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樋田さんの掲示板を利用させていただいて、なんの貢献も出来ないようでは申し訳ないので、ここで閑話休題。
私どもの運営している「風塵山荘」は仏教者がその視点から時事を語ることを指向しているので、降魔の剣とはその存在意義には大きな相違があります。
が、なんらかの寄与ば出来るので、その〝誘因〟として述べたいことがあります。
私が、WIN95時代から数十年、創賊やら正信会やらと壮絶な議論を展開してまいりました。法太郎となのり、です。
その中で特筆すべき〝論者〟が二人いました。
浄土真宗の「三吉」氏と、創価系とおぼしき「ロム男」氏である。
真宗の三吉とは、天台仏教を巡ってより広範囲な〝知識戦争〟を繰り広げたものです。この掲示板を御覧されている方の中に「窺基」の論に曰く、と云われて「窺基」を知っている方はどれほどいるであろうか。
窺基とは「慈恩大師」のことであり、これを知らないと反論不能に陥るのである。結論として三吉とはどうにか互角に持ち込むのが精一杯であったのだ。(汗;、
もうひとり、私が驚愕した論者がいる。この掲示板に参加していた「ロム男」氏である。
「ロム男」氏は創価系のようだが、事実であろうか。私には信じられないのである。創価の傾向として、仏教理論を体系的に論じられる人はただのひとりもいなかった。
例えば「バカ宿坊」とか「空き缶」とか「バカニッケン院政」とかである。
ゆつらはスポット的に教学用語を解説するのみであり、宗旨・宗史の整合性が体系づけられていないために反論の余地が十分にあったのである。
が、「ロム男」氏に限っては違っていた。もし彼が創価系であれば驚嘆すべき存在であり、彼が創価で重用されているのであれば創価を舐める態度は改めなければならないであろう。
例えば「血脈」についてタームを述べればバカ創賊であれぱ御書の一節の解釈で空転の逃げに徹するが、「ロム男」は宗史からの一面考察も持ち出してきたのである。これは創価の智慧のレベルを超えている思考なのである。
ともあれ、私どもの世俗重視の「風塵山荘」と違い、降魔の剣における教義論争は目を離せないものがある。
では。
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