2007年8月16日 (木)

少し変わる勇気

 表題にも書いたが、柏崎に関する私の考え方を書き連ねるという作業を再開する。

 7月14日まで書き連ねていた「柏崎&にもかかわらず桜井」は文字通り野心作である。その野心的な部分が嫌われ、停止の事態となった。私自身がよく理解している。

 3年前になる柏崎市長選。私の掲げたものが「少し変わる勇気」であった。

 柏崎だけではないのだが、あまりに形式的なものの中で、絶対的に負けていく事態、無くなるという事態を避けるためには、私自身を含めた意識の変革、ちょっとした覚悟がそれぞれに求められる、ということを表したつもりであった。残念ながら、それは認められなかった。

 そして、未だ私がこのようなことを書き連ねることに不愉快を感じる方々もおられると思う。

 にもかかわらず、私がブログを似て非なるタイトルで再開するのは、地震後の柏崎にはやはり「少し変わる勇気」が必要だと考えるからである。私の野心や個人的な思いを乗り越え、そう考える。

 地震後の柏崎。実質的なもので組み立てていかなければならない。また同じ、といった事態は避けなければならない。太い骨が必要である。形だけの組み立てでは無くなる。

 遠くを見よ。

 明日以降、地震を振り返りながら書き進めていくこととする。

 初回の結びにあたり、ブログ再開を望んで下さった皆様と地震の最中、お励ましをいただいた皆様に感謝する。私の恩師、女子美術大学付属中学・高等学校の小河秋好校長先生、親友中村治教務主任始め教職員の皆様にも心からの感謝を捧げたい。改めて、短いものであったが女子美での年月を代え難いものと感じ、ありがたいものとし、誇りに思う。そして、にもかかわらず私は柏崎に帰ってきたのだ。

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2007年8月17日 (金)

地震当日 1

 7月16日、私は風邪で寝込んでいた。前日からの夏祭りにも出られなかった。ただ、この16日は三男の子供御輿と次男の野球遠征が重なっていた。何とか子供御輿だけでも出て、その後次男の野球に駆けつけたいと考えていた。夏祭りは、八坂神社のぎおんまつりである。私が柏崎に戻ってきて最も大切にしてきたものの一つであった。

 とにかく顔だけは出そう、と神社に赴き、午前10時に八坂神社を子供御輿は出発した。はっきりとしない頭と足で私も出発した。

 10時13分。下から突き上げる、グングンというべき揺れが私たちを襲った。0.00何秒という時間だったのだろうけれども、その揺れを地震とすぐに感じることはできなかった。全てゆっくりとした大きな動きの中で地面が揺れ、電柱が傾き、家々の石塀が倒れてきたように感じられた。

 「お父さん、家が倒れる」

 子供御輿につかまっていた三男が叫んだ。振り返るとほんの何十秒前に通り過ぎた家が土埃を上げて倒れていった。

 私たちは子供たちを集め、道路の真ん中でたたずんだ。両サイドに寄れば家屋の倒壊などに巻き込まれると思ったのであった。

 「もっと広いところへ行こうよ」

 付き添いのお母さんが声を上げた。私もその通りだと思ったのだが、比較的近くにある広場は川の近くだったのだ。私は津波を心配した。八坂神社は鵜川の正に河口にあり、海から100メートルほどに位置している。私は、川を見に行った。

 防災無線はまだ鳴らない。

 子供たちを移動させ、神社役員に御輿の中止を宣言してもらい、そこで解散を指示した。避難場所は柏崎小学校、防災無線が鳴ると思うけれども、石塀や古い家屋の近くは通らないこと、などと話した。

 私も三男を連れ自宅へ戻った。長男、父、母は無事であった。家の中はメチャクチャである。新潟市新津で試合をしている次男、応援の妻と連絡を取ろうにも相変わらず携帯は通じない。

 三男を家に置き、私は消防団の服に着替え、飛び出した。

 

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2007年8月19日 (日)

心意気

 今日は日曜日。学習塾SEAは夏期講習最終日。お隣の産文(産業文化会館)は全国から応援に駆けつけてくださったガス事業者の本部となっていて今朝も活気がある。

 各地から来ている方々も当然のことながらご商売であり、仕事である。ボランティアではない。けれども毎朝8時前後、集まり、そして現場へと散じていく作業員の皆さんには一定の雰囲気がある。心意気のようなものではないのか。

 昨日一通のお葉書をいただいた。東京電力の主要なポストにあった方からのものである。ブルーブラックの伸びやかな文字はいつもお人柄を感じさせる。私が柏崎に戻ってきた頃からずうっとお手紙を下さる。

 退職されてもう何年にもなるのに未だ柏崎を気遣ってくださる。原子力を心配されている。

 霞ヶ関の官僚、永田町の政治家。本当に日本のエネルギーを考え、柏崎のことを考えて戴いているのだろうか。そして、柏崎にはそれを喚起する心意気が足りないように思う。

 

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地震当日 2

 消防小屋には班長始め数人が集まった。ポンプ積載車ですぐに管内を回った。

  •  ガス漏れの可能性があるので火は絶対に使わないこと。電気のスイッチ類にも触れないこと。
  •  避難所としての柏崎小学校は水が出ること。(その後タンクの水が枯渇) 

 以上の広報と救助活動。

 東港町では倒壊家屋の間からお婆ちゃんを引っ張り上げた。ご無事であった。小町ではご夫婦の遺体を救急車へ。また、行方がわからなかったおじいちゃんを倒壊家屋の下から発見した。既に息切れていらっしゃった。3人とも近所のよく知る方々である。

 その後は更に行方不明の男性の捜索と巡視活動の3日間だった。

 次男と女房がお昼過ぎ、新津から帰ってきた。途中で水と食料を買ってきて、とメールしておいたのだが、女房は気を利かせて20リットルポリタンを10も買い、水を詰めて来てくれた。大いに助かった。

 あっという間に夜が来て、私たちは塾のあるビルに行った。電気が通じていたのである。約1週間を過ごした。父と母は避難所に行った。

 電気に関しては停電を免れた地域もいくつかあり、照明がつく、エアコンが使えるという状況は非常に大きく安心を支えた。

 塾の教室は2階と3階にあるのだが、来客用スペースのある2階は本と教材用のビデオ、DVD、またそれらを録画する機器などが入り乱れ、床から5、60センチの高さまで散乱している。とても足を踏み入れられるような状態ではなかった。(一月が過ぎた今でも全てはまだ片づいていない)

 3階部分は生徒用の椅子と机が主なる備品であるので、これらを端に寄せ、家族5人が寝泊まりするスペースを確保した。子供たちは地震で避難という事態に少し興奮気味というか遠足気分もあったので一喝する。

 電気・ガス・水道といわゆるライフラインと呼ばれる3つであるが、幸いにして電気が通じたというアドバンテージは大きかった。

 一日目の夜は、テレビとFMピッカラ(コミュニティ放送)を見聞きしながらウトウトとしながら過ごしたのであった。何といっても心配は原発であった。

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2007年8月20日 (月)

中越沖地震と柏崎原発

 もっと、柏崎市や新潟県は「国」に対して怒るべきです。第一義的には国に責任、というのが私の考えです。選挙が行われましたが、終われば雲散霧消です。

 国のエネルギー政策に協力し、そして翻弄されてきた柏崎市は、今回の地震で国に「原子力立地地域復興対策特別措置法」などを制定させ、法的な根拠裏付けをもって柏崎の復興に金を出させるべきなのです。避難施設となった学校が、その用を為さず、等という状況は恥です。

 小学校、中学校、高校、コミセンなどの耐震化は国の予算にて行うべきものです。道路にしても上下水道にしても公共インフラは国の予算にて行うべきものです。医療に対しても同様です。柏崎市はこの40年近くそれだけの事をしてきたと思うのです。

 耐震化といえば、その原発です。

 私は今回の事案は、「日本に原発が存在していいのか否か」また、「存在しなければならないとするならば耐震化の抜本的施設整備に掛けるコスト、電気料金への波及を含め、どれくらいの覚悟があるのか」というところまで行き着くと思います。

 日本の産業構造の転換さえも問いかける可能性を有していると思います。

 根本論議を正々として頂きたいと思います。国に対してもっと強く出るべきです。引っ張り出さなければなりません。怒るべきです。

 以上は私が7月29日、ある方に送った電子メールの一部である。激甚災害の指定などというのは当たり前のことである。加えて柏崎は原発立地地域であるという強い認識を国に持たせなければならないと思う。

 2年前、宮城県女川原発近くで地震が起こり、日本において初めて設計上の数値を超える揺れが原発で観測された。私はその当時ブログでことの重要性を指摘したが、残念ながら直後の柏崎市議会においてそれが大きく論議されることはなかった。
 また、反対派の方々からみれば地盤論議が30年間無視されてきたという思いもあるでしょう。

 今回、全国原発議会サミットが延期されることになったという。残念である。1ヶ月、2ヶ月延期をし、会場を柏崎刈羽において開催するという選択肢が考えられなかったであろうか。復興の支援にもなる。無論、技術的検証が未だ明確ではないという事情もあろう。しかし、今年、柏崎で原発議会サミットをやることの意義こそ、全国原発議長会を作り、議会サミット開催をリードした柏崎市議会の矜持ではないのだろうか。

 長年言い続けてきた、原子力安全・保安院の経済産業省からの独立。陣容を強化し、原子力専門の規制当局として執行力を持たせること。
 
 私が願うのはここ数年低調になった原発論議が柏崎において復活をし、柏崎の将来についての真の論議が、率直に、実質的なかたちで行われることである。今までと同じ轍を踏んではならない。
 
 大げさかもしれないが、柏崎、原発、東京電力、存亡の危機であるように感じられる。国の有り様を含めた大きな論議を柏崎がリードしていただきたい。
 

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2007年8月21日 (火)

柏崎ならばできる2007

 我が家は明日、あさって夏休み恒例キャンプである。山北の方へ行こうと決めていたのだが、明日の予報は雨。100%雨。朝から晩まで雨。よって私は奮発して長野県のホテルで1泊に変更しようと子どもたちに相談した。

 子供たちの答えは、「キャンプ!」

 おお!桜井雅浩の子どもたちよ。

 と朝から右往左往していたので、ブログ更新が遅れてしまった。

 さて、やはり原子力。今日から読売新聞で「原子力の50年」と題する連載が始まった。

 旧ブログで書き続けたように、世界は原子力ブーム再来である。「原子力ルネッサンス」と呼ばれているようである。しかし、日本では、青森県大間のABWRも着工が延期された。元々大間はATRで予定されていたはずだ。変更変更である。

 各地の原発地層調査が改めて始められている。

 柏崎市は頑張らなければならない。この機を逃して、規制機関としての経産省からの独立はない。権限の強化はない。この機を逃して復興対策特別措置法の制定はない。原発に関する根本論議は、日本のエネルギーに関する根本論議は、今この時である。

 過日、新潟県議会便りが折り込まれた。県議会首脳陣は、地震直後、原発を視察し、その雰囲気を体感している。柏崎市議会はいかに。

 柏崎市は激甚災害の指定を従来より1週間早い、などといって喜んでいる場合ではない。

 原子力50年の歴史を担って、今、柏崎が頑張るときだ。誤解無きよう書き添えるが、単純な原子力再興を求めているわけではない。先に書いたように、本当に原子力が日本にふさわしいものか否か、安全なのか否か、許容しうるリスク確率なのか否か、規制体制は実質的なもので真に機能させられるか否か、根本論議をじっくり時間をかけて行うべき、ということである。

 柏崎は未だリーダーとしての才能を発揮していない。組み立てようとする気概が未だ感じられない。

 本当に頑張って戴きたい。今だけがその時である。

 

 

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2007年8月24日 (金)

Kashiwazaki for Japan

I_for_japan_s

 内村鑑三記念堂に行ってきた。石の教会を見たいという女房に引きずられたのだが、良かった。

 かくあるべし。

 ( I for Kashiwazaki )
  Kashiwazaki for Japan
  Japan for the world

 市長が電源特会の活用について言及した。しかるべし。なお、特措法の制定に向かわれたし。

 9月市議会一般質問は、復興に関することのみ?原発は?

 原発定検期間13ヶ月から2年へ。さすが原子力安全・保安院。さすが霞ヶ関。センスの固まり。それを何ともいわずに発表させる政治の不在、無関心。

     Kashiwazaki for Japan
       Japan for the world
 

 

 

 

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2007年8月27日 (月)

routine を恐れる

 地震があって、1ヶ月を過ごし、新聞の整理をようやく終えようとしている。本日の新聞各紙に、柏崎の文字は無くなったようだ。地方版に残されただけである。

 内閣改造では甘利経産大臣が留任と伝えられている。官房長官は与謝野馨氏。与謝野氏は日本原子力発電でサラリーマンを経験していらっしゃる。

 国を前に引っ張り出してくるチャンスである。(あった) 特措法のことも含め、もう遅すぎるくらいである。国は既にルーティンに入っている。

 復旧になりつつある。復興でしょ。頑張るとき、知恵を出すとき、先を見るとき。

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2007年8月28日 (火)

それぞれの感謝

 自衛隊の皆さんもガス・水道の応援部隊の皆さんも、昨日、セレモニーを経て柏崎を離れた。感謝の気持ちを伝える手段は限られていたが、多くの住民がその気持ちを共有していたと思う。

 本当にありがとうございました。

 うちの近くのガス工事現場。交通誘導をしていたおじさんと話した。横浜から来たという。

 「こういっちゃあ悪いけども、オレなんか地震で助かったんだ。無ければ仕事にあぶれて、ホームレスだったんだ」

 柏崎でもこの地震で経済的に一息ついた企業も多いと思う。しかし、何度も書くが、繰り返してはならない、何も変わらないことを選択してはいけない。

 形式から実質へ、量から質へ、力から発想へ、物から人へ。

 日頃「心配している」と称する方の話を何度も聞かされてきた。しかし、

 今回の地震、一番嬉しかった言葉。

 「ああ、良かった、桜井さんが無事で」

 地震発生直後、消防団で地域を回っていたときのものである。私は再びポンプ車に乗り込んだ。広報するマイクをしばらく持てなかった。

 

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2007年8月29日 (水)

雨上がりの柏崎

 昨日の雨は土砂崩れなどいろいろと心配させ、気を重くさせた。一転、今朝は初秋を感じさせるさわやかさであった。これから気温も上がるのだろうけれども、猛暑と呼ばれる時期は過ぎたようだ。

 首都圏の電力需要ピークも停電という最悪の事態を避けることができたのだろう。良かった。

 とかくこちらに住んでいると「一時でも停電になればいいんだ!」などと悪態をつきたくなるのだが、私にもうそんなメンタリティはない。ただ、落ち着いて良く考えて頂きたいということだけだ。

 柏崎小学校は今日から登校が始まった。2学期制であるために、2学期と呼ばず、前期夏休み明けの初日とでも呼ばれるのであろうか。2学期制は私が議員当時に導入された。私は密かに「3学期制がいいなあ」と思っていたのだが、時の教育委員会や市執行部の施策に何も言わずに過ごしてしまった。強い反省がある。

 何事も単純すぎることは全く良くないことだが、分かりづらい、というのも同様に弊害があるように思われる。

 明確なものが求められる。それが展望と呼ばれるのだろうし、もしかしたら希望とか夢と呼ばれるものにつながるのかもしれない。

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柏崎の気概

 週刊ダイヤモンド9月1日号は「原発大解剖」と題している。

 34P、東電が配布したチラシについて書き、続けて、匿名を条件にして、柏崎市議会関係者の言葉が掲載されている。

 「ウラで東電と商売上のつながりがある市会議員などが中心になり、すでに地元世論の形成に動いている。頃合いを見て、『地元は早期稼働を望んでいます』という空気にまとめる腹づもりだろう」

 柏崎市議会関係者は、なぜ匿名で、なぜこのようなことしか言えないのだろうか。

 隣の35Pには、消防法に基づく原発の使用禁止命令を出した市長インタビューが掲載されている。もっともすぎるほどもっともな内容である。 

 議会、行政。いずれにせよ当事者である。リーダーの座を取り戻して頂きたい。

 本当に、

 Kashiwazaki  for  Japan

  Japan  for  the world   

 である。気概を見せて頂きたい。

 

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2007年8月30日 (木)

想像力

 今朝の読売新聞「気流」に柏崎の方の投稿が出ていた。知的障害の小学生を抱えるお母さんが、相撲協会に感謝するという内容である。お子さんが楽しみにしていた夏巡業。そこへ地震。思い切って相撲協会へ手紙を書いたところ、伊勢ノ海親方から電話があり、施設に立ち寄るとの言葉。

 「これからも、私たちに夢を与える大相撲であってほしいと思います」お母さんは感謝を込めて結んでいらっしゃる。

 期待通りに物事が推移することはまれである。けれどもその中にあって、一つでも人の夢をかなえることができる人がいるとするならば、その素養の一つは想像力ではないのか。

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2007年8月31日 (金)

さあ!  柏崎

 今朝の朝日新聞地方版に、地元紙主幹の言葉が紹介されていた。復興を目指す柏崎のスローガンが「頑張ろう!輝く柏崎」ではおかしいのではないか、という視点である。輝いているならば頑張る必要がないではないか、日本語になっていない、だから「たちあがれ!柏崎」という表題で連載を始めた、という記事である。

 その通りだと思う。言葉というのは魂であり、論理である。柏崎の場合常に論理は「うるさいもの」として端におかれてきた。だから今の姿がある。私だったら、と1ヶ月ほど前に考えていたのは「さあ!    柏崎」であった。さあ!と柏崎の間の空白がミソである。

 さて、その朝日の記事の中で、よく言われることが繰り返されていた。原発の金でハコモノを作ってきた事に関する指摘である。「普通の町」を求め、「自立心」を持つ事が指摘されている。私は違う見解だ。

 普通の町になり得ない、町が無くなってしまう危機、を約40年前に感じた人がいたのだと思う。だからこそ原発を選択したのだと思う。無論金銭にまつわる話も多かったのだろう。けれども、私は原発こそ「自立心」に結びつけることができると考えていた。ただ、この40年のアプローチの仕方を変えなければならないと訴えていたのだ。

 原発を金の集積と考えるのではなく、原発を人の集積と考えていくことにシフトするのだ。人の後に金は付いてくる。アプローチの仕方を変えていけば、原発は自立の象徴になれる。誇りともなりうる存在である。

 と考えていた。

 ただ、地震後あまりに発想がない。

  「さあ!    柏崎」

 

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2007年9月 3日 (月)

グッバイサマー

 夏が終わった。9月だから秋、というわけではないのだが、やはり8月、夏が終わってしまうと寂しい。

 そこで、夏の思い出2007。

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             住宅難

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          夏の少年

 

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          川漁師親子

037s_6

           腕前

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          上を向いて

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2007年9月 4日 (火)

笑う門には福来たる

 朝、車で出勤の途中、広小路のおば(あ)ちゃんたちが4、5人ゴミステーションの脇に並んでいる。ゴミを出しに来てまた井戸端会議なんだろう、けれどもそれにしても横に並んで話すことはないのだろう、と怪訝に思いながら車は近づいていく。おばちゃんたちの視線は地震で全壊した住宅取り壊しの現場に向いていた。様々な思いを抱きながら、話をしていたのだろう。

 「オイオイ、朝から並んで、広小路の美人コンテストですか!」

 「まあ、ギャハハハ、やだねえ、ギャハハハ」

 

 

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2007年9月 5日 (水)

政治の不在・参謀の不在

 毎日のように閣僚が辞め、議員が辞めていく。100%の人などいないのだからと同情したい気持ちもあるが、いずれにせよ政治に対しての思いを、幻滅、と同義語にとらえている国民も多いだろう。

 柏崎において、政治が感じられない。役所だけが機能し、政治の働きが感じられない。役人が決めたことを役人が決められたとおり懸命に動いている。展望が感じられないのだ。

 柏崎の大事に、市長にお願いをするだけの市会議員が多いという。

 政治は夢を与えられるものでなければならない。笑いを生み出す人間が政治に携わる事ができる。

 瀬島龍三氏がお亡くなりになり、参謀、という言葉の重みにスポットが当てられている。参謀の大切な役割は戦略を練ることである。柏崎には戦略も無い。

 組み立て行かなければならない。遠くを見て、骨の太い戦略を立てなければならない。疲れがたまる時期であろう。しかし、今、政治が機能しなくていつ機能するのだ。

 昨日お電話をいたただいた。原発の近くに住む方からである。ずうっと私と同じように原発を認めてきた方である。

 「原発をすぐに止めた?停止命令?何で避難させなかった?何ですぐに広報しなかった?何で安心させなかった?」

 政治の不在が怒りを導き始めている。

 

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2007年9月 6日 (木)

柏崎・柏崎・柏崎

 オーストラリアではAPEC:アジア太平洋経済協力会議が始まった。閣僚会議を横目に中国の胡錦濤国家主席は、鉄鉱石鉱山を視察したり、また首脳会談が始まる前に、原発用のウラン輸入などに関するエネルギー協力協定を調印したり、戦略的である。カザフスタンのウランを日本:東芝に押さえられ、中国も経済発展の正に基盤となるエネルギーの確保に必死である。

 翻って全くミクロの話だが、上越市議会は先の地震に関して激甚指定を求める意見書を提出するという。上越は柏崎に近い柿崎区に被害が多かったのだが、激甚で外されてしまったのだ。

 重ねて申し訳ないが、柏崎はもっと必死さを出した方がいい。伝わってこない。今でなければ国に対して物を強く言い、柏崎のリーダーシップを発揮できるときはない。このままでは当然得るべき権利さえも失ってしまう。

 国に果たすべき責任を果たしてもらえるならば、市はその余力を被災者の生活再建支援に回すことができる。

 これも重ねて申し上げる。時間との勝負である。ますます柏崎の名はテレビ・新聞に出なくなった。

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2007年9月 7日 (金)

今から7年前の柏崎市議会

 地域の会が頑張っている。

 原発賛成も反対も容認もみんな含め、市民が一堂に会し、議論する、意見交換する手だてがあってもいいのではないか。

 これは、私が当時の市長に議会本会議場で話したことである。どこか議事録に残っているはずだ。10年ほど前であろうか。それから何年かたって「地域の会」ができた。

 さて、7年前の柏崎市議会である。8月29日、東電の不祥事が明らかになり、プルサーマルの白紙撤回が決まった9月議会である。

 私自身は何を言っていたのだろうと振り返ってみた。

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 また、立入検査、国の立入検査が週明け、土曜日、日曜日を挟んで週明けからと、こういった体制、感覚、余りにもお役所的であります。こういったことに対して、市長として、批判なり、また、抗議をしているのか、そういう手段、方法はないのかと。


 安全確保、地域住民の安全や安心の確保というのは、ある意味で、政治に課せられた一番の課題だろうと思うわけであります。それを即座に地元の市長が措置できるようなシステム、法体系を構築するべきであります。そのような要請を国に求めるべきであろうと思いますが、市長はいかがお考えでしょうか。


 具体的に申し上げるならば、安全協定の見直し、安全協定等も、私も久しぶりに見直してみました。残念ながら、そういった拘束力等ないわけであります。であれば、今後、安全協定を見直すつもりがないのかどうなのか。ほかの県においては、安全協定の見直しをなされているところはあるわけです。新潟県も行っておりますが、残念ながら、今回のような事態に対応し得るような見直しでは、新潟県の場合、柏崎市、刈羽村の場合はありません。1つ、情報開示への姿勢を含めても、そんな規定はないわけであります。


 そしてまた、先ほども申し上げましたが、余りにも今回の事件で問題になるのは、事業者へのペナルティーであります。確かに社長は、もしくは歴代にわたって、やめられる方向ができた。実質的なペナルティーがないじゃないかと。電気事業法、それから、原子炉等規制法、そういった中で、せいぜい罰金が30万円以下になる。もしかしたら、それも当てはまらないかもしれない。なぜだというふうに調べたならば、これは自主点検の作業の中の範疇だから、だから、もしかしたら、報告聴取命令拒否には当てはまらないかもしれない。もしかしたら、罰金さえも、30万円さえも払わないでいいかもしれないというような状況は、余りにもおかしい。地元の自治体として、これは架空のような話かもしれませんけれども、送電権は柏崎市に持たせろと、いざとなったらとめるぞというようなぐらいのスタンス、要求があってもしかるべきじゃないでしょうか。国、県との関係において、より一番身近な自治体が、より強い権限を持てるようにするべきであります。当然、国の、国にもかかわる問題でありますから、市の独断というふうには至らないんだろうと思います。しかし、余りにも今、一番身近な自治体の権限がないと考えるわけでありますが、いかがでしょうか。

 サイト内に原子力保安検査員がいらっしゃいます。保安検査員は、定検を含め、今までこういった作業を御自分の職務として行ってきていらっしゃるわけですけれども、市民の方々から、よく言われるのに、どうして保安検査員がいたのに、そういうのを見抜けなかったんだ、何のために、そんなものつくったんだという単純な論理であります。当然、言いわけもあるんでしょう、業務が違ったんだということがあります。しかし、保安検査員を設けた意味は、国によって、その安全が担保されるんだと。その現実として、保安検査員の制度が設けられたはずであります。それが機能しなかった。もしくは、もともとその機能を持っていなかったいうことであるならば、これもまた、極端ではあるかもしれませんけれども、柏崎市独自の検査体制を持つことも、もしかしたら考えなければいけないのかもしれない。人材が必要であるならば、原子力工学科を卒業したような、もしくは東京電力から引き抜くなり、もしくは必要であるならば、外国の検査機関から引き抜くなりしながら、柏崎市独自の検査機関も持つ可能性も考慮しなければいけないような事態に立ち至ってしまうのではないか、もし国の検査というものが機能しないなら、ということであります。

(平成14年9月10日 柏崎市議会一般質問から)

同平成14年9月議会にて可決された意見書である。延々と議事進行、質疑、討論。採決、可否同数、議長に判断がゆだねられた。議長、可決。

議員発案第17号 東京電力の企業倫理を問い、国の原子力安全政策転換を問う意見書(案)


 上記の議案を別紙のとおり議会会議規則第14条の規定により提出します。

                                   2002年9月20日


柏崎市議会議長 高橋照男様


 東京電力の企業倫理を問い、国の原子力安全政策転換を問う意見書(案)


 8月29日に露見した、東京電力株式会社のデータ改ざん、隠ぺい問題、また、長きにわたりそれに看過してきた国の無作為。今回の事象そのものが科学的、技術的、客観的に見て安全・危険であるかという論議は別のものとして、これだけ大きな問題に発展し、東京電力4代にわたる社長、担当副社長が辞任の道を歩まざるを得ない事態に立ち至ったのは、国民、とりわけ立地地域住民の信頼を裏切ったという社会的事実からである。国の責任も同様である。私たちが4年前に設立を要求した、新たな原子力規制機関が「原子力安全・保安院」として設立されたものの、いまだその機能が不十分で、役割を果たしていないことが明らかになった。私たち柏崎市民は、この問題を非常に重く、厳しく認識している。
 よって、下記事項を速やかに誠実に実行されることを求めるものである。その実行が全くなされない場合、私たちは今後、プルサーマル計画を含め、国の原子力政策、エネルギー政策に一切協力しないことを明言する。


                    記


1 東京電力柏崎刈羽
原子力発電所全7基のうち、既にとめられた1号機のみならず、今回問題となった2号機、5号機も直ちにとめ、安全の確認を行うこと。


2 国の原子力規制機関としての原子力安全委員会は「原子力規制委員会」に改名し、根本的に原子力安全・保安院は、その陣容を充実強化すること。とりわけ、原子力安全・保安院においては、資源エネルギー庁から離れた完全に独立した機関とすると同時に、高度技術に対応する専門官の養成に努めること。また、NRCなど外国の原子力規制機関との協力体制を組み、実効性があり、安心を創出できるような策を講じること。


3 3号機、4号機、6号機、7号機に関しては、可及的速やかに、順次、定期点検を前倒しし、その安全を確認すること。


4 安全基準の見直しに関しては、原子力施設を有する世界各国の実情を把握し、また、IAEAなど国際機関と十分に協議し、世界標準をつくり上げ、いたずらな完璧主義を廃した、合理的、客観的な安全、安心の確保に努めること。


 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。


 2002年9月20日
                                         柏 崎 市 議 会


 理由


 東京電力の企業倫理、並びに国の原子力安全政策転換を問い、新たなる出直しを求めるため。


 このたび、朋友会会長 金子錦弥議員、市民クラブ会長 坂井隆雄議員、整風会会長 本間厚幸議員初め、多くの賛同者の名前をちょうだいし、本意見書を提出するに当たり、私どもの立場と考え方を明確にし、その提案理由を述べさせていただきます。
 私ども市民クラブ、朋友会、整風会は、3年前、平成11年1月11日、東京電力、並びに国・資源エネルギー庁に申し入れを行いました。高橋照男現議長、小池 寛議員、また、
原発議長会の顧問として丸山敏彦議員初め、多くの議員が上京いたしました。
 プルサーマル論議が、まさに、その2ヵ月後、意義を認め、容認するという内容で意見書が可決される間際のことであります。
 その際、上げた4つの条件のうち、1番目は、国における原子力安全審査機関の新設でありました。これは、既に、この数年前から申し上げていたことでしたが、あえてトップに上げた事項でありました。結果、原子力安全・保安院という形で実現がなされました。
 しかし今回、まことに残念ながら、その原子力安全・保安院が機能しなかったと断ぜざるを得ません。また、保安検査官制度も同様です。権限がなかった、事実でありましょう。しかし、含め、機能しなかったというわけであります。
 東京電力では、この際でしたか、別の折でしたか、私は、南社長、荒木会長お二人おそろいの場で、こう申し上げました。柏崎を裏切ったり、使い捨てのように見捨てたりしたら、絶対に許さない。まさに裏切られたわけであります。
 同年3月議会で激しい議論の末、容認の意見書は可決されました。1ヵ月後、私どもは家族を巻き込んだ厳しい選挙戦への突入を余儀なくされました。
 同年秋、戸田議員が、実行委員長を務められた第2回の
原発議会サミットでは、皆さんの議論の中で、その一致点として、国に対し、幾つかの点が要望事項として上げられました。(発言する者あり)皆さんの論議の中でと申し上げております。


 1、原子力安全委員会の抜本的見直し、中立的チェック機関として独立、質・量をともに充実した強い執行機関への改組。


 1、原子力機関への調査、査察に実効性を持たせ、抜き打ち調査の実施、違反時には重大なペナルティーを課すなど、厳しい態度で臨むこと。


 具体的な取り組みが国によって示されないまま、そして、先般8月29日、東京電力から発表がなされました。


 8月30日、私どもは早速、国、東電に申し入れに参りました。議員の皆様には、説明が足らず、不愉快を与えた面がありました。反省するものであります。しかし、簡単な言葉で申し上げるならば、どうにも我慢ができなかった。その際、阿部 博議員、吉野芳章議員も参加され、お二人からは、私どもは
原発プルサーマルは容認し、その意義は認めるが、今回の不祥事は許せない、との強い姿勢、発言をお聞きいたしました。また、高野 宰議員からは、容認する立場だからこそ、強い抗議をするべきだ、とのお立場をお聞きいたしました。


 6日の決議は、提出者の皆様もお話されているように、プルサーマルを未来永劫とめろとおっしゃっているのではないということであります。賛成された議員の中には、
原発プルサーマルの意義を認めていらっしゃる、明言していらっしゃる議員もおられます。私どもの意見書の提出が遅くなったというより、決議の方が早かったがゆえに、その一部の意味に同調されたというふうに、私どもは解釈をしております。


 9月6日の決議提出者は、
原発も反対、プルサーマルも反対であります、一貫して。しかし、時期はともかくも、議論するべき時期が来たら、その際には議論すればいいという態度にお聞きしました。具体的な時期、また、それにつながる指標は示していらっしゃいません。そして、プルサーマルの意義を認めている議員にも、賛成していただいても構わないとおっしゃる。結果、可決されました。(発言する者あり)
 静かにさせていただけます。

私どもは……。 主義者ではありません。東電、国、だめだと言って切り捨てることはすべてだとは思っておりません。それによって事が済むとは思っておりません。私のスタンスは……。(発言する者あり)
             〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕

あともう少しですので、述べさせていただきます。
 私どものスタンスは、現実に対応し、厳しく注文をし、そして、早急に新たな組み立てをさせなければいけないという態度であります。もし、それができなかったならば、残念ながらエネルギー部門において、国には協力はできないという態度なのであります。つまり、それは新しい組み立ては東電や国がやることだという議論があります。第一義的にはそうです。しかし、(発言する者多し)私は何もしないでよいのかと、それは間違いです。今、現在、柏崎の
原発は動いているわけですから……。(発言する者あり)
             〔「議事進行」と呼ぶ者あり〕

あと7行です。
 私たちが求めるのは、まず何より動いている
原子力発電所の前で、東電、国に早急に態度や考え方、また、システムを改めさせるべきだという当たり前のことなのです。計画よりも、何よりも、そして、計画を含め、私どもの要求が全く実現に向け動き出さないとするならば、エネルギー政策において、原子力施策において協力できないという強い態度なのです。
 私どもは……。
         〔「7行超えてるだろう、もう。」と呼ぶ者あり〕

7行と言ってる。
 私どもは、既に4年前、国、東電とは激しい議論を行い、私たちの信頼の依拠するところの詳細を申し上げてまいりました。そして、この始末であります。ですから、この意見書は、私どもの最後通牒ととらえていただきたいと考えております。
 以上、終わります。(発言する者多し)

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 今日はちょっと自己顕示だったね。けれども緊張感、責任感と先進的な意欲に満ちていたと思う。

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2007年9月10日 (月)

安倍首相・白洲次郎・柏崎

 安倍首相がインド洋上における海上自衛隊の給油活動が行えなくなったときに内閣総辞職もありうると示唆したことが伝えられている。いわゆるテロ特措法の延長が国会で成立しなかったときのことで自分の意気込みを伝えているのだろう。

 むなしい。大変失礼な物言いだが、能力のなさを三文芝居でごまかそうとしているとしか思えない。日本の総理大臣が今このタイミングで発言するべき事柄、内容だろうか。新聞休刊日を狙ったの?合わせても一言で済まされる。センスがない。

 週末にかけて読んでいる本は。白洲次郎「プリンシプルのない日本」

 安倍さんのはプリンシプル(白洲によれば原則)に近づこうとするするだけ、背伸びをしているだけである。

 柏崎も同じ。本当に心の底から、腹の底から、頭を振り絞って、という情熱が見えない、感じられない。

 principal  主な、主要な、第1の、先頭に立つ  (研究社:英和中辞典)

  多くの事柄でこの状況を転ずることはできない。一点突破。それは原子力施策である。

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2007年9月11日 (火)

姿勢を正す

 今日は秋晴れとなりそうである。だが、世間はどうにもパッとしない。

 国会が始まり、安倍首相が改めてテロ特措法改正成立に対する意気込みを語った。新法、衆議院での再可決も視野に入れるとのことである。

 参院選大敗の後、「改革のために私は辞めない」と大見得を切り、そして、1ヶ月ほどして、「職を賭す」、「職責にしがみつくことはない」

 言葉は大切であるというのは、賢者のみならず多くが知るところだが、「職責」とは「果たす」ものであって、「しがみつく」とか「しがみつかない」とかいうべきものではない。「がんばろう輝く柏崎」と同じで、どうにもトンチンカンである。

 柏崎農協職員による預金着服が昨日報道された。昨年は、観光レクレーション公社職員の不適切な会計処理があった。舛添大臣は年金の横領について刑事告発すると発言した。時効もあり、大臣の意気込みにどれだけの実効性が伴うのか心配だが、姿勢は正しい。背筋が伸びている。

 柏崎も前のめりにならず、下ばかり見ないで、姿勢を正し、前を見よ、遠くを見よ。そう願う。

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2007年9月12日 (水)

日本のこと・新潟県のこと・もちろん柏崎のこと

 国際柔道連盟理事選で山下泰裕氏が敗れ、日本人理事がいないという事態に立ち至った。初めての事だという。新たに会長に決まったオーストリアのマリアス・ビゼール(48)氏は商業化を進めるという。

 全日空は新潟-福岡線を来春、運行を停止するという。

 新潟県並びに上越市は帝石とLNG基地建設確認書を締結した。

 先般、本屋で立ち読みした本。山と渓谷社「新潟県の山」:米山 お問い合わせ:上越市役所

 急げ。

 

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首相の地位

 安倍首相の退陣表明。みんなが驚いた。退陣することに驚いたのではない。その表明、決断の時期、タイミングに驚いたのだ。

 政治家であることさえ辞めてしまわれるのではないか。しばらくの間多くの人たちが安倍氏を訪れた方がいい。

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2007年9月13日 (木)

言葉の力 センス無き政治

 各新聞の中で印象に残った言葉。

 自民党の見識と活力なさこそが、今回の突然の政権放り出しを招いた要因ではなかったか。(朝日新聞社説)

 言葉の軽さ 政治の未熟 (日本経済新聞 1面)

 国民を”口説き落とす”首相の肉声をまだ聞いていない。言葉の力をもっと信じてもよかった。(讀賣新聞1面編集手帳)

 

 さて、柏崎

 柏崎市の第四次総合計画:基本理念「好きです 輝く柏崎」

 理念、というのではおかしい、それはキャッチフレーズだろう、という識者の指摘があったが結局決められてしまった。10年間、理念は「好きです輝く柏崎」 

 中越沖地震で柏崎が掲げたフレーズ 「頑張ろう 輝く柏崎」

 輝いているんだったら頑張らなくてもよいではないか、日本語がおかしい、という指摘があったが、これまた現在、柏崎中に掲げられている。

 言霊。言葉には魂が宿っている。奮い立たせるような言葉が聞きたい。勇気を与えてくれるような言葉が欲しい。本当にそう願う。

 

  

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2007年9月14日 (金)

ガッカリする

 何事もうまくいかない時がある。今朝は、山に入ろうとしたら地震復興の工事中で導入路は通行止め、それではとウェットスーツに着替え、川に入ったら、どうにもおかしい。いつもいるところに鮎がいない。これはおかしい、と上っていくと友釣りをする先行者。あーあ。

 事務所に戻り、新聞を改めて読めば、自民党の総裁選。変わらないなあ。候補者が羅列されている。

 羅列じゃだめなんだよなあ。

 過日、自宅で地震後の整理をしていた。(まだ、している) もう既に20年以上前に亡くなった祖父の本棚を整理した。おもしろい本がたくさん出てきた。その中の一つ、新渡戸稲造の「修養」  虫干しをしながら読み進めている。

  一事に通ずれば萬事に適用さる。

 柏崎もまだ一事の見極めができていないようである。

 

 

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2007年9月15日 (土)

自民党総裁選に見る「地方」

 羅列されているのは、候補者ではなくて派閥になってしまった。

 小泉改革によって、(実はなんだか分からないが)、市場原理主義の行き過ぎによって、ごく一部の富めるものと絶対多数の貧者とに分けられ、「格差」が広がってきたという。この場合、所得格差を言うのだろうか。

 また、首都圏をはじめとする「都会」と「地方」の地域間格差も広がっているという。

 様々な数字を見せられれば、そうじゃそうじゃ、格差だ格差だ、と言いたくもなるし、思いたくもなる。ただ、雪崩をうったように皆が「地方重視」をお題目に掲げるのはありがたいが、眉につばしなければならない。

 今朝の朝日新聞文化面

 「この行動の無責任を批判することは容易だが、首相をもっぱら人気投票の対象とし、人気が落ちれば使い捨てる今日の政治風土の中で、一体、誰が安倍氏の無責任を批判する資格を持つのだろうか」(佐伯啓思:京都大学教授)

 自らが本当に、真に、ズウッと考えていることを訴える、自分の言葉で語る政治家がいて欲しい。それは演説を聴けば分かる。

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2007年9月18日 (火)

柏崎が行うべき事

 長男は定期試験の最中。「お父さんは、・・・・」とつい口に出してしまった。すかさず、「僕はお父さんとは違う」 彼には申し訳ない気持ちと大人になっているんだなあ、と言う感慨と。

 次男の学童野球、公式戦が終わった。彼なりによく頑張ったと思う。今、野球を続けるかどうか迷っている。

 三男は相変わらず屈託がない。

 ルー大柴のコメントが日経に掲載されていた。嫌われタレントの代表格である彼の、ご長男への言葉。

「パパのせいで学校でいじめられていないだろうな?嫌だったら言ってくれよ。こんなキャラクター、すぐにやめるから」息子さんはそれを否定する。ちょっといい記事だった。

 それにしてもスカッとすることがないですね。政治でも経済でもスポーツでも文化でも。国民のカタルシスはいずこで求められるのか。

 同じく日経のページをめくると「柏崎刈羽『中越沖』の教訓」「原発の耐震再評価急務」とある。

 間違ってはならない。耐震補強論議の前にするべき事がある。柏崎刈羽原発が活断層の上に、もしくはごく近くに建てられていたという事実を考えなければならないのだ。柏崎刈羽原発の近くに活断層は無い、とされてきたのだ。大前提を忘れてはいけない。この責任は国にある。

 日本は活断層の上の、もしくはごく近くの原発を耐震補強さえ合理的なものであるならば認めるのか否か、という論議である。

 大きな論議を忘れては困る。見て見ぬふりはなお困る。難儀だが大きな論議を避けてはいけない。

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2007年9月19日 (水)

にもかかわらず柏崎

 地震から2ヶ月が過ぎ、報道は落ち着きすぎるほど落ち着き、というか、既に柏崎に関心はない。にもかかわらず原発が抱えた課題は余りにも大きなものである。

 昨日も書いたし、このブログを始めた当初、つまり1ヶ月前、「中越沖地震と柏崎原発」「柏崎ならばできる2007」でも書いた。

 しかし、事態は余りにも軽いものとして扱われているような感じを禁じ得ない。もしくはそれに触れまいとする意志が見え隠れする。通り一遍の議論しか聞こえてこない。

 ここで紹介するのは英国経済紙「フィナンシャル・タイムズ」東京支局長:David Pilling 氏の配信記事である。

 原発からあがる黒煙を書き、

 「The plant's four firefighters could not put out the flames because water pipes had - surprise, surprise - been damaged by the earthquake.  プラント内の4人の消防士は消火活動をできなかった。さらに、全く驚いたことに、驚きでしかないが、その原因は消火用のパイプが地震により損傷を受けていたことであった」

 「aftershocks suggested an active fault might run directly under the plant. 活断層がプラントの下まで直接的につながっている可能性を余震が示している」と指摘している。続いて日本にある原発55基を世界でも最も活発な地震地域におく事への疑問を極めて婉曲的に続けている。

 更に、文章のまとめとして、2つの課題を書いている。

 「The first is about regulation.まず第1に規制の問題である」
 「aggressive regulation by the government will persuade the public that everything is being done to mitigate possible accidents. 政府による前向きな規制がなされなければ起こりうる事故に対し万全を期していると国民を説得できない」

 「The second question is more fundamental: should Japan have a nuclear industry at all?  2番目はもっと根本的なものである。日本は原子力産業を保持しうるべきか否か、ともいうべきものである」

 と書き、エネルギーに乏しい、という観念の中、

 「That means that, while the government will now engage in a thorough review of how to improve nuclear safety, the debate about whether Japan should have a nuclear industry at all will never be held. こうしたわけで、日本政府は原子力の安全性についていかに改良を加えるかということについて懸命な検証に入るが、日本が原子力を持ちうるべきか否かという議論は今後とも決して行われないだろう」

 と痛烈な皮肉で文章を結んでいる。

 その通りなのだ。根本論議が必要なのだ。 

 前にも書いたが、その結果、国民が覚悟を決め、それでもはやり、にもかかわらず、原発が必要だとするならば、柏崎はもっと大きな声を出さなければならない、もっと堂々と大きな要求をしなければならない、柏崎はリーダーでなければならない、と再三再四私は書いているのだ。桜井雅浩の問題ではない。柏崎の問題であり、日本の問題なのだ。

 

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2007年9月20日 (木)

 新聞スポーツ欄はヤクルト古田の引退を伝えている。私自身は古田に強い思い入れがあるわけではない。「いいヤツだなあ」とか、選手会も引っ張り、「やるなあ」という感じは持っていた。捕手としても1流の選手だったのだろう。けれども、私がイメージするスターとはちょっと違うイメージであり、物足りなかった。「いいヤツ」で私の頭の中は終始していた。

 ただ、昨日の引退会見。言葉に詰まる古田、彼の涙。「寂しさより悔しさ」 分かるなあ。

 一昨日のテレビであったか。飲酒運転事故の被害者で、一瞬にして3人のお子さんを亡くされたご夫妻に新しい命が、というニュース。分娩の姿を映像が伝えていた。苦しむお母さん、女の子が生まれた瞬間、号泣、涙。付き添いのお父さんも泣いていらっしゃった。お二人の涙は、悲しみであり、喜びであり。

 昨晩の野球、ヤクルトは負け、パ・リーグでは日ハム・ダルビッシュ、楽天・田中が投げ合った。ダルビッシュ21歳、田中将大18歳。球界を背負っていく彼らは古田の涙を見ていたのだろうか。

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2007年9月21日 (金)

謝意 笑止 しょうしい 柏崎

 柏崎の方言に「しょうしい」という言葉がある。恥ずかしい、という意味である。終助詞「て」をつけて、「しょうしいて、こんがことになって」と使う。

 自衛隊の給油活動を継続させるため、国連決議の前文に「謝意」を入れるよう日本が関係諸国に「頼んだ」、という。結果として、ロシアはアメリカ主導の作戦は国連に関するものではないと、棄権。決議は採択されたが、慣例となっていた全会一致は破られた。

 民主党対策だったのだろうけれども、日本の外交史なるものがあったとするならば、間違いなく、汚点である。

 日経の社説はこの決議に価値をおいているようだが、私にはミスリードのように思える。ロシアの主張「国連の枠外で行われているものだ」によって、図らずも事実が明らかになった。

 朝日の社説「形より本質の議論を」の方がふさわしいと思う。柏崎にも求められる。

 ちなみに「しょうしい」は「笑止」から由来していると思われる。

 「謝意」を「求める」「頼む」 

  全く笑止千万である。

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2007年9月24日 (月)

私が親としてしたこと

 今回の連休は次男の野球が終わった後、家族でキャンプに出かけた。湖畔のキャンプ場はいつも通り静かで、コナラの葉陰がつくるサイトは私のお気に入りでもある。いつものように、テントを立て、子どもたちは周辺から薪となる枯れ木を探してくる。

 どんどん燃やす。火を見ていると落ち着く。子どもたちも火を見つめている。私と女房はビールを飲み、食事の準備をする。やがて、いったん、火を落ち着かせる。肉を焼くためだ。その頃、私は2本目の缶ビールを飲み干し、3本目を開ける頃だ。

 腹を満たした子どもたちはまた飽きることなく火遊びに興じる。闇が深くなり、肌寒さを感じる頃、子どもたちは、3男から順にテントに入る。私は、長男や女房がテントに入ってもなお、火を見ながら酒を飲んでいる。

 長男が生まれてからもう何回キャンプに来ただろう。10回、20回?

 私が親として、父親として、子どもたちに教えた唯一かもしれない。そして、それは私として十分満足である。ただ本当は、誇り、も伝えたいのだ。

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2007年9月25日 (火)

大原則

9月21日新潟日報の1面を飾った記事である。 

  被災者支援に与野党案提出へ

 地震などの被災者に支援金を支給する被災者生活再建支援法で与党が今国会に提出する改正案は、7月に発生した中越沖地震の被災世帯にはさかのぼって適用しないものとする方向であることが21日までに分かった。改正案は支援金の使途を住宅本体の建設にも広げることなどが柱。本県では中越地震以来の懸案となっていたもので、早急な改正と中越沖地震被災地への適用を求める声が高まっていた。

 一方、民主党は中越沖にも適用する独自の改正案を提出する予定で、今後は国会での論戦が焦点となる。

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 一体この国は何を考えているんだろうか。柏崎市は何を要望してきたのだろうか。中越地震の教訓で、使い勝手が悪いとされ、改正が考えられ、けれども、今回の「中越沖地震」には「間に合いません」 何回繰り返せば、もっともなものはできるのだろうか。その間、どれくらいの人が悲しみ、不安を抱き続けなければならないのだろう。

 個人の財産形成に「公」は関知しない、という大原則がもっともらしく存在している。財産形成?

 大原則

 活断層がある上には原子力発電所を建設しない。

 今朝の新潟日報に、坂本龍一氏らミュージシャンが始めた「おやすみなさい、柏崎刈羽原発」ウェブサイトを紹介する記事が掲載されていた。

 大原則に関する「ねじれ」が存在する。

 本当に必要とするならば、大きな議論を行っていかなければならない。小さなものを何回行っても意味無いことである。

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2007年9月27日 (木)

ローマ人の物語・柏崎の物語

 久しぶりに「ローマ人の物語」を読み進めている。文庫版27巻「すべての道はローマに通ず」

 塩野氏は、

 古代に生きたローマ人は「公」と「私」の区分を、どのように考えていたのか。そして、この疑問への解答は、これらローマ人が、「人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と定義していた彼らのインフラをとりあげることで、得られるのではないかと考えた。

 地震後の柏崎。今まで通りのことが、今まで通りやられている。被災者生活再建支援法改正は「遡及適用しない」とのことで、市長らが知事に陳情したようだ。遅い。政府の方針が出される前に、しっかりとした裏付けをとっておかなければならなかった。

 だからこそ、「原子力施設立地地域災害復興支援特別措置法」を私は求めていたのだ。

 このまま行けば、電源特会の剰余金さえも使えない。また、原子力規制機関の独立さえ全く見当も付かないだろう。

 福田首相が就任の会見でおっしゃっていた。

 「年金の問題は、きわめて大きな問題であったというように思っております。これは、一年金の問題というよりかは、政府に対する信頼を失ったこと、それは国家への信頼を失ったことにもつながるというようにも思っております」

 正にその通り。原子力問題についても同様。国のエネルギー政策を担ってきたのだ。活断層がない、というところに原子力発電所があったのだ。

 「公」「政府」「国家」への信用。もう一度考え、柏崎として、正当な要求を、時を逃さず(既に逃しているが)、大きな声で、堂々と述べて頂きたい。

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2007年9月28日 (金)

根本から

 新潟県議会、自民党の県議が柏崎刈羽原発の廃炉の可能性を問い、知事もその可能性を答弁する。どんないきさつがあったのか知らぬが、従来無かったことである。

 国会では民主党が被災者生活再建支援法の改正案を参院に提出した。中越沖地震や能登半島地震にまで遡及する内容だ。

 昨日、原発構内を、原子炉建屋内を見てきた。ソウテイナイ、であった。東電幹部にも先般来申し上げてきたが、繰り返した。

 「今回の事態は、東京電力、柏崎、日本のエネルギー供給・セキュリティに関し、存亡の危機、もしくはそれにつながる可能性を帯びた事態だと考えています」

 「地盤の問題です。旧指針では活断層の上に原発は建てない、とされていました。改訂された指針ではそのような記述はありませんが、どのように考えていけばよいのですか」

 「耐震補強はコストとも大きく関連すると思いますが」

 いずれにせよ、柏崎市議会特別委員長丸山氏の発言の通り、「政治」が求められている。根本的なところから考え直さなければならない。無論、安全であるために、というのが出発点である。

 

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2007年10月 1日 (月)

柏崎に進取を!

 地震後見失っていたステッドラーのペンが見つかった。何気なく女房が使っていた。全く油断も隙もならない。桜井雅浩的に言えば、あと見つかっていないのは「政治」である。

 形ばかりでは意味がない、というか、かえってマイナスである、とここ何年も書いているが、更にその感を強くする日々である。

 「ローマ人の物語」28”すべての道はローマに通ず” は、インフラを書いているのだが、街道から、水道、医療、教育に入ってきた。

 社会基盤の整備はどの政治家も訴えることだが、カエサルは法に記す。

 「医療と教育にたずさわる者にはローマ市民権を与える」

 ローマ市民権そのものに魅力、価値を見いださなければ、この法は詮無きことなのだが、現代にも当てはまる。

 医療と教育は人を集める。少なくとも流出を妨げる。

 柏崎が今なさなければならいのは二つ。足元を見て、遠くを見据え。

  •  「原子力施設立地地域災害復興支援特別措置法」
  •  原子力安全・保安院の独立、原子力安全委員会の権限強化

これだけである。

 政治とはプラスアルファである。法が規定したものの「上」を行かなければならない。進取でなければならない。

 うちの女房はそういう点で正に「進取」である。「新種」ではない。

 

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2007年10月 2日 (火)

杭を打たれるな

 日銀の短観が発表された。「先行き懸念強まる」(讀賣新聞)、「県内景況感、2期ぶり悪化」(日経新潟版」

 業況判断の指数DIは製造業、非製造業ともに大企業と中小企業では判断が大きく異なる。設備投資の計画など、大企業と中小企業ではその「格差」は大きい。

 ゆうちょ銀行が誕生し、再編を終えたと思われた銀行も再々編もあり得る。地銀や信用金庫、信用組合の再構成も考えられるだろう。流通業界、電機業界なども「老舗」といわれる企業が新たな枠組み作りを決断し、速やかに実践している。

 県内は、柏崎を中心とした中越沖地震復興に関して、建設業での特需が期待されるが、2.3業者に伺えば、予定されていたものを先送りして、利幅が薄い復興事業を受けている側面もある、中越地震特需のあと、今こそ、業界の再編が必要だと思われたが、「沖」地震でまたその機会を逸しつつある、という極めて冷静な分析を聞かされた。

 企業も自治体も生き残りのために「ゆうちょ」うに構えていられない。地震で忘れがちだが、大学の問題など柏崎にとって重要な問題が残されている。旧トルコ村やぶどう村への対応もまた忘れられない。柏崎の事情で世の中は動いていない。役所の中で考えるほど流れはゆったりとしたものではない。速い。速い。米山に「米山山頂 993m 上越市」と杭を打たれた柏崎市。しっかりして頂きたい。

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2007年10月 3日 (水)

思惑と発想

 人の思いを推し量ることは難しい。それぞれに難儀を抱えているのだから、たとえ自分の子どもであっても、本当のところを理解はできない。本人では無いのだから。ただ、それを少しばかり補いうるところに想像力がある。想像力は創造力につながっていると確信している。

 前にも書いたし、前市長に以前話したことを覚えている。「市の職員は、心理学を勉強した方がよい」 無論学問としてのものを学ぶべきだと言っているのではない。相手が、今の場合住民であるが、どのように感じるか、どんな気持ちでいるか、という立場に立っての言動であるべきだ、という意味だった。

 私自身も言動については甚だ反省が多いわけだが、それを差し引いても、昨今「思惑」を含んだ言動、言葉が本来意味するところが大事なのではなく、発言そのものに意味をおいているかのように見受けられる事が多い。

 県議会での「原発廃炉論議」や今朝の新潟日報、「国の災害対策本部は県に」とか「ボランティア受け入れを巡る柏崎の対応批判」といった知事の発言などには何か言葉以外のものを感じる。

 私は思惑だけで動く今の状況を暗く感じる。思惑は柏崎を良くすることはない。想像力である。発想である。

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与謝野馨さん

   午前中、yahooで検索しようと思ったら、右脇のトピックス欄に与謝野馨さんの言葉が見出しとなっていた。本来の目的を忘れて、そちらをクリックした。

政局になると、頭が悪いなと思っていた人たちが急に頭を回転させて、思いもかけない行動に出たりする」

 なるほどなるほど、私が先ほど書いた内容を簡潔に書いてある。ふむふむ、と感じていたら、私の親友ブログにも紹介されていた。機先を制され、後追いは格好悪いが、私も掲載しておく。毎日新聞の特集ワイドである。

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071002dde012010011000c.html

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2007年10月 4日 (木)

まあまあ

 白洲次郎を読んでいると合点がいくことばかりなのだが、少し離れてみると、白洲が生きた60年前から何ら変わっていない日本の姿があり、愕然とする。

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 よく日本人は「まあまあ」って言うんだ。「まあまあ」で納めるのもいいんだよ。妥協ということに僕は反対するわけでも何でもないんだ。妥協は妥協でいいよ。だけども、ほんとの妥協ということは、原則がハッキリしている所に妥協ということが出て来るんでね。日本人のは妥協じゃないんだ。単なる頬かぶりですよ。

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 柏崎も「頬かぶり」が続いている。時代を前に進めなければならない。覚悟が必要となる。

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2007年10月 5日 (金)

狭い門

 朝から当事務所の周りでは、キリスト教布教の街宣が聞こえる。私の机の前には4年前に行った本屋のしおりが張ってある。

   Photo_2

 

  随分狭い門から入ってきたけれどもなあ。

   

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2007年10月 8日 (月)

似て非なるもの

 3年前の中越地震で開設した義援金口座への入金が、今回の中越沖地震後、30倍から40倍になっていることが明らかになった。今朝の讀賣新聞が書いている。

 今回の「中越沖」地震と間違えているものと推測されるが、窓口になっている新潟県によれば、明らかに間違っていると分かるとき以外は「別々のものとして募っているのだから」とそれぞれのものとして扱っているらしい。

 地震名を考えるときの判断ミスである。

 その記事の下に、愛知県稲沢市で開かれた「サンドフェスタ2007」の写真が出ていた。柏崎で作られたものになんかよく似ている。

 3年前に私が市長選に立候補したとき、記者から聞かれた質問、「今までの市政と同じじゃないか、という批判がありますが」 私の答えはこうだった。

 「似て非なるものです」

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2007年10月 9日 (火)

似て非なるもの 2

 ハッピーマンデーと呼ぶのか、9月、10月と3連休が続いた。主に次男の野球で終わったわけだが、合間に山にも行って来た。下の写真は期待の一品だった。

 Photo

 山を出てきて、収穫無く、林道をとぼとぼ歩いていくと、このキノコ、「おお、神よ、私を未だお忘れではなかったのですか!」鼻を近づけると「松茸の香り!」「これは念願の松茸か?しかし、松はないなあ、雑木だ。うーん、菌が飛んで来たのかもしれぬ」周りに誰もいないことを確認し、そっと篭に入れた。

 家に帰ってきて、図鑑を見る。「うーん、違うなあ。しかし、香りはよい。これはマツタケモドキかもしれぬ。ふむふむ」

 翌日、博物館のキノコ鑑定会に行ってきた。ズラッとキノコが並んでいる。私のキノコは見あたらない。博士にお見せする。

 「いいにおいなんですけれども」
 「ああ、これね」
 博士は私の手を取るように片隅に導いていく。
 「毒キノコです!」「今年は良く出ているんです」
 「いいにおいなんですけれども」
 「そうですねえ、私も以前採ったことがあります。車の中に忘れていたら、とんでもない臭いが充満していました。ちょっと古くなるともう異常な臭さです」
 「・・・・・・・・・・・」「ハイ」
 

 名前はクサハツモドキという。厳しいですなあ。

 

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2007年10月10日 (水)

ハッピー 元々

 秋晴れである。体育の日、特異日である。現在体育の日は10月の第二月曜日ということになっているが、ご存じの通り1964年の東京オリンピックの開会式の日、つまり10月10日が元である。

 休日が増えることはいいが、元々を忘れるのは歓迎しない。そのうちにハッピーチューズデイやハッピーウェンズデイが出来て、いよいよ日本列島脳天気となりそうだ。パチンコ屋のCMみたいである。

 ところで我が家の愛犬はハッピーという。毎日、毎朝、ハッピー、と呼びたいものだからそう名付けた。私は脳天気の総本山である。そのハッピーは既に16歳でかなりの老齢である。今朝は、というより、夜半過ぎから鳴き始めた。近所の方々の迷惑もあるので、午前1時、3時、3時半、5時と寝床を離れ、外にある犬小屋まで成敗しに出かけた。介護保険の適用を申請しなければならない。

 いずれにせよ、自分、元々、基本、ベース、忘れてはいけないと思う。新潟日報が1面に連載している原子力発電に関するものは良い。今朝ものは特に良かった。

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2007年10月11日 (木)

柏崎が頑張れ!

 昨日の記述で、新潟日報の記事について書いたが、どんな内容だったかを書かなかった。不親切であったので、加える。

 「安全に止まったことと、再び動かすことは別の問題として考えるべきだ」
 「柏崎刈羽では、ほぼすべての機器で想定値を超えた。『安全余裕がある』で済ませてはいけない」

 という独立行政法人原子力安全基盤機構職員の発言を紹介している。

 今朝は、国の調査対策委員会委員長の発言を書いている。

 「耐震補強は当然やってもらう。ただし、今回の680ガルに対応するだけでは駄目。例えば800ガルでも大丈夫ということを保証してもらう」

 すべてその通りであり、私にとって見れば最低線だ。

 同じく今朝の新潟日報2面。その原子力安全基盤機構が「耐震安全部」を新設して、原発地盤などを評価する、と伝えている。また、IAEAによる国際的な耐震安全基準の策定にも協力する、と伝えている。歓迎したい。

 IAEAに関しては、6年ほど前に「維持基準」が問題となった時に訪問している。「日本の基準のみならず、世界の基準があるべきだ」と当時IAEAに勤務していた友人を頼って訪ねたのだ。

 今回の地震・地盤という課題は日本にとってかなり突出したものだと思われるが、それでも国際的な基準があってもしかるべきである。

 米国NRC、スウェーデンSKIなどの規制機関を訪問したときにも共通して感じたことは、強い権限、そして大きなリスクを抱える原子力を規制する事に誰にも文句は言わせない、というような誇りだった。

 私が再三書いているのは、日本において、それを導くのは、それをつくりあげるのは、柏崎でなけれならない、ということなのだ。特別措置法制定とともに、柏崎が頑張れ!柏崎が吠えなくてどうする!

 昨夜は、ハッピーが吠えることなくよく寝たので私も熟睡であった。I'm happy.

 

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2007年10月12日 (金)

20年前・30年前

 オール柏崎陳情団が本日永田町、霞ヶ関を練り歩く。既に柏崎のことなど忘れている住民諸氏を起こしてきて頂きたい。

  さて、秋とは「飽き」の季節である。春、心がふくらみ、それを「張る」と言い、芽生えた恋は夏、熱くなり、そして、鹿の無く声は、悲しき失恋の涙である。と女子美で教えていたのは既に20年以上前である。私も東京を離れ、既に17年となる。様々なことがあって、東京もどんどん変わっていく。来週、随分久しぶりだが上京する。お上りさんである。友人・知人たちとの酒も楽しみである。また、江戸東京博物館で開かれている「文豪・夏目漱石展」も楽しみである。

 その漱石が書いている。

 現今日本の社会状態と云うものはどうかと考えてみると目下非常な勢いで変化しつつある。それに伴れて我々の内面生活と云うものもまた、刻々と非常な勢いで変りつつある。瞬時の休息なく運転しつつ進んでいる。だから今日の社会状態と、二十年前、三十年前の社会状態とは、大変趣きが違っている。違っているからして、我々の内面生活も違っている。すでに内面生活が違っているとすれば、それを統一する形式というものも、自然ズレて来なければならない。もしその形式をズラさないで、元のままに据えておいて、そうしてどこまでもその中に我々のこの変化しつつある生活の内容を押込めようとするならば失敗するのは眼に見えている。   「中身と形式」(明治44年)

 

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2007年10月14日 (日)

似て非なるもの 3

 キノコの世界は奥が深く、複雑だ。好天に誘われ、昼休み、と称して2時間ほど山に入る毎日である。9月の残暑が影響しているのか、私の腕が悪いのか、収穫は少ない。

 一昨日、シロハツ、とおぼしきものを採ってきた。お吸い物にピッタリ、と物の本に書いてある。「それそれ、今晩は、永谷園じゃないぞ」と意気込んでいた。しかし、もしやと思い、博士に尋ねた。曰く、

 「桜井さん、これねえ、カワリシロハツ、と言ってね、辛くて、大変辛くてね、食べられませんよ。残念」

 キノコの世界には、何々モドキ、とか、カワリ何々、とか、ニセ何々、とか多いんだよなあ。何れの世界も難しいですなあ。

 新聞に紹介されていた寺田寅彦。夏目漱石から教えてもらったこと二つ。 

「自然の美しさを自分の目で発見すること。人間の心の中の真なるものと偽なるものと見分け、そうして真なるものを愛すること。この二つである。」

  Kawarisirohatu_3s
            カワリシロハツ

   Rindou_1s_2
            竜胆 リンドウ(本物)

 健胃生薬である。本物は苦いのだ。

 

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2007年10月17日 (水)

新潟県柏崎市の桜井雅浩です

 2泊3日で東京へ行って来た。目的は二つ。一つは東大で開かれたグローバルCOEプログラム、「世界を先導する原子力教育研究イニシアチブ」に参加するため、もう一つは江戸東京博物館で開かれている、文豪・夏目漱石展を見てくるため。

 前者は原子力委員会委員長も原子力安全委員会委員長も出席していらっしゃった。研究者たちが中心の会なのだが、要は、科学技術の最たるものである原子力発電とそれを受け入れる一般的な知識しか持ち合わせない私たち国民からなる社会がいかに調和できるか、と言うテーマであった。技術者の立場、教育者、研究者の立場からいえば、高い専門性を伴った、必要にして欠かすことが出来ない技術を、いかにより分かりやすく国民に伝えていくのか、信頼を得ていくのか、それを為さずして、原子力の将来は成り立たない、と言うことなのだろう。

 私も、安全委員長に質問してみた。

 私は柏崎の桜井雅浩と申します。3年前まで市議会議員をさせて頂いておりました。約14年です。その間、原子力、また核燃料サイクルを認める、と言うと僭越な言い方ですが、理解する立場で活動してきました。質問は二つあります。

 一つは、今回の中越「沖」地震において、原発に関わるものの中で、私にとって一番重要だと思われるのは、地盤に関するところです。旧指針の上では活断層の上には原子力発電所は建てないと書かれています。しかし、今現在、柏崎原発が活断層の真上かそうでないかは別として、ごく近くに活断層があることがまず間違いないところであると認識しています。確かに新しい指針では活断層の上に云々という記述はありません。地震が起こったときにそれに耐えうるような構造設計を、という書かれ方だと思います。私はそれはそれで理解できます。しかし、柏崎原発は旧指針に基づいて建てられたものです。活断層の上には原発を建てないと書かれていた、それを前提にしていたわけです。私は、こういった事態をどのように理解していけばよいのか分からないのです。教えて頂きたい。

 二つ目は、原子力規制の問題です。今回のシンポジウムは「社会と原子力との調和を目指して」というテーマで開かれています。私は、前から、原子力安全・保安院と原子力安全委員会とのダブルチェックと言われるものは見直した方がよいと言い続けています。原子力安全・ナカグロ保安院はリンナイ、パロマの案件も扱うところです。原子力専門の規制機関ではありません。また、名は体を表す、と言うことではありませんが、原子力アンゼン保安院、原子力アンゼン委員会、ご存じの通りアメリカは原子力規制委員会です。私は、アンゼン委員会もキセイ委員会に変え、陣容を強化し、執行力を持った、三条委員会にするべきだと考えています。そのほうが長い目で見たとき、日本の原子力を良い方向に向かわせるのではないかと思うのです。こういった原子力規制の組織体系について、代表するお立場でどのように考えておられるかお聞かせ願いたい。

  

 以上のように発言した。(思い出しながらなので正確ではない)答えは丁寧に頂いたのだが、録音しているわけではなく、人様の発言なので、書かない。印象として、一つ目の答えは、答えるのも苦しいなあ、という印象。二つ目の答えは、検討の余地あり、という印象。

 経産省や総務省の方々とも話してきたが、残念ながら私が、今現在、どうにも解決できない、組み立てられないでいる課題への答えを聞くことは出来なかった。残念であった。私は、地盤、活断層に関する国も明確な説明が旧指針との関係において為されない限り、率直な言葉が聞かれない限り、「止める」「冷やす」「閉じこめる」の三原則が機能した、大丈夫だったではないか、想定震度を超えても安全余裕を何倍も見込んであるので大丈夫なのだ、という説明が聞かされても、それは単なる結果オーライじゃないか、それではいかにもお粗末だろう、という感想しか持ち得ない。それが、私がかつて「アナーキストでも無い限り最後には国を信じるしかないじゃないですか」と言った「国」なのだろうか。先進国と呼ばれる、日本の答え方なのだろうか。

 「活断層というのは、それが地上に露出するようなものをいうのであって、地下十何キロにあるようなものは活断層と言わないのです。そういう理解だったのです、旧指針は」 、といわれても、それは単なる詭弁であって、もしそうであるならば、その時点で分かりやすく伝えておくことが国に求められていたはずだ。

 夏目漱石展に行って改めて気づかされたこと。

 漱石の自筆原稿を見ても書簡を見ても絵を見ても蔵書を見ても、漱石の人となりを感じることが出来るだけであって、バックグラウンドを知ることが出来るだけであって、漱石の文学、思想を理解は出来ない、という当たり前の事実だった。漱石の本を読まなければならない。

 本にすべてがある。原子力発電所の問題も本質を考えなければならないと思う。そのことが柏崎のためになる。敢えて書けば柏崎経済にも資することとなる。

 3日間、友人・知人と交わした会話は、頂いた示唆は、何よりであった。本当にありがとうございました。

 

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2007年10月18日 (木)

新潟日報頑張れ

 昨夜、2日分の新潟日報を読んだ。

 17日2面、耐震審査  鈴木原子力安全委員長に聞く

  「可能なかぎりの、科学的な知見、知識に基づいて審査しているが、自然現象はわからないこともあるということをあらためて思い知らされた」

  「設計の基礎となる基準地震動について『超えるはずはないので耐震安全性は確保される』と単純化された説明をしてきたことに問題がある。原発は安全上の余裕を見込んで設計、建設している。これを含めて総合的に耐震安全が確保されているということをきちんと説明してくるべきであった」

 正直なところなのだろう。私の質問についても同じような答えであった。

 私は、だからこそ原子力規制委員会にして執行権を持たせるべきだと申し上げてきた。国家行政組織法における3条委員会にするべきだと申し上げている。今、原子力安全委員会は8条委員会、つまり執行権のない、「審議会」扱いなのだ。陣容も手薄である言わざるを得ない。昨今の体制強化があってもなおである。

 原子力安全・保安院は昨日も書いたが原子力専門の規制機関ではない。加えて原子力行政を進める経済産業省の中にある。

 つまり、日本には執行権を持った、独立した、原子力専門の規制機関は無い、ということになるのだ。私は、ずうっとこのことを指摘してきた。日本が原子力を本当に大切なものと考えるならば、このことを見過ごしてはいけない。今声をあげないで、いつあげるのだ。

  

 17日3面、社説 中越沖がなぜ救済されぬ 生活再建支援法

 「遡及適用を陳情した柏崎市長に対し、防災担当相は消極的な姿勢を示した。理由として「阪神大震災も遡及していない」と語ったという。
 そもそも、この支援法は阪神大震災の教訓を生かすために震災三年後の一九九八年に施行された法律だ。この震災では十本を超す特別立法がなされ、国を挙げての復興支援があった。中越沖と比べられる話ではない」

 「 本県選出の与党議員は改正案をどう受け止めているのか。中越地震でも、阪神並みの特別立法を求めながら見送られた苦い思いがあるはずだ。
 中越沖の被災者を改正法の対象に含めるというのは、決してわがままな言い分ではない。本県選出の議員はいまこそ与野党で力を合わせるべきだ」

 と結んでいる。

 そのとおり。

 今回の中越「沖」地震で、(面倒くさい)柏崎沖地震で、国会議員のどなたも議員立法をおっしゃらない。特別立法の声も聞かない。私が言う「原子力立地地域災害復興支援特別措置法」など、どなたも声を上げない。難しいのは承知している。けれどもここで頑張らないでいつ頑張るのだ。

 国会議員は「law maker」であるはずだ。


 

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2007年10月19日 (金)

原子力を奪われるな、柏崎!

 寝不足。老犬ハッピーがやはり夜鳴く。眠い。早くから起き、新聞を読んでいた。

 新潟日報、朝日ともに柏崎原子力発電所の制御棒を引き抜くことが出来ない事態を1面で書いている。讀賣は社会面で書いている。

 制御棒が一時的にせよ、部分的にせよ、うまく機能しない事態というのはかなり重い。制御棒は文字通りの役割を果たすものであり、昨日も書いた旧指針の中では「As」クラスで最重要に位置づけられている。新指針の中でも最重要の機器領域が広がり、ほかの機器とともに「S」クラスになっている。(一部新聞ではAsクラスと書かれているが、Sクラスが現在正しいのではないか) 制御棒はいずれにせよもっとも大切な機器である。

 私は今後も原子力を柏崎にとっても、日本にとっても大切なものとして位置づけたいと思う。ただ、過去数十年原子力を取り巻いてきた雰囲気や体制からは脱却しなければならないと考えてきた。そして、少しずつではあるがそれを実践してきた自負もある。今回の地震はそれを更に加速させなければならない事を確信させている。そうでないと原子力が奪われる。従来的なものに限りない愛惜を抱きながらも、その従来的なものに訣別をする覚悟が問われているように思えてならない。政治も、市民も、国民も。「少し変わる勇気」

 ということで、山で修行してくる事とする。

 

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2007年10月22日 (月)

時間が過ぎていく

 明日10月23日で中越地震から3年目を迎えることになる。2004年10月23日17時56分、私は市役所から3分と離れていない居酒屋にいた。子どものアイスホッケーチーム「柏崎デビルズ」の懇親会が行われていた。それからのことは以前のブログに書いた。

 私から見れば、市長選に向け1ヶ月を切ったところだった。

 3年後の今、私は考えている。原子力発電所と柏崎市。あのとき指摘した連絡体制の不備。広報のあり方。今回は原子力発電所に直接的な被害。それを原子力災害と呼ぶか否かは別として、その捉え方。変わったのだろうか。柏崎と原子力発電所。

 私はやはり今回の事態は、柏崎も東京電力も、ひいては日本のエネルギーセキュリティも、存亡の危機に結びつく可能性を有していると思う。

 大きく考え、大きな声を出さなければならない。目先のことのみならず、遠くも見つめ、歩かなければならない。

 新聞記事が昨今「中越地震」のことばかりであるのは仕方のないことなのだろうか。

 柏崎沖地震なのだ。柏崎が発信せよ、遠くを見つめ、大きく考え。

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2007年10月23日 (火)

難問

 昨晩は塾の営業を終え、一目散で家に帰った。NHKスペシャル「100年の難問はなぜ解けたのか ~天才数学者 失踪の謎~」を見たかったのだ。

 100年もの間解けなかった数学の難問「ポアンカレ予想」を巡るノンフィクションである。昨年、この問題を解いたのはロシアの数学者グリゴリ・ペレリマン(41)。彼は、数学の世界では最高の栄誉、フィールズ賞を受賞するがそれを拒否し、失踪する。ようやく連絡先を見つけ出した彼の恩師が電話をかけるが、面会を拒否される。

 ポアンカレ予想とは、宇宙の果て、宇宙の形に関するものである。こういった、誰もが抱く、けれども誰にも分からない命題を彼は解いた。正に天才なのだろう。彼はあらゆる賞賛を拒否する。東西冷戦終結の結果、ロシアからやってきたにこやかな青年ペレリマン。彼は研究の中で、真理に近づき、遠ざけられ、深淵を見、蒼穹を見、期待し、絶望したのではないか。

 少し子どもっぽい演出に流れたのは残念であったが、総じて良い番組であった。公共放送が手がけるべき領域である。NHKはドンドンこういう番組を作って欲しい。

 さて、柏崎と原子力発電所の問題はポアンカレ予想ほどではないが、かなり難解である。無視しようと考えれば今まで通りでよい。しかし、それでは、ビッグバンに対応できない。雲散霧消してしまう。問題を正確に認識し、知恵を集め、解いていかなければならない。 

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2007年10月24日 (水)

不釣り合い

 朝から笑ってしまった。テレビで銀座の「ママさん、電子申告体験をする」という内容が放送されていた。ママたちがインターネット上で確定申告できる「国税電子申告・納税システム(e-Tax)」の講習会に参加した。誰が主催したのかそこまでは聞き逃したが、まさか国税庁?だとしたらやるなあ。

 いかにもカメラを意識した化粧、服装。和服もあればスーツ姿もあった。そのあでやかさ?よりも、コンピュータに向かいながらも、カメラを意識する姿がズズッと並ぶ光景に思わず吹き出してしまった。余りにもの明るい光線を浴びての姿はやはりどこか不釣り合いだった。やはり、after 22 でしょうね。

 「今晩来てね」「今晩はなあ」「うーん、もう」「おい、よせよ。カメラ、カメラ」

 久しぶりに面白かった。笑い声を作らないと。

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2007年10月25日 (木)

新潟県危機管理監は頑張っている

 今朝も秋晴れ、さわやかである。

日経1面;

  • 国連が東電のCO2削減に関する排出権取得を認めなかった記事。
  • 東芝の今期営業益が過去最高に近づく、という記事。

毎日IN版;

  • 中越沖地震:断層面、柏崎刈羽原発の直下に、という記事。

 そんな中、昨日見つけた新潟県危機管理監の地震2週間後の発言。経済産業省における「第1回中越沖地震における原子力施設に関する調査・対策委員会」でのものである。私は評価する。失礼な言い方をお許し頂きたいが、これほど率直で、実質的な発言ができる組織だとは思わなかった。この発言はもっと大きく取り上げられるべきであった。柏崎市も少なくともこれくらいの発言をして頂きたかった。行動して頂きたかった。発言を発言として終わらせるのではなく、実現させて頂きたい。これは政治の領域である。

 明日10月26日は原子力の日である。そして耐震補強を行った浜岡原発に関する判決が出される。

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2007年10月26日 (金)

ハッピー

 真夜中3時にパジャマ姿で犬を散歩させる男を見た人はまず間違いなく「不審者!」と思うに違いない。しかし、例外もあるのだとご理解頂きたい。桜井雅浩は不審者ではございません。不眠者です。

 老犬ハッピーのために私はコンパネ6枚を買い、犬小屋を作った。今現在使っているプラスチック製の小屋がそのままはいるようなものである。断熱材を巻き、高気密・高断熱である。ドアまでつけた。

 「これで夜も寒くないだろう。夜鳴きもしない」と自信満々だったのだが、現実は甘くない。

 「そうだ。昼間この豪邸に入り、快適な睡眠をむさぼっているから体内時計が狂い、夜目がさえるに違いない。昼間は太陽の下、ホルモンバランスを調整してやればいいんだ」と昨日気づき、昼間は小屋に入られないようにしておいた。

 しかし、私は3時に散歩をした。誠実な努力は常に報われない。

 ハッピーは私と16年を過ごしてきたのだ。何とか手段を考えてやるぞ。まあ、けど眠いですなあ。 

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2007年10月27日 (土)

それらしき場所

 土曜の午後、そして雨の午後、村上春樹の「走ることについて 語るときに 僕の語ること」を読み、秋本治の「こちら葛飾区亀有公園前派出所 第6巻」を読んだ。もちろん、誰が考えても必然性など無い。何でそんな取り合わせなんだ、と問われても僕だって(村上春樹風に)分からない。ただ、雨が降って、それも激しく降って、山に行けなかった、そして、買ってきた本と地震の後の整理で出てきた本が僕の近くにあっただけだ。

 村上春樹は大学生の頃から、そしてデビュー作からずうっと読んでいる。僕が見つけたのではない。友人が教えてくれたのだ。大江健三郎的なものを読まなければならない、と思っていた僕だったのだが、何となく乾いた作風を格好良いものに感じて、読み続けてきた。ちなみに良くあるパターンかもしれないが、ベストセラーになった「ノルウェイの森」を僕は大事にしていない。その証拠に手元に残っていない。たぶん女の子に一言二言いいながら手渡したんだろう。そして帰ってこなかった。本も女の子も。

 「こち亀」は今でこそ「こち亀」で、僕の車のハードディスクには「こち亀全曲集」などというCDが録音されているのだが、(子ども用です。一応)単行本が出始めた今から30年ほど前は、こんな扱いではなかった。両さんの破天荒は僕だけでなく多くの人にカタルシスを与えてくれているだろうし、50話に1話ぐらい入る人情劇もちょっと魅力だ。道徳とか倫理とか正義とかを訴えないつつしみがある。

 がらりと変わるが、昨日の浜岡原発運転差し止め請求に関するに判決。原告全面敗訴、電力会社が主張する耐震安全性を認めている。各社が社説で扱っている。日経、朝日、讀賣、毎日、産経。全紙が扱っている。そして共通するのは「さらなる耐震化」への備え、認識である。

 「個々のタイムも順位も、見かけも、人がどのように評価するかも、すべてあくまでも副次的なことでしかない。僕のようなランナーにとってまず重要なことは、一つ一つのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。そこにある失敗や喜びから、具体的な-どんなに些細なことでもいいから、なるたけ具体的な-教訓を学び取っていくことである。そして時間をかけ歳月をかけ、そのようなレースを一つずつ積み上げていって、最終的にどこか得心のいく場所に到達することである。あるいは、たとえわずかでもそれらしき場所に(原文では傍点付き)近接することだ(うん、こちらの方がより適切な表現だろう)。
 
「走ることについて 語るときに 僕の語ること」村上春樹

 「おまえの顔はワイセツ物陳列罪に該当する!」
 「そ、そんなばかなことが!」
 「ばかなことだと その発言は警察法第10条”警官をおちょくりました罪”に該当する!」
 「そんな法があるもんか」
  
「こちら葛飾区亀有公園前派出所 第6巻 ふれあい運動会の巻」秋本治 
                 
 
 それらしき場所とワイセツ物の間で揺れている。

 
 

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2007年10月29日 (月)

柏崎にとって大切なもの

 柏崎にとって大切な記事が続く。

 28日(日)讀賣

 東電赤字転落へ 原油高や原発停止 料金値上げ検討 08年度

 27日(土)朝日

 NY原油、最高値をまた更新、一時92.22ドルに

 29日(月)日経

 中越沖地震解明進まず 柏崎刈羽原発 耐震性評価に影響も

 地震の評価には常に不確実性がつきまとう。こうした不確実性を補う方法は二つ。
 想定を超す地震で大事故が起きる確率を計算し、リスクを最小限に抑える方策を練る確率論的安全評価だ。昨年改訂した耐震設計の指針で国は、電力会社にリスクの計算を求めた。原発の耐震性の基盤となる地震研究には限界があることを地元住民や国民に説明し、リスクを最小限に抑える姿勢が必要になる。
 もう一つは、詳しい地層がわからない場合、柏崎刈羽が建設された当時の耐震基準であるM6.5をM7.3以上に引き上げることだ。M7.3以上の大地震は地表に痕跡が残り、未知の地震にはならないとされる。安全性は極めて高くなるが、既存の原発に適応すると耐震補強に高いコストがかかる。具体的な工事の進め方も問題になる。

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 特に最後の日経は柏崎にとって大切だと思われるから長く引いた。

 私が重ねて書いてきた「覚悟」にもつながる。柏崎、東電、そして大きく考えれば日本の産業構造を揺るがす、存亡の危機につながる事態だと思う、と書いてきた。

 私は日経が書く二つを二つともやらなければならないと強く信じる。特に後段は、一企業でまかなう領域ではない。国が前面に出て、合理的な範囲でその責任を担うべきである。

 従来的なものから脱し、柏崎発のアイディア、イニシアティブを発揮しなければならない。

 「原子力施設耐震構造補強促進法」

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 29日(月)讀賣

 藤波孝生氏死去

 いいなあと思っていた政治家であった。心からご冥福をお祈りする。 

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2007年10月30日 (火)

3人のお年寄り・1匹の老犬

 久しぶりにゆっくり寝た。ハッピーを自転車小屋の方に入れ、断熱材を敷き、更にアクリルで出来た小さな寝室小屋(1480円)を用意した。夜鳴きすることもなかった。私が作った高気密・高断熱の御殿は昼間専用となった。

 このことを教えて頂いたのは朝の散歩で出会うお年寄りである。もう何十年も犬を飼っていらっしゃるこの方に伺ったのだ。

 「桜井さん、そりゃ寂しいんだ。犬はやっぱり寂しいんだ。特に老犬ともなればなおさらなんだ。家に入れてやりなせ。人の声が聞こえるとこに入れてやりなせ」

 今朝、お互い熟睡から目覚め、散歩させるとハッピーの脚はヨロヨロしている。もう限界に近いのだろう。そうすると2,3日前まで叱りつけたことが思い出される。「ハッピーも寂しかったんだ。悪かったなあ」

 お二人の女性。

 畏兄のお母さん。先般久しぶりにお元気な様子を拝見した。

 「桜井さんねえ、あなた今何やっているの?塾?ああそう、そっちの方が性に合っているの?」
 「私ねえ、亡くなったお父さん(ご主人)が自分では何にも出来ない人だったから、私が何でもやってきたの。そしたらお父さんが『お母さんは何でも出来るんだなあ』って言うのよ。けど、そのお父さんは私のことを1度も怒ったことがなかったの。そう、ホント大らかな人だったの。だから、私ね、生まれ変わってもまた、お父さんと一緒になるの。こんな事、『のろけてる』なんて言う人には私言わないの。私、人を見て言っているの」

 その晩、私は久しぶりに本当に久しぶりに、本当につまらないことで、女房を怒った。人生うまくいかない。

 もうお一人の女性。白洲正子さん。

 今朝の教育テレビで細川護煕氏が白洲さんを語る番組があった。私は随分前、白洲さんの本を2冊ほど読んでいる。西行に関するものだ。正直余り感心しなかった。細川氏が何度も紹介していた白洲さんの言葉。

 「人は孤独になって初めて寂しさがわかる。初めて愛がわかる。人に優しくできる」

 北面の武士という、いわばエリートの地位を捨て、妻子を捨て、出家した西行を重ねての言葉なのだろう。

 さて、私は詰まらぬ事で女房に大きな声を上げ、出家も出来ない。ただ、ハッピーの気持ちはよく分かるようになった。

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2007年10月31日 (水)

老犬ハッピーの死

 ハッピーが死んだ。昨夜0時過ぎに見に行ったところ買ってきたばかりのアクリル小屋から出て、入れないでいたので、入れてやった。ハッピーは吠えることもなくそのまま入った。私は「お休み」と声をかけ、2階に上がった。

 5時過ぎに目が覚めた。今日入っている予定表を塾に忘れてきたので、取りに戻り、そして6時過ぎ、自転車小屋を開けた。ハッピーは死んでいた。ハッピーは自ら望むがごとく死んでいた。もちろんそれは望んだものではないはずだが、なぜかその姿には彼の覚悟めいたものを見た。私は、綱をほどきハッピーの体を横たえた。周りを片づけた。

 母がトイレに降りてきて、その母に告げた。そして、私は、長男、次男、三男、そして女房、父に告げた。子どもたちには「ハッピーが死んだ。降りてきておまいりしてやってくれ」と声をかけた。3人とも寝ぼけ眼ながらも、事態を感じ、文句も言わずに降りてきてくれた。

 私は、全員がハッピーの姿を見た後、山の畑にハッピーの遺体を運び、埋葬した。寂しくないよう母がいつも使う農作業小屋の近くで、そしてたぶん夕日がきれいに見えるところである。

 私はハッピーを連れ、妙高にも行った、佐渡にも渡った、米山にも登った、川下りにも連れて行った。私が柏崎に戻ってきて以来常にハッピーがいた。

 先般、きのこが採れたとき、さて誰に差し上げようかと迷いながら運転していた。日曜日のことである。道ばたに男性がいた。その男性のお父さんは私の大先輩であった。そして、小野梓氏の「民は国の基、吏は民の僕」という言葉を教えてくださった方である。お孫さんは16年前、開いたばかりの塾生第1号になってくれた。そして、そのご兄弟から生まれたばかりの子犬を頂いた。それがハッピーである。

 私は運命論者ではないつもりだが、このたびはそれを感じる。そして、ハッピーにすまない気持ちも少し残しながら、土をかけた。

 さっき長い昼が終わり、営業時間に向け車を塾に走らせていた。ハッピーそっくりの犬が元気そうに散歩していた。その時初めて目が熱くなった。ハッピーごめん。けれどもありがとう。本当にありがとう。

 昼間、父母が菩提寺のお坊さんに頼んでお経を上げてもらったはずだ。16歳であった。

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2007年11月 1日 (木)

アッサリ、ヌルヌル

 新潟日報にアサリやハマグリの仲間コマタガイが柿崎で大量に水揚げされた、という記事があった。貝大好き人間である私は早速ヨーカドーに買いに行った。残念ながら出ていない。ヨシ!と普通の私であれば、柿崎まで買いにいくとか、もっと私であるならば、採りに行くとか、ということになるのだが、喪に服しているためそれはしない。

 結果、アサリとナメ コを買ってきた。アサリはともかく、ナメコは写真のように立派である。もっとも立派なものを買ってきたのだ。天然のナメコはもっと大きくなり、傘が開いたばかりの方がおいしい。断然おいしく、香りがよい。松茸の香りがする。私の収穫物となるのはもう1ヶ月ぐらいたってからである。

 悩んでいるのは、アサリのみそ汁にするか、ナメコのみそ汁にするか、さて、ということである。といっている内にご飯が炊けた。 

        Nameko_yokado_3

 今日のお昼はナメコ汁となったわけだが、結果、おいしくなかった。天然物を知る私としては、香りも味も薄い。やっぱりね。

 柏崎もそう。アッサリしすぎ、もっとヌルヌルしないと。ナメコなどのヌルヌルは「ムチン」といって菌にとって致命傷となる水分の蒸発を防いでいる。人間の胃壁にもムチンがあり、胃酸から守ってくれている。

 知らぬ間に水分が蒸発していますよ、胃壁にポリープが出来ていますよ、柏崎。

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2007年11月 2日 (金)

プリンシプルのない日本

 テロ特措法が今朝、0時期限切れとなった。テレビでは、インド洋上の現場を写していた。

 「ふたよんまるまる、法が期限を迎えた。我々はこれより祖国日本に向け進路をとる」

 と指揮官が艦内放送をしていた。

 「祖国日本」  自衛隊の矜持であろう。たとえ給油活動であろうと我々は戦っている、という矜持。

 「祖国」という言葉に気持ちを動かされた。同時に、であるが故に原則論に立つ小沢氏の論に与する。

 原理主義、教条主義に与するのではない。余りにも無節操、無原則に異を唱えるだけである。柔軟性とか、融通性とかで動かされたのでは現場に失礼である。先般から続く防衛省の不祥事、後任次官を巡る争い、文民統制の問題にも関わる。

 前にも書いた「プリンシプルのない日本」(白洲次郎)を多くの人が読まなければならない。柏崎市は防災無線で朗読を流すべきである。「猿情報」よりもよほど前向きである。大体「さる者は追わず」と小沢氏もよく言っている。

 祖国日本、 わが柏崎。

 原則を明らかにし、足下を見、そして前を見よ、遠くを見よ。

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2007年11月 5日 (月)

残念無念

 誰にも原則というものはある。少なくとも政治に携わるものにとってはそうあって欲しい。小沢一郎氏の原則:プリンシプルは安全保障。この前に、年金や消費税などという論議は意味のないものなのだろう。無論、党分裂とか政界再編というのはプリンシプルを貫き実現する手段であって目的ではない。

  「せっかち」「壊し屋」「独断専行」「悪い癖」

 小沢氏への批判の大合唱である。何れも当たっているのだろう。

 また、

 「民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、次期衆院選での勝利は厳しい情勢にある」

 という小沢氏の分析も正鵠を得ている。

 私はいまだ小沢氏を応援したい。ただ、党首選の時にビスコンティの「山猫」から「私が変わらなければならない」と引いたあの演説をもう一度、ほんの少しでもいいから思い出して頂きたかった。

 柏崎

 残念ながら地震に隠れ、もしくは隠しているものがたくさんある。

 私にとっての、言うまでもなく柏崎にとっての、安全保障は原子力発電所である。しかし、それさえも隠されている。見て見ぬふりを続けている。そして、地震後柏崎は何も得られていない。柏崎のための、日本のための、原子力政策、エネルギー政策は変革のための大きな機会を失いつつある。

 残念。いや無念である。

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2007年11月 6日 (火)

柏崎の可能性

 先週末の朝日に次のような記事が載った。

 日中「鉄の結束」30年 新日鐵・宝鋼集団

 新日鐵が中国最大手の鉄鋼メーカー、宝鋼集団に技術支援を行い始めてから30年が経ち、記念行事が君津で開かれた、という記事である。

 48歳の宝鋼会長の徐氏が新日鐵OB吉竹氏の姿を見つけ、駆け寄り、握手を求め、抱き寄せた。徐氏は今から20年ほど前、吉竹氏から研修を受けたのだ。

 新日鐵は宝鋼の主力拠点宝山製鉄所建設に全面協力し、中国から3000人の研修生を受け入れ、1万人の社員を中国に送った、と記事は続けている。

 現在、宝鋼は粗鋼生産で世界第6位、第2位の新日鐵に迫ってきている。1位のアルセロール・ミタルは宝鋼を狙っている。新日鐵と宝鋼は「30年の信頼」を基に結束し、それに対抗している、と記事は結んでいる。

 私が目指しているのはこの姿である。日本・柏崎と中国、原子力。

 以前、賢人から「中国はしたたかだからだまされるぞ」と言われた。確かにその可能性も半分はあると思う。人間関係と同じでだまされ、使われ、捨てられることほど惨めで、腹が立つことはない。恨みにもつながる事柄だ。しかし、日本と中国の関係は現実的な所を共有しながら、敢えて言えば「利益」を共有しながら、関係を整えていくしかないのではないか。そして、柏崎には原子力がある。たとえ、知事が言うように「廃炉」の可能性があったとしても、それはそれで大変な仕事である。そして、新たな需要が生まれる。いずれにせよ中国は原発を必要とし、柏崎にはそれを支えうる人材があり、技術の蓄積がある。原子力発電をめぐり「新たな経済」が生まれる。

 私はだからこそ、今こそ、原子力で柏崎は主張せよ、大きな声を上げよ、と書いているのだ。国から具体的な成果を求めよ、レールを敷かなければならない。単に「早期再開」を求めては駄目なのだ。

 日本にとっての、柏崎にとっての原子力を根本から考え直し、そして位置づけ、安全を確保しうる担保、法制度を整え直し、規制組織を構築し直し、原子力が国策であることを明確に位置づけ、一元的に国が全面的に責任を担うことを認めさせなければならない。今回の地震源には原発があることをもう一度認識し直さなければならない。阪神・淡路大震災にも、中越地震にも原子力発電所は存在していない。柏崎沖地震には国策たる原子力発電所が存在していたのだ。

 従来的な発想ではなく、大きく構え、そして新たな発想で、実質的な成果を積み重ねていかなければ、「経済」を生み出していかなければ柏崎は無くなる。

 新たな柏崎を、世界に開かれた、いや、世界を拓く柏崎を作らなければならない。

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2007年11月 7日 (水)

 朗報は、生活再建支援法改正案が与野党の合意の基、成立する見込み、との報道。関係者ご努力の成果であろう。しかし、これは最低限の話。

 朝日新潟版の連載「見落とされた活断層」が2回目。この記事を見てどれくらいの人がつらさを感じるのだろうか。

 小沢さんもつらいだろう。「恥をさらすようだがもう一度頑張る」

 東京電力もこの言葉をかみしめなければならないのではないか。

 

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小沢さん、頑張りましょう

 小沢さんの説明をインターネット上、民主党のホームページから見た。両院議員総会で頭を下げる小沢さんの目には涙が光ったように見えた。

 「恥を忍んで」

 文字通りなのだろう。そして、小沢さんの言葉通り、民主党は衆院選で勝つことは難しかったと思う。小沢さんのこんな騒ぎがなければ、という方もおられるかと思うが、そうではない。小沢さんには見えていると思う。

 良かった点もある。初めて人間臭さを人前にさらしたのではないか。格好悪さ、負けるところを衆目の前でさらけ出した。

 政治は何が起こるか分からない。プリンシプル:原則を掲げる政治家は絶対に必要である。

 私は小沢一郎さんを応援する。

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2007年11月 8日 (木)

政策実現

 昨日はガッカリした日だった。わざわざ朝早くから山には入り、お目当てのナメコは空振り、キノコをお届けするという行為さえ出来なくなってしまった、と午前は嘆いていた。

 夕方、小沢氏の見、少し回復。塾で生徒たちと頭を絞って、大いに回復。

 今朝、田中秀征氏の文章を読んで、「そうそう」と頷いた。新潟日報に掲載されたものである。

 小沢・福田会談で、国連平和活動に関する自衛隊の海外派遣は、国連安全保障理事会もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に限る、という小沢氏年来の主張を福田首相が認め、重大な政策転換を決断したとするならば、一時的な大連立を代償としても十分に納得することができる、と書いていらっしゃる。

 また、

 「今回の騒動で、多くの民主党議員がテレビの取材などでマイクを向けられたが、恒久法の小沢案についての賛否に言及した人がいただろうか。
 これでは小沢氏から『政権担当能力があるのか』という疑問を指摘されても仕方ない。いたずらに『民意』や『政権交代』を叫ぶだけでは、『政策実現』に軸足をおいて対決した両党首を批判できない」

 と結んでおられる。うまいなあ、と田中氏の分析と筆致に感心した。前からなるほどと合点の行く文章を各所で書いておられたものを拝読していたが、著書を注文しようと思う。

 さて、柏崎の大事は、原子力発電所である。原子力の存在を根本から考え直さなければならない。その上で、日本に原子力が本当に必要だとするならば、原子力立地地域での災害復興を支援する法が是非必要である。そして、原子力規制を一括する、執行力を持った、経産省から独立した、原子力規制委員会が必要である。柏崎にとって、そして日本にとって。

 柏崎にとっての「政策実現」とは「原子力発電所」である。断言する。

 

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2007年11月12日 (月)

震災復興に隠れるもの・隠されるもの

 小沢氏の愛読書が辻邦生「背教者ユリアヌス」だと、昨日の讀賣に紹介されている。

 「政治とは頭のなかで考えたとおりには決して実現しないのだ。おれたちは丸い完全な形を夢見ている。だがそれが実現する際には三角になったり、梯形になったり歪んだりするのだ」

 小沢氏の政権入りへの意欲を「10年ぶりの『本音』」と見出しを打っている。

 柏崎の頭の中には丸い形があるのか、三角なのか、それとも四角なのか、さっぱり分からない。「震災復興」とだけ叫んでいれば事足りるのではない。復興が成し遂げられたとき、何もなくなる。

 原子力発電所との関わりは?経済施策は?2つの大学は?医療体制は?何よりも子どもたちの教育は?高齢者施策は?そして財源は?

 ぶどう村も入札制度もゴミ有料化もガス民営化も、 細かな懸案も皆「震災復興」に隠された形になってしまった。

 足下も見る。そして遠くも見なければ。

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2007年11月13日 (火)

一時的音楽愛好家

 芸術の秋も深まっていく。私は女子美という伝統校に一時的にせよ籍を置いていた身である。国語の教師としてである。絵を描くことはできない。造形などもってのほかだ。ただ見ることが好きで各地の美術館を見てきた。何度も、いろいろなところで。

 私が好きな美術館の一つに港区芝にある庭園美術館がある。建物そのものがアール・デコであり、展示物もまた企画展もいいのだが、日曜日の午前に開かれていたミニコンサートも魅力的であった。野外で開かれていた弦楽四重奏を聴きながら、館の片隅で私は本を読んでいたと思う。正面切って聴くことが恥ずかしいと思われるほど雰囲気がいいのだ。

 私は音楽に疎い。ただ音痴ではない。何といっても昨年は一中のPTAコーラスの指揮者様、今年は柏崎小学校PTAコーラスの指揮者様である。けれども私の音楽に関する知識も履歴も現在もお恥ずかしいものである。かじるだけである。

 そんな私が今から20年ほど前に音楽の本を買った。もちろん楽譜ではない。楽譜など私にとっては「そんなの関係ねえ」

 「キース・ジャレット 音楽のすべてを語る」

 彼はimprovise「即興」ということを大切にしている。そんなことが書いてある本だ。彼が言うimproviseはいい加減なという意味であるはずもない。

 If you hear what you want,we are moving towards the word 'want '.

という思想家であり、音楽家でもあるグルジェフの言葉を引用している。

 芸術的な気分になりたい私は過日赤岩ダムまで出かけ、誰もいない湖畔で、車の窓を開け、大音量でパヴァロッティを聴いていた。対岸の紅葉が美しく、「うーん芸術的」と満足していた。正に自己陶酔の例として広辞苑に掲載されるよなものである。

 けれども必要じゃないのかなあ。格好いい柏崎。求めたいものに耳を傾けること。軽いけれども深いimproviser 。

 でもそんなの関係ねぇ?はい、オッパッピー!

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2007年11月14日 (水)

時差無く進め柏崎

 天気が良く、山に行って来た。やっぱりおかしい。天候不順、という領域を超えていると思う。                    

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 ナメコとクリタケが混在している。クリタケは柏崎では11月上旬~中旬、ナメコは11月中旬から下旬。つまり11月中旬の今頃行くと、クリタケが落下しつつあるとき、ナメコは幼菌としてその姿を見せる。けれども今年は、なかなか寒くならず、ナメコは発菌?が遅かった。けれども一端出ると気温が高い日が続いたせいか、発育が早く、クリタケに追いついてしまった。クリタケとナメコは私の感覚では10日から2週間差があるはずなのだが。

 今年、1月、2月はほとんど雪が降らなかった。9月は残暑が厳しかった。鮎の産卵も10月中旬ぐらいまで伸びたのではないか。それぞれおかしい。大げさではない。

 まあいいか、一定の収穫もあったし、深く考えないでおこうか。

 とも思ったが、やっぱりおかしいんだよなあ。

 柏崎も同じ。生活再建支援法の特例措置は最低限のこと。原子力発電所を抱える自治体が地震に見舞われた、国策を進める自治体が被災した、という観点からの財政措置が見えない。特別措置法を求めてしかるべきだ。立法の必要があるのだ。今、国は原子力立地地域に対し、力を見せずして、原子力立地地域の大切さを身をもって示さずして、立地地域の信頼は得られない。日本が今後とも原子力を本当に必要とするならば、自治体が一番難儀しているときに、国が圧倒的な力を見せることほど大切なことはない。

 原子力規制について今こそ国を動かすべきなのだ。今をおいて動かす機会など無い。独立した、執行権のある原子力規制委員会が必要なのだ。日本が今後とも原子力を本当に必要とするならば。

 深く考えて頂きたい。時差無く。

 

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2007年11月15日 (木)

稲尾・豊田・柏崎

 ちょっと嬉しいことがあった。先月上京した折、久しぶりに会った友人から「桜井さんと会って元気をもらいました」とメールが届いた。お世辞でも嬉しかった。

 (そうそうオレは元気だよ。元気に、暇に、山ごもりしてるよ!)

 新潟日報は本日の1面トップで柏崎刈羽原発の断層の多くを東電が過小評価し、国も見逃していた、と報じている。

 昨日の各紙は原子力安全・保安院が国際原子力事故評価尺度に基づく評価を「0マイナス」としたことを報じている。

 それに伴い、讀賣は解説面で科学部の中島達雄氏が報道のあり方を含め、社会的認識との落差を書いている。

 また、朝日は続いた連載「見落とされた活断層」を終わるに当たって、国の審査体制「ダブルチェック」が機能しなかったと断じている。

 元気なくなるよなあ。再三書いているが、信頼されるべき国の原子力規制の確立。それを大きな声で、柏崎が言わないと。原発反対派は遠慮し、原発推進派は従来通り、原発容認派はいなくなった、と書くのは書きすぎだろうか。

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 日経に豊田泰光氏の「鉄腕・稲尾」氏追悼の「談」が掲載されていた。文章ではないのだからの同等に評価できないが、乱れていた。氏の文章はいつも整い、洒落ていて、鋭く、そして暖かみがある。乱れていたのはそれほどまで稲尾氏と「思い」を共有していたからなのだろう。

 「コントロールは指先の記憶ですよ」と話す稲尾。

 そして、「稲尾よ、君がいなくて一体誰が『指先の記憶』を伝えるんだろう」と惜しみ、稲尾の投球に品があり、風格があったと話す豊田。

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 柏崎の思いを共有できる人は、一体何人いるのだろうか。

 柏崎の思いを共有してもらうべく情熱を傾ける人は一体何人いるのだろうか。

 

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2007年11月16日 (金)

長岡で考えたこと

 今日はいい天気だ、桜井はいない、ああどうせ山に行ったんだろう、と思われた方は残念でした。山は明日。今日は家人に同道して長岡の病院に行って来た。

 いつもこの病院に行って感心するのは挨拶だ。見知らぬ私たちにさえ、職員たちが会釈をする。気持ちがよい。また、柏崎からと知った看護師さんが、「帰りもお気をつけて」と声をかけてくれる。

 この病院にはPET(陽電子放出型断層撮影装置)が備えられている。柏崎には無い。家人はSPECT(単光子放射線コンピュータ断層撮影)を行うのだが、これはたしか刈羽郡病院でもできたと思う。それぞれ放射線を使った検査であるわけだが、私は3年前の選挙で、60億円の環境共生公園という計画をダイエットし、こういった医療体制充実に振り向けることを公約していた。陽子線や重粒子線治療とまで行かなくとも、PET本体、付帯設備を含めても数億円単位のオーダーだったと思う。マンパワーなどの課題を含みながらも、CTやMRIとの組み合わせの中で、ガン検診の強力な一手となったであろう。

 柏崎にある独立行政法人新潟病院(国療)もせっかく残して頂いたのにその力を十分に機能させていないと思う。

 地震後、柏崎の政策課題が隠され、忘れられつつある。医療体制の充実はどの地域も願うことだが、今や医師、看護師の奪い合いである。地震の柏崎に同情している暇なく、それぞれの地域が奔走している。必死である。

 以前も書いたが私は陽子線治療装置について学ぶためアメリカに行ったことがある。10年以上前であろうか。放射線治療もこの間随分進み、日本各地で放射線治療が進められている。

 人の命は何物にも代え難い。そして、国策を担う柏崎が、そして潜在的なリスクを抱える原子力発電が存在するまちに最先端の医療施設があっても何ら不思議はない。自然な話だ。

 このまちで子どもたちは育っていく。その過程で難儀を得たならば、柏崎が責任を持ってその難儀の一端を担う、カヴァーしてあげることができるまち。

 人生の終末を少しでも穏やかに過ごすことができる体制。そのためには経済力。原発の存在をしたたかに使わなければならない。

 私だって未だ山で考えることもあるのだ。

 あっ、山は明日、明日。

 

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2007年11月17日 (土)

一歩だけ前に進んだ

 地域の会主催の講演会を1時間だけ聴いてきた。

 原発反対の方々と一緒に裁判を担う先生の話である。論文や著作を読んだことがあったが、実際にどのような声で、どのような話し方をされるのか、失礼な言い方かもしれぬが、確認したかった。

 正確な物言いをされる方であった。

 地震は起こりうる。

 私が改めて確認した事柄である。

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2007年11月19日 (月)

佐高信・田中眞紀子・梅安・柏崎

 昨日は子どもの野球にも行かず、一日読書三昧だった。

 佐高信・田中眞紀子「問答有用」、池波正太郎「仕掛人 藤枝梅安」1.2.3、「文藝春秋十二月号」

 それぞれ心地よく、小気味よく読んだ。

 夜、アイスホッケーで上越へ運転手。子どもが練習している間も活字。そもそも私が持ち歩く鞄やザックの中には常に何か本が入っている。

 突然の出来事、持ち物を調べられたとき、ああこういう人間なんだなあ、と思われたい。時々、わいせつな本もあるのだからその時は特に自己防衛・交通安全を心がけている。

 それにしても「ああオレも文藝春秋を読む歳になったんだなあ」としみじみ感じてしまった。あっ、という間だ。

 原油は1バレル100ドル付近を停滞している。もちろん投機的な動きを含んだ価格だろうけれども、OPECも簡単に増産を踏み切りそうにない。レアメタル確保に向け政府も経産省以下動き始めた。ウラン確保で橋頭堡を築き、同様にレアメタルもということだろうけれども、なかなか難しい。

 原油は10年前、つまり1997年11月、1バレルあたり約20ドルだった。現在の五分の一。1年前、2006年11月は約60ドル。

 原油価格の高騰は東京電力の体力も奪いつつある。

 それ以上に、何も発信しない柏崎は体力以前の話のように思われる。細々と様々なことをやっているが、大きな柱がない、目印がない、目標がない。

 梅安が使う必殺技は「3寸針」であるが、柏崎は今5寸釘を打たれたがごとくである。

 あっ、という間である。問答無用で時間は過ぎていく。

 追記:梅庵と書いていました。お恥ずかしい、賢兄からご指摘を受けました。もちろん「梅安」です。訂正いたしました。(2007.11.21)

 

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2007年11月21日 (水)

ニッポン、チャチャチャ!

 今朝のNHKニュースから。

 何といっても京大の山中伸弥教授らの人工万能細胞の作成成功だろう。自分の皮膚細胞から様々な組織・筋肉・神経の基を作られる、というのだからすごい。自分の細胞から作られるわけだから拒絶反応もないという。いくつかの課題を克服しながらも、是非極めて頂きたい。考えるだけでものすごい範囲に応用できるのではないか。

 心配なのはアメリカの動き、同じ研究をアメリカ・ウィスコンシン大学も発表したという。NHKでは科学部の記者が、「国がいかにバックアップ体制を組めるかがカギ」、と語っていたが、その通り。負けるな。

 新潟版に移って、今日開催される、原子力立地議会緊急大会。新潟県知事や東京電力副社長出席の声は聞かれたようだが、国の関係、つまり大臣や国会議員の声は聞かれなかった。私の認識では、「国」の出席が大事じゃないのかなあ、と心配している。

 と書いて、新聞を読むと京大の成果は各紙1面に掲載されている。1面トップは讀賣だけだが、全紙トップでも良かったんじゃないのかなあ。

 関連して、昨日日経にはオリンパスが英国の医療機器企業を買収した記事。私は株をしないが、買うのだったらオリンパスはその一つと定めている会社の一つである。日本は、柏崎は、こういう企業を、というか、こういう考え方、事業、事業の進め方をする企業を大事にしていかなければならないと思うな。

 私がオリンパスに興味を持ったのは5.6年ほど前に、大腸ガンの疑いを晴らすべく、内視鏡で見てもらった時のこと。麻酔をかけないで、自分の腸の中を見た。ちょっとした感動だった。こんなにきれいに見えるんだ。(腹は白くなく、赤かった)

 機材を見ればオリンパス。調べると世界シェアNO.1。

 柏崎は科学技術、アイディア、先見性をキーワードに進むべきだとずっと思ってきた。それで稼ぐのだ。実際、稼げる。格好いいでしょ。

 原子力があるまちだから環境に配慮できるまち。矛盾を抱えながらも、何とか克服しようと前へ進むまち。

 ということで私は昨日半日山に行ってきたのだ。ナメコを10キロも採ってきた。下はその内の1箇所。ここだけで採るのに40分かかった。天然ナメコはこのくらいに開いたのが一番おいしいのだよ。(1日ぐらい遅かったかな) アッハッハ。笑うしかないか。

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 冗談ではなく、天然ナメコはこのくらいになると松茸の香りがするのですよ。                                Pb200063s

 

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2007年11月22日 (木)

not only 柏崎

 原発立地自治体議員の緊急大会が開かれ、遠方からの知人と時を過ごした。原発立地自治体の議長会を作るときからの方々である。酒を酌み交わしながら、私が言うことを瞬時に理解して頂ける方である。原子力立地自治体の中で枢要なポジションを占める議会関係者である。彼らにはプライドと覚悟が見えた。

 「あんたの言っていることはずうっと変わっていないね」

 嬉しかったなあ。厳しいご指摘も含めありがたい。

 各紙の見出し。

 朝日:「原子炉調査は国の責任」 
  讀賣:「原発立地議員350人全国から集まる」
 新潟日報:「活断層調査徹底を 柏崎で原発立地議会緊急大会」

 讀賣の「集まる」はちょっとつらいなあ。朝日、新潟日報の見出しは調査、各紙とも知事の講演がメインだった。

 国が立法措置を行い、財政的にも全面的に支援する、信頼できる規制体制の再構築を行う、という「前を向いた実質」にどこまで近づいたのだろうか。

 柏崎のためだけではないのだ。

 讀賣スポーツ面:反町ジャパンが五輪出場を決めて

 元ベルディ総監督李国秀氏の「目」

 サッカーがほかの競技と違うのは、子どもの時から世界に目を向けて育つと言うこと。フランスやイングランドがどこにあるかは知らなくても、好きな選手はジダン、ベッカムという子どもは多いはずだ。経済でも教育でも、内向きの視点は好結果をもたらさない。若い世代が世界に出て行く五輪は、外=世界に目を向けることの重要性を改めて証明したのではないか。日本の競争力低下が叫ばれる中、五輪という注目される大会で日本のサッカーを見せられるのもうれしい。

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 ともあれお疲れ様。足元を見て、遠くを見て。

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2007年11月26日 (月)

ゲーテ・柏崎

 昨晩のTBS「世界遺産」はドイツ・ヴァイマールだった。ドイツ古典主義の中心として、出てきたのがゲーテであった。

 全く自慢にならないが、私はゲーテの作品を読んだことがない。「若きウェウテルの悩み」も「ファウスト」も縁遠かった。ただ、ゲーテ格言集を何度もパラパラ読んでいるだけの者である。

 「銘々自分の戸の前を掃け」

 という言葉も番組で紹介されていた。私も以前何回と無くこの言葉を使わせてもらった。

 「もっと光を」

 ゲーテ最後の言葉として余りにも有名だが、柏崎に必要なのは、

 「もっと金を」

 品もないが、柏崎は地震後何も得られないまま終わりつつある。特交(特別交付税)頼みでは政治の不在を証明するだけである。

 虹だって十五分も続いたら、人はもう見向かない。                      ゲーテ

 もっと情熱を、もっと発想を、もっとスピードを

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2007年11月27日 (火)

為政者の不在

 21日、新潟県は県内自治体の平成18年度普通会計決算の概要を発表した。柏崎の財政指標は平成17年度と比べても更に悪化した。県内ワースト1と言ってもいいだろう。

 借金の割合を示す「実質公債費比率」は22.2で、ワースト3、同様の「起債制限比率」は16.6でワースト1、経常収支比率は97.4でワースト3。

 特に問題なのは経常収支比率。昨年発表値91.7、今年97.4。実に5.7ポイントの上昇。1年で5ポイント以上上昇した自治体は他にない。

 経常収支比率:毎年経常的に収入される財源のうち、人件費、扶助費、公債費のように毎年経常的に支出される経費に充当されたものが占める割合。(新潟県の説明)

 昨年も同じ時期にこの問題を書いた。

 率直に書こう。先般市役所職員組合が行った折角の寄付行為ですら、「お茶を濁す」ものとしてしか感じられない不幸。職員が悪いのではない。三役はお決まりの減棒、数ヶ月。誠実さと真剣みを感じられない不幸。

 地震が起こり、更に財政は硬直化し、悪化する。原子力立地点での震災に際し、新規復興財源を見いだせないでいる現在、財政は圧倒的に悪化する。

 職員組合の心意気を超えるものがないと柏崎市財政は破綻する。ここまで落ちたのもアッという間であった。

 為政者が不在で、職員長の仕事と言わざるを得ない。心意気すらない。敗戦処理だけでは困る。

 2006年11月16日やはり危機感がない柏崎

 2006年6月21日他山の石・他村の水

 2007年6月6日数字の差

 2006年10月31日フツウ以下の責任

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中の小

 財源不足が心配される、と書いたならば、電源特会からの交付金が特例措置として約26億柏崎市に増額交付されることになった、という連絡を頂いた。

 午後はずうっとお客様たちとその話をさせて頂いた。ありがたい。けれども「中の小」くらいのありがたさに感じる。

 単年度であること。また、東電は28年ぶりに赤字決算になる訳で、固定資産税や核燃料税など原発財源の逓減と相殺される部分もかなりあるのではないか。実際のプラスアルファは限定されよう。

 さて、、もっと大きな声を、理屈を持ってあげなければならない。先に書いたことは当然の事ながら地震が起きる前の数値である。大喜びなどしていられない。

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2007年11月28日 (水)

阿修羅のごとく(ドラマじゃないよ)

 まだ女子美で働いていた頃、正月を京都、奈良で過ごしたことがある。いつものようにザックを背負い、年末から年始の山辺の道を歩いた。奈良から桜井へというルートだったと思う。途中ユースホステルに泊まりながら進んだ。

 覚えているのは、のどかな景色と降り注ぐ陽の光、そして緊張感を伴った冬の空気だ。長岳寺と大神神社、そして奈良に戻り興福寺の阿修羅像、薬師寺の東塔。その時買ってきた阿修羅像の写真は今も我が事務所に飾ってある。

 阿修羅像。古代インド語では、アスラ(Asura)、つまり「生命(asu)を与える(ra)者」だという。仏教では釈迦の教えに触れた守護神だという。彼の怒りとも微笑みとも見える口元。憂愁を帯びた視線の先には何があるのだろうか。

 さて、  。

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2007年11月29日 (木)

質実冒険

 守屋前事務次官の収賄容疑。赤福、吉兆、マクドナルドをはじめとする食品の偽装。私は「ふーん」という感想である。そして、正直に書けば今のところ私は守屋次官にほんの少しだけ同情的である。

 それよりも4年間次官でいることがさも悪いことかのように言い立てる風潮。また、さも我が社は違う、私は違う、とさも自らを忘れた、もしくは気付かぬふりをしながら言い立てる、書き立てる風潮。

 昨晩、塾で高校受験を前に頑張る中学生の一人に作文指導をした。課題は、「個人はいかに社会を変えうるか」というものである。彼の書いた結論は「個人がいかに『自分で考えるか』と言うことだと思う」彼のほうがよく分かっている。

 本当は何なんだ、と言うことを問いかける事、気付かせてくれる人が必要だ。本質論を見過ごしてはいけない。

 柏崎に必要なのも本質論である。質実。

 質実剛健ではなく、柏崎に必要なのは質実ちょっと冒険だと信じている。

 

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2007年12月 3日 (月)

アップアップダウンダウン

 11月30日はいつも忙しい。学習塾の方の決算提出期限である。また、今年は家人を連れて長岡の病院へ。加えて翌12月1日土曜日は柏崎小学校の音楽発表会PTAコーラス指揮。ドキドキ。学習塾では中3生の模擬試験。それを終わらせ、夕方からは次男の野球遠征。柏崎学童野球選抜チームSTARSは最終戦を熊谷で行うのだ。うむ。忙しかった。

練習時

 私:「指揮は見ないでください。絶対に見ないでください」
 お母さんA「サビのところで指揮が遅れる」
 お母さんB「端っこに立っているとピアノが聞こえないの。指揮が頼りなんだから」
 お母さんC「全くひどかった!正面なんだから見ないわけにいかないの!」

本番
 

 私「2拍子になったり、4拍子になったり、5回間違えた」
 お母さんA「良かったわ」
 お母さんB「すごく良かったわ」
 お母さんC「いつも阿部寛に似ていると思っていたの!」

 ウッハッハ、私は調子に乗ってしまった。

 しかし、野球遠征

 バスの中では調子悪し。ビールも一向に進まず。昨日までの睡眠3時間3日間が応えている。ホテルに入っても調子悪し。子どもの見回りを行いながらも、1時に就寝。5時に目が覚める。6時に子どもは起床、アップを行うのだ。当方はアップアップである。

 大会は厳しい試合を繰り返しながらも、決勝へ進出。敵は下級生を主体としたチームなのだがよくまとまっていて、外角をうまくコントロールする軟投派のピッチャーにタイミングが合わない。後半まで負けている。我が次男も守備では活躍するも打撃がパッとしない。

 5回裏、ランナー2,3塁で次男。右中間へのヒット。ライナー性のあたりが抜けていく。走者一掃、逆転の3塁打。3塁上でガッツポーズ。格好いいなあ。

 優勝。ベストナインに選ばれた。

 お父さんは帰りのバスで復活。飲み過ぎてしまった。今朝はまたまたダウン。 

 

 

 

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結果オーライではいけない

 柏崎にいなかった昨日、新潟日報の社説。

 要は電源立地地域対策交付金が特例として増額されたことに対し、当然のことだが、原発再開に結びつけるもので無きよう「くぎを刺す」という内容だ。また、設置者や国が交付金の特例増額ではなく、損害賠償として位置づけて支払うのが本来の姿だ、と主張している。

 私は、東電の賠償責任よりも国にその責任があることを再三再四書いてきた。だからこそ、立法による財政支援を国の責任所在確認、謝罪の証として求めてきたのだ。

 新潟日報の主張と少し異なるのだが、国に明確な筋の通ったものを求めている点では共通する。特例でごまかされてはならない。

 国は活断層の存在を見抜けなかったこと、その活断層の上に原子力発電所が存在してきたことについて先ず明確に認め、立地地域に対し、謝罪しなければならない。柏崎市はそれを求めなければならない。柏崎には国が見抜けなかった長年のリスクを、その累積として対価を求める権利がある。

 そして、それが為されて初めて、今後どのように原子力と向かい合うべきか国民的議論が行われるべきなのだ。

 今回の地震。原発炉本体に大きな損傷は無かったようだ。だからといって国は「止める」「冷やす」「閉じこめる」が守られたからだと胸を張ることなど出来ない。先進国と言われる日本が結果オーライで良いはずがない。

 原子力の在り方論議にしても、国、自治体の関係にしても、また財政措置のあり方にしても、「特例」、「結果オーライ」で済ませてはいけない。根本論議が必要だし、それを求めていくためのリーダーシップが必要なのだ。

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2007年12月 4日 (火)

2007年の師走

 寒くなってきた。雪もちらつき始めた。ついこの前まで夏だったのに。

 先日車の中で三男に聞いてみた。「季節は何が一番好き?」「夏!」「何で?」「鮎を捕りに行けるから」   うれしいねえ。

 次男。先週の音楽祭当日、おでこに大きな熱さまシートのようなものを張っている。あれでステージに上がるつもりだろうか、心配していたところ、前に担任をして頂いた先生が、「桜井さん、何であんな事になったのか知ってます?」「いいえ、」「今朝、学校へ向かって走っている途中、虹が出ていたんですって、それがきれいでね、見とれてバス停にゴーンって」「・・・・・・・」

 長男と。「12月にさあ、黒姫登ったの覚えているか?」「うん、覚えてるよ。凍ってて、スゲぇ怖かったときでしょ」「うん、そうそう」 3年前のことであった。

 寒くなって急逝されるかたも多い。すべてのお葬式に出られるわけではないがお世話になった方の名前が並ぶ。弔辞や喪主のご挨拶に無念がにじむ。

 時の経過は当たり前のことだがいろいろなものを含んでいる。

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2007年12月 5日 (水)

あっという間に最下位

 各紙、経済協力開発機構(OECD)の国際学力到達度調査を1面トップで伝えている。

日本
 数学的応用力10位
 読解力15位
 科学的応用力6位
 理科学習への関心度・意欲 57カ国中 最下位

 以前柏崎で開かれた教育関係者の会合で、さる校長がおっしゃった。

 「OECDの結果は現行の学習指導要領が施行される前のカリキュラムで教育を受けた子どもたちのものである。だから『ゆとり教育』の弊害ではない」

 しかし、今回のデータに関して言えば、対象の生徒が小学校6年生の時に現行学習指導要領が施行されている。

 OECDのデータに関しては私も過去何回も書いていると思う。

 基本的に日本は資源がない。唯一は人的資源である。この人的資源に投資せずして何に投資するのだろうか。そして、「生きる力」などを学校などでは教えられないのだ。学校では基礎学力充実と実社会に出る前の人間関係、集団生活構築の練習、そして体力の育成を行うべき所だと私は確信している。学ぶ領域を減らすなど国家犯罪である。

 ハッピーマンデーだ、週40時間労働だ、などと風潮は著しいが、日本の基本は、学ぶこと、働くこと。そう思う。

 柏崎だって同様。特別交付税の交付が決まったようだ。ありがたいにはありがたいが、これとて私から見れば当然のことにちかい。柏崎が知恵を出し、汗水流して勝ち取った金ではない。

 柏崎の財政力はあっという間に新潟県最下位に落ちた。地震の結果ではない。地震以前のデータ(平成17年度決算)がそれを示していることは先日書いた。

 言い訳を考えている内にまた落ちてしまう。

 質実。

  

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2007年12月 6日 (木)

二転三転

 新潟日報の1面トップは柏崎刈羽原発近くの活断層。朝日も1面で「活断層を過小評価」と伝えている。

 それぞれ2003年、東電は当時の新たな知見を入れ「活断層」と評価し、国にも報告していたが、国から公表の指示も出ず、結果して明らかにされなかったという内容だ。

 繰り返し書いているが、根本論議を避けて通れない。地盤も地震による揺れも「想定」を超えている。

 私は未だ原子力は欠かすことの出来ないエネルギーだという認識は変えていないが、同時に、日本で、柏崎刈羽で、となると本当に根本論議をしなければならないと強く信じている。

 女川、志賀、柏崎刈羽、と「想定」を超えた揺れを観測しているのは既に3原発となった。原子炉被害が軽微なものであったとしても、今回柏崎刈羽で初めて地震被害が原発構内で生じたのだ。

 改めて書くが国の責任は重い。柏崎市の姿勢が問われる。

 その柏崎市。また「二転三転」を行ったらしい。3年前の中越地震で危険となった市所有の構築物。付近の住民の声に押され補強工事を行った。ところが今回の柏崎沖地震でそれが崩れ、住民数世帯家屋などに覆い被さった。倉庫など全壊。市は当初議会でも補強工事の不備を認める発言を行い、補償の意向を示していた。けれども、過日「通知」がなされ、補償義務はない、と言う内容。新潟日報地域版が伝えている。

 入札制度、ゴミ有料化、リサイクルセンター、・・・・。まだ何かあったなあ、と「二転三転」が多い。

 公が何よりも大切にしなければならないのは、信頼である。

 

 

 

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違い

 腹の底から笑いたいなあ、と思っている。何れの方向にせよパッとしないのだ。

 そんなことを感じていたら、昨夜テレビで誰かが同じようなことを言ってた。元気を感じる何か。残念ながら今の柏崎には無い。

 インターネットを見ていると、島根県海士町が目にとまった。町長山内道雄氏。民主党公認のこむろ寿明さんのHPにインタビューがある。転載させて頂いた。

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 島根県海士町山内道雄町長

 -ユニークな町長さんとして注目ですが・・・。
 昭和45年に郵便局から電電公社(現NTT)にかわり、その時の委員長が今井勇さん、全逓の湯浅英市さんとは同年代で、一緒に労働学校に行った。全電通30年誌に委員長として、「組合運動も首長も尽きるところ、向かうところは一緒」と書きました。
 おふくろが倒れて52才の時に帰郷し自宅介護をしていましたが、第3セクターに関わり、アマンボウ(海中船)を走らせホテルをやった。その時、議会との軋轢があり、町議会に出て、2期目の議長の時に町長選挙。助役との選挙で、応援してくれたのは上田さんという町議だけでしたが勝ちました。世の中が厳しくなっていたからなれた。
 かっての市町村はどこも金太郎飴。東出雲の海士も変わらない計画を作っていた。「知恵も汗も流さなければ」ということをわからせるのが首長。今、海士の職員が燃えているのは、それだけ上に対してもがいていた。私は、育てたと言うより火をつけただけ。


-単独町制を選択するに至る苦労をお聞かせ下さい。
 結果から言えば、単独町制を選択した判断に誤りはなかった。
 合併協議会で議論し、その間14地区で3回座談会をし、シミュレーションをもって回った。尽きるところ、3つの島は、それぞれ小さいながら特色のある完結型の島で「合併のメリットが生かされない」「最終的にこの道しかない」という苦渋の選択をした。
 住民わずか2,500人で住民投票はしていませんが、アンケートでは、「合併したほうが良い」というのは少なく、職員も「自分たちの島は自分たちで守る」という意思が強く、私もその考えでした。今、合併された首長さんと話をすると、意識の醸成とかで相当苦労しておられると感じます。
 私は、平成16、17年度にかける。18年度をクリアできれば、19年度につなげられる。合併で意識とか一体感醸成に時間をかけるよりも、今のそこにある産業起こしにかける方がむしろベターではないか。早くそれに取り掛からなければならない。
 6月に選挙が終わったあとの14地区の住民座談会では、拍手で「がんばれよ」という激励もあって、住民の一体感もできた。例えば、バスの75歳以上の運賃半額も白紙。ゲートボール協会の補助金も、自ら「そんな時代じゃない」ということを言っていただきなくした。逆に、いろんな面で「協力できることはないか」と言ってもらっています。
 17年度決算は、10数年ぶりに基金を崩さずにクリア。県下の町村では他にはない。それには、職員の協力があった。16年10月組合から自主的に申し出があり賃金カットをした。決して高いとは思っていないが、地元のローカル賃金と比べると高いところがあり、民間の厳しい目があった。今は、何も言われないし、見る目が変わった。先日も「役場ががんばるんだから、民間もがんばらなければ」というハガキが届いた。
 3役は、22年まで30%カット。職員はもう1年契約で、例え何%でも回復する。12月のボーナスでは少し色をつけると座談会では言っています。

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 政治家ですね。

 

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2007年12月 7日 (金)

見えない

 広報かしわざきに平成20年度採用の市職員募集が掲載されていた。一般事務4人、土木技師2人。それぞれ、「若干名」採用が長く続いてた頃を考えると、非常に多い、という感想を持つ。

 いわゆる団塊の世代の退職者が多いことも承知している。地震対応で、仕事量が増えていることも想像できる。けれども、本当に、行政の在り方、公が為すべき領域を精査しての事だったのだろうか。

 非常勤の臨時職員の数も増している。会社、企業を経営しているものならば、固定費の中で何といっても人件費、というのは常識だ。柏崎市の経常収支比率は高止まりをしている。先に書いたように、ワーストである。

 見せかけのことが続いている。「心意気」、「矜持」が見えない。

 新潟県はこのたびの活断層問題で、即座に活断層の専門家を招き、県独自の再評価を行うことを表明した。

 柏崎市は一体何をしようとしているのだ。もう、書くことも嫌になるほどだが、だからこそ、国には執行権を持つ「原子力規制委員会」が必要なのだ。それをなぜ地震後強く、しつこく言ってこなかったのだ。柏崎が言うべき事だったのに。原発反対派は、東電や国にばかり文句を言わないで、柏崎市長の、その姿勢を厳しく正すべきなのだ。以前のように。

 

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2007年12月 9日 (日)

教育に期待する

 今朝の新聞は1面に教育関係の記事が目立つ。朝日は、杉並区立和田中学校内で大手塾SAPIXが教室を開くというもの。また、讀賣は「考える子育てる教師力」という見出しの隣に同じく杉並区立第七小学校の写真が掲載されている。それぞれ、先日書いたOECDの調査結果に関連しての記事であろう。

 我が塾にお越しになるお母さんたちの誤解で一番多いのは「5教科で、400点取れたから柏崎高校大丈夫でしょうか?」というたぐいの質問だ。また、学校によっては、得られた合計得点の折れ線グラフをわざわざ成績表に張っている所もある。ナンセンスである。

 平均点が80点の試験を教師が作れば、合計400点はあくまでもその分母の中で平均と言うことである。平均点が40点の試験を作れば、合計300点であっても、その生徒は頑張った、優秀だと言うことになる。

 つまり、偏差値である。平均点からの離れ具合を見ながら、今回自分は頑張った、ちょっとサボったな、このくらいだったら、上位1割に入っているな、とか分析できるのである。

 私は受験戦争をあおるつもりなど全くない。しかし、本当の力を子どもたちにおしえてあげること、そしてそれに基づいた指導が必要だと言っているだけである。

 実際に、合計得点の折れ線グラフを見せてくれたお母さんは、「ほら、ずうっと落ち続けているでしょう」と心配顔だったのだが、偏差値になおしてみれば、上がっているときもあれば、下がっているときもあるという、極めて健康的なグラフであった。

 私は学校の教育力に期待したい。学校の教員に期待したい。けれども、教員は今まで以上に研鑽を積んで頂きたい。見せかけの、余り意味のないものを、何も考えずに提示するという行為などやめて頂きたい。また、教師自身の学力を含め、大いにその教育力を向上させ、人の痛みを理解しようとする教員にはいくらお金を払ってでも惜しくない。私は本当にそう思う。

 教育においても質実である。柏崎ではまだ見せかけだけのことが多い。

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日曜日の夜

 最近、夏から秋の我が収穫物のお返しが多いぞ。鮎やナメコがワインやソーセージ、コーヒー、柿、Tシャツとなって帰ってくる。うむ、何やら効率が良い。恐縮するふりをしているが、我が輩は実は喜んでおる。

 ただ、我が輩が一番嬉しいのは皆様とお話しできることなのですよ。友人、心を交わす仲で、率直な話が出来ることなんだなあ。そのために我が輩は今、海・山・川に足を運ぶのだよ。それだけなんだなあ、出来ることは。

 日曜日の夜、今日は補習講座。生徒もどこか和やか。

 「先生、そういえば福山雅治に似てる」「うん、話し方もね」「えっ、阿部寛に似ている」「あっ、そういえば、似てる、似てる!」

 「バカもん!福山、阿部がオレに似ているんだ」
 

 「やっぱり、駄目だ!すぐにつけあがるから。放っておこうよ」

 と言うことで、日曜日の夜は終わりました。

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2007年12月10日 (月)

御礼

 以下、キノコのお返しに資料をお届け頂いた方への返信である。

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 A 大兄

 いつもありがとうございます。

 東電に思うことは、というより、今必要なことはある種「潔さ」だと思うのです。

 大きな会社であるが故に、公益企業であるが故に、「機能しないほどゆるんでいる」もしくは「計算し尽くし、したたか」のどちらかです。

 私は東京電力という会社に対し、親愛の情を持っています。それは、育ちの良さ故の社風に引き寄せられるのです。
 
 ただ、大切な情報を幹部と共有できない、また大切だという認識を持ち得ないようなセンスの無さが蔓延していたとするならば全く個人的に残念なことです。

 私が以前副議長をさせて頂いていたとき、東電に新年あいさつに伺いました。

 市長以下並ぶ柏崎側。東電社長は他の人のあいさつの時寝ていました。少なくとも寝ていたように見えました。事実、隣に座る副社長はそれを横目に、気まずそうな顔を見せていました。私はあの時、最後に発言を求め、こう申し上げました。

 「社長、柏崎は東京電力を信頼しています。東電がもし柏崎を見捨てるようなことがあったならば私は絶対に許しません」

 発言したものの、社長の目をつむったときの姿を思い出しながら、プルサーマルはできないな、と思ったのです。それは、もとより私が反対に動こうと言うことではなく。

 結果はご存じの通りです。
 
 文字通り、潔さ。「水で清めなければなりません」 水に流してはいけません。

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 加えるならば、水に流してはウンの尽きです。

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2007年12月11日 (火)

目覚めよ

 今朝から新潟日報で柏崎刈羽原発の建設当時からを振り返る連載が始まった。原子力を認める、認めない、推進、反対、容認、立場を問わず客観的な記述をお願いしたい。原発をある種根本から考え直すべきという私の主張と重なる。期待している。

 私は原子力発電は未だ必要とされているのだろうと考えている。日本にも柏崎にも。ただ、地盤問題も含め、国が地元自治体に対し、「見得を切ってきた」ことへの検証も反省もなく、「従来通り」進む事への反感、嫌悪、そして、それは間違っている、柏崎にとって決して、日本にとっても決してためにならない、という強い確信があるのだ。本当に必要としているならば本当に必要であると言うことを態度で示して頂きたい。柏崎は大切なんだ、原発は大切なんだと言うことを明らかにして頂きたいのだ。それはお金であったり、法整備であったり、規制機関の再構築であったり。

 柏崎は何よりも大きな声をあげなければならないのだ、と主張している。

 今回の地震で直接亡くなられた方の内、3名は私の近所の、小さな頃からよく知った方々である。私は消防団員としてその3名のご遺体を家屋の中から運び出したり、また発見したりした。多くのご家庭が仮設住宅で年を越される。柏崎は大きな犠牲を払っている。そして、原子力という国策、大きな責任を担っている。だからこそ、と私は書き続けている。時間だけが過ぎていくように思われる。

 先般も少し書いたが、私の子ども時代の遊び場。旧公会堂、今の喬柏園。地震で崩れ、ご近所の家屋や倉庫に被害を与えた。

 私は平成6年、第三次長期発展計画を立案している最中、公会堂(喬柏園)の再整備について質問している。その当時の市長選(11年前)でも候補者にその再整備について話して頂いたはずだ。現体制になって柏崎日報に駅前の赤レンガ棟保存運動とともに登録文化財云々という記事が掲載されたことを覚えている。

 公会堂も赤レンガも無くなった。文字通り無くなった。

 私は今から2年前にブログで書いている

 そして、大切な公会堂の庭はそれに一番親しんできた者たちの家屋や大切な倉庫を壊すことになってしまった。

 「無くなる」と言うことがいかに短い時間で起きうるかと言うことに多くの方々に気付いて頂きたい。

 

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2007年12月12日 (水)

親子

 小学6年生の次男のところにクラスの女子から手紙が届いた。卒業を前に「カード書いて」という内容だったらしい。

 郵便受けの中にに入っているのを私が見つけ、女房に「おい、これ机の上にでも置いといてやれよ、そっとさ」と言ったのだが、女房は次男に「何これ?誰これ?」と尋ねたらしい。全くデリカシーにかける。

 次男「ああ、○○だよ。この前学校の机の中に入っていた」
 女房「何でそのままにしたの?かわいそうじゃない」
 次男「面倒くさかった」
 女房「それでわざわざ自宅まで届けてくれたんだ。かわいいの?その子」
 次男「まあまあかな」
 女房{やるねー」
 次男「別に」

 その後書き込まれたカードが机の上に置かれていたのをまた女房が見てきた。

 好きな食べ物は? 肉
  嫌いな食べ物は? 野菜
 好きな人はいますか? 空欄
 好きな音楽は? なし
 好きな本は? なし
 

 ずうっと「なし」が続く。全く素っ気ない。親から見ればへそ曲がり、あまのじゃく。ところがこういうヤツに限って運動神経良いわけよ。野球も柏崎選抜。アイスホッケーも新潟県選抜。陸上も優勝。全く。そういえば私が小学生の頃好きだった女の子は今もきれいで、今も魅力的なんだよなあ。けどまあ、45歳ですから。

 好きな食べ物は?鮎の塩焼き、タラコ(よく焼き)で食べるコシヒカリ、岩ガキ
 嫌いな食べ物は?らっきょう
 好きな人はいますか? 空欄
 好きな音楽は?小椋桂の愛燦々、キースジャレットのケルンコンサート
 好きな本は? 池波正太郎

 こっちのほうがどう考えたってもてるだろう。

  
 

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今年の漢字 3年前からの漢字

 恥ずかしいのは今朝書いたブログだが、もっと恥ずかしいのは、「今年の漢字」が「偽」になったこと。私は昨年から書いているぞ。

 羊頭狗肉の時代(2006年2月14日)

 偽装、ウソつき、いい加減にして!(2006年8月29日) 

 従来的なものへの惜別と訣別 2(2007年2月21日)     

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2007年12月13日 (木)

よく考えたい 踏みとどまって頂きたい

 新潟日報は原発を巡る現金のやりとりを書いている。生々しい。不愉快に思われる方も多いのだと思うが、一人の問題、一部の問題としないで、よく考えたい。

 真面目に取り組んでいる人間が、所属する団体を辞めようとしている。真面目に取り組もうとするが故に辞めざるを得ないと言うのも本当に残念な話である。けれども、嫌にならずもう一度頑張ってもらいたい、と言う気持ちが強くある。

 本日付讀賣新聞新潟版の大誤報。平山前知事が新潟国際情報大学の新学長に、と言う記事なのだが、「現在の泉田知事に選挙で敗れた後は、・・・」と紹介されている。私には、大誤報そのものも問題だが、そういうイメージで見られている事の方が大きな問題だと思う。そして、平山氏にはどうせだったら柏崎にある大学の建て直しに尽力して頂きたかった、と率直に思う。

 私は、このごろどうにもお調子者が多いように思えてならない。政府の施策も柏崎の施策も。つまり、福祉灯油であったり、ゴミ有料化の先送りや唐突な復興住宅の建設位置発表であったり、市民会館の建設位置変更であったり。財源裏付けはあるのだろうか。今までの議論はいったい何だったのだろうか。

 よく考えたい。よく考えて頂きたい。思慮ある、見識ある議論を求めたい。

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2007年12月14日 (金)

クロス・ダブル・復興

 国が柏崎刈羽原発の周辺海域の地層調査を始めるという。当然のことである。経済産業省原子力・安全保安院は、2003年、東電が行った地層再評価の結果、活断層が存在するという報告を公表指示しなかった、また保安院そのものも公表しなかった、という大きな瑕疵がある。

 今回の国の調査に「クロスチェック」という言葉が使われている(朝日新聞)が、原発関係で言えば、原子力安全・保安院と原子力安全委員会の「ダブルチェック」という言葉も使われてきた。

 クロスやダブルで見逃してきたものは何か。しっかり検証しつつ、新たなシステムを、規制体制を構築しなければならない、それが柏崎の役割だ。

 復興と言う言葉が盛んに使われる。しかし、本当に「興して」いるだろうか。「興」とは「台をかつぎあげる」という意味である。

 クロス、ダブル、復興、言葉で終わっていないだろうか。復旧でとどまっている。「従来から」抜け出よ!重い台を担ぎ上げる気概を見せよ。

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2007年12月17日 (月)

なるほど

 世の中、なるほど、と思う場面もいくつかある。

 次男が幼稚園年中組の時の音楽発表会。台の上で一人泣き叫び、全然演奏しない、音楽に合わせて踊らない。親は産業文化会館の観客席で凍り付いた。昨日、女房からその時の理由を初めて聞いた。

「服装が気に入らなかった。女の子みたいなので。」
「じゃあ、どんなのが良かったの?」
「お兄ちゃんのときみたいの」

 言い訳とも取れるのだが、彼の性格を考えるならば、なるほど、と頷いた。彼の行動はあまのじゃくで、気まぐれにも見えるのだが、彼なりの理屈が常にある。

 風呂で、長男と次男のことを話す。長男はよく見ている。良く分析している。我が子ながら、なるほどコイツもやるわい、と思った。

 昨日、小雪舞い散る中、ダ メで元々、と思いながら最後の収穫を求め山に入った。この秋、というか、冬一番の収穫だった。またまた天然ナメコは10キロを軽く超えていた。こんなのが、3本あったのだ。なるほど、あきらめるものではない。遠くから見ると寒風、グレーの世界での黄金色は正に「おおっ!」と叫んでしまう。ただ、自然を考えると、遅いよね、サイクルが乱れている。

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 そしてお裾分けした方から頂いたメール。

 「野の幸ありがとう」

 なるほど、「野の幸」ねえ、美しいことばだなあ。

 山の中でキノコを見つけるこつ。

 一歩前に踏み出すこと。その一歩で見える視界が全然異なり、黄金を発見できるか否かが決まる。ただ、その一歩が難しいんだよね。

 なるほど、でしょ。

 

 

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2007年12月18日 (火)

情熱、情熱

 逆立ちして考えてみたのだが分からなかった。駅前の再開発。日石跡地の市民会館、復興住宅と称するところの桑山木材所有地。財源と手法。民間資金の活用?PFI?はたまた国が出してくれるの?ふーん。いずれにせよ変な取り引きは止めた方がいい。財源も手法も詳細に聞かず、ただ耳目を集めるような質問は提灯持ちである。

 私は以前議会特別委員会で私案として、日石跡地は、高齢者向けのシルバーハウジング(二世帯住宅を含む)、医療福祉機関、市役所を含む公共建造物、商業施設、と書いた。医療に関しては東京電力の力をお借りしたいと考えていた。また、日石が持つ土地であるからその力をデベロッパーとしてお貸し頂きたとい考えていた。西川跡地もゾーニングの中に含まれていた。

 地震被害に遭われた方々はたくさんおられる。昨夜もその切実を伺った。仮設住宅で過ごす日々は不安ばかりだとおっしゃる。また、展望が欲しいとおっしゃる。

 重ねて書いているが、目の前のことも大事、そしてまた大事なことは遠くを見ること。柏崎市の財政は重大な危機に直面しつつあるのではないか。どうにも腰を据えた財政論議が聞こえてこない。もちろん、国の姿勢が見えない、という弁解はあるのだろうけれども、それ以上に柏崎市の姿勢が定まっていない、根拠のない論議をしているのではないか。財源にしても原子力法規制にしても、この際国を何が何でも動かしてやろう、という情熱が感じられない。

 土台が大切。行政にとって土台とは財政。政治にとっての土台は、展望する力への信頼では無かろうか。そして、情熱、情熱。 

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聖地の誇り

 今朝の讀賣編集手帳。ブッシュに柏崎が重なった。

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 ブッシュ大統領がニューヨーク市のヤンキー・スタジアムで始球式をしたのは2001年の10月である。本番の前、ヤンキースの花形遊撃手デレク・ジーターが大統領に尋ねた。「正規のプレートから投げますか」◆それともマウンドを降り、捕手に近い場所から投げますか、と。同時テロ直後のことで、防弾チョッキを着用していては思うように投げられそうもない。マウンドを降りて投げよう、と大統領は答えた◆ジーターは言ったという。「ブーイングされますよ。プレートから投げるべきです」。ボブ・ウッドワード氏の「ブッシュの戦争」(日本経済新聞社)に見える挿話である◆素人にも甘えは許さない。グラウンドという聖地に立つ選手の誇りだろう。たゆまぬ鍛錬で理想の身体に至る道のりを、薬物の力で縮める。思えば薬物使用も、距離を縮めるための甘えにほかなるまい◆薬物使用の実態を調べた報告書に、米球界が揺れている。汚染されたとして実名を公表された86人には、ロジャー・クレメンス投手、ミゲル・テハダ内野手などの超一流のスター選手も含まれていた。ファンは信じたくないだろう◆正規の距離を投げる大統領にジーターは言ったという。「ワンバウンドもブーイングですよ」。正々堂々、技術はあくまで高く――聖地の誇りを取り戻すしかない。

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2007年12月19日 (水)

華が欲しい、地道にいきたい

 今朝のものも含め最近、新潟日報地域版に柏崎の名が見えない。地震復興関係は掲載されるが、後が続かない。

 また、期待していた原発に関連する1面の連載は終わってしまった。何やら尻すぼみ、という感じであった。

 地震でしょうがないではないか、と言う論議もあるが、何せ華がない。

 秋田県関係者がにっこり頬をゆるめそうなのが朝日29面の記事「学力日本一秋田の秘密」

 学力世界一のフィンランドに並んで?秋田県は全国学力調査で全教科日本一だった。その「秘密」を分析する記事だ。

 私がなるほど、と思ったのは紹介されていた小学校教員採用試験の倍率。2007年度が27.7倍、2008年度が36.9倍。団塊の世代が秋田県には少なく、大量補充の必要がないため、都会と違い、ケタ違いで難関になる、と言う内容だ。

 ちなみに新潟県は2006年度4.3倍、2007年度が3.4倍。山形県は12.3倍、18.9倍、長野県は5.0倍、4.3倍、福島県は10.0倍、14.7倍、富山県は6.9倍、5.0倍であった。もちろん教員採用試験が難しければ、教育水準が高いというのは短絡ではある。

 私は日本と柏崎を同じベクトルで考えている。意欲ある、人の痛みが分かる教員にお金をかけるべきである。人材で生き延びるしかない。朝日に紹介されていた、秋田県出身佐々木毅氏や明石康氏の言葉。特に明石氏。「舞い上がらず、地道に着実にやってほしい」 その通り。

 そして、華も「地道」も必要である。

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2007年12月20日 (木)

ギリシャ→アメリカ→イギリス

 テレビを見ていて、行きたい外国の話となった。私は「ギリシャもまた行きたいなあ」と言う。新婚旅行で行ったのだ。リュックを担いで、ホテルの予約もせず。深夜に着いたアテネで、タクシーに乗り込み、とにかくダウンタウンへ向かった。2人でタクシーを降り、まあ、一応しっかりしたホテルらしきところで私は交渉に入ったのだ。もちろん値引き交渉だ。

 私は初めての海外旅行がネパールであったわけで、それ以来値引き交渉というのは当たり前のこととして身に染みついていた。今考えると、新婚旅行でホテルの値引き交渉をする新郎というのは「しっかりした、頼もしい男」と捉えられたのだと確信している。昨夜、私の言葉に対する女房の反応は無かった。

 「そういえば、ヨーロッパに行きたいって言ってたよ」、と女房が長男の言葉を示してごまかす。街並みのことを言っていて、ニューヨークや東京はただガラスのような建物が並んでいるみたいで面白くない、と言うのがその理由だと言う。

 私は女房の無反応に気分を害しながらも、長男の言葉に感心する。なるほど、彼はアメリカ人脈の私に対する反発も若干あるのだろうけれども、それでも一応ヨーロッパの位置づけを間違っていない。

 今朝の讀賣、藤原正彦氏の「時代の証言者」

 アメリカ留学とイギリス留学の違いを書いていらっしゃる。強調されていたのは教養。教養はバランス感覚とユーモア、気概に結びつく、と私は読んだ。そして、イギリスのインテリは「普段は国をリードするが、戦争など大事の際は前線で真っ先に命を捨てる覚悟がある。『ノブレス・オブリージュ(高貴な義務)』です。」

 名誉や矜持といったものにもつながるのではないか。

 私は明日から紅茶党になる。世の来訪者たちよ、紅茶ですぞ、紅茶。

 

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2007年12月21日 (金)

自治体の危機・企業の危機 その対処

 愕然とする。市議会総務委員会で、実質公債費比率の適正化が2019年度と報告された。2013年度には、28.0%まで上昇するという。

 私が言うのは、その比率もさることながら当局担当者の発言の方だ。

 「実質公債費比率の数字だけを見て『切羽詰まった状況』ということにはならないとの見方を示した」(柏崎日報)

 私には事務当局者としての難儀が想像できる。また、原発関連交付金や災害関連の特別交付税などが算入されていない、という弁解もそれなりに考慮したい。けれども、正に厳しい。先に書いたように、平成18年度決算の段階で、新潟県ワースト1の自治体であり、起債制限比率、経常収支比率の指標もある。

 たまたま昨日、広報かしわざき「平成18年度決算特集」が配布された。財政力指数のところには「* 県内20市で最も高い数値です」などと誇るかのごとき注が付いている。むなしい。

 先般、市長の言葉が伝えられた。「災害で倒れた自治体はない」

 事実だとするならば、他力本願、人ごと、である。他力を頼むとしても、何としてでも、という情熱が全然伝わってこない。

 私も含め反省するべき関係者、事柄は多い。けれどもさる席で市職員が言った、「過去の負の遺産」という言葉では済まされない。

 東京電力の役員は報酬の20%カット、管理職は賞与の10%カットを決めている。少なくとも柏崎市よりも真摯である。

 

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2007年12月22日 (土)

柏崎と消しゴム

 今日から我が塾「SEA」は冬期講習である。準備を整え、生徒が来るのを待っている。子どもたちも真剣である。特に中3、高3の生徒は受験も目前で、頑張っている。志望校はそれぞれなのだが、毎日私の悪口に耐え、頑張っている。自分で言うのもおかしいのかもしれぬが、我が塾はホントにいい雰囲気で、真剣に、実質的に、学力を伸ばすべく鉛筆を動かしている。基本的に消しゴムは使わせていない。間違えは残しておけ!証拠隠滅をするな!きれいなノート、問題集は不合格への道だ!と脅している。

 どうしても子どもたちは、間違いを消したがる。間違えることは恥ずかしいことではない、3回も4回も間違えることが恥ずかしい。だから、自分がどこで間違えたかを残しておくんだ、計算式の途中で間違えたら、横線を引いて、やり直せ、と言っている。強者にはボールペンを使わせている。

 「先生、消しカスの掃除が面倒なんでしょう!」と見抜いた生徒がいたが、「バカ者!我が教育的愛情が分からぬのか!修行が足りん!」と答えておいた。我が指導の成果が出て、なかなか洞察力に長けた生徒である。

 さて、柏崎市議会は、原子力安全・保安院の分離独立を意見書に盛ったようである。歓迎する。遅いのだが、出さないよりはよい。けれども、出しただけではダメで、実現させなければならない。

 復興公営住宅の土地選定は継続審査となった模様。流れから見れば、そうだと思うのだが、いずれにせよ、被災者が最終的にこれ以上のマイナスを被ることの無きよう対処を願いたい。ともかく、議案提出の経過が幼稚である。

 私が限りなき愛着をもって、何度も書いていた旧公会堂。地震で無くなった。いや、正確な書き方をするならば無くしてしまった。そして、付近の方々に迷惑をかけた。

 行政の不作為や見識の無さが一番愛着を持つ者たちに対し、また一番困っている者たちに対し、不利益を及ぼすことがあってはならない。間違っている。

 柏崎市は過去3年間何度も消しゴムを使ってきた。そして、今回、地震という大きな消しゴムで消されたものもたくさんある。消しゴムを使い続けては柏崎が無くなる。恥ずかしいかもしれぬが、間違いを見極め、もう一度やり直すことが大切である。

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2007年12月24日 (月)

与謝野馨氏の存在

 各紙薬害肝炎の訴訟についての一律救済、議員立法に関する記事が1面トップである。

 新潟日報の記事によれば、(共同通信の配信かな)、与謝野馨氏が首相に対し、「議員立法をするくらいの気迫が無くては」と迫った、とされている。朝日も与謝野氏の進言を書いている。

 讀賣ではおなじ「しんげん」でも、1面に「中越沖地震 柏崎原発で震度7 」と記事が掲載されている。

 日経1面トップは政府の原油高対策、高速料金、深夜4割引き。

 どうにも、総選挙を意識した「ばらまき」にちかい政策が次々と考えられている。

 柏崎の地震復興対策も「特例」である。

 私が求めていたのは「立法措置」である。司法を行政が乗り越えるには「議員立法」が必要だと思う。超法規的、という言葉が以前使われたが、政治が求められる範囲は多いが、むやみに、無原則に、ではいけない。だからこそ私は原子力立地地域の復興予算に立法をと求めていたのだ。原子力立地地域に大事があった場合、国が一元的にその復興を担う、その根拠たる法。柏崎の場合だけでなく、他地域の安心や信頼をも求めるためのもの。

 与謝野氏のような存在は日本にとっても、柏崎にとっても、原子力にとっても欠かすことの出来ない大切な存在である。

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2007年12月25日 (火)

クリスマスの父

 昨日はクリスマスイブ、そして今日はクリスマス。仏教徒の方も、神道一筋の方も、敬虔なイスラム教徒の方も、ネパールのヒンズー教徒も、みなさん、一応、メリークリスマス。英語にしないほうがいいですね、この場合。

 イブはもちろん、evening 夕方から来ているのだと思うが、現代では、若いカップルが愛をささやきながら一夜を過ごす、男性が貴金属を貢ぐ、などという不埒な悪行三昧(桃太郎侍)を行う日と考えるならば、アダムとイブのイブから由来したのではとも勘違いをさせるがごときである。今後暇になったら(今よりも更に)、10月4日前後を誕生日に持つ人の割合の経年変化を調べてみたい。まあ、いずれにせよ少子化の時代、我が塾は歓迎する。

 クリスマスといえばプレゼントである。中2,小6の長男、次男は論外だが、小3の子どもはサンタクロースを未だ信じている可能性があるので、なかなか苦労する。希望はグローブ。まあ、確かにお兄ちゃんのお下がりばかりだから、と希望調査は3週間前から始められた。希望の品を柏崎で調べたところ、無い。インターネットで調べ、ようやく手に入れた。

 「お父さんが、サンタクロースに携帯電話で話しておいた」

 携帯電話がミソである。実に現代的なアリバイ工作である。だが、グローブを手にした三男の表情は釈然としない様子であった。バレバレか。呆れ顔か。

 次男は、音楽プレーヤーを希望。当方の予算オーバー。お年玉と一緒ということで年末折衝、交渉妥結。音楽などに全く縁のない男だとは思うのだが、まあ仕方ない。聞けば、ピンクレディのサウスポー、UFOを入れる、との女房情報。ピンクレディ!言葉に詰まる。最新鋭sonyに、今時、ピンクレディ!USO!

 まあ、お父さんも桃太郎侍じゃあ、しょうがないか。

 冬期講習も佳境に入り、当方もきりきり舞いである。

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2007年12月26日 (水)

色のないまち

 機会があって信濃毎日新聞を読む。新潟日報もしっかりした新聞だと思うが、前から信濃毎日も頑張っているなあ、という感想を持っていた。

 23日付は長野県各企業の景況判断を書いている。「3期連続悪化」とある。新潟日報も15日には日銀新潟支店の県内企業短期経済観測調査(短観)結果を元に、「県内景況感悪化続く 住宅着工数の減少影響」と見出しを打っている。信濃毎日は独自に長野県内803社のアンケートをまとめ、分析している。

 長野でも公共事業の削減や建築基準法改正の影響を受け、「建設」部門は「低迷」、「下降」で93.3%を占めているという。また、小売り、運輸・運搬もそれぞれ、96.5%、88.9%を占めているという。「県内企業『冷え込み』」という見出しが大きい。

 原油高や原材料高が影響している点は両県とも共通している。

 信濃毎日地域面を見ていて感じたことは、使われている写真がすべてカラーで、非常に見やすく、そして楽しい感じを受ける。記事内容、写真内容がそうでないものであっても全体としてみるとき、非常に朗らかな印象である。新潟日報にも頑張って頂きたい。

 さて、両県、両紙を簡単に見比べてみたのだが、柏崎に今一番足りないのは「色」ではないだろうか。よく分からない、という印象が一言である。

 ちょっとした工夫、ちょっとした頑張りが「色」に結びつくのではないだろうか。

 

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2007年12月27日 (木)

色無し、音無し柏崎

 訂正する。新潟日報地域版も写真はカラーだった。新潟日報もやはり、ますますいい新聞である。けれども、毎日見ているのになぜだったのだろう。信濃毎日の地域版のほうが「鮮やか」に感じたのだ。改めて比べてみた。気付いたこと一つ。信濃毎日は「南信版」とか「北信版」というページ見出しがカラーで、大きく、鮮やかなのだ。写真で言えば左上の緑色。なるほど、何事も見出しに色がないとダメなんだなあ、とまた実感した。

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 さて、讀賣は社会面で「柏崎刈羽 再開の道」と称して連載が始まっている。今朝は、「断層解明 許されぬ『甘さ』」と見出しが打たれている。断層調査の今昔を書きながら、「これまでにない精密な地質調査で、耐震安全性の科学的根拠を明らかにすることが、稼働再開の絶対条件だ」と書き、産業技術総合研究所活断層研究センターの杉山雄一センター長の言葉、「様々な目で幅広い検討を加えるために、電力会社は積極的に観測データを公開してほしい。そうしなければ、再び断層の評価を誤る可能性がある」、で結んでいる。正しい。ちなみにセンターは経済産業省系の独立行政法人である。

 対して、柏崎の原発反対派は東電や国に対してばかり大きな声を上げているようだが、正確に言うならば、中声を上げているようだが、さる12月議会では、市長に対し、「どのような態度で臨むのか」という厳しい原発論議は無かった。小声にも至っていない。以前とは全く趣を異にする。本当の意味での「体制派」に成り下がってしまった。むろん、推進派と称する人々からも目立った議論はなかった。音がない。本当に残念である。

 先ほど書いた、讀賣記事に関して、キーボードで、「かしわざきかりわさいかい」と打ったならば、柏崎刈羽最下位」と出てきた。私のパソコンは優秀なのか、ダメなのか。ちなみに讀賣の見出しは「柏崎刈羽原発再開への道」が正しいのではないか。それとも深慮があって、「柏崎刈羽」にとどめたのか、「へ」を抜いたのか。においもないということか。うーん、難しい。

 

 

 

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2007年12月28日 (金)

中越沖地震復興ビジョンに「進取」を

 このところ結果として新潟日報をほめているが、今朝の1面はバランスが取れている。原発地盤断層問題について識者3人による分析を独自に依頼し、東電が行った調査、評価との違いを書いている。また、そのすぐ下に、原発廃炉の場合、1100億規模の経済的損失、と新潟県が昨日答申を受けた「新潟県中越沖地震復興ビジョン」のことを書いている。

 復興ビジョンを読んでみた。大きなポイントはやはり原子力発電所に関するものである。原発再稼働の場合と原発廃炉の場合を「ケース1」「ケース2」と分けて書いている。知事が言う「廃炉の可能性」を場合分けをしながらもその影響をまとめたのは良かったと思う。ビジョン内容は少し概括的に過ぎたし、柏崎はこんなまちなんだ、と外から見たイメージをなぞった部分も目に付く。ただ、以下の点において面白い。評価できる。私が前に書いたり、お話ししてきたことと符合する。

  •  中心市街地に医療施設を集積したメディカルタウンの推進
  •  公営住宅と商業・業務施設との合築
  •  JR越後線の高規格化による新潟~柏崎~上越間の高速アクセス確保

 等々は、以前、柏崎市議会駅周辺整備特別委員会でお示ししたレジュメと重なる部分も多い。

 医療の充実、市役所、商業施設、シルバーハウジング、新潟へのシフト

 新潟県が知事を先頭に、いち早くビジョンを組み立てて頂いたそのスピードと見識に感謝したい。

 地元に住むものとして、柏崎を知るものが、より具体的な、そして進取を感じさせるものが求められる。従来的な視点で、従来的な取り組みでは復興にならない。しかし、それにしても柏崎市は遅い。

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2007年12月31日 (月)

武士の一分に思う

 昨夜、「武士の一分」を見た。見ながらいろいろあった1年を思い返していた。

 正月、「行不由徑(行くに徑に由らず)」と書き初めをし、住民監査請求を行い、春、祖母が大往生をし、夏、変わろうとしない柏崎にブログを止め、地震が起こり、秋、ブログを再開し、柏崎に戻って17年、共に生きた愛犬ハッピーも亡くなった。

 ふきのとうを採り、ウドを採り、わさびを採り、鮎を追いかけ、サザエ、岩ガキを採り、ナメコを採った。

 塾の経営、子どもの野球、PTA、消防団、もちろん地震。そして、随分考えている。「一分」(いちぶん)

 ともあれ、お世話になりました。ありがとうございました。

 今、柏崎に必要なのは、復興に必要なのは「少し変わる勇気」 そう信じている。

  

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2008年1月 1日 (火)

新しき柏崎へ

 皆様にとって幸い多き一年でありますように。  桜井雅浩 

  

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2008年1月 4日 (金)

少し変わる一歩

2008年元旦
稀にみる快晴の空に昇った太陽は
この世界を丸ごと明るく照らしているかのような
真っすぐな光でした。
その陽の下で私の一歩も
真っすぐに力強く踏み出しました。

 教え子からのメールである。初日の出の写真と共に送ってくれた。ありがとう。

 彼女は新進気鋭の芸術家である。世界的に有名な芸術家を父に持つ彼女は、お父様と同じ道を歩んでいる。であるが故に尚更厳しいものであろうと想像できる。だが、彼女の情熱は多くを期待させる。

 20年前、私は彼女と同じ教室にいた。そして、その学校で「寛容」ということを学んだ。教えて頂いた。恩師からである。友人からである。生徒からである。

 昨日のテレビで「寛容」という言葉が出てきた。ローマをテーマにしたその番組で、ユリウス・カエサルが取り上げられた。正月の民放らしく芸能人が勢揃いで、いささか力が抜けるのだが、ともあれ、「寛容」が出てきたのだ。

 寛容を求めたカエサル。寛容であるが故に殺されたカエサル。旧態依然のシステムを変えようとしたカエサル。であるが故に殺されたカエサル。個人がもつ資質の可能性と限界、展望と危険。

 さて、元旦の日経は1面トップで「沈む国と通貨の物語」と見出しを打った。漱石の引用は中途半端な印象を受けたが、続く連載で、昨日は与謝野馨氏のインタビューが出ている。与謝野氏のコメントには「焦り」と断言してもいい危機感が見えた。

 私は柏崎を日本になぞらえている。前から書き続けている。安全保障、食糧、エネルギー。この三つは不安定の度が増してきている。国や自治体はそう簡単には無くならない。けれどもいともたやすく二流に落ちる。

 インド、中国、特に中国は隣国である。それこそパクス・ロマーナではないが、パクス・アメリカーナで、安定し、発展してきた日本。今、経済的、政治的ポジションが失われつつある。

 英人は天下一の強国と思へり。仏人も天下一の強国と思へり。独乙もしか思へり。彼らは過去に歴史あることを忘れつつあり。羅馬は亡びたり。ギリシャも亡びたり。今の英国仏国独乙は亡ぶの期なきか。日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつつあり。未来は如何あるべきか。自ら得意になるなかれ。自ら棄つるなかれ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内に虚にして大呼するなかれ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行へ。汝の現今に播く種はやがて汝の収むべき未来になつて現はるべし。(明治三十四年三月二十一日 夏目漱石)

 私も出来る限りもがきたいと思う。皆さんにも一緒にもがいて頂きたいのです。教え子のように力強い一歩ではないが、柏崎に元旦の太陽は見えなかったが、やはり柏崎は「少し変わる」一歩を選択しなければならないのだと確信した。

 

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2008年1月 5日 (土)

不透明感は花と笑いで撃破

 私だったら今、花を植える。一鉢いくらでもないポインセチアやパンジーの花を柏崎の全世帯に配る。そして、玄関先に飾ってもらおう。もちろん寄付として受け取ることもすばらしい。 

 さて、アイオワ州ではオバマ氏が勝った。東京証券取引所では株全面安となった。4日のニューヨーク株式市場も失業率や農業者以外の雇用増加幅が予想を大きく下回ったことを懸念材料として急反落した。原油は1バレル100ドル前後で高止まりしている。東電の東通り原発が耐震安全性の見直しから着工が1年延期される。以上は新聞から。

 昨日の賀詞交換会に出た方々から、「昨年にましてそれぞれ政治家の挨拶が良くなかった」という声を聞いた。毎年判で押したような、という声も届いた。

 不透明感、という言葉があちこちで見られる。

 讀賣新聞は今朝の1面「日本の知力」で「笑いは進化の証し」と見出しを付けた。続いて2面で桂文珍師匠による笑いの分析を掲載している。それに由れば、笑いには縦の笑いと横の笑いがあって、今の時代「横の笑い」の意義を語っている。成熟した社会では仲間同士の「横の笑い」が増える、という分析だ。

 私にも一言言わせて頂きたい。何といっても私の卒論は説話文学における「笑い」の研究である。笑ってはいけない。

 日本にも、特に柏崎には「笑い」が少なくなったように思う。更に言えば柏崎市議会には笑いが無くなったのではないか。原因はハッキリしている。ハッキリしないこと、つまり、「よく分からない」ということが多すぎるのだ。疑心暗鬼と笑いは結びつかない。立場は異なろうともハッキリしていることは信頼や尊敬、そして笑いにもつながる。笑いは多くを創造する。

 「あの仕事は私が・・・・」とか「私が・・・・の頃は・・・・」と言い始めたら年寄りか、政治家だと思えばよいのだが、「私が議員の頃は笑いが沢山あった。プルサーマルも含め大きな対立もあったし、真摯な議論もあったが、一緒に酒を飲みに行ったし、そういう雰囲気を私が作ってきた」

 ということで、私45歳にして年寄りになった。オバマは46歳にしてアメリカ大統領になろうとしているのに。CHANGE。 

 文珍師匠が言う「横の笑い」であるならば、自らをおとしめるところに、「おまえもそうなのか」的な安心の笑いが発生する。仲間としての笑いである。仲間というのは全てが同じと言うことではない。逆に異なったところが明らかであればあるほど、自然と少ない共通点を見いだそうと試みる。違うと言うことは、不安定だし、不安であるからだ。一時の共有であろうとそこには信頼や尊敬がある限り笑いが生まれる。

 冒頭の花だが私的にはやはり桜草にしていただきたい。

  オオー!オレってやっぱり天災なんだなあ。

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2008年1月 7日 (月)

CHANGE We can believe in

 様々な出来事に対し、様々な人がコメントを残す。なるほどなあ、と感心したのが1月5日付け、日経国際面、アイオワ州での民主党オバマ氏勝利へのもの。

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 「アイオワは小さな州だが、四年に一度全米を驚かせ、これを楽しむ。米国民も国が変わる幻想に酔う。お祭り騒ぎではあるが実は深い選択でもある。米国の民主主義がなえないのは、この楽しみがあるからだ」。阿川尚之・慶大総合政策学部長(元駐米公使)

 阿川氏が使う、「深い選択」という言葉。確かに幻想に酔うところはある。ビル・クリントン氏が初めて大統領になったとき、私はワシントンにいて、大統領就任式に出た。友人のまた友人の上院議員から招待状を手に入れてもらったのだ。寒く、本当に耐えられないほど寒い1993年1月20日だったと思う。明らかにクリントン氏はケネディを模していた。お祭り騒ぎだった。花火が上がり、パレードがあり、まちのバーは翌朝まで賑わっていた。

 その後、IT景気にわいたアメリカでクリントン氏の評判は高かった。評判と言うより人気というほうが正確だろう。女性問題で揺れても、不適切な関係があっても変わらなかった。聖書に宣誓をするクリントン氏の姿を思い出した私は「やはり神は寛大なのだ」と妙に納得した。

 CHANGE   WE CAN BELIEVE IN

   STAND FOR CHANGE

 

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2008年1月 8日 (火)

消防団を巡る不条理

 消防団の新年会である町内会長が発言した。

 「この前、わが町内で行方不明者が出た。消防団に要請しようとしたところ、家族からの要請が市になされないと出動が無い、とのことだった。防災無線が鳴ったらすぐに消防団の出動があってもいいのではないか。消防団のほうから市に要請してもらいたい」

 私はこう発言した。

 「私たちも近所で火事や行方不明が出たらすぐにでも出動したい。けれども昨年あたりから、出動命令が出るまで、出るな!という指示が出ている。お金がない、ということが理由らしい。私たちのほうこそおかしいと思っている。町内会長さんたちからも市に要請して欲しい」

 発言があった町内の行方不明者は私が発見した。山遊びで慣れている私は、荒れ地を人が分け入った踏み跡らしきものを見つけ、辿っていった。ご本人が荒野の茂みに立っていらっしゃった。一昼夜雨アラレに打たれ、体は冷たく、硬直した状態であったが、ご無事だった。(山遊びは時に人を救う)当該の町内会長に言わせれば「奇跡だ。本当に奇跡だ」私が発見した後、出動命令が出されようとしていたので、私の活動は消防団員としてのものではない。

 認知症の方だった。以前から徘徊が続き、ご家族も随分お疲れだったと聞く。もちろん、それをあえて望むものではないが、発見者の私に何の言葉もない。偶然とは言え命を救った私は、もしかして自分の発見は望まれた行為ではなかったのか、という思いにも駆られる。

 介護される側のつらさ、介護する側のつらさ。昨日に続きかなり「深い」

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2008年1月 9日 (水)

地震後 日本の原発・柏崎の原発

 新潟日報の連載企画「第四部はがれたベール」がいったん結ばれた。元旦、1面トップからというのは評価の分かれるところだが、原発の設置許可、地盤調査に関する国の実態を描いたところは大いに評価したい。

 「原発推進派」にとっては確かに見たくない、読みたくない記事も多いと思う。けれども、書きように若干の脚色があったとしても、あれだけ固有名詞が上げられた中での記事は、事実として認めざるを得ないと思う。そして、「過去は過去で仕方ないではないか」的な国責任者の発言は全く残念である。なぜ、柏崎市は大きな声を上げ、これを追求しないのか。

 ただ、この記事を読んでもなお、原発は今必要なのだ、という私の立場は変わらない。未だいわゆる「原発容認派」である。

 私がずうっと書き続けているのは、日本に原子力発電所が本当に必要ならば地盤を含め、正に根本からその存在のしかたを問い直さなければならないのではないか、というものである。東京電力の責任もさることながら、国は国策としての原子力を、地震大国の日本でどのように位置づけ、どのように安全を確保していくのか、それをしようとする覚悟や情熱を見せるべきだ、という強い思いである。

 「想定外であった」と半ば冗談のように片づけられてはたまらない。そして、結果オーライで、先進国と呼ばれる日本が、それで終わらせていいのかという思いである。

 更に、私にとって重要なのは柏崎である。原子力行政に、原子力安全、原子力規制に、組織見直しに、原子力立地地域での災害復興の法体系の整備に、柏崎がその主体的な、先導的な働きを行い、大きな声を上げるべきなのだ、と主張している。経済はその後に付いてくる。必ず付いてくる。

 私は現段階で2つの事実を重要視しなければならないと思う。

 1、国や東電が無いと言っていた活断層が、原発のすぐ近くに存在していたと言う事実。

 1、想定以上の揺れがあったわけだが、結果として重大な事故には至らなかった事実。(IAEAなどの調査)

 私は原発推進派にも原発反対派にも2つのこの事実をよく考えて頂きたい。私自身も原発容認派として新たな組み立てをもう少しよく考えたい。ただ言えることは「今まで通り」では絶対にいけないと言うことだけだ。

 

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2008年1月10日 (木)

本当に大丈夫だろうか

 今朝の朝日に地域力再生機構の高木新二郎さんへのインタビューが掲載されている。地方の中核企業や第三セクターの再生を期待されている組織である。短い記事だからなのか、どうにも高木さんの情熱らしきものが伝わってこない。

 昨年の今頃は、柏崎ぶどう村について私は怒っていた。極めていい加減な再建方針の会社に数千万円単位の公費を投入することを、そして、さらに、会社再建が無理だと分かると、一転、「責任は会社にある」という再三の市長答弁に。不明になったというワインの行方とその責任の所在は一体どうなっているのか。私は住民監査請求を起こした。当時の市長に頼まれ、社長に就任した民間人が債務を受けるかたちになっている。民間人に責任をなすりつけ、公の責任など忘れました、と言っているがごときである。

 十億円単位の公金を投入している新潟産業大学。市外にサテライト校を建てる計画があった。それが話題に出た理事会ではハッキリとした意見を言わず、そのまま見過ごし、大事な理事会を休み、サテライト計画が表に出て、議会などで問題になると、一転、市外への進出は反対、と表明する市長。当時の大学学長は、柏崎市の第四次長期総合計画策定審議会の会長。途中で、会長職を辞職し、柏崎を去った。全国津々浦々、自治体の10年計画、長期計画策定審議会のその長に逃げられた自治体など聞いたことがない。

 私はその当時のブログで、銀行関係者を大学に投入した方が良い、と書いたはずだ。柏崎にとって大学の存在は大きい、大切だ。であるが故に、法人の統合さえも考えた方がよい、市立大学案も含め抜本的な策を考えるべきだ、と書いたはずだ。が、市長が行ったことは、市職員を大学事務局長として送ったことだけである。先般も文部科学省に関連する団体から、私立大学の経営実態が明らかにされた。

 「全国にある私立の大学と短大の15%にあたる98の法人が『経営が困難な状況』で、うち15の法人は『破たん』につながる可能性があり、」(NHK)と報道された。

 本当に新潟産業大学は大丈夫だろうか。入試を目の前に控え、応募状況は如何に。柏崎市は事態を正確に把握し、対処を考えているのだろうか。議会からも何の声も聞こえてこない。

 昨日、柏崎日報に市長の言葉が載った。「気概」という言葉である。私が過去3年間、何回使ってきた言葉だろうか。

 本当にいい加減にして頂きたい。

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2008年1月11日 (金)

ナショナル・東芝・柏崎

 明るいナショナルが無くなる。洒落ではない。報道されたとおり、松下電器産業はパナソニックとなり、

 明るいナショナル♪明るいナショナル♪ みんな家中♪ 何でもナショナル♪

 は、一体どうなるの?

 となると、東芝も心配だ。

 光る 光る 東芝♪  回る 回る 東芝♪

 走る 走る 東芝♪  歌う 歌う 東芝♪

 みんな みんな 東芝♪  東芝のマーク♪ 

 エネルギーとエレクトロニクスの東芝がお送りする 東芝日曜劇場

 は、もうやっていないんだっけ?では、YouTubeこちらでどうぞ。 

 世の中難しいことが沢山ありますなあ。

 エネルギーで言えば、労働党政権のイギリスは原発建設再開を表明した。労働党政権が下した結論というのが重い。対峙する保守党国会議員が、頷きながらハットン商業相の発言を聞いていたのが興味深かった。

 原子力安全ナカグロ保安院との意見交換は、柏崎日報の報道を見る限り、刈羽村の方が頑張っているぞ。規制機関としての分離独立も主張したみたいだし。柏崎市議会しっかり!

 柏崎沖地震(新潟県中越沖地震)の震源断層が陸側を向いた南東下がりであることを東大などが解析した。

 いよいよ、東芝の時代かな。ブルーレイ(エレクトロニクス)には苦戦しているみたいだけど。エネルギーで頑張れ!エネルギーのほうが先なんだから。

 さて、明るいナショナルが終われば、水戸黄門ですね。

 人生楽ありゃ 苦もあるさ 涙の後には 虹も出る
 歩いて 行くんだ しっかりと 自分の道を 踏みしめて

 人生勇気が必要だ くじけりゃ誰かが 先に行く
 後から来たのに 追い越され 泣くのが嫌なら さあ歩け

 人生涙と 笑顔あり そんなに悪くは 無いもんだ
 何にもしないで 生きるより 何かを 求めて 生きようよ

    ああ人生に涙あり (作詞 山下路夫)

  ということで、世の中は動いています。前に進みましょう。

  

  

 

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2008年1月13日 (日)

東芝の言葉・松下の言葉

 東芝社長 西田厚聡氏

 「ひとりで考え、決断は素早く」
 「WHを買収しなければ東芝の原子力の生きる道はない。WHを買収するリスクよりそのリスクを冒さないリスクの方が高い、と考えたのです」
 (2007年12月1日 朝日新聞 土曜版 フロントランナー)

 松下電器産業社長 大坪文雄氏

 「断腸の思いはあるが、ノスタルジー(郷愁)に浸るより、国内外での成長の可能性にかけることが重要だ」
 (2008年1月11日 朝日新聞 時時刻刻)

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2008年1月14日 (月)

日々新面目あるべし

Gakki

 會津八一の學規である。地震の後かたづけをしているときに出てきた。

 一  ふかくこの生を愛すべし

 一  かへりみて己を知るべし

 一  學藝を以て性を養ふべし

 一  日々新面目あるべし

 私が教育実習生の時、既に、20年以上も前のことだが、これを使った記憶がある。解説に横書きのプリントがあって、読まされた生徒がこう言った。

 「先生、あいづはあ、って誰ですか?」

  

 

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白いナメコ・赤い椿

 少しウォーミングアップ。


 天まで届け凍りナメコ
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2008年1月15日 (火)

日々新面目あるべし 2

 昨日書いた會津八一の「學規」だが、縦書きの解説書を読んでみてビックリした。この學規を誰のために書いたのか、と言うことなのだが、「学問の弟子、長島健に贈ったもの」とある。記憶に間違いなければ、長島先生から私は教わった。

 大学入試、国語の問題に、「八朔先生」なる言葉が出てきて、この人物の生年月日を類推せよ、というものがあったのを記憶している。もちろん答えは「八月朔日ついたち」なのだが、出来たか、出来なかったか記憶にない。ただ、縁がある。

 さて、柏崎、原子力発電所。省エネルギー技術、新エネルギー技術をも含め、根本から見直し、もう一度立て直す気概を持て。地震国での原子力元年とすべし。安易に走るな、従来に流されるな。

 いずれにせよ、やはり「日々新面目あるべし」 ここは、はあ、と疑問を抱くところではない。

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2008年1月16日 (水)

白い朝・道

 讀賣新聞に額絵シリーズと称して、「東山魁夷絵画」が折り込まれた。第一回は「道」と「白い朝」であった。

 今日で柏崎刈羽大震災(新潟県中越沖地震)から半年が経つ。

 改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りし、けがをされた方、被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。

 柏崎も今朝は白い朝だった。10cmくらいは積もったであろうか。東山氏の「白い朝」、雪が降り積もった木立に、センター少し右に、一羽鳥がとまっている構図である。肩をすぼめるように寒そうだが、その後ろ姿、羽先にはこれから飛び立とうとする意志を感じさせる。

 中学生の頃読んだ石坂洋次郎の小説に「寒い朝」というものがあった。好きで何度も読み返したが、雪が降り、白い朝というのは寒い朝ではない。少なくとも凍てつく朝ではないように思う。

 讀賣は社会面に半年を迎えた柏崎の地震が掲載されたが、朝日にはない。日経は「阪神大震災あす13年」である。

 折り込まれたもう一方の絵画、「道」は両脇に緑の草原が広がり、中央を広い道が続いている。

  行くに径に由らず

  柏崎、人にもまちにもエネルギー !

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2008年1月17日 (木)

雪ホゲが分かるか?

 雪ホゲ終了。

 降った、降った。一晩で40cmくらい積もったのかな。自宅駐車場の雪をホゲ、学習塾の駐車場を頑張った。まあ、このくらいはフツウなんだけどね、柏崎は。

 長男には朝早く起きてお父さんを手伝え、と言ってあったのだが、相変わらず寝ているし、利に聡い次男は、こういう日に限って早起きをし、玄関の前の雪ホゲをする。

 「いくらもらえるのかなあ、寒かったなあ、雪かき」
 「バカもん、かくのは恥だ!雪はホゲるんだ」と私。

 学習塾前の針灸院さんは、駐車場をもうきれいに、きれいにする。ご性格なんだよなあ、と感心して前に話したら、「いやあ、ウチはお年寄りが多いから、滑らないようにね」と院長さんの答え。なるほどねえ、こういうところで信頼を勝ち取るのですなあ。まあ、ウチは若いもん対象の商売ですからねえ、と書いたのだが、これから入試本番、滑られちゃあ困るんだ、コーヒーを飲んだらもう一回出動!と言うことで次回のブログは本日午後更新予定。

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プラグ・イン

  アメリカのサブプライムローン関連で、各国の経済に影響が出ている。讀賣新聞によれば、現段階で日米欧主要金融機関の損失は11兆円、OECDの推計による30兆円にもいたる最終損失の見込みまで紹介されている。

 アメリカ経済の後退は車をはじめとする日本の製造業へ直接的な影響を及ぼす。円高も加速し、原油高がこのまま続くならば、日本経済に大きく影響が出る。

 一方、日本の製造業は相変わらず、「偽装」である。今度は、年賀ハガキ。再生紙への古紙混合割合である。

 その中で明るいのは日経1面、連載「YEN漂流 縮む日本」の本日付の記事である。

 「技術力磨き危機克服」「燕は再び飛んだ」

 1970年代以降の、いや江戸時代から続く、燕の事業転換の歴史を紹介している。和釘作りから「iPod」に至るまで、いかに技術を蓄積し、環境の変化に対応してきたか、と言うことに筆は及んでいる。燕に住む方から見れば、誇りを抱き、胸を張ることが出来る記事だろう。

 うらやましくもあり、力強い励ましでもある。

 さて、柏崎。地震だからと言っていつまでも言い訳は出来ない。

 人にもまちにもエネルギー。「エネルギー」の使い方である。生かし方である。やはり「少し変わる勇気」だと確信する。

 

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2008年1月18日 (金)

公・信頼

 柏崎刈羽原発1号機安全審査に関する国審議会議事録の存在そのもの、そして保管そのものがあいまいで、現在「保有していない」と国は言う。新潟日報社からの情報公開請求によって明らかになり、国から問い合わせを受けた東京電力が自社の倉庫にそれらしきものを「見つけ」、原子力安全委員会に「届けた」、と今朝の新潟日報が伝えている。

 国が国の機能を果たしていない。国の体をなしていない。私はそんな国をプルサーマル論議の際、「国を信じるしかないではないですか」と言った。

 翻って、柏崎。公の二転三転が多い。必ず墓穴を掘る。しかし、その穴は個人的なものであってもらいたい。柏崎市が入るようなものでは困るのだ。随分前に、公について書いた。ご覧頂きたい。

  パラドクス

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2008年1月21日 (月)

心配

 昨夜、NHKで認知症の番組をやっていた。親父が自嘲気味に私にこう言った。

 「おい、この前病院でみてもらったとき、MRIとかCTとかでみてもらったとき、認知症の疑いは何にもないって言ってたよな」
 「大丈夫だって、何もないって言ってた。年相応の物忘れだって」

 もともと親父は心配性なのだが、歳を加えるごとに更に心配性になってきた。昨年秋、専門の病院でみてもらったばかりなのだ。

 地震があり、耐震診断に関する広告が入ってくる。商売用のチラシなのだから、かなりの確率で、「心配する数字」が出て来るであろうと想像できるものである。「こりゃ危ない」と思い、先般入ったときには私が全紙分回収し、ゴミ箱に入れたのだが、この前また同じものが入り、わたしはそれを見逃してしまった。親父は案の定そのチラシをとっていた。

 我が家は地震が来る前に、知り合いの設計屋さんに頼み、地盤も含め調査して頂いたのだ。大丈夫、とのお墨付きを頂いた。実際倒れなかった。親父は「おまえのいらん本がいっぱいあって、床が抜けるかもしれない」などと心配するものだから頼んだのだ。

 それを、これまた年末風が強い日に、「屋根がまくれるかもしれん、調べてもらわなきゃならん」と言いだした。屋根だって、板金屋さんに頼んで、大屋根に上ってもらったのだ。私だって上って写真まで撮ってきた。喧嘩となり、いつもの如く親父が「オレはもう知らん」と言って終わった。

 まあ、ウチは過剰なまでに心配性でありながらも、元気であるのは幸いである。

 このところ、新聞各紙が大学の定員割れについて書いている。柏崎の場合も本当に心配である。

 

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2008年1月23日 (水)

45歳の24時間は意味がない?

 この前も書いたように、経済に関して大きな流れが日本を動かしている。というか「通過」している。

 大田大臣は「日本の経済はすでに一流ではない」と言い、新聞には「外国人投資家の『ジャパン・ナッシング』(日本無視)が始まっている」と書かれる。

 私には柏崎という字の置き換えに見える。これもずうっと言い続けてきたことである。

 さて、今日は24時間のことを書こうと思ったのだ。

 私は45歳である。いい歳である。4月には46である。さらにいい歳である。一昨日、全く急なことだったのだが、東京に行く用事ができ、仕事を22:00に終わらせ、家に帰り、飯を食べ、ワイシャツにアイロンをかけ、ズボンをプレッサーに入れ、23:20に再び家を出た。23:45分発の池袋行き高速バスに乗るためである。

 バスはガラガラで、2席を1人で占有できるのだが、それでも177cmの私は横になることなどできない。うつらうつらと過ごし、予定より15分ほど早い4:15には池袋に着いた。

 山の手線の始発は4:40くらいである。寒くて寒くて仕方ないのだが、どうしようもなく待つ。来た電車に乗り込み、新宿で乗り換え。中央線を待つ。寒い。ホームで待つ人たちは朝まで仕事をしてきた、という方々ばかりのように見える。何れも携帯電話に向かっている。携帯電話を見る姿の男女がズラッとホームに横一線である。大井競馬場だってこんなにはならない。

 中央線には、化粧をしたお婆ちゃんが多い。暗がりでは魅惑のマダムなのだろうか。和服姿もちらほら目立つ。

 さて、中央線の駅に降りて、5:30。松屋で朝定食¥350、続けてマックで¥100マック、コーヒーとアップルパイ。朝仕事を9:00に終え、私はフリーになった。本来、私が東京時代にお世話になった、未だご心配頂いている女子美に伺おうと思ったのだが、連絡すると校長先生も教務主任も「今日は推薦入試の日なんだ!」ということで、「あっ、そりゃ、そうだ」 次回に繰り延べ。

 吉祥寺を歩いた。吉祥寺は私が東京で一番好きなまちの一つである。高校生の頃、春期講習と言って、東京に来て、その頃出たての「Lee」のジーンズを買いに来たり、フリスビーに凝っていた私は専門店「エアエース」でナイキのフリスビーを買った。30年前のナイキですぜ。ちなみにそのフリスビーは我が家の3人息子の成長と共に汚れ、傷つき、ついには愛犬ハッピーのエサ置きにまで身をやつし、一生を終えた。

 女の子とも歩いたまちである。かなり歩いた。どんな子とどんな風に歩いたか定かではないが、思い出は多い。井の頭公園を歩きながら、ああそうそう弁天さんがじゃまをして別れるだのと言った噂を思い出したり、「俺たちの旅」のテーマソングを口ずさんだりした。

 「夢の坂道は・・・」

 女房の顔を思い出して、エンディングの曲「ただ、おまえがいい」も一応口ずさんだ。ハイ。

 10:00になって、武蔵野市立美術館に行って、「土門拳展」を見る。開館直後の展示室は私を含め客は2人。「古寺巡礼」も「筑豊の子どもたち」もある。土門さんの写真は大きなカメラをアシスタントの人たちと一緒に準備し、構え、撮る、といったスタイルのものも評価が高いが、私は「筑豊の子どもたち」をはじめとする、スナップの方が好きである。反骨の志と共にまなざしが強く伺え、土門拳らしいと自分で位置づけている。

 昼過ぎの新幹線までまだ余裕があるので、吉祥寺を歩く。昔入った、「sometime」も健在であった。ふと、コンタクトレンズの勧誘が目に入った。聞けば3.40分でできるという。それでは、と20年ぶりのコンタクトに挑戦することにした。当時、生徒に「先生、コンタクトレンズ似合わない!」と言われたコンタクトレンズである。店の受付を済ませ、眼科に行く。混んでいる。聞けば、1時間半はかかるという。それでもう断念。「やっぱりオレは眼鏡が似合う男なのだ」

 再び中央線に乗り込み、お茶の水、神保町へ。私が浪人時代を過ごしたまちである。お茶の水駅前の丸善に寄り、アウトドアの店を3.4軒見ながら神保町まで歩く。三省堂も書泉グランデも田村書店も悠久堂も変わらない。相変わらず、天麩羅「いもや」は繁盛しているし、半ちゃんラーメンの「サブちゃん」も並んでいる。アダルトマガジン「東西堂」も健在である。無論、18歳でない私は見向きもしない。あの頃は全盛期だったのだ。芳賀書店もあった。浪人生にとっては望ましい厳しい環境だったなあ。そうこうしている内にお昼が近づき、ラーメンを食べて、お茶の水から東京駅に向かった。

 新幹線では当方はまたもやうつらうつら状態、席の方はほぼ満席の状態が高崎で解消され、ガラガラ状態になる。ウーン。長野・北陸新幹線。上越新幹線もうちょう線か?心配になる。

 長岡から柏崎までの景色。雪を降り積んだ屋根はいかにも日本的な光景である。心休まる。一方、今朝の武蔵野の雰囲気を保つ吉祥寺の品と活気。フラッシュバックで思い出された。柏崎駅前には小松跡地に未だ「長岡・柏崎・上越ミニ新幹線実現を」との看板が、震災ゴミを背景に目立つ。

 17:00から学習塾の営業。19:20 電話がかかり、1中のPTA役員会、との連絡。すっかり忘れてた。終わらせ再び営業。その後、またお呼びがかかり、ガストで再びPTAメンバーとコーヒー。家に戻って22:30過ぎ。夕ご飯を食べ、女房に「吉祥寺に行ってさあ、」と話しかけたところで記憶がとぎれた。

 45歳の24時間はこうやって終わった。何ということもない、時間は動き、時間は止まっている、ということなのでしょう。

  

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2008年1月24日 (木)

103歳と15歳の夢

  画家の片岡球子さんが21日亡くなった。103歳であった。私が以前勤めていた女子美のご出身である。各紙はその偉業と人生を書いた。その日朝、私は掲載された新聞を夢実現にかける15歳の少年と共に読んだ。

 「でっかい絵を」 夢貫いた1世紀 「北海道の大地のような、でっかい、人が私の絵を見たら息が詰まるというような、そういう迫力の絵を描きたいと思った」。(産経1月21日)


 30年間、小学校の教壇に立ち、夜に絵筆をとった。服を着たまま、ごろりと横になる。普通に眠ったのは風邪をひいたときだけという。血を吐くような初音の辛酸は後年、雄渾(ゆうこん)にして装飾性をも備えた独自の人物画、風景画に花ひらいた◆雪もよいの空の下でいま、梅の蕾(つぼみ)がふくらんでいる。(讀賣1月22日:編集手帳)

 若い頃は帝展や院展によく落ちた。「落選の神様」と呼ばれた当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。「展覧会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。ほんと悔しかった。負けないぞと思ったね」(奥岡茂雄『片岡球子・個性(こころ)の旅路』)▼「私の富士山は理想の山じゃなく、いつも生きている山。変な形になればなるほどいいんです」は95歳の言である。「暴れ回るように描きたい」と、最後まで時代に媚(こ)びなかった。(朝日1月23日:天声人語)

 女子美術専門学校卒業後、小学校で教諭をしながら制作を続けた片岡さんは1930年、初期の傑作「枇杷(びわ)」で院展に初入選した。日中は教務があり、制作は夜しかできない。描きながら着のみ着のままで眠り込むという厳しい生活が続く。再入選まで2年、3度目の入選まで5年も落選を続けた。仲間は「落選の神様」とあだ名で呼び、まるで落選が伝染するのを恐れるかのように道ですれ違うことさえ避けたという。片岡さんも落選作に付けられる赤紙への恐怖から「かき氷はいつもメロン味を選び、赤い布団を見ると逃げ帰った」と話していた。

 そんな片岡さんに小林古径が言葉をかけた。「あなたの絵はゲテモノに違いありません。しかしゲテモノと本物は紙一重の差です。あなたはゲテモノを捨ててはいけません」。自分が描きたいものを追求する片岡さんの創作態度や作品の魅力を、近代を代表する日本画家の小林古径は見抜いたのだった。片岡さんは巨匠の言葉を肝に銘じた。大胆にデフォルメされた形や鮮やかな色彩など、従来の日本画とはかけ離れた魅力は、まさに自分を信じ続けたその先に開花した。(毎日1月21日)


 夢に向かって進んでいった15歳の後ろ姿は本当に格好良かった。夢は必ず大きなものとなる。

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2008年1月25日 (金)

日本力

 友人から本を貸してもらった。山根一眞「メタルカラー烈伝 トヨタ世界一時代の日本力」である。

 先週の日経デジタルスパイスでこの本が紹介されており、友人に是非買って読みなさい、そして貸しなさい、と丁寧にお願いした結果である。

 リケン小泉年永社長の言葉も印象的だ。

 「僕らは自動車しか見ていないが、世界の競争相手にはこういう日本のマネはできないでしょう。これから世界の自動車市場を取り巻く環境は厳しさを増していくが、安全対策や環境対策、コスト競争など、その市場環境が厳しくなればなるほど、日本メーカーの勝機が増すと思います」

 地震において大きな損害を受けたリケン。自動車メーカー12社を含む26社の応援で、1週間で操業を再開したリケン。筆者山根氏はこれを「日本力」と呼んでいるのだろう。

 柏崎力。なんか言いにくいが、柏崎流に言えば、かっしゃきりょく、ですかね。知恵と力。順番はこの通り。

 メタルカラー烈伝、ハードカバー全7冊注文しました。お貸ししますぜ。

 

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2008年1月28日 (月)

柏崎に降り注ぐ日射し

 事務所の窓を開けた。何日ぶりだろうか。柏崎らしい天気が続き、道には雪が残っている。ただ、今朝は陽の光が降り注ぎ、青空が見える。学校へ向かう子どもたちに笑顔が見える。

 東京の冬はいい。空気が澄み、太陽があり、緊張感がある。

 このところ、ブログの更新が遅く、寝坊をしているんじゃないのか、との声も届いた。そう言うわけでもないのだが、朝イチの仕事が重なることが多いだけだ。

 昨晩もいろいろな方からいろいろな声を頂いた。なるほど、と思う言葉ばかりである。脳天気な私はみな励ましと解釈した。ありがとうございます。

 私が求めるのは、柏崎の冬であり、東京の冬である。厳しくも暖かい、和やかだけれども強い意志を持った、そんな自治体である。

 今日のは短いぞ!

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2008年1月29日 (火)

世界に先駆けよ柏崎原発!

 IAEAが再び柏崎原発の調査に入った。原子力安全・保安院は定検期間延長の見直しを延期した。エジプトで初めて原子力発電所が建設されることになり、2月、国際入札が行われる。フランス・インドが民生用原子力の協力を合意した。

 さて、柏崎では相変わらず、廃炉、早期再開が各種新年会で話されている。そうではないでしょう。

 フランス企業アレバは世界的な原子力回帰時代に当たって、人材を確保するため建設、補修、製造まで幅広い分野で毎年5000人の新規採用を行う。日本の原子力技術に対する評価は高く、新卒のみならず、引き抜きもあるという。

 先般、日本の原子力業界が合同の就職説明会を開いた。日本の学生には原子力業界が不人気であるためだ。アレバも参加した。日本の業界が自らのために開いた説明会で、金の卵をみすみす外国企業に持って行かれるのは余りにも人が良すぎないだろうか。アレバは、三菱重工業と提携しているとはいえ、まだフランス企業である。スリーダイヤモンドの名では来てくれない学生をアレバで集めようとする権謀術数なのだろうか。金どころかダイヤモンドを奪われては洒落にならない。いずれにせよ、人材の育成と流出の防止は非常に大事な問題である。

 BWRという機種が主流ではないのが少し心配だが、柏崎はこの時代、原子力を産業としなければならない。原子力発電所を産業にするのではない。

 

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2008年1月30日 (水)

時代

 NHKの経営改革委員会に感謝しなければならないのか、車の中でつけたNHKラジオ第1放送で、朝からドリフのズンドコ節をやっていた。

 学校帰りの森影で
 ぼくに駆け寄りチューをした
  セーラー服のおませな子
 甘いキッスが
  忘れらりょか ソレ

 ズンズンズンズンズンズンドコ
 ズンズンズンズンズンズンドコ
 

 入社早々一目惚れ
  お尻をフリフリ歩いてた
 社長秘書のグラマな子
  でっかいヒップが
 目に浮かぶソラ

 ズンズンズンズンズンズンドコ
 ズンズンズンズンズンズンドコ  

 (1969年 作詞:なかにし礼 作曲:不明)

 後に続くのだが、放送はここで切られた。まあ、楽しい朝の一時だった。

 先立つこと20分前、朝食を食べながら女房から子どもの友だちの話を聞いた。その子がまだ小さい頃、お母さんが出て行ってしまい会ってない、という。「上越にいるんだ」とぽつり言ったという。

 土門拳「筑豊のこどもたち」を思い出した。 

 戦後日本の復興を担った石炭は、1950年代後半から、石油や天然ガスに取って代わられていく。いわゆる「エネルギー革命」がおこったのだ。
 1955(昭和30)年8月、政府は多くの反対を押し切って石炭産業合理化法を制定。中小の炭坑は閉山に追い込まれ、失業者があふれかえった。親の代から生きてきた炭鉱労働者とその家族は、住居も働く場所も奪われ、何の補償もなく放り出された。(小学館アーカイブス 土門拳2 こどもたち)

 筑豊の子どもたちはその当時、ズンドコ節をどのように聞いたのだろうか。笑う門には福来たる。けれどもその前に大きな声を出さなければならないことが沢山ある。誰かが大きな声を上げたのだろうか。土門拳は自らの責任と感じたのだろう。時代に取り残されてはいけない。絶対に。

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2008年1月31日 (木)

小田原・幕府・柏崎

 昨夜のNHK「その時歴史が動いた」は示唆を与える。NHKHPによる番組の概要はこうである。

 「江戸中期の宝永4年、富士山がおよそ850年ぶりに大噴火。最大3mもの厚さに降り積もった火山灰は農民たちの暮らしを直撃する。特に山麓・小田原藩を流れる酒匂川(さかわがわ)は降灰の影響で川底があがり大雨のたびに氾濫、ついには川筋が変ってしまうほどの被害を受け復興は困難をきわめた。前代未聞の状況に小田原藩はなす術もなく、復興はまもなく幕府の手にゆだねられることになる。
 この難事業に取り組んだのは将軍・徳川吉宗。吉宗は川崎の元名主で地方立て直しの名手として知られた田中休愚(たなか・きゅうぐ)とともに酒匂川治水に着手する。しかし2人の前には襲いかかる豪雨や、工事業者の偽装、そして地元農民たちの分裂などさまざまな困難がたちはだかる。」

 幕府は小田原藩の約半分を天領として、直轄で災害復興に取り組んだ。工事業者の偽装、とあるのは江戸の豪商たちが将軍から直に与えられた財源を遊興費などに使い、粗悪な材料を使い、かつ手抜き工事を行い、私腹を肥やした、ということだったらしい。本来なすべき川の堤防は用をなさず、決壊が続いたという。田中休愚らが体制を立て直し、復興に当たった。田中は地元業者を大切にし、地域民に公平な政を行い、融和をはかり、復興の目途がついたのは76年後だったという。幕府は天領とした土地を小田原藩に返した。

 柏崎は大きな声を上げるべきなのだ。

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2008年2月 1日 (金)

新聞の見出し

 1月31日

 単独行動から学ぶ知恵  豊田泰光 (日経)

 逆境に耐え人は進む  アラン・グリーンスパン(日経)

 東電、経常益も赤字(日経)

2月1日

 前に突き進む道歩む 川淵三郎(日経)

 信用失墜 悪夢再び (讀賣)

 サブプライム効かぬ利下げ日米欧、海図なき危機対応 (日経)

 共和党側にこそ、ヒラリー待望論 (日経 春秋)

 雨の日に笑え アラン(柏崎&にもかかわらず桜井) アッハッハ。

 本当のものを見失うな (桜井雅浩) アッハッハ。

 

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2008年2月 2日 (土)

本・老若男男

 走馬燈のように目に浮かぶ、とか、目から鱗、とか、いわゆる慣用句というものがある。私は偏屈者だから、入学式、卒業式には絶対に「地震で倒れて危なかったのは電灯ですが、tradition 伝統は君たちが作るものです」とか「こけら落としといいますが、まず入らなければこけら落としは行えません。もちろん沽券に関わる、であり、股間ではありません。今から股間に関わってはいけません。絶対合格!落とすのは人であり、合格の時の涙です」、と訳の分からぬことを言おうと思っている塾の先生です。

 などと、私はへそ曲がりだが、昨日は本に関わる2件があった。著者が目に浮かぶ本を頂いたり、経営者とは、と鱗が落ちるような読書人にお会いした。

 昨日上梓されたばかりのその本は、敬愛する先輩からのご配慮で、軽愛する随筆家からお届け頂いた。著者はたぶん私と正反対の立場なのかもしれぬが、なぜか共通する部分を感じさせる著作であった。力を抜いた部分に著者の人柄が現れている。雰囲気を感じさせる、情景を目に浮かべさせる好著であった。

 読書人は大先輩である。経済界に身を置くその方が今読んでいらっしゃるのは瀬戸内寂聴の「源氏物語」だという。下世話な言葉で恐縮だが、格好良い。柏崎経済界にこのような方がおられることだけで誇りである。東芝の西田社長はご自身、西洋思想史で学問の道を究めようと思われたとか、丸山真男氏の著作に奥様のお名前が出て来るとか、いう過日の新聞記事を思い起こさせた。

 お二人とも男性である。昨日は私にとって本の日であった。

 ありがとうございました。

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2008年2月 4日 (月)

脱・エルミタージュ

 昨日は、2つの新年会に呼ばれ、それぞれ楽しい時間を過ごした。ありがたい諸先輩の声、心強い友人の励ましが心に染みた。

 家に帰ると、TBSは世界遺産ロシア・サンクトペテルブルクをやっていた。私が好きなエルミタージュ美術館があるところである。画像を見る限り、金と白が織りなす豪奢なまちである。

 初めてエルミタージュの収蔵品を見たのは上野の西洋美術館だったと思う。一連の作品群は、深い色で、静かな絵が多かったように記憶している。サンクトペテルブルクへ行ってみたくなった。エルミタージュを訪れたくなった。いつか実現させようと思う。

 さて、杯を交わし、言葉を交わした方々から当ブログのことについて感想を頂いた。安藤忠雄さんの言葉を書いたものがいいなあ、と言ってくださった方、甲子園を巡って豊田泰光さんのことがいいなあ、といってくださった方がおられたので再掲する。たまたまだったけれども、少しだけ関連するので。

 安藤さんの言葉   豊田さんの言葉

 なお、エルミタージュの原義は、「隠遁者・世捨て人の部屋」だという。うむ、恐ろしい。 

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2008年2月 5日 (火)

新型ガスコンロ

 日本ガス協会が新型のガスコンロを販売していく方針を4日発表した。天ぷらなどを作っている最中の加熱による発火を防止する装置をつけたものだという。

 思い出したことがある。学生時代にはいろいろなバイトをやった。日雇いも数限りなくこなして、地下鉄の工事現場、浄水場の排砂、砂上げは随分つらい仕事だったがいいお金になった。銀座の焼鳥屋さん(桃井かおりさんもお客さんだった)、池袋の日本食堂(もう少しで店長にさせられるところだった)、青春の門にあこがれての売血(恐ろしい雰囲気だった)、築地場内のマグロ卸問屋での1本何百万円もするマグロ解体(バカでかい木槌でマグロの背骨をたたき割る作業)、交通量調査員、その他数限りない。非常に難儀だったのはノルマを課せられたバイトである。

 埼玉のスーパーに派遣され、いわゆる店頭販売をした。売ったものは『消火フラワー』

 「お母さん、奥さん、今晩は天ぷらですか?天ぷら火災が増えています。是非、こちら!名古屋市消防局が考案いたしました『消火フラワー』です!火がついたらすぐに鍋の中へこのチューリップを!あれ不思議!あっという間に火が消えます!もちろん水なんて入れてはいけません!毛布を持ち出してきて、掛けるのも大変です!名古屋市消防局が考案した『消火フラワー』です!いい加減なものではありません!公務員が考案したものです!信頼性100%!本日お買いあげの場合、3割引の1400円!さあ、さあお母さん、奥さんいかがでしょう!」

 むなしい声が響くこと数時間。けれども売り場を移動、口上を変える、簡単な寸劇で目を引くなど、私なりに工夫をし、夕方になって、ようやく1本、また1本と同情票が集まり、結果5本売れた。ノルマは3本だった。事務所に帰り、売り上げが発表された。堂々の1位。アッハッハ。

 ということはもう25年も昔の話だが、昨日の発表により、名古屋市消防局が考案した「消火フラワー」も(今もあるのだろうか?)命運が尽きることになる。

 さて、この新型コンロの安全性を含めて「原子力安全・保安院」が所管しているのだ。私がずうっと言っているのは、そんなことでいいんですか!ということなんです!お母さん!奥さん!お父さん!じいちゃん!ばあちゃん!あんちゃん!安売りでいいんですか?原子力が。

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2008年2月 6日 (水)

普通の水曜日

 アメリカの友人からも、アメリカに出張中の友人からもsuper Tuesday とか Tsunami Tuesday とか呼ばれる情報が届く。

 賭け事サイトでは何と共和党マケイン氏が、クリントン氏やオバマ氏を抑えてトップだとか、celebrity race(セレブ:著名人の争い) だとか、crazy !の一言で終わったり。

 私的にはもちろんオバマ氏なのだが、それよりも、ロバート・デ・ニーロやスティービー・ワンダーなどがオバマについたというのは趣味が一致して嬉しい。

 ディア・ハンターは私の一番好きな映画だし、I just called to say I love you は結婚式に歌ったからなあ。

           Sfc_event_feature_2  

             少し変わる勇気。Yes,We Can !

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2008年2月 7日 (木)

応援・支援・オバマ・小浜

 福井県小浜市(有志)がオバマ氏を応援する、とテレビが伝えていた。うむ、国際的だなあ。アメリカにサクライcityがあるとは思えず、私の場合、奈良県桜井市が応援してくれるのだろうか。それとも、楠木正成よろしく「青葉茂れる桜井の」が歌われるのだろうか。内容は辛いんだよな。

 柏崎日報には市長の定例会見の内容が掲載されている。今年度分の復旧・復興費は393億円。財源内訳は、

 国庫支出金      89億6000万円
 県支出金その他  146億4000万円
 市負担分地方債   75億7000万円
 一般財源        82億円
 
 内、一般財源は特別交付税が44億6000万円交付済み、残りを3月に期待、
という内容だという。市長の説明は通常分も合わせ、90億円の特別交付税が必要、とも記されている。関係省庁や国会議員に要望していくという。今年度分の話である。起債分に関しても今後とも続く話である。償還が始まる頃を想像する。

 国から担保を取らなければならないと思う。私が言うその担保は「原子力立地地域災害復興支援特別措置法」であって、法による国の全面的な経済支援であって、つかみ金ではない。そのために、原子力規制と共に柏崎が大きな声を出さなければならない、と言い続けてきたのだ。時間が過ぎてしまった。特交で終わってしまったならば、かなり厳しいものになってしまう。

 

 

 

 

 

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2008年2月 8日 (金)

寒中閑あり。

 午前中は巡業があった。仮設住宅も伺ったが、かつてのようにおいしいお茶を出してくださるご婦人の姿が嬉しかった。「80を過ぎてこんな生活をするとは思わんかったですて」というご主人の言葉も実感がこもる。

 今日の柏崎は天候も目まぐるしく変わった。小雪、吹雪、晴れ、吹雪、曇り。このところ賢者とのおにぎりランチが続く。海を見ながら、おいしいおにぎりとお茶を頂きながら、いろいろなお話を伺う。先達、という言葉が日本語にあることを感謝する。お話を伺いながら海を見る。潮目がどこにあるのか、はっきりしているときもあれば、光の具合でよく分からないときもある。

 お昼から戻り、こうやって遅ればせながらブログの更新をしていると親友来たれり。心許す、そして一番古くからの友人なり。子どものこと、自分たちの老後のこと、そして私のことを含め、穏やかな午後の会話である。そこへ携帯電話あり。川漁師の師匠なり。これから取りに行くから川用の長靴を貸せとおっしゃる。「こんな寒いときに行くんですか?はい、はい」と返事。程なくして、師匠来たれり。「おめさんも行くか?」「はっ?これからですか?」「そうそう、1時間ぐらいで寒バヤ(ウグイ)が2.30匹は捕れるから」「ウーン。では、・・・、はい、では記録班として伺います」ということで、下の写真である。師匠と師匠の懇意にしていらっしゃる社長である。

Kawaryousi_2

               

 真冬、川に入って投網を打つ師匠とそれを眺める社長、記録班の私。全く男ちゅうのはどうしようもないねえ。カジカ1匹が成果である。成果ねえ。

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2008年2月 9日 (土)

本日の天声人語

 「似て非なるものを憎む」は中国の孔子の言葉とされる。畑に生えて穀物を害する雑草は、穀物の苗に似ている。うわべだけの似非(えせ)君子がはびこっては道徳を損なう-と弟子に憤りを語ったそうだ

 と天声人語は始まっている。

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2008年2月10日 (日)

原子力規制とオバマ氏

 NHKの日曜討論を見た。食品の安全を確保するため、内閣府に行政委員会を設置することを提案した方がおられた。ヒントを得た。

 私が言い続けている「執行力を持った原子力規制委員会」を単独で持つことが難しいならば、国民の安全・安心を確保する、という立場で委員会を内閣府に設置したらどうだろうか。その中に食品安全、原子力規制があってもいい。以前視察したフィンランドでは保健省の中に原子力の規制監督機関が設置されていた。もちろん公正取引委員会のような執行力を持たせる。

 一つ二つ会を済ませ、車を走らせ、現役を引退した大先輩の家を訪れた。日曜日の午後、読書していらっしゃるという。勉強していらっしゃるとご夫人はおっしゃる。立派だなあと感心する。

 私が心配するのは何事にも興味が薄れ、関心が薄れる事態である。昨年秋から書き続けているが、既に東京・霞ヶ関では、永田町では柏崎のことなど、原発のことなど眼中にない。ごく限られた部署だけが汲々としている。

 原子力安全、規制に関しては興味を持ち続け、関心を持ち続け、勉強し続けなければならない領域である。同じ目標を掲げている。けれども従来的な、今までと同じ観点、方法ではなく、少し違うアプローチで臨まなければならない時代でもある。そして柏崎が大きな声を出さなければならない、と言い続けている。柏崎は原子力行政のリーダーでなければならないのだ。新しい発想で臨まなければならないのだ。今まで通りでは全てが終わってしまう。

 時事通信は、ノーベル文学賞を受賞したイギリスの女性作家ドリス・レッシング氏が、米大統領選でオバマ氏が大統領に当選した場合、暗殺されるのは間違いないとの見解を示した、と伝えている。

 オバマ氏はバージニア州リッチモンドで支持者らに対し、「同じ政治家による同じ政治で違う結果を期待するのは無謀な賭けであり、課題が大きすぎる。国民はページをめくり、米国史に新たな章を書きたがっている」と語りかけた。 (2008.2.8 CNN)

 私はオバマ氏が当選して欲しいと思うが、それが困難な道であることも知っている。オバマ氏はレッシング氏の警告をどのように受け止めるのだろうか。

 

 

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2008年2月12日 (火)

超不思議

 不思議だなあという素朴な感想を超えている。

 先週金曜日、つまり2月8日の柏崎日報は、柏崎市が公共施設管理基金を廃止し、財政調整基金に組み替える方針であることを報じている。「2月市会に提案へ」と見出しが付いている。

 「三代の市長にわたって存続してきた公共施設管理基金を廃止することについて」と書き、続いて財務部長のコメントが掲載されている。違うでしょう。

 市長が発言する場面でしょう。市長が発表する事柄でしょう。大きな政策転換である。市長が先ず議会代表者会議などに説明したということなのかな。

 財政状況が厳しいことは分かっている。であれば尚更に市長の率直な言葉、そして明確な方針が示されなければならないと思う。やっぱり違うんだよなあ。

 議員も、市職員も、そして市民も削るべきは削る。我慢すべきところは我慢する。こういうときこそ、「公」が為すべき領域を、「公」でなければできない領域をしっかりと認識すべきである。市民も身を以て体感できる。

 私であれば、期末手当を5割返上する。月ごとの報酬は3割カット、少なくとも3カ年。もちろんこれは市長としての措置である。議員、職員とは真摯な議論を充分に行わなければならない。こんなことは秋からやるべきことである。実施すべきことである。

 事業の見直しも必至である。本当に「公」でなければならないものなのか。本当に必要な補助事業なのか。市長はあらゆる事業を点検、精査し、判断しなければならない。むろん公社関係も同様である。

 いずれにせよこんな大きな問題が簡単に報じられていいのだろうか。

 

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2008年2月13日 (水)

柏崎、人にもまちにもエネルギー

 今朝の新聞に「地域政党 柏崎米山」の意見広告を入れた。

 私の意志、考え方をお示しして、その上で、できるだけフラットな、多くの方々の意見を伺いたい、ということを目的としている。ご覧頂きたい。

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 なお、朝日新聞と新潟日報柏崎南販売店以外の全紙である。両販売店が折り込みを見合わせた理由を伺うに、「原子力発電所を扱っている領域が多いから」とのことらしい。残念である。

 市選挙管理委員会からも、県選挙管理委員会からも「支障なし」を確認して頂いている。

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2008年2月14日 (木)

ほめる

 今日は甘い日。生臭話はしない。自慢話である。

 机を整理していたら、(ほんの一瞬だけれども)、大学時代のレポートが出てきた。小林一茶についてのものである。Aが付いている。加えて、「深い人間洞察があってよろしい。高田のほうの出身ですか」とのコメントまで付いている。この教授にはそれ以前、授業中、「先生、それは違うんじゃないですか」と先生の説とは異なる意見を述べ、「君、いいぞ。頑張れよ」といって頂いた。

 私が大学在籍中に先生からほめて頂いたのはもう1回。ゼミで高名な教授のご自宅を訪ね、宴会に到ったときである。ビールの手配や何やらをして、「桜井君って、意外に真面目で、マメなんだねえ」と同じゼミの女の子に教授の言葉が伝えられた。 4年間、2人の先生に3回だけである。学問の領域では1人の先生、2回だけである。

 20年以上も前のレポートを取っているぐらいだし、こうやって書いているぐらいだから、嬉しかったのだろうし、今でもその時の光景や言葉遣いをありがたく覚えている。本当にありがたく覚えている。

 そのレポートを読むと、チャップリンの言葉も引用されている。

 「貧乏がいいものだとも人間を向上させるものだとも考えたことがない」

 私は続けている。

 「人が多く集まり、社会を形成しているところには常に屈折がある」

 うむ。21.2の青年がこのようなことを書いていたのか。

 このごろの私にAはなかなか付かない。オチも付かない。 

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2008年2月15日 (金)

恐ろしい話・もっと恐ろしい話

 昨日のチョコレート騒動。ある事務所を訪れたところ、才女より「桜井さん、今日は皆さんにあげているんです!」とチョコレート。「かたじけない。お礼の品を期待されたし」などとたわけた男、桜井雅浩だったのだ。ご夫婦からありがたい、本当に気持ちのこもった、率直な、身に染みる話を聞いた後、自分の事務所に戻った。

 戻ると間もなく来客が続いた。コーヒーをいれ、歓談が続く。そこへ携帯メール。かの女性なり。

 「桜井さん、ウチの事務所の前にチョコレート落としていかなかった?もし、桜井さんのものだったらお届けするから」

 慄然とした。青くなる。会話も中断。すぐにカバンを確認。

 あったー!良かった!

 携帯で写真を撮り、メール転送。無実です!落とした男性は天罰が当たる。

 閑話休題

 朝日は大学のAO入試見直しを書いている。いわゆる学科試験、推薦入試と並んで昨今の流行だったわけだが、学力面に不安がある学生の入学につながるケースが往々にしてあり、見直しに動いている、というのが趣旨だと思う。つまり、大学側の観点は「18歳人口が減少している中で、少しでも良い学生を、少しでも早い段階で確保しようとAO(アドミッションズ・オフィス)などという聞こえはいいが実態がなく、実質的でないものを導入したが、小論文、面接などでは学生を見極めきれず、というか、全員合格させます的なノリの大学もあり、さすがにもう少し見識ある方法に改めましょう」ということなのでしょう。

 河合塾の丹羽建夫氏のコメントが本当に実質的であり、そのものズバリだ。

 「AOは、試験官に相当の熱意と学識がなければできない。まずは、そんな試験官が学内にいるかどうか見極めたうえでAOを導入すべきだ。いったんAOを始めたからには、早々に投げ出すべきではない。
 定員割れを防ぐため、AOで早めに学生を確保しなければならない大学も多い。そんな大学に『入ってくる学生の学力を確かめろ』と言っても無理がある」

 丹羽氏のコメントは多くに通じる。柏崎の大学の現況とそれに対する市当局の姿勢。危機感を強く持って欲しい。柏崎にもあり、県内でもこれから多く建設される中等教育学校。本当に実質的だろうか。そしてそれを継続できるだろうか。

 再び閑話休題

 柏崎市の財政。危機感、緊張感、そして覚悟が見えてこない。歳入確保への強い意志が見えない。地震を言い訳にできない。

 私にとって見れば本当に恐ろしい話である。 

 

 

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2008年2月16日 (土)

これでは困る

 各紙地方版、地域版は発表された平成20年度柏崎市一般会計当初予算案について書いている。「非常事態」という言葉が並んでいる。

 市4役の給料などを2年間、10%カット、職員3%カット。10%、3%。

 市長の「不退転の決意を持って・・・」という言葉は説得力があるだろうか。朝日には震災復興シンポジウムへの予算付けが紹介されていたが、私ならばシンポジウムなどしない。パネラーが並んでカタチばかりである。

 昨日は叙勲祝賀会に参加させて頂いたが、残念ながら相手の目を見た、心のこもった挨拶を聞くことはできなかった。世の中、実質的なことばかりで動いているとも思わないが、非常時に、余りにもカタチばかりでは元も子もなくなってしまう。それでは困るのだ。

 気概。私は何年も前から書いている。

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2008年2月18日 (月)

保守、そして進取

 田中秀征氏の文章が土曜日の新潟日報に掲載されていた。「改革・リベラルの旗」というタイトルである。氏は言う。

 私のように「行政改革を熱望しイラク戦争に反対する」有権者を収容できる政党がない。

 なるほど、と頷く。そこで氏は「新しい第三極は『改革・リベラル』の旗を揚げる必要がある。外交・安保は日米同盟より国際協調を重視。内政では行政改革を看板にして官権政治(官僚主導の政治)から民権政治(国民主導の政治)への転換を図る」と書き進める。うん、うんと再び頷く。

 柏崎に置き換えて考える。私はとある畏兄に「Aでなく、Bでもなく、Cなんです」と話し、「そうだよなあ」と頷いて頂いたことがある。

 「原発を認めるけれども、自然環境を大切に考える」
 「行政改革を熱望し、公でなければならない領域(教育、医療、福祉)に集中する」
 「古いものを大切にし、科学技術を信じる」

 桜井雅浩に置き換える。

 「頑固だけれども柔軟である」
 「肉体労働を得意、経験し、本も良く買う」
 「足は短いけれどもスマートである」
 「独断はするけれども専行はしない」

 と言うことで、柏崎に求められるのは、敢えて言えば「保守・リベラル」という概念だと思う。矛盾をはらむ。けれどもそれを隠さず、バランスを取りながら前に進もうとする情熱であり、気概であり、覚悟である。

 バラク・オバマ氏も言っている。有名となった、2004年アメリカ民主党の基調講演である。

   Keynote Address at the 2004 Democratic National Convention

 There's not a black America and white America and Latino America and Asian America; there's the United States of America

 (黒人のアメリカでもなく、白人のアメリカでもなく、ラテン系アメリカでもなく、アジア系アメリカでもなく、あるのはアメリカ合衆国である)

 この前に彼はこう言っている。

 Well, I say to them tonight, there's not a liberal America and a conservative America - there's the United States of America.

 (今晩、皆さんに語りかける。自由、進歩的なアメリカではなく、保守的なアメリカではなく、あるのはアメリカ合衆国である)

 桜井雅浩は言っている。「保守、そして進取」

 私は信じている。

 

 

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2008年2月19日 (火)

その理由

 夢を実現させようとする人間は生き生きしている。最近お二人の男性に触発された。偶然だが農業分野で新たな展開を考えておられる。栗とメロン。お二方とも60歳前後の方である。

 75歳を過ぎてキャンプ場再建に取り組む男性のことを随分前に紹介した。自然エネルギーを大事にする方である。豪雨被害に見舞われ、地震に見舞われ、地滑りに見舞われ、それでもまたご自分の手で重機を動かし、汗をかいていらっしゃった。そして、同じやり方はしない。拝見していると常に工夫がある。

 実はウチも番神に畑がある。お袋が正に丹精して作っている。野菜はほとんどまかなえる。私はじめ男ども家族は「まったく、買った方が安い」などと悪口三昧だが、女房が言うように、取れたて野菜はうまい、と密かに思っている。偉いのはモロヘイヤなど新しい野菜にもどんどんチャレンジしていることである。私がネバネバしているのはそのせいである。

 全く別次元だが、東芝はやはりすごい。経営者たる西田氏の哲学なのだろうか。HD-DVDを捨て、1兆8000億円を岩手、三重の半導体工場に投資。株価は「判断」「決断」を好感。東芝創業者は「からくり儀右衛門」こと田中久重である。子どもの頃、私の本棚には「平賀源内」と並んで、「からくり儀右衛門」があった。たぶん好きだったNHKのドラマ「天下御免」「天下堂々」の影響だと思う。私はワープロが出たての頃、迷うことなく東芝Rupoを買った。かなり高かった。けれども東芝への敬意のつもりだった。その後Rupoだけで3台使った。ご存じの通り、日本語ワープロを開発したのは東芝である。

 生き生きするためには、挑戦。うまいものには丹精。成功するためには先進、明確なこと。

 本当にそう思うなあ。

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2008年2月20日 (水)

棒読み予算

 今日から議会が始まる。柏崎にとって大切な議会となる。昨日、議員さんから「柏崎市平成20年度当初予算の概要」をお届け頂いた。ちょうどその時、別の議員さんからはしみじみとした内容の半生(はんせい)をお聞きしていたところだった。いろいろな方からいろいろなお話を伺っている。

 さて、地震という大きな試練。これをどう乗り切ろうとするのか、そしてその先如何に進もうとするのか、方向性が見えない。予算を見ても、「極めて重大な局面」「非常事態」「不退転の決意」という言葉が「概要」にゴチックで並ぶが、財源の確保については具体的なものがない。無論努力をされているのだと思う。けれども、どうにも伝わってこないのだ。

 すでに各紙が報道した内容、見出しの付け方などから判断すると、私が頂いた「概要」を役人が棒読みし、ゴチック部分がそのまま見出しになった、という感じである。

 私はこのブログを再開した直後から、「原子力立地地域災害復興支援特別措置法」の制定を求めてきた。柏崎市が、柏崎市議会が大きな声を上げるべきだと再三再四書いてきた。そのための決起大会を柏崎で行うべきだ、と申し上げてきた。国策たる原子力政策の展開に協力してきた地域が大きな災害に見舞われたとき、国が全面的に面倒を見る、「任せておけ。大丈夫、国の力を見せてやる」という大見得を切らせなければならない。それが国への信頼となる。他の原子力立地の自治体もそれを見ている。国のためになるのだ。

 そう書いてきた。

 残念ながら、今のところ特別交付税頼み、期待で終わっている。工夫もない、発想もない、知恵もない。ただ、あるのは棒読みである。

 なぜ、原子力立地地域の自治体が本当に難儀しているときに、本当に困っているときに、なぜ、もっと大きな声を出さないのだ。国を動かそうとしないのだ。

 はっきり書こう。役人が作った予算である。気概も情熱も感じられない。政治が微塵もない。

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2008年2月21日 (木)

イージス艦事故と経済、そして全て

 間に合うか、合わないかが問題なのだが、支持率で低迷する福田首相が「改革路線」に舵をきりはじめた、と朝日が伝えている。

 前川リポートから20年。日本経済の構造転換、つまり護送船団方式の仲間内社会から、開かれた市場経済への転換。規制緩和(これは当初規制撤廃だった)による貿易摩擦の解消、不均衡の是正を図ってきた。

 福田首相と大田経済財政担当大臣が認識を一つにしたのは、「質的な転換」ということだ。

 「成長とかGDPとか量的なものではなく、質的な転換がいる」
 「同じ働くのでも質的にいい働き方でなくてはいけない。質の高い経済でなくてはいけない」(福田首相:2月19日 朝日)

 福田首相、大田大臣の方針に自民党内では反発の声があがり始めた。さもあらん。

 同じ19日の朝日、大江健三郎氏の「定義集」

 「そのように考え始めてはいけない」
 「窮境を乗り切る人間の原理」

 と見出しが付いている。

 さて、間に合うか、間に合わないか、気付くか、気付かないか、意識を喚起する声を出せるか出せないか、イージス艦事故を見ても明らかである。

 

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2008年2月22日 (金)

柏崎市議会へのお願い

 議会の皆さんにお願いする。

 柏崎における大学の位置づけをもう一度再認識して頂きたい。柏崎にある大学の位置づけを確認して頂きたい。柏崎にある大学の現実を正確に見て頂きたい。柏崎市が大学に関わってきた経緯をもう一度振り返って頂きたい。大学の存在を大切、とお考えならば厳しい、そして前向きな議論をして頂きたい。組み立てて頂きたい。

 あらゆることについて言えるが地震を言い訳にしてはならない。

 昔、浜茶屋の方々にお話ししたことがある。

 「皆さんは、昨年は冷夏でダメだった、とおっしゃった。今年は暑すぎてダメだったとおっしゃった。ここに税務署の方はいないのだから正直に話してください。何が一体ダメだったんですか?」

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2008年2月25日 (月)

相馬雪香さん

 中2の長男が言う。

 「来年、高校受かったら旅行行かせて!」
 「おお、いいぞ。どこ行くんだ?」
 「屋久島か、北海道か」
 

 なんだ、アメリカじゃないのか、と私はほんの少しだけガッカリ。私自身も高校受験が終わり、15歳の3月、1人で旅行した。ユースに泊まりながら、長野県一円であった。まあ、長男の旅を楽しみにしている。

 相馬雪香さんは憲政の神様と言われた尾崎行雄の三女でいらっしゃる。1回だけ憲政記念館で、相馬さんの講演を聴いたことがある。既に80歳を過ぎた頃であったが、かくしゃくとしていらっしゃった。結婚したばかりだったはずの私は、「雪香っていい名前だなあ。女の子なら  」と思っていた。結果、ウチは3人兄弟である。汗のにおいばかりである。

 今朝の讀賣で相馬さんが語っている。

 「日本の島国根性を『世界根性』にしなきゃ」

 地震後の柏崎にも必要な言葉である。足元を見よ、そして遠くを見よ。

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2008年2月26日 (火)

ジェロ、そしてJARO

 黒人演歌歌手ジェロがデビューし、いきなりオリコンで第4位、という報道があった。出雲崎はますます○である。出雲崎のことも何度も書いてきた。堅実な財政運営、自治体経営といっても良いのではないか。

 さて、ジェロに似て非なるものにジャロ(JARO)日本広告審査機構がある。

 「ウソ 大げさ 紛らわしい・・・・」の公共CMで有名である。

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2008年2月27日 (水)

自給率

 自給率と言う言葉がある。文字通り自分でまかなえる割合と言うことだ。日本で問題となるのは、一番大切な、食糧とエネルギー。

 食糧:39%(カロリーベース)
 エネルギー:18%(原発を国産とした場合)(原発を外すと4%)

 柏崎はその2つに大きく関わっている。

 農業県であり、うまい米コシヒカリ(BL)、越路早稲の産地である新潟県、柏崎でさえ、農業後継者が育たない。原因はいくつもあるのだろうけれども、稼げない、というのがその最たるものだろう。稲作経営を例に取ってみても、農機具の購入に大きな金がかかり、やっていけない、農機具がなければ、週末の兼業などできない、と言うことになる。

 柏崎でも国営土地改良事業が進んでいる。水を確保するためダムを造るという計画だ。完成後、そこから供給される水の枝線部分、つまり自分の所有部分に関する経費は負担しなければならない。さて、・・・。

 農業予算を見ていると、所得補償とか、9割補助などという言葉も踊る。私は理解する立場だ。同時に、常識的なものの見方で言えば、おかしい、と言う気持ちも持ち合わせている。

 知恵がないのだろうか。私にとって見ればまだまだ余地がある。土地もある。

 安全とか安心という言葉も新聞、テレビなどで飛び交う。これも食糧やエネルギーに共通する。

 確率論である、と断言された社長さんがおられた。なるほど、と頷いた。危険は常にある。100%の安全は、中国産であろうと日本産であろうと、水力発電であろうと原発であろうと、無い。危険確率をできる限り下げる中で、下げるための合理的な対処をすることによって、できる限りの安全・安心を得ることが知恵だと思う。

 中国産を全て拒否して物事は終わらないし、始まらない。
  

 おお、農 ! と Oh!No!の違いは大きい。

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2008年2月28日 (木)

嬉しかった、楽しかった、そして颯爽

 思いもかけぬ知人の訪問ほど嬉しいものはない。それも自分が持ち合わせていない専門分野を分かりやすく話してくれる友人(勝手にsorry)との会話ほど楽しいことはない。

 よき友、三つあり。一つには、物くるゝ友。二つには医師。三つには、智恵ある友。(徒然草117段)

 今朝の新潟日報。「中越地震以前の財政水準に戻った」と小千谷市長。新潟県知事は柏崎の財政認識を批判?私がガッカリするのは、その内容ではなく、「息の乱れ」が露見することだ。

 数字を見ていないので正確な表現はできない。けれども人様が胸を張る様を見るのは、うらやましい。

 知事が言うのは、内に厳しい現状認識を抱きながらも、颯爽(さっそう)と歩き始めようとするその姿を見せろ、と言うことなのではないか。

  

 

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2008年2月29日 (金)

デンノッホ 桜井雅浩

 本日を以て、「にもかかわらず柏崎」は更新を止め、 「柏崎&にもかかわらず桜井」を再開する。

 前回の柏崎市長選から3年数ヶ月、柏崎・刈羽・出雲崎大震災後7ヶ月、いろいろなことを考えた。いろいろなことを体験してきた。

 結果よく分かった。

 「それにもかかわらず!」(デンノッホ)

 

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2010年7月16日 (金)

にもかかわらず柏崎

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