髪の色と記憶
ラシェルは鏡を見つめて顔をしかめた。鏡には鮮やかな赤紫色の髪の少女が映っている。その色は、彼女にとってあまり好ましい色ではなかった。
普段は茶色に染めている髪の色を元に戻すことになったのは、先ほどの失敗のせいだ。
ラシェルは、自らの髪を染める染料を自作していた。今回も問題なく完成するはずだった作りかけの染料に何か異物が入ってしまったらしく、失敗作ができてしまったのだ。材料ももう残っておらず、買い足す余裕はない。そこで、染料が中途半端に落ちている状態よりはましだろうと、一度元の色に戻すことにしたのである。
「……ラシェル」
「うわぁ、どうしたのその髪の色?」
髪の毛のことを聞かれると予測していたラシェルはうんざりとした顔をラルフたちに向けた。人間に言われることは慣れていたが、人間より派手な色を体の一部に持つ魔族にまで驚かれるというのは複雑だ。クラウスなどは鮮やかな青い髪の持ち主だ。ラシェルからしたら、自分とクラウスの髪の色の珍しさは大差ない。
「ニュクスメイディや貴女の目と同じ色ですね。貴女があの色を嫌ったのは、そのせいですか?」
一番冷静な言葉をかけるハインリヒの声にも少なからず動揺がにじみ出ている。
深い安らかな眠りをもたらしてくれる薔薇に罪はない。しかし、自分以外が見ても似ている色なのだと言われると嫌悪感が増す。因縁めいたことに、ニュクスメイディは、デュスノミアを象徴する薔薇でもある。それは、夜の女王が混沌と争いを愛することからきていた。
ラシェルが赤紫色の髪を染めて隠していたと知った魔族たちは心底不思議そうな顔をした。彼女がそこまで髪の色を隠したがる理由が理解できなかったからだ。
「理解できんな。
どうして、わざわざその綺麗な色を変える必要があるんだ?」
「……紫色の髪なんて珍しいからよ。悪目立ちする」
赤みが掛かった色は珍しくないが、紫はあり得ない色である。
一瞬ラルフの綺麗という発言に固まったラシェルだが、すぐに元に戻る。ラルフが褒めてくれたからといって、自分の髪の色が嫌いだという事実が変わるわけではない。
「紫は魔の証。
……それを持ちながら何故弱いのか、まったく貴女は不可解な生き物ですね」
「魔族でも髪に現れるのは珍しいんだがな」
ラルフとラシェル、どちらの目も紫系の色をしているが、二人の目の印象は印象がまったく違っていた。深い藍色を落としたような暗い青紫色のラルフの目に対し、ラシェルの目は燃える炎をうちに持つように明るく赤味の強い紫だ。それはまるで、互いの性格を表しているかのような色だった。
「目なら、ラルフ様も含めて高貴な魔族では珍しくない色だよね」
高貴な魔族というのは、強い魔力を有する魔族という意味である。彼らの中では、強い者だけが権力を持つことを許される。世襲制ももちろん存在しない。強い親から生まれても弱ければ、子供は親から奴隷のような扱いを受ける。ただ、魔力の保有量は遺伝するので、親子の間に大きな力の差が生じることは稀だった。
「彼女は、高貴とは程遠い生物だと思いますが」
「ラシェルはそこが良いんじゃないかな。
髪の色が紫なのは、デュスノミアと関係してるのかもしれないね」
魔力が弱く貧乏性のラシェルをハインリヒは馬鹿にしているところがある。クラウスも似たような態度を取るが、彼はハインリヒよりはラシェルに友好的だった。自分に自信がない彼は、自分より弱い存在を見下しつつも好む性質がある。
兄弟が好き放題言っている後ろでラルフは何か考え込んでいるようだった。
「髪に関して何か言われたことがあるのか?」
「昔、母がよく髪の色を隠すように言っていて、それを聞いていた頃はよく分からなかったんだけど……
後で私の髪の色のせいで悪い事が起きたのよ。
……知らない人が数人家にやってきて私を連れ去った」
いきなりの重い内容に一般人なら多かれ少なかれ動揺しただろうが、話している相手は魔族。皆平然としていた。気を使う気ももちろんない。しかし、平和ボケしていると思っていたラシェルの過去に、そんな出来事があったというのは三人にとって意外なことだった。
“連れ去られた”ではなく、“連れ去った”と客観的に話すラシェルにも違和感を覚える。どちらかといえば感情的な彼女らしからぬ表現だ。
「それで、どうなったんだ?」
先を促すラルフだけでなく、リード兄弟も続きを話せという視線をラシェルによこす。
「それが三年近くも家に帰れなかったのに、その三年間のことを覚えていないのよ」
「話になりませんね。何があったか分からないのなら、良い悪いの判断など不可能ではありませんか」
「嫌な思いをしたから忘れちゃったのかもしれないよね」
場が白けそうになるのをクラウスが止める。フォローするつもりはなかっただろう。単に彼の悪い癖が出ただけだ。事実の良し悪しに左右されず、もれなく悪い方向へ考える。
「あり得ないことではありませんが……あなたは黙っていなさい」
呆れながらも一応相手にするだけハインリヒはクラウスには甘かった。ラシェルはクラウスの言葉を気にせず、ハインリヒの嫌味にだけ答える。
「まぁね。でも、やっと家に帰れた時に母が『もう大丈夫よ。怖い目にあったのね。もう忘れてしまいなさい』って言ったのは記憶に残っているの。
だから、悪いことだったのかな、って。
あと、強制的に子供が連れ去られた事自体悪いことじゃない?」
「三年後に帰れたんだ……」
「……無事だったから、今ここにいるんでしょうけどね」
「失った記憶は悪いものかもしれない。だが、それは思い出した方がいいんじゃないのか?」
もうこの話を切り上げようと思っていたラシェルは、予想外の反応をする三人に困惑した。
「なんで、あんたがそれを気にするのよ。私自身が気にしてないんだからいいでしょう?」
一番引っかかるのは、面倒な事を嫌うラルフがわざわざラシェルの失くした記憶を取り戻すことを望んでいるということだった。思い出した方がいいのでは、と提案しているがラシェルのためだけなはずはない。彼は自分の利益になることしか自ら進んでやらないし、それすらなかなかしようとしない男だ。ラシェルが、ラルフにとって何の得があるのか、という疑問を最初に思い浮かべるのも仕方がない。
「抜け落ちた三年間が、あなたの魔力の少なさに関係あったとしても?」
「あり得る話だよね」
話が飛躍しすぎているように感じられる内容だったが、ハインリヒはいつになく真面目な表情をしている。クラウスだけでなく、ラルフも真剣な表情でいて口を挟まないことから同じ意見なのだろう。
「どうして、そういう話になるのか分からないけど、貴方達に関係ないことだわ」
「魔力と関係あるなしはともかく、私たちとは関係ありますよ」
「君はラルフ様の魂約者だからね」
「また、そんなこと言って……とにかく、この話はこれで終わり。忘れてちょうだい」
逃げるように部屋を出て行ったラシェルを追う者はいなかった。食堂のテーブルの上には、彼女の食事だけがそのまま残っている。
「あれで宮廷魔術師目指してるっていうんだから、笑っちゃうよね。嫌いじゃないけど」
感情的になって冷静さを欠いているラシェルにクラウスは苦笑する。ハインリヒに睨まれて口を閉じたものの、目は何かを企んでいるかのような輝きを帯びていた。
「ラルフ様……」
「調べる必要はない」
ラルフがリード兄弟と会話する時、彼らは多くの言葉を必要としない。周囲が聞いても理解できないものだったが、今回もこの短い会話だけで互いの言いたいことは伝わっている。
それにラルフはあまり長い話をするのを好まなかった。ラシェル相手の時と他では話す量に大きな差がある。彼女は気づいていないことだったが、それは紛れもなくラルフがラシェルを特別扱いしている証だった。
「僕、なんとなくラシェルが魔族にあまり偏見がない理由も分かった気がするよ」
「私もです。でも、答え合わせはまた今度にしましょうか。
彼女に答えは今のところ必要なさそうですからね」
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