■格闘技の興亡史、盛者必衰の輪廻
上下2段組み、700ページという大部の書である。主人公は柔道家の木村政彦。戦前、「鬼の木村」とうたわれ、戦後はプロレスラーに転身するが、力道山との「昭和の巌流島」に敗れる。真剣勝負ならば木村は勝っていたという強いこだわりを抱いた著者は評伝執筆に取りかかる。完成まで18年を要したとある。
少年期、故郷・熊本の川の砂利採りで足腰を鍛えた木村は、拓殖大学の“国士”牛島辰熊に見いだされ、超人的な鍛錬で無敵となる。木村の歩みとともに、古流柔術の流れをくむ講道館、武徳会、高専柔道などが覇権を競った柔道界の全盛期が詳述されている。
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に「平和勢力」として認知された講道館が生き残るが、多くの武道家たちは食い詰め、プロ柔道へ、さらにプロレスへと「堕(お)ちて」いく。興行界を仕切っていたのは裏世界だった。
プロレスには「台本」がある。木村対力道山戦は「引き分け」という筋書きであったというが、力道山が「念書」を無視した。勝敗を分けたのは、興行ビジネスに生きんとする戦後派と武道の影を引きずる戦前派の執着心の違いもあったのだろう。なんとも後味の悪い巌流島だった。木村は再戦と報復を企図するが果たせない。
対決は昭和29年のこと。街頭テレビを見る鈴なりの人々の写真が印象的だ。ニュース映画であったと思うが、評者もトランクスと素足の木村の姿を記憶する。まるで似合わない。木村はあくまで道場と胴衣(どうぎ)が似合う柔道家だった。
戦後の木村の日々に付着するのは喪失感である。闇屋、プロ柔道、プロレス団体旗揚げ、キャバレー経営……に手を染めるがいずれも仮の宿だった。晩年、母校・拓大柔道部のコーチとなってようやく安住の場を得たようであるが、敗北の傷は終生つきまとう。
著者はしつこいまでに往時の資料を探索している。木村・力道山戦の完全版フィルムを捜し求めて裏世界に脅される一幕もあったとか。格闘技マニア的な執念には感服するが、表題にも示される過剰なまでの思い入れ、さらに少々大仰な言葉遣いに引っ掛かる。戦時中、東条英機の暗殺未遂に牛島が関与し、木村に実行させんとしたという。師弟愛が本物だったかという点について「これも私が保証する。断言できる」というごとき言い回し。違和感を伴いつつも引き込まれたのは、著者の柔術的腕力に押さえ込まれたからだろう。
こってりとした格闘技興亡史を読了してよぎるのは、道を究めた異能者たちも盛衰の輪廻(りんね)の中で生きるというほろ苦さであり、武道的世界もまた、世の変容を反映して流れ去っていく無常感である。
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新潮社・2730円/ますだ・としなり 65年生まれ。作家。著書に『シャトゥーン ヒグマの森』。小説、ノンフィクションのほか、雑誌などでエッセーや評論も執筆している。武道雑誌「月刊秘伝」で北大柔道部時代をつづった「七帝柔道記」を連載中。