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2009年06月14日

混乱を愛する。

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片付けは、もともと苦手でした。
心理的な原因もあるのかどうか、どうやっても片付きませんでした。
そして、数年前に心身のバランスを崩しまして、スケジュール管理が一切出来なくなってからは、余計に家の中は片付かなくなってしまいました。なんとかしなければと焦れば焦るほど、余計に頭が真っ白になってしまいました。

「片付けられなくても、いいんですよ。」と、初めて言われたのは、EFTのセッションでお世話になったchunsanさんです。頭では「そうかもなあ」と思いながら、しかし、やっぱり受け入れられませんでした。わたしだけならまだしも、主人や子どもにもいっぱい迷惑をかけていたのです。どうして「これでいい」だなどと言えたでしょうか。

ずっとずっと、もがき続け、あがき続けて来ましたが、セラピーを受けようが講習を受けようが、何をどうしようが、家の中は片付きませんでした。
悩みに悩んで、とうとうわたしは、発想を転換することに決めました。ミクシィ日記でもカウンセリングでも、自分をありのままに受け入れることをずっと説いているわたし。自分を受け入れるところからしか成長は無いといい続けているわたしが、片付けに関しては、自分を完全否定し続けているということの矛盾に、ようやく気がつき始めたのです。

わたしの価値観では、この状況は許しがたく受け入れがたい。でも、家族は(我慢しているだけかもしれませんが ^^; )わたしを責めずに、とことん受け入れてくれているのです。わたしひとりがうつうつと自分を責めて責めて責め倒しているのです。いい加減に、自分も自分を許して受け入れても良いのではないかと、恐る恐る思いました。思うことにしました。

片付かない一番の原因は、「自分にとって、何が大切かわからない」ということであるように感じました。そしてもうひとつは欠乏マインドです。もったいないからと捨てられないのは、「失うまい」と物にしがみつく態度であり、「失ったら二度と手に入らない」という、供給への不信感であるように感じました。そして、どうやら前者の方が圧倒的に大部分を占めているように感じました。

自分の大切なものを知るワークなど、ここ数年間で何回、何種類やったことかわかりません。それでも、片付けようと拾い上げた紙切れ一枚をどうしたらいいかわからないで立ちすくんでしまうのです。これは相当根深いものがあるのかもしれません。「片付けたらどうなってしまうのか、それを見つめてください」と言われたことも数回あります。でも、見つめてわかるものならばこれも苦労しないのですね。^^; 全く手がかりがつかめないのです。

そして、万策尽きて遂にわたしが行なった発想の転換。それは、「混乱を愛する」ということでした。

chunsanさんは、「「混乱していても問題ありません。混乱にも宝があります」と言われたのです。その時は、なんと不思議なことを言われるのだろうと思ったのですが、その後ハーモニーグレースのセミナーでも「ありのままの自分を許して認めること」を学び、また澤谷先生と悦月さんとのセミナー、研修会でもやはり「ありのままで丸呑みに受け入れること」を学びました。まるで一段ずつ階段を上がるように、自分の裁く思いを、更に深く、更に深くと手放すように促されているように思えました。


「部屋の中は、自分の心と同じだ」と、よく言われます。
そのような目で、改めて家の中を見回してみました。
「これが自分の心の中のありようなのだ」と散らかっている場所のひとつひとつをじっくりとただ、自分の心と照らし合わせるように見つめました。
すると、だんだんと散らかっている部屋が愛しく思えてきました。どの散らかりも自分のいっしょうけんめい生きようとしている形であり、ためらいや恐れや迷い、そして、希望や、エンジンを空ぶかししているかのような力をも、同時にそこに感じられるような気がしました。

力を抜いて、自分で自分を裁く思いを、手放してみました。そして、自分の心を愛するように、部屋の混乱をありのままに愛してみました。今までいつも家にいると、「片付けなくちゃ」と心が急かされて、片付けられない自分への自責の思いでいっぱいになってしまい、心が休まったことがなかったことに、初めて気がつきました。

思い切って散らかりの中に座り、リラックスし、その散らかりを受け入れ、愛して、感じてみました。あちこちに積まれた書類の山を作っている紙切れ一枚一枚に、自分の血が通って生きているように思えるところまで感じてみました。すると、紙切れ1枚一枚が、ファイルの一冊一冊が、喋り出したような感じがしました。その紙切れをまとめてそこに置いた時の自分の思い。そのファイルを作った時の自分の思い。それらが自分に語りかけてくるような気がしたのです。


料理のファイルは、

「子どもや主人のために、使おうと思っていた栄養の知識が詰まってるよ。使って使って」

と、おねだりしますし、子どもの学校関係のファイルは

「あなたをとても必要としている人がいることを忘れないで。あなたの仕事がここにあるよ。忘れてるよ」

と、語りかけてきます。また、その語りかけが、どれもこれもなんだかとてもあたたかいのです。

「怖がらなくてもいいよ。あなたにはできるよ。大丈夫だよ。」

というような感じを受けるのです。

「わたしたちみんな協力するよ 手伝うから」

というような感じさえ受けます。



何の価値も無い欠点だと思っていた散らかりが、実は、点在している自分の力の現れであり、そのひとつひとつが実は宝石の原石のように見出されることを待っているように感じられたのです。

なんだかよくわかりませんが、良い兆しであるように感じます。
今度こそ、片付くかも知れません。
完ぺきを目指さないで、自分と仲良く、少しずつ楽しみながらやっていこうと思います。

自分を責めたり裁いたりさえしていなければ、自分の力は、もっと早く最大限に生かされたのかもしれません。そして、もっとも受け入れがたい許しがたい部分であっても、いったん思い切って丸呑みに受け入れてしまえば、もうそれは自分の力を削ぐものでもなく、恐れるようなものでもなくなるのかもしれません。短所を認めたり受け入れることの大切さは良くわかっているつもりでした。でも、もっと進んで短所を愛せたら。。。。 こんなにも素敵なことが起きるのですね。

一枚一枚、皮をむくように、癒されていきます。
自分との出会いが、深まって行きます。
影が、光にされていきます。



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posted by さくらみるく at 13:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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