2011年06月14日 テーマ:静かな侵略

新潟の、いや日本の危機

続々編の前にまず関連するので、中共と北朝鮮について解説します。

そもそも拉致事件はどうして起きたのでしょうか? その少し前の1970年共産主義者同盟連合赤軍のよど号派によるハイジャック事件があります。日本初のハイジャック事件であり、計画の「HJ」というメモ用紙も議長の塩見孝也の逮捕で見つかっていたが、気付かず、さらに予定日に遅刻するものも出て予定より遅れての実行であった。羽田から現福岡空港行きで、福岡、ソウルを経て北朝鮮に渡った。

この目的は、国外闘争の拠点と言う位置づけで共産主義国の北朝鮮が選ばれた。当時の北朝鮮は、朝鮮戦争の終結後の国内整備に力を入れ、さらには工作員を韓国に送り込むことにより制圧を狙っていたのである。もちろん北朝鮮のこうした戦略は中共の支援があったことは言うまでもない。

拉致事件はこうした背景の中、よど号の連中の花嫁探し、北の中での国内整備ということで何らかの専門的知識を持つものをターゲットにしたのである。例外的な数人、横田めぐみさんがその例であるが、北の工作員が日本に潜入したとの証のために拉致された人もいる。

北の工作員の教育係と言うことは、どんなに日本語を教えてもネイティブにはならない。せいぜい韓国内に送り込む工作員に日本人を装うことが出来る程度であろう。海外で騙されたのか拉致された人は、ほとんど当時やっと国連に加盟出来た中共の北京空港経由で北朝鮮である。いくら日本と中共が国交回復したとはいえ、相当のチェックはあった筈である。ということは中共も拉致を知っていたとみるのが自然であろう。

国内拉致事件は、佐渡をはじめとする新潟県と福井県が多い。潮の流れと当時の日本の海上警備が原因と言われており、陸伝いで行くのが難しい海岸に、工作員の小屋が新潟や福井で発見されている。つまり北と新潟と言うのは地図を見てもすぐわかるように海上の往復にとても都合がいいのである。

北の将軍様が昨年夏先に北京訪問しています。目的は、いつものおねだりと韓国哨戒艇の沈没の説明です。あの事故は弾丸を撃ち込んだのではなく、近くで爆発させてその衝撃で攻撃するものです。ですから見事に二つに割れた哨戒艇、驚いたのは北朝鮮です。あんな簡単にあの程度の衝撃で二つに割れると思わなかったのです。韓国の軍備のお粗末さが思わず明らかになり、韓国も大きな抗議は出来ませんでした。あわてたのはアメリカでそれ以後黄海での合同訓練となりました。当然中共は抗議の声だけは上げます。民主は脅威に対する内容はない、単なる社会的儀礼近い抗議だけです。自民の安倍元総理のように具体的経済制裁の話は全くありません。

こうしたわがままは、中共に説明したことによりおねだりも功を奏しました。不思議なのは、将軍様は北京の外交公寓に住んでいる長男の正男さんとは会わないことです。親子ですよ。この時後継者の相談もしていますが、中共が薦めたのは正男さんです。

この正男さん、結構垢ぬけしています。自由という空気を満喫してしまいお国のことあまり関心ありません。マカオと往復してお国の資金作りにいそしんでいます。北の独裁体制にたいして「いずれ滅びるよ」なんてことも言ってます。今は中共と仲良く、中共のビジネスの協力者です。

この時の北への帰り道、国境で線路爆破されています。三本あるのとタイミングが合わなかったのとダミーの列車走らせているので難は逃れました。

そして先日の中共訪問とその目的そしてミサイルと続きますが、それは次回に。




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