――9月17日 早朝 帝都・宿屋
セットしていたアラームが鳴り響く音で目を覚ます。
ベッドから下りて体を伸ばし、バスルームで簡単に身支度を整える。
最近では寝巻き代わりにしている初期装備から、月見さんが仕立ててくれた和装へと着替えた。
そして変わることの無い仮想の外見を、無意識の内に鏡で確かめている自分に気付く。現実世界の習慣がまだ残っている証拠だ。
俺は小さな苦笑いを鏡に一度だけ映し、バスルームを出た。
ベッドの脇に移動する。チェストの上に置いてあった皮袋と長鉈を剣帯へ装着した。
これで準備完了だ。
シングルルームを出てダブルルームへ。待ち合わせ時間の5分前までにはつけそうだ。
歩きながら長鉈の柄を撫でる。
ザラザラとしたサメ皮の感触がそこにあった。
いつからだろうか? 腰の長鉈を左手で触っていないと落ち着かなくなったのは?
これは仮想世界で身についた新たな習慣だった。
きっと現実世界に戻れた後もこのクセは残るだろう。完全に染み付いてしまった。
普段メガネをかけている人がコンタクトレンズに変えた後も、気が付くとメガネのズレを直そうとしてしまう、そんなクセだった。
◇◇◇
待ち合わせ時間のちょうど5分前に、ハゼの泊まる部屋前に到着した。
実のところ、こうしてハゼの部屋に朝早く訪れるのは、これが初めてだったりする。
いつもは酒場で待ち合わせているため、なんだか妙な気分だ。
この部屋で合ってた・・・よな?
よく分からない不安を抱えながら、マホガニー調の純木のドアをノックした。
乾いた音が2回鳴り響く。
「ジン? 開いてるから入っていいわよ」
はっきりとしたハゼの声を聞いてホッとする。
まるで友人宅のチャイムを初めて鳴らす時のような、妙な緊張感だった。
そんな自分を軽く笑いながらダブルルームへと入る。
部屋に入ると、すでに身支度をすませていたハゼが中腰になり、ベッドの横に立っていた。
中腰のせいで形の良い尻が突き出されている。
清く正しい本能に従ってガン見しそうになるが、昨晩のこともあるので理性で押し殺した。
「どうしたんだ?」
「レライがなかなか起きてくれないのよ」
中腰のまま首を回し、俺の方へと振り返ったハゼが困り果てた声でそう言った。
尻の――いやいや。ハゼの向こう側を見やると、ダブルベッドの上にぺたんと座り込んだ少女がいた。すでに白い外套を着せられており、身支度もすんでいるようなのだが・・・。眠たげな眼を手の甲でこすり、小さな欠伸を漏らしていた。
眠たげな少女を、ハゼが目線を合わせて説きふせようとしているが、なかなかベッドから立ち上がってくれないようだ。
「朝起きてからずっとこうなの」
今度は背筋を伸ばしてから、ハゼが俺の方へと振り向いた。
さらに軽く首を傾げて、「どうする?」と目で問いかけてくる。
昨晩話し合った結果、今日はルイージの酒場で朝食をすませ、すぐに魔法都市グレイプニルに向かう予定だ。そして魔法都市に到着したら、まずは酒場でギルドメンバー募集登録を行うつもりだった。
少女の我侭でこの予定を遅らせるわけにはいかない。デスゲームまでの時間は限られている。
「レライ、ベッドから下りろ。ここを出るぞ」
俺はハゼの隣に移動して、ベッドにへたり込む少女に厳しく声をかけた。
しかし少女は気だるそうに首を振るだけで、まったく動こうとしない。
相変わらず我侭な契約召喚モブだ。
だが今回ばかりは妥協するわけにはいかない。
こういうのは最初が肝心だ。ここで少女の我侭を許してしまえば、今後も朝の時間を無駄にする事になる。
そう一考してから、俺は少女の両脇に両手を差し込み、そのままひょいと小さな体を持ち上げた。だらりと少女の体が垂れ下がる。
『……なに?』眠たげな少女がやる気の無さそうな目を返してきた。
俺はそれを無視して少女を床へと下す。
すると、無理矢理立たされる形となった少女が俺の腰にしがみついてきた。
「こら。ちゃんと1人で立て」
腰に抱きついて俺の脇腹あたりに顔うずめる少女が、注意する俺を恨みがましそうに見上げてくる。不機嫌な顔を隠そうともしない。
『まだ寝ていたいから寝かせろ』と目で訴えかけてくる。
「駄目だ。時間がもったいない。ちゃんと起きてついてこい。それが嫌なら指輪に戻るんだ」
厳しい声でもう一度強く言う。
今回ばかりは引くつもりが無いという明確な意思を込め、不機嫌そうな少女と視線をぶつけ合った。
少しして少女が顔を背けた。俺にしがみついたまま、横に立つハゼを仰ぎ見ている。どうやら俺が引かないと悟ったようだ。
「起きないならここに置いていく。レライを残して俺もハゼも魔法都市に向かう。それでいいんだな?」
隙を与えるわけにはいかない。
さらなる言葉に、少女の顔が『……むぅ』とかわいらしく歪んだ。
眉間に皺を寄せて、少しだけ頬を膨らませている。
そんなダダをこねる子供に成り果てた契約召喚モブが、俺の左手中指にはめられた指輪――ローレライの感涙と、俺の顔とを何度も見比べた。迷っているようだ。
我侭を貫くのか? 起きてついてくるのか? それとも――――。
そう思った瞬間だった。
突然。少女が青い霧となり、指輪へと吸い込まれていった。
「うっわ、ほんとに契約召喚モブだったんだ!?」
その光景に、黙って様子を見ていたハゼが心底驚いた声をあげる。
この野郎。昨日あれだけ説明したというのに、まだ疑ってやがったのか。
◇◇◇
――9月17日 早朝 南街道
「ちょっと可哀想なことをしたわね」
「いいんだよ、あれで。目立つ前に指輪に戻ってくれて助かったじゃねえか」
「そうなんだけどね。今朝は林檎を食べさせてあげようと思ってたから、少し残念」
「……相変わらず面倒見のいい奴だな」
「昔からよく言われるわ……。実はさ、私の家って道場なのよ。それでけっこう小さな子供も通ってて、面倒をみることが多いの。だからつい世話を焼いちゃうのよね……。ほら? 子供って危なっかしくてなんだか放っておけないじゃない?」
俺達は視線を前に向けたまま、なんとなく今朝のことを話題にしていた。
2人並んで歩いている。今は魔法都市グレイプニルに向かう道中だ。
つまりは、帝都の南門から魔法都市を目指して南街道を下っている最中だった。
この南街道を行き交うユーザーは多い。
ざっと見た感じだと生産職ユーザーが大半だ。風呂敷やリュックを背負っているユーザーとよくすれ違う。帝都と魔法都市を行き来して、少しでも多くの利益を上げようというユーザー達だ。
風呂敷やリュックは、腰の小さな皮袋と同じでインベントリー効果があり、皮袋よりも多くのアイテムを収納できる。――但し、動作に制限を受けてしまうので注意が必要だ。素早い動作ができなくなるのだ。要は重装備と同じ扱いとなる。
ちなみに、こういったインベントリー効果のある収納系アイテムは1人1つしか装着できない。また耐久度がゼロになると、その中身が散らばる仕様だ。散らばったアイテムは他ユーザーにルートされてしまう。だからアイテムインベントリーは、戦闘職ならば初期の皮袋を使い続けるのが一般的だ。初期配布されたアイテム類は壊れないからだ。
そうして、すれ違うユーザーを眺めながら何気ない会話を交えていると、ある事に気付いた。どうも俺達のギルド腕章に気付いたユーザーが、チラチラと視線を投げかけてくるのだ。それもかなりの頻度で。
やはりローレライを討伐したという事実が大きいようだ。
アルカナ掲示板のせいで情報はすぐ行き渡る。俺達のギルド名も同様だ。おかげで知名度が上がっている。なかなか有名になったもんだ。
さらには、グズった少女のせいでまだ確認できてないが、昨晩のアルカナ掲示板への書き込みも我ながら完璧だった。
あの書き込みを目にしたユーザーならば、きっと俺を賞賛し、知的なイメージをもったに違いない。
これで後は赤褌さえあれば、さらにワイルドなイメージまでアピールできる。
知的とワイルドを併せ持った男・・・なんというパーフェクト。自分で自分が恐ろしくなる。このままいってしまうと、間違いなく婦女子にキャアキャアと騒がれる罪深い男になってしまうだろう。
今は思春期特有の照れくささのせいで少しばかり素っ気無いが、きっとブラコン気味な妹も心配するであろう。
『兄さん、あまり遠くにいかないで下さいね』そう言うに違いない。間違いないね。
・・・だが、仕方のないことなのだ。すまぬ、妹よ。
モテる男というのは、いつの時代も罪深いものなのだ。
出会った瞬間にモテる男の3段活用――ドキ・好き・抱いて――が起きてしまい、多くの女性と一夜を共にせざるをえない状況が生まれるものなのだ。
「……ねえ。なんだかさっきから私達のことをチラチラ見てくるユーザーが多くない?」
「ローレライ討伐から2日経ってるしな。俺達の評判も定着してきたんだろう。それに昨晩、ローレライ討伐や水龍情報も書き込んでおいたしな」
「へぇ、ちゃんと覚えててくれたんだ。昨日は夜も遅かったからまだ書き込んでないと思ってた。わざわざありがと」
礼を述べるハゼに対して、
「気にすんな。当たり前のことをしただけだ」と謙遜しておく。
いずれにせよ。これでギルドメンバー募集も上手くいくはずだ。
昼前には魔法都市に着ける。
アルカナ大陸は楕円形の大陸のため、帝都から東西の町(大和の町と港町スキーズ)へは徒歩で5,6時間ほどかかるが、南にある魔法都市ならば2時間ほどで到着する。
よって昼頃からギルメン募集をかけて、早ければ今晩にでも新しいギルドメンバーが見つかるはずだ。美人でスタイルのいいお姉さんが、俺の評判を聞きつけて新しくギルドメンバーになってくれるはずなのだ。予定調和というやつだ。
「すぐ見つかるかな? 新しいギルドメンバー」
「安心しろ。大丈夫だ」
「うん、そうよね」
確かな自信をもって断言する俺の声を聞いて、隣を歩いていたハゼがうれしそうな声を上げた。
目指すは魔法都市。
目的は、罠解除技能持ちユーザーを迎え入れて南砂漠の塔を攻略する事。
デスゲーム開始までは遅くとも約一ヶ月。早ければ約一週間。
期待と不安を胸に秘め。俺とハゼはただ前だけを向いて歩き続けた。歩みを止めるつもりなど無い。止めることなどできない。長い長い日々の始まりだった。
《鮫狩男と薙刀女》――通称:鮫ナタ――としての幕開けだった。
以上で第4章は終了となります。
ここまで読んで下さった皆様ありがとうございます。
第5章についてですが、年内は難しいです。
私の手元のほうでは、すでに第5章3話までの下書きが完了しておりますが、今までと同様に第5章の下書きをほぼ完成させてからになると思います。
今後の具体的な予定については、改めて年末年始頃に活動報告に記載したいと思います。
よろしくお願いします。
そして最後に、コメント・感想・評価・お気に入り登録・メッセージを下さった皆様。ありがとうございます。とても励みになりました。
さらに今回は素適なイラストとレビューまで頂けました。本当にありがとうございます。
申し訳ないことに、返信が遅れておりますが、必ず目は通しております。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
/2011.11.20 猿野十三
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