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さて、「立て分け」という言葉を聞かれたことがありますか? 私は15年前に、「空海 様」より、下記のメッセージを頂きました。 大事な事なのです 出来れば、出来る限り 判り易く伝えましょう というのも、時間があまりない なかなか伝えにくい 振り分け(立て分け)が始まっている その為にも 急がなければならない それを強く知らせるのも わかるとは 一人一人の心の奥の動き それぞそれの生き方の習性 使い方の気付き 無理をしている世の中 抜け殻にならぬ為にも、心の中を気付くこと 皆、自分さえ良ければ、人はどうなってもいい また皆良くなるより、自分を良く見せることの方に 気持ちが向いていた時代 それももう少しで このことに気付く者の数が増えてきた時、 終わる 終わる 終わる 誰も皆良くなりたいと思うのはあたりまえ なれども 自分だけが良ければという事ではありません ただし 在り方がどうあろうと 人の命の奥の奥 心の使い方 良いと思う行動があって 生かされていることにつながる 気付く時が遅くなるか ならぬか 頼むぞ 頼むぞ 頼むぞ 知らせるぞ 知らせるぞ 知らせるぞ すでに「立て分け」は、15年前にスタートしています。 なにを分けているのか? それは、国常立大神 様がはっきりとおっしゃっています。 5次元へと次元上昇し始めた「地球」に相応しい「魂」を選んでいるのです。 3次元の地球での学びを終え、「5次元」のレベルに相応しい魂を選別しているのです。 我々生きている人間だけでなく、4次元の霊界をも巻き込んで、5次元の振動に 耐えられる、「魂」を選別しているのです。 では、選別から外れたら、どうなるのでしょうか? これも国常立大神 様 が、はっきりとおっしゃっています。 〇5次元の地球へと共に「アセンション」する魂のグループ 〇銀河の他の3次元の星で、再度学びなおす「トラバーユ」する魂のグループ 〇他の3次元への星へも「トラバーユ」出来ない「ディセンション」魂のグループ 以上の3種類です。 私の分析によれば、15年前の空海様のおっしゃっている「振り分け」は、 「アセンション」「トラバーユ」組と「ディセンション」組との、大きく二つの「振り分け」で あったと思います。 すなわち「ディセンション」組、「獣の領域に魂を現界ですでに落とした」グループと まだ、「アセンション組」とも「トラバーユ組」とも、決まっていない、一次選抜突破の グループとの「選別」でした。 しかしその後の「第二次選抜」で、 あまりに「新しい地球」へ移行させる「アセンション組」が少なく、 神々は、「立て分け」「振り分け」の猶予期間を伸ばしに伸ばしてこられたのです。 しかし、そうやって伸ばしている間に、地球の危機は差し迫り、 ついに「木花咲耶姫 様 からの神示」にあるような局面を2007年に迎えました。 以下引用 うみだしの後には神に最も近き民族なる、 神国日本の真実の姿表れん。 されど、その前に人間を始め全ての事象を立て分けん。 神は一人でも多くの魂導きたし。 うみだしのこの時、 人一人一人の気づきと真価を問わるる時なり。 必要なき愛のこもらぬ文明、 愛のこもらぬ事象、物、ことごとく立て分け淘汰せん。 人の定めははっきりと二極化するなれば、 今まずは己を立て直すことから始めるがよけれ。 ついに神は立て分けの決断さるる。 宇宙万物、人間全て立て分けんとす。 来たる年、人の定めは右と左にきっぱりと分かれゆくなれど、 神は救いも残さるる。 己の穢れ、魂の曇り、過去に犯したる罪を反省し、 懺悔し、道正さんとする者には救いの手を差し伸べられん。 今、様々なる事象にて人を立て分けん。 すでに立て分ける魂は決まりておるなれど、 まだ間に合うぞ。まだ救いはあるなり。 既に立て分けの現象は始まりておるなれど、 神は最後の最後のその時まで人の気付きを待ち続けらるる。 次第に残る魂、消える魂はっきりとわかるなれど、 途中気づきて反省あらば、いつでも戻れよ。神のもとに。 そして最後の「立て分け」の猶予期間も、本来すでに終了しています。 10月6日からは、もうすでに「ケモノの魂」と化した「魂」が、 誰が見ても判るようになってきます。 その兆しはすでに現れてきていますね。 そして何よりも注意すべきは、「アセンション組」から、「ディセンション組」へ また、「トラバーユ組」から、「ディセンション組」への一挙の転落があるということです。 「思い上がった瞬間」まっさかさまに転げ落ちます。 このように書くと、「もうおれは、あたしは駄目だ」と落胆してしまう方がいますが、 「神様」は「一発逆転」があると申されています。 「たとえ邪神」であろうが、「本当の改心」が出来れば、 「ベクトルの向きを変えるぞ」と。 「絶対値の大きさは変わらない」 「猶予期間が終わっていても、一端落っこちていても、敗者復活戦があるよ」と。 ただしその猶予期間は、どんなに長くても、後ニケ月、今年いっぱいだとも。 さて「本当の改心」とはなんぞや。 その解説は次回の日記で。 最後にひとこと、「アルク」もまだ「トラバーユ組」です。 「選民思想でも上から目線でもありません」 「一緒に登ろうぜの同志の目線です」 「私の目には、ルートがはっきりと見えている」 「カムナガラの道」という「正しい道」が! より多くの方に、お届けする為に「ランキング」に参加しています。 応援いただける方はクリックにご協力お願いします。 魔に魅入られるなよ。 魔はいつも、そなたを狙うておるぞ。 そなたの心の隙、ついてくるぞ。 魔に魅入られるなよ。 常に心を澄ませよ。 少しの隙も、魔は見逃さぬぞ。 人の心の動きのひだに、魔は付け入って離さぬぞ。 魔はいつもこの世に厳として存在しておるのぞ。 そなたは作り話のように思うておるが、 そうではないぞ。 この世に魔は存在し、神といつも戦うておるのぞ。 これまでの人の営みを顧みてみよ。 長い歴史の中のあちこちに、 魔が顔を出して、人を操っておるぞ。 それを心に刻んでおくのぞ。 心に刻みておかねば、魔に付け込まれるぞ。 断固として魔をはねかえす気力を持てよ。 言うたであろう。 善と悪とは、かけ離れたものではないと。 いつも、隣合わせにあり、あわせ鏡であると。 神が人に働きかけておるように、 魔も人に働きかけておるのぞ。 そして、悪の世界から人を動かしておるのぞ。 人の世は、魔につくられた部分あるのぞ。 よいか、魔を侮るなよ。 魔は思いのほか、強き力を持っておるのぞ。 神と変わらぬ力、持っておるのぞ。 なれど、最後に勝つのは、神の力ぞ。 神の力優りて、新しき世をつくるのぞ。 なれど、そこに到るまで数々の試練あるぞ。 試練越えねば、次の世は来ぬのぞ。 そのこと、心にとめてくれよ。 魔というものは、いつも人の心の隙を狙うておる。 そして、そこに住み着こうとしておる。 魔に魅入られし者は、 甘き言葉にのりて、魔を許してしまうのぞ。 魔とは恐ろしきものぞ。 その力侮るでないぞ。 心の沈みた時、疲れし時、気を付けるのぞ。 心を静かにもちて、神を思えよ。 神の光を思い浮かべよ。 春の光に似て、そなたをやさしく包むが、神の心ぞ。 この世を照らす陽の光、これも神のお心ぞ。 大いなるお方のお心ぞ。 忘るるでないぞ。 それを思えば、魔は散るぞ。 魔を見極めるには、波動検証も必要です。 某掲示板より、よいサイトをご紹介頂きました。 ご参考までにどうぞ。 「ポジティブ意識の智恵」 そして真の「国常立大神 様」のメッセージを読まれたい方は、 神人タケさんの「国常立大神 様」からの最新メッセージを纏めたサイト 「天の日月の神 」をぜひご覧下さい。 そして2ちゃんねる時代から、「伊勢ー白山 道」を良く知る、 「いろは 姉」さんの、 「伊勢白山 伝統の一戦 !!」 現在「精神世界ランキング」 急上昇中! みんなで、応援しましょう! こういう生き証人の方のご登場をお待ちしておりました。 アルクなど抜かして、トップにどーーーんと迫って下さい。 今日も「クリック応援」致しました。 出来るだけ多くの方にお知らせの為、「ランキング」に参加しています。 「クリック」にご協力の程、宜しくお願い致します。 後、お手数ですが、「アルク」が露払いを務めております、 「木花咲耶姫様 からの神示」も同時に応援宜しくお願いします。 カムナガラタマチハエマセ
皆さん!神様とは、「完全無欠の至高の存在」だとお考えでしょうが、 さて祝詞についてですが、天津祝詞、大祓祝詞、ひふみ祝詞は、 「不動、不滅の言霊」です。 「大神 様」から降ろされた不滅の言霊です。 しかし、そんな「不滅の言霊」の「祝詞」を奏上しても、 効果のある方と、ない方に分かれるのは、何故でしょう。 その答えを「日月神示」から見てみましょう! 前略・・・・・・・・ 神主お祓ひ祝詞あげても何にもならんぞ、 お祓祝詞は、宣(の)るのぞ、 今の神主宣(の)ってないぞ、 口先きばかりぞ、 祝詞も抜けているぞ。 あはなち、しきまき や くにつ罪みな抜けて読んでいるではないか、 臣民の心にはきたなく映るであろうが、 それは心の鏡くもっているからぞ。 悪や学にだまされて肝心の祝詞まで 骨抜きにしているではないか、 これでは世界はきよまらんぞ。 祝詞はよむものではないぞ、 神前で読めばそれでよいと思うているが、 それ丈けでは何にもならんぞ。 宣(の)るのざぞ、いのるのざぞ、 なりきるのざぞ、とけきるのざぞ。 神主ばかりでないぞ。 皆心得ておけよ。 神のことは神主に、 仏は坊主にと申していること 根本の大間違ひぞ。 祝詞とは、「究極の宇宙神霊の言霊」、 例えてみれば、「究極の楽曲」のようなものです。 その楽譜が、「大神 様」から降ろされ、万人に与えられました。 我々人間は、「音のエネルギーの表現体」すなわち楽器です。 「楽器である我々」が、正しく身を震わし、全身で美しい音色を 奏でれば、「我々の音と最高神の音霊」が、シンクロし合い、 共鳴し合い、えも言えぬ「美しき楽曲、究極の楽曲」を 奏でるようになるのです。 しかし、日ごろ、怠惰な生活を送っていたり、何の練習もしていない 人間が、「究極の楽曲」を演奏できるわけないのです。 たとえ奏でたとしても、「不協和音」に過ぎないのです。 ようするに、楽器としての我々が、正しい調律をせずに、 「音」を出しても、「猫踏んじゃった」ぐらいにしかならないと いうわけです。 そこで、まず、日々「魂と肉体の浄化」を図り、「守護霊団、守護神」と しっかりと繋いで、「究極の楽曲」「祝詞」を奏上すれば、 それは、「意乗り」「祈り」となり、言霊が広がり、大量の光を導入する、 「光の導管」となります。 神界との「光」ケーブルの敷設です。 日々この「導管」を流れる光の量を増やして行けば、 自ずと「カムナガラの道」へと案内され、「神人」へと導かれていくわけです。 悪しき想念を持つ者が、「究極の楽曲」を奏上しようとしても、 また、この曲を演奏すると「神と繋がれるよ」と「楽譜」のコピーを 渡しても、「譜面どおり」の正しき音が出せるはずもなく、 逆に憑依している「悪霊達」が、「一番苦手とする神の曲」を 演奏させようとする行為に怒って、それらの者を「ぼこぼこ」に するわけです。 これらの事態は、実際にあることですし、神社が清まっていないのも、 「神主」の演奏が、「猫ふんじゃった」のせいもあります。 そんな例を取り上げて、「祝詞は生物」とか、「H祝詞」は、 「魔」を呼ぶとかの暴論に導くのは、 本末顛倒の、すり替え手法です。 一例を引けば、「日本で悲惨な事件が、起きたから、日本人はみんな悪魔だ」 と言っているのと同じです。 一事が万事 とは、ひとつのことから、ほかの全てがわかること。という意味ですが、 以下のメッセージをお読みくださいませ。 他にも立て替え、立て直しというておるが、 中には悪の手先おるぞ。 悪の手先となりて、 人の心に恐怖の種ばらまいておる者多いぞ。 何のための警告か。 そこを考えねばならぬぞ。 何のためのお知らせか、考えてみるのぞ。 立て替え立て替えと、 鐘を鳴らして走りまわる者の心をよく見るのぞ。 人の不安に付け込んで、悪が入るぞ。 悪が入るための警告あるのぞ。 助かりたいは、人の道。 なれど、うわべの改心で、助けもらうと思うなよ。 神から見ればその御魂、汚れがあるか否かはの、 きちんとわかりてくるのぞよ。 うわべの改心要らぬのぞ。 まことの改心してくれよ。 根の根の根からの改心ぞ。 元の元から神のもと、立ち返りた者救うのぞ。 神が救うわけでない。 己の心が救うのぞ。 己のことのみ救いても、まことの喜びありはせぬ。 ありとあらゆる生命を、 一緒に救いてくだされと、祈る心が本物ぞ。 我よしだけでは改心は、 まことにできてはおらぬのぞ。 己の心に問いてみよ。 人もよし、我もよしが本物ぞ。 本物なりておる者は、どこにいようが絶えようが、 再び神が引き上げて、 うれしの御世に連れてゆく。 我が助かることよりも、まことの改心することじゃ。 神の心を知ることじゃ。 神を手本とすることじゃ。 こだわり持つは悪神の、虜となりた証拠ぞよ。 心をすべて解き放ち、 自由になれる心持ち、すべてになれる心持ち、 それが大事であるのぞよ。 己の心でありてもの、花の心となれるのぞ。 他人(ひと)の心となれるのぞ。 他人も己も変わりなく、 神から分かれた御子なれば、 決して己のことでなく、 他人(ひと)のことをも含み見て、 祈れるまことの人となれ。 この星々の生命を、すべて思える人となれ。 まことの人にならずして、 神にすがるは邪の心。 それをわかりてくだされよ。 ここではきりと言うておく。神の教えをくみ取れよ。 自分だけが 助かりたいが為iに 我良しの 信仰多い世となりた。 悪は、ああせい、こうせい とゆうてくる 戒律を 作るのは 宗教ぞ みかけの改心いたしても、言葉の波動は隠せぬぞ 汚い尻尾が見え隠れ 己を捨てても、人の為、神に祈ってくだされよ 他利の心は神心、すべては足りとなるのぞよ おのが心の真実を、鏡に映して見なされよ どんな姿か、しっかりと お目目をひらいてご覧あれ あれよこんなにも 醜い鬼はだれぞよと 知らない振りして、見なんでも、 本当はきづいておるのぞよ そが醜き姿は、おのれの の うつりし姿と気付きくる されば醜きその姿、毎日毎日 すこしづつ 溶かして消していくのぞよ すへて消した折にはの 鏡に映るは 光輝く神姿 それが己の誠の姿なり 多くの方にお知らせの為、ブログランキングに参加しています。 クリックにご協力の程、宜しくお願い申し上げます。 さて「日月神示」についてです。 うわー うれしいなあ!「日月神示」を「お題」にしてもらって。 しかもこのように、岡本天明 先生まで、太鼓判を押してもらって。 お宮まいりは大丈夫ですよね? (のり)さん (伊勢白山道リーマン) 2008-09-21 17:13:32 お宮参り、してください。 大事ですよ。 岡本天明氏の魂は、正神界系です。 ただ、自動書記には、正神界が4から3割。 他は、破壊系です。 これは、岡本さんの私生活に関わる時期で、アクセス先が変わっています。 私の過去コメントもあります。 ということは、岡本天明 先生は、「正神系」であるからにして、 「日月神示」は、国常立大神 様からの正しい神示に間違いないわけで、 3から4割は正解というわけだ。 ということは、「一二三神示」という「別名」もあるくらいだから、 「一二三祝詞」が、邪神系としたなら、 3から4割の正神の神示に、「一二三祝詞」に関する記述は、 一切含まれないと言うわけですね。 正神が、正しくない祝詞を伝えるわけないもんね。 あれれ、おかしいなあ? 第一巻 上つ巻 第32 帖 に 早速こう書いてあるぞ? ・・・・・・・・前略 一二三(ひふみ)唱えて岩戸開くぞ。 ・・・・・・・中略 ひみつの仕組とは、一二三の仕組ざ、 早う一二三(ひふみ)唱えて呉れよ、 一二三唱えると岩戸あくぞ。 おまけに私は、その3から4割の正神系の部分のみを収録した、 幻の青本と呼ばれる、刊行会の数少ない「希少本」を持つてるが、 正神の神示の中に、数え切れないほど、多くの「一二三祝詞」に 関する記載があるぞ? 以上、苦しいこじつけが判明しましたね(爆) 2ちゃんねる時代から、「さまざまな間違い」を指摘されると 後から強引なこじつけで、言い訳をする癖はとれていないようですね。 サナート・クマラは、サナート・クマラ サナート・クラマではありません。 コメント欄でのやり取りは、ブラックジョーク? 白山山伏 氏、 相曾(相曽)誠治(あいそ・せいじ) グルジェフの 思想の寄せ集めだから、 時々ポロが出る? 多くの方にお知らせする為、ランキングに参加しています。 クリックにご協力の程、お願い致します。 さて「ひふみ祝詞」について、私宛に発信された記事があるので、ご挨拶文を コメント欄に入れましたが、 今、コメント欄を全部読んでみましたが、私が夕刻に入れた、コメントがアップ されていないようです。全部アップされると書かれていたような気が。 まあそんなことは、置いといて、コメント欄を見てて気付いたのですが、 「ひふみ祝詞」と「フルエユラユラ」が別のものと勘違いされている方が、 多いように感じられました。 両者はまったく同じものです。 では、そのあたりを事実に基づいて、解説してみましょう。 「ひふみ祝詞」のルーツは、天皇家の祖に伝えられしものです。 以下のウィキペディアをご覧下さい。 「十種の神宝」 そして日本最古の神社「石上神宮」に伝わる、「十種の祓詞」を ご覧下さい。 この中に出てくる、「天つ御祖神」とは、「天照大御神 様」のことです。 孫の「ニギハヤヒの命」に、「神宝」を授け、 この十種の神宝を、ゆらして、 一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや」と 唱えれば、死人でも生き返るくらい、「魔」や「ケガレ」を祓う力が、 ありますよと、伝えているのです。 一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや」 及び 百千万(モモチヨロズ)と唱えるのを、「天の数歌、あるいは、ひふみの数え歌」 と言います。 そしてそれを四十七音つづけたのが「ひふみ祓詞」と言います。 ンを入れると「四十八音」「ヨハネ」となります。 簡易バージョンの数歌と、フルバージョンの「ひふみ祓詞」を 総称して、「ひふみ祝詞」と称しています。 そして「ひふみ祝詞」は、十種の神宝とともに、神武天皇に献上され、 天皇家の神道の伯家神道での神事として、明治になるまで、 延々と伝え続けられたのです。 私は、皇室とのお付き合いもありましたので、皇室は、言霊と数秘学を連綿と 伝えています。 そんな数霊の極意を見事に解説しているサイトが以下のサイトです。 興味ある方は、ぜひご覧下さい。 「古神道の数霊」 さて「日月神示」についても、お題が投げかけられているので、 次の日記では、「日月神示」「ひふみ神示」について、解説いたしましょう。 「般若心経」も地獄に落ちる、 「ひふみ祝詞」も地獄に落ちる、 「有料ヒーラー」もそれを受けた者もすべて「魔道」におちるということは、 今までの皇族はじめ、神主、坊主は、全員もれなく、地獄行きと かの方はおっしゃっているのかな? 多くの方にお知らせの為、「ランキング」に参加しています。 クリックにご協力の程、宜しくお願い致します。 さて前の日記のコメント欄も盛り上がっているようですが、 そのコメント欄自体が、社会の縮図なんですね。 一人一人に信条があり、様々な考え方があります。 そして、そんな人の住む国にも、それぞれの考え方があります。 軍隊に所属し、戦争に行って、人を殺さなければいけない方でも、 家族や恋人にとってかけがえのない方であり、決して鬼畜のような人間ではありません。 しかし、分裂した「個」の意識である限り、「相容れない主義、主張」が 対立の根を生み、やがては戦争につながってしまいます。 それが皆様がすでに勉強されている、「分離の恐怖」というものですね。 常に自分の「安全」が脅かされていると感じ、ごく親しい方以外は、 自分になにか「危害」を加える存在のように感じてしまう。 「安全」が保障されていないので、物を蓄えこみ、さらには、それを奪われまいと セコムやアルソックのお世話になるわけです。 人をみたら「泥棒と思え」なんて訓えがあるくらいですね。 しかし、人には、気付いておられない方も多いですが、生れ落ちた時から、 守護霊団様が見守り、そして守護神様が指導し、大神様が命を永らえるために さまざまなご配慮を頂いています。 決して一人ではないし、一つの人生だけで、魂が消滅するわけでも ありません。尽きせぬ愛でずっと見守ってくれているのです。 それに「気がつくこと」 そうすれば、自然と「有難い」と感じ、感謝の気持ちが産まれてきます。 そして、なんと自分は、身を守るために、不必要なものを必死で作り、 自ら生み出した「お金」という、「化け物」に支配されていたか気付くわけです。 そして、その結果、母なる地球をここまで汚してしまったのかと、 深い反省の念に立ち、「神々」に、「どうぞ今まで゛の馬鹿な行為をお許しください」 「我々人間の力では、もうどうすることもできません」 「神様、どうぞ、何が起きても、文句も言いません」 「母なる地球をどうぞ、元の美しい星に戻して下さい」とこころの底からの 「深い祈り」、心の底からの「意」が乗った、「祈り」を捧げることになるのです。 「神々の希望」は、そこまでなのです。 「気付けよ、気付けよ」「今のままでは、滅びてしまうぞ、過去の失敗をまた 繰り返すのか」と、「神々」は、半世紀以上前から、繰り返し、繰り返し、 「警告」を発し続けて居られます。 「アセンション」「アースチェンジ」なにも、怖いことも、恐れることもありません。 ただ我々人間が、「上記の気付き」をして、「心より祈ればよいことです」 今回の日記による、「騒動の演出」は、すべて私の意図するところから、 発しています。 ディズニーランドがあれだけ人気が続くのは、その本物そっくりの「疑似体験」に あります。 今回の騒動もネットという「仮想空間」での「擬似体験」に過ぎません。 しかし我々人間は、追い込まれない限り、なかなか目が覚めるものではありません。 お子様をお持ちのお母様なら、いやと言うほど体験されていると思いますが、 朝、ベットからなかなか起きれないお子さんに、優しい言葉をかけ続けることで、 すんなりと、起きてきますか? 声を荒げ、最後には、強行手段の布団剥ぎ取り作戦を遂行せざるを 得ませんね。 それと同じことです。 今回は、アルクは憎まれ役の演技者なので、できるだけブーイングを 浴びるべく、「出来るだけ憎たらしく振舞わせていただきました」 失礼の段は、平にご容赦願います。 そして、相手役として「伊勢ー白山 道」氏にご登場願いましたが、 彼もまた「役者」の一人、「神のお手伝い」です。 「神の手伝い」は、批難、中傷、は、当たり前のことです。 しかし、ここで申し上げたいのは、2ちゃんねるの時代、 少しお酒が入って書いている時の語り口や、 毎日、お風呂に入ってきますと報告するエピソードは、 大変微笑ましいものでした。 そんな彼が、人気が上がるに従い、またコメント欄での依存者の増加とともに、 実像から虚像へと、転身を遂げなければならなかった経緯について、 事情を良くご存知の方はお分かりでしょう。 多くは申しません。 ここ数日、アルクが味わった「コメント」欄の応対の労力を、 もうずっと長期間に亘って、続けてきたわけです。 「彼」を追い込んだのは誰か? しかし、「神の御使い」は、それなりの「大きな責任」を伴います。 そこの所に気付いて頂く為、今回は、大きな石を投げ込ませて 頂きました。 アルクの詭弁、言い訳、すり替えと取られるのも自由です。 今後は、誰がなんと言おうと、「荒野の声」を続けてまいります。 たとえ多くのカルマを抱えることになっても、すべては自己責任。 人にとやかく言われる筋合いはありません。 最後にもう一度申します。 つきせぬ愛で見守り続けて下さる「大神 様」の愛を感じましょう。 決して一人ぼっちではないことに気付きましょう! 守護霊団 からのメッセージソング 「きずな」 作詞:SA・TO・MI&MAYU 作曲:MAYU 編曲:OJJI&MAYU 1、孤独の影におびえる人よ あなたは独りじゃない ずっと前から見守っている やわらかなまなざし 孤独の影に凍える人よ あなたは独りじゃない 尽きせぬ愛で守り続けた いつの日もどんな時も 喜びも悲しみも分け合ってきた かたい絆 どうか気づいて… 永遠の時間のなかで 巡り逢う一片の奇跡 手を伸ばせばにぎりかえす 暖かな手がそこにある 2、孤独の影におびえる人よ あなたは独りじゃない ずっと前から抱きとめてきた やわらかなぬくもり 悲しみやさびしさの奥に息づく かたい絆 どうか気づいて… 悲しみはやさしさへと さびしさは愛しさへ きっと変えてゆける 君と僕の この美しい地球(ほし)の上で 永遠の時間の川を 流れゆく一粒の星に 静かな月夜の光のように 君を照らし続ける だから今を生きてゆこう この美しい地球の上で 愛と感謝を込めて・・・♪Prayer MAYU♪ 頑固親父、たぬき親父のアルクを応援していただける方は、 クリックにご協力の程、お願い申し上げます。 かれこれ、15年に亘って色々な「霊能者」なる方と、お付き合いしてきました。 それぞれ個性的な方が、多くチャネル先も様々です。 しかし、そんな「霊能者」も大まかに「二種類」に分かれます。 一方は、「霊的な能力」が、一般人よりも高く、霊の干渉を受けやすいというタイプです。 その主な「チャネル先」は、6次元以下の霊界です。神界は7次元以上です。 もう一方は、「神」がメッセンジャーとして、御使いになられてる「神人」です。 この両者は「能力者」としては、同じように見えますが、実際には、大きな差があります。 最初の普通の霊能者は、言ってみれば、感度の優れたラジオみたいなものです。 普通の一般人より、感度がよいので、この宇宙に溢れる、様々な電波を 拾ってしまうということです。と同時に、人間を利用したい様々な存在のコントロールを 受けやすいということです。 そのチャネル先は、4次元の幽界、また銀河の低次元の宇宙人、5次元の眷属神、 まれに6次元の闇の大物といったレベルが、かかってきます。 神々の眷属神といえど、決して善なる存在とは、限りません。 守護霊、守護神といえど、人間によかれと思ってなす行為が、逆に人間にとって、 悪となるケースも多いのです。 それに比較して、「神人」レベルの能力者は、7次元以上の神界の神様が、 ご指導なされており、国津神、天津神、龍神団、直系の眷属神が、周りを取り囲み、 悪霊、邪神の侵入に対して、目を光らせています。 この「能力者」というレベルでは、見分けがつきにくい「両者」ですが、 明らかに、その言動を比較すると、顕著な例が出できます。 単なる「霊能力者」は、発言が極端にブレます。 「神人」は、終始一貫、徹頭徹尾、発言が変わりません。 じっくりとそのあたりを見つめていけば、「霊能者」の区別がついてくるでしょう。 そして、神が人を「神人」としてご用で使われる際、必ず、その神名を明らかにします。 そういう点からも、どのような神の使いとして、神示やメッセージを降しているかを 明らかにしない「霊能者」は、ただの「霊能力者」に過ぎません。 神名とは、人間がつけたものにすぎませんが、神は人間にわかりやすいように、 神名を教えて下さいます。 ランキングにある「木花咲耶姫 様」のようにです。 私の二人の師匠も、亡き師は、国常立大神 様、豊受大神 様、諏訪大神 様、 ご健在の師は、木花咲耶姫 様、素盞嗚大神 様 と言う風にです。 ただの「霊能力者」が、「大神 様」の名をかざしても、その「頓珍漢さ」は、 一目瞭然です。 「我輩の霊視によればーーー」などは、一番「噴飯物」の言い草です。 「神人」の伝達は、「大神 がこうおっしゃっています」です。 決して「自分」が「主」になりません。それが「寄り代」と言うものです。 「神人」は、神のメッセージを正しく、そのまま伝えるのが使命です。 そこに自分の「考え」や「意見」を入れてはいけないのです。 皆様もご注意ください。「私の霊視によれば」とか、 正しく神名を明かさない「神示」など、まがいものです。 「日月神示」は、国常立大神 様から、直系の天の日月霊団を通じて 降ろされたように、正神界からのメツセージは出自が明らかです。 眷属神などという「曖昧糢糊」のものではありません。 神界よりのメッセージは上意下達が、当然のルール。 人間界に近い、「取次ぎの眷属神」を通じて、伝達されるのですが、 当然、どの「大神 様」の眷属神か明らかにします。 そうでない場合、邪霊、邪神が、「神」を装う時は、その流れを 曖昧にします。たまに「大神 様」の名を語ることもありますが、 どなたかが、コメント欄に書かれていましたが、 その場合は、「アマテラスオオミカミ」を「アマテラスオホミカミ」 というふうに、一字、言葉を代えたりします。 なぜなら、大神 様の御名は、言霊のエネルギーの塊であり、 邪霊、邪神が、その通り、名前を騙ると、「神の光」に焼かれてしまうからです。 そういった点から、自称「霊能者」の言動を審神してみましょうね。 「アマテラススメオオミカミ カムナガラタマチハエマセ」 天照皇大御神 様と奏上する場合は、「宇宙創造神のスの大神 様」への奏上と なります。 天照大御神 様と奏上する場合は、太陽神への奏上となります。 カムナガラタマチハエマセ より多くの方にお知らせする為、「ランキング」に参加しています。 クリックにご協力の程、宜しくお願い申し上げます。 |
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