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2012年03月31日

人事交流

 三条市が国県や他市との人事交流を始めたのは、内山裕一市長当時の平成6年度からだ。農水省から女性キャリア1人を迎え入れ、三条市の若手職員1人を同省に派遣した。
同省との交流は2年で終わったが、故長谷川長二郎市長は交流相手を経産省、厚労省、国交省北陸地方整備局、新潟県に拡大した。8年度から始めた県との交流は21年度まで14年間続いた。経産、国交両省との交流はいまも続いている。
高橋一夫市長は総務省との交流を始めた。地域イントラネットの構築など情報基盤整備を進めるためだ。その交流で三条市に着任したのが総務省キャリアだった国定勇人現市長。当初は2年で戻る予定だったが、16年に7・13水害が発生。高橋市長は国定氏を手放せなくなり、総務省に頼み込んでキャリアでは異例の1年延長を認めてもらった。
国定市長は20年度から3年間、文科省との人事交流を行ったほか、新潟市、神奈川県横浜市、佐賀県武雄市との交流も始めた。国県だけでなく、同じ基礎自治体である市からも学ぼうというわけだ。
23年度にはこれらの相互交流とは別に燕市、新潟市、佐渡市、福井県越前市、大阪府箕面市、兵庫県豊岡市、三重県菰野町の7市町が合わせて21人の土木技師を三条市に派遣してくれた。7・29水害からの復旧業務を手伝うためで、短くて1か月、長い職員は7か月にわたって土木、農業施設などの復旧に努めてくれた。
24年度は総務省、経産省、国交省、新潟市、武雄市から各1人の計5人を受け入れる。経産省から出向中の恋塚忠男地域経営課長は4年目に入る。三条マルシェなどでの手腕を高く評価した国定市長が経産省に頼み込み、派遣期間を延長してもらった。三条市からの派遣は経産省、国交省、新潟市、武雄市の4人だが、人事交流とは別に職員2人を復興支援のために福島県南相馬市に派遣する。
持ちつ持たれつ。23年度は三条市が他市町に助けてもらった。24年度は三条市が南相馬市を応援する番だ。南相馬市に行くお二人、頑張ってきてください。

2012年03月11日

最後のメール

元キャリアウーマンで、いまは尼僧として活躍している瀧本光静さんが、自身のブログで一通のメールを紹介している。「発見された携帯電話に残っていたメールです。どんな思いで、だいすきなお父さんへメールを打ったのか。3月11日(日)宮城県に行ってまいります」という文章が添えられているから、東日本大震災で犠牲となった人のメールらしい。

 『もうバッテリーがないよ。痛いと言わなくなったので、妹はさっき死んだみたいです。埼玉はだいじょうぶですか? またお父さんと一緒にディズニーランドに行きたかったです。お父さん今までありがとう。だいすきなお父さんへ。本当にありが』。
 メールはここで終わっている。瀧本さんは余計な説明は一切せず、「享年長女17、享年次女14、父48」とだけ書き添えている。

 姉妹が地震、あるいは津波でどんな状況に追い込まれたのかは分からない。14歳、まだ中学生の妹は「痛い」と言い続けたのだろう。高校生の姉は、妹が死に、間もなく自分も死ぬことを承知している。父親は埼玉に単身赴任していたのだろうか。バッテリーがなくなる前に、何通かメールが届いていたのかもしれない。「助けて」というメールを受け取ったとしても、埼玉と宮城の距離ではどうしてみようもない。何もしてやれなかったのに、死を覚悟した娘に「今までありがとう。だいすきなお父さん」と書き残された父親。気が狂いそうになるくらい悔しくて、切ないだろう。

 死者や行方不明者の数が大きすぎて実感がわかないが、この姉妹のような死や、重すぎる悲劇が一万数千件も一挙に起きた。あれから1年が過ぎた。11日には追悼式が行われ、多くの特集が組まれた。辛すぎて目を背けたくなるものもあったが、こういうメールに接すると、せめて多くの理不尽な死があったことをしっかりと見、記憶しておこうと思う。覚えておくことぐらいなら、非力な自分にもできる。

2012年03月07日

人権侵害の現実

 全国の法務局が昨年1年間に扱った人権侵犯事件は22168件で、前年より2・2%増えた。

大幅に増えたのが学校におけるいじめに関する人権侵犯で、前年より21・8%増の3306件。これはいじめの件数ではなく、いじめに対して学校側の対応が不適切だった事案の数。平成21年の1787件と比べると2倍近い。
 法務省は、子どもたちがいじめなどについて相談しやすいようにと全国の小中学生に「子どもの人権SOSミニレター」を配っている。悩みごとを書いて投函すれば法務局に郵送される仕組みだ。こうした取り組みがいじめに苦しむ子どもたちを救う一方、学校側の不適切な対応が多いことをあぶりだす結果ともなっている。
子どもに対する暴行・虐待も12・2%増の865件。高齢者や障がい者など社会福祉施設における人権侵害も5・2%増の203件で、過去最多となった。

東日本大震災にかかわる人権侵害も多かった。法務局が被災地や避難先に開設した相談所に寄せられた相談は491件。「子どもの人権SOSミニレター」による相談もある。
「転校先の学校でいじめを受けている。『震災で死ねばよかったのに』とまで言われた」
「放射線汚染が心配で、学校の水道水が飲めない。水筒の持ち込みが禁止されているので、一日中、我慢しなければならない」
「早く福島へ戻りたい。避難生活で不安やストレスを感じる。自分は何をしたらよいのか分からない。助けてください」といった手紙もあった。

駐車場に福島ナンバーの車を停めようとしたところ、駐車場の従業員から断られた人もいる。
福島県から避難してきたというだけで近所の人から「子どもを公園で遊ばせないでください」と言われ、子どもを保育園に通わせようとすると「他の保護者から不安の声が出ているので」と入園を断られた人までいる。
 東日本大震災発生後、日本人の冷静で秩序ある対応が各国で高く評価されたとのことだが、残念ながら現実には、少数ではあっても卑しく、浅ましい者たちもいる。