32歳の若手、與那覇(よなは)潤・愛知県立大准教授(日本近現代史)の『中国化する日本』(文芸春秋)が話題だ。「中国化」をキーワードに日本の来し方を読み解き、「普段の講義通り」というざっくばらんな文体でつづっている。刊行4カ月で2万2000部と、最近の類書ではかなりの健闘中。與那覇さんに、迷走を続ける日本への処方箋を聞いた。【鈴木英生】
「中国化」とは、<日本社会のあり方が、中国社会のあり方に似てくること>を指す。対立概念として「再江戸時代化」という言葉も使う。いずれも、最新の歴史学研究の成果を反映した“造語”だ。「必ずしも近現代史に興味のない学生に、歴史から何かを理解してほしいと考えて編み出した」という。「脱稿後に知ったのですが、『中国化』は評論家の山本七平が、すでに使っていました」
中国は宋朝(960~1279年)において、世界で最初に近世へと突入した。以来、経済や社会は自由化しつつ、政治は普遍主義的理念(儒教道徳や社会主義)をもつ強大な権力が独占的に支配してきた。そこには法の支配や基本的人権、議会制民主主義はないが、これらはむしろ「遅れて近世に入った西洋の特殊事情から生まれたもの」と、與那覇さんは説明する。
日本は江戸時代に「中国化」を拒否し、身分制を維持して分権的で保護主義的、どちらかといえば「社会主義的な」社会をつくった。江戸時代が耐用年数を過ぎると、いわば「中国化」として明治維新が起き、その後は「再江戸時代化」と「中国化」を交互に繰り返してきた。つまり「日本は東アジアでいち早く『近代化』したというよりも、大陸より遅く『中国化』をしかけただけだと理解した方がいい」。
現代の議論の枠組みに置き換えれば、「中国化=新自由主義化」「再江戸時代化=社会主義化」と言えなくもない。ただし「高度成長期の田中角栄も革新自治体も、福祉や所得分配を重視するなど『再江戸時代化』した」。「中国化=保守・右翼」「再江戸時代化=革新・左翼」ではないし、その逆も違う。
本書は現代世界のグローバル化を「世界の『中国化』」と定義する。日本の貧困問題、自殺者の増加も、その表れだ。「みんながうまく生きられず、いらいらしたり鬱になる。その原因が『江戸時代の不調』とは分からず、橋下徹・大阪市長のような『中国化』の急(きゅう)先鋒(せんぽう)に人気が集まる」。本書の歴史観は、現実を解き明かす手段にもなりそうだ。
與那覇さん自身は、世界と日本の「中国化」を不可避とみている。ただ、そこには「普遍主義的な理念」がない。だからこそ、日本が生きる道もあると思っている。「憲法九条が(普遍主義的な理念として)使えるのではないか」
今の中国においては儒教も社会主義も、確たる国家理念にはなっていない。これが弱みだ。さらに、グローバル化自体にも、理念などない。だからこそ<儒教並みに現実離れしているけれども妙に高邁(こうまい)でスケールの大きな憲法>を「中国に押しつけるくらいのことを考え」よう、というのが本書の結論だ。実現可能性はさておき、「米国の押しつけ憲法」とわだかまり続けるよりは、ずっと「健全」で前向きな発想と言えるだろう。「要するに、歴史は役に立つともっと知ってほしいからこそ、本書を書いたのです」
毎日新聞 2012年4月2日 東京夕刊
「メディア・プロダクション・スタディーズ」の研究を始めた五嶋正治准教授に聞く。