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第一章 きみを見つける
第一節 逮捕劇 
 今年の《麦芽》はよほど大量にばら撒かれたのか、それともタチが悪かったのか。

 ――五月も終わるっていうのに、この時期に来て瞬間移動能力者テレポーターだなんて、まったく冗談じゃないわ。

 正確には発動した能力の種類が問題なのではない。
 悪用する人間がいけない。
 のだが、どうしてもそこに引っかかる。怒りはそこへ向かってしまう。

 密かに鼻息を荒くして、宮本天花ゆきはレジの内側からコンビニ店内を見渡した。

 正面の壁、飲料用冷蔵庫の上に掛けられた時計は、午後五時十五分過ぎ。
 四時半からシフトに入って、
 学校帰りの学生たちにお茶やらコーヒーやらジュースやら、
 おにぎりやらパンやらちょっと時期はずれだけど気候のせいか今日はよく出た肉まんやら、
 お菓子やら本日発売の週刊漫画雑誌やら、
 売って売って袋に詰めてお金をもらってお釣りを渡して、
 それをえんえん繰り返して、ようやくちょっと落ち着いた頃合。

 そろそろ、だ。

 唾を飲み込んで、乾いた喉を無理やり潤す。
 気合を入れるように頭を振れば、遅れて動く長めのポニーテールが背中を掠める。
 ここ半月余り続いたストレスの元凶を、今日こそ根絶してやる。

 来るなら来てみろ、むしろ来い。
 万引犯め。


 「万引犯」に「吉岡拓海」という名前があるのは知っていた。
 調べたのだ。自分と同じ学校であることは制服を見れば一目瞭然だったから。
 細面で目も細め、部分部分で脱色してる髪のせいもあってちょっとキツネに似た印象。今風に整えている顔立ちは、よく捜してみたら同じ階の廊下を歩いていた。
 隣の隣のクラスとは、世間は狭いものである。
 偶然にも、友達がヤツを近所の子だと言ったので、それとなく根掘り葉掘り聞いていたら
「気があるの?」
 などと誤解を受けた。

 ――まったく、冗談じゃない。

 こちとら刑事の妹だ。
 犯罪者を一様に差別するつもりはないけれど、愉快犯の万引なんて、論外。
 恋愛感情どころか、説教する以外には口もききたくない。

 愉快犯と思う理由・一。必ず同じ時間帯に来る。それも天花のシフトの日。
 理由・二。この間目が合ったら、にやりと笑った。
 理由・三。売りさばけないようなものばかり、恐らく趣味で盗っていく。

 そうそう、それに防犯カメラの映像の件もある。
 食玩を手に取った、と思ったら、わざわざカメラに向き直って、録画させていたことがある。
 充分に映ったところで、元の棚に手を差し入れ商品を戻した。
 棚から手を抜いたときには確かに何も持っていなかった。
 種も仕掛けもありません、と言わんばかりのオーバーアクション。
 ところが実際には、その棚の食玩は、直後にひとケース十二個まるまる盗まれていたのだ。

 あれは本当に腹が立った。

 もっともこれが証拠になって、《覚醒犯罪者アンチテイル》の容疑が固まり、応援を要請できたわけだから、結果オーライと言うべきか。

 それにしても。
 天花は再び時計に目をやる。
 五時二十分。
 遅いじゃない、応援部隊。
 毎回五時半頃には吉岡が店にやってくるから、くれぐれも早めに、と兄に念を押しておいたのに。
 他の仕事とかち合ったのだろうか。
 何しろまだまだ発足したばかり、人手の少ない部署だ。
 だけど「時期的に落ち着いてきたから、大丈夫」と言っていたはずなのに――。

「それじゃあ天花ちゃん、あたし上がるけど」
 さっきまで一緒にシフトに入っていたおばちゃん――木下さんが、着替えを終えてバックヤードから出てきた。
「あ、お疲れ様です」
「……一人で大丈夫? そこいらにいましょうか?」
 声を潜めて話しかけてくる。
「ありがとうございます。でも、はい、大丈夫ですから」
 木下さんは、今日は特別に十五分延長して残ってくれていたのだ。
 レジが混んでいた上に、店長が他店舗のフォローに急遽出かけざるをえなくなったので。
 しかし小学生の子供もいる主婦をこれ以上引き止めるのは悪い。
 それに、現場を押さえるためには、レジが一人で、相手の油断を誘うほうが望ましい。
 木下さんは顔を覚えられている可能性が大だから、たとえ客を装って店にいても、警戒されるかもしれない。
「もうすぐ店長も戻ると思うし、兄も来ます。明日にはばっちり、顛末をご報告できますから」
 天花が明るく言い張ったので、木下さんも無理に居残るとは言えないらしい。荒事を好むタイプでもないし。
 ごめんなさいね、あんまり無茶はしないでね、と何度も言いながら、帰っていった。
 ちょうど客も途絶え、がらんとした店内に新商品フェアのCM放送だけがローテーションしている。

 ひとりきりになった。 

 じっとしていても落ち着かないので、一通り商品の前出しをし、ぐちゃぐちゃになった雑誌棚を整頓する。
 コンビニバイトは、やるべきことはいくらでもある――のだが、さすがに今は掃除までは手につかない。

 五時二十五分だ。

 朝から一日曇り空で、ガラス向こうの路地はバイト中ずっと、灰色に褪せて見えていた。今もそう。
 確実に夕方になった、という実感がわかないままに、時間だけが過ぎていく。

 そのとき、自動ドアが音を立てた。入店を知らせる電子音楽が鳴る。
「いらっしゃいませぇ」
 愛想良く迎えながらも、その人物を目視して天花は軽いショックを受けた。
 よく見知った制服、ところどころ脱色した髪に、キツネに似た顔立ち。肩に引っ掛けた大きなリュック。

 ――ちょっと、早い! ていうかお兄ちゃん遅い!

 こちらの迎撃体制が整わないうちに、万引犯こと吉岡拓海が、いつものように堂々とやってきたのだった。


 大体いつも最初の十分は、雑誌を立ち読みしている。
 他の店では専用のゴムでくくって防止するところもあるが、天花の勤め先では付録付きや成年向けのもの以外はオールフリーだ。
 ――そういえば、DVDつき雑誌の類もいくつも盗られているのよね。
 汚い、と思ってしまうのは、高校生になったばかりの女子としては致し方ないところだろう。
 兄がいるなら多少の免疫もつきそうなものだが、天花の兄は彼女に輪をかけて真面目な性質で、少なくとも妹の目に付くところにはそのようなものを視聴している形跡など残していないのである。
 吉岡は、今日発売の週刊漫画誌をぱらぱらとめくって、いくつかの作品についてはじっくり読みこんだ。
 そして、特に何事もなくそれを元通り棚に戻した。――ように見える。
 この瞬間に、能力を使ってその大きなバッグの中に「送られて」しまっても、外から見ただけで確認する術はない。
 商品の整頓を装ってそばでよくよく注視していたが、何しろ大発行部数を誇る雑誌のこと、当然棚いっぱいに山積みで、一冊くらい消えてもわかりはしないのである。
 また、今無理にリュックの中を改めても、別の店で買ったと言い張られたら揉めるだけだ。完全に尻尾を掴んだことにはならない。
 忸怩たる思いで、つかず離れず店内を巡回していると、また自動ドアが開いた。

 ――来た!?
 態度から悟られることのないよう、なるべく自然にそちらを向く。

「こんにちはー、納品お願いします」
 馴染みの挨拶にがっくりした。
 しかもパック飲料!
 検品が終わったあとも棚に並べる作業が待っている。
 イコール、吉岡から目を離さざるをえない。
 いつもこのタイミングでやられてしまうのだ。
「お疲れ様でーす」
 業者さんに愛想良く対応しながら、超スピードで検印、検印、検印!
 吉岡は飲み物の冷蔵庫を物色している。
 ぱたむ、と空気を挟む音。開けて、閉めたらしい。
 その二動作の間にやったかもしれないワンアクションが、非常に気になる。
 業者さんを見送って、パック飲料を並べるために冷蔵庫側のスペースへ天花が近づく。
 と、逆に吉岡は出口の方向へ逃れていく。
 風船が空気に押されるようにふわーっと。
 そして、天花からは死角の、入り口近くの棚の前で一瞬足を止め――出て行った。

 あ!

 電気に打たれたように天花は駆け出し、自分の直感を確かめた。
 五百円くじの景品見本がなくなっている。
 人気のキャラクター商品で、文房具、コップ、ぬいぐるみと、とりどりのものが並べられていたはずだった。
 それが、きれいさっぱり、まるで商品入れ替えの最中みたいになくなっている。

 きゅ、っと唇を噛む。
 店長には、いつも言われてる。
 万引を見かけても、うかつに注意してはいけない、と。
 危ないから。本当に駄目だよ。見逃していいからね、と。
 兄にも言われた。
 もし万が一僕たちが間に合わないことがあったら、店長の指示に従いなさい。
 捕まえるのは僕らの仕事であって、お前はあくまでも一般人なんだから。
 それを忘れたわけではない。決して忘れたわけではない。
 が。

 だめだここでだまっていたらわたしはわたしでなくなってしまう。

 天花はきっと目線を定め、自動ドアが開く間ももどかしく、一歩を踏み出した。
 初夏にしては冷たい空気が一瞬で汗を冷やす。
「すみません!」
 呼びかけられる前に、吉岡は足を止めていた。
 まるで天花が来るのを待っていたみたいに。
 半身を開いてこちらを見ている。
 普通の声の高さで届く範囲まで距離を詰めた。

「――あの、」
 一瞬息を止めて、
「失礼ですが、お会計がお済みでない商品をお持ちではありませんか」
 押さえた息で言い切った。

 天花と同じくらいの背だと思っていたが、こうして対峙してみると、やはり男子の体つきをしている。
 ホックを外した学ランの詰襟の陰に見え隠れする喉仏が、こくり、と動いた。
「……はぁ?」
 歪めた口元から、不自然に尻上がりの返答。
「何、それ。え、もしかして俺のこと、万引扱いしてるわけ?」
 高い声音が、夜店で売ってるビービー笛みたいで、癇に障る。
 それでも天花は自制して、繰り返した。
「失礼ですが――」
「うるせえな。盗ったところ見たってのかよ」
 それは見ていない。でも。
「事務所へ来ていただけますか?」
「何だよ、荷物検査でもするつもりか? ああ?」
 意識して抑えて淡々と喋る天花とは逆に、吉岡の声はどんどん大きくなっていく。
 決して人通りの少ない道ではないので、注目を集めてしまう。
 立ち止まる者、見ぬふりで行き過ぎる者と様々ではあったが、居合わせたすべてに状況が伝わっていることだろう。
「別にいいぜ。事務所なんか行かなくたって、ここで改めてもらったって」
 言って吉岡は、肩掛けのリュックを下ろし、やおら学ランを脱いだ。
 ポケットをひっくり返し、ばさばさと振って見せる。
「ズボンのポケットもほら、この通り。あとは何だ? シャツも脱げってか?」
「――カバンの中を見せてください!」
 とうとう堪忍袋の緒が切れて、天花の語調もきつくなる。
「カバン?」
 吉岡はにやりと笑った。
「このリュックか? 関係ねえだろ? 言っとくけど俺、店の中では開けてないからな」
「改めていいって言ったじゃないですか。やましくないなら見せられるんでしょう?」
「――ふん」
 ゆっくりと、先ほど置いたリュックを拾い上げる吉岡。
 その手付きを見て、天花はふと違和感を覚えた。
 なんだろう、そう――軽すぎるのだ。
 ジッパーを開ける音が、微かに響く。口が大きく広げられた。

「――で? 俺は何を盗ったって?」

 目を疑う。中は見事に空っぽだった。
 ご丁寧にひっくり返して振って見せられる。
「え……でも……」
 雑誌と、飲み物と……いや、それはもしかして天花の思い込みだったかもしれない。
 でも、景品は、確かになくなっていたのだ。
 ミニクッションくらいのぬいぐるみ。
 何日か前、小さい女の子がどうしてもほしいと言って泣いたぬいぐるみ。
 一回だけって約束してくじを引いたけど、外れてしまって、お母さんに諭されて、また今度と言って、やっとやっとあきらめた、ぬいぐるみ。
 どんなものを盗んだって罪は罪だけれど、あのぬいぐるみだけは、遊び半分で盗ってはいけないと思った。
 小さい子が出来る我慢を、どうしてできないのって、叱ろうと思った。
 けれど。その証拠は今、どこにもなくて。
 意気込みが大きかった分、ショックも大きく、天花は言葉をなくしてしまう。次の一手が出てこない。
「さあて」
 吉岡はにやりと笑う。
「どうする? 警察でも呼ぶかい?」

「別にわざわざ呼ばんでも」
 やや低めのよく響く声が天花の代わりに応えた。
「ここにおるがな」

 思わず振り仰ぐ。
 頭の右斜め後ろ、耳のラインより上方から聞こえてきたのは、知っている声だったからだ。
 予想よりうんと近い場所に、その男は立っていた。ほとんど天花に寄り添うように。
 浅黒い肌、しっかりしたあごの輪郭。ややツリ気味で切れ長の鋭い目は、今はどこか楽しげに細められている。
 そこへ長めの前髪が数房落ちかかる。
 整髪料で適当に撫で上げているだけなので、一日動き回れば「無造作すぎるヘア」になってしまうのだが、本人はあまり頓着していない。
 左耳に、二つのピアス。
 耳朶の真ん中あたりに一つ、小さなトパーズ。
 もう一つは少し下端寄りで、先端に琥珀のついた金のチェーン。
 どちらも黄色系の石で、浅黒い肌にはほぼ保護色だ。
「……あ」
 天花は口をぱくぱくさせた。
 ライム、という風変わりなその名前を咄嗟に口にしなかったのは、彼女にとってこの男が、敬称及び二人称に困る位置づけにいるからである。
「はいな、お待たせ」
 軽い調子でライムは笑いかけ、それから吉岡に向き直った。びしっと指を差す。
「あかん、あかんでそんな、ベッタベタな!」
「――な、なんだよ」
 警察!? という事態よりも、いきなり斜め上からのダメ出し(しかもそれこそベッタベタな関西弁で)にこそ吉岡は怯んだ――のかもしれない。
「頼みもせんのに服まで脱いで、さあこの落とし前どうつける、って手口がベタ過ぎるゆうとんのや。あと八十四年で二十二世紀のこのご時世に、それが通用する思たら大間違いやで」
「素直に二十一世紀って言えばいいじゃないの!」
 思わずツッコんでしまった。
「せやかて、今更二十一世紀ちゅうてもイマイチ新時代ゆう気がせえへんやんか。二〇〇〇年生まれがもう高校生になっとるんやで? やー、年はとりたくないもんやね」
「あんただってそんなに変わらないでしょ」
「もうあかん。もうさすがに学ランは着られへん」
 知らんがな。頭痛を覚えて天花はこめかみを押さえる。

 ――お兄ちゃん、何でよりによって「こっち」をよこしたの? 相方さんのほうを期待してたのに。

「ま、学ランが偉いわけやなし。アホは何着ててもアホや、なーあ、そこの青少年」
 ライムは一歩踏み出した。
 左手を吉岡に突きつける。
 黒い巾着袋を持っていた。
 かなり大きめで、そう、ちょうどあのリュックより一回り小さいくらい。
 ぼこぼことして、中身の形がうっすらわかる。
「これ、なーんや?」
 吉岡のキツネ目が見開かれ、顔色があからさまに変わった。
 きびすを返し、脱兎のごとく走り出す。
 そこへライムはただ声をかけた。むしろのんびりとした調子で。

「待てて。そないに走りよったら『けつまずいて転ぶで』」

 次の瞬間、吉岡の体が跳ねた。
 きれいに舗装された、特に障害物も無い場所で、つまずいて転んだのだ。ライムの言葉通りに。
 吉岡が地面に倒れる重い音が、天花の足裏にも響いてくる。
 と思う間にもう、ライムは距離を詰めていた。猫科の獣――ジャガーのイメージが重なる。色は黒だ。
 倒れた吉岡にのしかかり、腕を後ろにねじり上げて押さえつけた。
「さあてさて、言い訳は署で聞いたるからな。大人しくお縄に――わぷ!」
 バシュ、というくすんだ破裂音。
 特徴のある匂いが少し遅れて広がる。
 空中に突如霧散したビールが、目潰しを食らわせたのだ。
「器用なことするやないか」
 ライムが片目をぎゅっと閉じながら、袖で顔を拭う。
 一瞬戒めを緩ませかけたが、再び押さえ込む。
「高校生がビールとはなー。他には何を盗ったんや。ほれほれ、全部ぶちまけてみい」
 何が出るかな、などと巾着袋を吉岡の後頭部にぐりぐりと押し付けて挑発する。
「ちょ……」
 い、いじめっ子だ。いじめっ子がいる。
 色々な意味ではらはら見守っていた天花だが、さすがに止めたほうがいい気がしてきた。
 先ほどのやり取りからの続きで、ギャラリーの注目度、視線ときたら今や痛いほどだ。
 しかしライムは意にも介さず、こちらをちらと見てから、吉岡の耳元に口を寄せて囁いた。
「バイトの子も見とるでぇ」
「――っ」
 ぎり、と歯軋りが聞こえた。
 ――被さるように、ごすっ、という鈍い音。
 ライムの頭を黒いものが直撃していた。
 押し付けられた巾着袋を、吉岡が上方へ瞬間移動させ、落としてきたのだ。
 見かけより質量もあったらしく、不意をつかれたライムが頭を押さえる。重心が少し後ろへ傾いた。
 その隙を突いて、吉岡がライムの腕から抜け出す。
 押さえ込みを外したのではなく、瞬間移動で一メートルほど前へ出たのだ。
 よろよろと身を起こしながら、走り出す。
 ライムは突っ支い棒を外された形になってひっくり返る――かと思ったら、さっと手をつき、跳ね起きた。
「アキラ!」
 吉岡が逃げていく方向へ、呼びかける。
 天花も顔を上げ目を向けた。

 一人の少年が立っている。
 強い印象のアーモンドアイ、きりりとした眉。
 やや固そうな黒髪は短く、背筋の伸びた立ち姿が時代劇の若侍を思わせる。
 白いシャツ、黒に近い深緑のネクタイとズボン、制服姿が爽やかで――。
 今度こそ、天花が期待していた人物だ。胸前で組んでいた指に、思わず力が入る。
「見てたやろ、クロや! 逮捕せえ!!」



 ――そりゃ見てたけど。
 アキラは口を引き結んだ。
 膝を曲げ軽く腰を落として、大地を蹴る。
 吉岡は、アキラの出現に戸惑って進退を決められず、身を起こしかけた中途半端な体勢でいる。
 その懐に飛び込んで、袖と襟をつかむ。引きながら体をひねり、上体を曲げた。
 背負い投げ。
 下はアスファルト。
 そのまま勢いよく叩きつけたら傷害沙汰、下手すると致死がつく。
 だから、絶対頭は打たせないように、しっかりと服を手に巻きつけ、足は大きく開いて高低差をなくす。
 そして。
 吉岡の重心がアキラの背中の上を渡っていく。
 肩を越えて、その体が――学ランが視界に入った瞬間、アキラは凝視した。睨みつけた。
 不織布の切れ端のようなSP症独特の力場が見える。そこを絡めて、引っ張り上げるように力を行使する。

 ――落ちるな、支えろ。

 すると――投げの速度が目に見えて遅くなった。
 まるでスローモーションだ。
 アスファルトに臀部が着く直前にはほぼ静止して、そこからふわりと接地する。
 同時にアキラは身を起こし、吉岡の腕をびしっと引き上げた。
 素早い動きが画像の再生速度を戻して、まるで普通に投げ飛ばされたかのような錯覚を、見ていた者にも投げられた者にも与える。
 めまぐるしく変わった景色、ひっくり返された三半規管、それでいてさほどの痛みを感じていない体と、物理法則を無視した緩急。
 情報が交錯して脳内処理が追いつかず、ただ呆然とする吉岡。
 その腕を背中にねじり、かっちりと固める。
 今度は外そうと試みることさえ、叶わないはずだ。
 ライムが大股で近づいてきて、人差し指を突きつける。
「無理に動かんほうがええで。お前はもう『抵抗でけへん』」
 言葉の通り、吉岡から一切の力が抜けた。アキラが支えていなければ地面に倒れ伏すほどだ。
「そうそう、もう指一本動かされへんし、テレポートもできんはずや。『オレに何した』ゆう顔しとんな。いやそないに大したことはしてへんねんけど、ちょおタネ明かしするとな、オレらはお前らの能力を利用できるんや。力の方向をそらして反作用としてぶつけとる。そうするとあら不思議、体が動かんし超能力も使えへん、とこういう訳や、なあアキラ」
「そういうこと」
 アキラがうなずくと。
「――いやいや、『そういうこと』やのうて!」
 ライムは眉を上げ下げした。
 猫科で野性味にあふれた、どちらかというときつめの顔立ちだが、こういう表情の多様さがその印象を和らげている、と思う。
 和らげすぎてせっかくの二枚目が、半から三枚目になっているけれど。
「さっさと手錠かけたらんかい。大したネタもないのにずっと喋くっとんのは骨が折れるんやで。おかげでオレ、同じこと繰り返してしもたやんか、ああ恥ずかし、話のくどいおっさんみたいやわ」
「説明になってちょうどいいかと思って」
 ネタの有無に関わらずライムがお喋りを苦痛に感じることなんてあるのか、とこれは心の中で付け足す。
 口から先に生まれてきた、というのは正にライムのためにある言葉だ。
 まったく実にちょうどいい【枷】がつけられたものだ。
 それでももちろん、ずっと押さえ込んでいるわけにもいかないので、言われた通り手錠をかけた。
 微量の電磁波が術者の精神集中を乱す効果があるので、これで大概の能力は封じられるはずだ。
「窃盗、ならびに特異能力犯罪の現行犯で逮捕する」
「十七時四十五分、逮捕、やな」
 ライムが腕時計を確認した。


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