キョン子ちゃん50
「禁則事項にかかるからですか?」
「・・・ご納得いくように解釈していただいて結構です。」
「・・・では別の質問を。藤原を追わなくていいんですか?」
「追っ手がかからない理由は、彼は先刻承知のはずです。取り締まり官が追跡せずに敢えて取り逃がす。つまり、逮捕はいつでもできる、ということです。ま、自首の勧めですね。回りくどいですけど。いつでもできる逮捕をなぜ今しないか。答えは明白でしょう。自首する気があるのなら逮捕は勘弁してもらえるかもしれないよ、ということです。彼はうまく立ち回って追跡をかわしているつもりでしたから、突然取り締まり官が目の前に現れたのは相当なショックだったでしょうね。しかし実際のところ、彼の動向はある理由から完全に筒抜けでしたが。」
「じゃあ、今までわざと泳がせていた、と。」
「結果としてはそうなりますね。脱走者発見の事実はすぐに通報したんですが、逮捕命令が来なかったのですよ。何かの理由で通報が黙殺されたとしか思えません。詳細はわかりませんが。」
そのとき、森さんが顔を上げた。
「ちょっとしたニュースが入りました。朝比奈さん再誘拐作戦は中止される模様です。本人の所在が不明なことも勿論ですが、誘拐に使用する予定の自動車、例のワンボックスはわれわれが接収してしまったので盗難車をどこからか調達したらしいんですが、その車が検問に引っかかって面倒なことになっているということです。」
「俺としては、ザマミロというところですね。正直な話。」
「奇遇ですね、私もそうです。」
森さんのほうを見ると、実に面白そうな顔をしていた。たぶん、俺も同じような表情だったことだろう。
「現在朝比奈さんの身柄はわれわれがしっかり押さえていますから、たとえ発見されても手出しはできなかったはずですけれどね。」
「朝比奈さんはどこにいるんですか?」
「彼女はかなり遠方の、とあるシティホテルの一室で指示待ちの状態です。ちなみにそのホテルは『機関』の人間の常宿でもあります。さて、残るは涼宮さん襲撃作戦ですが・・・どうも変ですね、上層部が支離滅裂な命令を乱発しているようです。準備指示を出したり、それを撤回したり、かと思うと実行指示を出したり、部隊集結を指示したり・・・、」
「たぶん、上層部が仲間割れして、勝手な命令をそれぞれに出しまくっているんじゃないかな。」
知人氏が言う。
「おそらく、責任のなすりつけあいから決裂したんだろう。これじゃ現場は大混乱だ。」
そのとき、見慣れない男性が二人、俺たちの席にやってきた。
「報告いたします。涼宮嬢襲撃作戦はすべて未然に阻止されました。」
彼らの報告を聞く限りでは、襲撃作戦なるものはなんら具体化した状態ではなく、襲撃部隊なる連中はハルヒの居場所すらわからずに、あてどもなくそこいらを、2・3人でうろついているか、途方にくれて座りこんでいるかであったという。昼近くになって突然入った『尾行指示』からこのかた、わけのわからない指示が矢継ぎ早に殺到した結果、現場の実行部隊は全面的な混乱に陥り、もはや誰かどの指示に従って活動しているか、そもそもどの指示が有効なのか、把握できていないらしい、とのことだった。知人氏が分析する。
「彼らの上層部は若い連中が多い。有能だが、経験が圧倒的に不足している。目論見が崩れはじめて焦るあまり、とにかくなにかせずにはおれなくて、必要のない指示を乱発したり、特に必要のない会議を開いて責任のなすりつけあいをしたりせずにはいられなかったんだろう。」
「佐々木ちゃんが危ないわ。」
突然、キョン子が現れて口を挟んだ。
「この慌てようは並大抵のことじゃないわ。おそらく・・・佐々木ちゃんの力は、今まさに消えていこうとしている。彼らはそれを察して、なお余計に、怯え慌てているわけ。神がいままさに、彼らの前から消え去ろうとしているのだから。」
で、それでなぜ、佐々木が危ないんだ?
「わからない? 熱心な人が特に危ないのよ。神が自分を見捨てようとしていると解釈して、佐々木ちゃんを、つまり神自身を、自分の不幸に巻き添えにしようとする。心酔者の比率が高い『組織』の構成員の中には、そんな人も混ざっているはず。その可能性は無視できない。佐々木ちゃんは今、ハルちゃんといっしょに図書館にいるわ。念のため、守りを固めたほうが。」
「それは困りました。」
森さんがうかない顔で言う。
「非常態勢のため、現在図書館周辺にはわれわれの同志がいません。」
「ご心配なく。」
知人氏が言う。
「おりよく、われわれの仲間が図書館におります。必要な訓令は既に発しました。」
「ありがとう。協力に感謝します。」
はて、いつのまに。知人氏はずっと呑気そうにコーヒーを嗜んでいるばかりだと思っていたが。森さんはすっかり安心した様子である。それにしても、未来人たちと『機関』はずいぶん緊密な協力関係にあるようだ。・・・そういえばキョン子、いつのまにここに?
「ハルちゃんたちが二人して話し込んでいるから、あたしたちは先に帰らせてもらったのよ。」
何をそんなに話し込んでいたんだ?
「数学の話みたいだったけど、あたしたちにはちんぷんかんぷんだったわ。だからお先に失礼して、新川さんに駅前まで送ってもらったのよ。そしたら橘ちゃんが・・・、」
「橘がどうしたって?」
聞けば、なんと驚いたことに、橘は俺たちが立ち去ったときそのままの姿で喫茶店で固まったままだったという。キョン子はキョコと二人で店員に平謝りしながら橘を引っ張り出し、完全に放心状態の橘をとりあえず新川さんの車に押し込んでいっしょに連れてきた、そうだ。そのとき、キョコにかかえられて、橘が登場した。さぞかし落ち着かないことだろう。ここはいわば敵地のど真ん中だからな。しかし、当の橘はそれどころではないようで、放心状態絶賛継続中の有り様だった。キョコは橘を俺のそばの椅子に座らせた。知人氏が突然口を開いた。
「図書館のトイレ付近で、ナイフを持って潜んでいた不審者を発見、制圧して警察官に引き渡しました。」
「それはお手柄ですね。」
「念のため、警戒を継続します。」
「よろしくお願いします。・・・しかし、もはや組織的な抵抗はないでしょう。彼らの指令系統はもはや用をなしていません。組織瓦解が進行しています。指令そのものがもはやほとんど出ていません。」
そのとき、誰かの携帯が鳴った。橘が幽霊のように立ち上がる。顔色は真っ青で、見開かれた目は暗く、まさしく幽霊そのものだ。どうしたんだ?
「指令が・・・。」
そう言うと橘はふらふらと歩きはじめる。橘よ、もうそんな指令に義理立てする必要はないんじゃないのか! 橘は一瞬体をぴくっとさせたが、ゆらゆらと去っていこうとする。どう言ったものかと思っていると、森さんが低い声で言った。
「行かせておあげなさい! 彼女は彼女なりに、自分の持ち場を守ろうとしているのですから。・・・資金護送指令が出ました。おそらく最後の指令です。彼女は経理担当ですから、この指令には直接関係があります。」
森さんがそう言うのなら・・・。しかし、よく『組織』の動向が筒抜けに分かるもんですね。
「なに、簡単なことですよ。以前『組織』のメンバーが集団でこのビルに侵入を謀ったことがありました。中の一人がそのおり、携帯を落としていったのです。その人は失態を隠したかったのでしょう、携帯をなくしたことを仲間たちには明かさなかったようです。携帯の請求書が来なくなったので、落としたときに壊れたとでも思ったのでしょう。しかし、ひとつ言えることは、携帯の暗証番号を誕生日に設定しておくのはお勧めしない、ということです。あと、そんな携帯といっしょに運転免許証と印鑑の入った財布を落としていくのもね。そうそう、財布のほうはあとでちゃんとお返ししましたよ? お手紙を添えて。それ以来、『組織』のかたは夜半に無断でお見えになったことは一度もありません。」
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