第十三話
「ただいま」
僕は実家へ帰ってきた。
「おかえりぃケイちゃん」
いつも通り、彩子さんが出迎えてくれる。
彼女の笑顔を見て、僕は少し安心した。
「健太は?」
「お母さんが連れまわしてる。ほんっと、誰の子なのか、わっかんなくなっちゃう」
「そっか」
「今日早いけど、早退?」
「うん、早退」
「そう。なんだかんだ初めてだね早退。ごめんねぇ食べるもの何にも無いよ」
彩子さんは少し困った表情を浮かべ、慌てて台所へと向かった。
平和そうな彼女の姿を見ていると、少し引け目を感じてしまう。
「ねぇ、彩子さん」
僕は靴を脱ぎ、リビングへと向かった。
ソファーにカバンを置いて、その隣にドカッと座る。
「ん~? 何ぃ?」
「脱色剤、欲しいな。持ってません?」
僕がそう言うと、彩子さんは押し黙る。
きっと、色々と考えているんだろう。
「無いですかねぇ」
「……ん~、持って無いよ」
「そうですか。じゃあ、ちょっと買ってきます」
僕はソファーから立ち上がり、自分の部屋へと向かって歩いた。
「待ってよ」
彩子さんは僕を呼び止める。
僕は以前の僕じゃない。彩子さんを無視する事なんて、絶対にしない。
だから僕は、立ち止まる。
そして振り返り、彩子さんの顔を見た。
今僕が、どんな表情をしているのかは、解らないけど。
彩子さんの顔を見た。
「何ですか?」
「髪の毛、戻すんだ?」
「うん、真っ黒よりちょっと茶色のほうが、僕に似合ってたと思いますし」
僕は右手の親指を立ててポーズを取った。
僕なりにおどけてみせたつもりなのだが、彩子さんは顔を曇らせる。
「ねぇ、お姉さんに、バイバイしたよね」
「うん、しました」
「それでも戻すの?」
中学時代、僕の髪の毛の色は、茶色だった。
姉貴が勝手に脱色したものだったのだが、姉貴が死んでからは、彩子さんが変わりに染めてくれていた。
だけど今年に入ってからは、ずっと黒髪。
だって姉貴とは、もうバイバイしたから。
そういう意味で、僕は髪の毛を黒髪に自分で染め直した。
「うん、それでも戻します」
「……」
彩子さんが僕の目を見つめた。
僕も彩子さんの顔を見つめる。
キリッとした眉毛。
綺麗で大きな瞳。
スッとした鼻筋。
力強い口元。
ユキちゃんも相当可愛いが、やはり彩子さんにはちょっと劣るだろう。
彩子さんには、美しさの上に、オーラがあるように感じる。
力強くて、頼もしくて、格好良い、オーラ。
完璧すぎる。彩子さんは、完璧すぎる。
だから彩子さんは、きっと次に、こう言う。「よし、信じるか」と。
「よし、信じるか」
予想した通りの台詞が、彩子さんのクチから出てきた。
僕は思わず笑う。
「ははっ」
「あ、なぁに笑ってるのさ?」
「いえ……あははっ」
「なぁに? なぁによぉ」
「いえ、ホントなんでも無いですって」
ただ、この上無い程の良い女だなって、思っただけ。
僕と彩子さんは近所の薬局へと来ていた。
薬局と言ってもスーパーが近いので、買出しのついでみたいなもの。
昼食と晩飯の買い物はもう既に終わっており、僕は両手に荷物をぶら下げている。
「やっぱり、いつものやつ?」
彩子さんが見慣れたパッケージの染め粉を手に取り、僕の顔を見た。
僕は中一の時から、この染め粉しか使った事が無い。
何故なら、安いからだ。
「ん~、そうだなぁ」
僕はしゃがみこみ、様々なメーカーの脱色剤を吟味する。
出来る事なら、いつもの脱色剤とは違うものを使いたい。
「ねぇ、ひとつ聞いてもい?」
彩子さんもしゃがみこみ、僕と同じように脱色剤の棚を見つめた。
だけど彩子さんの視点は、明らかに脱色剤を選んでいるものでは無く、少しうつむいている。
「うん」
「話したくなかったら話さなくても良いけど、嘘は無しね」
「うん」
彩子さんは横目でチラっと、僕を見た。
質問する事を戸惑っているのか、二度三度と僕をチラチラと見る。
「何ですか?」
「……どうしてまた染めるの?」
即答なら出来る。
別にやましい事なんて、何ひとつとして無い。
むしろ彩子さんなら「さっすがケイちゃん」と、褒めてくれるはずだ。
だけど僕は、出来る事なら、話したく無い。
「意思を、貫きたいから」
「意思?」
「そのためには、染め直したいんです」
僕は荷物を持っていた手を離し、彩子さんの手を握った。
小さな小さな手。
だけど確実に、僕の手より暖かい。
「だから信じてください。長谷川啓二は、正義に従って生きる事の出来る人間ですから」
高校生活の事で、彩子さんに心配はかけたくない。
だって、彩子さんが進めた高校生活だ。
もし僕が高校生活で苦しむような事があったら、彩子さんは責任を感じてしまう。
彩子さんは、責任感が異常なほどに強い人。
僕が松本さんを一発殴る。という事を阻止するために、自分の命を投げ出せるほどの人。
だから、心配かけたくない。
そして信じて欲しい。
完璧である貴方が、頼るほどの人間。僕の事を、底なしに優しいと表現した人間。誰かを思い、本気で怒れる人間。
正義に従って、正義を信じて、正義を貫ける人間、長谷川啓二を、信じて欲しい。
「ばっか。信じるって、さっき言ったじゃん」
彩子さんは人差し指を伸ばし、僕のほっぺをプニプニと突っついた。
それをしている時、彩子さんはいつだって笑顔を作ってくれる。
「ですね、すみません」
「あはっ。ケイちゃん、ずいぶんとお肉ついてきたね。健康になってきた証かな?」
話をはぐらかした事くらい、彩子さんにはお見通しだろう。
だけど、話をはぐらかすという事は、言いたくないという事。
それを察して、僕がはぐらかした事を、まるで無かった事のようにしてくれる彩子さんは、やはり凄い。
帰り道、僕と彩子さんは荷物をひとつずつ手に取り、手をつないで歩いていた。
「心配しないでくださいね。最後にたどり着く所は、彩子さんの隣だから」
「知ってるよぉ~。私以上の女なんて、この世に居る訳無いもんね」
確かに、その通りだ。
「あはは、凄い自信ですね」
「私って学生時代、超モテてたんだからね。そりゃ自信も付くってもんだよ」
買い物袋の中に入っている脱色剤は、いつも使っているものより、少し高かった。
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