対ギャル曽根用の丼だ
「うーん、シュールだ」
海に突き落とされた私はシャーベットを抱えたまま海から上がると、そのままお風呂に直行した。さっぱりして部屋に戻ってくると、さっきの映像をカメラのまま再生していた京助さんが呟いた。
「お前はホント、海が好きなのねー」
私は隣で何事も無かったかのように欠伸をしているシャーベットを撫でる。あのタイミングで、しかも私に向かって飛び込んでくるなんて、ほとんど奇跡だ。
だいたい、この子がいなかったら私は、罰ゲームで10メートルの飛び込み台に立たされたが、結局怖くて飛び込めず泣きを入れ、非難ごうごう雨あられ、顰蹙買いまくりのKYお笑い芸人のような目で京助さんから見られていたことだろう。感謝の意を込めて、改めてシャーベットの頭をよしよししておく。
今日はみんなでお昼を食べに、車で10分ほど行った場所にある魚料理が評判の、民宿兼食堂に行った。私はおススメの「鯛丼」を注文した。ご飯の上にこれでもかと鯛の刺身が乗っていて、真ん中に卵黄が盛り付けてある。そこに特製の刺身醤油をかけて食べるのだが、少し甘味のある醤油が卵黄と絡み合い、最高に美味しかった。
食べ終えて宿に戻ってくると、次第に雲行きが怪しくなってきた。
「不味いな」
ボサ男が部屋の窓から空を見上げていた。雨が降ることを心配しているのだろう。予定でいくと午後は、私が歌うシーンを撮ることになっている。ボサ男がタバコを銜え、火をつけると、ぽつりぽつりと水滴が水面に落ちてきた。ぼーっと眺めていると、あっという間に雨は強さを増し、ボサ男が一本吸い終える頃には、しとしとと、梅雨時のような本降りになってしまった。
魚料理が美味しいと言っているにも拘らず、カツ丼大盛りを注文したバカとネチっ子は、「まさかあんなデカい丼で来るなんて……」「あれ絶対さぁ対ギャル曽根用の丼だよぉ」と苦しそうにお腹をさすって寝転がっている。香織さんはもはや海を諦めたのか、ペディキュアを塗りだした。そして窓辺で静かに相談する京助さんとボサ男。
「千夏ちゃん、雨天決行で」
意見がまとまりミーティングは終了したのだろう、京助さんが私にそう告げた。
「この雨の中撮るってことですか?」
「うん。よく考えたらさ、順番間違えちゃったんだよね。本当なら飛び込む前に歌のシーンを撮るべきだったんだ。そうじゃなきゃ制服使えなくなっちゃうもんね。でも結果的には降ってくれて良かったんだけど」
今さら気付くなよ。つーかせっかくお風呂入ったのにな……
ボサ男と京助さんは、カメラとラジカセと大きいパラソルを持って砂浜に出た。私は海水に濡れたままの制服に再び袖を通す。物凄く不快だったが、外に出るとすぐにずぶ濡れになり、大して気にならなくなった。履いていても意味が無いと思い、靴と靴下は脱いで玄関に置いてきた。気温は高く、雨も冷たくない。学校の帰り道、突如夕立に見舞われたときのような感覚。私は何だか楽しくなってきて、裸足のままで雨の中、海岸を走り回る。
「好きな人への想いを雨にぶつけるように歌ってみて」
京助さんが、立てたパラソルの下でカメラを三脚に固定しながら言う。折りたたみ式の椅子の上にラジカセを置くと、ボサ男が頷いた。それが合図となり、雨の音に負けないくらい大きなボリュームでイントロが流れ出した。
私は波打ち際に、肩幅よりも大きく脚を広げて立ち、真っ直ぐカメラを見据えた。そして大きく息を吸い込んでから歌い始めた。私はその場から動かず、ただひたすら声を張り上げた。
歌の中の少女の、伝えたくても伝えられない気持ちは、私の京助さんへの想いと重なった。そして音楽が鳴り止んだ。上手く歌えただろうか? カメラから二人に視線を移すと、真っ直ぐ私を見たまま動かない。NGなのかな……髪から水滴を滴らせたまま立っていると、我に返ったようにボサ男が叫んだ。
「サイコーだ!」
夜になると雨が止んだので、夕食の後みんなで花火をした。夜の闇の中、ばちばち光る花火を追いかけ、線香花火の膨れて落ちる玉に手を出すシャーベット。遠くアフリカから海を渡ってやって来た、好奇心旺盛でチャレンジャーなこの猫が運んできた手紙には、一体何が綴られているのかな……感傷に浸りつつ、次々と火を点けていく。一瞬の煌めきは瞼の裏に残像となり、それさえも儚く消えてしまう。やがて花火が全部なくなると、綺麗な浜辺を汚さぬように、全て片付けた。
宿に戻る道すがら、私は香織さんを掴まえた。個人的クレームをつけるためである。
「香織さん、何ですぐバレるような嘘をついたんですか?」
「ああ、京助から聞いたのね。何でかな……自分でもよく分かんないけど、嫉妬して欲しかったんだと思う」
「え?」
「だって千夏ちゃん、京助のこと好きなんでしょ? 自分の好きな相手が違う人間を見てるって切ないものよ。だから私が京助と付き合ってるって言えば、ちょっとは妬いてくれるかなーなんて」
暗くて表情は読み取れなかったが、香織さんの声はいつになく寂しそうだった。
「でもね、京助とは付き合えないわよ。絶対に」
「な、何で言い切れるんですか!? そんなの分かんないじゃないですか! それに京助さん、彼女はいないって……」
「彼女ねえ……確かにいないけど。ま、これ以上は私の口からは言えないわ。本人から聞いて」
このままフレンチキッスの嵐か!? と身構えたが、意外にも香織さんは私に背を向けて行ってしまった。
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