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東日本大震災(福島原発)(ニュース特集)

【原発と国家・神話崩壊】目前の危機防げず 電動ベントに固執

 3月12日午前7時すぎ、班目春樹原子力安全委員長と一緒に自衛隊のヘリコプターで福島第1原発に乗り込んだ菅直人首相は、東京電力の武藤栄副社長を怒鳴りつけた。「早く説明しろ」。視察は、原子炉格納容器から放射性物質を含む蒸気を逃がす非常手段「ベント」を迫るためだった。

 1号機の容器内の圧力は未明に設計圧力の2倍を超え、危機は目前にあった。免震重要棟2階の会議室で武藤副社長、吉田昌郎(よしだ・まさお)所長と向かい合う。関係者によると、東電側は「作業員が手動でベントするかどうかは1時間後に決めたい」「4時間後なら電気を復旧させ、電動ベントができるかも」と説明したという。

 あくまで電源復旧に固執する東電。「悠長なことをやっている場合じゃない。どういう形でもいいから早くやれ」。首相は一蹴し、進んでいなかった作業は午前9時すぎから、手動での実施に向けようやく動き始める。

 ベントはしたものの、午後3時36分、1号機の原子炉建屋は容器から漏れた水素で爆発する。「ガタン!」。建屋に向かう乗用車と消防ポンプ車が巨大な衝撃で跳ね上がり、若手作業員は約100メートル先の建屋上部の屋根と壁がごっそりとなくなっているのを見た。

 近くの建物のガラスが粉々になり、破片が飛ぶ。免震棟の扉は枠組みが大きくゆがんだ。けがで足を引きずり逃げる人も。「被ばくして、もうじき死ぬんだな」。思いが頭をかすめた。

 3基の原発でメルトダウン(炉心溶融)が同時に進む世界初の過酷事故に見舞われた福島第1原発。人間の制御を離れ放射性物質を吐き出し続ける"怪物"と、なりふり構わぬ闘いが続いた。安全神話は崩れさった。

  ×  ×  ×

 東日本大震災が発生した3月11日の午後3時半ごろ。4号機の原子炉建屋にいた作業員(23)は高台の事務所へ逃げる途中、異変を見た。「あれ何だっぺというくらいの引き波だった」。防波堤付近の水位が信じられないくらい下がっていた。

 別の作業員(54)は強烈な揺れとともに「ごおー」という、うなるような音を聞いた。「早くしろ」。舞い上がるほこりにせき込み、数十人が殺到する出口へ。線量計を床に投げつけ外へ出た。

 「ステーションブラックアウト!」。午後3時37分、東京・内幸町の東電本店に置かれた非常災害対策本部で怒気交じりの声が飛んだ。原発の安全設計審査指針が「考慮の必要はない」と切り捨てていた長時間の全電源喪失が始まった。「どうして...」。中堅の幹部社員は立ち尽くした。

 ▽70トンの塊

 炉心の燃料は、制御棒の挿入で核分裂反応が止まっても「崩壊熱」を発し続ける。電源を失い冷却できないとメルトダウンに至る。それでも東電はまだ時間的余裕があるとみていた。8時間は緊急冷却機器のバッテリーが稼働する。その間に外部電源を復旧させられればという期待があった。

 午後5時すぎ。東電は管内10の全支店に「福島に電源車をかき集めろ」と指令した。しかし地震や津波で道路は寸断、至る所で渋滞していた。「思うように進めない」。本店に悲鳴のような報告が次々に入る。

 1号機炉内ではこのころ、長さ約4メートルの燃料棒の束が高温で溶け、圧力容器を満たした水が蒸発。午後7時半ごろ燃料がむき出しになった。やがて燃料を覆う被覆管が破れ、直径約1センチの燃料の塊(ペレット)が落下。12日朝までに全て溶け落ちた。底にたまった約70トンの塊は、容器を溶かして外に出れば、多数の人間を殺傷しかねない。

 午後11時、初めて東北電力の電源車が到着。自衛隊車両も含む十数台が集まったのは12日朝だった。しかし、敷地にはがれきが散乱し、建屋に近づけない。用意したケーブルも短すぎた。さらに「設備が津波で浸水し、無理につなげばショートする」(東電幹部)恐れも。大きな望みをかけた電源車は無力だった。

 免震棟では、居合わせた社員全員に呼び掛け、止めてあるマイカーのバッテリーを外して1号機に運ぶことまで試みていた。建屋脇に数十個のバッテリーを直列につなぎ、原子炉の水位や圧力を計る機器類の電源にしようとしたが、功を奏したかは不明だ。

 ▽新たな爆発

 最悪のシナリオは3号機でも進行していた。13日午前2時42分、原子炉への注水がストップし、冷却機能が失われる。東電はその存在すら公表していないが、この日午前、放射性物質を含む蒸気が漏れ出した3号機の建屋に、6人の作業員が足を踏み入れていた。

 防護服に防水ジャケット、ボンベを背負った作業員が、取っ手をゆっくり回して分厚い扉を開く。真っ暗な内部をヘッドライトと懐中電灯がぼんやり照らし出した。「シュー、シュー」。酸素を供給する音だけが響く。

 電源を失った発電所で、高い線量にさらされながら続いた人力による復旧作業。建屋は翌14日の午前11時すぎに1号機と同様に水素爆発し、社員や、危険を知らされていなかった自衛隊員ら11人がけがを負った。

 15日早朝、2号機の圧力抑制プール付近で爆発音。約730人が敷地外へ一斉退避し、約70人が第1原発にとどまった。4号機で火災が発生し、退避した作業員もすぐに呼び戻された。

 東電は残留者を50人と発表、海外メディアは「フクシマ・フィフティーズ」ともてはやした。国家の危機に立ち向かう"決死隊"のイメージが膨らむ。だが、今も現場にとどまる20代の社員はひとりごちる。「残った管理職が出す指示はいいかげんなものが多かった。どんどん若手が現場に行かされた」

(2011年6月 1日)


■泥縄対応、無用な混乱 3号機注水、遅延させる 民間事故調が報告書

 東京電力福島第1原発事故について民間の有識者でつくる「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調、北沢宏一(きたざわ・こういち)委員長)は27日、事故当初の官邸の対応について「泥縄的で、無用な混乱により状況を悪化させる危険性を高めた」とする報告書をまとめた。

 菅直人前首相ら官邸で対応に当たった政治家や専門家らから事情聴取。原子力災害対策マニュアルが想定しない地震・津波との複合災害に対し、省庁や事業者による役割分担を飛び越えた官邸の介入を批判。3号機への注水について、官邸で淡水を優先すべきとの意見が出たのを受け、現場でつくっていた海水注入ラインをやり直した例を挙げ「作業を遅延させた」と指摘した。

 そうした状況を、官邸中枢チームのメンバーは「(子どものサッカーのように)一つのボールに集中しすぎた」「場当たり的」と述べたという。

 報告書によると、福山哲郎官房副長官(当時)は災害対策について「細かいマニュアルを当時知らなかった」と述べるなど、チームは基礎的知識に欠けていた。

 菅首相は、トップダウン型で強い個性を発揮する半面、組織の指揮系統を通じた情報に不信を抱き、個人的アドバイザーに頼っていたと記述。

 地下の危機管理センターで携帯電話が使えない問題があったとして、改善を求めた。

 発生2日目の昨年3月12日に1号機の原子炉建屋が水素爆発したが状況確認できず、枝野幸男官房長官(同)は情報のない中、記者会見であいまいな答えに終始。民間事故調に対し「あのときほどつらい記者会見はなかった」と話したという。

 放射性物質の飛散が増えた昨年3月15日は、住民避難の観点から「運命の日」と指摘。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)を避難に活用できなかった国の失態を批判し「原発を維持し、住民の安心を買うための『見せ玉』にすぎなかった」と記した。

 報告書は、米原子力規制委員会(NRC)が、2001年9月の米中枢同時テロを機に作成した「原子力施設に対する攻撃の可能性」を08年までに少なくとも2回、日本側に示したと紹介。原発の防護を厚くするきっかけになり、事故対応に役立つ可能性があったが生かせず「規制当局の重大な不作為」と批判した。

 民間事故調は、政府や国会に設置された事故調とは独立した立場から、互いに補い合う調査を目的に掲げている。


■【東電賠償】原発事故賠償が本格化 東京電力、数兆円規模

 福島第1原発事故の被害者に対する東京電力の賠償金支払いがようやく本格化する。損害は避難住民や中小企業、農家などに広がり、風評被害も含めると総額は数兆円規模に上ると想定される。賠償金支払いをめぐる現状と課題を探った。

 原発事故の賠償 原子力損害賠償法に基づき、数兆円規模とされる福島第1原発事故の賠償金は原則として東京電力が支払う。賠償範囲は、文部科学省の「原子力損害賠償紛争審査会」が決定。長期間の避難生活を強いられた住民の精神的苦痛のほか、農水産物の出荷制限や風評被害に伴う価格下落なども対象とした。政府は賠償金支払いに万全を期すため、「原子力損害賠償支援機構」を柱とする法的枠組みを整備した。賠償金の仮払いは9月27日時点で計1291億円となった。

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■放射線量、詳細な地図で 文科省がホームページ

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 文部科学省は18日、東京電力福島第1原発事故に伴う放射性セシウムの濃度や放射線量の分布を、従来より詳細な地図で確認できるホームページを開設した。市町村別の大まかな傾向でなく、地区ごとの違いを知りたいとの住民の要望に応えた。

 すでに公表している土壌分析や航空機測定のデータを利用。東北や首都圏の各県で、地図をズームアップしながら表示できる。ホームページのアドレスはhttp://ramap.jaea.go.jp/


■原発事故で相談電話開設 政府や専門の研究機関

 東京電力福島第1原発事故を受け、政府や被ばく医療の専門機関が、放射線の健康への影響などについて市民の相談を受け付ける電話窓口を開設している。

 経済産業省原子力安全・保安院は、原発事故の全般的な状況などの問い合わせに毎日24時間対応する。電話番号は03(3501)1505。

 文部科学省は健康相談ホットラインを開設。放射線や放射線の影響に詳しい相談員が応対する。毎日午前9時から午後9時までで、電話番号フリーダイヤル(0120)755199。

 放射線医学総合研究所は、被ばく医療や、放射性物質が体に付着した場合の除染方法などを解説する。毎日午前9時から午後9時までで、電話番号043(290)4003(11日から)。

 首相官邸のホームページには原発事故に関連する情報がまとめて掲載されている。


放射線と健康不安

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から半年が過ぎた。外部へ放出された大量の放射性物質は環境を汚染し、野菜や牛肉など身近な食品から検出が相次いだ。健康被害を防ぐため国が設定した食品の暫定基準値は、秋以降に見直し作業が本格化する。家族で囲む食卓への影響は今も続き、妊婦も不安に直面したままだ。長期化する原発事故の影響。出口はまだ見えない。

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