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日本型雇用と国富 - 湯浅誠のエディプス・コンプレックス
旧時代の遺物のように左右から叩かれている終身雇用だが、年をとると、それほど悪いシステムではないということを実感する。若い頃は、私もこの制度に不満を感じる一人だった。人は40歳を過ぎると体力が衰え、新しい領域の知識を手早く覚えるのが苦手になる。柔軟性や機敏性や暗記力がなくなり、一個の労働力商品としてのパフォーマンスを落とす。しかし、人生は続くのであり、経験で培った知恵を生かし、生産に貢献する道を探らなければならない。そして、若い人を育てることができる。経験と技能を持たずに職場に入った若者は、年長者に教えられて仕事ができる人間に変わるのである。ときどき、湯浅誠や宮本太郞などが、一生のうちで会社を何度も変わるのが当然の社会にすべきだと言い、終身雇用の解体を促進せよという政策主張を展開している。オランダや北欧のモデルを理想化し、行政が整備した職業訓練こそが労働者のプラットフォームで、企業は気儘に自由に渡り歩くのが理想だというような説を吹聴している。本当にそうだろうか。宮本太郞は、これから大学を辞めて転職し、民間企業の社員として働くことができるだろうか。湯浅誠は、第二のセーフティネットでCADや溶接をマスターし、非正規で稼ぐ生き方ができるだろうか。おそらく、二人とも、そのような人生は想像もしたことがないはずだ。自分にできないことを、他人ができると思うのは間違いだ。
 

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by thessalonike5 | 2012-04-03 23:30 | Trackback | Comments(6)
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Commented by liberalist at 2012-04-03 21:17 x
今回のエントリーは、冒頭の宮本太郎や湯浅誠に対して、じゃあお前がやってみろという皮肉から始まり、素晴らしい内容だと思います。

終身雇用や年功序列に加えて、「愛社精神」が日本型経営、経済の原動力だったと思います。
日本人は元来から帰属意識の高い民族性であり、その民族性にマッチしたのが、この愛社精神ではなかったでしょうか。
派遣や非正規雇用では、この愛社精神は身に付きません。時間給で働けば、ベストを尽くそうが、6割の力で働こうが、基本的に得るお金は同じです。そうすると、労働者は当然楽をするために、6割の力しか出さなくなります。これでは共産主義の国営企業労働者となんら変わりはありません。まさしく、過剰な新自由主義は、失敗した共産主義と同じ現象を巻き起こすのです。
そうならずに、労働者のベストパフォーマンスを引き出させたのが、この愛社精神に外ならないと思います。
新自由主義は人間は合理的で、効率性を重視する経済思想であるため、こうした「人間の心」というものが決定的に欠如した、非現実的な欠陥思想であると私は思うのです。

今後とも、既存の左派とは一線を異にする、昭和期、戦後日本の良さを訴える記事を期待しています。
Commented by 源平 at 2012-04-04 01:02 x
そもそも、「日本型雇用」への回帰は可能なのでしょうか。

「登録型派遣の禁止」を趣旨とする民主党マニフェストの派遣法改正案は、
2010年民主党の参院選惨敗を起因とする衆参ねじれを背景に
自民党が強く撤回を迫って、潰したものです。
その自民党が次期総選挙後、政権に復帰します。

「日本型雇用」への回帰は、ますます絶望的になるのではないでしょうか。
Commented by ゆたか at 2012-04-04 04:55 x
>旧時代の遺物のように左右から叩かれている終身雇用だが、年をとると、それほど悪いシステムではないということを実感する

私も50をすぎたせいでしょうか、同感に思います。
年功序列制と終身雇用制のいいところをここで、釘を刺す意味であらためて確認したく思います。
まず、年功序列制は、年上の人を年上というだけで尊ぶところがいいと思います。儒教的な価値観と笑う向きもあるでしょうが、たとえば翻って、有力な若者が無力な老人を蔑むような図はどうしたって受け入れることができませんもの。
次、終身雇用制のいいところは次の二つあります。
第一は、相対的にあまりおカネのかからない若いうちの賃金を抑えることで、子供の学資とか住宅投資とかで、よりおカネが必要なシニアの世代に厚く報いることができます。
第二は、定年まで職が保証があれば、職業人は、後顧の憂い無く仕事に没頭できるでしょう。意気に感じて会社への忠誠心を持ってもおかしくありません。
年功序列制と終身雇用制こそ、仕事へのモチベーション、或いはインセンティブを産む源泉なのでは。
このへんのニューディールが今必要と思う所以です。
Commented by H.A. at 2012-04-04 12:49 x
京都の会社の技術者で、ノーベル化学賞を受賞された方は、受賞スピーチで”チームワーク”を強調されていました。ご自身の役割は何といぶかしく思われても、自分ひとりの成果ではないとのことだったのでしょう。報酬は上がったといってもサラリーマン、それでも今も勤務されています。無欲な方だと思います。

他方、青色発光ダイオードの開発に重要な役割を果たした技術者の方は、特許権の帰属と膨大な対価を求めて訴訟を起こされます。その後米国の大学に移られ、裁判で認められて和解されますが、本当にその人だけの成果だろうか、成功報酬を上げることで、助手的人々の役割や報酬・雇用を考えなくてよいのだろうか、とも思いました。

会社(的な職場)をやめて自営している者が言うのも何ですが、日本の会社の強みは、前者のような方の存在が支えてきたような気がしています。
Commented by minmin at 2012-04-05 00:19 x
いつも深い考察に、頷きながら拝読しております。

私は湯浅誠氏と同世代ですので、ポストモダン、脱構築という考え方(言葉?)はとても懐かしい響きがあります。
私は芸術系の大学でしたので、大学の先輩が「美術の様式は、もう先人達によって出尽くしてしまい、これ以上新しい様式は存在しないし、モノを作るという行為は近代的な考え方で、そういう産めよ増やせよ的な発想が、公害のような現代の弊害を起こしている。・・だから自分は作品を作らない事が制作するという事だ」と言っていたのを思い出しました。
新しいものをつくらず、以前からある概念を切り取って再構成するのが新しいというポストモダンな考え方は、豊かな時代のインテリ風の人達の戯れ言だったようにも今は思いますし、生まれながらに豊かである事の閉塞感を理屈づける概念で、当時完成した東京都庁のツインタワーも、ポストモダン建築概念の象徴的な遺跡?だと思います。
Commented by minmin at 2012-04-05 00:27 x
長々とすみません..続きです↓
それが、最初から豊かに生まれた小泉純一郎氏と貧しい日本で這い上がった田中角栄氏の違いではないでしょうか。
豊かさ=在るものは壊せるけれど、貧しさ=無いものは壊せないので、小泉氏も(湯浅誠氏も)真剣に国民と国家の事を考えてい(た)るのだとは思うのですが、豊かさの中に育った私たちは、貧しさの中から這い上がった人とは元の発想が違い、新しいモノを作り出す事は出来ないのではないかとブログを拝読しつつ思いました。
私達の大学もそうでしたが、当時の東大も親がしっかりと家計を支えて、そこそこ豊かで、出身の高校は進学校で周りの皆も大学に行くのが当たり前、受験に失敗しても浪人して少しでも良い大学を目指す、そんな人間がほとんどだった様に思います。
私達の世代は今までも「努力」はしてきたし、今も続けているけれど、生きるか死ぬかで「苦労」するという経験がないので、社会を新しく構築するという事が出来ず、結局は自分達の居場所を壊しながら、利権の理屈に負けるのが、現代の日本の中年世代マジョリティの重い病とも思います。自分でもそう考えると辛いのですが、豊かさを一度壊さない限り、つける薬はないのかもしれません。
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