第4章開始となります。どうぞよろしくお願いします。
『この風、この肌触りこそ桟橋よ』
昔のエライ人はそんな名言を残したらしい。
――9月16日 朝10時頃 帝都アスガルド 桟橋
・・・そう。俺はいま桟橋にいる。
腰に巻かれた剣帯には長鉈と皮袋だけで、もちろんパンイチだ。
桟橋の先で、そんな出で立ちのまま仁王立ちになり、両腕をしっかりと組みながら大海原を眺める。
俺の灰髪が潮風に揺られ、日焼けすることのない白い肌が輝く。
我ながら見事な男っぷり。
もしもこれが現実世界であったならば、俺のフェロモンに誘われた女性達とひと夏の思い出を量産していたに違いない。
きっと昔のエライ人も驚愕したであろう。
『気に入ったぞ、小僧。それだけはっきりと服を脱ぐとはな』と。
◇◇◇
今朝、ようやく”半漁神の巫女”という現実を受け入れたハゼが――
『ミスリルのこともあるし、私は交易所NPCや露天広場の動向を調べておきたいの。だからあんたは今日1日自由にしてていいわ。ちゃんと夜には帰ってきなさいよ? 明日以降のことを話し合うんだから。それと……はい、これお小遣い。あんまり無駄遣いしちゃ駄目だからね? いい? 分かった?』
――などと言い出したので、今日は別行動だ。
ちなみにルイージの酒場で別れたわけだが、ハゼは最後まで心配そうだった。
まるで初めてのお使いに行く幼稚園児を見送るかのようだった。
いったい俺のどこに不安があるというのか? 酷い話だ。
まあいい・・・それよりもだ。
最近はハゼとずっと一緒だったため、1人で過ごすのは本当に久しぶりだ。
こうなるとやる事は1つしかない――――海だ!
だから俺は桟橋でパンイチになっているわけで、今日は泳ぎまくるというわけだ。
すでに泳ぐコースも決まっている。
8月31日の予言の日以降、アルカナ大陸の北側へ渡れるようになった。
ということは、それ以前は透明な何かに阻まれて泳げなかったラグロア川も、今なら泳げるということだ。
よって泳ぐコースは帝都の桟橋から海岸沿いを北上し、ラグロア川の河口から上流へ、つまり北東にラグロア川を遡上してラグロア湖を目指すコースだ。
本当ならば赤褌で泳ぎたかったのだが、個別回線で月見さんに確認してみたところ下着からのカスタマイズで赤褌を作るのは厳しいらしい。
『ブリーフ、トランクス、ボクサー、ビキニ……色んなタイプの男性用下着をカスタマイズしてみたんだけど全部失敗。ごめんね~。下着からじゃ無理みたいなの。何でもいいから褌っぽい形の布装備とかないかしら?』
そんな風に言っていた。
残念ながら赤褌への道のりは・・・深く、遠く、険しい道のりのようだ。
◇◇◇
――9月16日 午前中 内海
ドルフィンキックとステップを交えながら海中を突き進む。
この美しい海を上空から見下ろせば、澄みきった青い海を泳ぐイルカのような縦長の黒いシルエットが見えただろう。
頭上で手を交差させて二の腕で耳の上あたりを挟み込む。
両足を揃えて全身で泳ぐ。指先からつま先までを優雅に波打たせながら滑らかに突き進んでいく。
さらには、時折ステップで海中を蹴りつけて加速する。
まるで放たれた矢のように海岸線を北上していった。
現実世界では絶対に不可能な泳ぎだ。本当にたまらなくなる。気持ちがいい。
そして泳ぎ続ける俺の視界の端で、たくさんの魚影や美しいサンゴ礁が通り過ぎていく。
なんとなく体をくるりと返して海中から空を見上げてみた。
日の光を反射してキラキラと輝く海面が見える。何とも言えない神秘的な景色に浸る。
光揺らめく海面を見ながら穏やかな気分に浸っていると、ついデスゲームのことなど忘れてしまいたくなった。
俺はその本能に逆らわず、だんだんと無駄な思考も捨て去っていき、最後は無心のままにクルクルとドリルのように回転しながら泳ぎ続けた・・・。
・・・やべぇ。回りすぎて気分が悪い。
現実なら海中ゲロしてたな。これは駄目だ。普通に泳ごう。
再び、魚影やサンゴ礁へと視線を戻して泳ぎ続ける。
ちなみにこの仮想世界の魚達は、泳ぐ速度を現実世界よりも遅く設定されている。
泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロも、この海ではゆっくりと漂っていた。
また姿形もいろいろとデフォルメされており、泳ぐ”シャケの切り身”などはその代表格だ。
そんな美しくも不可思議な景色を眺めているうちに、ラグロア川と内海の境目に到達した。
川幅は800mはあるだろうか? ラグロア川の巨大な河口へと視線を向けると、何やら多くの魚影がラグロア川の河口へと入っていくのが見えた。・・・なんだあれ?
頭に浮かんだ疑問の答えを得ようと、平泳ぎでゆっくりと河口に近づいてみる。
どうやら河口へと入っていく魚影は鮭のようだ。
サンゴ礁の影から湧き出てくる鮭達が、一心不乱にラグロア川の河口から上流へと遡上していた。
俺も、遡上する鮭達に混ざるように河口からラグロア川へと入っていく――
――と、いきなり景色が一変した。
砂とサンゴ礁の景色から、丸い石と苔の景色へ
南国の海から、日本の清流へ
そんな一変した景色に戸惑う俺を無視するかのように、鮭達がラグロア川を遡上していく。
・・・何故だか負けた気分になる。ちくしょう。鮭ごときに負けてらんねえ。
俺は遡上する鮭達と競うかのように、ラグロア川の上流を目指した。
◇◇◇
ラグロア川は広大だ。
河口付近の川幅は約800mあり、水深は中央付近で4,5mもある。
そして、その広大な川を鮭達と泳ぎ続けていると、激しくぶつかり合う水音が響いてきた。
凄まじい轟音だ。腹に響く。思わず立ち泳ぎになり、川面から顔を出して前方を確認してみる――――おお、滝だ・・・でけぇ・・・。
ラグロア川の川幅は上流に近づくほど狭くなっていく。
そして目の前に出現した巨大な滝は、川幅600mで高さ3,4m前後という横長に巨大な滝だった。
そんな巨大な滝と川面が激しくぶつかり合う震動で、俺の五臓六腑も震えている。
さらに滝つぼから発生した真っ白な靄があたりに漂い、荘厳な雰囲気を醸しだしていた。
ふと、何気なしに滝つぼ付近を注視すると。
鮭達が滝つぼに深く潜り――その反動を利用して思いきり跳ね飛んでいた。
あちらこちらで同じような光景が繰り返されており、鮭達の不屈さが伝わってくる。
何度も何度も繰り返し挑戦し、滝を登ろうとしている。必死だ、すんげー必死だ。
そういや鮭どもは何故上流に遡上するんだっけか? ・・・よく思い出せ。
・・・そうだ。・・・産卵だ。上流で産卵するために鮭どもは必死になるのだ。
つまりは雄と雌が、きゃっきゃうふふ、ギシギシアンアンするためだ。
ふと――俺の脇を通り過ぎていく鮭達と目が合う。
『俺、これから上流で童貞捨てるんだ』
『え? おまえ童貞?』
『くやしいのう、くやしいのう』
etc.etc.
改めて必死な鮭ども見ていると、そんな風に見えてくる。
なんか知らんが許せねえ。こいつら絶対許せねえ。
被害妄想だとか、嫉妬だとか、そんなチャチなもんじゃ断じてねえ。
鮭は魚類だとかも関係ねえ。こいつは男のプライドをかけた勝負だ。こんな下心満載の鮭どもに、泳ぎだけは負けるわけにいかねえ・・・。
エロ鮭どものせいで、俺のピュアな心がそんな闘争心に染まる。全力でいく。
まずは川面から水中へと潜る。次にステップを使いながらひたすら加速。――目指すは滝つぼだ。
滝つぼに近づいてくるにつれて流れが激しくなってくる。
また滝つぼ付近の水深は6m以上ありそうだ。川底には大小様々な丸い石ころが転がっている。そんな川底を這うように泳ぎ、さらに加速していく。
やがて視界が滝つぼの水泡でいっぱいになり、滝の轟音が頭上から聞こえてきた刹那――――俺はステップで川底を思いきり蹴り込み、川面へと一気に加速した。ありえない加速のせいで体が引き千切れそうだ。
その弾丸のような加速のまま、川面から俺の上半身が跳びだす。
滝がばちばちと激しくぶつかってくる最中、――体は熱く。頭は冷静に。思考は平行に――瞬時に俺は膝を曲げ・・・ジャンプで川面を蹴り飛んだ。
凄まじい勢いで俺の体が滝を引き裂いていく。
そして3,4m前後あった滝を切り裂いても俺の勢いは衰えず、そのまま空へと飛び上がった。滝の上の川面もみるみるうちに遠ざかっていき、最終的に15m以上も飛び上がってしまった。
◇◇◇
地上であれば、ジャンプカードは2m前後しか飛び上がれない。
ステップや駆け足で助走をつけたとしても3m近く飛び上がるのがやっとだ。
カードレベルが上がっても飛び上がる高さはほとんど伸びず、『消費STが減り、ジャンプする際の予備動作が軽くなった』ぐらいにしか実感が湧かなかったのだが・・・。
水中であれば、泳ぎとステップを使って加速しまくることでエライことになるようだ。
水面ジャンプとでも呼ぶべきだろうか?
というか、なにこの高さ。飛び上がりすぎだろう!?
そう焦った直後、俺の体が仮想の重力に引きずられて放物線を描くように落下しはじめた。
いくら川面とはいえ、この高さから変な体勢のまま打ちつけられれば間違いなく落下ダメージを食らうだろう。
俺は僅かに残る勢いを利用して、頭から――指先から飛び込めるように咄嗟に姿勢を入れ替えて、迫りくる川面へと飛び込んだ。
――ッ。
泳ぎカードのレベルが高いせいだろうか?
まるで飛び込みの五輪選手かのように綺麗に飛び込めた。おかげで水しぶきがほとんど上がらず、落下ダメージも食らわなかった。
そういえば先日のローレライ討伐戦では、何十メートルもある岬から飛び込んだわけだが、あの時は俺だけが落下ダメージを食らい、俺よりも速く泳げたローレライは落下ダメージを食らわなかった。
もしかすると水面への落下ダメージは、泳ぎカードが関係しているのかもしれない。
そんな事を考えながらも、高さ15m以上から飛び込んだ俺が、川底を舐めるようにぐるりと泳いで回る。そうして上手く勢いを殺しながら川面へと顔を出した。
・・・やべぇ。全力すぎた。
まさかこんなにも飛び上がるとは、滝を越えるだけでよかったのに。
にしても、なにこの水面ジャンプ? さすがにビビった。
とりあえず頭を振って気持ちを入れ替える。
浮き足立った心を抑えようと周辺を見回すことにした。
◇◇◇
今まさに飛び越えた滝の方には、鮭どもが必死に跳び上がってくるのが見える。
逆に上流側へと視線を返すと、そんな鮭どもをあざ笑うかのような無数の滝が待ち構えているのが見えた。
上流はまだ遥か先だというのに、景色はすでに強大な峡谷と化していた。
その両岸には7,8mはある高い岩壁が続いており、極稀に川へ下りてこれそうな低く凹んだ岩壁がある程度だ。
さらに岩壁の上を見上げてみる。そこは北岸と南岸で大きく異なっていた。
北岸はごつごつとした山岳地帯で、南岸は鬱蒼とした森林地帯だ。
山岳地帯はラグロア火山で、森林地帯は亜人の森だろう。
ちなみにラグロア川の遥か下流には、小さくなってしまった帝都の城壁と橋。その対岸には王家の墓と竜の草原が見てとれた。
そして・・・そんな仮想世界の自然風景に圧倒されている俺が、川面にぽつんと浮かんでいる。
あたりには整然とした山特有の静けさが広がっており、滝の轟音がどこか遠くから聞こえてくるような錯覚を与えていた。
――さてと。鮭どもに負けないように、俺も上流を目指すか。
俺は1つ大きな溜め息をついてから、泳ぐのを再開したのだった。
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