200403

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2004-03-01-Mon

「自分史上最高」ってフレーズにぞくぞく

自分のスタイルの傾向はなにか
を知れば、
自分史上最高コミュニケーション
ができるのではないかと思うんです。
本来ゆっくりした重厚な水星を持っている人が、
たくさんのひとと当意即妙にスマートな会話をしたい!
という理想を持ってしまうと、
それはなかなか、うまく行かないと思います。
逆に、
さくさく回転が速く、ちょっとあきっぽい人に、
この10巻の専門書を机に座ってすべて熟読してスペシャリストを目指しなさい
と命じても、その人はシアワセにはなれないと思います。

筋トレメールマガジン2/28

*

悟りを開いた人ポータル 萌え〜

ことあるごとに女やめたいと思っている私が男女の違いをどうこう言うのも変だと思いつつも今日は書いてみる。というか違い感じまくってるからこそ女やめたいなんて思うわけですね。で、そういうことを思ったり言ったり書いたりするのもやめたいわけですね。今日は書いちゃうけど。

バレンタインデーのときも思ったこと。男はこういうのネタにできていいなあ。ホワイトデーに何かもらったことを報告しても、もらえなかったことを嘆いても、つまらん。男装したって、良くて萌えられる(てか別に良くねえよ)だけで、つまらん。萌え〜とか言ってたって、男が言うインパクトには負ける。ほらネゴロっちも言ってるぜ。

「だめ」とか「ひっきー(ひきこもり)」という言葉にはある種ユーモラスな要素が入っている事がある。そういう時自動的に女の存在はカットされる。なぜか。簡単だ。「女にお笑いは向いていない」とされているからだ。女性が貧乏やひきこもりで2週間風呂に入らなくて水虫になったとか、プレステ2にハマッて12時間ゲームして気持ち悪くなって吐いたとか、食べてばかりで百貫デブになってしまったとか誰が聞きたいだろう?(私は聞きたいけれど)。

OurPlanet-Clumn(第7回「女性のひきこもりは何処にいるのか」)

良質のユーモアには哀愁を感じるものらしい。女はきっと哀愁がないから自分の性をギャグにできないんだ。くそー、つまらんな。いやいやいや、だからそうじゃなくてさ、誰も望んでいなくてもさ、男に勝っても負けてもさ、自分が楽しいかどうかでしょう。男でもギャグにできない、あるいはしない人のほうが、しちゃう人よりきっとたくさんいるよ。そして私はどこまで行ってもきっとギャグにしたくてあがいてる人だよ。

何もありませんよ

 新たに発表された調査結果によると、たいていの人間は自分のオフィス空間にワクワクしておらず、多くの人にとって、この問題は感情を左右するものだという。

 コンピューター周辺機器を提供するスイスのLogitech Internationalが行った調査によると、事務職の42%が自らの仕事場の環境をCランクと評価したという。また自分の小部屋やオフィスをDと評価した人は10%、Fと評価した人は4%で、逆に最高のA評価を与えた人間はわずか6%だった。Logitechは米国の事務職1003人を対象にこの調査を実施し、先週その結果を発表した。

気分が浮かないのは、仕事場のせい?--メーカー調査

だったら何で続かないんだよ?と思われるだろうけど、私はけっこうわくわくしていた。広島での職場は、Aランクとは言わないけどA-くらいだったと思う。マイナスの理由は、無菌マスクのせいで周りの人の声がよく聞こえなかったこと。給料は低かったけど、どうせほとんど使うことはなかったからあまり気にしていなかった。不満なんてなくて、大体いつも幸福な気分でいた(今でもそうだ)。この「大体いつも」ってのがクセモノか。たまに無性に悲しくなることもある。無性に幸せだけど悲しい。

浮かない気分でも続ける人と、幸せだと言いながら理由もなく逃げ出す私。いや、事務と工場じゃ単純に比較はできないか。やってる仕事はあんまり変わりなかったと思うがな。私はどんな仕事に就いても楽しくやれると思う。でもどんな仕事に就いても続かないと思う。まあこれは長期の仕事を選ばなきゃいけない理由はないから問題ないけど。ただこれは多分、仕事以外のことにも言えることだから、うーむ…ってなる。

日曜日(先月29日)にSさんと遊ぶ約束をしていたけど1週間後に延期してもらった。自分のことを軽いひきこもりだと言っているので延期を願う理由は気分的なものでも信じてもらえるかと思って「落ち込んでいるから」とした。でも本当は落ち込んでいない。ていうか落ち込むとか苦しいとかどういう感覚なのかよくわからん。日曜日もただ何もしないで過食してるだけで(といっても母親の書類作成の手伝いだけは私がしなきゃ誰もできないので、これだけはだらだらとやってる。)落ち込んではいない。断りのメールを送ったら、「何かあったの? 私でよかったら相談に乗るよ」と返信が。私はなんて返せばいいんだろう。相談できることが何かあればいいのに。そういうことを書けるくらいさみしければいいのに。

心配とか評価とか感謝とか謝罪とか、何もいらない。でも、いりませんって伝えてもきっとわかってもらえないし、本当にまったく何もなくなったらさみしく感じちゃうし、私もここに挙げた全部どれもせずにはいられない。だったら自分がそれを過剰に気にすることを止めなくてはいけない。音楽のように人と関わりたい。文字じゃなくて音がいい。会話がキャッチボールなら、私はボール拾いがいい。

キャッチボールの真似事ができるのにしない私は人と関わるべきではないんだと思う。そのほうが自分にとってもいいんだろうなと思う。が、こういうことを書いて悲しくなるのはどういうことですか。違和感か悲しみか、どちらかに慣れていくんだろうか。でも慣れたくないからこういう人間なわけで。

Sさんへの返信はまだしていない。なんて書けばいいのかわからないし、どうせ1週間も経たないうちに会うって言ってるんだから(心配させるメールを送っておきながら)特別書くこともないのにメールしなくてもいいでしょう、と思う。自分から7年ぶりに会いに行ったというのにこの温度差は何だろう。いや、何でもないんですよ、いつも自分のために動いているだけですもの。ただあのときは自分を楽しめるように動き、今は自分が楽しいことに興味ないから動きたくないだけです。ごめんなさいよ。

2004-03-02-Tue

まとめなーい

母 「自給自足ってどうよ?」
私 「いいと思います、考えたことありますよ」
母 「でもあんたは畑仕事とかできないよねえ」
私 「いや、実際やってみたらできるかもよ」
母 「んじゃ田舎に土地はあるし、お金貸すからプレハブ買ってやってみる?」
私 「えー、借金? 自給自足なのにどうやって返すの」
母 「そりゃいつかは働いてもらわないと」
私 「働くつもりはあるけど、それを前提とするのはムリ」

うちの母親さん、私に自給自足の話を振ってくる辺りが非常に素晴らしいですね。しかも借金させてくれるって。さすが私のスーパーマン。アイラブマザー。でもないか。

前向きに人に甘えること(この場合は借金)ができない。いつだってニッチもサッチも行かなくなってから泣きつく。他人に宛てて言葉を発するのが下手で、自分に宛てられた言葉を戸惑ったあげく間違えて受け取ってしまう。目指したいのは「自分に誠実、他者に適当」(≠「自分に厳しく、他人に優しく」)。

でもってさっきSさんにメールした。何を書いても結局適当になるんだよね。自分が本当のことを言おうと思ったら何も言えなくなる。納得できるまで言葉を探してもそんな言葉はどこにもない。これをうそと呼ぶなら、私が言うことは何もかもうそだ。それで結構。それでコミュニケーション。

*

「ひきこもり支援」ってのは、ひきこもってることを支持し応援することなのかしら。どっかの山奥に小屋を建てて、そこで一人で自給自足して生活できるような施設を誰か作ったりしないかな。これこそほんとのひきこもり支援だよな。

でも多分、そういう場を与えられても何もしたくない日が時々やってくる。それが本当に時々で、短期で終わるものならいいけど、(今の私のように)それが2週間くらい続かれると種まきの時期とか逃してしまう。収穫の季節に気合十分で後悔しても遅い。それと同じように家にいても家事ができればひきこもってても仕事してるんだからいいじゃん、てなもんだけど実際は続かないから、いいじゃんって言えない。

んなこと言ってたらいつまでも何もできないじゃん。自分だけでいいから見切り発車してみようや。

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「ひきこもりだからどうとかじゃなくて、私はとにかく人の役に立ちたいんです!」とか目をきらきらさせて言っちゃうなら(言っちゃうのはアタクシです。言うな。)ホームレスに目を向けるべきじゃないか。

こうなりたいと思った瞬間にそうなるための努力を始められる環境を整えること。ホームレスを支援することはひきこもりを支援することにつながりそうな気がする。ホームレスになることが怖くなければ親がいなくなったらどうしようって不安もない。オーイエー!!

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 彼らに会ったことのある人々は、みな意外そうな顔で口々にこう言います。「あんな元気で明るい普通の若者が、どうして働くくらいのことができないのか」と。そう、ひきこもりの若者たちの多くは、会ってみればごくまっとうな判断力とコミュニケーション能力とを持った普通の若者にしかみえません。彼らは診療場面で、あるいは聞くところによればマスコミの取材場面で、きわめて能弁です。なぜでしょうか。理由ははっきりしています。彼らは自分の役割(患者もしくは取材対象といった)が明確にされている場面では、その役割を正しく理解し、それを適切に演ずることができるのです。しかしひとたび、屋外に一人で出かけたなら、彼はたちまち困惑してしまうでしょう。自分が一般社会でどのような役割を引き受けるべきか。それが判然としない場面では、彼らは困惑し、言葉を失ってしまいます。場や役割が与えられなければ、自分は何ものでもない、という思いにうちひしがれてしまうからです。

ひきこもり文化論(p.050〜p.051)

コミュニケーション能力が高いゆえに相手が望んでいることが見えてしまうから、自分がそれを満たせないとわかるから、口下手になったりそこから離れてしまったりするのかなあ。というか私はそんな思い出があったなあ。どれも社会とかそういう感じじゃなかったけど…。ふむ。私が今もこれまでもひきこもりか微妙だけど、その気質は確かにあるのかもしれない。

2004-03-04-Thu

変われば変わるほど同じ

私は,自己は物語としていったん閉じるときと,物語を開放して新たな物語を作り出すときがあると思う.舞台のメタファーで言えば,いったん第1幕が閉じ,それがひとつのまとまりとなり,「続き」の新たな幕が開く.ちょうどあの手遊びの歌のように・・・
「結んで,開いて,手を打って,結んで.また開いて・・・・・・」

思索工房

*

もうじき親さんの書類作成の仕事が終わるそうで、その手伝いをしていた私も用無しになって再び他の仕事を探すことに。とりあえずここで探そう。というのも女/短期/寮付きなんてここかリゾートバイトくらいしかないから。今の私は接客より工場のほうがいい。

私は何度でもひきこもると思う。ひきこもることそのものを悪いことだと思っていないからそれで全然いいんだけど、外に出たいと思ったときにすぐ出られるようにしておきたい。自分の中にいるヒッキー君を責めたくない。そのために何を用意しておけばいいか。んー、貯金さえあれば何とかなるかな。親元で暮らすにしてもあったほうがいい。でもそれだけ? いや、というかね、ひきこもることを悪いと考えていない&外はたいして怖いとこじゃないと知っている(じゃあ何でこんなことになってんの? いやー、それはさ…)、ってことだけで充分な気もする。つまり気持ちの持ち様? と言ってしまえるものでもないのかなあ。

2004-03-08-Mon

いつかまた会えたらいいね、くらいのゆるい約束

今日、岐阜市で面接を受けてきた。いや、面接というほど大したことはなく、書類記入と身分証明と働く意思の確認だけ。で、めでたく(?)採用されたので10日に鳥取へ行く。遍路へ行くため、良質の寝袋とテントを買うため、3ヶ月間何とかこなしてやるぜい。……と言っても3ヵ月後にはまた違うものを欲しがっているかもしれないけど、それはそれでいい。今はこれでいい。こだわることは別にある。

今日の面接の模様の詳しいことは明日、時間があれば書きたいんだけど、書かなければ3ヶ月後ということで。今日は早朝から夜まで電車に乗ってて疲れたので文章書く気力なし。ちなみに青春18きっぷ使用。就職活動に18きっぷ使う人って珍しいよね。8時間は乗ってたし。2時間は歩いたし。お疲れ様でした。いやいや、これくらいで疲れてちゃ先が思いやられるっつーの。

2004-03-09-Tue

状況説明

5日(金)
ここからWEB応募。以前見たときには、勤務地は静岡辺りが多い印象だったけど、条件(女/短期3ヶ月位/相部屋寮付)を絞ったら鳥取に1件しかなかった。鳥取かあ。
6日(土)
WEB応募した求人情報先と電話で話し、8日に岐阜市で面接することになる。
歯医者へ。最後の予約だっていうのに予約日から2週間以上も遅れてすみませんでした。手遅れ気味の虫歯をいくつも何も言わずに(「こんなにほっとくなんて女失格だ」とか言いたくなっただろうに)治療してくれたこと、そんなふうにして働いている人がいることを教えてくれたこと、ありがとうございました。
母親と買い物。auで携帯電話(A1402S。新機種の割に安かった)を購入&契約。それから、ばあちゃんのいる病院へ。私のことは顔も名前も覚えていないけど、今日のばあちゃんは声も表情もおだやかで、こっちまでおだやかな気持ちになる。しばらくは会えないなあと思いながら口から出る別れの言葉は「バイバイ、またね」。
7日(日)
3週間ぶりにSさんと会う。地元を離れて働くことにしたことを伝えると、もっと早く会いたかったなあ、と淋しがってくれた。お互いの携帯電話で写真を撮り合い、誕生日を教え合う。私はこういう、友達なら当たり前にするようなことを、したいとなかなか言い出せないのでそれが自然にできたことが特別な気がしてうれしかった。私は地元の山や木を眺めるのが好きだからここを離れるのはもったいないな、いやだな、と思っていたけどSさんと初めて会った日に、Sさんがカラオケで歌ったサライの歌詞を初めて見たときに、こんなふうにしてならここを離れても大丈夫かもしれないと思ったんだ。ということを感謝の気持ちとともに伝えたかったけど、淋しそうな顔を見たら言い出せなかった。大丈夫だよ、Sさんも私も前途洋々なんだから。何を洋々とするかによるけど、私から見たら本当に本気でまったくもって洋々だよ。
帰り道にある美容院に「予約なしですけどいいですか?」と入ってみる。あごの下まで伸びていた髪を耳が半分見えるくらい短く切る。すっきり。10歳くらい若返った感じ(つまり中学生みたいになった)。
8日(月)
青春18きっぷを使って岐阜市まで遠征(18きっぷで就職活動する人って珍しいよね)。面接というほどのことはなかった。書類記入による契約と、身分証明と、働く意志の確認をされて採用。希望している条件の職場で早速来てほしいとのことで10日の朝から鳥取へ向かうことになった。
帰りに岐阜駅構内の大きな本屋で、なにかひきこもり関係の本を…とうろうろ探して『「ひきこもり」だった僕から』と『ジョゼと虎と魚たち』を購入。わーい。滅多に買い物しないからなのか、何か買った後ってとても気分がいい。買った物を宝物のように思う。でも依存症だとこの気分はどうなるんだろう?
地元の駅に着くともう夜。星がすごい。ギラギラしてる。空が近い。オリオン座は相変わらず男前だ。
「ひきこもり」だった僕から』読了

ジョゼ虎のほうは文庫で荷物にならないので鳥取に持って行こうと思い、電車の中では『「ひきこもり」〜のほうから読み始める。私はお金は怖くないし、それを手にするための労働にも苦痛を感じない。「天職」にこだわりもない(あっても私には何もないんだから何もできない)。自分を続けてるだけで充分じゃないかと思う。というか私には本当に何もないからな…なんてことを思い、著者の上山和樹さんと私じゃまったく違うわね、と油断してたら「これまで(自分へ)」の後半から幾度となく泣きかけてやばかった。電車の中なんですからね。すっごい空いてたけど。共感するのに共通項の数は関係ないのかな。だったら私もこれからの人間関係に希望が持てますね。

よほどつらそうに見えたのだろう、Sがこう言った。
「本当に我慢できなかったら、死ね。でも、最後に電話してくれな。ひとりで死ぬな。最後、一緒に呑もう」
 泣いてしまった。

「ひきこもり」だった僕から p.102

私も泣いてしまった。これを言えることもすごいけど、まず、死を考えているほど追い詰められている人に寄り添っていられることがすごい。私は「とにかく死ぬな」としか言えないで逃げちゃうと思う。実際言えなくて、結局何か違うと思いながら黙り込んでしまった。だったら最初から関わらなければいいのにと思った。発言の責任を取るのが怖かった。かと言ってそれを忘れてしまうような自分にもうんざりだし。

 大好きな人がいて、自分が死んだらその人が悲しむ。だから死なない。それしか理由はない。
「期待されている」は理由にならない。

「ひきこもり」だった僕から p.237

うん。人との関わりを軽視しているような私がこんな発言したら、いやいや生きてるように見えるかもしれなくてちょっと言えなかったけど、つまりはまさしくこういうことで、そう思えている今は、そう思えていなかった頃より格段に生きやすくなってる。

日記はしばらく更新しません

web日記に出てくる私のキャラは人格障害気味だ。現実の私が実際のところどうなのかはわからないけど、日記を誰かの目を意識して面白おかしく書くことで、現実は日記のキャラに呑まれてしまう。その影響を受けるのが私一人だったら私自身もこのキャラでいるのは面白いから構わないけど、今度はたくさんの人が関わるから楽しいばかりじゃ済まない。しばらくは普通に日記は書くけどwebには書かない。日記を書くのは好きだから、好きなもののせいにしないように。帰ってきたら3ヶ月分をまとめて更新したいと思う。……ですが、ここでは携帯電話のカメラで撮った写真だけは更新するので、たまに覗いて生存確認してやってください。

動機

これも面倒なことを後回しにして逃げてることになるのかなあ、と思う。でも、うーん……。短期間と決めて働きに行くのは、約束を守れる自信がほしいから。お金を稼ぎに行くのは、遍路に行きたいから、道々で使用する良質の寝袋とテントを買いたいから。遍路に行きたいのは、人に良くも悪くも影響を与えるのが怖いから、それでも関わりたいから、その覚悟を決めたいから。遍路に行ったからって覚悟が決まるわけじゃない。覚悟が決まったって何が変わるわけじゃない。お金ができたからってそのとき遍路に行く気があるかわからない。働き出したって1週間ともたずに逃げ帰ってくるかもしれない。でも、それはそれでいい。今はこれでいい。

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