| 登った山々 | 金峰山 |
|---|---|
| 磯間嶽 | |
| 桜島北岳 | |
| 亀ヶ丘1 | |
| 亀ヶ丘2 | |
| 野間岳 | |
| 竹山 | |
| 錫山・立神 |
2009年5月2日の夜、フェリーで桜島へ向かった。
ほんの少しだけ、覚悟をしていた。
もしかしてもしかするかもしれないけれど、それは怖いけれど、やる。
警戒レベルが2から1へ緩められていた。
それまでちょくちょく噴火していたのに、おさまってきていた。
やりたいことをやらずに長生きするのと、やって駄目なのとどちらを選ぶか、そんなことを考えた。
高校生の頃からずっと、この山に登りたかった。
やっと夢が叶う。
無謀にも桜島の地質のことを何も知らずに来た。
普通の山のように、沢を登れば頂上に辿り着くだろうという安易な考え。
それはすぐに、愚かな考えだとわかった。
北側の沢から登り始めたが、急な上に、手掛かりも足掛かりもない。
なぜなら、軽石と火山灰の堆積物でできているから。
すべるのだ。掴めない。
仕方なく斜面の草を掴みながら、右の尾根へ登る。
この時には、尾根を伝っていけば頂上に辿り着けると思っていた。
綺麗なつつじが咲いている。
まだ朝の7時前。
眼下に吉野の街が見える。
あそこからいつもこちらをみては、登りたいなあと思っていた。
昔は登山道路があったのだ。
今は寸断され、かろうじてその跡が残されている。
調子よく登っていくことができた、途中までは。
湯の平の展望台が、下に見える。
いつもは湯の平展望台から山頂を眺め、あそこにいきたいなあと思っていたのに、その展望台ははるか下だ。
京都大学の観測所も眼下。
ここから北岳の外輪山の峰も見える。
そう、北岳は火口跡がよく分かるのだ。
つい最近まで火口湖があったことを、60代の地元の方に聞いた。
もうすぐ辿り着くぞと思いながら登っていくと、尾根が急に細く高くなり、登れなくなった。
両側は絶壁である。
もしここを登れたとしても、帰りに降りることは不可能だ。
ひとまず道路まで降りることにする。
途中で松の木がたくさん生えているところがあった。
強風がモロに当たるのだろう。
ものすごい折れ方をしている。
鹿児島市からよく見える場所である。
いまでも眺めながら、あそこの松は折れていたんだよなあと思う。
道なき道をやっとのことで降りると、看板があった。
昔の登山道の跡が、かろうじて分かる。
車を止めたところまで戻る。
ふと上を見ると、北岳の頂上が見える。
あ〜あ、いいところまで行けたのになあ。
場所を変えるしかない。北東側に行ってみよう。
ダムがあり、道があるはずだ。
着くと、駐車場まである。門があり、幸いに開いている。
5時までには降りてこないと閉まるかもしれない。
頂上がここからも見える。つつじが綺麗だ。
砂防ダムの端っこをよじのぼり、上へと向かう。
桜島の表面は火山灰と軽石で何メートルも覆われている。
それが雨のたびに少しずつ流れ下る。
その量は凄い。
ダムは作っても、数年で満杯になってしまう。
写真左で分かるように、水の流れで灰が流され、堆積物を削り取っていく。
ここは地肌が見えている貴重な場所だ。
しばらくはこの沢を登っていこう。
北岳の南側に向かって登っていく。
どこかにルートがあるんじゃないかなあ。
しばらくは調子よく登れる。
昭和火口が噴煙を上げる。
今日の風はこちらには向かわないから安心だ。
昭和火口からここまで、2kmくらいだろうか。
とりあえずここは、制限区域よりも外側だろう。
といっても、目標の北岳は登山禁止なのであるが。
調子よく登っていたが、突然道が狭くなった。
通れる幅が50cmほどしかない。
落ちれば左右は崖。たぶん、ここで人生は終わりだろう。
難関がここだけならまだ考えるのだが、きっともっとすごい地形が待っていそうだ。
すぐ上に頂上が見えるだけに残念ではあるが、引き返そう。
沢まで戻る。今度は右側を登ろう。
春の陽気が心を穏やかにしてくれる。
頂上を眺めながら、漠然とルートが見えてくる。
尾根への最短距離をとろうとするが、あちこちで崖に阻まれる。
少し遠回りだが、木の生えているところを通り、やっとのことで尾根に出る。
さきほどの場所を見てみると、やはり通過できなかったことがよく分かる。
雨で土石流が通る道も、はっきりと分かる。
視線を上に向けると、頂上がすぐそこにある。
だがここからが大変だった。
下界に目をやると、白浜の家並みがよく見える。
温かな日差しの中で、ちょっと休憩しよう。
カメラを構える。
白浜の街に対して、なんと斜面の急なことよ。
いよいよ、桜島らしくなってきた。
今までこんな急斜面に立ったことはない。
北岳に向かっているんだという実感が湧いてくる。
これは紛れもない本格的な登山だ。
ちょっぴり命も掛かっている。
突然、鉄の棒が現れる。なんだこりゃ?
ずっと後で、インターネットを見ていて分かったことなのだが、GPSを取り付ける台座なのであった。
登山に使うのかな、などと思ってしまったわたしがアホだった。
さてさてここで実は一回、登るのを諦めてしまうのである。
角度を見て頂きたい。とてもまともに登れる状態ではない。
しかも軽石と灰である。ズルズルと滑り落ちていくだけである。
よくここまで頑張った、もういい、帰ろう。結構すんなりと、諦めがついた。
ところが、いったん帰路について下り始めると、実に簡単に降りられてしまう。
なんだなんだ、こんな簡単な斜面だったのか。気持ちがすぐに揺らいだ。
よし、もう一度挑戦だ。登ろう。
しかし、そのままでは登れない。
足場を作らなければいけないのだ。
軍手をした手で砂と軽石を払いのけ、足が入るスペースを作る。
それを一歩ずつ作業していく。
気の遠くなる作業だ。
休憩して今来たところを振り返る。
北を見ると、吉野と姶良。下界はますます小さくなっていく。
軍手の予備を持ってくればよかった。とうとう指先が破れてしまった。
痛いけれども掘るしかない。ところどころ生えている草がとてもありがたい。
草を掴みながら登れるところは少しだが、痛い指を休めることができる。
次回は草カキを持ってきたほうがいいな、などと思いながら掘った。
下りの怖さを、まだこの時は気付いていなかったのだ。
ここにきて、足が攣り始めた。やはりこの山は簡単には登れない。
マッサージをしながら休憩する。
ふと上を見上げるとなんてこったい、もうそこに頂上があるではないか。
大きな岩の塊みたいになって、頂上はそこにあった。
その塊の右側を慎重に横に這っていく。
回りきったところに、最後の難関が待ち受けていた。
写真に撮るスペースも心の余裕もなかったのが残念であるが、垂直な崖が立ちはだかった。
手を掛けると、ぼろぼろと崩れ落ちていく。
慎重に慎重に、動かない手掛かりを探す。
何メートルの崖だったのだろう。記憶がない。
急に目の前が開けた。うわあーっ! 頂上だ。
とうとう来たんだ。
後楽園球場がすっぽり入りそうな広さの火口が、目の前にある。
実は数年前まで、ここが火口であることを知らなかった。
きっかけは湯の平展望台で見た写真である。
その時、わたしの心は頂上へとますます惹きつけられた。
ずっと思い続けたことが今、現実になっている。
西側に流れ出た水の後が展望台の写真よりも深くなっているのを眺めながら、来たんだ、来たんだ、と繰り返した。
この地に立てた感動はこの後ずっと衰えることもなく、わたしの心の中で輝き続けている。
北岳の頂上から南岳方向を見る。
やはりここに池があり、西側の低いところが決壊し、そこから水が流れ出た様子がよく分かる。
地元の方に聞く前に、写真を見てそんな想像をしていたのだが、思っていた通りだった。
最初に決壊した時には、大量の水が流れ出たはずだ。
麓では被害が出たのではないだろうか。
それにしても、それにしても・・・すごい眺めだ。素晴らしい眺めだ。
さあ、火口の底へ降りてみよう。
左の写真は北岳のいちばん高いところである。
まさか桜島の山頂に草が生えているとは、思いもしなかった。
山は見かけによらぬものである。
この斜面を降りるのであるが、ずぶずぶと足がめり込んでいく。
軽快に駆け下りようと思っていたが、そうはいかなかった。
右の写真は底に降りて、底の東側から山頂を撮ったもの。
登る時に見えた岩の塊のようなところは、実は崩壊した山頂の一部だった。
火口の底から山頂まで、100m以上あるだろう。
写真左の真ん中にちょこっと見えるのは中岳の山頂。
火口湖の水が流れ出た様子がよくわかる。
このとき、いつもはおとなしい南岳が白い噴煙を上げていた。
右の写真は火口底の東側だ。
だいぶ前ここに登った登山者がいて、「月の上を歩いているようだった」と言ったそうだ。
まさしく、月面である。
ここでNASAの撮影をすれば、だれもがうなずくだろう。
そう、このとき私は、月面を歩いている気分でいた。みんなの行ったことのない場所を。
写真右は火口の底から鹿児島市方面を見たところ。
へこんだところから、水が流れ出している。
点在する石は、南岳の噴火で落ちてきたものであろう。
あまり量は多くない。
頻繁に吹き上げているので、大きな岩石が飛ぶことは少ないのであろう。
写真左。噴煙が2種類上がっている。
灰色は昭和火口から、白い噴煙は南岳のものだ。
丁度外輪山がへこんだ場所があり、そこから南岳北側(中岳)を見ることができる。
南側の外輪山のへこみのところまで歩いていく。
大きな岩がゴロゴロしている。これはきっと、北岳のものだろう。
こんな大きさのものが南岳から飛んでくるとしたら、麓でも大災害だ。
中岳の背がそこに見える。ああ、あそこまで行きたい。
行って、南岳の火口を覗いてみたい。
しかし、残念なことに、もう足が残っていなかった。
大隅半島と繋がっているところが、ここからよく見える。
新しく架かった橋も、養殖のイケスも。
写真左は、中岳を見た場所で後ろを振り返って、北岳を見たところ。
下界から眺めていては、こんな景色は想像がつかない。
ここで尿意を催したので、岩陰に隠れて放った。
わざわざ隠れなくても誰も見ていないのに。
気の小さいやつである。
そこから西側の決壊した場所へ向かう。
火口の底にもところどころ草が生えている。
人類は滅びても、植物はしぶとく生き残るだろう。
火口の水が流れ出た場所に立つ。
そうか、ここから全部の水が出て行ってしまったのか。
火口に堆積した砂が、削り取られながら流れ出ている。
岩をよく見てみると、とてももろい。
激しい雨が降るたびに土石流が発生するのだというが、理由がよく分かった。
この山は、速いスピードで侵食されている。
10年後にはもっと険しい姿になっているだろう。
何年前に、誰が捨てたのであろうか。サイダーのビンが転がっている。
堆積物が流れ出た後が、まるでグランドキャニオンのようだ。
どのくらいの深さがあったのだろう、堆積物が溜る前は。
10年後にはどんな風に変わっているのか、とても見てみたい。
湯の平展望台で見た写真よりも、溝の切れ込みが長くなっている。
とても印象深かった場所に、今立っている。
鹿児島市から見れば、V字に切れ込んだ地形がよく分かる。
まさしくそこが、ここだ。
鹿児島市を鳥瞰できるこのうれしさよ!
写真左は外輪山の南西側。
この鋭い岩は、天気と角度がいいと鹿児島市内から見える。
足が残っていれば、ここにも登れたのだが残念。
右の写真は鹿児島市から見たら、いちばん北側の高く見えるところだ。
ここが一番高いと思っている人がほとんどだろう。
が、実際にはもうひとつここより高いところが、北東側にあるのだ。
それは吉野から眺めてみればよく分かる。
さあそろそろ帰る時間になった。
鹿児島市から垂直に見えるところがある。
私はここがずっと気になっていた。
どのようになっているんだろう、登れるものなら登ってみたい。
それが目の前にある。なのに登ることができない。
もう足が言うことをきかないのだ。
いちばん登りたかったところなのに。
そして、登ることは不可能ではない岩なのに。
磯が見える。フェリーが見える。天文館が見える。
火口の南東側である。
山が二重になっているのが分かる。
ド素人考えだが、新燃岳と同じように、一回外輪山ができて落ち着いた後、マグマが上昇。
外輪山の内側にもうひとつの外輪山ができたのではなかろうか。
100枚以上の写真を撮ったのだが、原寸大の画像を見ているといつまでも飽きない。
興奮が収まらない。
いよいよ下山。簡単に降りられるかと思ったら、とんでもない。
前を向いて降りていかなければならないのだ。とても怖い。
あの急な軽石と砂の坂を降りるには、自分のお尻を入れる穴を掘らなければならなかった。
今度は手ではなく、足で掘る。
一足一足ではなく、ひと尻ひと尻、穴を掘りつつ降りていく。
順調に降りていると思っていたら、とんでもないことになっていた。
気付くとさっき上ってきた尾根が、隣に見える。
途中で進路を誤ってしまったのだ。血の気が引いていくのがわかった。
写真を撮るどころではなくなった。
急斜面をやっと過ぎると、カヤの生い茂る場所が続く。
必死で降りた。どうかどうか、どこかに辿り着きますように。
北側には深い谷が大きく口を開けている。
ここなら降りられる!と思った所が最後にことごとく切り立った崖になる。
その繰り返しを重ねながら、右往左往した。
どのくらいさまよったか、白いものがチラッと見えた気がした。
ダムだ。降りられる。このときの安堵感は、なんとも表現できない。
私の愚かな下山が、やっと終わった。心は疲れ果てていた。
私といつも一緒にいてくれた、24万キロを共にした今は亡き愛車をここに記念に載せておきたい。
前夜この場所で、姶良の夜景を見ながら眠った。北岳山頂を背にして。
おわり
--> 元のページの先頭に戻る