防衛庁設置法・自衛隊法公布
1954年06月09日
防衛庁と防衛大学校の看板を書く木村篤太郎長官
1954年6月30日 東京
分列行進をする越中島駐留部隊員
1954年7月1日 東京・越中島
開校した航空自衛隊浜松航空学校。後ろは練習機ビーチクラフトT34A 1954年9月 静岡・浜松
防衛庁設置法と自衛隊法が公布された。7月1日に保安庁は防衛庁と改称。保安隊が陸上自衛隊に、警備隊が海上自衛隊に改められ、新たに航空自衛隊が発足した。また、内閣総理大臣の諮問機関として国防会議、陸海空各自衛隊の統合運営を行う統合幕僚会議が設置された。保安隊、警備隊の任務は国内の平和と秩序維持だったが、これにより侵略軍と戦闘を交える「直接防衛」が前面に打ち出され、「自衛隊=軍隊」論争が繰り広げられた。
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