世界設定[00508]
?レダ・サリア戦争(土火戦争)
ユトナ暦778年?785年(リーヴェ・カナン戦争の約40年前)
7年間に渡ったレダとサリアの領土戦争は、レダの守護聖竜クラニオンの出現によってあっけなく終止符が打たれた。猛り狂うクラニオンは800年の歴史を誇る両大国の街や村を次々と破壊し、本来ならば守るべきであるはずのレダの都をまでも、その紅蓮の炎で焼き尽くした。レダ王国の末路は悲惨であった。狂王と呼ばれたアストライオス7世は、自らが呼び出したクラニオンによってその身を焼かれ、レダの一族をも滅亡に追いやった。全ては古の理に反したが故の、哀れな結末であった。
レダの都を炎の海にした後、クラニオンもまた忽然と消えた。人々は荒れ果てた大地に為すすべも無く、ただ呆然と座り込むだけであった。それほどに戦争の傷跡は深く、国家の再建は容易ではなかった。
王家を失ったレダでは、生き残った有力諸侯たちがリーヴェ・カナン両王国の斡旋を受け入れ、サリアとの和平条約に調印した。もはや戦争どころではなかったのである。
<キーワード⇒ユトナ暦785年:レダ・サリア休戦・和平条約の締結>
?レダ王国の滅亡による政情の混乱
ユトナ暦785年?
戦争は終わった。だがレダの民の苦しみは終わったわけではなかった。
レダ王家の滅亡により、レダの支配下にあった各地の勢力(地方領主や自由都市、あるいは無頼集団のようなものまで含む)が統制を失い、各々がかって気ままに領民を支配するようになったのである。法は失われ、争いが日常化し、治安は著しく悪化した。領主の圧制は留まるところを知らず、各地で市民や農民による反乱が繰り返された。支配者側の過酷な弾圧が火に油を注ぎ、旧レダ領内の混乱は日に日に悪化する一方であった。そして、こういった不安定な政情が土台となって、後に大きな災いとなる「ガーゼル教国」が成立してゆくのである。
?ガーゼル教国の誕生
ユトナ暦786年
現在の地に王都が定められて600年、「黄金の都」と形容されるほどに栄華を誇ったレダの都も、クラニオンによって完全に破壊し尽くされ今や見る影も無い。かつては10万とも言われた市民もその多くは戦火を逃れて各地へ離散し、いまだ瓦礫の街に暮らしているのは行く当てを持たない貧しい人々か、後は盗賊くらいなものである。レダの民にとって第一の聖地であった土の神殿(レダ神殿)は王都の100里ほど東、パンタナ・ラグーナにその威容を誇っていたが、これもまた王国と一体であった土の神官家が滅んだことにより、盗賊たちの巣窟となっていた。終戦の翌年(786年)そのレダ神殿に数人の男女が現れた。
彼らは神殿を支配していた盗賊たちを抹殺し、数日後には数百名にも及ぶ人々が西方から新たにやってきた。彼らは神殿とそれに付属する設備(住居や田畑など)を整備し、一年後には数千名が暮らす[神殿都市国家]に変わっていた。彼らは古の宗教「ガーゼル」を信奉する人々で、西方のカナン帝国に属する自治領[ゾーア]から逃れてきた人々であった。彼らはレダ神殿の跡地に古代神ガーゼルを唯一神とする宗教国家を建設したのである。しかし世界はこの辺境の地に起きた出来事について、いまだ何一つ気づいてはいなかった。
<キーワード⇒ユトナ暦786年:レダ神殿の跡地にガーゼル教国が成立>
?ガーゼル教と古ゾーア人/800年にわたって差別・抑圧され続けてきた人々
パンタノ(州)の西隣にあるゾーア(州)は峻厳な岩山が連なる不毛の大地である。カナン帝国(カナン王国とこれを宗主と仰ぐバージェ・ソフィア・アヴァ・ティラードの4王国で形成される)は頑なにガーゼル神を信仰しユトナ教徒への同化を拒む「古ゾーア人」を「民族の保護」という大義名分の下に不毛の土地に強制的に「隔離」している。つまり、カナン帝国の人々にとって「ゾーアの谷」と言えば、流刑地と同義語であった。
だがこれはカナン帝国に限ったことではない。リーヴェ王国では南方の孤島(イル島)に収容所(別名イル牢獄)を設けて古ゾーア人を隔離しつづけてきた。それも男女を別々に収容して子供を作らせないという念の入れようで、547年に聖者モースの諫言を受け入れて状況が緩和されるまで、家畜同様の扱いを強いてきたのである。
?古ゾーア人とは何者なのか/リーヴェリアの暗黒の歴史
島大陸リーヴェリアの歴史は浅い。人々が知る歴史(神話的なものも含めて)はたった1200年程度である。(むろん、人々がこの大地で営みを始めてからという意味ではない。今日的な科学力があればこの大陸に人が住み始めたのは4,5千年前と判別できる)
しかしリーヴェの先住民には文字がなかった。文字をもたらしたのは、1200年前に他の大陸から渡ってきたユグド人である。彼らが残した歴史書や神話・英雄伝説(後に伝承をまとめた物も含め)から、我々はリーヴェの歴史をある程度知ることができる。
事の始まりは約1000年前、リーヴェ河に沿って国家を建設しつつあった農耕民族のユグド人と大陸西部の丘陵や山岳地帯で狩猟や放牧を生業とする先住民族ゾーア人との接触したことにあった。豊かなユグド人の暮らしを知ったゾーア人は獲物が取れなくなって飢えると彼らの村落を襲い略奪をする。そればかりか家を焼き女、子供を拉致する。むろんユグド人も黙ってはいない。野蛮なゾーア人に対して報復する。そんなことが何十年も繰り返されるうち、ついには全面的な戦争となった。そうなれば文化に優れるユグド人の方が有利で、優秀な武器と組織的な軍隊でゾーア人を圧倒した。このとき、ユグド側にもう少しましな指導者がいれば、話し合いにより解決できたのだろうが、時の指導者はこの機会にゾーア人を徹底的に排除しようと考えた。つまり民族の抹殺(ジェノサイト)を図ったのである。これは結果的にゾーア人に拭い去ることの出来ない憎悪を植え付けることになった。
そして運命の日を迎える。ゾーア人が唯一神として仰ぐ破壊の神ガーゼルが、1人の若い部族長の身に降臨したのであった。 絶対無比の力を手に入れたその若者(カルバザン)はユグド人に徹底的な報復を行い、その後100年間、地上に君臨した。そして暗黒の帝王となったカルバザンとゾーア帝国を打ち滅ぼしたのは、カーリュオンという青年とユトナという少女。カーリュオンはゾーア人の反乱奴隷で、ユトナは生贄として祭壇に送り込まれたユグド人の少女だった。帝国の滅亡後、二人は結ばれ、協力して荒廃した大陸を立て直した。今のリーヴェの地に王都を建設し、元々ユーゼリアという国名であったものを、ユグド後で「愛」を意味する「リーヴェ」という国名に変えた。(ちなみに他の3国、ゼムセリア、ラゼリア、ノルゼリアはそのまま今日の公国名に受け継がれている。リーヴェ大陸、リーヴェ河などの名称も、リーヴェ王国の誕生から派生したもので、古代には別の名称で呼ばれていた。)
カーリュオンとユトナは、大陸に住む全ての人々に訴えたという。長く不幸な時代はあったけれど、今ここに生き残った人は憎しみを後世に残してはならない。もしそれが出来ないのであれば、いずれ必ず人類は滅びるであろう。ゆえに私は、新しく生まれたこの王国に「愛」という名をつけた。1000年の後まで、あなたの息子たち、私の娘たちが、その想いを忘れることがないように。と。
彼は後に、ユトナとの間に生まれた娘たちにも、その想いを受け継ぐように
長女リーヴェ(ユグド語で慈愛という意味)
次女カナン(ゾーア語で勇気という意味)
三女サリア(中部草原に住む先住民の言葉で美徳という意味)
四女レダ(大陸東部の森に住む先住民の言葉で協調という意味)
という名前を与えた。
カーリュオンの想いは、彼の治世40年間とその死後50年間あまりは守られた。
ゾーア帝国で実際に罪を犯したものは裁判の後、法に照らして罰せられたが、その罪が家族に及ぶことはなかった。またカーゼル教を信仰し続けるものにも、リーヴェ王国の法を守る限りは何ら差別することはなかった。だが4王国の誕生(ユトナ女王死去の年/ユトナ暦元年)と、幾度かの世代を重ねるうちにカーリュオンの遺訓はしだいに忘れ去られ、頑なに宗教を守り同化を拒むガーゼル信者を疎ましく思う人々が増えていった。特にガーゼル教徒が多いカナン王国(この当時はカナンの他の4カ国は成立していない)では、国家の恥とする人も多く、民衆の中にガーゼル教徒を憎悪し、迫害する者が増え続けた。これにはリーヴェとの対抗意識の中でカーリュオンをカナン人の誇りとする思い、英雄伝説への憧れが敵役であるガーゼル神への憎悪と結びついているに加え、そのガーゼルをいまだ信仰する人間は帝国に荷担した悪人たちの子孫であり、さらにはカルバザン皇帝の子孫であるとまで思い込む人たちが増えたことにある。これは誤解であることは言うまでも無いのだが、(原始宗教であるガーゼル教を信仰する人は、帝国とは何の関係も無い素朴な山岳放牧民や開拓農民に多かった。彼らは生活が閉ざされているが故にユトナ信仰など新しい宗教に接する機会に恵まれず、ただ昔から知っている、親から子へと代々受け継いできた宗教であるに過ぎなかった。宗教とは一度受け入れてしまうと途中で改宗するのは難しい。なぜなら罪悪感が伴い、無意識に神の報復を恐れるからである)この誤解が後には、ガーゼル教徒自身の思い込みの下地となり、彼らに新たな選民思想(自分たちは偉大なるゾーア帝国の支配者の子孫であり、ユトナ信者は奴隷たちの子孫である)を与えることになる。すなわち、ガーゼル光臨伝説への期待、救済への憧れ、選ばれた民である自分たちガーゼル信徒を侮辱し苦しめるものたち(つまりユトナ信徒)への天罰を思い願うようになるのである。
この状況はユトナ暦3世紀頃からますます顕著になり、カーゼル教徒は益々頑なになってゆく。そしてユトナ教徒(彼らは聖職者でもない限り、別段宗教心が強いわけではない、またユトナは多神教であるユグド神話信仰の中の比較的新しい女神であるに過ぎない、一応リーヴェ4王国の守護女神ではあるが、一般民衆にとっては困ったときの神頼み程度の対象であったようだ。現に大陸には神殿や修道院は多いが、ユトナ女神を祭っているのは王家の4神殿のみで他はそれぞれに目的(ご利益)を有する雑多な神々が祭られている。彼らはユトナを信仰するからガーゼル教徒を疎ましく思うのではなく、彼らの他を省みないあまりに独善的で頑固な姿勢が腹立たしいだけなのである)との間でトラブルが続発するようになり、流血沙汰や暴動も起こり始める。罪を犯したガーゼル教徒を牢屋に入れると他の囚人からリンチを受けて死亡する事例も起こり、頭を痛めたリーヴェ王国では王国南部の海に浮かぶ孤島にガーゼル教徒専用の収容所を建設した。これが312年のことであるのだが、その半世紀後には悪名高いサムオロス王がガーゼル教の禁令を発布し、改宗を拒む大量のゾーア教徒を捕らえてイル島の収容所に送り込んだ。ピーク時には2万人もの人々が小さな島に送り込まれ、過酷な環境の中で半数以上が死亡したと伝えられている。これ以降、モースの改革まで2世紀にわたって悪辣な隔離政策は続けられた。モースの改革により島での自治は許されたが強制隔離政策は近年まで続けられ、正式に法律が撤廃されたのはリュナン・セリオス王による841年の改革まで待たねばならない。
ユトナ暦778年?785年(リーヴェ・カナン戦争の約40年前)
7年間に渡ったレダとサリアの領土戦争は、レダの守護聖竜クラニオンの出現によってあっけなく終止符が打たれた。猛り狂うクラニオンは800年の歴史を誇る両大国の街や村を次々と破壊し、本来ならば守るべきであるはずのレダの都をまでも、その紅蓮の炎で焼き尽くした。レダ王国の末路は悲惨であった。狂王と呼ばれたアストライオス7世は、自らが呼び出したクラニオンによってその身を焼かれ、レダの一族をも滅亡に追いやった。全ては古の理に反したが故の、哀れな結末であった。
レダの都を炎の海にした後、クラニオンもまた忽然と消えた。人々は荒れ果てた大地に為すすべも無く、ただ呆然と座り込むだけであった。それほどに戦争の傷跡は深く、国家の再建は容易ではなかった。
王家を失ったレダでは、生き残った有力諸侯たちがリーヴェ・カナン両王国の斡旋を受け入れ、サリアとの和平条約に調印した。もはや戦争どころではなかったのである。
<キーワード⇒ユトナ暦785年:レダ・サリア休戦・和平条約の締結>
?レダ王国の滅亡による政情の混乱
ユトナ暦785年?
戦争は終わった。だがレダの民の苦しみは終わったわけではなかった。
レダ王家の滅亡により、レダの支配下にあった各地の勢力(地方領主や自由都市、あるいは無頼集団のようなものまで含む)が統制を失い、各々がかって気ままに領民を支配するようになったのである。法は失われ、争いが日常化し、治安は著しく悪化した。領主の圧制は留まるところを知らず、各地で市民や農民による反乱が繰り返された。支配者側の過酷な弾圧が火に油を注ぎ、旧レダ領内の混乱は日に日に悪化する一方であった。そして、こういった不安定な政情が土台となって、後に大きな災いとなる「ガーゼル教国」が成立してゆくのである。
?ガーゼル教国の誕生
ユトナ暦786年
現在の地に王都が定められて600年、「黄金の都」と形容されるほどに栄華を誇ったレダの都も、クラニオンによって完全に破壊し尽くされ今や見る影も無い。かつては10万とも言われた市民もその多くは戦火を逃れて各地へ離散し、いまだ瓦礫の街に暮らしているのは行く当てを持たない貧しい人々か、後は盗賊くらいなものである。レダの民にとって第一の聖地であった土の神殿(レダ神殿)は王都の100里ほど東、パンタナ・ラグーナにその威容を誇っていたが、これもまた王国と一体であった土の神官家が滅んだことにより、盗賊たちの巣窟となっていた。終戦の翌年(786年)そのレダ神殿に数人の男女が現れた。
彼らは神殿を支配していた盗賊たちを抹殺し、数日後には数百名にも及ぶ人々が西方から新たにやってきた。彼らは神殿とそれに付属する設備(住居や田畑など)を整備し、一年後には数千名が暮らす[神殿都市国家]に変わっていた。彼らは古の宗教「ガーゼル」を信奉する人々で、西方のカナン帝国に属する自治領[ゾーア]から逃れてきた人々であった。彼らはレダ神殿の跡地に古代神ガーゼルを唯一神とする宗教国家を建設したのである。しかし世界はこの辺境の地に起きた出来事について、いまだ何一つ気づいてはいなかった。
<キーワード⇒ユトナ暦786年:レダ神殿の跡地にガーゼル教国が成立>
?ガーゼル教と古ゾーア人/800年にわたって差別・抑圧され続けてきた人々
パンタノ(州)の西隣にあるゾーア(州)は峻厳な岩山が連なる不毛の大地である。カナン帝国(カナン王国とこれを宗主と仰ぐバージェ・ソフィア・アヴァ・ティラードの4王国で形成される)は頑なにガーゼル神を信仰しユトナ教徒への同化を拒む「古ゾーア人」を「民族の保護」という大義名分の下に不毛の土地に強制的に「隔離」している。つまり、カナン帝国の人々にとって「ゾーアの谷」と言えば、流刑地と同義語であった。
だがこれはカナン帝国に限ったことではない。リーヴェ王国では南方の孤島(イル島)に収容所(別名イル牢獄)を設けて古ゾーア人を隔離しつづけてきた。それも男女を別々に収容して子供を作らせないという念の入れようで、547年に聖者モースの諫言を受け入れて状況が緩和されるまで、家畜同様の扱いを強いてきたのである。
?古ゾーア人とは何者なのか/リーヴェリアの暗黒の歴史
島大陸リーヴェリアの歴史は浅い。人々が知る歴史(神話的なものも含めて)はたった1200年程度である。(むろん、人々がこの大地で営みを始めてからという意味ではない。今日的な科学力があればこの大陸に人が住み始めたのは4,5千年前と判別できる)
しかしリーヴェの先住民には文字がなかった。文字をもたらしたのは、1200年前に他の大陸から渡ってきたユグド人である。彼らが残した歴史書や神話・英雄伝説(後に伝承をまとめた物も含め)から、我々はリーヴェの歴史をある程度知ることができる。
事の始まりは約1000年前、リーヴェ河に沿って国家を建設しつつあった農耕民族のユグド人と大陸西部の丘陵や山岳地帯で狩猟や放牧を生業とする先住民族ゾーア人との接触したことにあった。豊かなユグド人の暮らしを知ったゾーア人は獲物が取れなくなって飢えると彼らの村落を襲い略奪をする。そればかりか家を焼き女、子供を拉致する。むろんユグド人も黙ってはいない。野蛮なゾーア人に対して報復する。そんなことが何十年も繰り返されるうち、ついには全面的な戦争となった。そうなれば文化に優れるユグド人の方が有利で、優秀な武器と組織的な軍隊でゾーア人を圧倒した。このとき、ユグド側にもう少しましな指導者がいれば、話し合いにより解決できたのだろうが、時の指導者はこの機会にゾーア人を徹底的に排除しようと考えた。つまり民族の抹殺(ジェノサイト)を図ったのである。これは結果的にゾーア人に拭い去ることの出来ない憎悪を植え付けることになった。
そして運命の日を迎える。ゾーア人が唯一神として仰ぐ破壊の神ガーゼルが、1人の若い部族長の身に降臨したのであった。 絶対無比の力を手に入れたその若者(カルバザン)はユグド人に徹底的な報復を行い、その後100年間、地上に君臨した。そして暗黒の帝王となったカルバザンとゾーア帝国を打ち滅ぼしたのは、カーリュオンという青年とユトナという少女。カーリュオンはゾーア人の反乱奴隷で、ユトナは生贄として祭壇に送り込まれたユグド人の少女だった。帝国の滅亡後、二人は結ばれ、協力して荒廃した大陸を立て直した。今のリーヴェの地に王都を建設し、元々ユーゼリアという国名であったものを、ユグド後で「愛」を意味する「リーヴェ」という国名に変えた。(ちなみに他の3国、ゼムセリア、ラゼリア、ノルゼリアはそのまま今日の公国名に受け継がれている。リーヴェ大陸、リーヴェ河などの名称も、リーヴェ王国の誕生から派生したもので、古代には別の名称で呼ばれていた。)
カーリュオンとユトナは、大陸に住む全ての人々に訴えたという。長く不幸な時代はあったけれど、今ここに生き残った人は憎しみを後世に残してはならない。もしそれが出来ないのであれば、いずれ必ず人類は滅びるであろう。ゆえに私は、新しく生まれたこの王国に「愛」という名をつけた。1000年の後まで、あなたの息子たち、私の娘たちが、その想いを忘れることがないように。と。
彼は後に、ユトナとの間に生まれた娘たちにも、その想いを受け継ぐように
長女リーヴェ(ユグド語で慈愛という意味)
次女カナン(ゾーア語で勇気という意味)
三女サリア(中部草原に住む先住民の言葉で美徳という意味)
四女レダ(大陸東部の森に住む先住民の言葉で協調という意味)
という名前を与えた。
カーリュオンの想いは、彼の治世40年間とその死後50年間あまりは守られた。
ゾーア帝国で実際に罪を犯したものは裁判の後、法に照らして罰せられたが、その罪が家族に及ぶことはなかった。またカーゼル教を信仰し続けるものにも、リーヴェ王国の法を守る限りは何ら差別することはなかった。だが4王国の誕生(ユトナ女王死去の年/ユトナ暦元年)と、幾度かの世代を重ねるうちにカーリュオンの遺訓はしだいに忘れ去られ、頑なに宗教を守り同化を拒むガーゼル信者を疎ましく思う人々が増えていった。特にガーゼル教徒が多いカナン王国(この当時はカナンの他の4カ国は成立していない)では、国家の恥とする人も多く、民衆の中にガーゼル教徒を憎悪し、迫害する者が増え続けた。これにはリーヴェとの対抗意識の中でカーリュオンをカナン人の誇りとする思い、英雄伝説への憧れが敵役であるガーゼル神への憎悪と結びついているに加え、そのガーゼルをいまだ信仰する人間は帝国に荷担した悪人たちの子孫であり、さらにはカルバザン皇帝の子孫であるとまで思い込む人たちが増えたことにある。これは誤解であることは言うまでも無いのだが、(原始宗教であるガーゼル教を信仰する人は、帝国とは何の関係も無い素朴な山岳放牧民や開拓農民に多かった。彼らは生活が閉ざされているが故にユトナ信仰など新しい宗教に接する機会に恵まれず、ただ昔から知っている、親から子へと代々受け継いできた宗教であるに過ぎなかった。宗教とは一度受け入れてしまうと途中で改宗するのは難しい。なぜなら罪悪感が伴い、無意識に神の報復を恐れるからである)この誤解が後には、ガーゼル教徒自身の思い込みの下地となり、彼らに新たな選民思想(自分たちは偉大なるゾーア帝国の支配者の子孫であり、ユトナ信者は奴隷たちの子孫である)を与えることになる。すなわち、ガーゼル光臨伝説への期待、救済への憧れ、選ばれた民である自分たちガーゼル信徒を侮辱し苦しめるものたち(つまりユトナ信徒)への天罰を思い願うようになるのである。
この状況はユトナ暦3世紀頃からますます顕著になり、カーゼル教徒は益々頑なになってゆく。そしてユトナ教徒(彼らは聖職者でもない限り、別段宗教心が強いわけではない、またユトナは多神教であるユグド神話信仰の中の比較的新しい女神であるに過ぎない、一応リーヴェ4王国の守護女神ではあるが、一般民衆にとっては困ったときの神頼み程度の対象であったようだ。現に大陸には神殿や修道院は多いが、ユトナ女神を祭っているのは王家の4神殿のみで他はそれぞれに目的(ご利益)を有する雑多な神々が祭られている。彼らはユトナを信仰するからガーゼル教徒を疎ましく思うのではなく、彼らの他を省みないあまりに独善的で頑固な姿勢が腹立たしいだけなのである)との間でトラブルが続発するようになり、流血沙汰や暴動も起こり始める。罪を犯したガーゼル教徒を牢屋に入れると他の囚人からリンチを受けて死亡する事例も起こり、頭を痛めたリーヴェ王国では王国南部の海に浮かぶ孤島にガーゼル教徒専用の収容所を建設した。これが312年のことであるのだが、その半世紀後には悪名高いサムオロス王がガーゼル教の禁令を発布し、改宗を拒む大量のゾーア教徒を捕らえてイル島の収容所に送り込んだ。ピーク時には2万人もの人々が小さな島に送り込まれ、過酷な環境の中で半数以上が死亡したと伝えられている。これ以降、モースの改革まで2世紀にわたって悪辣な隔離政策は続けられた。モースの改革により島での自治は許されたが強制隔離政策は近年まで続けられ、正式に法律が撤廃されたのはリュナン・セリオス王による841年の改革まで待たねばならない。