水俣病、正式に発表
1956年04月21日
6歳で発病、17歳になっても意識は全くなく手足は幼児のように細い 1968年9月 熊本・水俣市リハビリテーションセンターで
水俣病の原因といわれる有機水銀が流れる排水は工場から水俣湾に注ぐ 1960年4月 熊本・水俣
熊本県水俣市の新日本窒素水俣工場付属の病院で歩行・言語障害の5歳の少女が診察を受け「原因不明の中枢神経疾患」と診断された。病院は保健所に連絡、水俣病が公式に確認された。熊本大医学部に設置された研究班の調査で工場廃液に疑いが持たれた。しかし、会社側は言い逃れをつづけ、行政もその責任を認めようとしなかった。廃液による公害病と認定されたのは公式確認から12年後だった。
コメント
未だに、水俣病の原因物質を有機水銀と記すのは何故ですか?水俣病の原因物質はメチル水銀と記すべきだと思います。フェニル水銀は有機水銀ですが水俣病を引き起こすことはないはずです。
保健所への届け出(公式確認)の半年後、熊本大学が疫学調査(住民の行動様式等を統計処理して要因を探る調査)の結果を発表しました。「水俣湾の魚介類多量摂取による何らかの中毒」と。しかし行政は「原因物質が証明されないため、漁業規制できない」と表明。そのため被害が拡大してしまいました。ミクロの原因すなわち物的証拠のみを科学的根拠とする当時の考え方、すなわち疫学的証拠を科学的根拠と認めようとしない当時の未熟な判断が2004年の裁判でも断罪されました。現在も同じような考え方が日本人の中に残っていると思います。過去の失敗から学ぶ必要があるのではないかと思います。