「徳田球一が北京で客死」と発表
1955年07月29日
徳田球一書記長の肖像画を飾って弔意を表す共産党幹部
1955年7月29日 東京・代々木の共産党本部で
戦後第1回の総選挙で5議席を獲得、「大勝利」で肩車される徳田球一書記長
1946年4月11日 東京・代々木の共産党本部で
政治犯釈放で一団となって府中刑務所を出る徳田球一(左から2人目)、志賀義雄(同3人目)ら共産党員
1945年10月6日 東京・府中刑務所で
日本共産党は「潜行中の徳田球一書記長が、1953年10月14日、北京で病死した」と発表した。行方を消して3年目、59歳だった。徳田は22年に荒畑寒村らと第1次共産党を創立して中央委員となり、28年に検挙されて18年間獄中に。45年に釈放されて党書記長になり46年の衆院選から連続3回当選。50年に公職追放されて地下に潜行した。
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