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人は常には全力疾走できない

――お母様が脳梗塞(こうそく)で倒れ、介護をし始めて約5年。最初は年100本のステージと介護を両立させていたとか

私にはできると思っていたんです。バカでしたね。当時、ツアーでは母を車いすに乗せて会場を連れ回していました。後に母は認知症も発症しましたが、最初は脳梗塞の後遺症のリハビリを手伝う程度だったんです。一生懸命リハビリして、つえがあれば歩けるまでに回復したのに、その後、人とぶつかって転んだことで骨を折り、車いすの生活を送ることになった。あの時は本当に悔しかったです。

最初に仕事と両立させていた時の私は、毎日24時間全力で走っていたようなもの。それは無理とわかり、今度は介護に専念した時期もありました。でも、これも24時間全力だったんです。しかも、ずっと母のそばにいるので心も体も休まらない。食事や入浴、トイレの介助。カチカチの便を出すために肛門(こうもん)に指を入れてかきだす「摘便」もやりましたし、夜もすぐトイレで起こされる。妄想で大声を出すので一緒に寝ていても、目を覚まし、30分単位で起こされました。

――妄想とは

夜中に、虫がたくさんわいているとか、知らないオッサンが部屋にいるとか大声で言うんです。医者がそれを否定してはいけないと言うので、一応確認しに行って「虫いっぱいおったな。でも退治したよ」とか「オッサンはもう帰ったよ」とか答えて。そんな風に常に睡眠不足で毎日全力で介護していたら、心身のバランスが徐々に崩れてきたんです。

――追い込まれていたんですね

心身ともに限界でしたね。その時期、私個人の歌手活動は休止していましたが、一緒にステージを行っていた人のライブには時々出ていたんです。メークしてきれいな服を着て、ルンルンと出掛けて行く。自分も気が晴れるし、母が「あんた、今日きれいやね。たまには歌いに行きいや」と言ってくれて、やはり自分は歌わなあかん、と思ったんです。人は、100メートルを全力疾走できても、一生その状態で走り続けられるわけではない。一瞬だから走れるのであって、その間に寝たり食べたりする必要があるし、心の潤いもないとあかん。それがやっとわかって歌手活動を再開したんです。自分が倒れたら母の介護もできない。母を支えるために私には歌うことが必要だと。ステージの数は減らしましたけどね。

――昨年、綾戸さんが倒れたことも

あの時は体調が悪く、早く治ろうとあせり、薬を多めに飲んでしまったんです。そうしたら具合が悪くなり救急車で運ばれ、週刊誌には「自殺未遂」とまで書かれてしまった。違うんです。私は死ねと言われても死にませんよ。こうして「違う」と言えただけでも生きててよかったと思っていますが。

最近は私も更年期で体もきついので、自分だけで介護をせず、デイケアを使ったり、人の手を借りたりするようになりました。母にとっては私が介護するのが一番いいけれど、私が倒れては意味がないと感じています。

介護は人生の正念場

――介護の経験でご自身に変化は

優しくなりました。私は何をやるにも人よりもテンポが早いため、人が同じようにできないとヒステリーを起こすタイプだったんです。でも、介護は頭にきても言えないことの連続。偉かった親がだんだん小さくなり、いずれはゼロになる段階に入っている。これはたまらない現実ですが、臨機応変にその場で対応していくしかない。ご飯を作っても「まずい」と言われ、一生懸命何かしても「下手」と言われる。頭にきても「ごめんね。ちょっと口に合わなかったね。みじん切りにしてみるね」と言えるようになったし、人にはその人のペースがあることもわかりました。

――歌への影響はありますか

今が一番歌っていて楽しいです。実はこれまで、アルバムを出しても家で聴いたことなかったんですが、今回のアルバムを初めて家で聞いたら、いいんですよ。昔、こんな風に歌えたら、と思っていたところに近づいている。自分のカラを破ったというか、ジャズが似合う年齢になったのかもしれません。実際の恋愛ができなくなってきた今になって、もっともラブソングが歌える年になったと思うと、神様は残酷やなと思います(笑)。子どもの時に母の洋服を着ても似合わなかったのが、大人になったらしっくりきた、そんな感じです。

その人の音楽のスタイルで一番ベストに歌える年齢があると思いますが、私はいろいろなことを経験した50代の今が一番楽しい。これまでは年を取るのが嫌でしたが、今はどんな60代になるのかと楽しみになり、長生きしたくなりました。これも母の介護のおかげです。

――どらくの読者の中にも介護をしている方がいます。アドバイスを

確かに介護はつらい。それはどうにもならないけど、もしあなたが明日を生きるなら、あさってのことは考えないこと。明日のことだけを考えていたらあさっては何とか来ます。そうやって一日一日生きていく。そして困った時は「助けて」と知らない人にでも言うこと。人間はギブ・アンド・テーク。助けた人もそれが自分の自信になるし、自分が助けられる時は助けたらいい。

それと、自分は一人だと思わないこと。たとえ家族がいなくなっても、他人がいる。地球上の人間が死に絶えていなければ、あなたは一人じゃない。介護はやらないで済むならそのほうがいいけど、やったら得るものが必ずある。一日一日過ごしながら、自分で答えを感じるしかないので、時には死にたくなることもあるでしょうが、私自身、あの時死ななくてよかったと思う局面がたくさんあります。何も助けになることは言えないけど、私につられて一緒に介護をし、生きていきましょうよ。

(更新日:2011年08月05日)

(写真)綾戸智恵さん3つの質問
質問1
これまでの人生で最大の買い物(投資)は何ですか?

母が倒れてから購入した今のマンションです。病院に一番近いという理由だけで決めたので、あとで値段を聞いて「どうしよう」と思いました。でも本当に近いんです。院長室が目の前で、糸電話で話せるぐらいの距離(笑)。毎日病院に行っていたので、母のためにはよかった。でも、住んではいるものの、忙しくて使えずに倉庫のようになったままの部屋があるし、30畳あるリビングは買う時に「パーティーができますね」と言われたけど、仕事と介護でそれどころじゃない。いつか、パーティーができるような優雅な暮らしをしてみたいです。

質問2
こだわりがある、という生き方をしていると思う人を挙げてください

母です。美しいものにこだわりがある人です。ワンピースや靴、バッグ、アクセサリーなど、きれいなものがとても好き。私はその辺りにはまったくこだわりはないのですが(笑)。よく「きれいにしなさい」と怒られていました。ゴミ出しに行くにも「口紅ぐらいつけなさい」とか言われます。介護中も私がライブに行く前にお化粧すると、「きれいやね」ととても喜んでくれます。

質問3
人生に影響を与えた本は?

チルチルとミチルが出てくる「青い鳥」です。子どもの頃、母がよく読んでくれました。でも実は本の内容通りには読んでくれていなかったんですよ。本当は美しいエピソードが多い物語のはずなのに、母が私に読んで聞かせてくれたのは「千円でいいと言われて店に入ったら、後で請求書が1万円だった」とかそんなのばかり。大人になって本物の「青い鳥」を読んだら、あまりにも違うのでびっくりしました(笑)。

母が言いたかったのは、世の中には、どんなところにも危険がひそんでいるから気をつけなさい、ということだったんでしょう。子どもながらによくわかりましたし、そのおかげで、注意深い気持ちを常に持つようになったと思います。

アンケート 今回のインタビューについて皆様の「声」をお聞かせください。

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