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【芸能・社会】増田記者手記「柔道一直線」 遺恨超え安らかに2012年4月11日 紙面から 「『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を大宅壮一賞に推挙させていただきたいのですが、応諾いただけますでしょうか」 電話があったのは、先月のはじめだった。携帯電話を握りしめたまま私はしばらく絶句し、「ありがとうございます。謹んでお受けいたします」と答え、泣きだした。 その夜、夢を見た。大男たちが車座になって酒宴をひらいている。真ん中にはどっかりとあぐらをかいて酒を酌み交わす木村先生と力道山がいた。 「増田君もこっちへ来い」 木村先生が笑顔で手招きした。 「いいんですか……」 私が言うと、「よかよか」と熊本弁で言ってまた手招きした。力道山も満面の笑みで「一緒に飲もう。来いよ」と言った。 もともとは木村先生を復権させるために書きだした本だった。 しかし、書き終わってから、落ち着いてよく考えてみると、ほんとうに私がやりたかったのは、二人の苦しむ魂を和解させることだった。 この本を書き始めたのは私が27歳のときだった。木村政彦VS力道山が戦われたとき、木村先生は37歳、力道山は30歳だった。だから私は年上の人たちのことを書いていたことになる。それが18年の間に力道山の年齢を抜き、木村先生の年齢も10歳も抜いてしまった。 いま冷静にあの試合を振り返ってみると、あるいは木村先生と力道山の心情を振り返ってみると、2人は共に誰かに仲裁してもらいたかったのだと思う。だけれど誰もそれをできなかった。だから2人は共に振り上げた拳を下ろす機会を逸してしまい、自分を追い詰めるような人生を送らざるを得なかった。 だから46歳の私がやるべきことは、若い2人に「もういいんだよ。2人とも悪くないんだよ」と肩をたたいて仲裁することだったのだ。 私はキリスト教徒ではないが、でもすごく好きな言葉がある。教会で結婚式を挙げると牧師が言う言葉だ。 「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」 私を助けてくれたみんなにお礼を言いたい。 生きていくうえで、もっとも偉大なものは愛である。 どんな大きな筋肉をまとっていてもそれはいずれ衰える。どんな財を築いてもそれで幸せは買えない。人の心も買えない。人を動かすほんとうの原動力は愛だけだ。 それは家族愛であったり、親子の愛であったり、男女の恋愛であったり、職場の同僚に対する気遣いを重ねることによる愛であったり、さまざまなかたちをとる。行きずりの恋愛だってあるし、男同士が殴り合って芽生える友愛もある。ほんのいちど顔を合わせただけで、地下鉄で席をゆずられたり、そんな小さな愛もある。あるいは私が木村先生のために18年という時間をささげた敬愛もある。 私の本が読者から支持されたのは、この本に愛と許しが満ちているからだと思う。くしくも同時期に発売されてベストセラーとなっている内田樹先生の『呪いの時代』(新潮社)と同じ結論をこの作品で結んでいるのである。呪いは呪いしか呼ばない。何も生み出さない。何かを生み出すのは愛だけである。みんなを許し、みんなを愛することだ。救いをこそ、いま人々は求めているのである。 18年の間にはさまざまなことがあった。しかしそのたびに私は多くの人に助けられ、声をかけられ、なんとかここまでやってきた。すべて私を支えてくれた中日新聞社と中日スポーツのスタッフのおかげである。ほんとうにありがとうございました。不器用な私は、いまはこんな月並みな言葉しか言えないけれど、いつかきちんとお礼を言いたい。記者として紙面で見せたい。 木村先生が勝ったとか力道山が勝ったとか、そんなことはもうどうでもいい。勝ち負けなんてどうでもいい。木村先生と力道山先生を私の筆が救ったのだ。 今夜はつぶれるまで飲もう。天を仰ぎ、木村先生のために酒を飲もう。力道山先生のために酒を飲もう。昭和の過ちを精算するために。みんなの過ちを精算するために。すべてを愛し、すべてを許すために。 (増田俊也) PR情報
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