※バラモン僧としてのブッダの教えは極めて素朴なものである。ブッダは抽象的な質問にはまったく答えていない。例えば人霊魂は永遠の命か≠ニか、霊魂は存在するか≠ニかの弟子からの質問では霊魂そのものの存在を否定しているし、永遠の命を苦≠ニ論ずるために修行によって無(悟り)≠ヨと向かうのである。
現在南伝仏教≠ニか原始仏教≠ニ云われている、いわゆる小乗教は、(小乗教とは大乗仏教からの蔑視表現)ブッダの素朴な教えから戒律を発展させたもので原始仏教といえどもブッダの根本思想とは云いがたい。
原始仏教を色濃く残していると云われているサンスクリットの阿含部聖典、パーリー聖典の相応部に見られる説一切有部%凾フ上座部思想もやはりブッダの思想から発達したものである。
ブッダそのものは一介のバラモン僧であり、後世の弟子たちが特に仏の教え≠ニして仏教と呼ばれるようになったが、ブッダの教えは六道輪廻≠ゥらの脱出であり修行者となって阿羅漢となってはじめて解脱≠ノ至るという単純なものである。
似たような発展形態としてキリスト教がある。ジーザース・クライスト(イエス・キリストのプロテスタントの云い方)も自身ではユダヤ教の新思考として認識していて決して新しい宗教を創立するつもりは無かったとの学説があり、いわゆるキリスト教≠ニして宗派の態勢を築いたのはパウロであるとされている。(余談)、
ブッダは瞑想という修行、余談だが冨士尻学研究≠フ修行は「迷走」である。(爆笑)、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
つまりヨーガ≠ノよってひたすら修行をすすめ、雨期やそのおりに触れて弟子の質問に答えたことが「八万四千座」といわれ、仏界と娑婆との往来を「娑婆往来八万四千回」と云われる所以となった。
ブッダは戒律についても厳格なほうではなく、むしろ戒律を重視していなかったのでこれを批判したダイバダッタは教団を割って厳格な戒律をもった教団を形成し、玄奘三蔵が震旦に行ったときこの教団はまだ存在していたようである。
タイやミャンマーに見られる原始仏教は、この地方は実は大乗仏教が広布していた。アンコールワットの世界観は大乗仏教の世界観を表したものなのである。が、次第に世相が懈怠となり民心が荒廃してきたためにスリランカから改めて原始仏教を移入したというわけである。
ブッダの教えは四諦・十二因縁・八正道だけである。教団の尼さんが修行中に従兄弟の男性にレイプされ、ブッダに「その時どのような心であったか」と問われ、「灼熱の鉄棒を射し込まれた苦痛でした」と応え、ブッダは「ならば良い」と云って、この時から「不邪婬戒」が出来たが、ブッダそのものは戒律に対して否定的であったようだ。
また、戒律というのは最初の者は破戒とはならない。なぜなら、そういう戒律が無かったから罰することが出来ないのである。
これは、シャキャー族≠サのものの特質として規律というような規範をあざ笑う傾向があり、シャキャー族≠ヘカースト制度も問題視してはいなかったもので、遊女でさえ才覚があればクシャトリア・ヴァイシャの生活が出来たもので、原始仏典にもブッダを供養しようとした地方の支配階級が遊女による供養の接待を先に受けたことを嘆いたということが書かれている。
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