2011/12/23
「泣いたりしないで」
1969年、長崎県長崎市で誕生。
私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。
高校卒業後4か月間の地元企業(システック井上)におけるサラリーマン生活を経て、18歳で少女隊のバックバンドを目指して上京する。当時は昭島市緑町に在住し、福生の横田基地の近くにある材木屋でアルバイトをしていた。
1988年、“アミューズ・10ムービーズオーディション”に合格し、映画『ほんの5g』で俳優デビュー。8月15日、新宿のライブハウスで東京での初ライブ。観客はゼロだった。
作詞・作曲 福山雅治
泣いたりしないでこっちへおいでよ
あなたの全部を抱きしめるよ
ひとりぼっちで怯えたりしないで
あなたの心にさわっているから
悲しみをわかりたいんだ
ぬくもりを届けたいんだ
泣いたりしないでこっちを向いてよ
本当の言葉で話そうよ
失くしたものなんてもう忘れなよ
やっぱり本当の笑顔がいいよね
やさしさを間違えないで
幸せをわけ合いたいんだ
あなたがいる それだけで強くなれるよ
僕がいるよ どんな時だって守ってみせる
やり直せる何度だって
大切な夢を疑わないで
あなたがいる それだけで頑張れるんだよ
あなたとなら どんなあしたでも生きてゆける
泣いたりしないでこっちへおいでよ
あなたの全部を抱きしめるよ
あしたの話をたくさんしようよ
そうやっぱりあなたの笑顔が大好き
ねぇ 笑って
こちらは協和紙業のちり紙交換です。
本当に生きようと思え。人生を本当に楽しめよ。あんた,あんただよ<矢沢永吉>
以下は良い子に適当でない文章が含まれております。
『親父もたいへんだったな いまになって思う オッサン 根性たりなかったね「いまになって考えると,少しは理解ってものがでてきて,親父の墓参りなんかもできるけど.........一時は,「このバカ」。ずっと思ってたな。<だいたい,あんた勝手だよ。コオマンしなきゃいいじゃん,コオマン。おまえら,いい加減にコオマン決めて,オレ産んでから,夫婦喧嘩してアレか...........じゃ,オレ,どうなるの。コオマンするな,パイプカットせい!>って話になる」<27,28ページ>』
デビュー曲「ファンキーモンキーベイビー」
無意識のうちに横浜で下車 張り紙見て ボーイになる..... 夢だけがオレをささえた。
もう一つの俺
「マリアと出会ってオレは幸せだった。食事をしていろんな話をした。話をすればするほど,オレは彼女に夢中になっていった。マリアといると,落ち着いた。マリアのほうは,いつもオレを見ていた。矢沢永吉を見てた。矢沢永吉を見て,いつもこう言っていた。<あなた,なぜ,そんなに生まれ故郷の広島のことで,くだまくの><あなた,なぜ,自分の過去に吠えるの><なぜ死んだ自分の父親の悪口を言うの><あなたは守られてないのね> そして,言った。<あなたの奥さん,一体何してるの?> 女房?女房は一生懸命やってるよ。オレは,いつもそう言い返した。<洗濯,育児のことを言ってるんじゃないの。なぜ,あなたを見ないの?><あなたがこんなに荒れるまで,なぜ,ほっておくの?> 別にほっといてなんかいねーよ。私には信じられないって,彼女は言った。<あなたは,日本のロック界のスーパースターかも知れないけど,私が見るかぎりは,『裸の王様』そのものよ> そして,いつもいつも言い続けた。広島のことを忘れろ,過去を忘れろ,なにを忘れろ。そうやって,マリアは,裸の王様に着物を着せ始めた。マリアといる時間が,どんどん増していった」<アー・ユー・ハッピー?58,59ページ>
「昔,キャロルでデビューしたとき,『週刊平凡』という芸能週刊誌が,どえらい勢いでインタビューに来たことがあった。「矢沢さん,奥さんと子どもさんがいらっしゃいますよね。全部こちらで裏とってあるんですけど。正直に言ってくださいよ」記者は勢い込んで聞いてきた。「いるよ」オレはそう言った。記者は拍子抜けしたみたいな顔をした。たぶん,オレがびっくりして否定するとか,逃げ回るとでも考えていたんじゃないか。「それってスクープみたいな感覚?おまえ,バカじゃないの。子どもくらいいるに決まってるじゃん。女房もいるくらいだもん。オマンコしたら子どもできるの当然じゃん。で,おまえのところは,週に何回やっているんだ,オマンコ」「へッ?私は......」「オレは子どもが好きだしな。男はみんなばりばりよ。そんで何なの,質問は?」「いや,もういいです」尻尾を巻いて逃げてった。話は終わった。くだらないけど,そのときの矢沢の印象が,業界じゅうにまわったみたいだ。「ありゃ食えんわ」って。<205〜206ページ>
LAHAINA......東大出の孤独な秀才が天を仰いで嘆いた。あのバカたちはどうして私の前に集まらないのか。私には分からない。その時どうなるのか。カラスが飛んできて開けた口に糞をたれ<あほう,あほう>と鳴いて飛び去るだけである。この風景は,いつでも,どこでも永遠に変わることがない
あえて化粧による虚飾をする女性たちは本能的に偽物を嫌う。化粧品会社のCMに出るということは本物の証明。
フジ子へミング
母の贈り物・セリグラフ
歌う犬
迷い猫・銅板画
フジ子さんは今言います。
私の人生にとって一番大切なことは,小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり,野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。と
事実フジ子さんは余計なお金は要らないと,ほとんどを寄付しています。下北沢の母が残した家に帰ってきた時死ななかったのは,猫にエサをあげる人間がいなくなるもんね。これが芸術家なのでしょうか。現在は巴里と日本で半々の暮らし。波乱に富んだ数奇な運命のもとで,神は悲痛をプレゼントし,成功と挫折を繰りかえさせた。そして,ついに神の待ち望んでいた日が来たのです。前の記事の森麻季さんとも共通するところがありますね。
子供の教育は「子供は生まれながらに潜在的な才能をもっているのだから,必要なものを全て与えれば勝手に才能を発揮する」と,こういう考えもある。
でもフジ子さんの母は容赦をしなかった。首根っこを掴まえて,嫌がるフジ子をピアノの前に坐らせたのだ。母と娘は友達になんかなる必要は無い。嫌われたっていいのです。真剣勝負で育てられたから,今のフジ子さんはあるのだと想います。
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