2006-07-11 研究メモ
■日銀とロスチャイルドの関係
『昭和史からの警告―戦争への道を阻め』(船井 幸雄、副島 隆彦 著)より抜粋です。
※過去ログ『明治維新の背後に見え隠れするロスチャイルドの影』もご参照ください。
前述した通り、最初に日本との関係を深めたのはロスチャイルド系でした。ロスチャイルド=三井の政界大番頭は内務卿の井上馨でした。それに対して三井総本家が見込んで任せた三野村利左衛門という人物がいました。この人が明治はじめの三井の大番頭です。三野村は、優れた幕府重臣だった小栗忠順の使用人だった人ですが、三井家をよく支えて幕末維新期を上手に切り盛りした。
ロックフェラー家は、西南の役をきっかけに三菱の岩崎弥太郎と組んで、明治10年には早くもロスチャイルド=三井と対抗する大勢力となっている。
ロスチャイルド=三井の次の大番頭は渋沢栄一です。渋沢は岩崎弥太郎より五歳年下です。弥太郎は明治18年に45才の若さで死んで、弟の弥之助、弥太郎の長男・久弥と続いていきます。渋沢は91歳まで生きて約500もの会社の設立に関わります。
渋沢が第一国立銀行(のちの日本銀行)を拠点としてつくった主な会社は、王子製紙、東京海上保険、東洋紡、日本郵船、東京ガス、サッポロビール、帝国ホテル、石川島播磨重工業、渋沢倉庫……等々です。始まりは国営(官営)企業だった大会社の多くを渋沢がつくった。つまりはほとんどはロスチャイルド=三井系企業と考えればいい。東京湾岸にずらりと横浜の方までつづく倉庫群が建っていた。
幕末に幕臣だった26歳の渋沢は、幕府使節団に加わって御用商人としてフランスに渡っています。このとき渋沢は銀行家のフリュリ・エラールから銀行業というもの、近代の金融業というものを学びます。このエラールのボスがアルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵で、フランス・ロスチャイルド家の総帥です。
渡仏中に日本で大政奉還があって幕府が倒れた。帰国した渋沢は、明治維新後、明治新政府に大蔵卿として招かれます。そして第一国立銀行を設立し、多くの会社を興した。渋沢の第一銀行と三井銀行が一緒になって、やがて日銀が誕生します。
さて、本書の中で、昨年10月25日と26日にアメリカのシンクタンクAEI所長クリストファー・デムス氏と、日本側から安倍普三氏、前原誠司氏、外務省の鶴岡公二氏、防衛庁の山口昇氏、そして元ワシントン公使の阿川尚之氏らがキャピトル東急に集まって、日本を中国との戦争に引きずり込むスケジュールが話し合われたとしていますが、それが本当なら大変なことです。
どなたか、この件に関して詳しい情報をお持ちでしたら教えてください。