2012/4/7
元宝山・平庄2012A 海外蒸機
3:48、赤峰に到着します。 走行時間の半分以上が宴会だった「この夜行列車」ともお別れです。
3:48という到着時間は理想的です。
站から撮影地まで「移動時間」があっても“夜明け”から撮れるからです。
蒸汽機関車撮影の成否に最大の影響があるのは“風”です。 “夜明け”は“無風”の宝庫です。
我々が乗ってきたRW25軟臥車です。 左の人は站員でしょうか。
嗚呼!思い出多き“赤峰”かな! (鈴木さん撮影)
出站口はかつては右側、建物の外側でした。
恐ろしい極寒の中、夜明け前暗闇の中、押し合いへし合い人民の海を泳ぐようにして改札を抜けなければなりませんでした。
「大地の子」になりそうな気分を体験できたものです。
現在は建物の中に出站口が有るようです。
こんな雰囲気です。 かつては記撮に時間を浪費しても改札口の押し合いへし合いは続いていたものですが・・・・
・・・・もう空いていますね。
改札通過。
階段を降りたので站前広場の地面の高サに降りています。
かつては出站口はホームの高サで、出ると站前広場を「やや俯瞰する」眺めでした。
眼下の站前広場は「怒れる王蟲」に埋め尽くされたように赤い光に満たされていたものです。
広場を埋めるの赤い光は自動車のテールライトでした。
百台の白タクが頭を外に向けて停まり、行き先を叫ぶ運転手の声が響き渡っていました。
行く先を叫ぶ声は数が減っていますが今も有ります。
陳さんがチャーターした車を捜しに行っている間に記撮です・・・が通行人が被りました。
通行人が被った記撮は“成功”です。 (単に面白いからです) これは幸先良いです。
車と合流。 赤峰市内のホテルへ行ってトイレを借り、顔を洗い大小便を済ませます。
再び站に行き食料を捜します。
この自転車屋台みたいな・・・
これはどうかな?
そして右を見るとこの午前4時に開いている店が有ります。 (たしか刀削麺)
運転手はもっと上手い店(もっと清潔な店;やはり麺屋)が有るというので其処へ行くことにします。
車で7〜8分で到着。
中はこんな感じです。
厨房の中はガラス張りで見えます。
拉麺です。 手前に置いてある「具」を自由に載せて食べます。
こんな感じです。
見た目は普通ですが中国式。
麺の量は日本の3倍、かわりにスープは殆ど無いので美味しくないのです。
味はまあまあ(45点位)
時間を浪費しましたが、いよいよ元宝山に向かいます。
元宝山西站に接近します。
この歩行者は站から客レに乗る乗客です。
良かった!蒸機です。 建設形です。
時折DLがあると言うことでしたので多少は心配して居ました。
赤鬼も居ます。
雪は昨日(か一昨日)降ったという話です。 これも幸運です。
(赤鬼青鬼は双鴨山砿務局専用線にDLが入線したとき赤と青が居た事から付けられたこのてのDLの蔑称)
有名だけど撮影には全然使えない鉄橋を通り過ぎ、数百メートル行った適当な場所で車を降り、30m程林の中を歩いて線路脇に出てカメラを構えます。
カメラはHDW750(鈴木さん撮影)
殆ど無風です。
来ました。
ブラスト音は小さいです。 加減弁僅かに開いてある程度(開度15%?)です。
我々を見てドレーンを切りました。 少し過剰サービスかなァ。
元宝山の客レは「混合列車」ですが、朝は貨車が付かず客車だけの事が多いのです。
昼過ぎにも1往復「混合」が走りますが、大概客車の前に貨車が付きます。 しかしその貨車が長すぎるので混合列車らしく写すのが困難です。
後追いは重要です。
少し手間取り、踏切で先行通過出来ませんでした。 眼前を横切ります。
陳さんの指示で左の狭い道に突き進み、一瞬併走状態。
列車は踏切通過直後停車(ホームはないけど站です) その隙に前に出て散開布陣します。
発車です。 (実は終着まで600m程なのですが)
踏切で先行できなかった場合の次善策が用意されていたのは素晴しいです。 (流石陳さん)

終点、風水溝站です。 機関車は遠い先の方で入換作業中です。 転車台は有りませんので返しは逆向きなので撮りません。
駅舎側の站からの眺めです。 水面から湯気が上がっています。
乗客の99.9%は此処の炭鉱労働者でホームの反対側に、おそらく地下へと消えていきました。
駅舎に近付きます。
駅舎と2両分程度の長さのホームがあります。
トイレを借ります。 もちろん使うのは左側のクラシックな方です。
中の様子です。 伝統的な田舎のトイレが残って居てほっとしました。
入換作業が終わって客車を守る様な位置に機関車が戻ってきました。 (9年前も全く同じ位置だったと思います)
2両有ると言う噂だった元宝山の建設形、残っているのはこの1両だけで5月頃には廃車、DL牽引に変わると言われました。
途中で水を調達して平庄地区に移動します。 (所要約50分)
平庄炭坑の中心、操煤所に近付いたとき陳さんが「来てる!」と叫びました。
国鉄平庄南操車場へ向かう積車列車が動き出して居るというので競争で撮影地に向かいました。
平庄南操車場手前の橋で辛くも捉えることが出来ました。
上游形です。 現在は平庄地区は上游だけです。 (9年前は建設形も使われて居ました)
前向きで牽引する「積車」は下り坂という情報でしたが、このコンクリート橋が高いので橋に向かって短い区間ですが猛烈に力行します。
平庄南構内直前で絶気しました。
操煤所に戻る途中踏切が降りていたので此処で見送ります。 先程の貨物列車牽引機が逆向き単機で戻ります。
(平庄南操車場には空貨車が着いていなかったのです)
後追いです。
操煤所にやってきました。
平庄地区の蒸機運行情報を集めに陳さんが動いている間に撮影開始します。
建設形かと思ったらなんとデフ付きの上游です。
世にも珍しいデフ付きの上游が居るとは聞いていましたが・・・会えました。
2002年2月満州里近くのジャライノールでデフ付上游を眼の端に捉えた事はありますが今回はしっかり撮りました。
平庄南で国鉄との受渡しに使われている3両の上游は全て同じ向きです。
ズリ捨て用の3両は全てこれと逆向きに揃っています。
9年前「平庄の印象の中心」だった工場入口。
ズリ捨て仕業組の一台が停まっていました。
製造銘板を見ると1975年製です。

選炭用にワイヤーで引っ張りゆっくり貨車を移動させる装置。
露天掘り、かつては線路がびっしりでしたが道路に置き換わっています。
まだ少し線路があります。
電気機関車が一両停まっていました。
その脇を電機列車が通過します。
Go/Stopの指示を出す車掌車。
この重い貨車・・・ハミの建設は10両、此処の電機が9両、此処の上游が7両を扱います。
電気機関車に乗せてもらいました。 最初に乗り込んだのは朝青龍(我々の運転手)です。
それを見て乗せてもらったのですから朝青龍大殊勲!です。 この時点では土俵から降りています・・・大きいから中が狭くなります。
反対側の運転台です。
記念写真です。
DDR(東ドイツ)製です。
正面のお顔です。
間もなく線路を剥がしてしまう此処「平庄」から、電気機関車は鶏西炭鉱へ移動します。
今日の宿に荷物を置いてから昼食をするために市内に向かいます。
結構にぎやかな街です。
平庄賓館、今日の宿です。
ロビーです。 平庄賓館という名前から察するに国営ホテルでしょう。
東京の時計が可哀想なことになっています。
廊下です。
部屋です。
風呂・・・は無くてシャワーです。
朝の元宝山の客レが良かったことから三日目の夜、夜行で北京に戻るのではなく、平庄に二泊して4日目の朝客レ撮影後朝青龍の運転する車で北京空港に直接向かうという予定変更を企みました。
三日目の夜もバルブ撮影ができることもあり、成果の期待はかなり高まります。
結局旅程は変更されました。
昼食へ
カフェテリア形式です。
赤峰ビールです。 まさか昼間から飲むような大人になるとは思っていませんでしたが・・・

それぞれ分担して色々なものを取りましたが骨が潜んでいるなど散々な昼食でした。
見た目はまあまあですが味はダメです。 総合15点!
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