第十四話
深く深い、闇。
暗く暗い、闇。
どこを見渡しても、闇。
闇。闇。闇。
闇が心を支配する。
闇こそ思想と思考の果て。この世には、その先はきっと、存在していない。だから、自分の闇に差し込む光を、拒絶してしまう感覚は、良く解る。
僕にこそ、理解できる事。
だけど、そのままで良い訳も無い。
だから、引きずりだす。
乱暴でも。無理やりでも。嫌がったって。引きずり出すんだ。
光は闇に比べて、浅いかも知れない。
喜びや、楽しみ。美しい。綺麗。
そういったものは不思議な事に、すぐに心の中から消えてしまう。
良くて一週間。悪ければ数分で、記憶の隅へと追いやられ、いつの間にか消える。
だけど闇は、記憶や心と言ったものを、塗り替えるほどのチカラを持つ。
何日経っても忘れられない。闇はどこまでも追いかけてくる。
何をしてても面白くなかったり、何を食べてもおいしくなかったり、誰と一緒にいても、疑ってしまったり。
それがずっと、ずっと、ずぅっと続く。
そして恐ろしい事に、それが居心地良かったりしてしまう。
孤独なのに、苦しいのに、寂しいのに、心が闇に侵食されてしまい、動き出せない。
動き出さない。
動きたくなくなる。
つまり心が仮死状態になる。
闇は、深い。
貴方には、似合わない。
二千七年、十月。
今日も、タダっちはブチ切れた。
ここの所、頻繁だ。一週間に一度は、大声を上げているように思える。
今日は確かに、酷い。ユキちゃんの机が彫刻刀で彫られていた。
大きな文字で、カタカナで「バカ」と「シネ」。
「てめぇらいい加減にしろよ! あ!」
教師が知らない訳じゃない。もちろん知っている。
だけど、何もしない。
相談に乗ったフリ程度の事はしたが、それだけ。
奴らの考えが透けて見える。
問題にしたくないんだろう。
私立の進学校だから。
担任は胃が痛いだろう。
イジメをしている方より、ユキちゃんの方を疎ましく思っている。
成績が優秀という訳でも無いし、ユキちゃんさえ居なければ円満になる……。
そう思っているに違いない。
ユキちゃんを見る担任の顔が、そう言っている。
つまり今の状況がユキちゃんにとって、タダっちにとって、僕にとって、絶望的だという事。
あとどれくらい続くのだろう。
終わりが見えない。
「きたねぇんだよてめぇら! 文句があるなら直接言って来いよ!」
タダっちは、目の前にある机を蹴飛ばした。
ガゴォンという音を立てて、机が倒れる。
そしてクスクスという笑い声が、クラスの至る所から聞こえてきた。
コイツラはもう、笑う事を遠慮しない。
ある意味、堂々としたものだ。
「タダっち、もうやめとけ」
僕はタダっちの肩をつかむ。
そしていつものように、タダっちは僕の顔をギロっとにらんだ。
ギラギラと輝くタダっちの瞳には、狂気が混ざっている。
この狂気の光は、日に日に増していっているようにも思えた。
いつ、狂気に染まりきるんだろう。
「がああっ! くそがぁ!」
「今日は、もう帰ろう」
「帰れるかよ! コイツら絶対許せねぇ!」
そりゃ僕だって、許せない。
僕だって、タダっちのその激動が正義だって信じたい。
愛する人のために怒れるなんて、素晴らしい事。
だけど、自分の中の正義を貫くという事は、それ相応の代価が必要な時代。
だからそれは「正義」かも知れないけど、決して「正しい」事じゃない。
「タダっち、帰ろう」
「うるせぇ! コイツラ全員ぶっ」
僕はタダっちのシャツを背中からつかみ、強く引き寄せる。
タダっちは突然の出来事に驚いたのか、言葉を詰まらせた。
「いくよ、タダっち」
「離せよ……」
「いやだよ。離したらえらい事になるでしょ?」
本当は、離さないのも嫌なんだ。
解らないんだ、僕。
そろそろ、いよいよ、解らない。
「あああぁぁっ!」
帰り道、タダっちは大きな声で叫んでいた。
気持ちは凄く解る。僕だって叫びたい。暴れたい。
だけどそれはさせたくない。
タダっちが停学になったら、ユキちゃんはどうなる?
ユキちゃんは、優しい心を持った人。
タダっちの痛みは、きっとユキちゃんの痛み。
タダっちが痛いと、ユキちゃんも痛い。
そうに決まっている。
だから今は、耐えないと。
男である僕とタダっちが、耐えないでどうする。
そしてタダっちの友達である僕が、タダっちを支えないでどうする。
そう信じて、この数ヶ月我慢してきた。
だけど、これからあと何日、これが続いていくのだろうか。
「なんで、耐えなきゃいけないんだろうね」
僕はつい、言葉を漏らした。
僕の言葉を聴いて、タダっちは僕を見た。
ユキちゃんも、見た。
ユキちゃんは、もう泣く事は無い。暗い表情を作って、タダっちの隣を歩いている。
「……ケイ君……」
ユキちゃんが僕の名を呼んだ。
小さな小さな、声だった。
「ケイは辞めたっていいんだぞ」
次にタダっちが話しかけてきた。
「ケイに甘えすぎてるからな。なんも返せてねぇし」
タダっちは、どういうつもりでそんな事を言うんだろう。
僕も、どういうつもりで「耐えなきゃいけないんだろう」って、言ったんだろう。
馬鹿だ、僕は。
「それはタダ君もだよ……タダ君とケイ君に、ずっと……迷惑かけてる……」
あぁ……やってしまった……。
「タダ君と、ケイ君……もう、私に関わらないほうがいいよ……私に関わったら、酷い事になるよ……」
「……やめろ、ユキ。そんな事言うな」
「だって……タダ君が言った事だよ……タダ君がケイ君に辞めていいって言ったんだよ……」
「俺とケイは、違うだろ」
「どう違うの? 迷惑かけてるのは……変わらないよ……二人に私……私……」
ユキちゃんが久々に、涙を浮かべている。
声がうわずっている。
イジメにあってる中でも、僕達の前では笑顔を見せられるようになっていたのに。
馬鹿だ、馬鹿。
僕は馬鹿。
馬鹿。馬鹿。
何を言っているんだ、僕は。
「タダっち、僕は辞めないよ」
言わなきゃいけない。
自信が無くても、言わなきゃいけない。
「だって、友達じゃん」
笑顔を作っているつもりではある。
多分、今の僕の顔は笑顔。
「見捨てる訳にはいかないよ」
タダっちがユキちゃんから離れると、ユキちゃんは友達が一人も居なくなる。
タダっちの妹の春香ちゃん。タダっちの妹の友達のローラ。タダっちの友達の僕。
ユキちゃんが今、友達と言える相手はこれだけ。全てタダっちつながりだ。
ユキちゃんは、孤独になる。
孤独になり、闇と仲が良くなる。
嫌だ。そんなの嫌だ。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。