日本全体が注目した巨大コンクリートポンプ車その生まれ故郷を巡る旅は上海から始まった

日本のピンチを救った「大キリン」の産みの親、三一重工

 東日本大震災に伴う福島第一原発事故の発生により、原子炉の冷却が一刻を争う中、いち早く援助の手を差し伸べた中国企業があった。その名は中国・長沙に本社を置く三一重工。コンクリートポンプ車では世界最大の建設機械メーカーだ。

 同社が東京電力に寄贈した長さ62mのアームを持つコンクリートポンプ車は、ピンポイントで原子炉建屋内の使用済み燃料貯蔵プールや原子炉に放水。東電はひとまず急場をしのぐことができた。車台から伸びた、カマキリの腕のような細長いアームの先端から力強く水を放出する"異様な"姿を、テレビの前で多くの日本人が見守った。その容姿から、現場では「大キリン」という愛称で呼ばれ、今なお親しまれている。

 製品の活躍とは裏腹に、この三一重工という企業、日本ではあまり知られていない。だが、同社は中国の建設ラッシュの波に乗り、三一集団(グループ)全体の売上高はこの6年間で約9倍という、IT企業並みの急成長を果たしている。同グループの会長・梁穏根氏は、中国でも屈指の大富豪として知られる。しかも同社は今年、"建機大国・日本"への本格参入を計画しているという。

 いったい、三一重工とはどのような企業なのか。その実態を探るため、中国へ向かった。

日本では無名の建設機械メーカー、三一グループの素顔とは

 まずは、三一グループの基本的な概要について説明しておこう。

 三一グループは、現在、上海、北京、瀋陽、昆山、長沙の5カ所に大規模工場を擁する中国最大手の建設機械メーカーだ。従業員数は現時点で約6万3000人。海外にも米国、ドイツ、インド、ブラジルの製造工場をはじめ30カ国以上に拠点を有し、110あまりの国と地域に重機製品を輸出している。日本にも現地法人「三一日本」を構え、主に製品に使用するエンジンや各種の部品の調達先である日本企業との窓口を果たしている。また、福島第一原発事故が発生した際、「我が社の製品なら……」と東京電力本店の受付を訪れたのは、三一海外日本駐在の営業担当者だった。

 三一グループの売上高はこの5年間、猛烈に伸びている。2005年に58億元(約725億円)だった売り上げは、06年81億元(約1012億円)になったのを皮切りに勢いを増し、07年135億元(約1687億円)、08年209億元(約2612億円)、09年306億元(3825億円)、そして10年には502億元(6275億円)に達した。その勢いは止まらず、2011年に800億元(約1兆円)を見込んでいる。既に上期は計画を上回り、"1兆円越え"はほぼ確実だという。実現すれば、5年間で約10倍に迫るほどのハイペースだ。

 創業は1989年。現会長の梁穏根氏ら4人が国有企業を退職し、手元資金6万元で創立した。創立当時は溶接材料を販売していたが、91年に三一重工へ社名を変更し、93年から建設機械の製造を開始した。

 同社が創業後、最初に開発に着手したのが、福島第一原発事故で活躍したコンクリートポンプ車に代表されるコンクリート機械だ。現在、コンクリートポンプ車は名実ともに同社の主力製品で、販売シェアは世界一を誇る。07年には66mのアーム(正式には「ブーム」という)を持つコンクリートポンプ車が、世界一の長さということでギネス世界記録を樹立。09年には、72mのアームを備えるコンクリートポンプ車を開発し、自らギネス記録を更新した。

 現在は、コンクリートポンプ車に加え、杭打ち機械やクレーン機械、油圧ショベルなども製造、販売しており、いずれも中国国内で1、2を争う販売台数となっている。10年8月にチリのサンホセ鉱山で落盤事故が起こった際には、救出用カプセルの引き上げに同社の超大型クレーンが投入され、世界から一躍脚光を浴びた。さらに、その2年前の08年5月に発生した四川大地震でも、同社の重機が大きな役割を果たしている。

まずは、様々なクレーンが並ぶ上海工場へ
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