ここから本文エリア

現在位置:朝日新聞デジタルマイタウン宮城> 記事

七十七銀行女川支店「3・11」

2012年04月02日

写真

七十七銀行女川支店(手前)と高台に立つ旧町立病院=3月24日、小宮路勝撮影

 大震災の津波で行員ら12人が犠牲となった七十七銀行女川支店(女川町)で、行員らを支店の屋上に避難させた経緯について、遺族の一部が検証を求め続けている。町内の別の金融機関では高台へ避難を指示していたことも判明。「なぜ高台に逃げなかったのか」。疑問視する声は、1年を過ぎて、より強まっている。

 七十七銀行同様に女川港に近い仙台銀行の支店では地震直後、外から戻った行員が大津波警報を告げ、支店長は避難を即決。金庫に必要なものを入れ、「一番高い所」をめざし、全員が約1キロ先の標高約32メートルの高台へ車で向かった。支店に残った行員はいなかった。

 港近くの石巻信用金庫の支店長はラジオで「6メートル」の大津波警報を聞き、職員のうち女性全員と男性1人を支店裏の高台へ避難させた。車にエンジンをかけさせてから片付けを急ぎ、支店長は海を見張った。湾内の海面の上昇を見て「逃げろ」と叫び、残る職員全員で車に分乗し、避難した。

 一方、パートのスタッフを含め14人が出勤していた七十七銀行女川支店。
 本店の説明では、地震後の午後2時55分ごろ、外から戻ってきた支店長が「大津波警報だ。片づけは最小限にして避難する。すぐ上がる」と叫んだという。同行の「緊急時災害等対応プラン」は、津波時に「ただちに指定避難場所または支店屋上等の安全な場所へ避難」と記し、どちらに逃げるかの判断は支店長に委ねている。女川では屋上へ避難することになった。

 この時、スタッフの1人が「帰宅したい」と申し出て、支店長は「潮が引いている。いつ津波が来てもおかしくないから本当に気をつけろ」と言ったという。外から戻る途中、海の状況を見ていたと考えられる。

 残った13人は午後3時すぎ、高さ約10メートルの屋上に。支店長は本店に「ただちに屋上に避難します」と電話も入れた。一部行員はいったん階下に降りたが、午後3時15分ごろ、再び屋上に戻った。3時14分に「10メートル以上」の大津波警報が出ていた。が、ただ一人海で救助された男性行員は、その警報は知らなかったと本店に説明しているという。

 本店によると、この行員は支店長に「海を見てろ」と言われた。支店は港から約100メートル。だが道路を隔てた海側には3階建ての水産観光センターがあり、屋上から沖は見えなかった。

 センターの屋上から津波到達時の支店の屋上を見た人がいる。午後3時20分ごろ、屋上に次々に行員が現れたと話す。「まさか支店に人がいるとは思わず、うわ、危ないと驚いた」

 センター屋上に避難した別の人は、津波が10分もたたずに支店に達し、行員がのまれていく光景を目の当たりにした。最後に残った若い男性は背広を脱ぎ捨てワイシャツ姿に。両腕を広げて波を打った姿が、目に焼き付いていると語る。

 センターの高さ18メートル超の屋上に津波は及ばなかった。指定避難場所で標高16・5メートルの高台にある4階建ての旧町立病院も2階以上が浸水を免れた。この高台までは支店から徒歩約3分だった。(小野智美、川端俊一)

PR情報
朝日新聞購読のご案内

ここから広告です

広告終わり

マイタウン地域情報

ここから広告です

ここから広告です

広告終わり

広告終わり