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沈められた湯の中で「私が死ねば、大好きなお父ちゃんは楽になる」

産経新聞 4月8日(日)20時59分配信

 【虐待越えて タエコの40年(4)実父】元来、心優しい人だった。小学2年から約6年間にわたって両親から虐待を受け続けた島田妙子さん(40)は、妙子さんを死の淵にまで追い込んだことのある実父について「あのころは魔法にかかっていた」と評した。

 ■「産んだわけでもないクソガキ」

 大好きだった。幼いころは、お風呂に入った際に、兄妹3人でおとうちゃんの背中を流す役を競い合った。

 《両親の離婚は妙子さんが5歳になる少し前。小学2年のときに父が再婚し、妊娠を境に継母の虐待が始まった。最初は守ってくれた父だが、すぐに継母とともに兄妹3人の虐待を始めるようになった》

 弟が生まれ、子育てに熱心でない継母に代わり、わたしや小兄(しょうにい)(2番目の兄)が弟と遊んでやることが多かった。

 そんなある日、弟がこたつにつかまり立ちしようとして後ろ向きに倒れ、頭をこたつの角で打った。弟は血を流していた。継母は「絶対許さん」と怒り、わたしを裸にして靴べらでめった打ちし、体中にみみずばれができた。これを機に、お父ちゃんに継母の虐待がばれ、怒ったお父ちゃんは継母をげんこつで殴った。

 これで継母の虐待は終わると思ったが、継母は「誰が、自分で産んだわけでもないクソガキの面倒みてやってると思うとんねん」と激高。継母の虐待はおさまることなく、逆に、お父ちゃんも虐待に加わる地獄の日々が始まった。

 小3の冬だった。お父ちゃんはそのころ酒浸りの日々。兄妹3人のことをあれこれ言い募る、いつもの継母の「口攻撃」が始まり、「やばい、せっかんが始まる」と思っていたところ、お父ちゃんと目が合った。

 「なんや、その目は。親に対してその目はなんや」と怒鳴ったかと思うと、お父ちゃんはわたしの着ていた服を破り、体を押さえつけて継母に「包丁もってこい」と叫んだ。継母が動かないため、お父ちゃんは自分で台所に包丁を取りにいった。

 怖くなったわたしははだしで外に飛び出し、「助けて」と叫んだ。雪が降る日で、外では隣の親子が雪遊びをしており、わたしに続いて現れた包丁を持ったお父ちゃんを見てびっくり。さすがに見かねた継母がお父ちゃんを注意し、お父ちゃんは我にかえった。

 ■終わらぬ地獄

 でも、地獄はそれで終わらなかった。体をあたためようと風呂に入っていたら、お父ちゃんが入ってきて、わたしの髪をつかみ頭をお湯の中に沈めた。何度も何度も。わたしは「もうあかん」と思い、同時に「死んだらお父ちゃんはもう虐待をしなくて済む。お父ちゃんを助けられる」と思った。継母が再度止めに入り、それで終わったが、お父ちゃんは「これで、気が済んだやろ」と継母に言った。

 よく分からないが、このころのお父ちゃんは、継母のマインドコントロール下にあったのだと思っている。ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる継母を抑えることができず、せっかんしていたんではないかと。湯船のせっかんが終わったあと、父の顔には涙が浮かんでいた。わたしはそう記憶している。

 《虐待が発覚し、父は継母と離婚。妙子さんは養護施設に入り、大兄(だいにい)(1番上の兄)は家を出た。父は小兄と団地で暮らすことになった。妙子さんは中学2年だった》

 小兄に会いたかった。休みの日に養護施設を無断で抜け出して、団地に行った。父に会うのは怖かったが、小兄にいざなわれて家に入ると、父は「施設に電話しとかな。心配してはるわ」。昔のやさしかった父だった。そして「ほんま悪かった。ほんますまんかった」とわびてくれた。昔のお父ちゃんが戻ったと思った。

 その翌年のクリスマス、父が自殺を図った。小兄の発見が早くて命はとりとめた。原因は分からない。

 《父は幼いころ、両親と生き別れ、施設で育った。妹がいたが母親に引き取られていた。その後何回か会っていたらしい。妹に連絡すると「(父の)面倒をみたい」と強く主張し、父は妹が家族とともに暮らす東京へ。妙子さんも中学卒業と同時に上京した》

 父の妹の家に住まわせてもらい、アルバイトをしながら父の病院に通った。最初は親切だった妹が、父の世話の負担から精神的にまいり、上京から3カ月ほどで「神戸に帰ってほしい」と言われた。

 父死亡の知らせが来たのは昭和63(1988)年8月。神戸に本社のある冷凍食品会社に正社員として採用され、働いていたときだった。

 急いで東京に向かう新幹線に飛び乗った。父が安置されている郊外の寺までタクシーで向かった。甘く見られたか、運転手に乱暴されそうになるトラブルもあり、なんとかたどりついたら午前3時になっていた。父はガリガリにやせていた。

 葬儀に小兄は間に合わなかった。仕事を終えてからバイクで神戸から駆けつけることになっていた。葬儀には、生き別れた父の母親も来た。斎場で待機しているときに「何時までかかるかなあ。夕方に歯医者の予約が入っているのよ」などと話すひどい母親だった。父のお骨は、知人の世話で共同墓地にいれてもらうことができた。無縁仏にならなくて本当によかった。

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最終更新:4月8日(日)20時59分

産経新聞

 

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