さて第四弾で、フィリピン政府の時系列を出し簡単に説明したが、ここに再アップし検討しよう。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
〇時系列
1898-1946 アメリカ植民地
1941 (日本軍マニラを占領)
1965-1986 フェルナンド・マルコス政権
1986-1992 コラソン・アキノ政権
1991 地方政府法Republic Act No. 7160発布
1992-1998 フィデル・ラモス政権
1998-2001 ジョセフ・エストラーダ政権
1998 バターン半島地方カレッジ設立
http://www.bpsu.edu.ph/home/index.php?option=com_content&view=article&id=46&Itemid=28
2001-2010 グロリア・アキノ政権
2007年3月22日 バターン半島公立(州、自治区)大学となる。
http://www.lawphil.net/statutes/repacts/ra2007/ra_9403_2007.html
2008年5月5日 フィリピン国立大学認可
http://www.up.edu.ph/pdf2/RA_9500.pdf
2010-現在 ベニグノ・アキノ政権
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53808463.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
この時系列を見ればお分かりであろう。即ち20年に渡る「マルコス独裁政権」が終わり、コラソン・アキノ政権へと政治が大変革をしたのである。それに伴い権力がマルコス1人に握られていた政治形態が見直され、また民主化され、超大型の行政改革を進めたのである。それが「地方政府法Republic Act No. 7160」の発布だ。これによりマルコス時代の中央集権から地方分権へと、あらゆる産業が大幅に行政改革されたのだ。
基本的に政府は各地方都市に対し助成金を与える、その他のことは地方文化、慣習に重点を置き、地方政府が自ら案を練り、個性豊かな街作りに専念するという法令だ。
この時点において高等教育も、「the University of the Philippines」を唯一の国立大学とし、その他全ての既存国立大学を地方(公立)大学、カレッジへと政策の転換をしたのである。当該「Bataan Peninsula State Univ.」しかりである。1953年まではバターン半島・バランガにある「国立芸術貿易学校」だったのであるが、エストラーダ政権時の1998年に「バターン半島地方(公立)カレッジ」となり、更にグロリア・アキノ政権時、2007年に正式に現在に至る「バターン半島地方(公立)大学と昇格したのだ。
この中央集権政治から地方分権への移行を強力に推進しようとしている政治家が日本にもいる。橋下大阪市長その人だ。
氏は大阪府知事時代、このように言ったことを諸君は覚えているだろう。
「地方は霞が関の許可をとらねば何もできない。」また、「霞が関は道路、ダムを作るからお金を出せと・・・。まるでボッタクリ・バーだ!」。
現在、橋下大阪市長は「大阪都構想」というものを提唱している。
これは、
「いまの大阪府庁も大阪市庁も解体して、新たな大阪都庁にする。そして大阪市内にある二十四区は中核市並みの権限と財源を持つ八区ほどの特別自治区に再編する。そして周辺市にも中核市並みの権限と財源を移譲すというものです。都は大阪全体の成長戦略や景気対策・雇用対策・インフラ整備などの広域行政区を担い、特別自治区は基礎自治体として、教育や医療、福祉といった住民サービスを受け持つことになります」(体制維新・大阪都 橋下徹 堺屋太一著 文芸春秋 30Pより抜粋)
さてここで、被洗脳創価平会員の質問に答えを与えよう。
⑤JICA(国際協力機構)の派遣大学一覧にもState Univ.を「国立と訳している」
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53803421.html
彼らの言い分は「公的機関でも国立大学とあるので、聖教の記事には問題がない」と言いたいのだ。
そこでJICAの公式ホームページで彼らのいう「派遣大学一覧」を検索してみたのであるが、このように現在削除されている。
http://search.jica.go.jp/search?client=jica_frontend&site=default_collection&oe=utf8&ie=utf8&output=xml_no_dtd&proxyreload=1&proxystylesheet=jica_frontend&q=%E6%B4%BE%E9%81%A3%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E4%B8%80%E8%A6%A7&btnG.x=30&btnG.y=18
まぁ、あろうが無かろうが、それはどちらでもよい。また他の国内の資料の中には「〇〇国立大学」と訳されている例もあるやもしれぬ。いずれにせよ小生が検索した結果では、「Bataan Peninsula State University」を国立大学と訳している例は見られなかった。
ではフィリピン政府が「the Univ.of the Philippines as the national Univ.(大統領署名」と言い、また当該大学のホームページでも「UP as the only national University・・・・」と記述されているのにも拘らず、日本国内の公的機関で、一部の大学(当該大学ではない)の訳が「国立」となっているのであろうか? 謎であるが、これに回答を与えるとすれば、「単なる某公的機関の怠慢であり、ホームページを最新の情報に更新していない」と推測される。
それはそうであろう、世界中の大学の情報を、毎日毎夜チェックすることは半ば不可能だ。また日本として、フィリピンの大学が国立であろうが公立であろうがさほど問題ではない。この四半世紀におけるフィリピンの急激な行革及び変化に情報が追い付いていないということだ。
大阪を例に取ろう。大阪都構想が実現され、大阪府立大学(Osaka Prefecture University)と大阪市立大学(Osaka City University)が統合され新たな名称になったと仮定する。各国の公的機関がすぐさま、その情報を入手し更新するであろうか? 各国の立場で考えればどちらでもよく、重要なことではない。
それでも
「そんなことはない。Bataan Peninsula State Univ.は絶対に国立大学だ」と主張するのであれば、逆に質問する。創価諸君、回答をくれたまえ。
①the University of the Philippinesのホームページの記述は嘘か?
②大統領が署名した「許可書 the University of the Philippinesを国立大学とし、助成金を与える」は嘘か?
③バターン半島地方(公立)総合大学のホームページには、「国立農業貿易学校」から始まり、その後カレッジとなり、そして2007年3月に「公立大学」となったとの記述は嘘か?
明確な回答を求める。
以上、
2012年4月10日
桜満開の大阪自宅にて
----完----
参考資料
①The Univ.of the PhilippinesのNew Charter(大統領新認可書)
2008年5月5日、首都マニラのマラカニアン登録事務所で「国立総合大学」として認可され、当時のアロヨ大統領が署名している。「UNIVERSITY OF THE PHILIPPINES AS THE NATIONAL UNIVERSITY」と明確に記されている。
http://www.up.edu.ph/pdf2/RA_9500.pdf
②Bataan Peninsula State Unive.の公式ホームページ
■■■■バターン半島地方大学の歴史■■■
Fast Facts
Year Established : 1953 (Republic Act 903)
Year Converted into a State College : 1998 (Republic Act 8562)
Year Converted into a State University : 2007 (Republic Act 9403)
Land Area : 6.5 hectares
Location : City of Balanga, Bataan, Philippines
Campus’ Common Name : Main Campus, BNSAT (“bansat”), Trade
Enrollment (as of July 2010) : 6484 students
Faculty (as of July 2010) : 201 faculty
Staff (as of July 2010) : 140 staff
http://www.bpsu.edu.ph/home/index.php?option=com_content&view=article&id=46&Itemid=28
RA903とは?
REPUBLIC ACT NO. 903 - AN ACT TO ESTABLISH THE BATAAN NATIONAL SCHOOL OF ARTS AND TRADES IN THE MUNICIPALITY OF BALANGA, PROVINCE OF BATAAN, AND TO AUTHORIZE THE APPROPRIATION OF NECESSARY FUNDS THEREFOR
Approved: June 20, 1953
(要約)
この法令はバターン半島バランガ町にある、「国立芸術・貿易学校」に国は助成金を与える。
1953年6月20日
RA8562とは?
REPUBLIC ACT NO. 8562
AN ACT CONVERTING THE MEDINA LACSON DE LEON SCHOOL OF ARTS AND TRADES IN THE MUNICIPALITY OF BALANGA, PROVINCE OF BATAAN, INTO A CHARTERED STATE COLLEGE, TO BE KNOWN AS THE BATAAN POLYTECHNIC STATE COLLEGE, INTEGRATING THEREWITH THE BATAAN COMMUNITY COLLEGES IN THE MUNICIPALITY OF BALANGA, PROVINCE OF BATAAN, AND APPROPRIATING FUNDS
Approved, February 26, 1998
http://philippinelaw.info/statutes/ra8562.html
(要約)
この法令はバターン半島バランガ町にある芸術・貿易学校を地方(公立)カレッジとする法令である。そのための援助金を供与する。1998年2月26日
RA9403とは?
Republic Act No. 9403 March 22, 2007
AN ACT CONVERTING THE BATAAN POLYTECHNIC STATE COLLEGE IN THE PROVINCE OF BATAAN INTO A STATE UNIVERSITY TO BE KNOWN AS THE BATAAN PENINSULA STATE UNIVERSITY (BPSU) INTEGRATING THEREWITH THE BATAAN STATE COLLEGE IN THE MUNICIPALITY OF DINALUPIHAN, PROVINCE OF BATAAN AND APPROPRIATING FUNDS THEREFOR
http://www.lawphil.net/statutes/repacts/ra2007/ra_9403_2007.html
(要約)
この法令はバターン半島にある「バターン。ポリテクニック地方(公立)カレッジを「バターン半島地方(公立)大学とする法令であり、そのための助成金を供与する。2007年3月22日
もう誰が見てもお分かりであろう!!
「BATAAN PENINSULA STATE UNIVERSITY 」は1953年6月20日までは、元々バターン半島バランガ町にある「国立芸術・貿易学校」だったということである。しかし1998年2月26日に地方(公立)大学となり、更に2007年3月22日に「バターン半島地方(公立)総合大学と名称を変更し、現在に至っているというのが真実史である。
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53808463.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
創価諸君! 君たちは「聖教新聞」という猛毒を毎日飲まされ、簡単な判断も出来ないということだ。
君たちも創価学会という教団の犠牲者ということだ。
恐ろしい邪教団である。
今すぐ脱会せよ!
「今身より仏身に至るまで爾前迹門の不妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち奉るや否や」
この不妄語戒という意味であるが、平たく言うと「ウソを言ってはならぬ」ということである。従って邪宗の教義というのは釈尊の本義に迷い、また法華経文底の意味が分からず日蓮宗などは「日蓮大菩薩」などと称してウソを説いているのだ。
従って、我々は御受戒の時、これらの爾前権経の邪義を捨て、末法の御本仏日蓮大聖人の教えを正しく伝えてゆくということを御本尊に誓っているのである。
邪宗の輩に「正しく伝える」という意味は「折伏」ということだ。
以前、犀角独歩という退転者を破折したことがあり、「公然で法論しようじゃないか」と問いかけてみたが、氏曰く、「法主から法論の許可を得ているのか?」との阿呆な反論があったことを思い出した。
また「マイタレイヤ」とかいうハンネの莫迦者が「在家の分際で法論・・・」とか抜かしておったのを思い出したが、上の受戒文からわかるよう、我々日蓮正宗の僧俗は御受戒の時点にて大聖人から邪教破折の許可を得ているということである。
「実行前進の年」だ、諸君、大いに折伏に邁進しようではないか!
〇フィリピン共和国 地方政府法(Local Gevernment Code of 1991)とは?
【1991年の内務自治法(地方政府法)により、これまでより大きな自治権が地方政府に付与された。
中央政府が行ってきた公共事業、健康管理システムの運営、教育、農産物価格維持制度、社会福祉制度といった諸機能の大きな部分が地方自治体の管轄下に移された。
これに伴って税収の配分を11%から最高で40%に増額。また課税と各種料金の徴収に関わる権限が増大。意思決定権についても地元公務員に権限委譲が行われた。
憲法によって行政単位の創設、分割、合併、廃止、領域の大幅な変更を行う場合は各行政単位もしくは変更の影響を受ける行政単位での住民投票による過半数の同意が必要となる】
http://www.ph-inside.com/site/kiso/local/local_1.htm
参考資料(JICA)
http://www.idcj.or.jp/pdf/idcjr201003.pdf
(原文)
SECTION 1 - This Act shall be known and cited as the "Local Government Code of 1991" .
-この法律は"1991年の地方政府法"と呼ばれ、引用されなければならない。
SEC. SEC。 2. Declaration of Policy. - (a) It is hereby declared the policy of the State that the territorial and political subdivisions of the State shall enjoy genuine and meaningful local autonomy to enable them to attain their fullest development as self-reliant communities and make them more effective partners in the attainment of national goals.
2 ポリシーの宣言- (a)この政策は州政府が各地方自治体が自立地域社会としての最大限の発展を達成できるようにするために宣言する。
Toward this end, the State shall provide for a more responsive and accountable local government structure instituted through a system of decentralization whereby local government units shall be given more powers, authority, responsibilities, and resources.
その目的達成のために、州政府は地方分権により、地域行政区に対し、強い力、権限、及び責任を与える。
The process of decentralization shall proceed from the national government to the local government units.
地方分権化のプロセスは、中央政府から地方政府単位に進めるものとする。
http://www.lawphil.net/statutes/repacts/ra1991/ra_7160_1991.html
この法令の発布により、大部分の中央権力が地方へ移されたということである。その一環として大学制度も「The University of the Philippines」を唯一の国立大学とし、その他の大学は地方大学(公立大学)となったのである。そのことは下のURLで既に述べた通りである。
再度アップする。
【About UP
AS THE ONLY national university in the country, the University of the Philippines System takes pride in being the pioneer in higher education through academic excellence, outstanding research, public service, and modernized facilities.
http://www.up.edu.ph/content.php?r=2&c=2
(要約)フィリピン国立総合大学(UP)に関して
この大学は(As the only=唯一無二の)国立総合大学である。この大学システムは国家のプライドを以て傑出したフィリピンの高等教育を提供するパイオニアとして、リサーチ、公共サービス、近代施設を提供する。
普通であれば、「UP is the only・・・」でいいではないか? それをわざわざ「 UP As the only・・・」とすることによって、唯一の国立総合大学であることを強調しているのである。】
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53803421.html
〇時系列
1898-1946 アメリカ植民地
1941 (日本軍マニラを占領)
1965-1986 フェルナンド・マルコス政権
1986-1992 コラソン・アキノ政権
1991 地方政府法Republic Act No. 7160発布
1992-1998 フィデル・ラモス政権
1998-2001 ジョセフ・エストラーダ政権
1998 バターン半島地方カレッジ設立
http://www.bpsu.edu.ph/home/index.php?option=com_content&view=article&id=46&Itemid=28
2001-2010 グロリア・アキノ政権
2007年3月22日 バターン半島公立(州、自治区)大学となる。
http://www.lawphil.net/statutes/repacts/ra2007/ra_9403_2007.html
2008年5月5日 フィリピン国立大学認可
http://www.up.edu.ph/pdf2/RA_9500.pdf
2010-現在 ベニグノ・アキノ政権
■■■■バターン半島地方大学の歴史■■■
Fast Facts | ||
Year Established | : | 1953 (Republic Act 903) |
Year Converted into a State College | : | 1998 (Republic Act 8562) |
Year Converted into a State University | : | 2007 (Republic Act 9403) |
Land Area | : | 6.5 hectares |
Location | : | City of Balanga, Bataan, Philippines |
Campus’ Common Name | : | Main Campus, BNSAT (“bansat”), Trade |
Enrollment (as of July 2010) | : | 6484 students |
Faculty (as of July 2010) | : | 201 faculty |
Staff (as of July 2010) | : | 140 staff |
http://www.bpsu.edu.ph/home/index.php?option=com_content&view=article&id=46&Itemid=28 RA903とは? REPUBLIC ACT NO. 903 - AN ACT TO ESTABLISH THE BATAAN NATIONAL SCHOOL OF ARTS AND TRADES IN THE MUNICIPALITY OF BALANGA, PROVINCE OF BATAAN, AND TO AUTHORIZE THE APPROPRIATION OF NECESSARY FUNDS THEREFOR Approved: June 20, 1953 (要約) この法令はバターン半島バランガ町にある、「国立芸術・貿易学校」に国は助成金を与える。 1953年6月20日 RA8562とは? REPUBLIC ACT NO. 8562 AN ACT CONVERTING THE MEDINA LACSON DE LEON SCHOOL OF ARTS AND TRADES IN THE MUNICIPALITY OF BALANGA, PROVINCE OF BATAAN, INTO A CHARTERED STATE COLLEGE, TO BE KNOWN AS THE BATAAN POLYTECHNIC STATE COLLEGE, INTEGRATING THEREWITH THE BATAAN COMMUNITY COLLEGES IN THE MUNICIPALITY OF BALANGA, PROVINCE OF BATAAN, AND APPROPRIATING FUNDS Approved, February 26, 1998 http://philippinelaw.info/statutes/ra8562.html (要約) この法令はバターン半島バランガ町にある芸術・貿易学校を地方(公立)カレッジとする法令である。そのための援助金を供与する。1998年2月26日 RA9403とは? Republic Act No. 9403 March 22, 2007 AN ACT CONVERTING THE BATAAN POLYTECHNIC STATE COLLEGE IN THE PROVINCE OF BATAAN INTO A STATE UNIVERSITY TO BE KNOWN AS THE BATAAN PENINSULA STATE UNIVERSITY (BPSU) INTEGRATING THEREWITH THE BATAAN STATE COLLEGE IN THE MUNICIPALITY OF DINALUPIHAN, PROVINCE OF BATAAN AND APPROPRIATING FUNDS THEREFOR | : | Technology, Engineering and ICT |
【三門の意義】
総本山に参詣すると、まず堂々とした朱塗りの三門を通ります。通常は「山門」の文字を使いますが、大石寺の場合は「三門」と書く習わしになっています。
「三門」とする意味の一つとして、「空・無相・無作」の「三つの門に入る」の意、あるいは「三解脱」との意味があるようです。
俗世間の差別の世の中から、仏法平等の世界に入るのが「空」であり、さらに御影堂までの登り勾配(こうばい)の参道を進む間に、自分の心を世俗の執着や我見から切り離し、御本尊を念ずる信を確立していくのが「無相」です。そして最後の「無作」とは、大御本尊へのお目通りが叶い、境智冥合して清浄なる心を得た状態と言うことができるのではないかと思います。日達上人は「当家の三門は、義を釈するならば、発心、修行、菩提の三義とすべきだが、それもまた智慧にとらわれた解釈で、本宗の教義にははずれる、あえて名称をつけるならば信門とつけるべきである」と御教示されています。
総本山への御登山は、私たち日蓮正宗の信心をする信徒にとって大切な仏道修行です。しかし、ともすると上に挙げた「三解脱」を果たせず物見遊山的になってしまったり、また回数を経ることによる慣れから、緊張感のない、何となく皆に付いていって、感動もなく下山してしまったという登山があるものです。しかし、本来登山の回数が増せば増すほど、信心の深まりて、一層の喜びがなくてはならないはずで、そうではないとをいうことは、どこかに登山への取り組み方、捉(とら)え方に油断があるのではないでしょうか。登山の正しい意義を常に胸の内に納め置き、何度回数を重ねても、いつにあっても有意義な登山をしたいものです。そこで、ここでは登山する意義を、次の三通りにまとめて考えてみたいと思います。
一には、根源を求める意義
二には、仏道修行としての意義
三には、自らの罪障消滅を祈念する意義
【根源を求める登山】
「化を受け教を禀(う)く、須(すべから)く根源を討(たづ)ぬべし、若し根源に迷う則(とき)んば増上して真証を濫(みだ)さん」
これは日寛上人が『文底秘沈抄』に引用された、妙楽大師の『弘決(ぐけつ)』の文です。仏法の信仰は根源を知り、根源を求める信心がもっとも大切で、もしそれを疎(おろそ)かにすると、ついには慢心を起こして、正信からはずれてしまうとの意味です。
日蓮正宗の根源とは申すまでもなく、日蓮大聖人が御本仏としての御魂を、末法の一切衆生のためにとどめられた本門戒壇の大御本尊です。総本山大石寺にまします戒壇の大御本尊こそは、一閻浮提総与・三大秘法総在の大御本尊と申し上げ、末法の衆生はすべからく本門戒壇の大御本尊に帰依信行してこそ、成仏が果たせるのです。
日寛上人は『文底秘沈抄』に多宝富士大日蓮華山(大石寺)が総本山である意義を五つに分けて示され、その第一に、大石寺に本門戒壇の大御本尊がましますゆえに広宣流布の根源であると仰せです。それは言い換えれば、本門戒壇の大御本尊を正しく信仰する人が世界に弘まってこそ、広宣流布であると言えるのであり、同じ題目を唱え、法華経を読む人がたくさん増えたとしても、根源となるべき本尊を取り違えるごとき教えが弘まっても広宣流布とは言えません。たとえば、同じ大聖人様の御真筆でも、万年救護の御本尊が根本であるという人もいます。あるいは相伝も教義も無い創価学会のような教団が、曼荼羅本尊のコピーをただ世界に弘めるようなあり方が、決して広宣流布を進めているとは言えないことは、日寛上人の厳しい仰せに照らして明らかなのです。
本門戒壇の大御本尊を根本に信心することは、私たち正宗の信者にあっては熱原三烈士の頃以来、七百年来伝えられてきている信心の基本なのですが、他宗他門では、むしろ同じ信心に帰依すべきという信仰の筋目さえみられないことは驚くべきことです。日蓮門下を標榜(ひょうぼう)する身延門流でも、本尊が統一、一定されずに宗史を重ねてきたことは、江湖(こうこ)に知られた事実です。
御歴代上人が御開扉の折り、参詣信徒に対してなされてきた御説法が遺されていますが、そこには、「当山より授与する処の御本尊は一切衆生に残らず下し置かれたるこの御本尊(本門戒壇大御本尊)の御内証を、代々の看主(貫主)職、一器の水を一器に写すが如く、直授相伝の者を以ってこれを写し奉り、与えしめる事なれば、面々その持仏堂に向かっても、直ちにこの御本尊を拝し奉る事よと相意得(こころえ)て、受持信行し奉り、臨終の夕べまでもこの御本尊を忘れ奉らざる様致さるべきなり」(第五十五世日布上人開帳御法門)
と仰せられています。すなわち、本宗における御本尊は、末寺の御本尊であれ、各信徒に下附される御本尊であれ、本門戒壇の大御本尊に刻まれた大聖人の御内証を、御歴代上人が直授相伝のお立場から御書写遊ばされるのです。ゆえに、各家庭の仏壇に向かって御本尊を拝するときでも、常に根本である本門戒壇の大御本尊を拝んでいるということを、臨終の夕べまでわすれてはならないという御指南です。
「御本尊はすべて同じである」「家庭で熱心に拝んでいれば、わざわざ登山をする必要はない」あるいは「登山は一生に一度でよい」という創価学会の指導が、いかに本宗の信心から外れた、外見に任せた考えであるか、知らなくてはなりません。
「我が家に下附戴いた御本尊を騰(とう)して、戒壇の大御本尊を拝する」という姿勢こそ、本宗信行の正しいあり方なのであり、私たちは可能な限り登山参詣して、根源である本門戒壇の大御本尊を忘れない信心をしたいものです。
【仏道修行の根本である登山】
宗祖日蓮大聖人御在世中には、篤信の檀越が、佐渡へ、身延へと大聖人様へのお目通りを果たす旅をしたことが、御書の中にうかがわれます。なかには、一人の幼い女児を連れた女性が、戦乱で荒廃した世相の中をはるばる佐渡の大聖人のもとへお訪ね申し上げ、その信心を讃(たた)えられ「日妙聖人」と称えられたと御書にあります。身延御入山後には、佐渡の阿仏房が、九十歳という年齢をものともせず三度の登山参詣を果たしています。これら当時の檀越は、現前される仏様へ渇仰恋慕の思いを懐(いだ)いて、お目通りを願ったのです。信仰心にはこのような渇仰恋慕の真情があって然るべきで、もしその気持ちが薄かったり、これを否定するような人があれば、本当の信心とはどのようなものなのか、御書を通じてじっくり話し合うべきでしょう。
身延におられる大聖人様が、遠く離れた佐渡の国府尼(こうあま)と呼ばれる方に出された御消息に、「もし大聖人を恋しく想うのであれば、日夜に姿を現す日や月に向かって拝みなさい。その中に自分はいつも貌(すがた)を浮かべるでありましょう」と、まさに御本仏の境界から仰せられています。(国府尼御前御書・新740)
大聖人様御入滅後に信心する私たちは、大聖人の御魂魄(ごこんぱく)である本門戒壇の大御本尊のもとへ登山参詣することこそ、国府尼への御消息に示された大聖人の御意(みこころ)にかなう信心なのです。また実際そのようにして、本宗の信心は七百年間伝えられてきました。たとえば讃岐本門寺の信徒が、為政者の圧力で強引に重須(北山)本門寺の信徒にされた時代があっても、七百年間富士大石寺を忘れずに信仰してきました。また江戸時代、金沢藩の武士たちの「抜け参り」は、主君が泊まる吉原の宿を夜半密かに抜け出し、大石寺まで走り抜けて御宝蔵前の石畳に端座し、戒壇の大御本尊を遥拝したのです。これら先人たちの姿は、法華講衆の信心の鏡として、幾世代を経ても語り継がれることでしょう。
本門戒壇の大御本尊建立の機縁は、熱原三烈士の不退の信心が昇華して、御図顕されたと伝えられるのですが、その後も先に挙げた例のごとく、まさに命がけとも言うべき戒壇の大御本尊渇仰(かつごう)の歴史が刻まれてきています。それを受け継ぐ私たち日蓮正宗の僧俗は、総本山登山をいささかも疎(おろそ)かにかんがえてはならないと思います。
これまで登山をしてこられた方には経験があると思いますが、登山を決心すると様々な魔が競い、決心を変えさせようとする力が往々にして働くものです。本人の浅い決意が原因の場合もあれば、家族や周囲の状況、職場などの都合で登山を断念しなくてはならない場合もあります。したがって、登山をするには、くれぐれも心を引き締めなくてはなりません。交通至便の現代は、家を出て、登山を終えて再び帰り着くまで、わずかな時間・日数を要するのみです。阿仏房の頃のように、数十日をかけるということはまずありませんが、しかし登山を決意したならば、その時から自分の登山参詣の仏道修行が始まったと考えるべきです。できれば年頭に今年の登山の予定をたて、歳のはじめの誓願として、御本尊の前に披露できれば最高です。日常の勤行・唱題でも、予定した登山が無事に叶えられるよう御祈念するのは勿論、いざ出発してから帰宅するまで、油断、隙(すき)のないよう特に注意を払うべきです。
こうして登山を果たしてこそ、阿仏房の精神に敵った真の登山となるのではないでしょうか。総本山登山は、私たちの大切な仏道修行であることを忘れてはならないのです。
【罪障消滅を祈念する登山】
私たちが登山をしますと、総本山では御開扉を戴くのが最も重要な行事となっています。しかしこれまで御開扉は、誰でもが願って叶えられたのではなく、登山してきた篤信の信徒に対して、御法主上人の格別な御慈悲により、大御本尊の御内拝が許されたのです。世の中に謗法の人がまだ多く、広宣流布の途上である間は、本門戒壇の大御本尊は公開されません。それゆえお樒や華香水のお給仕もされずに、御宝蔵に厳護された形となっているのです。そこで登山者が特に願い出て、猊下の御慈悲を賜わり、大御本尊が納められている御宝蔵の扉を開いて大導師を戴く意味から、御開扉と言われているのです。ゆえに御開扉の手続きは、必ず所属寺院である末寺を経て、願い出るよう厳重になされるのは昔も今も変わりません。
私たちは内拝が叶う身の福徳をかみしめ、心から大御本尊へ御報恩感謝申し上げるべきでしょう。
正本堂(注・現在は奉安堂)での御開扉は、読経唱題の最後に、御法上人猊下より大御本尊への御報恩謝徳と、参詣各位の無始以来謗法罪障消滅を始めとする御祈念をなされた旨のお言葉を賜わります。
様々な悩みをかかえて、登山参詣を決意される方もあるかと思いますが、私たち今生においてそれぞれに体験する悩みの、その主たる原因を突き詰めていけば、我々自身の過去遠々劫(おんのんごう)よりの謗法こそが最大の原因であることを知らなければなりません。それは大聖人様が御書の各処に仰せられていることで、例えば『呵責謗法滅罪抄』には、
「日蓮は法華経の明鏡をもて自身に引き向かへたるに都(すべ)てくもりなし。過去の謗法の我が身にある事疑ひなし。此の罪を今生に消さずば未来に争(いか)でか地獄の苦をば免(まぬか)るべき」(新712)
とあります。この御文は大聖人ご自身についての仰せのようですが、末法の我々一切衆生も、過去世よりの謗法の罪障が深重であることを指摘された御文なのです。つまり正法を誹謗したり、もしくは信じなかった人々が、この末法に生まれてきているのです。
すると私たちはどのようにして、罪障を消滅できるのかと言えば、「白烏(はくう)の恩をば黒烏(こくう)に報ずべし。聖僧の恩をば凡僧に報ずべし」(祈祷抄新630)
と仰せのごとく、まだ三大秘法の仏法の尊さを知らない人々を折伏していくことによって、罪障消滅せしめるのであります。
総本山登山も、大御本尊の前で御法主上人より直々罪障消滅の御祈念をいただくのですが、私たちもまた新たなる折伏精進をお誓いして下山することが肝要です。
登山の意義も、それぞれにおける信心の状態・体験の浅深・年数の違いで受け止め方も様々なでしょう。しかし、総本山の清浄なる空気、夕闇迫る宿坊の太鼓がひびく心地よさ、朝には小川の世せらぎの音とともに目覚めるような爽(さわ)やかさ、どれをとっても、参詣者すべての心を清らかに洗い流してくれます。そして丑寅の刻の客殿での勤行は、参ずる者をして、三世諸仏成道の儀式もかくやと思わせずにはおられません。
「須弥山(しゅみせん)に近づく鳥は金色となるなり」(本尊供養御書新1054)
との御金言を信じ、冒頭に挙げた三解脱が果たせるよう、それぞれに尊い登山を致しましょう。
今回は妙教平成8年12月号の化儀シリーズより「登山のこと」をメルマガに致しました。
毎年一度は「登山のこと」をお話致しておりますが、それは、改めて登山の意義を認識し直す意味も含めてお話させて頂きましたが、御登山は本当に物見遊山の気持ちで行くものではなく、自分自身の過去世からの罪障消滅を願うとともに、未来広宣流布を願うことが大切です。家族揃って信心をされている方の中に、自分だけが登山すれば良いと思っている方もおりますが、家族全員揃って御登山し、本門戒壇の大御本尊様にお目通りすることが、一家和楽の信心に繋って行くのではないかと思います。登山の功徳にしても登山する功徳も大きいですが、登山を人に勧めていく功徳も大きいのです。
江戸時代、仙台法難の時に覚林日如御尊師は、
「自分がいる流刑地の網地島に来るよりも、そのお金を使って登山しなさい」
と、仙台の御信徒の方々に指導されていたことは有名なお話です。
皆様の中には、支部の役員をなされている方もいると思います。私もその一人ですが、支部の人に登山するように勧めていくことは、登山した人と同じ功徳があると言われておりますが、勧めている自分が行かずに他の人に勧めても功徳はないのです。他の人に勧めて自分も一緒に登山してこそ、一緒に登山された方以上に、功徳が大きく顕れてくるのです。
いつも総本山へ登山致しますと感じることですが、三門から御影堂までの塔中の道を歩いておりますと、何故に真っ直ぐではないのかと感じておりますが、じつはそれには深い意味合いが込められていたのです。
私たち凡夫には迷いがつきものであり、大聖人様のいらっしゃる霊山浄土、すなわち成仏の境界には誰でもかんたんに、真っ直ぐには行けないのです。
みんな左に右に迷いながら、それでも道の左右にある小さな小川の流れのように、止まることなく信心を続けていって、はじめて成仏することができるというのです。
また、言い伝えられている教えでは、三門から直に大聖人を拝するのは畏れ多いということもあるのです。
前に参道の石畳のお話をしたと思いますが、あの石畳にしても篤信のご婦人の方が御供養されたのですが、御供養された方はこの石畳を自分の信心にたとえ、自分が踏まれて慢心の気持ちを起こさないために御供養させて戴いたそうです。
私達も、常に慢心を起こさずにそして、塔中の両脇に流れる小さな小川のように、常に流れるように日蓮正宗の信心を続けていきたいものです。
今日は宗祖日蓮大聖人様御報恩御講の日です。
一人でも多くの方をお誘いして、寺院参詣されますことを願ってやみません。
以上をもちまして今回のお話を終わりにさせて頂きます。
フィリピンの行政単位には、州(Province)、市(City)、町(Municipality)、バランガイ(Barangay)の4つがある。フィリピンにおいてMunicipalityは町と訳されることが多いため、ここでもこれに倣うこととする。またこれらとは別個に設置された行政区画がある。
【地方は1首都圏、1自治区、14地方(Region)に分けられるが、地方自治体としてはまず州、高度都市化市(Highly Urbanized City)、独立市(Independent Component City)に分かれ、州の下は市(Component City)、町に分かれ、それぞれの下に最小行政区のバランガイがある。なお、ムスリム・ミンダナオ自治区(ARMM)においては州を束ねる自治区政府が存在する。
全国に州は79、市は114、町は1,496、バランガイは41,953ある。(2002年9月現在) 】
http://www.ph-inside.com/site/kiso/local/local_1.htm
お分かりのように、フィリピンにはアメリカのような[State]なる行政単位は存在しないのだ。一番大きな自治体は「プロビンス=人口50万人以上」と呼ばれている。その次が「City=人口10万人以上」、次が「Municipality=複数のBarangayで構成)、そして最小が「Barangay=人口1000人以上」、これらを国として束ねているのが、「フィリピン共和国 The Republic of the Philippines」ということである。従っていくら創価員が、
②フィリピンには、「state=州」と云う自治体は存在しません。では、ありもしない「州立大学」と訳すのが正解なのか?「国立大学」と訳すのが正解なのか?
③「state」には、「地方」とか、「自治区」などと云う訳はありません。辞書を見るとStateを州、国家と書いてある。だから国立大学と訳しても可だ。「state univ.」を「自治区大学」と表記してる例を挙げて下さい
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53803421.html
と鬼の首を取ったかのように言っても無駄なのである。創価員が①でいうように「State」という自治体は存在しないのである。
では、何故多くの総合大学の名称に、ありもしない行政区である「State」という文字が踊っているのか? ここが創価員には理解できず、馬鹿の一つ覚えのよう、一般の学生が持つ辞書を片手に「Stateを国立と訳して何が悪いのだ・・」となるのだ。これに回答を与えようではないか。
【フィリピンは,1946年の独立まで4世紀近い植民地支配を経験した。19世紀末までのスペイン統治の後,今世紀前半にはアメリカによる統治が行われた。アメリカは学校を統治の支柱とし,全島で学校の普及を図った。従来のフィリピン教育研究の多くは,この学校普及を「秀れた植民地教育政策の業績」1)として紹介するか,またはアメリカが学校を通じてフィリピン人の価値観や文化嗜好をアメリカ礼讃の方向に操作した点をクローズ・アップしてきた2)。前者がアメリカ統治ならびにその植民地教育を肯定的ないし中立な立場でとらえる一方,後者はアメリカ帝国主義支配の文脈のなかで,植民地教育をフィリピン人の精神的文化的支配の手段として批判的に取り上げた。しかしいずれの研究も,フィリピン人の側の対応が,この時期の学校のあり方や,その導入・普及過程に影響を及ぼしたという視点に欠け,フィリピン人をアメリカが提供した学校教育の一方的な受け手としかみなしてこなかった。このためアメリカ植民地期の学校普及過程においてフィリピン人の側が果たした役割が十分に究明されてきたということはできない。】
http://www.rikkyo.ne.jp/~makorin/fm014ich.htm
もうお分かりであろう。つまりフィリピンの教育はアメリカの植民地の下、アメリカの影響下にあったという歴史的な背景があったのだ。
従って、アメリカと同じよう「State」という文字を使用しているに過ぎないということだ。
創価被洗脳平会員は言う、「Stateには地方とか自治区等という訳はありません」と理屈を述べているわけであるが、確かに辞書にはこういう訳は無いであろう(辞書によっては存在する)。この疑問に回答を与えるには、最大行政単位である「Province」を検証すると明らかになる。やってみよう。
1【可算名詞】 (カナダ・オーストリア・スペインなどの)州,省.
2[the provinces] 地方,いなか 《★首都や主要都市以外の地域; 英国では London を除いた全国》.
province
ここでは『国』とも書かれているが、79ヵ所のプロビンスを束ねているのが共和国であるからして、「国」と訳すのには無理がある。
http://ejje.weblio.jp/content/province
中国を見てみようではないか。
【5月28日 AFP】中国南部広西チワン族自治区(Guangxi province)で、「1人っ子政策」違反の取り締まりで不正利得を得るなど腐敗しきった地方政府に対する地元住民の怒りはおさまるところを知らない。地元住民と人権活動家が語った。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2231244/1634467
どうであろうか諸君?!「地方」も「自治区」もある。
第一弾で当方が訳した、
「文字通り国立大学ではなく地方(州)大学である。」
「この大学はバターン半島における最初で唯一の自治区大学である。」
http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/53768860.html
何も問題は無いではないか! 創価諸君は何としても州立、地方大学を否定したいがために、大学の名称にStateとあるため、その単語だけに囚われて、屁理屈を言っているにすぎないのである。お分かりか? フィリピン共和国の行政単位は「プロビンス」なのだ。プロビンスの上は「Republic」となるのである。
「Bataan Peninsula State University」を地方大学と訳そうが、自治区大学と訳そうが、省立大学と訳そうが、州立大学と訳そうが、核心は、創価被洗脳平会員の言うような「国立総合大学」ではないということだ。
つづく・・・・
次回は「フィリピン共和国1991年・内務自治省法Republic Act No. 7160, otherwise known as the Local Government Code of 1991」に関して述べるとする。
さて前回、「Bataan Peninsula State University」より、池田大作氏が「フィリピン国立バターン半島大学から名誉会長に名誉人文博士号」 (聖教2012・3・23)に関し、当方が「国立大学ではない、地方大学である」と述べたことに対し、被洗脳創価学会員諸氏から多くの反論を頂いた。まぁ、池田氏を仏様と信じる学会員諸氏に取りましては「池田先生のお手紙である聖教新聞に嘘は絶対ない。間違えるのは天気予報だけだ・・」と思い込んでいるようだ。哀れなものだ。これが洗脳されているということである。池田大作氏を神格化することを目的とする学会本部のいいカモとなっているのが現在の創価平会員の実態であろう。
彼らの反論を列記しよう。
①フィリピンの大学の「state univ.」を「国立大学」と訳し、公表している大学を初め
諸団体が、学会・聖教新聞以外にも多くある。
②フィリピンには、「state=州」と云う自治体は存在しません。では、ありもしない「州立大学」と訳すのが正解なのか?「国立大学」と訳すのが正解なのか?
③「state」には、「地方」とか、「自治区」などと云う訳はありません。辞書を見るとStateを州、国家と書いてある。だから国立大学と訳しても可だ。「state univ.」を「自治区大学」と表記してる例を挙げて下さい
④Bataan Peninsula State University is the first and only state universityin the province of Bataan of the Philippines.
この大学はバターン半島における最初で唯一の自治区大学である。、「state univ.」を「自治区大学」と表記してる例を挙げて下さい。
⑤JICA(国際協力機構)の派遣大学一覧にもState Univ.を「国立と訳している」
http://search.jica.go.jp/search?client=jica_frontend&site=jica_collection&oe=utf8&ie=shift_jis&output=xml_no_dtd&proxyreload=1&proxystylesheet=jica_frontend&q=%8D%91%97%A7%83r%83R%81%5B%83%8B%91%E5%8Aw&btnG.x=10&btnG.y=12
まぁ、大体このような反論であった。中には「にわか仕込みの英語お宅」の馬鹿な会員を登場させ「ふぅふぅ」いいながら哀れな受験英語の落書きもどき反論を辞書を片手に試みる平会員もいた。
さて、それでは一つ一つ検証して行こうと思うが、その前に、では現在のフィリピンが国立大学と定めている大学はあるのか? これを検証しようではないか。
①フィリピン国の唯一の国立総合大学は「The University of the Philippines」のみ。
我々日本人は通称「フィリピン」と発音しているが、フィリピンの公用語である英語表記には「Philippine(s)」となっている。即ちフィリピンの正式な発音は複数形の「フィリピン(ズ)」と発音するのが正しいのである。従って大学の名称も国立大学であるため複数形になっているのだ。では、この大学のホームページを見てみよう、さらに明確だ。
About UP
AS THE ONLY national university in the country, the University of the Philippines System takes pride in being the pioneer in higher education through academic excellence, outstanding research, public service, and modernized facilities.
http://www.up.edu.ph/content.php?r=2&c=2
(要約)フィリピン国立総合大学(UP)に関して
この大学は(As the only=唯一無二の)国立総合大学である。この大学システムは国家のプライドを以て傑出したフィリピンの高等教育を提供するパイオニアとして、リサーチ、公共サービス、近代施設を提供する。
普通であれば、「UP is the only・・・」でいいではないか? それをわざわざ「 UP As the only・・・」とすることによって、唯一の国立総合大学であることを強調しているのである。
では、その規模たるや如何ほどのものか?検証しよう。こうある。
Administration
Alfredo Pascual
"The 20th UP President"
Alfredo Pascual is the 20th President of the University of the Philippines. He assumed office in February 2011 for a six-year term. He is the first President to be appointed by the U.P. Board under a new charter, which was enacted in 2008 (U.P.’s centennial year) and which designated U.P. as the national university. The University he now leads is a system consisting of seven constituent universities (Diliman, Los Banos, Manila, Baguio, Visayas, Mindanao, and Open University) and an autonomous college (Cebu) spread over 14 campuses across the country. U.P. currently has over 50,000 students and close to 14,000 faculty and staff.
http://www.up.edu.ph/content.php?r=3&c=3
(要約)アルフレド・パスカル総長は当大学史上第20代目の総長であり、任期は2011年2月より6年間就任する。氏はフィリピン共和国100年祭に当たる2008年に制定された「新認可書(アロヨ大統領署名)」に基づき理事会で認証された第一代目の総長である。そしてその認可書により、当大学は「国立総合大学」となる。
当総合大学システムは、(Diliman, Los Banos, Manila, Baguio, Visayas, Mindanao, and Open University)左7校から構成されるとともに、セブ島に本校を置き、国内全域に14校のキャンパスを持つ自治体単科大学(カレッジ)を含む。当総合大学は5万人以上の学生と、1万4千人の教授陣を保有する。
お分かりか?被洗脳創価諸君!日本人が想像するような小さな大学ではないのだ。フィリピン共和国全域にキャンパスが存在するのだ。つまり北海道から九州にまたがり、各地域にキャンパスがあると思えばよい。これがフィリピンにおける国立大学ということだ。
参考資料
New Charter(新認可書)
2008年5月5日、首都マニラのマラカニアン登録事務所で「国立総合大学」として認可され、当時のアロヨ大統領が署名している。「UNIVERSITY OF THE PHILIPPINES AS THE NATIONAL UNIVERSITY」と明確に記されている。
http://www.up.edu.ph/pdf2/RA_9500.pdf
これでもうお分かりであろう。創価学会(聖教新聞)がいう
「フィリピン国立バターン半島大学から名誉会長に名誉人文博士号」 (聖教2012・3・23)
という表記は嘘であるということが・・。またその他「フィリピン国立大学から池田名誉会長に〇〇〇〇が贈られた」というのも全くのデッチアゲということが読み取れるのである。
「いやウソだ、そんなことはない」というのであれば、フィリピン政府発行、大統領署名の「フィリピン国立バターン半島大学」という名の許可書を明示することだ。
・・・つづく
応に当宗の碩学たる日亨上人の御判断、御判定を以て、其の正拠たるをより一層得るものであるが、
実に邪教創価学会に潜伏せる小会員、つまりは創価教学にも違背する面従腹背の似非(えせ)会員に
於ても、日亨上人の種々の論説を根拠として、特に己(おのれ)等が行った在家作成本尊、並びに唯授
一人血脈相承の否定などについて、其の正当性を繰り返し喧伝するのであるが、その癖「本門戒壇の
大御本尊」「二箇相承」「日興跡条々事」等に対する日亨上人の御正論については「本より日亨上人
は日蓮正宗の僧侶なのであるから、自宗の重宝に対して偽書偽作とは言えない」などと逃弁を吐くの
である。
つまり、この者等の考えは、抑も日亨上人の真偽裁定は、本からして都合の良いものであって、特に
戒壇の大御本尊、二箇相承、日興跡条々事等に関しては、全く研鑽の域に達していない、と結論し、
其の真偽の裁定などは、単に感情的な自宗擁護の弁論に過ぎない、と言い下すのである。
ったく、お前らの其の面従腹背の醜態を省みることなく、恐れ多くも日亨上人の御研鑽、及び真偽
裁定の御判断をして「都合のよい自宗擁護の弁論」などと其の腹が腐っても言うものではない!
日亨上人は、戒壇の大御本尊をして、
『大聖人は、興上弘教の熱誠を賞し、その功績の重大なるに伴いて、法難の熾烈なるは、実に末法
怨敵の当鉾(とうむ)なりと謂えども、是れまったく日蓮出世の本懐満足の画期として、是れを記念
する為に、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を興上に親付し、万年広布流溢の時、大戒壇
に安置すべく堅牢の楠板に書写せられたり』と結論し、
身延、池上の二箇相承をして、
『弘安五年九月、興上をもって滅後の大導師として、法華本門戒壇建立の準備を命ず』と前記して
身延相承書(日蓮一期弘法付属書)の正意を宣べられ、又、
『本弟子六人を定め各地に散在せる門下の部将として弘通に励み、広布の大願を達成せしむべく命ぜ
らる。興上これを筆して五人に交付す。さらに師を抜擢して、久遠寺の後董と定め、止住して法宝を
護持し祖廟を安じて総貫首たらしむ』
と、其の池上相承書の正文書たるを明示し、
日興跡条々事に於いては、其の本文をして、
『日興上人御正筆の目師への御譲り状、正本大石寺に蔵す』
と断言されたのである。
ならば此に言おう!
果たして上記の記述のすべてが、所謂、日亨上人による『都合の良い自宗擁護の弁論』、つまりは
真偽を無視した虚言である、との証明を、お前等は直ちに立証しなさい!!
さても『五人所破抄の引文は、漢文態にて難読に見ゆるも、意義はそれほどではない。三位日順学頭
の代作だげに作文が仰々しいようである』と日順師の御文を論評し、
『純文学や史学良心を忘れて幼稚なる観客本位で著作するからであるために、ややもすれば、史実を
歪曲して故人を褒貶し過ぐる事になり、一般市民を迷惑せしむる。仏教家の史談も、強(あなが)ちに
この傾向のものばかりではなかろうが、教化的効果のあがるように、俗受けのする様にとばかり考え
てこしらえたものが多いようである』
との御見識を示し、
『家中抄の御筆も、いささかこれに類するやに思うが、宗門人の史談の種本が精師以降、今日に至る
まで家中抄そのまま、またはここに輪を掛けた俗悪低流の物の多きを顧みて、今の引文をここに批評
するの止むを得ぬに至り、ついにあるいは冗漫あるいは失礼(先師に対する)にわたりしことを許され
たし』と厳記し、遂には『正史料を顧みずに、みだりに臆説を加えて為にする筆を弄するもの、今に
絶えぬは、憂うべきことである』と明言された日亨上人が、抑もお前らが言う処の『都合の良い自宗
擁護の弁論』などする訳がないのである!
果たして、腸(はらわた)の腐った面従腹背のお前等からして、日亨上人に於ける戒壇の大御本尊への
御確信も、二箇相承に対する曾存明記も、日興跡条々事の御正筆たる明言も、そのすべてが『正史料
を顧みずに、みだりに臆説を加えて為にする筆を弄する』ものであるのか、つまり、日亨上人御自ら
憂慮されし事を、上人御自らの手で穢したという事であるのか! お前らは其れを申してみよ!!
さても結句は『鑑定しかない』などと限界の悲鳴を上げる者共が、碩学たる日亨上人の御判断・御論評
をして『都合の良い自宗擁護の弁論』などと侮蔑するは、まったく以て許されるものではない!
翻(ひるがえ)って『都合の良い自宗擁護の弁論』に値するは、まさに、日寛上人の本尊配布の大義に
於いて、本門戒壇の大御本尊こそが法体の血脈たるを宣言しておきながら、其の後、手を付けた会則
の改変に於いて、其の教義項目から『本門戒壇の大御本尊』を消去したるは、これぞ都合の良い自宗
擁護の極みではないか。
さても、日蓮正宗から離反した浄圓寺からの貢物を『末寺からの申し出』などと、恰(あたか)も、
創価配布本尊が、戒壇の大御本尊と直結したるを匂わせ、古参中堅会員の本山恋慕を欺いたは、一体
何であったのか。
其れよりも何よりも、創価学会に其の身を置きながら、日蓮大聖人が御本仏たるを疑い、其の御本懐
たる戒壇の大御本尊を疑い、「蓮・興・目」たる唯授一人の血脈相承を疑い、加えて中興日寛上人の
行躰を罵詈するような連中こそは、応に『都合の良い自宗擁護』どころか、単に卑劣な『都合の良い
自己弁護』の類(たぐい)であるという事を、お前等にして能く能く知るべきである!
実に此奴(こやつ)らは、其の学会組織の中にあって、日々指導される学会教学に異を唱えることなく、
毎々平然と組織活動に勤しみ、又、小幹部であるならば、その部員に対しても反旗の論を述べる事も
なく、己(おのれ)の学会教学への違背をひた隠しにして、其の恭順たる姿勢を組織の面々に見せてい
るのである。
何と言う悪道であろうか。何と言う破廉恥であろうか。
何度でも言うが、この者等の応に面従腹背の醜さには、一仏法信仰者の端くれとして、まこと胃袋の
底から吐き気を催すものである。
ったく、其の様な卑劣な者共が、何をして疑々するか!!
よいか!! 少しもお前等に勇気があるならば、そして、少しも信仰者としての自負あるならば、
先ずは我らと同じくする学会教学について、其の批判文句の矛先を学会本部に向けてみよ!!
加えて、日蓮大聖人は末法の御本仏ではない、とする創価大のМを破折せよ!
更に、創価学会員、金原某の戯れ言(本門戒壇の大御本尊否定)を、創価に於ける日寛上人御本尊獲得
の大義を以って、即刻当人を呵責せよ!!
果たして出来るか! お前らに!
出来まいて!!
ったく、そういう組織内での閉口こそを『都合の良い自己弁護』と言うのである!
そんな軟弱なお前等に、そんな信仰者の欠片もない蝙蝠信者に、一体何の批判が出来ようか!
出来る訳がない!!
よいか! 所属する教団組織の根本教学に誤りがあると知ったならば、先ずは一信仰者として其の
大誤を堂々呵責するが、まことの信仰者たる姿勢ではないのか!!
何が、戒壇の大御本尊が後世の創作であるか!!
何が、二箇相承が偽書であるか!!
何が、日興跡条々事が偽作であるか!!
何が、日寛教学は考察の対象であるか!!
よいか! 先ずは其の事、学会幹部の目の前で披瀝せよ!
本よりそこに会員が集っておるならば、尚更結構な事である!!
ったく、己の腐臭を消せぬ者が、人様の匂いを嗅いで批判するなど、世法を知る者として出来よう筈
もない! 況(ま)してや仏法をや、である! そうであろうが!!
『いや!! 俺は学会幹部として、否、大事な部員を預かる立場だからこそ、正々堂々、創大教授や
金原某の邪義を呵責し、其の誤りを本部に対して随時指摘しておる!』
という御仁がおるならば、先ずは御寄稿願いたいものではある!
いの一番、『腹をくくっておるのか!』と尋ねよう。
http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/44163
さて、ここで、面従腹背の創価学会員に人気のある、僧侶から学者に転落した還俗者、松岡某の事について、少し述べておこうと思う。 此の者、正統・富士門流から退転するも、後に東大で博士号を取得して、何やら悦に入っている様であるが、先ずは仏法義に於いて、それら学術の資格などは、単なる苔の一端である、という事をお主には言っておこう。又、その様な事は、日蓮大聖人の学者に対する手厳しい記述からして裏付けられるものである。 して、此の退転学者の物言いであるが、観れば、ベラベラと恣意的な妄想を書き並べておるが、応に此れこそは、文献莫迦と同じ思考性(連想遊戯)であり、其の本性こそは、己(おのれ)の懐疑によって、整然と組み立てられた積み木が破壊されるを愉快とするものであり、又、其の快楽を満たさんとするが故に、繰り出す妄想が全て恣意的になるのである。 して、此の学者殿。 先般の物言いに於いて『日蓮一期弘法付嘱書と身延相承書はその根本であり、これより血脈相承の すべてが伝承されている』などと惚けをかまして恥を掻いたのであるが、此れこそは、今時の学会員の言い様からして「アホタン」の典型なのであろう。 して、小生が一番目を引いた珍舌は、 『阿部(日顕上人)は、しばしば創価学会に於ける過去の発言を取り上げ、それと私の発言との相違を非難する。私の論の矛盾を指摘したいのならば、私の発言内容を根拠にすべきである。そうではなく、私という「人」を根拠とし、〝松岡は創価学会側の人間だから、過去の学会指導と違うことを述べるのは自家撞着である〟などと言うのは論理的におかしい』 と云うものである。哀笑。 いやいや、小生から言わせれば、此れほどの『遁舌』はないであろう。小笑。 先ずは第一、正統・富士門流の法義と対するに、己(おのれ)の私義私感で対するとは何事か。 果たして此の学者。一体、何処の宗教の者であるのか。一体、何を信仰しておるのか。 先ずは、そういう事を明らかにすべきである。 加えて『私という「人」を根拠とし、「私」の発言内容を根拠とすべき』などと云うは、抑も仏法義からして邪論であり、少しの智慧が有るならば、正義は法に依って人に依らざるものである、という事を先ずは理解すべきである。 はて、そう云えば、同じ様な事を言っていた御仁が居(お)ったような。 『組織は組織、私は私。しかし不利益はありません』 『私に対立する勢力、アレら、日蓮正宗教学です』 おお! 此れはまさしく彼の雪中老人の弁であった。哀笑。 今では『会長は会長、私は私』と言いながら、信州の山奥に於いて、磨き粉を商っているそうな。 何だ。東大博士の松岡某と、雪中老人との言い分が全く同じではないか。哀笑。 つまり此の両者をして『此の俺たちが、創価学会側の人間であるのに、学会教学と其の指導に対して違う事を述べるのは自家撞着である、と言う日蓮正宗側の言い分はおかしい』と言っているのである。 哀笑。おいおい、小生から言わせれば、もはや、そういう遁舌を吐いた時点で論敗であるぞ。 松岡某よ。お主は仏法を論ずる者として、少しは恥というものを知りなさい。哀。 一体、彼の雪中老人と同じレベルで、何を論じようと云うのだ。哀笑。 日蓮大聖人曰く『自義に違ふ文有れば理を曲げて会通を構(かま)へ、以て自身の義に叶はしむ』と。 さてや、お主なども、此の御訓戒に触れる「自義優先」の不信心者なのであろう。 よいか。だから日蓮大聖人は『学者』を嫌うのである。 果たして、此のような者が、もし日蓮大聖人の御在世に居(お)って、ベラベラと屁理屈を書き並べていようものなら、いの一番、大聖人から言われるであろう。 『何、宗義は宗義、私は私とな。つまり、お主自体が法であり教義という事であるか。何だ。お主は附仏法外道の主(ぬし)であるのか』と。 して、此の退転学者。 先の文句に於いて『日寛上人の六巻抄は、長らく貫主直伝の秘書とされた』と云いながら、其の舌も乾かぬうちから『六巻抄は外部向けの言説である』などと、其の言説を翻(ひるがえ)しておる。 ったく、六巻抄をして『その内容が特に他門の目に触れぬよう、厳重に秘匿されるべきは当然である』と断言していた御仁がである。 さても、此れこそは似非学者の醜態であるのか。其れとも、小生が過日に対した蝙蝠信者の一類であるのか。兎も角、その都度の論状に於いて、都合よく主張を変えるは、此れまさに虚偽に塗れた自義優先の業(わざ)であり、本より論ずるに足らない我義我執の輩(ともがら)なのである。 日蓮大聖人が曰く『私説を以て公事に混ずること勿(なか)れ』と。 富士門の僧をやめ、東大の博士に成って此の体たらく。 赤面して然るべきではないのか。 http://6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/44165 |
「フィリピン国立バターン半島大学から名誉会長に名誉人文博士号」
と称し本日の聖教一面に掲載されているが、この大学、英語名は「Bataan Peninsula State University」と称し、文字通り国立大学ではなく地方(州)大学である。この大学の歴史を調べると、このようにある。
Bataan Peninsula State University is the first and only state university in the province of Bataan of the Philippines.
この大学はバターン半島における最初で唯一の自治区大学である。
History
The Bataan Peninsula State University was established by Republic Act 9403 which was signed into law on 22nd of March 2007.
この大学は2007年3月22日の法令(RA9403)に基づき設立された。
Before the conversion, BPSU used to have three campuses; two are located in the City of Balanga while the third is situated in Orani, Bataan. The passage of RA 9403 resulted to the expansion of BPSU's campuses as the said Act duly integrated the Bataan State College in Dinalupihan and its satellite campus in Abucay. In 2008, the university's establishment of its extension campus in the town of Bagac, Bataan
元々三校からなっていたカレッジであるが、法令により統一され、Bataan Peninsula State Universityとなる。(趣意)
http://
http://
まぁ、ウキペディアの転載であるが、ここの卒業生がフェース・ブックに掲載しているのであるから間違いはないであろう。
では、この「2007年3月22日の法令(RA9403)」とは何か? 調べてみた。
このようにあった。
Republic Act No. 9403 March 22, 2007
AN ACT CONVERTING THE BATAAN POLYTECHNIC STATE COLLEGE IN THE PROVINCE OF BATAAN INTO A STATE UNIVERSITY TO BE KNOWN AS THE BATAAN PENINSULA STATE UNIVERSITY (BPSU) INTEGRATING THEREWITH THE BATAAN STATE COLLEGE IN THE MUNICIPALITY OF DINALUPIHAN, PROVINCE OF BATAAN AND APPROPRIATING FUNDS THEREFOR
http://
この法令はバターン自治区(Province)にある「THE BATAAN POLYTECHNIC STATE COLLEGE」を「THE BATAAN PENINSULA STATE UNIVERSITY」に変更するためのものである。(趣意)
この変更に関し政府国家がこの大学に対し係ることは「資金の援助」のみ、即ち学校運営は自治区にお任せということであり、文字通り国立大学ではない。
Endowment
SUCs lamented the Philippine government's inadequate financial aid. For the 2003-2004, SUCs only had PHP 16.8 billion, and about 40 percent of it went to the University of the Philippines and the Mindanao State University.[1] However, in 2008, the Philippine Congress alloted PHP 20.8 billion in subsidy for the operations of state universities and colleges.[2]
http://en.wikipedia.org/wiki/State_university_and_college_(Philippines)
フィリピン政府は2003年~2004年に教育予算としてPHP 16.8 billionを計上しその40%は「University of the Philippines(フィリピン国立大学) and the Mindanao State University.(ミンダナオ自治区大学)に渡ったが、2008年に政府はPHP 20.8 billion の予算をその他の自治区大学及び自治区カレッジのために用意した。
以上、
ここで分かることは聖教は池田氏を出来るだけ大きく見せ、会員をして「凄い!」と錯覚させる為にわざわざ「国立大学」と誤翻訳したということだ。実際は地方大学ということである。まさに確信犯だ。
このようにして学会員は徐々に洗脳され、池田氏を神格化しているのである。
因みにアメリカ創価のWorld Tribuneの検索にも掛けてみたが、「THE BATAAN PENINSULA STATE UNIVERSITY」なるものはヒットしなかった。さすがに英語圏でありフィリピンからの移民が多い米国ではウソがばれると判断したのであろう。
立正宣言はやはり、来月の4月28日ですか? 【沖浦教】沖浦大聖人殿!
■■■沖浦殿、貴殿、先生を超えられましたね!■■■
先生はこのように仰せですが、貴殿はちょっと違うようです。
「ただ、この自身の奥底の生命を覚知した人を仏といい、それを悟りえず、瞬間瞬間に起こる妄想と妄想に惑わされているひとを凡夫、衆生というのである。仏をこれを覚知しているから、その覚ったものをあらわし示してくれる。衆生は、仏によって顕わししめされたもの、すなわち本尊によって、自身の内に秘められた同じ生命を顕現していく。
仏がこの御本尊を図顕した目的は、衆生に衆生自身の生命に内在する本尊を覚知させることである。
■■■■↑↑チャント先生は「仏が御本尊を図顕した目的とありますがね?■■■
【此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり、 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、 曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、】
この御本尊は、自分の外にあるものと思ってはならい「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる」我々衆生の「胸中の肉団」にある、と仰せである。この文は、御本尊の正体、実体が何であるかを端的明快に示された、非常に重要な一節である。
既に述べたように、この御本尊は、釈尊が己心の生命を悟って、それを法華経として説き示したところにあらわれており、日蓮大聖人も、御自身の生命をそのまま図顕して、この御本尊を顕わされている。このことからもこの御本尊は、仏たると衆生たるとを問わず生命の奥底に実在する一実体にほかならないことが理解されよう。
ただ、この自身の奥底の生命を覚知した人を仏といい、それを悟りえず、瞬間瞬間に起こる妄想と妄想に惑わされているひとを凡夫、衆生というのである。仏をこれを覚知しているから、その覚ったものをあらわし示してくれる。衆生は、仏によって顕わししめされたもの、すなわち本尊によって、自身の内に秘められた同じ生命を顕現していく。
仏がこの御本尊を図顕した目的は、衆生に衆生自身の生命に内在する本尊を覚知させることである。したがって「此の御本尊全く余所に求める事なかれ」と戒められているのである。もし、御本尊をただ仏によって与えられなかったとしても、信仰・礼拝さえすればよい。これに頼っていてさえすればよいというのであれば、仏としてはこの御本尊を顕わした意図は満たされないどころか、全く違った方向へ歪められてしまったことになる。
御本尊を余所に求めている人は、あたかも鏡に映った自分の顔を見て、他人の顔と思い込んでいるようなものである。鏡は、それによって我が身を正すためにあるのである。他人と思って喜んでいるのは、鏡としての用は果たせないのである。
大聖人が、このように、日女御前に対して、御本尊はあなたの外にあるのではなく、あなたの「胸中の肉団」にあるのだと教えられたのは、善段で、死後も厳然と守ってくれると仰せられたことにつながりがある。もし、外にあるとすれば、死後も一緒ということではありえないから、「左右前後にたちそひて」ということは信じられないことになる。「胸中の肉団」にあることによって、死後も寸時も離れないといえるのである。
ただ、このことから更に大切なことは、ここに日蓮大聖人の仏法が既存のあらゆる宗教と全く異なる基盤に立つものであるということである。
すなわち、過去のあらゆる宗教の生き方は、人間の外に、人間をはるかに越えた怖畏すべき存在を設定し、人間は、この存在つまり「神」に服従し、礼拝を捧げれば、この「神」によって守られ救われるというこたであった。このような宗教の生き方が、権威主義的な人間性格を形づくることは必然である。
それに対して宇宙の最も根本的なものは、人間各自にとって、自分の外にあるものではなく、自己自身の内にある。否、自己の性質そのものである、というのが日蓮大聖人の仏法である。もとより、釈尊の場合も、法華経哲学というものは、まさにこれを教えたものであり、あえていえば、キリスト教も、本来はそうした考えをもっていたようであるが、実体的に明確にすることができなかった。そのため、後世の弟子達は、権威主義的な信仰姿勢に陥ったのである。
ともあれ、日蓮大聖人の仏法によって、はじめて、真に人間主義的大道が開かれたといってよい。大きい意味でいえば、そうした人間主義的宗教は、人類の英知と良識が等しく求めてきたものであったが、実体性をもたないため、三悪道の生命にとって馴染みやすい権威主義に毒され、たちまち途絶えてしまったのである。大聖人の仏法によって実体性が与えられることにより、人間主義的宗教への人類の願望ははじめて、実現化の道を得たといえるのではあるまいか。
九
- お肉牙
- アメリカ
- カルト
- ジャーナリスト
- スリランカ
- ニセ本尊
- フィリピン
- フォーラム21
- マスコミ
- 万年救護本尊
- 久保川法章
- 乙骨正生
- 仏教
- 仏法
- 保田妙本寺
- 公明党
- 創価
- 創価学会
- 創価教育学会
- 化儀
- 化儀の広宣流布
- 化法
- 南元センター
- 博士号
- 友人葬
- 同志葬
- 国会
- 国立大学
- 報道
- 塔婆
- 大月天
- 大石寺
- 宇宙法界
- 富士門流
- 岩立盛郷
- 州立大学
- 御書
- 御本尊
- 御本尊七箇相承
- 御生骨
- 御秘符
- 怪文書
- 戒壇
- 戒壇様
- 戸田城聖
- 折伏
- 文芸春秋
- 新聞
- 日寛上人
- 日禅授与本尊
- 日興上人
- 日蓮
- 日蓮宗
- 日蓮正宗
- 日陣門流
- 日顕
- 日顕上人
- 末法万年救護の大本尊
- 本尊
- 本尊鑑定
- 本門戒壇の大御本尊
- 松木法太郎
- 正信会
- 民主主義
- 池田大作
- 沖浦克治
- 法主
- 法華経
- 法華講
- 浅井昭衛
- 牧口常三郎
- 犀角独歩
- 猊下
- 病院
- 発狂
- 看護師
- 矢野
- 矢野純也
- 破邪の欄室
- 破門
- 称号
- 竹本良一
- 精神病
- 聖教新聞
- 脳梗塞
- 葬儀
- 観心本尊抄
- 謀略教団
- 講談社
- 護符
- 車いす
- 追善供養
- 週刊文春
- 週刊新潮
- 週刊現代
- 週刊誌
- 釈尊
- 釈迦
- 顕彰
- 顕正会