最初は「大丈夫」。今ごろ、なぜ
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計画的避難区域の福島・飯舘村、川俣町を歩く
公明新聞:2011年6月4日付
東京電力福島第1原子力発電所の事故で、政府が要請した計画的避難区域の住民に対する区域外への避難。「工程表」では5月末までに移転完了だが、さまざまな事情から、今月に入ってからもその街に住み続けている人々がいる。“期限”翌日の6月1日。公明党福島県本部の甚野源次郎代表(県議)と飯舘村、川俣町を歩いた。(東日本大震災取材班)
後手に回る政府の対応
「住民の命」守る視点どこに・・・
全村避難要請を受け、5月末までに8割近くの村民が移転した飯舘村。村内には今も千数百人がいるが、「1カ月でここまで進んだのは想像以上だった」(菅野典雄村長)。村に残る人々には仕事の都合や高齢者、子どもを抱え、思うように動けない人がいる。牛の扱いをどうするか未解決の酪農家もいる。
住民の健康を考慮すれば全村避難には従わざるを得ない。一方で、村は今後も村内に9事業所550人の雇用を確保。「誰もいないゴーストタウンにしたらすべてが終わり」(同)と考えたからだ。村内で働く人は線量計が渡され積算放射線量を毎日記入し、村に提出する。
目の前の課題は山ほどある。民間はじめ続々と支援の輪も広がるが、思うように動けないケースも。「全て国がやろうとせず、私たちにカネと権限を渡してもらいたい」。村長の率直な思いだ。
金型プレス業と農業を営む伊藤隆三さん(60)は、この地で仕事を続ける1人。村内の親会社の事業継続が決まり、仕事が回るメドがついた。今後は、仕事場として村外から“自宅”に通う。
自宅周辺には役場職員が定期的に放射線量を計測に来る。工場の中は毎時1.7マイクロシーベルト程度だが、地表から1メートルでは同4~5マイクロシーベルトにもなる。原発事故のニュースは連日、新たな事実が伝えられるが、政府の対応は常に後手で、具体策を欠いたまま。「政府の話は信用できない。怒りを通り越して、むなしさを感じる」と不信感をあらわにする。
地域の農業委員会会長を務める専業農家の菅野宗夫さん(60)。7人家族だが、息子夫婦らは県内の伊達市に転居。計画的避難で家族は別れて暮らさざるを得なくなった。自らの移転先はまだ決まらず、仕事も未定。「政治で一番大事なのは住民の命を守ること。心ある対応をしているとは到底思えない」
震災で村内には150カ所程度、補修が必要な道路がある。建設業の渡邊春治さん(62)は村道の改修工事に当たる。住まいは相馬市の仮設住宅を申し込んだが完成は7月末。若い従業員などの健康を考慮し、仮事務所は村外にした。「一番欲しいのは原発の正確な情報。いつになれば収束するのか。最初は『大丈夫』と言っていた。危ないならとっくに逃げていた。今ごろになって、どうしてくれるのか」
影響は子どもたちにも。4月下旬から村内の幼稚園、小中学校は隣の川俣町内の学校を借りて授業を行っている。5月30日からは福島市などの避難先から川俣町内に送迎する7コースでスクールバスが本格運行を始めた。一番長いコースは片道1時間半かかる。
町内の山木屋地区だけが避難対象の川俣町。同地区では6月以降も一部で住民が残るが、99%は行き先が固まっている。
古川道郎町長は地区内に二つの事業所が残ることに胸をなで下ろす半面、じくじたる思いもある。「いつ戻れるのかと住民に聞かれても答えられない」ことだ。
山木屋地区の自治会長、大内秀一さん(63)は町内の他地区に引っ越すが、自らは住民の移動を見届けようと思う。「生まれ育った場所。みんなとバラバラになることがつらい」
「3.11」から間もなく3カ月。視点の定まらない政治に振り回され、精神的な苦痛にあえぐ人々がいる。「放射能に色を付けてほしい」―。指示は出すが、現場への配慮が足りない政府・与党の姿勢が厳しく問われている。
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2012年4月11日付