あの人の人生を知ろう
【 20世紀最高のピアニスト〜グレン・グールド賛歌 】

Glenn Gould 1932.9.25-1982.10.4 


1歳のグールド。かわいい! 少年グールド。犬と仲良く連弾

  

23歳で衝撃のレコード・デビュー!グールドがピアノに向かうとあらゆるクラシックの古典が新曲になった

グレン・グールド大明神!彼は僕のヒーローであり、No.1愛聴ピアニストだ。グールドの演奏を聴く度に“ハア〜、ほんと、生まれてきて良かった”と歓喜の涙が滲んでくる。彼の愛すべき人柄や数々の「伝説」を、生涯と共に紹介しよう!

●32歳で演奏会を中止

ゴッホ、ベートーヴェン、ダリ、平賀源内…昔から天才と変人は紙一重と言われてきた。グレン・グールドも間違いなくその一人。グールドは1932年9月25日にカナダ・トロントで生まれた。父は毛皮商、声楽家の母方の遠縁には作曲家グリーグがいる。1946年、トロント王立音楽院を最年少の14歳で卒業(しかも最優秀)。同年トロントでベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番第一楽章を演奏してコンサート・デビュー。23歳の時にNYで録音した初アルバム、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』が、若々しい鮮烈な演奏で世界の注目を集め、1956年のクラシック・レコードの売上ベストワンを記録した。一躍時代の寵児となった彼は、各地で計253回の演奏会をこなして行く。
ところが!1964年、32歳の時に人気の絶頂で突然コンサート活動の中止を宣言し、聴衆の前から姿を消してしまう。「客の咳払いやくしゃみ、ヒソヒソ声が気になって演奏に集中できない」という神経質な性格もあったが、最大の理由は音楽家としてのポジティブな向上心にあった。グールドいわく「聴衆の中には、ピアニストがいつ失敗するだろうかと手ぐすね引いて待っている連中がいる。彼らはローマ時代に闘技場に集まった群集や、サーカスの綱渡り芸人が足を踏み外すのを心待ちにする観衆と同じだ。その結果、演奏家は失敗を恐れるあまり、いつもコンサート用の十八番のレパートリーを演奏することになる。すっかり保守的になって、もしベートーヴェンの3番が得意曲だったら、4番を試してみるのが怖くなるというように」「レコーディングによってコンサートの地獄のストレスから演奏家は解放される。演奏会の為に同じ曲ばかり練習するのではなく、新しい楽曲にどんどん挑戦してゆけるし、失敗を恐れずにありとあらゆる解釈を試せる」。
以後、彼はスタジオにこもり、録音専門のピアニストとなって自己の芸術を高めていく。


●重度の病気恐怖症

グールドが奇人と呼ばれたのは、まず独自の風貌にある。極度の寒がり屋で、夏でも厚い上着の下に分厚いセーターを着込み、ヨレヨレのコート、マフラー、毛皮の帽子を身につけていた(大抵は黒一色)。ズボンはだぶだぶ。常に厚い手袋をはめていたが、手袋の理由は防寒だけではない。グールドいわく「もしもの時の防衛用」。異常なまでに潔癖症(細菌恐怖症)の彼は他人との接触を極端に嫌い、握手さえ「万全を期して」避けていた。電話の向こうで咳が聞こえ「風邪がうつる」ので切ったという話まで残っており、それが冗談と思えないところがグールドならでは。また、いつも大瓶のポーランド産ミネラルウォーターと大量のビタミン剤(5瓶分)を持ち歩き、周囲から大丈夫と言われても絶対に水道水を飲まなかった(ロシア公演では晩餐会への出席を拒否!)。非常に少食で、普段は少量のビスケットとフルーツジュース、サプリメント(ビタミン剤、抗生物質)等しか取らなかったという。

  グールドといえばこの服装 1974年・トロントにて(42歳)



●指揮者よりエライのさ

幾多の指揮者を激怒させたのは、演奏中に片手があくと、その手で指揮を始める癖だった。個人リサイタルならともかく、オーケストラとの共演でも振り続けるので、「ステージに2人も指揮者はいらん」と怒りを買った。帝王カラヤンは「君はピアノより指揮台がお似合いだ」と嫌味を言い、バーンスタインは「もうやってられない」とベートーベンのピアノ協奏曲全集の録音を途中でボイコットした。評論家にも指揮癖を非難されたグールドは一言、「手を縛って演奏することは不可能だ」。

  スタジオ録音でもやっぱり“指揮”している

前述したバーンスタインは情熱家肌であり、その分グールド絡みの逸話も多い。駆け出しのグールドをバーンスタインがNYフィルに招いた時のこと。20代半ばのグールドはカーネギーホールへ出番2分前に着く大物ぶりを見せ、セーターのまま舞台に出ようとするのでバーンスタインは必死で阻止したという。最も有名なのは1962年にブラームス・ピアノ協奏曲第1番で組んだ時の「ブチ切れ宣言事件」。当時バーンスタイン44歳、グールド30歳。本番直前までバーンスタインのテンポにグールドが従わなかったことから、演奏前にバーンスタインが客席に向かって「今から始まる演奏のスピードは私の本意ではない。ここから先はグールド氏の責任だ」と、前代未聞の敗北宣言をしたのだ。結局、頑固なグールドに根負けし、指揮者が演奏者に合わせた形になった。後日のグールド「あのスピーチの時、僕は舞台裏で笑いをこらえるのに必死だった。無理を聞いてくれたバーンスタインに感謝した」。グールド、あんたすごいわ。







練習中に火花を散らすバーンスタインとグールド。
バーンスタインはグールドの音楽論に一目置いていて
「グールドの言葉は彼の弾く音符のように新鮮で
間違いがない」とも言っている


●ピアノが歌い、椅子が歌い、グールドも歌う

演奏スタイルも奇抜だった。演奏前に洗面所にこもり、両手をお湯に半時間浸して温めた後、彼がステージで腰掛けるのは有名な『グールド専用椅子』。彼は父親が作った床上35.6cmの極端に足の短い折り畳み椅子をいつも持ち歩き、この専用椅子でなければ演奏を拒否した。時々録音にキーキー音が入ってるのはこの椅子の“歌”だ。そして、椅子が異常に低い為に、彼が座ると胸の高さに鍵盤がくる。手首は鍵盤の「下」だ。演奏時は物凄く猫背になり、今にも鼻が鍵盤にくっつきそう。口の悪い批評家はその特異なスタイルを指して「猿がオモチャのピアノを叩いているようだ」と冷やかした。彼は音楽に没入すると体を揺らしながら演奏するが、その揺れは曲のリズムと合っていない。
動画〜グールドの鼻歌(3分)。途中で立ち上がり最後は演奏大爆発!(バッハ/パルティータ2番)








リハ中にオケをほったらかしにして30分も高さを調節。
指揮者セルを激怒させた。グールドはこのエピソードを
否定しているが、怒った側のセル本人が証言している
のでおそらく本当のことだろう

  鍵盤が目と鼻の先!長身なのに子どものよう。(50歳、最晩年のグールド)

極めつけは、演奏しながらのハミング!グールドのCDにはこんな注意書きが書かれている。『グールド自身の歌声など一部ノイズがございます。御了承下さい』。ピアノの音色と共に、朗々と歌い上げるグールド。彼の唸り声や鼻歌に、録音の技術スタッフが怒って「楽譜に歌のパートはないぞ!」と指摘すると、「感情を抑えて、黙りこくって演奏なんか出来ない!」と逆ギレ。イジワルなインタビュアーに「演奏しながらなぜ歌うんですか?」と聞かれた時は、「あなたは私のピアノを聞いていないのか?」と逆にやりこめた。

  歌いまくりのグールド

ショパンを弾かないピアニストも珍しい。グールドはショパンを「感情過多」と軽蔑し、たった1曲しか演奏しなかった。彼に言わせるとモーツァルトも「グロテスク」らしい。だからモーツァルトの悪いところを“直してあげて”弾くんだって。グールドのことを人間ではなく、本気で「地球外生命体」「神」と信じている人もいる(マジ)。

1982年、グールドは脳卒中で倒れ1週間後に他界した。まだ50歳の若さだった。グールドが後世に残した最後の映像記録は、奇しくもデビュー・アルバムと同じ『ゴールドベルク変奏曲』だった。

★必聴!偶然見つけた海外サイト…クリックすると自動的に最晩年の『ゴールドベルク変奏曲』(約3分)が流れます!ここまで色々書いてきたけど、本物の音を聴くのが一番彼の素晴らしさが伝わります!(耳を澄ませばグールドの鼻歌もちゃんと聞えるよ♪)。とても精神的な深さを感じる感動的な演奏なので、絶対聞く価値アリ。一度きりの人生、あなたの3分間をグールドと共に!!
※ゴールドベルク変奏曲は300年前の子守唄。眠りる前に聴くとめっさ心地よいデス。
CDはコレ、07年にDVDもついに発売!)


●グールド、宇宙へ

彼は生涯独身で愛犬バンコーと暮らしていたことから、遺産の半分は動物愛護協会に寄付された。グールドが選んだ20世紀の最高傑作小説は漱石の『草枕』とトーマス・マンの『魔の山』で、『草枕』は異なる訳者のものを4冊持っていた。死の床には、枕もとに聖書の他に書き込みだらけの『草枕』があったという。また、死の前年にラジオで草枕の第1章を朗読している。その他、映画『砂の女』(勅使河原宏監督)を100回以上見たと伝えられている。
愛用のピアノは1945年製スタインウェイを改造したもの。晩年はヤマハの音も好み、最後のゴールドベルクの収録はヤマハで行った。
NASAが1977年に打ち上げた惑星探査機ボイジャー1号&2号には、異星人への地球人からの挨拶として、グールドが演奏したバッハのレコード『平均律クラヴィーア曲集第2巻/前奏曲とフーガ第1番』が針と一緒に積み込まれた。素晴らしい。これ以上は考えられない、人類の最高の自己紹介ではないか!


●グールドに逢いたくて

2000年7月、僕はグールドからもらった沢山の感動の御礼を伝える為に、彼が眠るトロントに向った。観光案内所の係員が墓地の場所を知らず途方に暮れていると、巨大CDショップ(HMV)が目に入った。手掛かりを求めてクラシック売り場に向かう。「あのう、グールドの墓はトロントの何処にあるかご存知ですか?」 若い店員「墓は聞いたコトないんですけど…」。ぎょえーっ。僕が不安のドン底に落ちていると、肩を背後から叩いた人がいた。立っていたのは中年の男性店員。「フッフッフッ…私が教えてあげよう」。なんと!その店員は首からグールドのブロマイドを掛けているではないか!彼は最寄りの地下鉄駅から墓地までの手書きの地図を作ってくれた。
















グールド・ファンの親切な店員さん!
胸元に“あのお方”のブロマイドが光る

なんとかグールドが眠るMount Pleasant墓地に着くと、今度はその広大さに目まいを覚えた。管理人いわく「20万人以上が埋葬されてます」。事務所でもらった墓地マップを片手に探し回り、ついに彼の墓前へ。グールドの墓には彼の代名詞とも言える『ゴールドベルク変奏曲』の楽譜が刻まれていた。頭の中で彼の音楽が流れ始め、胸がいっぱいになり膝をついた。ありがとう、グレン・グールド。

墓に彫られていた『ゴールドベルク変奏曲』は子守歌。
グールドは安らかに眠っていることだろう
奏でる音が聴こえてきそうで耳を澄ます
(2000年7月、トロントにて)

「グールドはバッハの最も偉大な演奏者である」(スヴャトスラフ・リヒテル)
「グールドは私にとって永遠のアイドルだ」(ウラディーミル・アシュケナージ)
「グールドより美しいものを見たことがない」レナード・バーンスタイン)
「結局、彼は正しかった」(ユーディ・メニューイン)
「芸術の目的は、瞬間的なアドレナリンの解放ではなく、むしろ、驚嘆と静寂の精神状態を生涯かけて構築することにある」(グールド)

(参考文献:エンカルタ総合大百科、映画「グレン・グールド27歳の記憶」ほか)



《グールド巡礼2009》







約10年ぶりの墓参!背後がグールド家
の墓、手前はグレン単独の墓
グールドが眠るカナダの墓地は公園に近い。
サイクリングやジョギングをする人がいっぱい
「愛する息子グレン・グールド」とあった


《市民の憩いの場〜グールド像百景2009》

トロントのCBCラジオ・ビル。
この前にグールドの座像が設置されている
厚着でコロンコロンの
有名なこの写真が→
こうなった!

トロント市民を見守るグールド

住所…250 Front St West ,Tronto / Canadian Broadcasting Centre




立ち止まって見つめるマダム 同じポージングで至福のショット 若い女性にモテモテのグールド



家族連れが男の子とグールドの記念写真をパシャリ この子、最初は帽子を触ってたけど… 「チーズ」で鼻に指を突っ込んでた!(笑)


●浅田彰氏によるまとめ〜グールドの5大特徴
(1)行儀の悪い座り方
(2)極端に低い椅子・高さ35cm
(3)弾きながら歌う
(4)曲のリズムと合わない体の揺れ
(5)自分の演奏への指揮


※グールドの入門にはベスト盤CD『リトル・バッハ・ブック』が良い曲ばかりでおすすめ!(もち、本人の歌声入り)
※坂本龍一をして「旅先に必ず持って行く究極の1枚」と言わしめた至福のCDが『ブラームス間奏曲集他』
※人間味のある人物像に迫りたい人は記録映画『グレン・グールド 27歳の記憶』が充実しています!



★本物のグールド・ブームの到来か!?
08年末に発売された坂本龍一のグールド選。
あえて「バッハなし」というのが斬新!
★最新情報!1992年にリリースされた6枚組み
LD-BOXが、遂に世界初DVD-BOX化!
収録時間は怒濤の629分!



《あの人の人生を知ろう》
★文学者編
・宮沢賢治
・太宰治
・小林多喜二
・樋口一葉
・梶井基次郎
・清少納言
・近松門左衛門
・高村光太郎
・石川啄木
・西行法師
・与謝野晶子
・茨木のり子
●尾崎放哉
・種田山頭火
●松尾芭蕉

★学者編
●南方熊楠
●湯川秀樹
★思想家編
●チェ・ゲバラ
・坂本龍馬
●大塩平八郎
・一休
・釈迦
・聖徳太子
・鑑真和上
・西村公朝
・フェノロサ

★武将編
●明智光秀
●真田幸村
・源義経
・楠木正成
●石田三成



★芸術家編
●葛飾北斎
・尾形光琳
・上村松園
・伊藤若冲
・本阿弥光悦
・棟方志功
・世阿弥
●グレン・グールド
●ビクトル・ハラ

★その他編
●伊能忠敬
・平賀源内
・淀川長治
●千利休

●印は特にオススメ!





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