IE9ピン留め

本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール

access countベキコ
since 2004.9.1

ご意見・ご感想



最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事


access countベキコ
since 2004.9.1


















「決められない日本」の言説の欺瞞 - 先送りの中身
今週初め、4/2と4/3の2日間、大越健介がワシントンから中継放送する企画があった。その論調は「決められない日本に苛立つ米国」というもので、TPP参加や辺野古移設を決断できない日本に対して、同盟国である米国が苛立ち、日米関係が軋んでぎくしゃくしているという警告を発し、日本国民に反省を促すというメッセージだった。あまりに露骨で徹底した植民地奴隷根性ぶりに、テレビを見ながら気分が悪くなったし、こうして思い出すと不快で精神が萎え、番組の内容を復元して整理する作業すらできない。批判記事を書くことができないまま、2日も3日も経ってしまった。他の視聴者の感想はどうだっただろうかと、Twitterで「大越 ワシントン」を検索すると、反発と非難のTLが轟々と流れていて、これを確認してようやく安堵させられた。媚米という言葉は、大越健介のこの態度を表現するためにあるのだろう。この放送の直後、岩上安身が、5月の野田訪米時にTPP参加が電撃発表されると観測を上げた。情報の真偽は定かではないが、事実だとすると大越健介の報道と平仄が合う。明らかに、この2日間のワシントン中継は、事前に計画的に組まれたもので、政府の指図でシナリオが書かれている。日程から作為が読み取れる。つまり、3月は消費税増税があり、3/30に閣議決定して法案提出し、官邸会見をした。次はTPP論議の番なのだ。


政治の工程表に沿って動いている。4月から5月にかけて、TPP論議で賛成世論を多数化するべく、NHKが工作を仕掛けているのである。これからは、消費税増税に加えて原発再稼働が政治の争点となり、論議が過熱すると思っていたが、そこにTPP参加が割り込んで加わろうとしている。実際に、5月の訪米で参加表明があり、コメを例外品目にせず、かつ医療保険を自由化する約束が為されれば、国内は蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。どうやら、政府は全ての問題を一挙に同時に解決しようと謀っているように見える。そして、その恐ろしい政治戦略は、米国が強力に後押ししている徴候が窺える。キーワードは「決められない政治」だ。よく考えてみると、消費税増税も米国の要求の一つだった。消費税を増税させ、その分、法人税を減税させる。そうすると、利益が多くなって配当に回せる。現状、日本企業の株主は外資であり、経営は外資に握られている。消費税率が低くて法人税率が高い日本の税制は、日本経済を牛耳る外資にとっては「社会主義」の悪弊なのだ。もう一つ、原発再稼働の方も、米国からの要求があるのは歴然だ。この点については、寺島実郎の言動を注意していると事情がよく察知できる。先日の報ステでも語っていたが、原発はグローバル・インダストリーであり、全世界での分業と協業の体制がある。その中で、日本メーカーは重要な役割を担っている。

日立・東芝・三菱が原発から撤退すると、パズルのピースを欠くように技術開発が止まり、国策で進めている米国の原発事業も将来の見通しが立たなくなるのである。日本に先に降りられたら困るのだ。その辺りの論理を寺島実郎は巧妙に言い回し、原発を続けることが国際貢献であるかような詭弁をテレビで吐いている。寺島実郎は、まさしく原発政策のジャパンハンドラーだ。バックに米国の原発複合体がついている。「決められない政治」のフレーズ。また、新しいイデオロギー工作の装置が開発され、兵器として政治の戦場に投入された。この言葉は、橋下徹と橋下徹の政策を推進するマスコミが使う言葉だが、大越健介は、これを米国の論理として使い、米国の政策要求を押し通すために使っている。意味はほとんど橋下徹と同じだ。「決められない」と不満を言う側には中身がある。それは、①消費税増税、②原発再稼働、③TPP参加、④辺野古移設であり、それらの断行を早くしろという意味だ。しかし、「決められない」のには理由がある。なぜ簡単に決められないのか、大越健介はそこを見ず、ひたすら「決断できない」現実を、怠惰や臆病として描き、政治家の優柔不断や国民の利己主義として説明するのである。TPP参加が正しい選択であり、辺野古移設があるべき方向であり、それが日米両国にとって最善な政治なのに、日本の国民と政治家の自覚がなく、愚図だから、その決着が図れないと言うのだ。

実際には、これは米国のエゴの押しつけであり、米国の利益で日本の不利益であり、だから齟齬や逡巡が起きているのだが、大越健介は米国からの目線を普遍化し、米国の要求に抵抗する日本の利害を不当視して説明する。つまり、本当なら、政策で対立する二つの立場と利害がある問題を、そのように客観的に示さず、道理の分かった者と視野狭窄な者との対立に見せ、米国や官僚の要求の絶対性を強調するのである。「決められない」政治の構図は、実は①-④の政策について、官僚と米国の立場と国民の立場が対立していて、二つが政治の場で複雑にぶつかっているという問題である。そして、政治家(議員・政党)も圧倒的多数が①-④については米国・官僚と同じ立場なのだ。国会でぶつかっているのではない。対立する二勢力が激突しているわけではない。①-④について、民主も自民も一致している。だから、外見上、この政治を怠惰の産物のように指摘することができるのであり、そういう言説で仮象化することが可能なのだ。「民主も自民も同じなら早く決めろよ」と。しかし、本当は怠惰でも何でもない。「決められない」のは国民の多数が反対しているからだ。一つずつ見てみよう。①消費税増税について、3/30の官邸会見の直後の毎日の世論調査(4/2)で、反対が60%に上り、賛成は37%に止まっている。賛成と反対の差は以前より大きく開き、消費税増税への反対は国民の多数世論として固まった。

②の原発再稼働についても同じで、日経の3/25の世論調査でさえ、反対が増えて55%に上り、賛成が32%となった。日経だの読売だのは、年中、電力不足を喧伝して原発再稼働の正当性を主張し、読者を再稼働容認へと誘導している新聞である。原子力村の機関紙も同然だ。その日経でさえ、再稼働に反対だと世論を報じていて、賛否は拮抗していない。毎日の世論調査(4/2)では、反対が62%、賛成が33%とダブルスコアとなっている。消費税増税と原発再稼働について、それを「決められない」のは、国民の多数が反対しているからである。消費税増税については、かれこれ5年以上議論をして、何度も選挙をやり、マスコミ全社が揃って共同社説を書いて翼賛し、閣僚がタウンミーティングをやりながら、世論は6割が反対という結果なのである。原発についても、1年間議論をして、国民世論は再稼働反対が増える一方なのだ。民主主義の原則に従って、政策を国民の多数意見で「決める」のなら、消費税増税は撤回しなければならず、原発再稼働も断念しなくてはならない。③のTPP参加についても、時間をかけて議論を深めれば、確実に反対派が賛成派を凌駕する展開になるだろう。④の辺野古移設については、「決められない」だの何だのと言うこと自体が論外で、世論的には決着済みの問題である。新基地建設の選択肢などあり得ない。論外な問題になっているのに、米国の代理人の大越健介が、必死で政治争点であるかのように喚いているだけだ。

こうして一つ一つの政策現実を検証すると、何が問題なのかよく分かる。対立しているのは、国民と支配者なのである。国民は、①消費税増税に反対で、②原発再稼働に反対で、③TPP参加に慎重で、④辺野古基地建設に反対だ。それを推進しようとしている側に、官僚と米国とマスコミと政治家がいる。この対立関係が真実だ。政治家は、決めたくても決められないのである。すなわち、国民の意思と要求を政策化した政党が国会に存在しないことが問題なのであり、国民の意思と要求を無視し、それを無意味と決めつけ、官僚と米国の代理人になって国民を騙す情報操作をしているマスコミが問題なのである。大越健介は、①-④の政策への反対が民意であることを承知で、反対が異端であり不当であるかのように国民に感じさせる洗脳工作に注力している。米国の論理を押し立て、米国を神聖な絶対者にして、米国の意向に従うように上から訓令を諭す。①について、財務官僚はかなり悪玉になっている。②について、原子力村は悪の巣窟として評価が固まった。しかしながら、米国については、未だに日米同盟の神話の効力が生きてて、日本人の多くを観念拘束したままの状態が続いている。「日米同盟の重要性」と一言言えば、それが水戸黄門の印籠の如く機能し、政敵の心理を即時に武装解除する状況が続いている。それは、日本人の反共反中イデオロギーに根ざし、そこから条件反射で正当化される仕組みになっていて、年を追うほどにその観念と習性が強固になっている。

日本人は親米イデオロギーの奴隷だ。Twitterでも少し述べたが、今回の北朝鮮の「人工衛星」の発射について、前回と比較にならないほど執拗に迎撃ミサイルの宣伝報道がされている。何かが始まるのではないか。親米軍事狂騒がマスコミ報道を埋め、それが2週間ほど延々と続き、TPP論議の所与(米国礼讃・米国帰依)を敷き固めると同時に、4/26の小沢判決の政治的伏線となるのではないか。今月から来月にかけて、軍事的な論理が突出した親米ファッショの環境が出来上がり、①消費税増税も、②原発再稼働も、③TPP参加も、そのまま論議を打ち切る趨勢になるのではないか。支配層の立場になって考えたとき、そのようにして①-③を強行する以外に、国民の納得と合意を得て政策の決定と実行のプロセスに移るという動きは考えにくい。普通に議論を続ければ、国民の抵抗は強くなるばかりで、一つたりとも押し通せず先送りせざるを得ない。消費税増税法案は、時間が経てば経つほど国民の反対が強くなり、行政の無駄削減が先だとか、議員定数の削減が先だとか、貧困層への対策はどうするという論議に関心が集中する。それが埋まらなければ採決は無理という形勢になる。原発再稼働も同じ。今、支配層はショックドクトリン的な機会が必要なのだ。混乱の中でどさくさまぎれに全てを通すという手法が、最もリスクのない政治の設計なのである。国民をパニックにさせ、思考停止に追い込むことができれば、消費税増税も原発再稼働も有無を言わせずに断行できる。有事と総動員体制的な環境。

悪い予感がする。


by thessalonike5 | 2012-04-05 23:30 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://critic5.exblog.jp/tb/18085570
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前 :
URL :
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード 
昔のIndexに戻る 日本型雇用と国富 - 湯浅誠の... >>