですが、いま電話で確認したところ、聞いていないということですし、贈呈を受けた覚えもないとのことでした。はて、吉野さんの勘違いや否か、せっかくの機会ですから、わたしもこのパウチについては、お聞きしたいことがありますので、質疑応答をいただければと希望しています。
犀角独歩さん
お世話になっております。
面妖なお品ですね。
http://plaza.rakuten.co.jp/mandara1000/diary/200707260000/
の本文部分に、
>そのうちの 【 一体 】 を橋本先生が所持されていたのです。
>橋本先生はこの小さな守護本尊をスキャナーで取り込み
> 【 分身散体 】 されたのです。
>まあ ! 実際の作業は奥さんがされたに違いありません。
とありますね。
また、並べられた2つの写真をみると、
パウチされたーつまり独歩さんの手元にあるものと同じー
曼荼羅(?)のようです。
それにしても、
> 私は本当に一年後には 【 一千体 】 の大曼荼羅の書写を
>成就しなければ男として未来永劫にわたり恥をさらすに事になる !
等の記事を読むかぎり、
曼荼羅書写に似つかわしくない心理状態のようにお見受けいたしました。
以上は、個人的な感想です。
ではまた。
尚半道人さん
コメント、有り難うございます。
>…守護本尊をスキャナーで取り込み…分身散体
ばかばかしい。なんで、分身散体になりますか。
分身というとき、その本体は仏身です。これは単に勝手に書いた漫荼羅のようなものに過ぎません。パウチが分身散体とは、何を言っているのでしょうか。
コピーしたパウチ以外の何ものでもありません。
> …【 一千体 】の大曼荼羅の書写
「漫荼羅」を「曼荼羅」と書いては書写とは言えませんね。
書写というのならば、日蓮のどの漫荼羅を書写した、その原本を示せるはずです。どれでしょうか。日蓮のどの漫荼羅に「曼荼羅」と書いてあるのでしょうか。
それに、先のコメントでは在家の時に書いたとあるのに、そのすぐあとに1000というと在家の間に書いていたというわけでしょうか。
それに「智應」は高山智正師からもらった名前のはずで、となれば、出家名ですね。それなのに、在家の時に1000近く書いたというのは、話が矛盾しています。
尚半道人さんが不審を抱かれるとおり、わたしも同様です。