浅田選手が、全日本選手権出場を表明しましたね。
こんな時まで、強い真央ちゃんじゃなくてもいいのに。
どんなに泣いたっていいんだよ。
気持ちの整理がつくまで休んだって、誰も文句は言わないよ。
もし世界選手権に出られなくなったとしても、いいじゃないか。
真央ちゃんの気持ちの方が大事だよ。
・・・って思う気持ちはあるんですよ。
でもその一方で、彼女は「出る」と言うに違いないと思ってました。
それは、予想というよりももっと強い、確信。
それが彼女の生き方だから。
どんなに苦しくても逃げない。
時には不様な姿をさらけ出すことになっても、逃げない。
それが彼女の生き様だから。
そう。彼女が「出る」と言うのは分かってました。
だって彼女は、そう生きるよう導かれているのだから。
生き様を他人に見てもらうために、彼女は生きている。
彼女の人生は、そのためにあるんですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浅田選手の母、匡子さんは、だいぶ前から患われていたようですね。
浅田選手も舞さんも、いつかはこの日が来るかも、と覚悟していたんですね。
「名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。」
浅田選手のあの笑顔の裏にそんな想いが隠されていたかと思うと、やるせない気持ちになります。
さてここから先、大変不謹慎で、ひどい話をします。
書くべきかどうか何日も悩みました。
が、敢えて書くことにします。
そうしなければいけないと思うから。
匡子さんが亡くなられたことは、フィギュアファンの間で大きなニュースとなりました。
が、もし匡子さんが今ではなく、もっと別の時期に亡くなられていたとしたら、これほどのニュースになっていたでしょうか?
例えば、浅田選手の試合が何もない、オフシーズンの時期だったとしたら。
おそらくほとんどのファンは、匡子さんが亡くなったことをニュースによって初めて知ることになるでしょう。
突然その事実を告げられ、もう既に匡子さんはこの世にはいない・・・
「えっ?そうなの?真央ちゃん可哀想・・・」
「真央ちゃん、今はゆっくり休んで。
ちょうど今は試合もないし。
気持ちの整理がついたら、また頑張ればいいよ。」
こんな感じで、わりと静かに、匡子さんは旅立たれていたのではないでしょうか。
では実際はどうだったか。
グランプリファイナルという、かなり注目度が高い試合に出場するために現地入りした浅田選手。
それが試合前日になって、急遽帰国してしまいます。
この時点で、フィギュアファンの間にニュースが駆け巡ります。
「浅田選手、母のもとへ急ぐ」
試合をキャンセルするくらいだから、お母さんの具合はよほど悪いに違いない。
熱心な彼女のファンは皆、匡子さんの回復を願ったことでしょう。
ってか、私も願いました。
テレビのニュースで知ったらしいうちの父も、
「真央ちゃんが試合しないのは残念だけど、お母さんが良くなってくれなきゃ困るよなあ。」
って言ってました。
こんなことは、通常時ではまずあり得ません。
匡子さんの病状が、我々フィギュアファンに知れ渡るなんてことは。
でも浅田選手が試合をキャンセルするという行動をとった結果、匡子さんの病状をファンが心配するという状況が発生したのです。
そして試合当日、匡子さんは亡くなってしまいます。
ファンはがっかりしてしまいます。
さて、この「がっかり」という感情は、願いが叶わなかった時に起こる感情です。
願わなければ、がっかりすることもありません。
もし我々が予め匡子さんの病状を知っていなければ、心配することも、がっかりすることもありませんでした。
真央ファンの立場で勝手な物の言い方をするとすれば、
匡子さんが亡くなったのが、たまたま浅田選手の試合の直前だったおかげで、
浅田選手と共に匡子さんのことを心配し、浅田選手と共に悲しむことができた。
そういう時間を浅田選手と共有することができた。
と言うことができます。
さて、匡子さんが亡くなられたのは、グランプリファイナルの当日というだけでなく、
同時に、全日本選手権の2週間前という時期でした。
そのため、浅田選手が全日本選手権を欠場するかもしれない可能性が出てきました。
全日本選手権を欠場するということは・・・
ここで、あの出来事を思い出したフィギュアファンも多かったのではないでしょうか。
安藤選手が今季の休養を決めようかという際に、
「全日本選手権に出なければ世界選手権の代表には選ばない。世界女王でも特別扱いしない。」
と、日本スケ連に釘を刺された件を。
え?ということは、浅田選手は世界選手権に出られなくなるかもしれないってこと?
何ということでしょう。
あの言葉は、安藤選手に向けられた言葉だったはず。
それが何の因果か、何故か浅田選手に適用される羽目に・・・
偶然とはいえ、あんまりな巡り合わせです。
ファンとしては複雑です。
そりゃ浅田選手には無理をして欲しくないけど、出れて当たり前の世界選手権に出れないのも可哀想・・・
もう!美姫ちゃんとは事情が違うんだから、特例くらい認めなさいよ!
と、やきもきしてしまいます。
匡子さんが亡くなったのがこの時期でなければ、こんな心配をすることもありませんでした。
たまたまこの時期だったばかりに・・・
ん?
「たまたま」「偶然」がいくつか出てきましたね。
まあそういう偶然が重なることもありますかね。
でももし、サイコロの目を自在に操ることのできる者がいるとしたら、
その者にとっては、サイコロの目は「偶然」ではなく「必然」ですよね。
私のブログを以前から読んでくださっている方なら、私が何を言いたいのか分かっていただけないでしょうか。
はっきり言いましょう。
匡子さんは、死期を操られた。
浅田選手を見守る我々ファンが、彼女により感情移入できるようにするために、
神は敢えてこの時期に、匡子さんを天に召したのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やってくれやがったな神様。
ふざけんなよ。
何だよこのストーリーは。
誰がこんな話を見たいと言ったよ。
真央ちゃんにとって、一番大切な人じゃないか。
それを・・・
人の命までストーリー作りのための道具にしやがって。
ふざけんな。
人の命を何だと思ってるんだ。
そりゃ、あんたにとってみれば、俺達の命や人生なんて手の内だろうさ。
でもな。
俺達だって生きてんだよ。
心や意志を持って生きてんだよ。
生きたいと思って生きてんだよ。
あんたはいつもそうだ。
いつもは呼びかけても応えないくせに、
こういう時に限って、露骨にこの世に干渉してくるんだ。
嫌味のように、自分の仕業だと誇示しやがるんだ。
自分の摂理のためなら、非情に冷酷に、人の命もまるで将棋の駒のように使いやがるんだ。
ふざけんなよ。
なあ神様。
百歩譲って、あんたには匡子さんを亡くならせなければならない理由があるのかもしれないよ。
でもな、せめて静かに息を引き取らせてやれよ。
これじゃ、まるで見せ物じゃないか。
可哀想だよ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
匡子さんの葬儀が終わった直後、浅田選手は全日本選手権出場を表明しました。
これには驚きました。
彼女なら「出る」と言うに違いないとは思っていましたが、まさかそんな早いタイミングで発表するとは。
母は失ったが、これからも変わらず強く生きていく。
彼女の強い意志表示に、ただただ圧倒されるばかりです。
悲しくないわけがない。
苦しくないわけがない。
それでもまた彼女は歩き出すんだ。
いつものように、前だけを見て。
悲しみも苦しみも、あの笑顔の下に隠して。
そう、分かっていました。
彼女がすぐに歩き出すことは。
そして、分かるんです。
神が何故、彼女と匡子さんの別れを、我々の目の前に晒したのかも。
だって彼女は、神に選ばれたフィギュアスケーターだから。
フィギュアスケーターとは、定められたプログラムを演じ、観客を魅了することを生業とする者。
彼女が演じているプログラムの曲名は「人生」。
そのプログラムの振付師は、神。
フィギュアスケーター、浅田真央。
振付師の過酷な要求に応え続ける、至高の表現者。
その生き様は彼女の演技と同様、余りにも美しい。
こんな時まで、強い真央ちゃんじゃなくてもいいのに。
どんなに泣いたっていいんだよ。
気持ちの整理がつくまで休んだって、誰も文句は言わないよ。
もし世界選手権に出られなくなったとしても、いいじゃないか。
真央ちゃんの気持ちの方が大事だよ。
・・・って思う気持ちはあるんですよ。
でもその一方で、彼女は「出る」と言うに違いないと思ってました。
それは、予想というよりももっと強い、確信。
それが彼女の生き方だから。
どんなに苦しくても逃げない。
時には不様な姿をさらけ出すことになっても、逃げない。
それが彼女の生き様だから。
そう。彼女が「出る」と言うのは分かってました。
だって彼女は、そう生きるよう導かれているのだから。
生き様を他人に見てもらうために、彼女は生きている。
彼女の人生は、そのためにあるんですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浅田選手の母、匡子さんは、だいぶ前から患われていたようですね。
浅田選手も舞さんも、いつかはこの日が来るかも、と覚悟していたんですね。
「名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。」
浅田選手のあの笑顔の裏にそんな想いが隠されていたかと思うと、やるせない気持ちになります。
さてここから先、大変不謹慎で、ひどい話をします。
書くべきかどうか何日も悩みました。
が、敢えて書くことにします。
そうしなければいけないと思うから。
匡子さんが亡くなられたことは、フィギュアファンの間で大きなニュースとなりました。
が、もし匡子さんが今ではなく、もっと別の時期に亡くなられていたとしたら、これほどのニュースになっていたでしょうか?
例えば、浅田選手の試合が何もない、オフシーズンの時期だったとしたら。
おそらくほとんどのファンは、匡子さんが亡くなったことをニュースによって初めて知ることになるでしょう。
突然その事実を告げられ、もう既に匡子さんはこの世にはいない・・・
「えっ?そうなの?真央ちゃん可哀想・・・」
「真央ちゃん、今はゆっくり休んで。
ちょうど今は試合もないし。
気持ちの整理がついたら、また頑張ればいいよ。」
こんな感じで、わりと静かに、匡子さんは旅立たれていたのではないでしょうか。
では実際はどうだったか。
グランプリファイナルという、かなり注目度が高い試合に出場するために現地入りした浅田選手。
それが試合前日になって、急遽帰国してしまいます。
この時点で、フィギュアファンの間にニュースが駆け巡ります。
「浅田選手、母のもとへ急ぐ」
試合をキャンセルするくらいだから、お母さんの具合はよほど悪いに違いない。
熱心な彼女のファンは皆、匡子さんの回復を願ったことでしょう。
ってか、私も願いました。
テレビのニュースで知ったらしいうちの父も、
「真央ちゃんが試合しないのは残念だけど、お母さんが良くなってくれなきゃ困るよなあ。」
って言ってました。
こんなことは、通常時ではまずあり得ません。
匡子さんの病状が、我々フィギュアファンに知れ渡るなんてことは。
でも浅田選手が試合をキャンセルするという行動をとった結果、匡子さんの病状をファンが心配するという状況が発生したのです。
そして試合当日、匡子さんは亡くなってしまいます。
ファンはがっかりしてしまいます。
さて、この「がっかり」という感情は、願いが叶わなかった時に起こる感情です。
願わなければ、がっかりすることもありません。
もし我々が予め匡子さんの病状を知っていなければ、心配することも、がっかりすることもありませんでした。
真央ファンの立場で勝手な物の言い方をするとすれば、
匡子さんが亡くなったのが、たまたま浅田選手の試合の直前だったおかげで、
浅田選手と共に匡子さんのことを心配し、浅田選手と共に悲しむことができた。
そういう時間を浅田選手と共有することができた。
と言うことができます。
さて、匡子さんが亡くなられたのは、グランプリファイナルの当日というだけでなく、
同時に、全日本選手権の2週間前という時期でした。
そのため、浅田選手が全日本選手権を欠場するかもしれない可能性が出てきました。
全日本選手権を欠場するということは・・・
ここで、あの出来事を思い出したフィギュアファンも多かったのではないでしょうか。
安藤選手が今季の休養を決めようかという際に、
「全日本選手権に出なければ世界選手権の代表には選ばない。世界女王でも特別扱いしない。」
と、日本スケ連に釘を刺された件を。
え?ということは、浅田選手は世界選手権に出られなくなるかもしれないってこと?
何ということでしょう。
あの言葉は、安藤選手に向けられた言葉だったはず。
それが何の因果か、何故か浅田選手に適用される羽目に・・・
偶然とはいえ、あんまりな巡り合わせです。
ファンとしては複雑です。
そりゃ浅田選手には無理をして欲しくないけど、出れて当たり前の世界選手権に出れないのも可哀想・・・
もう!美姫ちゃんとは事情が違うんだから、特例くらい認めなさいよ!
と、やきもきしてしまいます。
匡子さんが亡くなったのがこの時期でなければ、こんな心配をすることもありませんでした。
たまたまこの時期だったばかりに・・・
ん?
「たまたま」「偶然」がいくつか出てきましたね。
まあそういう偶然が重なることもありますかね。
でももし、サイコロの目を自在に操ることのできる者がいるとしたら、
その者にとっては、サイコロの目は「偶然」ではなく「必然」ですよね。
私のブログを以前から読んでくださっている方なら、私が何を言いたいのか分かっていただけないでしょうか。
はっきり言いましょう。
匡子さんは、死期を操られた。
浅田選手を見守る我々ファンが、彼女により感情移入できるようにするために、
神は敢えてこの時期に、匡子さんを天に召したのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やってくれやがったな神様。
ふざけんなよ。
何だよこのストーリーは。
誰がこんな話を見たいと言ったよ。
真央ちゃんにとって、一番大切な人じゃないか。
それを・・・
人の命までストーリー作りのための道具にしやがって。
ふざけんな。
人の命を何だと思ってるんだ。
そりゃ、あんたにとってみれば、俺達の命や人生なんて手の内だろうさ。
でもな。
俺達だって生きてんだよ。
心や意志を持って生きてんだよ。
生きたいと思って生きてんだよ。
あんたはいつもそうだ。
いつもは呼びかけても応えないくせに、
こういう時に限って、露骨にこの世に干渉してくるんだ。
嫌味のように、自分の仕業だと誇示しやがるんだ。
自分の摂理のためなら、非情に冷酷に、人の命もまるで将棋の駒のように使いやがるんだ。
ふざけんなよ。
なあ神様。
百歩譲って、あんたには匡子さんを亡くならせなければならない理由があるのかもしれないよ。
でもな、せめて静かに息を引き取らせてやれよ。
これじゃ、まるで見せ物じゃないか。
可哀想だよ・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
匡子さんの葬儀が終わった直後、浅田選手は全日本選手権出場を表明しました。
これには驚きました。
彼女なら「出る」と言うに違いないとは思っていましたが、まさかそんな早いタイミングで発表するとは。
母は失ったが、これからも変わらず強く生きていく。
彼女の強い意志表示に、ただただ圧倒されるばかりです。
悲しくないわけがない。
苦しくないわけがない。
それでもまた彼女は歩き出すんだ。
いつものように、前だけを見て。
悲しみも苦しみも、あの笑顔の下に隠して。
そう、分かっていました。
彼女がすぐに歩き出すことは。
そして、分かるんです。
神が何故、彼女と匡子さんの別れを、我々の目の前に晒したのかも。
だって彼女は、神に選ばれたフィギュアスケーターだから。
フィギュアスケーターとは、定められたプログラムを演じ、観客を魅了することを生業とする者。
彼女が演じているプログラムの曲名は「人生」。
そのプログラムの振付師は、神。
フィギュアスケーター、浅田真央。
振付師の過酷な要求に応え続ける、至高の表現者。
その生き様は彼女の演技と同様、余りにも美しい。